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2016年2月26日金曜日

既定

前のエントリの続きのような話です。

ある程度の規模の公営住宅周辺には、昔からの商店が軒を連ねた一角があります。どんどん寂れていっています。

名古屋市内であっても郊外ではそういった傾向を感じますし、周辺部にあって駅から離れた小規模な集合住宅地域ではそういった商店の衰退は目もあてれません。商店主、及び居住世帯の高齢化と少子化による住民人口の減少、自動車での移動の常態化といった処がその理由でしょうか。

先日、名古屋に隣接した市にある公営の集合住宅近くの、かつては店舗が連なっていたであろう通りにある中華料理店で昼食を摂りました。いわゆる街の中華屋です。紛うことなき、確実に。

名古屋のベッドタウンとして開発された当初から、生産年齢人口がそこそこの割合を占めていた頃までは、相応の商業活動があった通りだったんだろうなぁと偲ばれました。何故こんな私鉄の駅から離れた地域を住宅地として開発したのか今一つ合点がいかないわけですが...その沿線にはかつて田畑が十二分にありましたから。田畑の所有者もまだ若く、専業、兼業はともかく、農業に従事するのに何ら問題がなく、それが当たり前で、所有地を切り売りするなどとんでもない、という時代だったのかもしれません。 

上記中華屋も繁盛、混雑とは言い難い状態ではありました。じゃ、美味しくないのか、というとそういうわけではなく単に訪問を促す動機に欠けているのだろうということです。

駅 から離れていて付近には会社も工場も観光名所、公園などの公共施設もないとなると...まあ、言い換えればそれらの立地的不利を上回る程には旨くないわけ なんですが。普通なんです。ただ、近くにあれば、普段の食事の店として通うであろう普通です。勿論そういった店は好きです。

ただ、昼間人口の多いオフィス街、繁華街ならともかく、住宅地ではそういった店は減少の一途だろうなぁ、といった感は否めません。

ただでさえ、人目を引くこだわり(?)のラーメン店や、盛りが過剰で味濃く油の酸化臭が鼻につく、赤黄黒の華人系中華の猛攻、跋扈に押されていますから...

うどん屋もそうなんですが、こだわりのない、普通の、家族経営のうどん屋、中華屋の新規開店を殆ど見かけないことに寂しさを感じてしまいます。店主の高齢化か、不振と言った理由による閉店ばかりを目にします。
社会が抗えない少子高齢化に進む中、その一方巷間では、
 保育園落ちた日本死ね
といった真っ当過ぎるブログが衆目を集めていたりするわけです。マイナス金利なんてやってないで、都市部と地方の格差?歪?の解消にもう少し頭を使ってもいいんじゃないか、と思った次第です。
 ”中華屋、うどん屋潰れた日本死ね”
とまでは言いませんがね。

2016年2月25日木曜日

僥倖

守山区四軒家辺りの寿司屋です。幹線道路沿いですが、目立つ看板もなく、店前に駐車スペースが取ってあるためか建物も通りから控えて建っています。

何度も行き来している通りですが全く気づきませんでした。信号待ちか何かで偶々寿司屋があることを知りました。気になって昼食に入店したわけです。実は街の、個人経営の寿司屋は結構好きです。少なくとも、大仰な看板を掲げ、だだっ広い駐車場を備えてこれみよがしに安さを押し出す回転寿しチェーンよりは...店によってハズレがあるのはともかくとしてです。

勿論、その時その時の飛び切りの寿司ダネを用意している高級店の話ではありません。昼にフラッと飛び込み、ちらし寿司を掻っ込んで
――ごちそうさま――
と。個人経営の寿司屋が大規模回転寿しチェーンに押される中、個人店の良心というか矜持を該店で感じた次第です。安けりゃいいということではなく、決められた価格の範囲内で良質のものを、そんな意気が伝わってきたような...

人気ラーメン店のラーメン、炒飯セットと同程度、或いはひょっとすればそれより安価な鮪丼、海鮮丼の用意がありました。 頼んだ海鮮丼は、光り物、烏賊、蛸、穴子はないものの、玉子焼きに帆立、茹で海老、サーモンと共に鮪、鯛に白身二、三片を戴く丼で、これがチラシとされていない所以かもしれません。

とてもこの価格で済む海鮮丼ではなく、特筆すべきは鮪で、上質で味わいの濃いものでした。キハダやメバチではなかったと思います。この鮪はサクから平作りで切り出された、整った一片ではなく、鮪ブツを切り開いた如く形状でした。

おそらく、より質の良い鮪を供するために、そういった部位を使う工夫じゃないかと。頭が下がります。

ただ、概してこういった店は店主が高齢です。ご多分に漏れずこの店も。この先、どれだけ暖簾を潜れるだろうかを案じてしまいます。

2016年1月16日土曜日

風土

幾度となく口にしているオムライスですが、中区千代田辺りで食べていてふと気づいたことがあります。

オムライスの標準的な構成は、チキンライスと称されることもあるケチャップで味付けした、炒飯?焼き飯?炒めピラフ?を玉子焼きで包み、その上にケチャップだったりトマトソースが添えられた形かと。玉子焼きは薄焼玉子だったり、たっぷりの玉子を使用して内部を半熟で仕上げた、トロトロなどと形容される厚めの玉子焼きだったりします。プレーンオムレツをそのままケチャップライス載せた後、切り開いて半熟面を表に露出させた様態を見かけることもあります。

冒頭の店は御飯がケチャップライスではなかったわけです。ウスターソースをベースに味付けされたライスでした。添えられたソースはドゥミグラスソースで、思ったよりあっさりした食味ではありました。途中、くどさを感じることもなく食べ進めることができました。

まぶされたソースが、ドゥミグラスソース、ビーフシチュー、ハヤシソースというのは特段珍しくはありません。ただ、ウスターソースやそれに類した味付けのライスというものがちょっと記憶にないのです。店は失念していますが、ガーリックライスの事例は朧気に覚えがあります。愛知県外だったかも...

で、近傍にあるもう一店の洋食屋でかつてオムライスを食べた時も非ケチャップ味でした。やはりウスターソース味だったか、ハヤシライス味だったかと。

以前のエントリで、名古屋近郊に特有と思しき天とじ丼について記しましたが、オムライスのライス部分にも名古屋特有の味付けがあるのだろうか、そんな思いが去来した次第です。

現時点では中区千代田限定の地域食ということになります。

2016年1月12日火曜日

理想

昨年末、かき揚げ丼についてのブログエントリを拝読しました。

で、少し記してみようかと。理想のかき揚げ丼としては、まぁ、海老の揚げ具合が半生というのもありますが、やはりそれ以上に脆さを優先したい処です。

僅かな粉でかろうじて具材が繋ぎ留められたかき揚げ、箸でつつけば丼の上で容易くバラっと崩れてしまう...油切れよく、塩をパラッとふっただけで小片の天ぷらと共に飯を頬張る手が止まらないと。なかなか出会えません。

難しいとは思います。揚げる際、散らないようにどうしても粉が多めになってしまいますから。しっかりと形状を保ったかき揚げは当然固く、力を要します。

飯を盛った丼に揚がったかき揚げを載せ、そこに丼ツユをまぶす処方では具材の結合は強固なままでバリバリ感が保たれたままです。パリパリ、サクサク程度なら嬉しいのですが...

揚がったかき揚げを丼ツユに浸して後丼に載せる処方で、もう一、二呼吸浸す時間を伸ばして貰えたらと思っています。衣に丼ツユをもう少し含浸させて、箸で切りやすくすると共にバリバリ感を減じるためです。

まだまだ検討を続けなければなりません。

一方、尾張地域?でよく見かける天とじ丼を食べていたせいか、衣がタップリと丼ツユを吸いかき揚げがクタッとした丼も別の楽しみではあります。

極端な話、カップ麺の天ぷらうどんから殆どが粉のかき揚げを取り出し、これを丼ツユで一煮立ち、溶き卵を回しかけて茶碗の飯に載せる、そんな貧相なかき揚げ丼も案外気に入っています。

天かす入り玉子丼に近いかもしれません。確か関西地方に似たような丼があったような...ハイカラ丼と称するようです。口にしたことはありませんが、そんな食味かもしれません。

あまりにガチガチなかき揚げ丼を提供する店は贅沢なハイカラ丼を目指すのも一つの方向ではないでしょうか。

2015年12月13日日曜日

孤立

一寸驚きました。

御器所で昼食を摂るため、二種のミニ丼を組み合わせたセットメニューが知られた店を訪れた時のことです。

着席後、何気なく店内を見渡すと、丼と箸を持って、食べながらテーブルに広げた雑誌を読んでいる先客に気づきました。で、丼と箸を置き、頁を繰って雑誌を持って読み出すと...食べ終わったかのかと思いきや、再び丼を持って食べ続けたわけです。同様に雑誌を読みつつです。

驚いたのは、その先客がオッサンやニーチャンではなく三十代位の女性だったことです。差別意識ではなく先入観に依る違和感と思っていますが。

大概、自身も品がいいとは思っていませんが、”なんだかなぁ”といった印象が拭えませんでした。周囲が見えないというか、自宅の延長という意識なんでしょうか。

ふと隣客も見れば、スマホをテーブルに置き、何やら横目で見ながら丼を食べ進めていました。件の女性客もこの延長という認識なんでしょうか。

”そんなことにいちいち目くじら立ててもきりがない”、周囲への目も周囲からの目も関心がない個人主義の徹底、そういった風潮を改めて実感した次第です。

2015年12月12日土曜日

下駄

先日、所用で栄に赴いた際、デパ地下をうろついてみました。何年ぶりでしょうか。

で、全く食指が動きませんでした。心躍らせる上質な食料品が見当たらないのです。美味そうに見せる陳列と能書き、”如何ですか。美味しいですよ。売り場店員の掛け声が一層、実質にそぐわない価値の底上げを感じさせます。

そういった言葉に乗せられ購入してみると、まぁ大抵は”やっぱり、こんなもんか。”という結果に落ち着きます。期待感が持ち上げられた分だけ評価のハードルは高まり、より強い満足感を求めてしまいますから。山高ければ谷深しで、当然その反動として不要な失望感を抱くことになるわけです。

一応、名古屋が本店となるデパートの食品売り場に、心惹かれる何かを求めて訪れたのですが...

なんだか以前より劣化しているように思えてなりません。

同様な印象を抱くことは特段、珍しくもなくありふれています。食品、飲食店、音楽、映画、文学といった、評価に主観的要素を排除できない、換言すれば権威主義が跋扈しがちな分野で容易に見当たります。

以前にも記しましたが、オムライスもその一例です。オムライスが売りの洋食店、若しくは専門店を訪れると、
”特製”、”自家製”、”拘りの”、”当店オリジナル”
といった語が目に入ります。 トマトソースやドミグラスソースの形容です。否定するつもりはありませんが、そういった修飾語は期待感を過剰に高めてしまいます。概してその後酸味が強かったり濃厚過ぎたりで、”う〜ん...”となるわけです。

やはりですね。
――ごちそうさま。ケチャップが妙に旨かったんだけど...――
――ありがとうございます。自家製なんです。――
こちらの方が本来なんじゃないかと。最初に自家製だの、オリジナルだのと自ら進んで梯子を登ってどうするんでしょうか。期待先行となって当然の話で、それで美味くなければ目も当てられません。却って価値を貶めることになってしまいかねません。

このエントリ中のケチャップの赤を見て、そんな思いが脳裏を過ぎりました。

巷間、販促を目的としたそういった惹句は溢れかえっています。典型は”至高”、”究極”、”絶品”、”秘伝”でしょうか。ある意味、優良誤認ではないかと思わせる如く虚飾のインフレが進んでいます。実質との乖離は大きくなる一方で、即ち、過剰な期待感が裏切られた時の失望も留まることなく増大していくわけです。リピーターは生まれず、狩猟のように次から次へと新規客を誘引せざるを得ないのではないでしょうか。

”インフレ期待の喚起”などといった金融政策で、物価上昇への誘導を目論むものの、未だ達成できていない日銀と通底したものを感じています。

言葉や画像による煽動、虚飾で見掛けの価値を無理やり引き上げることに違和感や不信感を抱いてしまいます。過剰な期待が先行し、それが裏切られて却って低評価になってしまうんじゃないか、そういった話です。

2015年11月20日金曜日

天丼

鶴舞の定食屋で昼食を摂った時のことでした。何気に配膳された丼をちらっと見れば、エビ丼のようです。

いわゆる天丼と区別するため、海老天の天とじ丼をエビ丼と称してみます。特徴は、丼ツユで海老天をひと煮立ち、或いは掻き玉の加えられた丼ツユをたっぷりかけるため、衣がクタッーとしているところでしょうか。丼ツユの味はいわゆる天丼より薄味で甘めかと。

名古屋に隣接した市の役所近くの天ぷら屋、同市にある古びた商店街の一角にある茶屋?、喫茶店?、守山の居酒屋?、定食屋?で遭遇しました。名古屋中心部の蕎麦屋やうどん屋では、古くから営業している店であってもこれまでお目にかかっていませんでした。

そのため、該エビ丼が名古屋特有の丼、いわゆる、名古屋めしであるという確信を今一つ持てませんでした。名古屋めしとして取り上げた事例も存じません。

ただ、最近になって、西区あたりの天ぷら屋でも天丼としてエビ丼が提供されているらしいことを知りました。今回の鶴舞の定食屋訪問でも、
――ああ、名古屋の天丼はやはりこうなんだ――
と改めて認識した次第です。

 それがどうしたと問われれば、それだけの話です。別段、褒めそやす意図はありません。天丼として秀でているかどうかは別の話ですから。

2015年9月26日土曜日

意表

昼食に飲食店を訪れて、品書きにカニコロッケを見つけるとつい注文してしまいます。必ずしもご飯との相性が抜群、という理由でもないのですが。

カニコロッケは、元々それがベシャメルソースでも、マッシュポテトでも、いずれがベースであってもカニの存在を強く感じることはあまりない料理と思っています。

加えて、味濃いトマトソースやタルタルソース、場合によってはウスターソースをかけて食べますからカニの風味をしっかりと感じることはなかなか難しいんじゃないかと...

で、カニコロッケの印象は、いい意味でも悪い意味でも、実は意外感による部分が大なんじゃないかと思った次第です。

特に、ミックスフライ等、揚げ物の定食の一つにカニコロッケがあって、これが妙にカニの風味を感じさせると嬉しかったりするわけです。

逆に、美味しいとの噂を耳にするものの、実際訪れて口にしてみるとカニの風味をそれ程感じられず、期待通りではかった、ということも珍しくはありません。

自由が丘にある赤いりんごという喫茶店でカニコロッケカレーは、思いがけずカニの風味を感じるコロッケでした。カレーもスパイス感があり美味しかったのですが、コロッケのほうが印象に残っています。惜しむらくはカレーとの組み合わせ以外に選択肢がないことでしょうか。

守山の居酒屋?、定食屋?ねぎぼうずではミックスフライ定食の中のカニコロッケが予想外でした。他の鯵や鰯といった魚介のフライも勿論良かったのですが、”予想外”の効果が最も色濃く現れたのがカニコロッケということです。カニコロッケ定食も見かけたので次回は...

雅グループの古参店、藤が丘の雅ピロになると、勿論美味しいのですが、順当とか、やっぱり、当然といった形容になってしまいます。その意味では損しているわけですが、評判店故、致し方ないことかもしれません。

逆の例は、本山から平和公園の間にあったスギヤマ今年になって閉店したようです)や、通りがかりに入った覚王山の店といったところでしょうか。期待が膨らみすぎていたのかもしれません。

”意外に旨いカニコロッケ”、追記できることを願っています。

2015年9月25日金曜日

信用

先日、残暑厳しい中、昼食に出かけた時のことです。同行者の希望は冷やしたぬきやざるうどん等、冷たい麺とのこと。

で、”ああ、あの辺りにうどん屋があったなぁ”と守山のうどん屋を訪れたわけです。当該店の味噌煮込みに触れているブログだったか、口コミだったかは、以前、目にした憶えがありました。

山本屋系ではない、街場の個人営業の店です。品書きの一つとして味噌煮込みがあって、醤油系のいわゆる”普通のうどん”など品揃えにあって当然、大丈夫だろう、といった心持ちで赴きました。

店の横壁には、”みそ煮込み”の大書、こげ茶色の暖簾にも白抜きで”みそ煮込み”の文字...まさか、味噌煮込みの専門店なのか?

ここまで来たからにはと、店内に入ってみれば、正に味噌煮込みの専門店でした。品書きにあるうどんは味噌煮込みのみ。玉子入りだろうが、もち入りだろうが、スパイス入りだろうが味噌煮込みだけです。後は、味噌煮込みに必須のごはんが盛りの大きさ違いで並び書かれていました。

軽い驚きと共に潔さを抱かざるを得ませんでした。まさか、こんな郊外に味噌煮込みの専門店があるとは。

そんな中、
”ああ、冷たいうどんね。”
と安請け合いしたことを悔やみ始めて同行者に失望感を抱かせかけたその時、
冷やしみそ煮込
の文字が目に入ってきました。 冷やしみそ煮込(?)...いや、正確にこの語だったか定かではありません。動転していたのでしょうか。ただ少なくとも、”冷やし”と”みそ”の文字は含まれていたはずです。

ま、そういったわけで味噌煮込みの専門店でありながら、冷たいうどんという希望を叶えることができ、信用を失わずに済みました。

夏季限定のうどんのようです。食べた本人によれば旨かったとのこと。ちらっと見た処、うどんの白さが際立っていたような...味噌ベースのツユを使ったぶっかけうどんだったのでしょうか。今年、このうどんは後数日でお終いらしく、味を確かめること儘なりません。ただ、来夏に訪れたとしても、冷やしを頼むか否かは判りませんが...

当然、私はオーソドックスな味噌煮込みと御飯を頂きました。専門店を標榜するだけあって、玉子にかしわ肉、かぼちゃの天ぷらと共にコクのある味噌出汁を味わいました。うどんは上記有名店よりやや細目ながらしっかりとした噛み応えがありご飯が進みました。

当初、味噌煮込みを食べるつもりで訪れたわけではなかったのですが、思いがけず旨い味噌煮込みに邂逅致しました

該有名店に比肩し得る、勝るとも劣らない味噌煮込みじゃないかと、満足した次第です。


ところで、山本屋系の味噌煮込みうどんですが、うどんの昼食として捉えた時、千円超という価格を、少なからぬ方が安くは無いなぁと感じるところではないでしょうか。

うどんとカツ丼、若しくは天丼のセットを食べて千円札でおつりが貰える街のうどん屋は珍しくありません。ところが、山本屋系の店はその価格に拘らず、それなりに流行っているわけです。

この時、思い浮かんだのですが、山本屋本店ではうどんと共に漬物が出されます。この漬物がなかなか美味くしかもお代わりがお願いできると。この点に着目すれば、山本屋本店の郊外の店に限った話かもしれませんが、実は談話室としても利用されているんじゃないかと推測しました。

単に味噌煮込みが売りのうどん屋としてだけでなく、食後、漬物をお茶請けに談話する場としても使われる、そういった見方をすれば割高感は低減されるでしょう。和風カフェ(?)類似の機能を併せ持つ味噌煮込みの店、これが山本屋本店の人気の理由の一つかもしれません。

改めて言うまでもなく、想像です。

2015年9月23日水曜日

流出

これ以上貶めてどうしようと...前のエントリに続き愛知の民度が〇〇という機密が流出しています。

この時はブロガーの方が遭遇した話です。
隣のテーブルのクソババア三人組、鰻丼食べ終わったら、バッグから、ごそごそビニール袋をひっぱり出したかと思ったら、なんと、中に梨か林檎が入ってました。
それをテーブルに広げて、平然と、食べ始めました
今度は愛知を中心に飲食店をランク付けしている別の人気ブロガーが、
福島に遷都
中国が攻めてくるわけがないじゃん
日米安保条約なんていらない
遺伝子組み換え食品大量摂取国 日本
世界各国は日本の農作物を輸入禁止に
関東の野菜買ってますか?
食べログ大丈夫?
サーモン怖い
未だに燃料を噴霧し続けているわけです。 そこまで浅薄を露呈するのも如何なものかと...そういった感を禁じ得ません。

幇間は分を自覚して料理の写真を羅列するに留めておいたほうが賢明かと思った次第です。

2015年9月16日水曜日

滑稽

間抜けな話です。

先日、ホテルのブッフェで食事を摂った時のことでした。それなりの味の料理を適当に食べた後、少しカレーライスでも、と手にした
皿に白飯を盛りました。

通常殆どの方はカレーライスを食べる際、カレーに先んじて皿に白飯を盛るはずです。私も当然そうしました。

この時、蓋付きホテルパンの蓋を上げて白飯を盛ったのですが白飯はそれほど残ってはいませんでした。
まあ自分が食べたかった分量以上には残っていたので何気に白飯を皿に盛ったわけです。この時点で気づくべきだったのですが...

次には白飯にカレーをかけるわけです。で、隣に置いてあるカレーの入ったスープウォーマーの蓋を上げてみると...底に僅かなカレーが残っているのみでした。
”ああ、足りないなぁ”
と思ったのは事実です。では、追加されるまで白飯を盛った皿を持って盛って佇んでいるか?想像するだけで間抜けな姿です。

で、足りないながらも残りのカレーをさらえて飯にかけ席に戻りました。案の定スプーン一口二口で白飯だけになったわです。カレーのスープウォーマーは交換、補充されたようですが、食べかけの皿を持って戻るのも憚られます。

ええ、食べましたよ。白飯だけをスプーンで。

ブッフェという様々な料理を好きなだけ食べられる場で、白飯だけをスプーンで喰らう男というのも、我ながら妙というかマヌケな絵だなぁ、と思った次第です。

尚、ホテル側に対して云々する意図は毛頭ないことを付言しておきます。サービススタッフはトレイ上や保温器内に残っている料理の量を頻繁に確かめていました。

2015年9月14日月曜日

境目

ルキウスさんが鮨屋へのワイン持込について言及したエントリをアップされています。次回予約や会員制化の話も含めて抵抗なく首肯できない旨、記されています。
ワイン持込、次回予約、会員制化
飲食店への酒の持ち込み一般に関しては確かに、
――あんたがお馴染みさんなら、店の酒を飲んで助けてやれよ――
ということに異論はありません。ただ、鮨屋へのワインの持ち込みについてはどうなんでしょうか。ワインに馴染みのない鮨屋の店主にワインの選択、品揃えや管理を期待するのも余計な負担を背負わせることになるんじゃないかと思うわけです。それなりの知見も求められますし...

イクラや子持ち昆布といった魚卵に合うワインを、なんて訊ねられても困ってしまいます。いっそワインについては適当な持ち込み料で持ち込みを認めた方が、本来の仕事に注力できて身軽になれるんじゃないかと。

まぁ、ワインの持ち込みなど断って、店で用意した日本酒でお楽しみ下さい、というのが本来であり、真っ当なのは勿論でしょう。

ただ、鮨屋でワインを、とせがむ客の割合を考えれば、持ち込みを認めざるを得ないのも致し方ないのかもしれません。面倒を避けられますから。

問題は、客と店の層の薄さがそういった客を断れなくしているということです。特定の店に特定の常連客が押し寄せる、これが客側の我儘を許さざるを得ない店側の弱さに繋がっています。これは名古屋圏の食べ手、常連客薄さ、狭さに由来しているわけですが、こういった部分が変わっていくのはなかなか難しい話ではなかろうかと思っています。

ところで、しばしば訪れるブログサイトに、
うなぎのしろむらには行かないで、刈谷のやま平へ(笑) 
といったエントリがアップされていました。エントリ本文中で御自身が鰻屋を訪れた際、
隣のテーブルのクソババア三人組、鰻丼食べ終わったら、バッグから、ごそごそビニール袋をひっぱり出したかと思ったら、なんと、中に梨か林檎が入ってました。
それをテーブルに広げて、平然と、食べ始めました
小奇麗な格好して、鰻丼食べに来て、最後に、フルーツ代をケチるか
良い子のお手本に成ってくれよ~
と記されています。この辺りの話についてはいずれ機会があれば...

で、その後コメント欄で鰻屋へのワインの持込についてやりとりされています。

勿論、店には無断でしょうが、品書きに記載のある料理(フルーツ)に類した食物の持ち込みは許されない一方、(メニューに掲げられていないとして)了承を得た上で持ち込み料を支払うならばワインの持ち込みは問題ない、そういった認識でいいんだろうか、と思った次第です。

許可と対価の支払い、これが両者の境目なんでしょうが...

未だに定期的と言っていい程ネット上で勃発する、飛行機のビジネスクラスや新幹線のグリーン席に乳幼児を帯同することの是非、
”料金さえ支払えば許される”と、
オプション料金を支払っている周囲の乗客は快適な空間過ごす権利がある”
にも通底した話にもみえます。どうなんでしょうか。

2015年9月13日日曜日

気侭

この夏はなかなかの猛暑でした。

で、飲んだ後に時折、そばころというか、冷やかけを作って啜っていました。覚書として記しておきます。

蕎麦は干し蕎麦でも茹で蕎麦でもそれ程拘る必要はありません。生蕎麦、打ちたてに限るとか、二八だ、生粉打ちだと、御託を並べることは御法度です。

そんな場合はもう少し飲んで下さい。風味の違いがわからなくなるまで。若しくは素面で確かな蕎麦屋を訪れること。真っ当な蕎麦屋でいい気分になるのは構いませんが、そこそこ酔っ払って蕎麦屋に入るのはどうなんでしょうか。蕎麦に対して申し訳ないというか、勿体無いような...勿論相応した蕎麦についての話です。

横道に逸れました。

但し、蕎麦を作れる程度には酒は控えて下さい。火傷の恐れがあります。

好みの加減に茹でた蕎麦は流水で粗熱を取って氷を放り込んで軽く混ぜておきます。ここに、本枯れの削り節、或いはやる気があれば自分でかいた鰹節を一、二つまみ載せます。後は御自宅にある適当な具材、梅干し、とろろ昆布、塩昆布、湯葉、蕨や茸の水煮、山芋のすり下ろし、若布、揚げ、刻み葱、海苔、酢橘、天かす、蒲鉾等々を足しておきます。

煮鯖もいいかもしれませんが、小鮎や鰊、穴子、浅蜊や昆布の佃煮は温かい蕎麦向けでしょう。

後は、適当な醤油、出汁醤油、麺ツユをかけ、冷水を加えて出来上がりです。量は当然目分量です。削り節からの出汁を感じるので薄目がいいかと。山椒や七味はお好みで...

残念ながら山葵はチューブです。常備がなく、又摺り下ろす気力もありません。

この夏は、幾度となく上記プロセスを繰り返してきたわけですが、これっていわゆる”気まぐれ〇〇”ってやつでしょうか。

飲食店を訪れると、時折、”シェフの気まぐれ〇〇”、”店長の気まぐれ△△”といったサラダだったりパスタ、その他前菜、デザートを目にします。”日替わり・・”ではなく。

これは自分の上記に当て嵌めれば、その場その時にあるもの、余った材料、適当な食材を思いつきで適当に調理した、と受け止めてしまいます。

飲食店を訪れて”シェフの気まぐれ〇〇”を見る度に、
”アンタの気まぐれに付き合う気はない。ちゃんとした〇〇を!
といった文言が脳裏を過るのは私だけかもしれません。

2015年6月23日火曜日

客筋

少し前にウェブ上のネイティブ広告が色々と物議を醸しました。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す
なぜ日本ではステマやノンクレジット問題がなかなか根絶されないのか
ウェブメディア中にあたかも記事の如く広告を忍ばせ、[PR]、(広告特集)、<ad>といった広告であることを示すクレジットが付記されているとかいないとか、又、広告会社が該クレジット無しの広告について営業活動をしているとか、していないとか...

確かに、広告である旨を明記したほうが好ましいわけですが、目立たない位置に小さく”広告”、”プロモーションと”表示されていてもなぁ、と思った次第です。こちらのリンクに例示されています。
ネイティブ広告を「ステマじゃない」と擁護したり「正しく理解」させようとしたり「定義」したりする前にすべきことがある
クレジットが明確に認識できてこそ広告と捉えることができるのではないでしょうか。見落とし易い表示では後で広告と気付いた時、かえって騙された感が増幅されるのではないかと思う一方、メディア側からは、
”表示がある、見落とすほうが悪い”
と主張できる免罪符になってしまうことを懸念しています。それが狙いかもしれませんが。

こういった広告手法の話題を目にすると、やはりモノが溢れている、供給過多を実感します。必需品は仕様と価格が購入を決定するでしょうから、広告には左右され難いでしょうし、高額品は多面的に調べてからの購入が通常かと思います。

とすれば、それほどの高額品でもなく、緊急性、必要性がそれほど高くもないモノの衝動買いを誘う、これがネイティブ広告の取り扱い対象かと。で、このネイティブ広告が問題になるという状況は、モノ余りの反映ではないか、と捉えています。

しかしながら、一方で、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった既存メディアよりは誠実さを感じると言ったら言い過ぎでしょうか。まぁ、一度地に落ちた評判を取り戻すには相当の労力が必要ですし、早期に好ましくない兆候を摘んでおかないと暴走を止められない、ということかもしれません。
新書の棚に並んでいるから読み物だと思って手に取ったらただのカタログだった、とかって読者ががっかりする行為でしか無いわけです。
上記リンク内にあった文言です。既存メディアはかなりの部分で既にこういった状態に成り下がっているんじゃないかと。

"dancyu"という料理や食材をテーマにした雑誌があります。創刊後まもなく購読を続けてきましたが、十年以上前に止めました。

特段、ネットで代替するようになったという理由ではありません。

その当時で、”盛り過ぎ、下駄履かせ過ぎのカタログ”という印象を抱くようになったことに依るものです。読者の利益になる情報を提供しているのか、という点で疑問符がついたということです。

飲食店の情報掲載は否定しませんが、その記事内容が”盛り過ぎ”で、”掲載料取ってんのか?”と思いました。著名人”○○さんのお取り寄せ”といった特集では通販の宣伝広告が満載です。

特に、盆暮れのギフトシーズンには通常より増ページでギフト通販のカタログかと見紛うばかりでした。その辺りはまぁ、甘受していましたが...

一番のきっかけはですね、この雑誌は誌面の一部に料理の作り方を掲載していたわけです。それもこの雑誌の売りの一つだったかと。ある時、佃煮、甘露煮、一夜干し、西京漬けを作ろうと思い立ち、相当量のバックナンバーから参考となる情報を探そうとしました。ええ、十年分以上です。

見つかったのは....該商品の広告ばかりでした。
”大事な広告主の商品を宣伝して、消費を煽る立場なのに商品の作り方を公開してどうする、広告主に対する背任じゃないか。”
ということなんでしょう。爾来、該雑誌に対する購読意欲も失せたということです。

加えて、記事に対する権威付けも鼻につくように感じ出しました。著名人を起用して、この味が、良さが、本物が判る読者こそさすがと...判らない読者は感性が...といった雰囲気が記事から伝わってきました。

前のエントリで引用した瀬戸内氏の文言にも通底する、選民意識というか優越感を刺激するようなやり口も如何なものだろうか、ということです。

新聞の広告欄に掲載されている映画や書籍の宣伝からも同様の意図が窺えることもあり、そういった場合、いい印象を抱けません。

ここ最近、ラジオについてはよくわかりませんが、テレビの視聴率が冴えない、新聞や雑誌の売上不振といった話を見聞します。その中で既存メディアの凋落は、ネットからの情報への置き換わりが主因である、という見方があります。

ただそれだけではなく、コンテンツの質そのものの劣化、即ち、あからさまなネイティブ広告の氾濫、過剰な演出、実質の伴わない下駄の履かせ過ぎに視聴者や読者が辟易しているのではないかと...

そういったコンテンツの劣化に加え、該コンテンツを告知する宣伝がこれまた盛り過ぎのわけです。

コンテンツの評価はインフレ状態、不振だから数で補う、質は更に低下しハズレが増加、で、評価に値するコンテンツは埋没、こういった悪循環に陥っているのではと推察しています。

ここから抜け出すのもなかなか難しいなぁと。展望はあるのでしょうか。

本エントリに関連して、小説、文芸作品、権利についていずれ思う処を記してみるつもりです。

2015年6月14日日曜日

銀宝

ルキウスさんが天だねとしてのギンポの希少性について言及されていた頃、ギンポの佃煮で飯をかっこんでいました。

シラスというか稚魚の佃煮なんですが、尾数換算にすれば、名古屋辺りの天ぷら屋の年間消費量の、少なくとも十年分に相当するギンポが目の前のトレイに山盛りになっているわけです。
”自分は鰻のような絶滅危惧種の稚魚を旨い旨いと喰ってんのか?
希少な天だねということは承知していましたが、理由について考えたことはありませんでした。おっかなびっくり調べてみた所、
この魚の利用では関東、特に東京(江戸)が抜きん出ている。というか他の地域では価値がない。江戸前天ぷらのネタとしては最高のもの、そのため全国から東京へと目指して送られてくる。
 ということでした。鮮度落ちが早い、捌くのに手間がかかる、天だね以外に突出した調理法がない、といった理由で市場への入荷量が限られているようです。

特段、絶滅危惧種というわけでもないことに安堵しつつ、心おきなくギンポの佃煮を頬張った次第です。

2015年5月14日木曜日

幻滅

京料理?すっぽん?

いや、その前にまともな白飯を出すべきでしょう。春日井の和食店です。高級店ではなく、普通の和食店なんですが...

ご飯がですね、冷凍ご飯をレンジで加熱したような、で、おまけに加熱ムラがあるような、部分的に飯が押し固められた塊ばかりのご飯だったわけです。

消沈しまくりです。

私は日替わり定食を選択しましたが、同席者は天ぷら定食を注文...供されたのはフリッターかと...海老天を箸で持ち上げると弾力で大きく湾曲します。天ぷらなのか?

食事後、店外に出ると看板には”京料理”、”すっぽん”の文字が...

自宅近傍のきしめん屋、以前、昼の営業をしていた焼肉店などは昼食に訪れた時間が遅めだと、
”ごめんなさい。御飯がなくなりました。ご飯物以外でお願いできますか。”
などと言われたものです。それはそれで残念ではあるものの、特段気になったことはありません。”遅かったか。”と思う程度です。

この日は、終日気落ちしたままでした。


2015年4月4日土曜日

非情

特色かどうかは存じませんが、名古屋近郊では、”とんかつ”という食物は極めて身近な存在です。単にとんかつ定食だけでなくカツ丼、カツカレー、カツサンドをも含めれば至る店で口にすることができます。

うどん屋、ラーメン店を軽く凌駕していて供給過剰ではと思わんばかりです。まぁ、それぐらいの親しみ(=需要)があって、とんかつを提供する多彩な店が共存してきたのでしょう。

自宅近辺で、とんかつを前面に出している店だけでも(順不同)

  1. かつ雅
  2. 八千代西店
  3. きらめき亭
  4. 美はる
  5. かつ
  6. かつ久
  7. サカエ食堂
  8. かつ元
  9. 浅井
  10. 八千代分店いそむら
  11. 香竹
  12. マ・メゾン
  13. かつや
  14. かつさと
  15. 必勝
  16. サピド(カツサンド)

と列挙できます。味や価格は様々ですが...加えて、いわゆる定食屋、洋食店、うどん屋、喫茶店にCoCo壱番屋といったカレー屋等、とんかつを扱う店は枚挙に暇がありません。

特にうどん屋と喫茶店は正に伏兵といった存在かと思うわけです。なにせ、カツ丼とミニうどん(きしめん)、若しくはミニカツ丼とうどんというセットがうどん屋のお昼の品書きに堂々と掲げてある土地柄ですから。ラーメン炒飯セットのようなものでしょうか。

更に喫茶店です。カツカレー、カツサンドに留まらずとんかつ定食が人気の喫茶店もあります。喫茶店という業態の定義はさておいてです。味噌カツ定食の旨い店に至ってはもはや喫茶店なのかと...

以上は、外食の場合についてですが、加えて中食、即ち、持ち帰りも含めれば、とんかつを口にするための入手経路には不自由しません。ほぼ無限であるとまで言うのは言い過ぎかもしれませんが。

上記飲食店の何店かもテイクアウトができるのですが、それが本業である、ほっともっと、ほっかほっか亭、ベントマンといった持ち帰りの弁当店も一つの入手チャンネルです。

ただ、スーパーこそが中食の主役でしょう。惣菜コーナーには店内調理されたとんかつ弁当、かつ重、かつサンドが並んでいますし、とんかつ単品として調理済み、或いは冷凍食品の形態での購入もできます。一部のスーパではスーパー自身の調理によるものだけでなく、テナントとして入居している、さぼてん、和幸といったとんかつ、揚げ物に特化した専門店も選択肢として得られます。

で、実は町の肉屋こそがやはり中食の本命かと信じています。一般的ではないかもしれませんが...

そういった状況の中、尾張旭市晴丘の交差点付近で非情な抗争が勃発しているわけです。ストリートビューでは現時点で更新に至っていませんが、如何なものなんだろうかと思われる状態になっています。

片や薄衣を纏い余熱でじっくり火を通したトンカツそのものの旨さを売りにする店と、片やとんかつを中心とした揚げ物の庶民向けチェーン店、両者が広くはない道を隔てて対座しています。

確かに、とんかつのみの旨さで比べれば両者は均衡が保たれるのかもしれません。それでも、上質な豚肉を細かなパン粉で揚げた上品なとんかつの圧勝とはならないでしょう。粗めのパン粉で揚げられた、油と脂を味わうとんかつにも一定程度の支持があるはずですから。勿論、価格を含めての話ですが...

”ザ・とんかつ”として思い描かれるのは後者です。下記エントリも一例かと。
尾張旭のとんかつの美はるさんは、目を見張る? 
更に共存を阻む存在としてカツ丼の存在があります。とんかつ、丼ツユの浸みた衣とご飯、半熟卵が渾然一体となって上品なとんかつの前に立ちはだかるわけです。

とんかつ単品の上品な旨さで対抗し、伍して並び立つのだろうか、今後の動向を注視していきたいところです。

ところで、こういった幅広いチャンネルでとんかつを口にできる環境において、ある特定の店に足を運ばせるには何が動機となるでしょうか。

本末転倒かもしれませんが、実はとんかつ以外の部分に依るのではないかと考えます。とんかつそのものが並み以上の質であることを前提としてです。とんかつを食べて落胆する店には誰も赴きませんから。
――xxへ行ってとんかつを食べようか。あそこはとんかつだけでなく○○も旨いしね。――
この○○の部分、即ちとんかつ以外の部分が重視されるということです。
”とんかつは旨い”
”とんかつだけは旨い”
”とんかつしか旨くない”
ではなかなか難しいかと...

それは味噌カツの味噌ダレ、ソース、キャベツは勿論、カツ丼、豚汁、ポテサラだけでなく、串カツ、ハムカツ、メンチカツ、コロッケ、牛カツ、チキンカツ、レバカツをも含めての話です。どて煮もいいですがちょっと離れすぎかもしれません。

個人的にはエビフライは動機になり難く、旨いカキフライ、更にはアジフライに駆り立てられます。他にも、鰯、鮭、鱸、鯨、メカジキ、鮃、鮎、公魚、イカ、帆立...

魚介や鯨まで話を広げると際限がなくなりますのでこの類はさておきます。
  
話を戻せば、カツ丼はとんかつの味ではなく、丼ツユを含んだ衣で飯を食わせる料理です。ハムカツは庶民的過ぎるのでしょうか。ハムカツ定食を出す飲食店を知りません。

メンチカツ、コロッケが品書きにある店も多くはありません。コロッケは用意があったとしてもクリームコロッケがほとんどです。名古屋近郊でやまがき畜産や三田屋に匹敵するメンチカツ、ビーフコロッケを提供する店に訪問できたことはありません。

牛カツ、チキンカツも提供する店はあるものの少数です。もう少し増えてもいいような気がします。レバカツに至っては皆無に近いかと。”レバカツにするからレバーを薄めに切って”と精肉店で頼んでも通じませんでした。

こういったトンカツ周辺部分に特筆すべきものがある店、即ち、
豚汁の旨いとんかつ屋
ハムカツもあるとんかつ屋
コロッケが人気のとんかつ屋
メンチカツが評判のとんかつ屋
こういった店こそが、否が応でも、とんかつそのものへの期待を押し上げてくれるのではないだろうか、と思う次第です。

ちなみに、これまでで旨かったと印象に残っているとんかつ屋は、川崎市宮前区のとんかつ勝義と秋葉原の1店です。こちらは失念しました。もう二十年以上も前の話です。

勝義はグーグルによれば未だ営業中のようですが当時と同じかはわかりません。

蛇足でした。

2015年3月29日日曜日

抵抗

過日、昼食でもと、寿司屋を訪れた時のことです。高級店でも回転寿司でもなく、ランチセットの用意がある、いわゆるフツーの町の個人店です。

カウンターの向こうで主人が寿司を握って盛り込む間、小上がりで配膳を待っていました。で、何気なく主人の方に視線を移した時、手にポリの手袋をはめているのを見たわけです。

スーパーの惣菜売り場の向こう側で、おそらくパートの人達が惣菜をトレイに盛り込む時と同じく、ポリの手袋をはめ、ズレ止めの輪ゴムを手首にしていました。

寿司屋で職人がポリの手袋をはめて寿司を握る...軽い驚きを禁じえませんでした。庶民向けの店ということも理由にあったのでしょうか。よくわかりません。

その時は、衛生面で苦情でもあったのかと訝しげに思いながらも稀なことだと捉えていました。寿司屋に入って、寿司を素手で握られることに抵抗があるものなのか、といった思いでした。

その後、つい先日ですがある回転寿司屋に入りました。昼時ということもあったのでしょうか、寿司は流れていませんでした。ランチのセットを頼み、その後追加で適当に注文して握ってもらったわけです。

で、この店でも寿司を握っている職人の手にはポリの手袋が...

いや、ことさらポリの手袋をはめて寿司を握ることを否定するつもりはなく、衛生上からはむしろ好ましいのでしょう。

ただ...寿司屋としてどうなんだろう、しっくりこないという話です。特段、ポリの手袋をはめて寿司を握ることをあげつらうつもりはなく、私の頭が硬いだけかもしれませんが。

思い起こせば、ホテルのレストランでローストビーフが切り分けられる時、ポリの手袋をはめた手が塊肉を押さえている姿を見ていました。テレビの飲食店紹介番組でも、和洋を問わず、又、個人経営であるか否かに関わらず、ポリの手袋をはめた手を見かけるのは珍しくありませんでした。

これが店側の発意によるものか、客からの要望なのかは存じませんが、寿司屋に限って堅苦しさ似た印象を抱いてしまいます。

それなら、寿司屋に入らなきゃいいじゃないか、そんな思いが過ぎります。

もはや、粋とか野暮といった次元を超えている?、踏み外しているようにも受け止めてしまいました。
どうなんでしょうか。確かに衛生面に配慮していると言われればその通りなんですが、他に重視すべき部分が置き去られているように思えてなりません。

2015年3月15日日曜日

上辺

自戒を込めて記します。

以前から
”させていただく”
という表現が気になっていました。勿論、自分自身も使ってきた自覚はあるのですが、ここの処、違和感が付きまとっています。

特に、飲食、飲食店に纏わるレビュー、ブログでこの表現を目にした時、首を傾げることがよくあります。

少し例をあげてみます。
  1. こちらの記事を参考にさせていただいて
  2. お邪魔させていただきました
  3. 食べさせて頂きました
  4. 観賞させていただくことに
  5. お話をさせていただきました
  6. 持ち込みさせていただきました
  7. ご一緒させていただきました
  8. 感動させていただいた
  9. 参加させていただきました
  10. お持ち帰りさせていただきました
  11. 食事させていただきました
  12. 訪問させていただきます
  13. お話させていただいて
  14. 仲良くさせていただいてる
  15. テイスティングさせていただけました
  16. 利用させて頂いちゃいました
  17. お伺いさせていただいています
  18. 企画させていただきました
  19. 利用させていただきます
  20. 試食させていただきました
  21. 突入させて頂く事に
  22. 堪能させていただきました
  23. 投稿させていただきました
  24. 点数は基本的に3点とさせていただいてます
  25. 多用させていただいてます
  26. この点数とさせて頂きます。
  27. ★は3つ半とさせていただきました
  28. 撮影させて頂きました
  29. 予約をさせていただいて
  30. 写真を追加 させて頂きます
  31. 評価をさせていただきました
  32. ゆっくりさせていただきました
  33. 訂正させていただきます。
  34. お勉強をさせて頂きました
  35. リピさせていただきます!!
  36. シェフもお話しさせていただく
  37. 予約をさせていただき、
  38. 満足させて頂きました
  39. オーダーさせて頂きたいですね
  40. 写真3枚アップさせていただきます。
  41. いつも仲良くさせて頂いている
  42. 投稿をさせて頂こう
  43. 注文させていただきます
至るところに氾濫している、”させていただく”で、悪酔いしてしまいます。

”させていただく”は使役の助動詞”させる”と、謙譲の”いただく”の組み合わせです。ある動作を誰(何)が行うよう強いる、或いは、誰(何)がある動作を行うことを許可する、”させる”です。

この時、誰(何)はその意志がなくとも動作が強いられ、逆に、意思があっても許可されないなら動作を起こせません。

で、”させていただく”の(何)かは私のわけです。では、誰(何)が私に”させる”のか、更に、”いただく”において、私は誰(何)に対して謙っていることになるのかについて考えてみます。

上記の例は食べログのレビューや食についてのブログから引っ張ってきており、私に”させる”誰(何)かは、飲食店、食べログの投稿システムとその閲覧者、ブログ読者、といった辺りが該当します。

少し、手前勝手に誇張して補完してみますと
――本来、私如き分不相応な者がそういった大役を担うのは力不足であるにも関わらず、その任に当たる機会を与えられ恐縮の限りです――
こんなところでしょうか。

上記1〜43の例は、該誰(何)かに対しそこまでの謙譲が求められる行為とは捉えられません。例え、相当程度敬うべき同席者の場合であったとしてもです。

同時に、この却って慇懃無礼感、白々しさを醸し出す、行き過ぎた謙譲は果たして何に由来しているのだろうか、そういった思いが頭を擡げてくるわけです。

――誰であっても取り敢えず敬語っぽい表現をしておけば当たり障りはないだろう――
これは決して対象を敬っているわけではなく、摩擦を避けるための保身です。意識しての、或いは無意識でのことかは存じませんが、そういった心理の見え隠れが白々しさの根本ではないだろうか、と推し量っています。

面従腹背ではないですが、上っ面で謙遜していても、中身との整合性の欠如に違和感を抱いてしまいます。

例えば、愛知を中心とした中部地方の飲食に纏わるブログで、天然鰻を食したエントリをしばしば見かけます。そういったブログ内にも蔓延していたりもします。”させていただきます”が...

前のエントリにも記しましたが、鰻資源の逼迫を鑑みて、”させていただきます”一言で天然鰻を躊躇いなく口にできるものなんだろうか、と思うわけです。料理写真を公開、味わいを云々するための免罪符的な役割を”させていただきます”に担わせているのかもしれません。

資源枯渇に思いを馳せるわけでもなく、嬉々として天然鰻に舌鼓を打っておきながら、
”注文させていただきます”
”評価させて頂きます”
”写真を公開させていただきます”
はないだろうと...己を卑下、謙遜してるのか何だかよく判りませんが、少なくとも遠慮していないのは確かでしょう。

それほどまでに”させていただきます”なら、
”喰うな”
”注文するな”
”公開するな”
というのが率直な印象です。

ところで、先だって、ISISに日本人ジャーナリストらが殺害された際、
”その罪を償わさせる”
と安倍首相は宣言したわけですが、これは”させていただきます”の変形なんでしょうか。


今後もブログを続けさせていただきます

2015年3月4日水曜日

工夫

先日、守山区の蕎麦屋を訪れました。

弾力を感じ、噛み応えのある蕎麦、とろろご飯を美味しく頂きました。さっと手繰って掻っ込んだわけで、”旨かった”以外の文言を持ち合わせていません。

で、蕎麦湯です。蕎麦湯好きとしては勿論何杯も飲むわけです。蕎麦湯に蕎麦つゆを加え、摺りおろした山葵を吸口に一杯、七味を薬味に一杯、といった具合にです。

削節、梅干、麸、炙り海苔、昆布や蜊の佃煮、揚玉、刻揚、
そういった蕎麦湯セットがあってもいいかな、との思いが頭を過りました。

まぁ、店にとってはだらだら居座られて迷惑かもしれません。もはや、蕎麦屋ではなく蕎麦湯屋になってしまいますし...