2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

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