立憲民主党 国民民主党 合流立憲を冠にするなら働け、国民を使うならその意味するところを噛み締めてみろと。見方によっては安倍政権の支援団体にも映ってしまいます。
いっそ自民党との合流も検討してみては?
このブログを始めるきっかけとなった、 ”唇からナイフ もしくは余計なお世話” を運営されているルキウスさんに感謝致します。 示唆に富んだ記事により、”思考する”機会を私に与えて頂きました。
立憲民主党 国民民主党 合流立憲を冠にするなら働け、国民を使うならその意味するところを噛み締めてみろと。見方によっては安倍政権の支援団体にも映ってしまいます。
元農水事務次官長男殺害事件殺人という罪に対する刑罰の、他の判例との整合性を鑑みての懲役刑なんだろうという印象です。再犯の恐れはなく、懲役刑が更生の目的にも合致しないだろうと。
”対処法があった”として、 外部機関や医師らに
”相談すべきだったのにしなかった”との指摘が該判決の主たる事由とされているのは間違いない処です。ただやはり、訴追する側、裁く側からの当事者意識に欠いた主張のように思えてなりません。
端末にデータは保存されておらず、サーバのデータを破棄後、バックアップデータの保管期間を終えた後は復元は不可能だとの報告を受けている例えば年賀状の住所録を、年賀状を出した後、不要だからと毎年消去する馬鹿がいるか、という話です。翌年の名簿作成の基にするのは当たり前のことです。毎年消去して端から名簿を作成するなどこの上なく非生産的です。公金もそういった姿勢で費消されていると考えると、怒りを通り越して情けないというか、呆れます。これではいくら日銀券を印刷させて、国債を買い取らせても足りないのも道理です。
”食後、お茶を頂いて帰ろうとしましたが、店員さんは他のテーブルの片付けにかかりきりで、空になった私の湯呑には気づきませんでした。仕方なく他のテーブルにあったポットから自分でお茶を注ぎましたが、その場にいる食事客への気配りが不足していると感じました。おそらくパートの店員さんなんでしょうがもう少し接客の教育をお願いします。”といったレビューになるのでしょうか。 これは以前目にした、名古屋市内か近郊の街の麺類食堂のレビューとして投稿されたものを引用しました。詳細は失念していますが、うどん屋で湯呑が空なのにお茶が注がれず、店か店員の気配りが足りないという頭のおかしい投稿だったかと。同じ類の店で入店後席への案内がなかった、という批判も見た覚えがあります。
”それなら協賛金を”とか、”上納金次第で”という話になるのかは知る由もありませんけど。
「ゴッドファーザー」に登場のビバリーヒルズ豪邸、破産法適用対象記事中にもビバリーハウスと称される豪邸の写真が掲載されているのですが...
「ぶぜん」の意味ばらつく 本来の意味理解は3割程度熟語や慣用句の誤用についての調査結果です。 調べてみると文化庁の、
国語に関する世論調査に遡ることができます。上記記事は
平成30年度「国語に関する世論調査」の結果についてから抽出された記事です。記事に拠れば”憮然”を本来の意味である、”失望してぼんやりする様子”と答えたのは28.1%、”腹を立てている様子”とした人は56.7%とのこと。該記事では”砂をかむよう”、”御の字”の例が併記されています。他には”姑息”、”檄を飛ばす”といった例を文化庁のwebサイトで見ることができます。
「言葉のQ&A」(まとめ)本来の意味とは異る誤用の例が列挙してあるわけですが、その理由については、”ああ、成るほど”とまで素直に頷けず、”云われてみれば、そういう理由もあるかも”といった場合が少なくありません。
「姑息なやり方ばかりで,あいつはひきょうなやつだ。」というような言い方は,本来の意味に沿って考えても,全く不自然ではありません。重要なことについて,正面から取り組もうとせずに,「一時の間に合わせ」で済ませることに終始すれば,「ひきょう」と見られるのが当然だからです。とあるのですが、当然なのでしょうか?一時の間に合わせであっても応急処置を姑息な処置とは言い換えません。福島の原発事故でメルトダウンが起こった時、炉を冷却するために海水注入が行われましたが、これが姑息な処置に符合するとは思えません。
”記憶にございません”
”存じません。秘書の職務です。”
”破棄しました”といった回答を耳にします。どうでしょうか、姑息な答弁という形容が相応しい気がします。
(愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実)+(その場しのぎ)
=姑息な対応で、この時、(愚劣/低劣/卑劣/不当/無責任/不誠実)性と(その場しのぎ)性の程度の比率は一律ではなく、状況によって、更には時間に対し変動しているはずです。
”記憶にございません”
”存じません。秘書の職務です。”
”破棄しました”などはその典型です。現時点では他に典拠が見当たりません。従って、
”姑息”を誤用させる原因は政治家にある取り敢えずこのように結論づけておきます。
食べログ>愛知グルメ>名古屋グルメ>名古屋市南部グルメ>地図から探すとリンクを辿っていきました。おおよその位置まで拡大表示していき、[このエリアで再検索]ボタンをクリックすればエリア内の飲食店が✪で表示されるはずです。その際、地図の左側に✪の飲食店名やアイコンが一覧表示され、位置と飲食店情報が紐付けできる仕様になっています。
といった理由でメール本文中にあるURLをクリックさせ偽サイトへ誘導する仕組みです。その偽サイトでログインが促されIDやパスワードを入力するとそれらの情報が盗みとられるわけです。そうなるとなりすましが可能になりますから、口座内の預金が払い出されたり、不正な買い物、アカウントない情報の改変、なりすましによる第三者への攻撃等、様々な被害を被り、また第三者に被害を及ぼす踏み台に利用されることになります。
- クレジットカード、キャシュカードが第三者に使用された
- 口座に不正なアクセスがあった
- アカウントをロックした
- システムをアップグレードした
パスワードを失念することです。パスワードを失念してしまえば、例え偽サイトに誘導されパスワード入力を促されても入力しようがありません。なにしろ忘れてますから。後はパスワード入力が必要な時にはどうするか、という問題に対処すればいいわけです。
極力パスワードを入力してログインすることを習慣にしないということです。勿論メモとして記録しておくことは必要ですが、記憶できないパスワードを設定しログインしたままにしておくわけです。勿論、二段階認証や安全なPCとしての登録が前提です。Yahoo!、Google、Amazon辺りは意識してログアウトしない限りログイン状態が保持されます。パスワードを入力する頻度が減れば減るほど、それが特殊な操作、不慣れな操作となるわけです。
3.06点
思いやり予算、4.5倍に 米政権、80億ドル要求―日本側の反発必至”桜を見る会”の公私混同ぶりなど上記外圧に較べれば些末なことだと、巷間でそういった論調が生まれつつあるようです。
トランプ氏が日本に“思いやり予算”4倍要求、「沢尻エリカで霞まないで」
日米は互いに助け合うことのできる同盟となり、そのきずなは盤石なものとなりました。そして、ドナルドとの非常に親密な個人的信頼関係により、日米同盟のきずなはもはや揺るぎようのない、世界で最も緊密な同盟となりました。と大口叩いて用心棒代をせびられるわけですか...
昨日のゴルフ、大相撲観戦、メラニア夫人を交えた夫妻同士の夕食会も含め、トランプ大統領とくつろいだ雰囲気の中で様々な話をし、トランプ大統領との友情と信頼関係を更に深めることができました。諂ってヨイショした結果がこの有り様ですか。度し難い外交手腕です。
女優 沢尻エリカ容疑者を逮捕 合成麻薬MDMA所持の疑い関連の報道で埋め尽くされるのだろう。で、”桜を見る会”関連の公選法や政治資金規正法違反の疑惑はめでたく雲散霧していくのでしょうか。
データをマネタイズ
リクナビ問題「同意があれば万能」論を見直すべき…鈴木正朝教授が「思考停止の議論」に危機感この時、リクナビに登録する際、プライバシーポリシーに同意した就活生の個人情報だけでなく、約8000名の該ポリシーに同意しなかった就活生のデータも内定辞退率予測データの算出に利用されていることが問題となっています。加えて、プライバシーポリシーの内容自体にそもそも不備があるという指摘や、就職活動に不利に働く事業への個人情報の利用は同意の有無に関わらず不適切との批判もあります。
”そんな大した予測やってんの?人力でテキトーに予測した数値で商売してんじゃないの?”という疑念が生じるのは間違いない処です。
リクナビに会員登録するとできることで、使える機能を利用しようとすれば、必要となる個人情報の登録を求められるのは当然です。住所、氏名、メールアドレスはもとより、OpenESを使えばエントリーシートや履歴書に記載する個人情報を登録することになります。加えて、入社志望企業の検索履歴、説明会やイベントの申し込み、参加状況、志望企業の優先順位、志望動機、内定状況といった情報があれば、内定辞退率の予測はそれほど難しい話ではなく、AI技術など使わずとも可能と考えます。
二階氏、まずまずに収まったを撤回
台風被害で表現不適切と自民党の二階幹事長が、台風19号による被害に対し、
――まずまずで収まった――と発言し、野党からの批判を浴びました。結局、
――被災された皆様に誤解を与えたとすれば、表現が不適切だった。発言には気をつけていきたい――と謝罪に追い込まれました。事実上ですが。本意ではないにしても、、被災地に出向いて防災・減災に取り組む姿勢のアピールと相まって、取り敢えず事態は収束に向かったわけです。
多くの人が不快だ、心を傷つけられたと問題視する作品は、表現の自由の保護の対象となるのか。という問いに対し、
単に多くの人々にとって不快だということは、展示を否定する理由にはならない。芸術作品も含め、表現は、人々が目を背けたいと思うことにも切り込むことがあるのであり、それこそ表現の自由が重要な理由。との回答が記されていました。シャルリー・エブド襲撃事件が何ら糧になっていないことがよく解ります。
74%が反対「慰安婦少女像」の芸術祭展示問題アンケート結果発表
自民県議団「賛同は困難」 不自由展再開で大村知事に申し入れ書
あいトリ補助金「中止」、撤回求める署名に3万4000筆 参加アーティストら文化庁に訴えただそれに先立って、先日【あいちトリエンナーレのあり方検証委員会】が実施したアンケート結果が公開されて然るべきと考えます。
江藤拓農林水産相は20日、家畜伝染病「豚コレラ」のまん延を防ぐため、養豚場の豚にワクチンを接種する方針を正式に表明した。養豚の一大産地である関東で発生したことを踏まえ、接種を見送ってきた従来の方針を転換する。これにより、日本は国際ルールで定める「非清浄国」となる見通し。復帰には時間がかかる可能性が高く、豚肉の輸出などに影響が出そうだ。(農水相、ワクチン接種表明=各知事が判断-豚コレラ対策)豚へのワクチン接種を開始すると、国際的に”ワクチン接種が必要な国”との位置付けとなり輸出する豚肉の商品価値が毀損する...豚コレラが中部地方の広い範囲で発生し、養豚産業に深刻な被害をもたらしているにも拘らず、政府がワクチン接種を認めなかった理由は、豚肉輸出の打撃になるため、そう理解していました。
平成29年農林水産物・食品の輸出実績 (品目別)によれば、H.29年で約2,300トン(約10億円)とのこと。
1)豚コレラの脅威を甘く見ていた。被害が拡大する中、行政の無謬性もあって、謬りを自認できず輸出云々を理由に置き換えた。
2)豚コレラの発生地とその周辺の地域単位でワクチン接種を行うと、当該地域で生産された豚肉にはワクチン接種豚のレッテルが貼付される。このことは国内での当該地域産の豚肉の商品価値を毀損してしまい競争力を減退させる。ざくっと言えば、ワクチン接種に由来する、国内他産地との競争敗退、売上減を避けたかった。
3)豚肉輸出関連業者からの圧力。といったところでしょうか。結局被害地域が拡大し、現在に至ったわけです。
――地域限定でやればそこの養豚業が成り立たない――とか、全国一律など広域での接種について
――消費者までの関係事業者の合意が得られればありだと思う――とコメントしています。ただ、地域限定でもワクチン接種しなければそこの養豚業は壊滅してしまうのでは?と思います。全国一律など広域での接種ならというのも、”豚コレラが発生していない地域で豚肉の商品価値を毀損するワクチン接種を受け入れるはずがない”わけで、結局話が纏まらず被害が拡大、という恐れがあります。
公正中立な放送を行うNHKが必要と判断したのだから遺族が望まなくとも、拒否したとしても実名を公開するこの姿勢に全く独善的な意志を感じます。実名公表を報道の使命と責任に依るものと位置付けているのはNHK側の論理であって、見方を変えれば弱者の意向を無視したNHKというメディアの力を背景にした強者の傲慢な姿勢に映ります。
いちいち取材先の意向を聞き入れていたら自由に報道できない
「表現の不自由展・その後」 中止の波紋視聴した処、番組製作側の著しい偏向姿勢を感じました。抗議や脅迫で展示中止に至った経緯が説明され、”中止の判断は誤り”という批判へと続く流れでした。で、「表現の不自由展」の実行委員会側からはインタビュー映像が放送されました。展示中止の決定が批判されています。他、表現の自由を主張し展示を求める側はスタジオにゲスト出演して意見を開陳したり、番組向けにコメントが伝えられました。その一方、展示中止を主張する側については河村市長の会見映像を切り取って放送するなど過去の素材の使い回しでした。展示中止を求める側の理由に関してはは全く取り上げられていません。
英語の解説文には、「Sexual Slavery」(性奴隷制)という言葉があり、「性奴隷」の象徴としてこの少女像が存在していることがしっかり記されていた。
説明書きを読んでみると〈1992年1月8日、日本軍「慰安婦」問題解決のための水曜デモが、日本大使館で始まった。2011年12月14日、1000回を迎えるにあたり、その崇高な精神と歴史を引き継ぐため、ここに平和の碑を建立する〉と書かれている。
(略)
しかし、クローズアップ現代には少女像の作者が登場し、「(これは)反日の象徴として語られていますが、私たちは平和の象徴と考えています。(戦争の)悲しみと暗い歴史を語る象徴なのです」というインタビューが放映された。
(クロ現「表現の不自由展」特集で痛感した「NHKという病」より)真偽は判りませんが、事実であればあからさまな印象操作です。こういった視聴者を誤認させる印象操作を行う自由も護持しておくためにも、”自由”の必要性を訴える番組構成を企図したのかもしれません。
「不自由展」再開求める声、今も 芸術祭は残り1カ月ただ、津田大介 芸術監督が言及してきた、”議論のきっかけにしたい”という展示の目的は既に十分達成できているのではないでしょうか。今必要なことは展示の再開を求める活動ではなく議論を始めることです。
1)表現の自由が保障された社会の実現
2)自分達の作品が展示中止になったことへの反発
3)日韓で軋轢の続く慰安婦問題で日本の立場を妨害
4)他者からの介入で本意ではない中止を強いられたことへの反発
5)展示再開如何を問わず反体制的な活動そのものを偏好1)については先述しましたが、慰安婦像である必然性はありません。そういった社会の実現に向けて社会の多くが共感できる作品でなければ無意味です。従って、1)を目的とした展示再開の要望には合理性がありません。
【あいちトリエンナーレのあり方検証委員会】アンケート調査を実施します遅きに失した感は否めません。開催前の早い時期に、公式に県民の意見を集約すべきでした。尤も、秘密裏に「表現の不自由展・その後」の開催準備が進められていればそんな調査はできなかったわけですが。
「不自由展への評価集計は、そのまま展示への圧力に直結する」と抗議の声が上がっているようです。県民、納税者といった社会の総意で”見たくない”とか”展示すべきでない”という結果は圧力でもなんでもありません。むしろそれでも展示再開を要求する立場の根拠の理解に苦しみます。
”エルサレムでコーランを破く”
”6月4日に天安門広場をくまのプーさんの着ぐるみ着用で散歩する”
”赤の広場でプーチンの肖像写真を焼いてみる”
”英国で捕鯨の写真展を開催する”については合理性のある答えを用意できているのか、用意があるとしてどういった思想的礎に依拠したものなのか、問い質したい処です。
行政はトリエンナーレのいち参加作家である表現の不自由展実行委員会が「表現の自由の現在的状況を問う」という展示の趣旨を認めているのであって、「展覧会内で展示されたすべての(個別の)作品への賛意」ではないという立場です。その前提に則りお答えすると、行政が展覧会の内容について隅から隅まで口を出し、行政として認められない表現は展示できないということが仕組み化されるのであれば、それは憲法21条で禁止された「検閲」に当たるという、別の問題が生じると考えます。(「表現の不自由展・その後」について津田大介芸術監督が会見を行った際に配布したステートメントです(2019年8月2日))ところが、騒動が大きくなるに従い、芋引いて知事の中止決定を支持し、一転、”実現は難しいと伝えたが実行委員会から拒絶された”と釈明しました。
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」に関するお詫びと報告
”津田大介と東浩紀による「あいちトリエンナーレ2019が始まってもないのに話題沸騰してるけどその裏側を語る...”あたりでしょうか。現在は公開終了になっていますが、
東「天皇が燃えたりしてるんですか?」(略)津田「2代前だし歴史上の人物かな、みたいな」 津田大介氏と東浩紀氏のあいちトリエンナーレ対談動画で国会参考人招致を求める声もから断片的に内容を窺い知ることができます。これはおそらく観測気球で、「表現の不自由展・その後」の内容を小出しにして巷間の反応を見てみたわけです。この時にはそれほどの支持も抗議もなく、”大丈夫なんじゃないか”と気にすることなく展示に踏み切った結果、御存知の騒動と相成ったわけです。
やりたいことをかなり自由にやらせてもらっています。ほかの芸術祭と違って、あいちは事務局50~60人が全て県職員。普通はイベント制作会社や広告会社に投げることが多いはず。県職員の毎回3分の2が入れ替わる分、芸術監督に与えられている権限は大きいや、 掲載写真の説明文
大きなイベントを手がけるのは初の経験。「自分にはイベントをプロデュースする適性はあるなと思った」と話す津田大介・芸術監督(<金曜カフェ>ジャーナリスト・津田大介さん あいち芸術祭 監督としてより)
《平和の少女像》の具体的内容や背景の記述内容を読んでみて、ここにはむしろ、炎上するべくして炎上した理由、或いは、意図的に炎上させる仕掛けが在るのではないか、と思料しました。ちょっと考えてみます。
《平和の少女像》は正式名称を「平和の碑」と言い、「慰安婦像」ではない、と作者が説明しています。とあって慰安婦像であることを否定しています。ただ、慰安婦像を想起させ、慰安婦問題の象徴として日韓で受け止められていることは周知の事実です。全てではないにせよ、そう認識している多くの人々にとっては、”慰安婦像ではない”との説明があっても見方は容易には変わりません。むしろ、その実状から目を逸らし、あえて伏せている印象を抱きます。意図的だったとか、偶然、結果としてとかはともかく、実状に触れない説明では炎上するのも道理です。
そんなつもりはなかったを取り入れた弁明が行われます。頻繁に耳にする文言です。イジメやハラスメントの加害者、失言をした大臣からなど、巷は”そんなつもりはなかった”で溢れています。新たな使用例が加わったわけです。
――もし、誤解を与えているとしたならば、私の不徳致す処です。お詫び申し上げます――と定形の枕詞をつけて形ばかりの謝罪を行っても良かったのかもしれません。そうすることで炎上から批判、謝罪へと続く一連の演舞?形?を披露することができました。
――議論のきっかけになればいい――
――ガソリン携行缶を持ってお邪魔する――といった京アニ放火事件を連想させるような、脅迫によるものとのことでした。
憲法違反の疑いが極めて濃厚ではないか。憲法21条には、"集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。"、"検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。"と書いてある。最近の論調として、税金でやるならこういうことをやっちゃいけないんだ、自ずと範囲が限られるんだと、報道等でもそうことを言っておられるコメンテーターの方がいるが、ちょっと待てよと、違和感を覚える。全く真逆ではないか。公権力を持ったところであるからこそ、表現の自由は保障されなければならないと思う。というか、そうじゃないですか?税金でやるからこそ、憲法21条はきっちり守られなければならない。河村さんは胸を張ってカメラの前で発言しているが、いち私人が言うのとは違う。まさに公権力を行使される方が、"この内容は良い、悪い"と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られてもしかたがない。そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う(大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」…県には”京アニ放火”に言及した脅迫メールも)
【表現の不自由展】大村知事「河村市長の主張は憲法違反の疑いが極めて濃厚」後に知事自身が梯子を外すわけですが、それに対しては口を噤んでしまっているようです。
これも表現の自由?/『愛知県の大村知事、 #あいちトリエンナーレ 関連のツイートを全削除しましたね』とネットユーザの証言さて、上記発言についてですが、以前のエントリで触れた通りですが、別の事例で補遺します。
――大至急撤去しろ。さもなくばガソリン携行缶を持ってお邪魔します。――という脅迫Faxによるものでした。
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。とあって、国政の福利は国民が享受することは普遍の原理で、憲法はそのためのもの、ということです。換言すれば憲法は(日本の)公益のためであって、公益を害することを憲法の目的としていないのは明白です。
これ本当にやるのかということで、津田監督を通して、また津田監督にもそうだし、津田監督を通してですね、これについてはどうかと。この展示についてはやめてもらえんかとかですね、これはこうじゃないかとかですよ、例えば実物じゃなくてパネルにしてくれたらどうかとかですよ、これは中は写真は撮っちゃ駄目だと、見てもらうだけだということとか、いろんな強い要望、希望は申し上げましたよ。強い要望、希望。と要望したことを明らかにしました。続いて、
だが、それはしかし、それを一線越えるとですね、越えると、だから、多分またその憲法21条の話になってしまうおそれがあるわけですよ。と。”心を踏みにじる”といった文言はありませんが、河村名古屋市長と似たような要望を出されています。一線を超える超えないで憲法違反になるとかならないとか述べられていますが、その一線についての詳細は不明です。結局、
それだったらこの企画展全部やめるとかいうような話もされたりしてですね。そうなると、まさに憲法21条そのものの話になってしまうということなんですよね。となって展示を容認したとのこと。会見内容が後講釈感で充満しています。騒動が勃発してから、”実は...本意ではなかった”と弁明するのは、トリエンナーレの最高責任者で最大の権限を持つ実行委員会の会長としてその適格性に疑義を抱かざるを得ません。勿論、首長としてもです。
大村知事はツイート削除、公式からは協賛・協力消える 殺到する「苦情」で続く余波
最近、私は過去のツイッターの一部を削除しましたが、これは 愛知トリエンナーレの展示の一部中止の件と関係のないお知らせの関係者に対し、同件に関する書き込みがなされ、ご迷惑をおかけする事態になったため、やむを得ず削除したものですとのこと。これはこれで、隠蔽というか”なかったこと、関わっていなかった”ことにしようという疑いを持たれ、自ら燃料を投入してしまいました。
1)2005年に開催された愛知万博の理念を次世代へ継承
2)スタジオジブリの作品を将来にわたって伝え残すとありました。
自然や環境に配慮した技術と社会システムによって地球的課題の解決を進め、持続可能な社会の実現を目指すと理解しました。これが、
ジブリの世界観は愛・地球博の理念に一致する。その世界を広げていくことが万博の理念の継承、レガシー(遺産)を進化させることにつながる(大村知事)にどう結びついていくのかよく解りません。世界観とか理念といった語はふわっとしていて抽象的、主観的です。言われればなんとなく一致しているようにも思え、気を抜くと賛同してしまいそうです。