2015年7月11日土曜日

希臘

先日(7/5)行われたギリシャ国民投票の、大方の予想を裏切る結果について、様々なサイトで論述されています。
ギリシャ国民投票で緊縮策に「ノー」
ギリシャ
”意外”、”落胆”、”驚き”、”混乱”、”迷走”、”不遜”、そういった文言が行間に溢れています。

以前のエントリで、自らが保有する資源から得られる以上の、即ち身の丈以上の生産物を欲する社会は、他国からの収奪、若しくは将来世代に負担を押し付ける、という手段で資源の不足分を補填しているのではないか、と記しました。

で、冒頭の報道を見聞して、財政の自立が適わない国家が、財源を”他国に求める”というのも民主主義的解決策の一つかもしれない、と思った次第です。ただ、将来世代への押し付けと較べ、民主主義的にどちらがより進んだ、或いはより賢明な手段なのかについては判断しかねますが...

勿論、両者を任意に選択できるわけではないことは承知しています。共通通貨ユーロを導入したギリシャと、ほぼ全ての国債が国内で保有されている日本を同列に比較することは無理があります

武力には頼らないものの、せびるのか、たかるのか、ねだるのか、はたまた、支援を要請するのか、乞うのか、どういった姿勢でギリシャがEU諸国と向き合うのかは存じません。ただ、いずれにせよ件の交渉は、正に民主主義を象徴する有り様の一つとみなすこともできるのではないでしょうか。 まぁ、それが民主主義の賢明さを示しているのか否かについてはさて置いてです。

他国や将来世代に負担を求めるにせよ、収奪するにせよ、民主主義はモラルハザードが容易に起こる社会システムではないか、と改めて思った次第です。モラルハザードを伴わない民主主義は存在し得ない、と断言できるかもしれません。

市場経済社会が、バブル経済の崩壊を繰り返すのも同根です。

ところで、この混乱の原因としてギリシャの国家運営、EU加盟時の財政粉飾がクローズアップされています。しかしながら一方で、該混乱は、通貨統合前に元々存在していたEU各国の通貨間格差を、ユーロという枠組み内で吸収しきれなくなった結果である、といった見方にも目が向けられて然るべきではないかと考えます。

通貨統合は、1999年のドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、アイルランド、スペイン、ポルトガル、オーストリア、フィンランドの11ヵ国の統合から始まりました。ギリシャのユーロ導入は、収斂条件を満たしたとして2002年です。

上記統合前の時点でドイツマルクとギリシャのドラクマ間には実質以上の大きな通貨格差が既に存在していたわけです。ドイツマルクはドラクマで、圧倒的にマルク高の関係にあったのは間違いのない処です。

ギリシャへのユーロ導入において、かつてのマルク-ドラクマの関係が歪められない、ユーロ-ドラクマの交換比率に決定するべきだったかと。ユーロを介したマルク-ドラクマの相対的価値に、各国の経済力や需給に基づかない、通貨統合の名の下の恣意的操作を加えるべきではなかった、ということです。尤も、該操作なくしてドラクマが信認を得られたかは危うく、本来の為替レートではギリシャのユーロ導入は実現しなかったのかもしれませんが...

マルクのユーロへの移行は、マルクを過小に評価した為替レートで進められた一方、ギリシャではドラクマを過大に評価してユーロが導入されました。マルク、ドラクマといった通貨単位は消失したものの、実質の価値から乖離した、マルク安、ドラクマ高が固定化されたままのユーロへの移行だったわけです。

ユーロはEU内の統一通貨ですが、マルク安、ドラクマ高を内包したままです。このユーロに含まれるマルクとドラクマの為替レートと、ドイツとギリシャの経済が忠実に反映された実質の為替レートには大きな隔たりがあったはずです。この乖離、即ち、ユーロで覆い隠されてしまった潜在的な為替のサヤが、ドイツを含むEU各国とギリシャ間の輸出入、金融取引の歪を生み、更にはギリシャの債務増大、財政悪化を招いてしまったのではないか、と推測しています。

自身が実感するためにもう少し考えてみます。

今、日米で共通通貨"ampo"を導入するとして、この時の為替レートを120円/ドルとしてみます。ここで、
1ドル/ampoとするなら
120円/ampoですが、
意図的に20%程度ドル安、円高の状況に歪曲してみますと、 各々1.2ドル/ampo、96円/ampoですから、
円/ドルでは80円/ドルの比率になります。

本来、120円/ドルの関係が、共通通貨"ampo"を導入し、その際の交換比率を弄ることで80円/ドルの状況を作り出せてしまうわけです。とするとどうなるか。

日本の生産物は実質より割高に評価されますから輸出が減る一方、割安感が生まれる米国生産品の輸入は増加します。又、日本国債も割高な評価となりますから、起債により有利な条件で"ampo"の債務を積み増せます(国外に国債引き受けを求めた場合)。

で、輸出が増えない一方で、対外債務も積み上がっていくと...自国内生産物の輸出で対外債務の返済が滞れば、まぁ、財政が綻ぶのは必定です。

通貨統合を優先する余り、必ずしも意図してではないにしても、ユーロ導入に伴う人為的な為替操作で、こういった構図がギリシャに作り出されてしまった、ということです。

では、ドイツはと言えば、ギリシャとは逆に”潜在的な”マルク安の恩恵に与った高い輸出競争力で好況を謳歌している現状にあります。


EU誕生と続く通貨統合以降、統合で生じた潜在的な為替のサヤによる内部応力、該応力がEUの枠組み内で吸収できなくなるほど蓄積されて続け、ついには枠組みの歪として露呈したわけです。ギリシャの財政危機はこの歪の一つ、といったところでしょうか。


続けます。

2015年7月4日土曜日

相殺

自宅から徒歩二、三分の所です。幹線道路の信号付近で愛知県警守山署が頻繁に取締りを実施しています。

古くからの街道でそれ程速度を出せる道路ではありません。シートベルトの未装着や運転中の携帯電話の使用が取締りの対象のようで、結構な人数の運転者が違反切符を切られている模様です。

その付近一帯には、何とも言えない、やってしまった感が立ち込めています。自宅まで押し寄せてきそうです。一回の取締時間はそれほど長時間ではありませんが、多い時には週に二度ほど実施されています。絶好の漁場なんでしょうか。

で、果たして警察には業務の生産性という概念があるのだろうかと、疑問が生じました。生産性の高い警察業務と、例えば上記取締において、少数、短時間で多くの違反切符を交付することが符合しないのは明白であり、疑問の余地はありません。

それはノルマの遂行だったり、点数稼ぎに過ぎません。シートベルトの未装着は事故が起こってから重大な被害へと繋がり得る違反ですが自己責任の部分もかなりあるでしょう。運転中の携帯電話の使用も重大事故を引き起こさない、とするつもりはありません。

しかしながら、飲酒、或いは酒気帯び運転、速度超過、一時停止違反、信号無視となると話は違います。自損事故に留まらず、重大な対人、対物事故の原因となる恐れは、シートベルト未装着や携帯電話使用の比ではないはずです。

そういった、より危険性の高い違反を、例え件数が少なくとも、取り締まることこそが生産性の高い交通業務ではないかと思うわけです。

ヒト、モノ、時間を使ってシートベルト未装着や携帯電話使用の切符を交付してどうする?他に取り締るべき違反があるんじゃないだろうか、ということです。

信号無視や一時停止違反には始終遭遇しています。2014年時点、愛知県は交通事故死者数12年連続ワースト1位のようですが、その主原因がシートベルト未装着や携帯電話使用にあるとは考えられません。

まぁ、飲酒、或いは酒気帯び運転を検問で取り締るより、シートベルト未装着等で違反切符を交付する方が着実に数字を稼げる、ということかもしれません。大体、飲酒、或いは酒気帯び運転の検問は夜間実施することになります。帰宅が遅くなってしまいますしね。

では、一時停止違反はどうでしょうか。見通しの良くない交差点で車対車の事故のみならず、人身事故も頻発しています。まぁ、速度を落としてはいますから重大事故に至ることは少ないかもしれませんが...

しばしば通りがかる交差点で、一時停止違反の取締を見かけたことがあります。二名の警官が乗車したパトカーが、交差点で一時停止違反を目立たない位置から監視していました。

どの程度の時間監視を続ける のかは存じませんが、一箇所の交差点当たりパトカー一台に警官二名...生産性が低いなぁ、と思った次第です。

かつてに較べ圧倒的低コストで長時間、高精細の画像記録が可能な今日、少人数による同時多点取締ができないものなんでしょうか。

例えば、スーパー、コンビニ、銀行といった不特定多数の人間が出入りする場所では、防犯カメラによる来客の行動記録はもはや当たり前に行われています。賛否があろうことは承知していますが、トラブルによる被害の最小化が目的であり、やむを得ない対応かと受け止めています。

そういった環境を鑑みれば、いわゆる事故多発地点での事故を抑止する方策として、ネットワークカメラによるリモート監視がもう少し活用されてもいいのでは、と思っています。

複数地点を同時に一人で監視可能な上、記録も行われるわけですから、取締りの生産性が著しく向上するんじゃないかと。

では、一時停止違反に起因する事故の効率的な低減に有用とみられる、交差点でのリモート監視がなぜ進まないのでしょうそれはやはり監視者に対する根強い不信感に依拠する部分が大きいためではないかと、憶測しているところです。

タイムリーな話題は、俳優 萩原流行氏のバイク事故でしょうか。真偽は存じませんが...
ようやく非を認める…萩原流行さん死亡事故は全容解明に向かうことができるのか?
こんなおまけつきです。
実際、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)は、1日の会見を番組冒頭から「注目の会見が始まります」「生中継でお届けします」と煽りながら、内容が警察批判であることがわかると、短時間で打ち切り。番組の最後の方で簡単に内容をまとめるだけに終わった。
他には、
富山事件
 志布志事件
 足利事件
 袴田事件
大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件
などが記憶に新しい事件かと。

守山署に限れば、
証拠品投棄容疑で警部補を書類送検
巡査部長が証拠品など自宅に持ち帰る
調書改ざん、破棄容疑
副署長や地域課長が酒気帯び運転で処分
といった事案が検索されるわけです。これじゃぁなぁ...リモート監視以前に上記を何とかしたほうが生産的かもしれません。

先のエントリのコメントで、
改憲はすべきだが、”あんな連中にはしてほしくないなぁ”、というのが素直な印象です。
と記しているのですが、似たものを感じています。

ところで、テレビの番組改編期に各放送局で一度は”警察24時”のような特番が放送されます。警官個々人に焦点を当て職務の崇高さ、正義感、真摯さを伝えようという意図なんでしょう。

当然ですが、直近で不祥事を起こした部署は取り上げられないわけです。で、なんとなくなんですが、警察の不祥事発覚が多ければ多いほど該特番の本数が増えているように感じています。広報の一部として、相殺というか、不祥事以上に特番を流すことで覆う意図でもあるんでしょうか。気のせいかもしれません。

又、冒頭の取締りも署内の不祥事が発覚後、比較的直ぐに実施されているような印象を持っています。市民の批判を封じ込める、或いは、上記番組のケースと同様な意図があるとするならば、強い反発を禁じ得ません。専横です。勘ぐり過ぎとは思いますが...


下の画像は街中を走行中のワンカットです。数台の自転車が車道を逆走しています。小学生でしょう。危ねえなぁ、近寄りたくねえなぁ、と思うわけです。



冒頭の取締り時も、両耳にイヤフォンを装着してたり、スマホを弄りながら歩道を逆走する自転車を目撃しています。歩道の逆走、傘さし走行は年少者、高齢者問わず見かけますが、自転車は注意されることなく取締り現場をスルーして行きました。
ケースバイケースとなる裁量部分も含め、自転車の運転者に誰がルールを教えるのか?どうやって遵守させるのか?
自動車運転中の携帯電話の使用やシートベルト未装着を取り締るより、こっちの方が喫緊の為すべき責務じゃないでしょうか。

俺様

NHK朝ドラ”まれ”で小日向文世演じるオーナーパティシエ池畑大悟が、
”俺様のケーキを...”
 と宣う場面がありました。 

今時というか昔を含めて、一人称として”俺様”を使う人物は、他にはジャイアンくらいだろうかと思っていた処、
”俺様の内閣”
”俺様の安保法制”
”俺様の軍隊”
といった文言がふと脳裏を過ぎりました。
(個人の感想です。個人差があります。)