ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 雑感 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2016年7月9日土曜日

一発

"ひと夏の経験"ということなんでしょうが、イベント扱いされて、一過性の盛り上がりで終わってしまわないことを願うばかりです。
18才選挙権


  あなたに 社会のこのいちばん 
  大切なものを あげるわ
  小さな胸の 奥にしまった
  大切なものを あげるわ

  信じる人に 捧げるため
  守ってきたのよ
  汚れてもいい 泣いてもいい
  信は尊いわー
  誰でも一度だけ 経験するのよ
  候補者の甘い罠

2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、”坂の上の雲”は事実で、”はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

桑原(2)

食品を購入するためにスーパーに赴くと、ちょくちょく面白いというか、唖然とする場面を目にします。これは前のエントリとは別の店の話です。

どこのスーパーでも夕刻になると鮮度落ちの早い商品には割引シールが貼られていきます。鮮魚、精肉、惣菜等々...段階的に-10%、-20%、半額といわゆる見切りのシールが貼り重ねられていく店に17:30頃訪た際のことです。

そういうタイミングだったのか、精肉コーナーには割引シールが貼付されたいくつものトレイが並んでいました。-10%、-20%、半額といった鶏、牛、豚といった精肉のトレイが混在している状態です。勿論、シールのない、正価販売のものもありました。

ふと見ると、そういった値引き品を大量にカゴに入れている年配の女性客がいたわけです。六十代あたりでしょうか。切り落とし、薄切り、焼き肉、ステーキ用といった様相で、特に〇〇用に絞ってということでもなく、あたり構わず割引品のトレイをカゴに入れていました。
”いろいろな肉を沢山カゴに入れているなぁ、上手く調理して保存食でも作るのだろうか。”
と思いながらも通りすぎて自分が目当てにした商品の棚へと向かいました。で、しばらくして乳製品のコーナーでチーズを見ていた時なんですが、気づくと先ほどの年配客が...

別に、注視していたわけではありませんが、先ほどの割引品の肉を両手に持って較べていました。なんだか自分のカゴの中で選別しているようです。実はこのあたりからちょっと気になってきました。

そこから件の客の行動を目で追うと...カゴの中の精肉のトレイの中、半分程度を商品棚に戻していました。戻す?なるほど、割引のシールが貼付された商品を、取り敢えず手当たりしだいにカゴに入れると。そうしてカゴに入れて確保しておいた商品を後で品定めし、不要なものは商品棚に戻す...

正価品ならともかく、消費期限の迫った見切り品は商品棚の前で手にとったとしても、購入する/しないを判断して購入を決めた商品だけをカゴに入れるのが真っ当なんじゃないのか、と思った次第です。他の客の購入機会を奪うべきではない、サルベージした商品を戻してどうする、という意味で。

軽く唖然とすると共に、”なんだかなぁ”、といった印象を禁じ得ませんでした。テレビで目にする衣料品のセールや福袋の争奪と同じ感覚なんでしょうか。

ふと目をやると、この客は今度は餃子や焼売などの惣菜のパックを何パックもカゴに入れていました。
”また、惣菜のパックを見比べていくつかを戻すのだろうか?”
そんな思いが過ぎりながら会計を済ませてさっさと店を後にしました。桑原、桑原...

2016年6月24日金曜日

再認

以前、トンカツに纏わるエントリで挙げましたが、未だ川崎市宮前区のとんかつ勝義に優るメンチカツに巡りあえていません。(随分昔の話です。今は存じません。)


内食?、中食?となると、コロッケと同じくメンチカツも山垣畜産や三田屋総本家、三田屋本店といった関西の店が私の中では依然上位を占めています。

そんな中、メンチカツ好きにとってありがたい、新たな一店を知ることができました。自分にとってですが...

勿論、デパート、スーパーでも、チェーンの弁当、惣菜店でもなく、精肉店、揚げ物をやっている肉屋です。店の名はやはた屋、名工大が近くにあります。

所用で通りがかった際立ち寄って、メンチカツ始め、お決まりのコロッケ、ハムカツ、串カツの揚げたてを持ち帰りました。


実は肉屋の揚げ物だからといって旨い旨いと手放しに受け入れているわけではありません。ツナギの多さが気になるメンチカツ、冷凍の出来合いを揚げているんじゃないかというコロッケに当たったこともあります。本当の処は確かめようがありませんが...

で、自宅で口にしたこれらの揚げ物はどうだったかといえば、コロッケ、ハムカツについては紛うことなき肉屋のそれで期待通りのものでした。串カツはおそらくヒレ肉で揚げてあって、柔らかさが印象的でした。噛みごたえのある赤身と脂身が交互に並んだ、ザ・串カツを思い描いて噛みちぎれば、肉の味と柔らかさにいい意味で意外感を抱きます。

特筆、というほどではありませんが、メンチカツには驚かされました。メンチカツそれ自体、店にによって随分味わいが異なります。肉屋のものに限ったとしても、です。

勝手に想像すれば、粗挽き肉をツナギ少なめで十分練り込んだことによる、弾力あるしっかりした歯応えと肉の旨味を感じました。脂分はやや控えめでしょうか。いずれにせよ、美味しく戴いたことには間違いありません。

そして余計なことですが、この店では揚げたてのカツを、揚げ物用の内側がコーティングされた白い紙袋に入れた後、
新聞紙で包んでくれます。帰宅してもまだ十分温かいカツを口にしつつその保温効果を目の当たりにしました。

新聞もまだ捨てたもんじゃないなぁ
新聞の価値を再評価した次第です。

2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保と文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家の財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

2016年6月7日火曜日

桑原

原則として日祝日にはスーパーには近寄らないことにしています。混んでますし、頭がちょっとアレな方、不快な場面に遭遇することが少なくありませんから。

偶々所用があって日曜日に立ち寄った時のことです。予定の商品をかごに入れてレジに並びました。前に二人買い物客がいて、私が三人目といったところです。レジ台には商品の入った次の客のカゴが置いてありました。

で、よく見るとカゴの後ろにポリ袋に入ったパンが...店内のベーカリーで焼かれた数個入りのバターロールだったかと。カゴにも入れられず私と前の客の間にぽつんとある状態です。
――これはお客さんが買う(つもりの)パンですか?――
前客の会計の段になって、当たり前ですが、まぁそんな意味合いのことをレジ係は尋ねるわけです。前客の”違いますの”返事の後、私にも同様に尋ねられ、違います、と応じたのは勿論のことです。

前客の精算が終わって、レジ係が私のカゴ内の商品をレジ打ちにとりかかろうとするその時、どこからかカゴを持った男性年配客がやって来ました。
――あれっ!レジの順番飛ばされちゃったか。――
宣うには、パンを置いてレジの順番を取っておいたと....
その場から離れてレジの順番を取っておくために、精査前の商品である袋入りのパンを置いておく...なかなか初めての場面でした。他のレジも含め大体一人二人程度の待ちだったんですが。

勿論、注意などするはずありません。そういった行為を何ら臆することなくできでしまう、ちょっとアレないい年をした年配者に何を言えと...
――お客様、こちらのレジへどうぞ――
言われるままに隣のレジへと移ったのでした。”くわばら、くわばら”と呟きながら。

2016年6月1日水曜日

枯渇(追記 追々記)

前のエントリに関連してですが、やはり問題は舛添辞任後ではないかと。

2014年東京都知事選挙の結果を顧みれば、人材が払底しています。で、現都知事が選出されたわけです。
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい 
に比肩する話かもしれません。

(6/1追記)
タイミングがずれていたら乙武洋匡が都知事候補として取り沙汰されていたのではないでしょうか。いかに人材が払底しているかを表す証左かと。

(6/4追記)
――人工知能そのものに倫理観はない――
偶々、NHKスペシャル 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探るを見ていて放送中に出た文言です。

一方、
――道義的、倫理的な面でも指導頂く――
5/27の記者会見で舛添都知事が述べた言葉です。いや、もう新都知事は人工知能でいいんじゃ...倫理的規範は学習させればいいわけですから。

2016年5月20日金曜日

候補

さて、次期都知事候補です。人材が枯渇していることは既に記したんですが、考えました。強引に。
チェスが強い。高齢。

2.スカイネット(ワーナー・ブラザーズ)
反抗的。2029年に人類絶滅の危機に追いやられる。実現性不明。

3.ハレルヤ(虫プロ)
協調性低い。攻撃的。実現性不明。

4.アルファ碁(Google)
実現されている中で最も若く賢い。ディープラーニングをするそうだ。囲碁が異常に強いものの、残念ながら囲碁しかできない。

これらは、ともかく、ネットワークを利用した集合知が、新たな都知事の選出といった社会の意思決定、判断にもう少し取り入れられて然るべきです。

2016年5月17日火曜日

精査

精査の真っ最中なのかもしれません。
東京五輪招致「コンサルタント料」、契約書など確認できず

Q.契約書そのものは存在しないんですか?
 「契約書は保存されていると思います」(JOC側)
Q.どこに?
 「JOCにはございません」
 「正確な場所は我々も聞いていません」(JOC側)
猪瀬前都知事の領収書にも似た契約書が公開されるのでしょうか。言い含められた元担当者と一緒に。これは精査でなく工作です。
”これ以上の報道は差し控えろ”
これは精査でなく恫喝です。

2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

2016年4月2日土曜日

判断

偶々、タイミングよく虚を突かれて了承してしまったのだと思います。判断や対応の妥当性についてご意見を賜われればありがたい処です。

先日のある金曜日、午前九時を過ぎた辺りでしょうか。自宅にいた所、
”屋根の〇〇が浮いていますよ。”
と戸外から声をかけられました。で、戸外に出て声をかけてきた若い男が自宅屋根の指差す部分を見てみました。建築についての知識が乏しい私には”〇〇”は聞き取れず、たとえ聞き取れたとしてそれがどこの部分を指すのか分からなかったと思います。(後で屋根と壁の取り合い部の雨押えという部材であることが判明。)

で、
”屋根の〇〇が浮いています。このままでは雨が入って雨漏りし出します。”
と言うわけです。”ウチはそういう工事を頼む所は決まっているから。”と応えたのですが、
”偶々近くで工事をしていまして、材料を持っていますので2000円でコーキングして応急処置をします。”
と。”本工事は知り合いに頼むけどそれでいいなら。”処置を了承しました。そんな金額で屋根に上がるのか、といった問には、
”宣伝です。”
とか、
”私達の仕事を知ってもらいたい。”
との返事でした。 工事業者の知り合いがあると伝えたものの、宣伝のためという返答に、”そんなものか”と一応の整合性を感じ、午後から上記応急処置をする運びとなりました。名刺も渡されました(=身元、所属が確認できる)ので、まぁ、悪徳リフォーム業者ではないだろうと判断したわけです。屋根に上った経験がある私には、2000円で屋根上の仕事をするものなのかと、半信半疑ではありましたが...

午後からの工事ということでしたので、当然、該会社名で検索しましたが悪い情報は見つけられませんでした。消費者庁、国民生活センターのwebサイトでも当該業者の名は検索されませんでした。

”じゃ、いいか”、と思っていたのですが、結局その日の午後業者は現れませんでした。業者の知り合いがあることを伝えていて、大きな工事に繋がるわけでもありませんから、”ばっくれたのかな。週明けにでも知り合いの業者に不具合について相談してみるか。”というつもりでいました。

土日を挟んで週明け、もうこの話は無くなった気でいました。ところが、月曜の朝、同じ業者が、

”どうされますか?”
と。

土日とはいえ、調べる時間的余裕を十分作った上で打診してきたわけです。補修を了承しました。実は土日の時点で話が無くなったと思い込まず、もう少し雨押え補修の必要性について調べるべきだったのかもしれません。

当日午後から補修工事に取り掛かることになったのですが、ふと、事前に指摘部分を撮影しておくことを思いつきました。特に深い考えはなく、一体何処がどうなっているんだろう、という思いからでした。

梯子をかけて指摘された辺りを撮影、印刷してみたものの、よく判らないままです。何処に雨漏りの恐れがあって何処をコーキング剤で塞ぐのか...雨押えの裏側は指が入る位空いていても構わないような情報も見かけましたし。

午後になって補修工事を始める段になって、写真を見せながら、業者に尋ねてみました。何処がどうなって何が問題なのかと、実は不要なんじゃないかと。
”放っとくといつか雨漏りします。”
などといった、何だか要領を得ない返事でした。こちらも不要という確信はありませんでしたから、まぁ、そうなのかと、断ることなく補修を進めてもらうことにしました。大した金額ではありませんでしたし。
”補修部分の写真も撮ってきます。”
とコーキング剤を手にした業者が屋根に上がり戻ってきました。十分程度でしょうか。

戻ってきた業者の話を聞いて、疑問が氷解しました。やはりセールスだったわけです。スマホで撮影した補修部分の写真をチラッと見せ、
”他にも割れた部分がありましたので補修しておきました。”
とか、
”屋根材がかなり古くなっているので...”
などと屋根全体の塗装、修理を勧めてきました。断ったのは言うまでもないことなんですが。

下はコーキングで応急補修をしたと称される、雨押えの盛り上がった部分の写真です。


”何だ、コレ?雨漏り予防の応急処置がこれなのか?”

屋根材が割れて雨漏りが生じた場合、補修前に撮影しておいた屋根の写真と照らし合わせるつもりでいます。

手元にある名刺には”創建コーポレーション”と記してありました。

残骸

以前記したUSBハブや延長コードの事例と似た話です。

シャツのボタンが取れた時、該シャツは廃棄されても構わないのか?

自宅に簡易式のハンドシュレッダがありました(下写真)。




元々2-3枚程の紙を裁断するにもそれなりの力でハンドルを廻す必要がありました。軽い力でクルクルというわけにはいきませんでした。で、ある時、ハンドルを廻しても全く紙送りと裁断ができなくなりました。ハンドルが空回りしているようです。

分解してみた所、ハンドルの回転を裁断機構に伝達する、ギヤの歯が欠損していました(下写真)。大きさは十円硬貨程度でしょうか。小径ギヤの歯の中、二枚を残してほぼ全てが折れており、これではハンドルが空回りしてしまうのも当然かと頷けました。



金属製のギヤの歯が欠損してしまうというのも、設計上どうなんだろうと思わないわけではありませんでしたが、まぁ、このギヤさえ交換すれば、本来の裁断機能を取り戻すことができるはず、と見立てました。

じゃ、どうやってこの補修用ギヤを入手するか、になるわけですが、入手は不可能でした。メールで問い合わせた処、
せっかくお問い合わせをいただき、大変申し訳ないのですが、お問い合わせの部品は、単体の在庫がなく、一般商品でセットになった状態となっておりますためご用意ができかねます。
とのこと...確かに安価な製品ですから、そのまま廃棄することもやぶさかではありません。ただ、金額の多寡ではなく、小さな部品一つの破損で本体全てが無用のゴミと化して廃棄せざるを得ないことに釈然としないものを感じています。

このタイプのハンドシュレッダは各社から製品化されているようですが、ネットで検索しても、Amazonのレビューを見ても結構壊れているようです。破損部分も駆動部分のギヤ歯欠けとほぼ同じです。

結局、このタイプのシュレッダに共通する大きな破損原因は駆動部のギヤの強度、耐久性のようです。これだけ、原因が特定できているならば、もう少し破損に備えた対応が可能なんじゃないかと、メーカの対応に疑問を抱きました。決してギヤの破損に対して指摘する意図はありません。

ギヤの強度向上は難しくとも破損が予測される消耗品と捉えれば、補修部品として用意、或いはスペア部品として製品に添付すれば十分です。

この小さなギア一つの破損でシュレッダ全体が無用の長物となり廃棄せざるを得なくなることに抵抗を覚えるわけです。社会全体では結構な量のハンドシュレッダの瓦礫の山が築かれているのでは、と想像します。使い捨て文化の、そういった部分に社会の非効率性を感じています。ハンドシュレッダが紙の裁断屑を産み出すことは理解していましたが、シュレッダ自体が無用のガラクタになることまで思いが及びませんでした。

そして、やはり最後は、無用なガラクタを産み出さないハンドシュレッダとヤジを飛ばさない政党、実現可能性があるのは何方?という問で結ぶことに致します。

2016年3月29日火曜日

依存

3/25(金)にプロ野球が開幕しました。それ以降ここ数日、世間を騒がせた各球団の賭博、及び金銭授受問題は水を打ったように一切報じられなくなりました。まるで、そんな不祥事などなかったかのようです。

まぁ、高校野球も含めて野球はメディアと強く結びついていますから...大事なコンテンツの一つとして水さすような真似は封じられるのでしょう。NHKも例外ではありません。記者クラブに加盟していない、或いは加盟できない、暴走?、狂犬?”センテンス-スプリング”は一つの例外でしょうか。
都合の悪い記事を掲載した媒体を「出禁」にするNPB、野球報道も情報統制されている
サンケイ、NPBに「出禁」を食らう|野球報道
かつて池上彰氏は、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事に対し、”朝日新聞は謝罪するべきだ”とする批判記事の掲載を拒絶されました。それを受けて、氏はコラムの連載中止を申し出る、といったお返しをしました。

このケースよりえげつないというか、悪質かと思うわけです。力関係の差が大き過ぎます。この辺り池上さんが触れないのは専門外なのか、賢いからなのか...

ウェブ上では早くに、
それでもヤキューは始まるか

プロ野球炎上の陰で面白くなってきた大相撲
といったエントリがアップされたりで例年通りの開幕に批判的な声も少なくありません。相撲界で起きた、やはり賭博に関わる不祥事の対応に倣って、開幕の中止や順延、無観客試合の開催、徹底的な調査で膿を出し切ることこそが優先等、施策が提案されています。

しかしながら、新聞、テレビといった旧来からの、
ズブズブの関係にある伝統的メディアでは全く取り上げられていません。触れることすら憚られるのでしょう。ある種の恫喝でもあり、上述のサンケイの事例は見せしめとも受け取れます。  

じゃ、観る側はどうかといえば、こちらも何だか、目を背けているかに映ります。禁忌扱いになっているのでしょうか。
――人は自分の見たいものしか見ない――
の裏返しなのかもしれません。このように両者に都合のいいように”なかったこと”にして印象が弱められていくわけです。 上手くダメージコントロールしているというか、皆さん大人です。

ここで不思議なのはやはり、何が観る側をそこまで寛容にしているのか、ということです。これまでプロ野球に限らず、贈賄、ドーピング、八百長、賭博といった、大凡スポーツに対して抱くイメージと真逆に位置する様々な不祥事が発覚、或いは疑惑が生まれてきました。現役選手のみならず運営組織も含めての話です。

ざっと思い浮かぶだけで FIFA、ロシア陸上界、角界、柔道界...その度にメディアは大きく報じるわけですが、やがて尻すぼみとなり、いつしか以前と同様の感動を伝える声で埋め尽くされていきます。

これは実は、観る側をスポーツ依存に陥らせているんじゃないか、とするのは穿った見方でしょうか。なんだか、初等教育課程で学習した、内政安定のための仏教の利用(鎮護国家)に似たものを感じてしまいます。なにか特定の目的のためにスポーツを利用している、そんな印象すら抱いてしまいます。国威発揚だったり、事業としての利益もそうなんでしょう。

先日、元読売Gの清原が覚醒剤所持容疑で逮捕、保釈され、今後、薬物依存の治療を受けていくと報道されました。併行して、手放しのスポーツ依存からの解放ももう少し論じられてもいいんじゃないか、と思った次第です。エンドルフィン分泌のような生理的な話なのか、スポーツに絡む権益を受容している社会システムに遡る問題かは解りません。もう少し考えてみます。

2016年3月27日日曜日

真逆

”走る歓び”とは逆方向の話なんじゃないでしょうか。
自動運転タクシーの実証実験、来年初めから開始=政府

自動運転と言えば真っ先にGoogleで開発が進められているグーグル・カーが思い浮かびます。一方、”走る歓び”の文言で想起されるのは、マツダの

Be a Driver.
トヨタの

FUN TO DRIVE, AGAIN.
といったところでしょうか。
じゃ、”走る歓び”って一体何だと、運転者だか、同乗者、所有者を歓ばせる正体は自動車の何だろうという話になるわけです。

所有者であれば所有する歓びです。運転に関わらない同乗者が”走る歓び”を感じられるなら、上述のグーグル・カーを含めたバス、タクシーでも構わないわけですが、それも違うんじゃないかと。自動車メーカーが消費者の購買意欲を煽れませんから。プロモーションになりません。


やはり、運転者の、”運転する歓び”即ち”走る歓び”ということでしょうか。これはおそらく、”機械を自分の思い通りに操る歓び”なんでしょう。その結果、己の体力のみでは不可能な加速感や景色の変化を自在に体験できるわけです。

機動戦士を操縦する心情に通底したものがあるのかもしれません。

ただ、上記マツダのリンクにある、

ドライバーとクルマの関係を、
もっともっと深いものへと変えていく。
人とクルマが息を合わせる。
走る歓びを分かち合い、深い愛着を覚える。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
クルマは単なる道具ではない。
私たちは、人とひとつになれるクルマをつくっている。
には素直に共感できないでいます。車は道具です。人馬一体が自動車でも起こり得るかの如く上記文言ですが、擬人(馬)化しても自動車は輸送機械の一つです。あくまでも、運転者が自動車に慣れ、習熟するのであって、単に人が車に合わせているに留まります。ミもフタもない話かもしれませんが...

トヨタのサイトには単に”クルマの楽しさ”とあるのみでその言葉が何を示しているのか不明です。抽象的な観念論ではなく、具体的な説明を望みたい処です。

勿論、だからといってマツダやトヨタの車を批判しているわけではないことは申し添えておきます。

このような視点に立ってみると、やはり自動運転は自動車という機械の到達目標の一つであるのは間違いありません。一部車種では、アイサイト(衝突被害軽減ブレーキ)、インテリジェントパーキングアシスト(駐車・車庫入れアシスト)といった運転アシスト機能は既に取り入れられていますし、単純なクルーズコントロールはかなり以前からありました。

何だか、”走る歓び”とは逆方向の車社会に進んでいくような気がしますが...自動車メーカが”走る歓び”と自動運転をどう折り合わせるつもりなのか、関心を寄せています。

いつまでも ”走る歓び”を謳って購買意欲を喚起するのもどうなんでしょうか、個人の所感です。

一方、そういった自動運転へと向かう流れに対し、”クルマの良さが失われる”、”自動車はやっぱり自らの意思で自由に操れなきゃ”といった否定的な声も上がっています。おそらく、自動運転による必要以上の便利さ、快適性に対する要求を不要のものとして拒みたいんじゃないかと推測しています。

思い違いです。他人の痛みがわからない、思いを馳せることができないということかもしれません。そうであろうことを理解することは容易です。容認しているわけではありませんが。

第一義的に便利さを求めるのではなく、交通事故による理不尽な不利益を少しでも減じる、これが自動運転の主たる目的と捉えています。酒酔い、高齢者、暴走、突然の疾患等、故意、過失を問わず、被害者自身の責に全く依らない悲惨な交通事故は未だ後を絶たないのが現状です。

このエントリを記し始めてもたもたしている間、今日までだけでも一体どれだけの、交通事故による理不尽な不利益を被った被害者が生みだされてしまったのか。

パトに追跡され暴走、4台事故 1人死亡 東京・世田谷
山陽道トンネルで車12台絡む多重事故 2人死亡 広島
【梅田・車暴走事故】重体28歳女性は横断歩道上、死亡65歳男性は歩道上で最後にはねられたか 死傷者の状況判明
十分ではないものの、こういった謂れのない事故被害の低減に寄与するであろう自動運転を、個人の趣味を優先した尤もらしい”走る歓び”の語で水さす物言いに独善的な印象を禁じ得ません。

それは恰も、天然鰻を出す料理店を、その写真と共に嬉々として紹介するグルメブログと同じ身勝手さを感じます。そういったブログで、天然/養殖、鮮度、食品添加物の問題に関連付けて健康、環境とかを上から目線で論じられても、誠実さ、真実味、信頼性を欠いているなぁ、と思うわけです。胡散臭さ、欺瞞性は伝わってきますが...

昨今、運動会や体育祭といった学校の伝統的行事の一つとして行われてきた組体操について、中止を求める声が上がっています。

【組体操】事故は年8000件だった「安全確保できない場合は中止を」スポーツ庁
事故の例
で、当然、”感動”、”達成感”、”団結心”といった語で組体操の意義を説く声も生まれます。
それでも私が組体操に取り組む理由。ある現役教師の告白
典型的な考えは、
大阪の現場の先生方、教育委員会の戯言は無視して、これからも、今まで通りに安全を確保しながら、挑戦すべきは挑戦していけばいいです。保護者たちも、ケガや骨折は成長の一環と受け止めてあげてください。今の日本に不足しているのは、そういった「覚悟」だと思う。
といったところでしょうか。”走る歓び”、”天然鰻”、更には、”事故前の原発の安全神話”にも通底した他人事感満載の意識だなぁと。


まぁ、自分(とその周囲)は大丈夫だろう、他人の痛みには共感できない、というのも尤もな話で、理解できないわけではありません。しかしながら、そうは言ってももう少し賢い一歩に駒を進められないものなのかと、改めて思った次第です。

2016年3月15日火曜日

民進

民をどこに進めるのでしょうか。政党名の決定まで、右往左往してどれだけの資源を浪費したのか...

牛歩戦術の遺伝子がしっかり受け継がれているとしか思えません。民主主義の手続きには時間がかかることは承知していますが、名前を決めるだけでこれじゃぁ。政策とか選挙戦略など、より重要な決定を迅速に下せるのか。

烏合の党と化して空中分解するのも時間の問題かもしれません。

定石

又今日(3/15)も窓ガラスが割られていました。NHK朝ドラ”あさがきた”のドラマ内の話です。

女子大の設立に向けて奔走する主人公に対する、正体不明の悪意を石礫に代弁させているわけです。朝ドラの主人公に対する伝統的な攻撃手法です。政権に配慮してか、戦時下の時代設定ではないので、”非国民”とか、”国賊”といったビラには包まれていませんでしたが。

その前週には結婚後間のない、主人公の甥が兵役に徴用されています。戦死させて厭戦を煽動するには絶好というか、伝統的な立ち位置なわけです。この部分は史実に基づくものではなく、創作のはずです。制作者側のどういった意図がこの部分を付加したのか...

Wikiによれば朝ドラは、
作品は、主人公の半生・生涯を中心に、それをとりまく家族や家庭を描いたホームドラマの体裁がほとんどであり、原則的に主人公は女性(ヒロイン)。
といった特徴があるわけですが、 ”石礫”と”徴兵”、”厭戦”、”情宣”もキーワードとして追加するべきと存じます。

2016年3月6日日曜日

代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ね”ブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に”二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。