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2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、坂の上の雲”は事実で、はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

2016年5月29日日曜日

口実

”物価は上がんねぇし、景気は良くなんねぇな。”

”黒田に言って紙幣をじゃぶじゃぶ印刷して、金利までマイナスにさせたのに...借金増やして結構金もばら撒いたんだけどな。”

”やぱっり、あれだな。消費税か...これじゃ消費増税はできねぇな。でもな、何があっても上げるって言っちゃったしな。”
「リーマンショックや大震災のような事態が発生しない限り実施する」
”このままじゃアベノミクス失敗って叩かれて人気が落ちちゃうな。政策に自分の名前を含めるなんて愚かなことしなきゃよかった。

”そうか、今をリーマンショック前とぶち上げよう。で、サミットの時みんなに支持してもらおう。何でもいいからこじつのデータを準備しとけ。”

”僕が言えばみんな賛成してくれるからね。お墨付きがありゃ増税を延期して黒田印刷にお札の増刷を指示できるわけだ。”

「エネルギー・食料・素材など商品価格がリーマン・ショック前後での下落幅である55%と同じ」
「リーマン級の経済危機再燃を警戒する」
失笑。

”何言ってんだアンタ。自分の人気取りのためにアタシたちを利用しようって魂胆かい?”

かくして伊勢志摩サミットは平穏に閉幕致しました。

2016年5月20日金曜日

圧力

本日(5/20)の定例会見でも辞職を否定、都民のために都知事でいたいとのこと。
舛添知事釈明会見(1)謝罪連発、深く頭下げ「非常に信頼を失っている」でも…辞任は否定
で、こういったブログエントリがあります。
舛添さんの8回のファーストクラスの渡航で溜まったマイルはどれくらい??
その中で、
都民として舛ハゲの豪華家族サービスやファーストクラスに使われるなら、1円なりとも都民税を払う気に全くなれない。法人税は仕方ないとしても個人の住民税はふるさと納税で東京には納めないことにした。
との文言があるわけです。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用した
”都に納税したくないからふるさと納税した”
との意思表示は、ある意味民意の具現化です。”保育園落ちた...”ブログ並みに騒ぎになれば結構な圧力になるのではないでしょうか。

尤も税収減は次年度となりますが。

ただ、税が公益のために公正、合理的に資されているという前提の下、このふるさと納税の制度を鑑みれば、問題ある制度であり否定的に捉えているのが率直な処ではあります。

寄付の見返りとしての”お礼の品”に着目すれば、節税どころか換金性の高いお礼の品を利用すれば、合法的課税逃れと言えなくもありません。

更に、以前記した道の駅についてのエントリに通底した、(実質的に)公的機関による通販事業運営で生じる問題が潜んでいると考えます。

これまで、為政者、閣僚、代議士、選良と称される公人による公私混同、政治資金という公金の不正流用問題が数多報道されてきました。舛添都知事の疑惑が現在進行中で最新です。

加えて、官庁においても過去、公金の私的流用、裏金問題、横領、贈賄といった不祥事は枚挙に暇がありません。外務省、大使館、社保庁、岐阜県庁、北海道警等が直ぐに思い当たるところです。

そういった報道を見聞する都度、少なくとも自分の納税分についてその使途に自身の意向を反映させられないものか、と思ってしまいます。”納税しない”という意味ではありません。

適正な予算配分が一市民には到底不可能であることはよく承知しています。しかしながら、納税者向けに、少なくとも自らの納税分について、振り向けたくない費目、重点配分したい費目といった程度に意思表明できる選択肢が用意されるべきではないか、ということです。

この意志の集合こそが正しく民意で、それ以外の何物でもありません。税金の使途についての選択権、これは極論すれば特定の予算についての拒否権です。この納税者が税金の使途について選択できるという自由が、上述のような不祥事発生の抑止力に、或いは、予算の合理的な運用や公務の効率化に寄与し得ると考えます。

住民票のある都道府県、市町村以外の自治体への納税を選択できる、これがふるさと納税です。この制度を端緒として、国税も含めた税の使途選択の仕組みを用いることで、国政へのより直接的な民意の反映が実現するんじゃないか、そう思った次第です。困る方々も多そうですが。

候補

さて、次期都知事候補です。人材が枯渇していることは既に記したんですが、考えました。強引に。
チェスが強い。高齢。

2.スカイネット(ワーナー・ブラザーズ)
反抗的。2029年に人類絶滅の危機に追いやられる。実現性不明。

3.ハレルヤ(虫プロ)
協調性低い。攻撃的。実現性不明。

4.アルファ碁(Google)
実現されている中で最も若く賢い。ディープラーニングをするそうだ。囲碁が異常に強いものの、残念ながら囲碁しかできない。

これらは、ともかく、ネットワークを利用した集合知が、新たな都知事の選出といった社会の意思決定、判断にもう少し取り入れられて然るべきです。

2016年5月14日土曜日

生業

まぁ、今更というか、遅きに失したというか...
厚労大臣時代の発言に既に予兆させるものがあったわけです。
高額出張費、韓国人学校…都庁に批判1万件超 職員悲鳴
「会計責任者が勘違い」 政治資金問題 舛添知事一問一答
以前のエントリで記しましたが、議員歳費、議員年金に纏わる上記発言から抱いた違和感が具現化したに過ぎない、ということです。
――政治家としての正当な報酬を得て、国民の代表として職務に邁進するわけである。さもなければ、他に収入の道がある金持ちしか政治家になれないことになる。――
この後”議員歳費を削減するな”、”退職金がないから議員年金は必要だ”、”退職金も出ないような勤め先には、優秀な人材は集まらない”といった発言が続きました。
果たして政治家は職業なのだろうか、といった疑問を抱いたわけです。もはや政治家ではなく政治屋じゃないかと...
政治を生計を立てるための仕事、生業と捉えるならば、政治屋(家)が給料、賞与等の報酬や退職金、年金といった特典を要求するのも頷けます。自らが生活する糧を得るための手段なわけですから。
生業としての都知事の職に就いているわけですから一連の公私混同も頷けます。都知事の権限で使える公金は法に抵触しない範囲で自分のために費消すると。抵触している気もしますが...
――サラリーマンじゃあるまいに宛名白紙の領収書を貰う根性がけち臭い。――
ルキウスさんが自身のブログで言及されていますが、端から都知事というサラリーマンでしたから、如何ともし難いんじゃないかと考えます。

菅官房長官ならば、
”(元々生業なので)批判にはあたりません。”
と突き放すところです。そういった人物を都知事に担いでしまった自らのリテラシーにこそ真摯に向き合うべきかもしれません。

ところで、”精査”という語ですが、先般の甘利前大臣の事例と併せて、
”時間を稼いで尤もらしい言い訳を捻り出しつつ、言い含めた人身御供を用意すること”
私の中では定義付けられました。

2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

2016年3月15日火曜日

民進

民をどこに進めるのでしょうか。政党名の決定まで、右往左往してどれだけの資源を浪費したのか...

牛歩戦術の遺伝子がしっかり受け継がれているとしか思えません。民主主義の手続きには時間がかかることは承知していますが、名前を決めるだけでこれじゃぁ。政策とか選挙戦略など、より重要な決定を迅速に下せるのか。

烏合の党と化して空中分解するのも時間の問題かもしれません。

2016年3月6日日曜日

代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ねブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。

2016年2月29日月曜日

自負(追記アリ)

手元にエレコム(株)社製USBハブがあります。購入してかなり年月が経過しています。このハブの外装部材がベタベタしているのに気が付きました。

ポストイットの貼付部に似た粘着性を発現しています。このハブの外装部材にはゴム状の弾性素材が用いられており、おそらく部材に弾性を付与する可塑剤が部材表面に滲出したことによるものと推測しています。

樹脂系の外装部材が経年変化でベタベタしてくるって、一体いつの時代の製品設計なんでしょうか。どういった目的で外装部材の材料としてゴム系素材を選択したのかは存じません。

しかしながら、ゴム系素材は難燃剤、可塑剤他の添加剤が比較的滲出し易い素材であることは、かなり以前から知られている現象です。材料選択の上で予想し、配慮すべき問題であるのは間違いありません。添加剤が滲出しない素材とか、可塑剤フリーの弾性材料を採用すべきでした。

ちょっと製品の基本的な仕様に対する品質設計の水準が低すぎなんじゃないかと。性能や機能以前の問題です。

例えば、真夏の炎天下に駐車しておいた自動車車内のルームミラーが落ちたとか、ある日自動車のドアを開けたらヒンジの溶接部が切れてドアそのものが外れかかった、そういった類の話です。(事実です。かつて乗っていた輸入車がそうでした。)

ドアが外れて落ちないとか、時間が経ってもベタつかないとか、ユーザーがいちいち注意することじゃないはずなんですが...

とはいうものの、
 100円ショップSeria(セリア)の「延長コード」 - 返金/回収
といった話が昨年あったことも思い起こされました。いわゆる延長コードです。火災の恐れがあると...

こんな日用品すら安心して使えないのかと考えると、製品製造に対する日本企業の姿勢に失望します。"Made in China"だからというのは関係ありません。

”ちゃんと作る”のはそれほどまでに難しいことなんでしょうか。機能や性能という購入を促す付加価値部分ではなく、製品として当たり前の部分についてなんですが。製造や設計に対する日本企業の信頼に疑念が生じつつある今日このごろです。

さて、今夏の参院選では、
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい
わけですが、なかなか難題のようです。正に、こんな要望も適えられないのかと。安全な延長コードを入手するより困難なことなんでしょうか。

まぁ、こっっちの信頼失墜は随分昔からなんですがね。

と記した矢先に、

「保育園落ちた日本死ね」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ

ああ、そうですか。これがお答えですか...

2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2016年2月26日金曜日

既定

前のエントリの続きのような話です。

ある程度の規模の公営住宅周辺には、昔からの商店が軒を連ねた一角があります。どんどん寂れていっています。

名古屋市内であっても郊外ではそういった傾向を感じますし、周辺部にあって駅から離れた小規模な集合住宅地域ではそういった商店の衰退は目もあてれません。商店主、及び居住世帯の高齢化と少子化による住民人口の減少、自動車での移動の常態化といった処がその理由でしょうか。

先日、名古屋に隣接した市にある公営の集合住宅近くの、かつては店舗が連なっていたであろう通りにある中華料理店で昼食を摂りました。いわゆる街の中華屋です。紛うことなき、確実に。

名古屋のベッドタウンとして開発された当初から、生産年齢人口がそこそこの割合を占めていた頃までは、相応の商業活動があった通りだったんだろうなぁと偲ばれました。何故こんな私鉄の駅から離れた地域を住宅地として開発したのか今一つ合点がいかないわけですが...その沿線にはかつて田畑が十二分にありましたから。田畑の所有者もまだ若く、専業、兼業はともかく、農業に従事するのに何ら問題がなく、それが当たり前で、所有地を切り売りするなどとんでもない、という時代だったのかもしれません。 

上記中華屋も繁盛、混雑とは言い難い状態ではありました。じゃ、美味しくないのか、というとそういうわけではなく単に訪問を促す動機に欠けているのだろうということです。

駅 から離れていて付近には会社も工場も観光名所、公園などの公共施設もないとなると...まあ、言い換えればそれらの立地的不利を上回る程には旨くないわけ なんですが。普通なんです。ただ、近くにあれば、普段の食事の店として通うであろう普通です。勿論そういった店は好きです。

ただ、昼間人口の多いオフィス街、繁華街ならともかく、住宅地ではそういった店は減少の一途だろうなぁ、といった感は否めません。

ただでさえ、人目を引くこだわり(?)のラーメン店や、盛りが過剰で味濃く油の酸化臭が鼻につく、赤黄黒の華人系中華の猛攻、跋扈に押されていますから...

うどん屋もそうなんですが、こだわりのない、普通の、家族経営のうどん屋、中華屋の新規開店を殆ど見かけないことに寂しさを感じてしまいます。店主の高齢化か、不振と言った理由による閉店ばかりを目にします。
社会が抗えない少子高齢化に進む中、その一方巷間では、
 保育園落ちた日本死ね
といった真っ当過ぎるブログが衆目を集めていたりするわけです。マイナス金利なんてやってないで、都市部と地方の格差?歪?の解消にもう少し頭を使ってもいいんじゃないか、と思った次第です。
 ”中華屋、うどん屋潰れた日本死ね”
とまでは言いませんがね。

2015年10月25日日曜日

ビラ

公職選挙法の寄附行為にあたるのでしょうか。
島尻安伊子
ポスターとしての価値がマイナスなのでカレンダーの価値で相殺しているとみれば、問題ないのかもしれません。まだマイナスかも...

かつて、団扇としても使えるかもしれない、討議資料、ビラの配布騒動を思い起こしました。選挙管理委員会の証紙付きであろうとなかろうとどうでもいいんですが。
蓮舫さんが「うちわ問題」で勝利したワケ
この時もですね、
”討議資料としての価値がマイナスなので、団扇で損失の補填を図りましたが埋め切れませんでした。”
と応じるのが適正ではなかったかと思った次第です。

ちなみに

2015年10月17日土曜日

去勢

――圧倒的な「第一党」は無党派層なのだが、国民の過半数を占める彼らを代表する政党が存在しない。これが日本の最大の不幸である。―― 
安倍首相はなぜきらわれるのかといったブログエントリにあった文言です。

で、以前のエントリに記したように、
近年の選挙における選択の動機は、当たりクジなど入ってないことを承知し、その上で消去法によって如何にマシな外れクジを選ぶか
といった状態から全く進展がありません。だからといって、選挙で票を投じないという行為には批判的な声もあるわけです。

例えば、
参院選迫る:投票したい人がいないから棄権、抗議の白票はイカン

選挙権のないひとりからのお願い、再び
といったブログエントリがあり、選挙にいかない奴は政治に参加していない、義務を果たしていないとか、投票しければ何も変わらない、といった声があるわけです。

――白票、棄権は白紙委任だ。最大政党に白紙委任したのと同じ。――
このことに異論があろうはずはありません。ただ、投票を棄権する有権者層は、政治に関心がない層とコミットする意思はあるものの意図的に棄権している層から構成されているはずです。白票を投じる有権者層からは勿論、政治に参加する意思が伝わってきます。

つまり、全有権者中に一定程度の割合で、政治にコミットする意思があるにも拘らず、無効票とされてしまう有権者が存在している、ということです。

無批判、盲目的、或いは、義理人情で候補者を支持し賛成票を投じる層がいる一方で、全ての候補者に対し不支持の意思表示をするために棄権、若しくは白票を投じる層は、その対極との見方ができます。

この時、両者の意思は、果たして平等に扱われているのか、公平に選挙結果に反映されているのかを問うてみれば、やはり片手落ちではないかと。

――不支持の意思は選挙結果に反映させない――

そういった不公平性が解消されないまま続いているのは、現行の選挙制度の不備であり、制度設計者、運営者の怠慢ではないでしょうか。賛成、支持、信任に対応した反対、不支持、不信任という選択肢がない制度は、実は公平性に欠いているのではないか、ということです。

”賛成”の対義語は”賛成しない”ではなく”反対”です。

やはりですね、もう少し漏れ無く、公平に民意を汲み取る制度設計が必要ではないかと考えます。

ただ、残念ながら、”誰が実行するか”の”誰”が見当たらないのです。この行き場がない民意の受け皿を設けようという姿勢は何処からも感じられません。

世界の中で日本の投票率が突出して低い、とするつもりはありません。独裁だったり、民主制だったりと、各国の国家運営の根幹や、元首や代議員の職責の重さ、といった政治体制が異なりますから。有権者の投票意識と投票率を結びつけた比較は困難です。

ただそれでも、少なくとも日本において、低い投票率に対し、
”有権者の意識が低い、政治についての関心が薄い”
と片付けることには違和感を禁じ得ません。

首長や議院を選出する選挙において、その制度の不備を疑うことなく低投票率のシステムを運営、維持し続けている、そういった現状に関し怠慢という認識は生まれないのでしょうか。政官学各々についての話です。

例えば、無党派層の意思を選挙結果に反映するといった、自らの不利益を顧みることなく、選挙制度を変革していこうとする政党、人材の出現を待望しています。

折しも、2016年の参議院選挙から、選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が施行されます。それに伴い、高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」が総務省と文部科学省から作成されました。学校現場における政治や選挙等に関する学習の内容の一層の充実を図るためとあります。
政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について
高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」について
こういった資料を利用した、高校生への政治や選挙についての指導、教育が、現状に対する問題意識を摘み取ってしまいかねないことを懸念します。

国家に限らず、組織、団体、個人は、自らの存在、行いを自発的に否定することはできないのです。自らは常に正当性を主張し、過ちを自認するには相当の困難を伴うわけです。

そういった無謬性を排除できない国家による教育は、自ずと現状を是認することに他なりません。”今は絶対的に正しい”、そういった認識下、政治に関する教育によって”現在が最良”と摺り込まれてしまうと、異を唱えたり、疑問を抱くことを封じる力が生まれます。

これは現体制にとっては好都合です。体制に抗わない従順な有権者層を拡大できますから。そういった思惑が意図されてか否かは存じません。ただ、現行の枠組みの正当性を尤もらしく騙って疑わせない、それを否定し超えていこうとする意思を抑圧してしまう、少なくともそんな方向にだけは進まないことを願って止みません。

2015年10月11日日曜日

伝統

もう少し慮った呼称はなかったのでしょうか。端から物議を醸すことを狙ってのことか、と勘ぐってしまいます。
首相「1億総活躍社会の実現を」 第3次改造内閣が発足
未だ”1億総...”といった表現を選んでしまうあたり、政権から滲み出る国家主義的なものが伝わってきます。換言すれば、
学校はなぜ「巨大組体操」をやめられないのか
に通底した日本の伝統、大本営的な同調圧力を感じるということです。

いっそ、国民総活躍社会として説明の端々に”火の玉”とか”一丸”といった語を散りばめればセンスが際立ったかもしれません。
炎上すること、請け合いです。

確かに、何も決まっておらず、単にキャッチフレーズに過ぎない、批判は当たらないという声もあります。しかしながら、戦後尚も脈々と受け継がれてきている精神論偏重、これを未だ国家が担いでいるんじゃなかろうか、そういった見方を払拭できないでいます。

ところで、日本の人口約1億2千6百万人余りに対し”1億”という物言いはどういった含意があるのでしょうか。

キリのいい数字で端折った?一寸雑なんじゃないかと。

2千6百万人余りの国民は活躍できない?元々、生産年齢人口(15~64歳)は7千9百万人程度(H.25.10.1)ですし...

”活躍”についてもう少し丁寧な説明が必要です。

2千6百万人の側からの記述でした。ちなみに、テレ朝の報道ステーションでよく耳にする文言、
――ともすると我々は...――
この”我々”の中に括られることも拒否します。

2015年9月22日火曜日

戦隊

先人が築いた日本の平和を守るため、引き続き闘っていく
平和を守るため闘っていくわけですか... 戦隊物のヒーロー?
ヒーローは世界の平和に目を向けなくていいんでしょうか。
で、その手段がダイブ、セクハラ口撃、そして羽交い締めと。

劣勢の時には
「その話は泥沼になる」
と返すわけですか。話が泥沼になる?

御自身を象徴する白い御召し物が汚れますからね。泥仕合は避けたい、といった思いかもしれません。誰に泥をかぶらせるんでしょうか。

2015年9月21日月曜日

机上

以前、目にした隣国の国会ハプニング映像とだぶって見えました。安保法案可決時の参院平和安全法制特別委員会です。
参院平和安全法制特別委員会
小学校の学級会だって...これが国権の最高機関で良識の府と称される場なのか。で、ダイビング、専守防衛(?)の拳、セクハラ、羽交い締めといった事態が勃発しているわけです。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!
民主主義が体現された一つと捉えるには余りに躊躇します。この生産性の低さはもう少しなんとかならないのでしょうか。

先日から国勢調査が始まりましたが、今回からネット経由での回答が可能になりました。国会の質疑応答もですね、いっそネットの掲示板を活用したらどうかと思ったわけです。
物理的な議事進行妨害の排除
審議日程目一杯で昼夜兼行、不眠不休の討論
不規則発言などと称される野次の排除
多対多の質疑応答が可能
発言者自らが文字起こしすることによる失言の低減
一字一句、句読点に至るまで衆目に晒されることによる、議論の噛みあわなさ、論点のすり替え可視化
等が期待できるのではないかと。野次や物理的妨害に端を発する審議停止のような無駄を排除できるということです。実現に向けての障害は問題は質疑応答の関係者全員に不利益をもたらす恐れがあるといったところでしょうか。

客観的な視座や議論の生産性についての認識が求められますから自らの責務に対する自覚を欠いたままではなかなか難しい話なのかもしれません。

ところで、上述の根本は無駄を排して効率を上げる、といった話です。ただ、一方で、果たしてそこに全く公明な理があるんだろうか、そういった疑いを払拭しきれないでいます。

いずれ機会があれば記します。

2015年9月18日金曜日

無双

先日、安保法制報道をめぐる池上彰氏のインタビュー記事を目にしました。
池上彰が斬る!「朝日より読売、産経が問題」 安保法制報道に見るメディアの暴走とは?
記事中で述べらている、朝日や読売、毎日、産経の報道姿勢についてこのエントリで云々するつもりはありません。購読しているわけでもなく、営利企業に過ぎない新聞社の公正中立、客観性を問うことに意義を感じられませんから。

で、みなさまのNHKについてのコメントです。私も勿論受信料を支払っています。
──ところでNHKは、6万人デモをほんの一瞬しか放映しませんでした。

“空気”を読んでるんでしょ。あまり大きく扱わないほうがいいって、どこかの段階で誰かが判断してるんでしょう。一応報じたってことは、これは取材すべきと思った記者が取材して書いて、デスクが直して原稿にした。だけどそれを番組でどう扱うかは各編集責任者の判断ですから。

NHKの報道は公正中立か?

──現場は取材したにせよ、最終的にほとんど報じなかったというのは、放送法で課された公正中立どころか、偏向してはいませんか?

いや、偏向っていうか、明らかにおかしいでしょ。おかしいですよ、そりゃ(笑)。それがテレビに課された「事実を曲げない」の範囲内かどうかといえば、事実は一応報じてるわけだし、いい悪いではなく、事実を曲げてるという批判は難しいですよね。まあ、私はもっと大きく報道すべきだと思いますけど。
──憲法学者らを招いた衆院特別委員会の参考人質疑もNHKは中継ナシでした。

NHKには中継する基準があって、それを満たすとわかったのが当日の朝だったから間に合わなかった、って言ってる。けどそれは違うだろう、そんなわけないだろうって思いますよ。急いでやりゃいいんです。

きっとどこかで、わざわざやらなくてもいいだろうと、空気を読んだ人間がいるんじゃないかな。“忖度(そんたく)”ですよね。籾井勝人会長自ら、報道するなと言ったら大問題だし、彼は言わないですよ、わからないから。「会長はきっとこう思うであろう」と忖度するヤツがいて、下に向かって「慎重に」と放送総局長なり中間管理職が言うんでしょ。

池上氏が出身元であるNHKの報道姿勢について言及するのも珍しいなぁ、と思った次第です。NHKの頚木から解き放たれたのでしょうか。

単に土俵が違うことによるだけか、或いは、朝日新聞の掲載拒否問題を経て、アンタッチャブルなジャーナリスト、Too Big to Failな存在になりつつあるのかもしれません。

是非この勢いを駆ってですね、”受信料に支えられるNHKの公正中立”についての言及もお願いしたいところですが...

取り敢えず、有料番組”安倍チャンネル”からみなさまのNHK”への回帰を優先せざる負えない事態かと。


先日も、
NHK日曜討論公式アカウントに対する人々の怒りの行進
といったまとめサイトが現れました。その後か否かは存じませんがNHKは謝罪する羽目になっています。
NHKツイッターが謝罪 安保法案めぐる書き込み
だからといって、朝日、毎日のように安保法制に対して不支持の立場であるべき、というつもりは毛頭ありません。それならそれで批判します。

公正中立、不偏不党を謳い、あたかも言説が公正中立であるかの如くミスリードすること、これが最もたちが悪いわけです。NHKの主張だから公正中立で正当である、こういった本末転倒したすり替えの一人歩きを危惧しています。

安保法制に関するの与野党の質疑を漫然と眺めていると、一方通行的に言葉を投げつけ合っているだけじゃないか、といった思いを強くします。
政権は、安保法制を違憲と断じる意見と正面から向き合いませんでした。政権が主張したのは、安全保障環境の変化でした。
与党は憲法との整合性を、野党は安全保障の現況を直視しないまま、単に己の主張を投げつけ相手の言には耳を貸さない、噛み合わなくて当然です。結局、平行線のまま数の力で可決されたのは衆目の一致するところです。

NHKが公正中立を標榜するのであれば、報道、論説によってそういった溝を埋め与野党の主張をガッチリと噛み合わせるべきじゃないかと...非生産的な言葉の投げつけ合いを報道されても、”賢くないなぁ”、との印象を抱くのみで是非の判断材料にはなり得ません。

双方が繰り返す勝手な言い分をただ漫然と垂れ流すことと、公正中立な報道は一寸違うような気がします。

無双 池上氏におかれましては、みなさまのNHKによる、賢い報道への働きかけも期待したいところです。

ところで、安保法案可決後に、街頭インタビューや”平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム”からの法案賛成の声をNHKやテレ朝で耳にしました。反対デモの報道一辺倒で、そういった動きは採決前には覗えなかったのですが、例えば、
偏向報道バラエティ番組の報道ステーション、高須クリニックのスポンサー降板発言でちょっと日和る
といったことなんでしょうか。