2017年12月29日金曜日

公平

12月に入り、NHK受信料を巡る訴訟において裁判所から二つの判決が下されました。
NHK受信料「合憲」=テレビ設置時から義務-「知る権利を充足」最高裁が初判断
NHK受信料ワンセグ携帯も義務 支払いで、東京地裁
前者は放送法で規定された受信料制度の合憲性を争う訴訟で、”受信料制度は合憲であり、支払い義務はテレビ設置時から生ずる”、という判断を示すものです。後者は、ワンセグ機能付き携帯電話の所有が、NHKとの受信契約を結ぶ義務を生じせしめるかを争う訴訟で、”受信契約を締結する義務がある”との判断を示すものです。

NHKに関しては思う処が少なからずあり、上記判断と絡めて記してみます。


(1)大法廷判決 受信契約締結承諾等請求事件について

裁判長はこの程定年を迎える、寺田逸郎最高裁長官でした。退任に際し記者会見を行わない意向とのこと。個別の裁判についての質疑を受ける機会を極力排除したい、という意図なんでしょうか。本件も含め...

さて、上記判決書、及び、毎日新聞の判決要旨では、放送法64条で規定された、”受信設備を設置した者はNHKと受信契約を締結しなければならない”という契約の強制性についての合憲/違憲の判断が示されています。
前記の同法の目的を達成するのに必要かつ合理的な範囲内のものと して,憲法上許容されるというべきである。
立法裁量の範囲内で合憲とのことです。ここで、前記の同法の目的とは、”公共の福祉のための放送を行う”ことです。この目的を達成するにあたって従うべき原則が定められています。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
3. 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
不偏不党、真実及び自律の保障、健全な民主主義の発達ですか...

上記判決が公開された時、素直に首肯できない違和感を覚えたのですが、それがこの放送法の目的辺りに由来したものであろうことは間違いありません。恰も、この目的に対し現在のNHKの放送内容が適切であることを前提として下された判断、という印象です。主観に基づく見方であるのは否めませんが。

理屈としては、受信料制度の合憲性を争う訴訟において、NHKの放送が果たして公共の福祉に寄与しているか否かは別の問題、論点が違うと付されるのかもしれません。

判決文中では、”表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与する”ものとして、放送の意義が規定されています。しかしながら、その意義を反映した放送の目的を適えるべく、実際の放送が行われているか否かの判断はされていません。

つまり、”健全な民主主義の発達に寄与する放送が行われているならば、受信料制度は合憲である。”という理解です。受信料制度の合憲性を争う前に、争いの対象となる条件を満たしているのか、ということです。

本来であれば、受信料制度の合憲性を争う以前に、健全な民主主義を発達せしめるという原則の下、放送が公共の福祉に寄与しているか否かが問われて然るべきと考えます。現行の放送が放送法を遵守したものであるとの判断は、受信料制度の合憲性を争うための必要条件です。

換言すれば、受信料制度が合憲であったとしても、それは無条件に是認されるものではなく、放送法によって限定された合憲ということです。例えば、戦前の戦意高揚、プロパガンダを目的とした、明らかに放送法に抵触する放送をNHKが行った場合、受信料制度を合憲と認めることはできません。

その一方で、受信料制度が違憲であると断じる意図はありません。NHKの事業運営の財源を受信者に求める原則部分についての異論はありませんが、受信設備設置者にNHKとの受信契約、即ち受信料負担を義務付ける、という運用部分には強い反発を覚えます。受信設備設置者、即、NHKを選好した視聴者とみなすことに飛躍というか横暴さが否めませんし、何よりNHKの放送法を遵守した事業者としての適格性についての疑義があるためです。

NHKは自身が行っている各々の放送が”民主主義の発達”に対しどう寄与をしてきたのか、或いは、放送法の目的を達成するためにどういった論理で放送を制作しているのかを受信者丁寧に説明し、理解を得る義務がある、と考えます。
受信契約者の知る権利を行使する以前の、NHKが率先して為すべき義務です。

”朝ドラ”、”大河ドラマ”、”アサイチ”、”ためしてガッテン”、”家族に乾杯”が健全な民主主義の発達にどう資しているのか...”ニュースウオッチ9”ですらドラマの番宣やポピュリズムを匂わせる情報がふんだんに盛り込まれていて報道というよりニュースバラエティの色合いが濃くなってきているように感じます。

付け加えれば、”健全な民主主義の発達”というのも曖昧な印象を禁じえません。ゴールというか到達目標、及び、現在位置と問題点について説明を求めたい処です。


又該判決文では、受信設備設置者間で受信料負担の公平を図るため、”受信契約の成立によって受信設備の設置の月からの受信料債権が生ずる”とするのが合理的と記されています。

これは受信設備設置と受信契約の期間の差異、同じ受信設備設置期間であっても受信契約期間の長短で受信料負担に差が生ずる不公平を解消するためです。しかしながら、そういった各々の契約間での受信料負担の公平性に配慮する以前に、優先的に公平性を保つべき問題が蔑ろにされているとみています。

放送法では、現在、受信契約は世帯ごとに締結するよう定められています。ここで、三世代同居で各々の世代毎にテレビを保有する世帯と、単身勤労者の世帯を考えてみます。

視聴者一人が得る情報の対価という観点では、前者の各人が後者より圧倒的に割安に情報を得ているのは間違いありません。前者が各世代二人で計六人、三台のテレビを設置し、個々のテレビで異なった放送(a,b,c)を二人ずつ視聴すれば、世帯全体の受け取る情報は(2a+2b+2c)です。一方、単身勤労者の世帯は同額の受信料負担でaかb、乃至はcに留まります。

更に言えば、一般的な単身勤労者が一日24時間の中で、一体どれだけの時間を放送の視聴に割くことのできるのか、勿論、学生、生徒も同様です。

”NHKは視聴しないから受信料を負担したくない、負担しない”ということではなく、視聴を希望する/しないに拘らず、現実的に視聴を制限される受信者という層が確実に存在するわけです。この層に属する世帯と、時間のやり繰りが可能で希望の放送を自由に視聴できる、例えば高齢の引退者の世帯に等しく受信料負担を義務付るというのも公平性を欠いていると言わざるを得ません。

この不公平さの是正はコンテンツ毎にPPVシステムを導入することで容易に解消可能です。受信者が希望のコンテンツのみに料金を支払って視聴する”、この方式が最も簡素で公平な形態です。技術的困難もないはずです。地上デジタル放送開始に伴って導入されたB-CAS方式により放送の限定受信は実現可能です。そのためのB-CASですから。

NHKのサイト よくある質問集には、”なぜ、スクランブルを導入しないのか”という疑問に対するQ&Aがあります。以下が、スカパー!やWOWOWといったいわゆる有料放送に倣って視聴希望者のみと個別に契約をするべき、といった声に対する回答です。

  1. NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
  2. 緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。
  3. スクランブルをかけ、受信料を支払わない方に放送番組を視聴できないようにするという方法は一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題があると考えます。
  4. また、スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。
この回答からは、各個人が受け取る情報に対して負担を強いられる対価の不公平さは解消されません。繰り返しますが、視聴したい/したくないではなく、現実問題として、したくとも視聴できない層が被る不利益に対して全く説得力が欠けています。”いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく”と大義名分を一方的に宣われても、時間的、位置的に視聴が適わない受信者が減少することはありません。

上記回答にある「健全な民主主義の発達」を謳うのであれば、こちらも先述した、”朝ドラ”、”大河ドラマ”、”アサイチ”、”ためしてガッテン”、”家族に乾杯”、更には”ブラタモリ”や、大相撲の他、NHK杯の名を冠する競馬、スケート、体操等のスポーツ、将棋や囲碁の対局中継が該民主主義の発達にどう寄与するのか、制作意図と共に丁寧で論理的な説明がなされるべきです。

勿論、短絡的にこれらの放送を否定する意図ではありません。ただ、面白い、興味深い、視聴者に求められてる、といった理由でNHKのコンテンツとして容認するのではなく、「健全な民主主義の発達」との整合性を問いたいわけです。

上に挙げた番組は視聴者に人気の番組ではあるものの、民主主義の発達への寄与を意図して制作されたものではないかもしれません。だからと言って、社会生活の基本となる確かな情報を提供したり、豊かな文化を育む番組としての適否の視点からも適切性に疑問符をつけざるを得ません。公共の福祉に対する有用性が明らかにされないままこれらの番組は放送され続けています。

”社会生活の基本となる確かな情報”、”豊かな文化を育む”では語義が曖昧過ぎです。こういった、なんとなく有用性のありそうな抽象表現ではなく、”社会生活の基本”、”確かな情報”、”豊か”、”文化”、”育む”の個別具体的な定義をした上で、目的を達成するに当たっての各々の番組の制作意図が開陳されて然るべきと考えます。これは、視聴者からNHKに知る権利が行使されてではなく、NHKに元来課せられた義務の一つとして、自発的に明示されなければならないことを付言しておきます。


追記していきます。

懸案3

前のエントリに続けて、ホルモンを快適に焼く器具として、上火加熱方式を採用した調理機器の可能性を検討します。

少し調べてみますと、様々な器具があることが判りました。大別すればカセットボンベを含むガスの燃焼エネルギを利用するタイプ、或いは電気を熱エネルギに変換するもの、といった処でしょうか。

適わぬ理想は炭火の上火加熱です。網の上におこした炭を載せ食材の上にかざせばいいのですが、ただ、食材への灰の降りかかり防止が困難です。

実現性がありそうな理想をカセットボンベを採用した器具として調べてみました。

実は本エントリを記すに当たり改めて上火加熱型の機器を調べてみた処、ニチネンからカセットボンベを使用した上火加熱型の遠赤グリルが新たに発売されていました。発売してまだ間もないためその評価はまだこれからのようですが、写真を見る限り加熱部の面積はそれほど広くないようです。円形状で直径30cmといったところでしょうか。

加熱部分の面積が十分あって、ホルモンが快適に焼けるようであれば、確実に地団駄踏んでました。新規に購入していたかもしれません。幸い(?)なことに該部分が求めているほど広くはないため、購買衝動を抑えることができました。

カセットボンベを使用する上火加熱型のグリルは、最近発売された該機種のみで、以前は見つかりませんでした。必然的にホースで都市ガス、或いはLPガスを供給して使うタイプに限定されます。

鰆や銀ムツ(マジェランアイナメ)の照り焼きを求めに訪れる仕出屋があるのですが、そこでは上火加熱型のグリルを使って照り焼きを焼き上げています。こういったタイプのグリルは、例えば、
赤外線グリラー上火式
で容易に見つかりました。ただ、この機器はキッチン据え置きになり収納できません。”開業する気か!”と周囲から非難されるのも確実で断念しました。

では、家庭での使用に適した、できれば収納可能な小型の機器となると....ないようです。。厳密にはリンナイパロマの好適そうな製品を見つけたのですが、既に販売終了でした。

前者はリンナイ製コンパクトグリラーR-3452-3でバーナーを回転することによって上火と下火を切り換えられるスグレモノのようでした。

実物は滋賀県の鮎茶屋かわせという鮎料理店見ることができます。














パロマからはPY-8という卓上型の業務用焼物器があったようです。
コンロ

発売日が1969年07月とありますからかなり古い機器で、こちらも既に販売終了...

結局、上火加熱型で、熱源にガスを使うタイプでは満足できる機器がなかった、ということです。以降、電気を利用した上火加熱型のグリルを検討することになるのですが、手詰まり感と共に熟考というか放置期間に陥りました。

上火加熱でホルモンを焼く電気機器としてザイグルは使えないか、という考えはありました。上火加熱型グリラーとして最初に念頭に浮かぶ製品ではありますが、試してみようという気に全くなれませんでした

その理由は、
1.最も重視すべき基幹部分であるヒータについての情報が不十分。
2.テレビやラジオの通販番組で取り上げられていた。
ことにあります。カーボンヒータ使用、出力1200Wとあってもグリルとしての能力を推測できません。カーボンヒータの仕様も放出される赤外線についても不明です。その一方、通販番組では恰も焼肉をするための完璧な機器であるかの如く喧伝されていて、一歩引いて見ていました。デモでもあって実機の性能を体感できれば話は違ったかもしれませんが、全く検討対象にしませんでした。

時は流れて....自宅で局所暖房用にコロナ社製コアヒートを使用し始めたのは3-4年前でしょうか。この暖房機は温度調節ダイヤルを最小にしても、ヒータから放出される遠赤外線で局所暖房として十分な暖を取れます。搭載されているBC(ブラックセラミック)コーティングシーズヒーターが高性能なんでしょう。ヒータを赤変せずとも暖かさを感じました。

その後、ネットのどこかでこのヒータで焼き芋ができる、という話を見ました。改めて検索してみると、コアヒートでサツマイモを焼いているいくつかの画像を探すことは容易でした。ただ、この時はまだ”このヒータを使ってホルモンを焼く”ことまで繋げられませんでした。

しばらく、”高性能の暖房機”という見方から脱することができませんでしたが、今10ー11月頃ようやく、
”暖房機に搭載されている多量の遠赤外線を放出するヒータを、横向きにして上火の熱源にすればホルモンが快適に焼けるんじゃないか?
という思いが頭を過った次第です。特段なにかきっかけがあったわけではありません。本来ならばもっと早く気づけたはずですが、結果としてこのタイミングが後で功を奏することになります。

メーカのサイトを見てみると、コアヒートスリムの基幹部材であるヒーターについてその特徴が記してありました。上述のBCコーティングシーズヒーターで、
遠赤外線を発するシーズヒーターに、高輻射ブラックセラミックコーティングを施し、人体に吸収されやすい3~20ミクロンの遠赤外線がよりたっぷり放出される設計になっています。
とのこと。”人体に吸収されやすい”、即ち”肉を焼くのに適している”と理解しました。ただ、コロナ社からは該ヒータを利用した調理器具は製品化されていませんでした。

そこで、遠赤外線の放出効率の高いコーティングシーズヒーターを探してみた処、
遠赤外線ヒーター(セラミックコーティングヒーター)
遠赤外線シーズヒーター
等が見つかりました。この辺りの適当なヒーターを入手できれば自作も可能と考え、これを選択肢の一つとしました。同時に、高性能のヒータを採用した電気式暖房機であれば、ヒータの特性、仕様が詳述されている、という部分に着目し、コロナ社以外の暖房機についても調べてみました。

その結果、”アラジン”ブランドを擁する日本エー・アイ・シー株式会社が、自社技術による遠赤グラファイトヒーターを採用した、多彩な電気式暖房機を製品化していることを知りました。更に、上火式調理器具まで...

飛びついたのは勿論です。

正にこういったものを作ろうとしていたわけですから。ただ、該遠赤グラファイトヒーターは部品として入手不可能のようで、前記遠赤シーズヒータを使う以外選択肢はありませんでしたが。

上記”功を奏した”というのは該製品の発売日が2017.10.16だったということです。発売日がもう少し遅かったら自作に踏み切り、年の瀬の今頃にっちもさっちもいかなくなって途方に暮れていたかもしれません。

問題の使用感ですが、煙の発生、脂の飛散はありませんでした。ただ逆に食材が僅かに焦げることで加わる香ばしさにはやや欠けた感があります。相反しますからこれは当然です。最初に食材を載せた後、焼き上がるまで従来のガス火やホットプレートの場合より、時間がかかるようにも思いましたが、それほどの待たされ感はなく、又、焼き進める中に気にならなくなりました。

まだ使い始めたばかりであり、更に使用を重ねて評価すべきですが、現時点では概ね満足している処です。

2017年12月25日月曜日

請求

年の瀬と言えばクリスマスケーキ、おせちでありノルマと自腹購入です。先行している年賀状も該当します。そこで民放の番組によく登場するのが”大手コンビニ”です。”大手コンビニ”というコンビニチェーンがあるのか?

大手コンビニの匿名社員、匿名アルバイト...真実性に疑義が生じるほど実名が全く秘匿されています。プライバシーに配慮とか当事者が被る不利益を防ぐ、ということなんでしょう。
”実名を明かさないことを望むなら、広告宣伝費や番組協力費を出せ。”
と聞こえるのは空耳かもしれません。

ところで、槍玉に挙がるのは殆ど大手コンビニです。親会社、関連会社に位置づけられるスーパー他の流通会社からそういった話が全く出てこないのは何故なんでしょうか。

念仏

念仏と同じでどこまで理解して使われているのでしょうか。
アメリカでは「メリークリスマス」とは言わない
「メリークリスマス」忌避なぜ
米国から受信するE-mailも"Happy Holidays"の語が使われています。

今日(12/25)でもNHKで出演者が高らかに"メリークリスマス"と叫んでいました。元解説委員長も含めて...

日本で主に信仰されている仏教や神道は基本的に多神教であり、他の宗教に寛容です。ただだからといって、かつての"メリークリスマス"の(行事の規模として)本家である米国で使用を控える動きが進んでいることにお構いなしに、あっけらかんと、脳天気な声で"メリークリスマス"の声が聞こえてくる、というのも違和感を禁じ得ないでいます。しかも、日本の公共放送で...

2017年12月24日日曜日

懸案2

前のエントリに続き、煙の発生を抑え、油(脂)跳ねの心配をすることなく自宅でホルモンを焼くことを考え続けていました。

この時点で、カセットコンロと焼網や焼肉プレートの組み合わせといった小手先の対応では難しい、という認識です。抜本的に熱源から検討しなければ、という考えに至りました。

確かに、業務用、無煙、ロースターで検索される器具なら可能かもしれませんが、開業するわけではありませんし...保管場所にも困ります。

これらのロースターの共通点は、やはり遠赤外線でしょうか。焼き上げるプレートにはいずれも孔があり、余分な脂を落とす構造になっています。この落ちた脂が熱源に触れて炎上、煙に発生を引き起こします。孔がなければ滲み出た脂が飛散します。多くの器具では落ちた脂が熱源に触れないよう、食材直下の位置を避けて熱源が配置されています。

熱源はガス火でセラミック炭を加熱、そこから発生される遠赤外線やハロゲンヒーターです。ただ調べてみると、食材から落ちる脂を確実に熱源に触れないようにすると、食材-熱源間が離れて火力不足になります。又、焼き続けてプレートの汚れが進むと、油跳ねしたり煙が発生するとのレビューも見ました。(プレートを水冷するロースターもありますが業務用です。)

食材直下の熱源、直火でなく、斜め下、遠赤外線による輻射であっても自宅で快適にホルモンを焼くのは問題があるようです。

何度ニチネンの遠赤外線グリル(CCI-101)をクリックしようとしたか...思い留まれたのはAmazonやカカクコムのレビューのおかげです。

次に、上記レビューこれまでの失敗を踏まえて、煙を漏らさず、脂を飛散させない密閉状態か、上方からの加熱による方法での問題解決を検討しました。

密閉状態で食材を焼き上げる方式として挙げられる器具は、フィッシュロースターとその派生型であろうマルチグリラーです。

高評価の、象印 フィッシュロースター EF-VG40-SA他について、メーカーのサイトやレビューを読んでみると、上手く焼けるようです。サンマが。まぁ、当たり前です。フィッシュロースターですから。煙やニオイ成分もカットできるようです。但しサンマですけど。”こんなものも焼けます”には焼きとり、ローストチキン、焼豚、焼きなすは例示されていましたが、いわゆる焼肉用の肉、ホルモンは記載されていませんでした。

”焼けない”ということはないのでしょうが、メーカとしてはそれはホットプレートの役割という意図かもしれません。フィッシュロースター、ホルモンをキーワードにGoogleで少し検索してみた処、範囲を広く取った焼肉の事例はあったものの、ホルモンを焼くことに焦点を絞ったサイトは見つかりませんでした。

そこで、フィッシュロースターでホルモンを焼いている状態を想像してみますと、熱源の組み込まれた蓋をしてフライパンで焼くようなものでしょうか。大きな違いは下方から、


[熱源(ガス火)-フライパン-ホルモン-熱源(蓋)]
ではなく、
[水の層(受皿)-熱源(ヒータ)-網-ホルモン-熱源(蓋)]
という構成です。余分な漬けダレや滲み出た脂は受皿にある水の層に落ちますので、フライパンの場合のように蓋を取った途端、フライパンに溜まった煙がでて脂が跳ねまくるということはないのかもしれません。しかしながら、漬けダレや滲み出た脂が受皿に落ちる際、ヒータに触れることで煙の発生や、着火は避け得ないとみています。密閉された加熱部内で、フライパンの場合程ではないにしても脂は跳ね、煙は充満するだろうと。

上記象印製フィッシュロースターには煙やニオイ成分をカットするプラチナ触媒フィルターが組み込まれていますが、ホルモンを焼いた際、該フィルターにどこまでの効果が期待できるのか、不安が払拭できませんでした。メーカーやユーザーからの情報は、あくまで魚を焼いた場合のものであって、ホルモンを焼いた場合については不明ですから。

結果的に”フライパンに蓋をして焼くより優るだろう”、と捉えています。ただ、フライパンの場合にはコンロ上の換気扇を運転しての加熱が可能ですが、フィッシュロースターの場合、それをどこに置いて使うか、という問題はあります。食卓に置いて使用していて加熱部内に煙が充満していた場合、蓋を取って拡散していく煙に対し対処する術を用意する必要があるかもしれません。かもしれません。

マルチグリラーは、パナソニックの製品ですが既に生産を終了していますので類似製品のロースター
スモーク&ロースター けむらん亭 NF-RT1000
で考えてみます。

外観は背が低
めのオーブントースタといったところでしょうか。引き出し状に構成された扉と受皿を出し入れする構造になっています。調理中は扉を閉めておくので、密閉状態が保たれたまま食材が加熱されます。加熱中に発生した煙は庫内ファンで補集、触媒フィルタへ導かれて分解、排気されるとのこと。触媒により有機物(油、煙、におい等)を酸化・分解して、においを軽減、煙も約90%カット、無色・減臭の気体として外部に排出、と記載されています。

ただ、やはりサンマを焼い場合が基準とされています。ホルモンを焼いた際に発生する、相当の分を含む、いわゆる油煙が、果たして十分分解されるだろうか、サンマで上手くいったとしてもホルモンで上手くいくとは限らず心許ない、というのが正直な印象です。

確かに本製品を使えば室内で燻製が作れるようですから、煙の分解、除去性能が優れているのは間違いないでしょう。しかしながら、脂の分解、除去性能となると不明です。検索もしてみましたが、いわゆる焼肉にこの器具を使ってみた、という例は見つかりませんでした。ただ取説掲載には鶏のもも肉を使った調理例がありますから、脂を含む食材が全く不適ということではないのでしょうが、豚肉や牛肉の調理例がないことからそれなりに脂を含む食材の調理には不向きであることを想起させます。ホルモンを焼くなど言語道断、器具の特性を無視した神をも恐れぬ所業でしょうか。

ここで、脂分の多い油煙の分解、除去が不十分であることを前提に、前記フィッシュロースターの場合と同様に脳内シュミレーションしてみます。この前提でホルモンを焼き続けると、庫内には飛散した脂が付着、蓄積していくであろうことは容易に推測できます。

取説内の”故障かな?”に記載されているように、加熱によりホルモンから滲み出た脂が受皿に落下する際、下部ヒータに触れ、庫内で発煙、引火炎上することも十分起こり得ます。

調理中庫内で瞬間的に炎が出たり排気口から煙が出る

→故障ではありません。 
魚の脂などが下ヒータの上に直接落ちると、瞬間的に炎や煙が出ることがあります。また、脂の多いものを焼くと脂から発生するガスが燃えることがあります。


この庫内での脂跳ね、発煙、炎上の繰り返しにより、排気ファンを含む庫内への脂の付着、蓄積が進みます。名古屋や渋谷の焼肉店で火災の原因となった、脂の付着、蓄積したダクトの状態に近づいていく、ということです。

更に取説によれば、本製品は受け皿に水を張らないで使用することになっています(オートメニュー使用時)。一旦、庫内で引火すると、庫内に付着した脂は勿論、受皿に落ちた脂、更には食材であるホルモンにも着火、炎上し続け庫内が非常に高温になる恐れがあります。上手く焼けるか否か以前に安全性が気になる処です。

本製品は食材の上下にヒータが配置された両面焼きの構造ですが、これが例えばマニュアルで上ヒータのみの加熱が可能ならば発煙、引火は抑制できるかもしれません。ただ、そもそもそんな機能は備えておらず、又、改造しても上部ヒータのみで上手く焼けるのか、といった疑問は残ります。

以上を踏まえると、ホルモンを焼く器具として後者のパナソニック製のオーブントースタ型のロースターの利用は向いてないなと。まぁ、メーカーも一言も触れてませんし。

前者のスーツケース様のフィッシュロースターが候補の一つであるのは間違いありません。ただ、構造上どうしても焼きながら食すというスタイルが不可能です。まとめて焼いて、焼けたら全て取り出し次を並べて焼く、というバッチ運転になります。この辺りが、候補のではあるが今ひとつ触手が伸びない、購入のクリックボタンを押させず躊躇させていました。

そこで、更なる可能性を求めて上火加熱を採用している器具の検討を始めました。


懸案3へ

2017年12月22日金曜日

後盾

既に、其処此処で提案されている話ですが、日本相撲協会が新日本相撲協会と全日本相撲協会に分裂という方向に進む端緒なんでしょうか。
錣山親方ら3親方、時津風一門を離脱…理事選は無所属で投票
ここはやはり、国技の名の下、角界の旧態依然としたムラ的体質というか既得権に胡座をかいた姿勢、これらを強固に守護してきたNHKも、返す刀で解体すべきなんじゃないかと。


追記していきます。

2017年12月18日月曜日

懸案

未だ完全な解決には至らないものの、一定の進捗が確認できました。

油跳ね、煙、匂いの心配をすることなく、”自宅内でホルモンを焼きたい”という願いは古今東西、全国津々浦々、老若男女を問わず根強くあります。

油跳ね、煙、匂いに対し、十分満足にとはいかないまでも、まぁ支障なく自宅でホルモンを焼くことを可能たらしめるに至った経緯を備忘録として記しみようかと。

焼肉店で煙や匂いを気にすることなく焼いた状態には及んでいないのは勿論です。大なり小なり検討を加えた、道具?、器具?、装置?を列挙します。より優る手法を御教示、御指摘頂ければ幸いです。

火事を起こさないことは必須条件です。

初めて自宅でホルモンを焼いてみたのは今から二十年以上前のことです。使用した器具はいわゆるホットプレートでした。経験ある方には御存知のことですが、何の対策も講じないまま漬けダレで味付けさたホルモンを焼いた結果、その脂の飛散たるや....

油煙対策として、部屋の換気扇を廻してはいたものの、フローリングの床は飛散した脂でテカテカになりました。匂いについては、食後直ぐは嗅覚が慣れてしまっていて感じなかったのですが、翌々日まで残ったでしょうか。換気扇の効果など無きに等しく、ホットプレートから発する強大な油煙になす術もなく、脂が飛散するがままに焼き続ける他ありませんでした。

爾来、ホットプレートでホルモンを焼くことは封印されました。

その後、ごく稀に、キッチンのガスコンロを熱源にフライパンに蓋をして焼いてみるものの、蓋を取った時の脂の飛散は激しく、何より強い”コレジャナイ感”を抱いていました。

片時もは言い過ぎですが、”着座して焼きながらホルモンを頬張りたい”この願いが念頭から離れることはなく、試行と思考を続けました。

まず、安易に所謂卓上のカセットコンロと焼肉用プレートの組み合わせを試してみました。中心が丘のように盛り上がったジンギスカン鍋と同様に加熱によりホルモンから溶け出た脂が排出、分離されればいいんじゃないかと。

市販の焼肉用プレート他を試してみました。それは十年以上も前の自宅の話です(リンクに意味はありません)。

まず最初に試したのは”プログレード セラミック グリル(フッ素焼き網)”という焼網です。


ホーロー加工の受皿に、セラミック加工の中網を敷き、その上にフッ素樹脂加工の施された上網を載せた構造になっています。カセットコンロのガス火によって加熱された中網から発せられる遠赤外線がホルモンをじっくり焼き上げる...そんなイメージでした。溶けた脂を受皿に落とすことで脂ハネや煙の発生は抑えられるだろうと。焼肉店のグリルのようにガス火に脂が落ちることもないので、引火して炎上することもないはず...

カセットコンロと受皿の間に挿入するスタンドも付属していました。これは受皿とガス火の間隔を離すことで上網に加工されたフッ素樹脂の熱分解を防ぐためだろうと。上網とガス火が離れていても、ホルモンを焼き上げるのに十分な遠赤外線を中網のセラミックが発するはず、と妄想していました。加えて、注意書きには”1時間以上の連続使用はしないでください”とか、”火力は中火、もしくは弱火でご使用ください”とありました。否が応でも強力な遠赤外線の放出を期待させたわけです

で、その結果は.....
焼けねーーっ
脂跳ねの心配は確かにありませんでした。何しろいつまで経っても焼けませんから。 野菜も含めてです。スタンドやら受け皿で食材が熱源から離された上、中火か弱火...最後は強火にもしましたが。焼けるには火力があまりに弱く、焼き網としての機能を何ら果たしませんでした。

”1時間以上の連続使用はしないでください”?1時間も網の上に乗せた生の材料を見つめ続けることなどできません。”しないでください”ではなく、”できません”。用意したホルモンは、キッチンのコンロでさっさと焼いて頂きました。フライパンを使用してですから、勿論、脂を飛散させながらも...箱に戻した上記焼き網を再び箱から出すことなく今日に至っています。

本当に遠赤外線は放出されていたのでしょうか。疑念は未だ払拭できていません。

次に試してみた器具はイワタニのフッ素加工 焼肉プレートです。元々、イワタニのカセットコンロ専用のアクセサリです。保有している他社のカセットコンロで使ってみて、具合がいいようならイワタニのカセットコンロに買い換えるのもありかなと。



ドーナツ状に加工された受皿の外周部に水を入れ、中央部がやや盛り上がったフッ素樹脂加工のプレートを載せる構造になっています。受皿は中空となっているためコンロからの熱は遮られることなく上部のプレートに伝えられ、食材が加熱されると。この時プレートはややドーム状となっているため、食材の漬けダレ、滲みだした脂を外周部へと流し、刻み込まれた細長い穴から受皿に落とす、そういった算段です。

ジンギスカン鍋の鉄板より積極的に漬けダレや脂を分離してハネや煙の発生を抑える、ということなんでしょう。

使用した結果としては、ホルモンを焼くには全く不十分というものでした。プレート上で、実質的に食材が加熱される部分が狭すぎます。ドーナツ状受皿の外周部には水が張られていますから、プレート外周部では水の層を介して熱が食材へ伝わることになり焼けません。食材が加熱されるのは水の層で熱が遮られない中央部のみです。直径15cm程度の丸皿に焼肉用の食材が一体どれだけ載せることができるか...一人焼肉ならまだしも、複数人で焼肉をするには不向きです。

煙も出ますし、脂も跳ねます。食材が焼ける中央部には孔がありませんから。中心から外周へ向けて傾斜はついているものの、食材の漬けダレ、滲みだした脂が速やかに除去されるというわけでもなく、小さな中華鍋をひっくり返してドーム状の頂きでホルモンを焼いているようなものでした。受皿の水が時間と共に沸いて減っていくのも気になりますし、コンロからの熱エネルギーが、”受皿に張った水を沸かすのに消費される”のも、なんだか効率的ではないなぁと。

結局、最初に載せたホルモンを焼いた後、残りはやはり前回と同様にキッチンのフライパンで焼きました。該プレートでちまちま焼くということは、長時間煙を発生させ、脂を飛散し続けるということですから。

このプレートも箱に収納されたまま今日に至っています。

以降、これ以上ホルモン向け器具の不要品を積み上げていくのを避けるべく、長い熟考の潜伏に入ります。


懸案2に続けます。

2017年12月17日日曜日

幇助

今後も絶えることなく燻り続け、時折、炎上し、ガス抜きすることで組織内に蓄積された応力が緩和されていくのだろうな、と感じるわけです。
はあちゅうが著名クリエイターのセクハラとパワハラを証言 岸氏「謝罪します」
繰り返し社員を過労死に追い込んだことで、その悪名を社会に轟かせた電通が、再び...ということでしょうか。両者共に退職しているとはいえ在籍時の話ですから、
1.岸氏は既に退職しているので、電通で答える立場にありません。
2.社員に関することは、個人情報であり、社として一切申し上げられません。
知らぬ、存ぜぬといった電通側の姿勢にも疑問符をつけざるを得ません。そういった企業体質を醸成し、了としてきた責任はやはり免れないんじゃないかと考えます。

前エントリ同様、
正業に就いて、真面目に働いたらどうなんだ?
と思います。 クリエイティビティ、創作、創造、権威、そういった虚の部分の肥大化こそがハラスメントの温床なんだろうと。

で、そういったハラスメントの原動力は、実は社会から供給されてきたわけです。大手民間企業、政府や地方自治体からの広報、企画等に絡む電通の事業収入を考慮すれば、”社会全体が電通に力を与え幇助している”とみるのも的外れではないでしょう。

電通は自律的に是正できるのか、その可否は取りも直さず社会は自ら能動的に賢くなれるのか、という問にも繋がると捉えていますが、否定的な懸念を払拭できないのが実の処です。

離合

━━われても末に逢はむとぞ思ふ━━
NHKアサドラ”わろてんか”で落語”崇徳院”を題材にした週がありました。

なんだコレ、立憲と民進の話なのか?
蓮舫氏が立憲民主入り?あまりに厚顔無恥だ
山尾志桜里氏が生番組で立憲民主党入り意向明かす
民進党、年の瀬に「解党的出直し」の断末魔
党名「帰ってきた民主党」?=大塚民進代表
どうでもいい話なんですけど、もう少しナントカナランノカ?資源の浪費以外の何ものでもない、というのが率直な印象です。

協会、組合といった既得権を有する団体には内紛がつきものなのは致し方ないことですけど。
もう正業に就いて、真面目に働いたらどうなんだ?
素直にそう思います。

2017年11月28日火曜日

兼務

パワハラ騒動に続いて熊本市議会でまた一騒動あったようです。
緒方市議の赤ちゃん同伴騒動、未だ収まらず 熊本市議会事務局「要望書の提出など、他にやりようあった」
市議会議員の議場における職務は、乳幼児を同伴しても問題なく遂行できる程度のものと理解して差し支えない、ということですか。

まぁ、熊本城を再建する予算があるならば、それを託児施設充実に振り向けるべきとは思いますが。どこまで困窮していたかについての精査は必要です。或いは、熊本市民が利用する施設に比し、国会議員や議員秘書向けのこんな施設を期待してのことだったのでしょうか。

いずれにせよ、パフォーマンスという印象が拭えません。

以前も記しましたが、議員活動の生産性など適正に評価できない現状にあります。

どんなスキャンダルがあっても、政治家としてきちんと成果を出していればそれで良いちゃんと仕事をしてくれれば、たとえ下半身がだらしなくても構わない
と同じ論法で、議場に乳幼児を帯同させてもちゃんと議員の職責を果たせるならば構わない、という見方があったとしても全く同意できません。

議場で〇〇しながら”ちゃんと”議員の職責を果たせるならば、孫は?、要介護の家族は?、愛犬は?、といった話になりかねません。あまつさえ、スマホを弄りながらの議会出席も差し障りないことになります。

酒席ででさえスマホを弄っていてカラオケのリモコンで重症を負わされる角界とは大違いだなぁと。”〇〇しながら”でも”☓☓しても”でも、”ちゃんと”の部分が不明瞭なままでは、所詮言い逃れにしか聞こえない、というのが率直な受け止めです。

2017年11月27日月曜日

投影

選挙が民主主義を具現化するツールであることに異論の余地はありません。選挙の結果は有権者の意志が正確に反映されたものでなければならないのも当然のことですし、それを最優先に実現すべく選挙制度は設計されるべきと考えます。

選挙制度によって有権者の意志が歪曲されてはならない、ということです。選挙は民意の写し鏡であって、決して魔鏡や凹面鏡であってはなりません。

以前のエントリで、選挙への不信任、不支持投票の導入について触れたことがあります。先日の衆院選において愛知七区で実施された選挙は、従前より複雑さが低く、不信任、不支持投票の効果を考える恰好な実例でした。

信任、白票、棄権といった、選挙におけるこれまでの選択肢に不信任という選択が加わった時、それが反映された選挙結果はどう変化するであろうかを推察してみます。

件の選挙区では、候補者は不倫疑惑で民進党を離党した前職山尾志桜里氏と自民前職鈴木淳司氏のみでした。山尾氏の離党は民進を含めた野党候補の出馬を押し留め、かつオール野党からの支援を受けた形になりました。瓢箪から駒とでも言うべきでしょうか。

で、前のエントリでも記したのですが、有権者はどうしろと...そんな状況でした。結果は僅差で山尾氏が当選、鈴木氏は比例で復活当選というものでした。これが愛知七区の選択、というか民度だったわけです。

ところが、その後該選挙区の11,000票という無効票の多さが報道されました。
1.1万票が無効に! 愛知7区無効票問題
いかに選択肢がなかったか、票を投じるべき候補がいなかったかを示す証左であるのは明白です。

では、この選挙で信任票と共に不信任票を投じる制度が導入されていたならば結果に何が現れてきただろうか、少し詳細に考えてみます。

まず、前の衆院選愛知七区についての数字情報を示します。
当日有権者数:448,044人 最終投票率:59.55%
                              得票数            得票率
山尾志桜里(当選) 128,163票        50.2%
鈴木淳司                127,329票        49.8%
白票          11,291票
ここで山尾、鈴木各氏と白票の、当日有権者数、及び、全投票数に占める割合を求めると、各々、28.6、28.4、2.5%であり、48.0、47.7、4.2%となります。

今更の話ですが、当日有権者数の30%以下の得票で当選となっています。10人中支持者は3人未満...それで選挙区の民意が正確に反映されているとみなせるのだろうか、甚だ疑問です。全投票数に占める割合でも半分以下の得票です。ある集団において、指示が半分にも満たないにも拘わらず代表が選出され、該代表が集団全体の意志を決定するというのも腑に落ちないものがあります。

尤もこれは件の選挙のみならず、ほぼ全ての選挙、与野党の決定、首班指名にも関わる話です。やはり集団の意志を忠実に選挙結果に反映させるには、選挙制度はどうあらねばならないか、真摯な議論があって然るべきと考えます。

この選挙に、不信任票を有効とする制度が導入されたとします。単純には山尾信任は鈴木不信任、鈴木信任は山尾信任、白票は両氏を不信任となるでしょうか。計算してみると(1)、

                   信任数           不信任数
山尾志桜里    128,163票    138,620票
鈴木淳司     127,329票    139,454票
共に信任数<不信任数で差分をとれば両者共に不信任です。信任率を、
信任率=信任数/(信任数+不信任数)
としてみると、山尾、鈴木両氏各々、0.48、0.479で両氏共に同程度に信任されていないという見方ができます。但し、上記は棄権票を信任率の算出から全く除外しています。棄権票(181,361票)を山尾、鈴木両氏支持とするならば、
                   信任数           不信任数
山尾志桜里    309,529票    138,620票
鈴木淳司     308,690票    139,454票
となります(2)。信任率は0.691、0.689であり、棄権票を全て信任票とみなせば、まぁ、70%弱の信任率になります。集団の70%が信任ということであれば、集団の意志が反映されているとするのも妥当な処でしょうか。感覚的にですが。しかしながら、相当数の棄権票を信任票としているわけですから、思い切り下駄を履いた、胡散臭いというか疑わしい数字です。喧伝には効果的かもしれません。こんな数字を使えば選良としての矜持が問われる気もします。

当選者は恰も(2)の信任率(信任数>不信任数)を獲得したかの如く扱われているように見受けられますが、(1)の信任率(信任数<不信任数)というのが実の処というか肌感覚ではないでしょうか。

棄権=白紙委任ですから、当選者は棄権票も自らの信任票として算入することができてしまいます。現行の選挙制度に基づけば、当選者は本来の信任投票数以上の過大な信任を獲得できることになっています。

有権者側から見て、”全てがハズレのくじ引きからより損失の小さいくじを選んだ”選挙結果が、いつの間にか”有権者にとって最も有益なくじを選んだ”結果に誤変換されてしまうわけです。棄権票=白紙委任という扱いがこの感覚の乖離をもたらしています。この扱いを除外して(1)の見方をすれば”、より損失の小さいくじ”を実感できます。

さて、今回の選挙で不信任票を投じることができたとすれば投票動向はどう変化したでしょうか。推測の域を出ませんが、意思表示の選択肢が増えるという点で投票率は上昇するはずです。これまで白票は両者不信任票として更に増加します。棄権票→両者不信任票と共に、やむを得ず”より損失の小さいくじを選んだ層→両者不信任票への転向も加わります。つまり、選挙区の意志がコアな山尾支持、コアな鈴木支持、両者不支持に明確に分断されるであろうことは予測に難くありません。焦点は、両者不支持の層がその意志を無視し得ない程大きくなるかです。

現行の選挙制度では、両者不信任の割合が相当程度増加したとしても選挙結果を覆し、再選挙等に至ることはないと思料しています。多分。組織、信者、盲目的支持者からの固定票もありますし。

しかしながら、棄権でも無効でもなく不信任が明示されることは、極めて意義あるという民意の表明であると考えます。この不信任の意志が強いほど、その選挙が”より損失の少ないハズレ引くくじ”を具現化したものであることを意味しますから。

このような多様な民意の明確化を原動力として、直ちには無理であったとしても、民意が正確、忠実に反映される民主主義社会へと向うことを願ってやみません。

(追記)
偶々、11月27日に実施された市川市長選で、”当選者なし”、50日以内に再選挙という結果が出たようです。
当選者なしでまさかの「再選挙」となった市川市長選挙
1位の得票者でも有効投票数の25%である法定得票数約30000票を獲得できなかったとのこと。有権者が明確に不信任の意思表示をできれば、”選ぼうとしているのは有用な当りなのか、或いは、損失の少ないハズレなのか”といった該選挙に対する有権者の姿勢を露わにすることができます。この有権者の姿勢は換言すれば選挙に対する期待感であり、これを明示することが蔓延する政治不信の解消へと繋がっていくのではないでしょうか。

該選挙の投票率は30.76%とのこと。全ての投票が有効票として、有効投票数の割合は全有権者の7.69%...集団の約8%の支持で集団全体の意志を左右する権限を持つ代表が決定されるという状況も、果たして健全な民主主義社会なのか疑問が拭えません。

2017年11月24日金曜日

行止

正に新しい酒を古い革袋に入れようとしているわけです。破れます。
名古屋城、「木造天守もエレベーターを」 障害者団体
かつて権威の象徴であった城を、為政者が自らの権勢誇示の手段、名を残す目的で復元するということに抵抗を感じます。旧いモニュメントを元に戻すより、新たな生産的創造を志向すべきです。

2017年11月22日水曜日

狡猾

勿論、更なる精査が必要ですが...

10月5日付、毎日の記事です。
愛知7区 山尾氏、1人で「討論会」 別の予定者は欠席 至学館大主催
至学館大学が衆院選を前に愛知7区の立候補予定者である民進党を離党した山尾志桜里氏と自民党鈴木淳司氏の討論会を開いたようです。

で、
鈴木氏はスケジュールを理由に欠席し、山尾氏単独で行われた。
とのこと。事実を記事にすれば、まぁ、そういうことなでしょう。なんとなく、鈴木氏が討論を避けたかの印象を抱かせる文です。”スケジュールを理由”という表現が、”スケジュールを理由として”、”スケジュールを盾に”を連想させるためでしょうか

同じ意味でも、”スケジュールが合わず鈴木氏は欠席となっため、山尾氏単独で行われた”とは与える印象が微妙に異なるような気がします。この文ならば討論を意図的に避けたような憶測は生じません。

事実はよく判りませんが、”スケジュールを理由に”という表現には意図を感じます

更に、至学館大学という場が果たして両氏が討論する場として公正な場か否かを鑑みた時、疑念が脳裏を掠めるわけです。該大学の学長は谷岡郁子氏で元民主党所属の参議院議員です。小沢一郎氏がかつて旧民主党に所属していた時、小沢氏の引きで民主党から出馬、当選した覚えがあります。

一方の、山尾志桜里氏も、”2009年、当時民主党代表だった小沢一郎にスカウトされ”民主党から出馬、衆議院議員に当選とあります。

現在、三人全てが旧民主、民進から離れていますが、谷岡、山尾両氏はいわゆる小沢チルドレンとして、旧民主党の政権奪取時、同じ政党に属する国会議員だったという認識です。単に席を並べただけなのか、同じ釜の飯を喰っていたのかは存じませんが。

やはり、山尾氏の対立候補である鈴木氏にとっては、討論の舞台となる至学館大学はアウェイである、とみるのは妥当な処かと。”虎穴に入らずんば虎児を得ず”との言葉もある一方、”飛んで火に入る...”も十分想定されます。

大学という政治不介入の場を装いながらも、真に中立か否かの疑義が完全に払拭できない舞台に催された討論会です。のこのこ赴いて山尾氏のイメージ戦略に利用されることもあり得ない話ではありません。

選挙戦略的に欠席は妥当な判断であり、”スケジュールを理由に”が口実であったとしても驚きませんし批判される話でもないと考えます。鈴木氏を支持、不支持はともかく、”まぁ、そういうことなんだろう”という受け止めです。

一方、山尾氏側にとって鈴木氏の欠席は何ら不利益はありません。むしろこの欠席を、山尾氏との討論から逃げた、と印象づける恰好の材料として利用できます。つまり、かつての同僚議員が学長を務める大学での討論会という企画自体が山尾支援に繋がっているということです。

穿った見方をして、むしろ鈴木氏の欠席を織り込んだ討論会だった、との勘ぐりも捨てきれないでいます。日程的に開催日ぎりぎりに参加を要請すれば山尾氏の一人舞台が作り出せます。憶測に過ぎませんが事実であれば卑劣この上ない印象操作です。

付け加えれば記事中の、
大学側によると、鈴木氏にも学生からの質問状を送ったが、4日午前までに回答がなかったという。
参加した4年生の竹内嘉奈子さん(22)は「国会で議論されていることを若者目線で分かりやすく話してくれてよかった。自民党の人がいなかったのは残念。いろんな意見を聞きたかった」と話した。
も唐突というか取ってつけた感を否めません。前者はどんな質問をいつ送ったか、質問状が届いたかどうかも不明なままです。”回答がなかった”、即ち、学生、有権者を軽んじていることを印象づけるための前置きのように感じられます。後者は山尾氏を持ち上げつつ鈴木氏の欠席を暗に批判、しかも名を出さず”自民党の人”という不自然な表現です。

メディアが自身の
主張を第三者に代弁させ、それが恰も大多数の市民の考えであるかの如く読者に同調圧力をかけていく...しばしば露見する印象操作の手口です。極まりない不快感を抱きます。

2017年11月4日土曜日

接待

11/5に来日する米国トランプ大統領を安倍首相は和牛ステーキなどの鉄板料理でもてなす予定であるとのこと。

USビーフではなく和牛ですか...
”日本の牛肉旨いだろ。USビーフより。
と和牛を誇示、宣伝するするつもりなんでしょうか。USビーフって米国の輸出戦略において重要な品目ではなかったかと。

ここはやはりウォールマートの資本が入っている西友のUSアンガス牛で接待するべきです。更に、ステーキ店では質の確認?品定め?のためソテーする前の肉を来客に見せることがよくあります。お約束です。この時ですね、スチロールのトレイに入ったままで、包装用ラップフィルムには”最終価格”のシールが貼付してあれば言うことなしです。

2017年11月3日金曜日

校則

ファーストドーター?であり米国大統領補佐官のイヴァンカ・トランプ氏が来日しているわけですが、大阪府の教育委員会、及び府立懐風館高等学校の関係者は黒髪染めを強要すべきです。
――たとえ金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせることになる――
金髪に染めているという理由で入国を許容しない意志を表明する責務があります。”地毛が茶色であっても黒髪以外は認めない”高校が存在している日本国です。金髪に染めて日本に入国するなど言語道断、そういった姿勢を貫くべきではないでしょうか。
――たとえ頭髪が傷んでも、頭皮がかぶれても黒髪に染めてこい。でなければ修学旅行にも参加させない。来日などもっての外だ。――
当人に帰さない理由で公から被る不利益には強い反発を感じます。人権侵害も甚だしく、一体どこの三等国の話なんだと...この上ない失望感を禁じ得ません。

2017年10月15日日曜日

混乱

先のエントリで、衆院選は愛知7区有権者の民度、倫理観が問われる選挙ではないか、と記しました。

が、ナンダコレ...愛知7区の候補者を見て唖然としました。
山尾志桜里氏(無所属)鈴木淳司(自民)の二名しか出馬していない...一体何を選択しろって?

正に野合と呼ぶべき露骨な結集であり、そういった選挙戦略を採る野党に不快感を禁じえません。

災い転じてという印象ですが、山尾氏が民進の先行きを見越しての不倫疑惑を口実とした離党であったならば、その先見性というか深謀遠慮に脱帽です。

2017年10月9日月曜日

応報

大人気ない、というか一国の宰相がこれでは残念です。報道は事実なんでしょうか。衆院選へ向けた首相の遊説日程を事前に公表しない状況が続いているとのこと。
「安倍辞めろ」コール 首相「負けません」 演説日程非公表続く
首相の街頭演説に対するヤジや妨害を警戒してとの指摘があります。
━こんな人たちに負けるわけにはいかない━
前の都議選で応援演説の際、「帰れ」、「辞めろ」コールをした反安倍グループに対する発言です。大きな批判を呼び、これが都議選で自民党が大きく議席を減らした理由の一つともされています。

同じ轍を踏まないためということなんでしょうか。

でですね、事前に遊説日程を公表しないで一体誰に話をしたいのか。偶然そこに居合わせた人々へのゲリラ遊説なんでしょうか。或いは、”街頭演説をした”という事実が残ればそれで十分なのか。よく判りません。

自身、これまで国会の場で、とても宰相にそぐわない野次を幾度となく飛ばしておきながら、自らが曝さらされる側に立とうとしない、その身勝手さに落胆します。
これは酷い!安倍首相の過去のヤジ・・・
”友人を大切にしよう”は習っていても、”他人の厭がることはしない”って教えられなかったのか。家庭教師から。
平沢勝栄議員、番組でヤジ謝罪。でも「本当に女性が書いた文書ですか」【保育園落ちた日本死ね】
無理か...

売り言葉に応える買い言葉で失言を避ける目的もあるのかもしれませんが、それはそれで、自身の感情を抑制できないようで為政者の責務が果たせるのか、と率直に感じます。

2017年10月2日月曜日

応答

ここの処、録音音声によるアンケートの電話が度々かかってきます。世論調査のためか選挙や、見込み客を探すためか太陽光発電や新電力に関するもののようです。

付き合う義理など全くないため当然ガチャ切りしていますが、先日留守にしていた時のことです。留守電を入れておいたのですが、帰宅後、電話アンケートが録音されていました。


”ただ今出かけております”から始まる留守電のメッセージ
VS

録音音声による電話アンケート

互いに一歩も譲らず、といったところでしょうか。相手の言い分に全く耳を貸すことなく、一方的に自分の主張を言い放つ...某永田町でも似たようなやり取りを見聞しますが、あれも実は録音音声なのかもしれません。

で、今後音声認識やAI技術に伴って、AI搭載留守電とAI搭載電話アンケートのやり取りへと進んでいくのかも、と思った次第です。AI搭載電話セールスも登場、自宅のAI搭載電話が迎え撃って断りの応答を返すと。オレオレ等詐欺電話にもAI搭載電話が対応...AIは欺かれることなく対応できるのでしょうか?そして遂にはAI詐欺電話が...

ヒトを置き去りにして電話回線を通したAI同士の対決へと移っていくわけです。ここまでくると全く無駄なのは間違いありません。人の意志が全く反映されませんから。技術資源の浪費です。セールス電話拒絶AIや詐欺電話撃退AIの有用性は対ヒトの場合まででしょうか。

ただ、コンピュータ将棋のように、セールス電話AIとセールス電話拒絶AI、詐欺電話AIと詐欺電話撃退AIのやりとりは傍で聞いてみたい処です。勿論不毛なやり取りでしょうが、AI同士の対決は関心を抱かざるを得ない部分です

2017年9月30日土曜日

偽装

衆院愛知七区(瀬戸、大府、尾張旭、豊明、日進、長久手、愛知郡)を通ると、未だ”民進党 山尾志桜里”のポスターが随所で目に入ります。偽装離党だったのでしょうか

で、動静に関心を寄せていたら、
山尾氏の復党視野? 前原代表、愛知7区は擁立せず

山尾氏への対抗馬見送り=共産愛知【17衆院選】
とのこと。
連合愛知、山尾氏推薦見送り 週刊誌報道で距離置く考え
連合は推薦見送りのようですが、それでは愛知七区の民進系地方議員、運動員は何もせず傍観するのかを考えると、やはろ山尾支援に回るであろうことは容易に想像できます。非公式なものかもしれませんが。自民党対立候補への投票や棄権は、まぁ、あり得ないだろうと。
装離党じゃねーか!
この選挙で当選を果たし、禊を済ましてキレイな体で実家に戻ろうという腹づもりだったのでしょう。ところが実家が白旗上げて離散しようとしているわけです。じゃ、民進の身売り先への合流はどうかというと、野望の党の専制君主は、
リベラル派は排除する
安全保障、憲法観といった根幹部分で一致していることが、政党構成員としての必要最低限
と高らかに宣わっていてそれも適わず...

この梯子の外され方にもある意味感慨深いものがあります。残された選択肢は、変節か、或いは、リベラル系無所属、共産党所属、(結成されれば)リベラル系新党参加、辺りでしょうか。

1.変節すれば非難の嵐に曝されます。

2.組織を持たないリベラル系無所属議員というのも存じません。あり得るのでしょうか。

3.元検察官の共産党系議員というのも奇異な印象です。かつて共産党員だったナベツネみたいな?

4.小池専制君主から排除された旧民進議員による新党に参加し社民の轍を辿るのか。

ただ少なくとも、山尾支持=民進共産支持であることは留意すべきと考えます。

先日、山尾氏地元支援者に対する説明の報道を目にしました。
「本人がやってないっていったらね、やってないのよ」(女性)
「世間を見りゃね、そんな男と女、たっくさんいるよ」(男性)

信者とサクラの集会なのか?
来る衆院選は、愛知7区有権者の民意が示されるというより、民度、倫理観が問われる選挙ではないでしょうか。関心を持って見ていきたい処です。

2017年9月26日火曜日

専権

前のエントリに続けます。確かに衆院の解散権は首相の専権事項かもしれませんが、解散の判断やネーミングに熟慮を促せる人物は周囲にいなかったのか。裸の王様感が漂ってきます。
「国難突破解散だ」 安倍首相が解散を表明。会見で何を語った?【全文】
自己都合解散じゃないかと。自らに責任が帰さない災いではありませんから”国難”という語の使用は適当ではありませんし、軽々に使う語ではないと考えます。現在が国難に直面しているとするならば、国難は日常茶飯事です。”突破”てっ...三本の矢の最も要諦である成長戦略とか物価の2%引き上げはどうなった?

で、来る衆院選の勝敗ラインは勝敗ラインは自公過半数とのこと。
「自民、公明両党で過半数(233議席)をしっかり超えるのがまずは勝敗ラインだ」
情けないほどのハードルの低さ...現有323議席から90議席失うまでは勝ちって...国難突破という大言に全く相応しない目標です。唖然としています。

2017年9月24日日曜日

泥縄

緊迫する北朝鮮情勢に対応するため、衆院を解散、総選挙して憲法改正って...全く理に適っていないわけです。

ならず者を見て法を整備するという今更感も否めませんが、それより、他国の状況に合わせて自国の憲法を変える、という姿勢には異を唱えます。自国の憲法を変えるために他国の状況を外圧として利用している、という見方もできますが。

いずれにせよ、法治国家、国の枠組みの根幹となる憲法が、他国によって変えられる、弄られようとしていることには強く反発します。

独立国家じゃないのか、日本は。好戦的であろうが、平和的であろうが改変は自らの意志で行われるべきです。好戦的な他国に右往左往していて、誇りを持てる改正憲法への道筋を辿ることができるとは思えません。そういった認識が我国宰相にあるのか。

往々にして、
拙速、短慮な意思決定は後に禍根を残します。ドサクサに紛れて決められた物事はロクな結果を生み出しません。

ヒトラーは民主主義の手続きに則ってドイツ国民に選ばれたわけです。念頭に置いておくべき事実と考えます。

2017年9月23日土曜日

不義

前項を引き継いで、少し政治倫理について記してみます。大した話ではありません。

週刊誌の不倫記事掲載がきっかけとなった山尾離党問題について巷間種々雑多な意見が飛び交っています。興味を引いたの記事の一つは民進議員のご多分に漏れない、天に唾する姿勢というか、強力なブーメランの突き刺さり具合にあります。

山尾志桜里議員が致命的なのは不倫より「ダブスタ」
その一方で、勿論ダブルスタンダードは問題だが、不倫は人として倫理的に許されない、政治家なら尚更、といった見方もあります。
山尾志桜里女史の不倫話、マスコミ的には中立的な総括が難しいらしい
下リンクには対立する賛否両論の理由が挙げられていますがどちらかといえば”賛成はしないが擁護する”といった姿勢を感じます。
政治倫理と政治家の出処進退について思うこと
この辺りを基に政治家の不倫行為について、その是非というか非であることの論立てを試みます。

ただ、政治家の不倫行為の否定を、社会通念上のモラルに反するからとの理由に直ちに結びつけるつもりはありません。不倫行為自体の道徳的善悪については言及しないということです。曲りなりにも法治国家である日本社会において不倫行為は犯罪とはされていません。当事者、関係者間が円満だろうが軋轢を生じようが、解決しようが、泥沼化しようがどうでもいい事案であるのは確かです。

しかしながら、それはあくまで公人私人における私人の場合の話です。公益に影響しない、私人の不倫行為など当事者、関係者でない限り、どうぞご勝手にというか、そもそも知る由がありません。しばしば芸能人、著名人の不倫報道が巷間を賑わせます。社会的影響はないとまで言えませんが、そもそも公益に資する責務を持たない方々の行為は、あくまで影響に留まり公益を損なったと断じることはできません。

翻って、時には選良と称される代議士等、公人はどうでしょうか。

前の騒動でも示されるように、真偽が定かでなくとも明らかに公益に損失を与えているとみています。公人の不倫行為が容認できない主な理由は、国益を含む公益の毀損に繋がるその非生産性にある、と考えます。

不倫行為は何を生み出すか、延長には何があるかを考慮してみると、それはやはり不毛だったり面倒の語に尽きるのではないかと。そこに労力、金、時間といった資源が投入、浪費されるわけです。私人であるならばどうでもいい話ですが、公人の場合、金は公金でないとしても労力、時間の公私は確実に混同してしまいます。切り分け、線引きなど不可能でしょう。本来ならば公務に費消されるべき労力、時間が不倫行為に関わる面倒に投入されれば公務の生産性が低下するのは当然です。

こういった生産性の低下を承知で不倫行為を選択するということは、公務他の部分においても非合理的な選択を行う恐れを排除できないことを意味します。そういった姿勢を垣間見てしまうと公務での判断の適切性に疑義が生じてしまいます。

例えば公務には、苦渋の決断を迫られ、中立性を欠いたかに受け止められる裁定を下さざるを得ない事案もあるわけです。この時、当事者がその決断をやむを得ない、致し方ないとして理解納得するには、判断合理性を拠所とする他ありません。その部分に疑義が生じると決断の説得性、信頼性が揺らいでしまいます。率直な物言いをすれば、
”不倫する政治家の発言など信用できるか
であり、
非合理的な選択する人物に社会の差配は委ねられない”
ということです。

こういった時、しばしば、
どんなスキャンダルがあっても、政治家としてきちんと成果を出していればそれで良い
ちゃんと仕事をしてくれれば、たとえ下半身がだらしなくても構わない
といった声が上がります。この☓☓をしても政治家として成果を出せば構わない的な意見は首肯できません。(☓☓人、或いは政治家として社会通念上負の印象を与える行動を示します。)違和感を禁じ得ないわけです。ポジショントークなんでしょうか。

”不倫をしても...”とする姿勢は、法令抵触しない範囲内において、”差別、偏向をしても...”、”私腹を肥しても、私欲に囚われても...”、”お手盛り、不正、情実であっても...”、”パンツを盗んでも...”との間に大きな差異が見出せません。

これまで与野党は問わないものの、特に政権与党において数多の政府閣僚、議員が失言で辞任、辞職に追い込まれてきました。”不倫をしても政治家として成果を出せば構わない”なら、”失言しても政治家として成果を出せば構わない”が容認できてしまいます。

前者は肯定され、後者は否定されるというのも整合性が感じられずダブルスタンダードです。道義的責任、任命責任、政治倫理といった実体が不明瞭な語が不毛な国会答弁に頻繁に持ち込まれます。ここに失言は含まれても不倫は対象外なんでしょうか。

更に、上記”きちんと成果を出していれば”、”ちゃんと仕事をしてくれれば”に関して言及すれば、”きちんと”とか”ちゃんと”って何だ、という話になります。政治家と称される方々の成果をどう定量的に評価するか...まぁ、無理です。その方の活動が国益をどれだけ積み増したか、公益への寄与が如何ほどであったかなど量れません。

正に”政治家の仕事は歴史が評価する”との文言にある通り後世がどうみるかということなんでしょうが、だからと言ってその評価が適正であるか否かは別の話です。

戦犯被疑者として逮捕されても逮捕を免れるために指揮権発動されても刑事訴追を受けても高く評価されている政治家の事例もあります。「天才」といった題名の人物評が出版されて再評価されたりもしています。

その一方で、仕事が低く評価された、失敗の烙印が押された事例が見当たりません。何しろ前の敗戦の検証すらできていないわけですから。”政治家として無能だった”、”施策は失敗だった”という指摘は記憶にありません。つつがなく政治家生命を全うすれば、過大に称賛されること間違い無し、というのが実の処ではないでしょうか。

いずれにせよ後世による政治家の功績の評価は、印象評価の総和であって、概して時間の経過と共に高評価になっていく、という認識です。まぁ、定量評価が不可能、死者は鞭打たない”という日本の伝統的体質に、我田引水というかお手盛りが加わって過大評価になりがちになっていると推測しています。

そんな特性を有する政治家の仕事に、”きちんと”とか”ちゃんと”といった語を当て嵌めてもなんら説得力はないだろう、というのが率直な思いです。言葉が踊っているに過ぎないのではないかと。

そういった部分に行政の生産性や成果を加え、これらを定量的に評価する手法に関する研究の必要性を強く実感しています。

これが例えば科学者や技術者の成果ならば、十分ではないにしてももう少し透明性のある評価がなされているのでしょうが...
古代人ゲノム研究の先駆者ペーボさんの著書に見る、不倫に対するドイツの寛容。

さて、上記リンクでは、他人に厳しく自分に甘いとか、他人の立証責任は追求するが自らの立証責任は放棄する、そういったダブルスタンダードを理由に山尾氏への批判が展開されています。

この批判はあくまで山尾氏個人の言動、人間性に依るものですが、別の視点から不倫行為の根幹にあるダブルスタンダード、言行不一致、不誠実といった特性について記してみます。不倫行為はこれらの特性が具現化した行動一つであり、それは政治家として不適切だろうという話です。

下記エントリ
政治家の不倫はなぜいかんか
でも政治家の不倫が否定されていますが、いささか感情論との感を否めません。もう少し理屈を捏ねくり回してみます。と言いながらも単純な話なんですが。

自身の親や子の不倫、不倫される側の当事者、若しくは身内の立場に立った時、それを肯定できるのか、という問いに対する判断を思い描けば自明です。

或いは、政治家であれば少なくとも一般市民よりは教育行政に携わることになるわけです。道徳や倫理教育があるとすれば中初等教育あたりでしょうか。その辺りで不倫の是非がカリキュラムに組み込まれることはないでしょうが、ではそれなら容認できるのか、ということになります。

上記二例において、政治家自身が一般論というか社会通念として不倫を否定する一方で、該政治家当人が不倫行為を選択しているならば、それは言行不一致に他なりません。正にダブルスタンダードそのものです。

政治家の不倫を”プライベートなこと”として容認しようとする姿勢に強い反発を感じる理由はここにあります。尤も、配偶者も含めた自身の家族の不倫行為を肯定し、教育の場においてもそれを容認するならば整合性はあります。

それならそれで少なくともダブルスタンダードは解消されるわけですから、市民の支持を得るために先ず旗幟を鮮明にすべきです。前のエントリの理由から私は支持しませんけど。

不倫行為を虚心にみた時、不誠実との断定には至らないとしても、少なくとも”誠実ではない”との認識が衆目の一致する処ではないでしょうか。自身には正直かもしれませんが、自分以外の公私含めた周囲に対しては誠実とは言えません。

政治家の不倫行為は、”誠実ではない人物が市民の代表として政治に関わる”ことと等価です。忌避の理由を十分満たし得ると考えます。

2017年9月8日金曜日

致命

最も効果的なタイミングで作意はもちろん感じていますが...

えーと。幹事長内定のお祝いですか。そうですか。北朝鮮が水爆実験だのICBMだの、それを受けて経済制裁どうしようとかやってる時に、我関せずと党内人事と醜聞...まぁ、民進らしというか。野党体質全開です。どうでもいい話を少し続けます。


北朝鮮の事案がなかったらもっと辟易する騒ぎになっていたであろうことは想像に難くありません。この際、不倫党とか離党党でも結党して第三の勢力を目指すとか。社会は常にヒールとかサンドバッグを必要としています。

先ほど山尾氏離党の報道がありました。あれっ。体よく沈みゆく船から逃げ出す方便なのか。その節操のなさを生かして自民か都ファ系新党に入党してしまうというのもありかもしれません。

この離党についての記者会見ですが、当人は週刊誌報道の根幹部分は否定していました。不当な圧力、ペンの暴力に屈したということなんでしょうか、腑に落ちないものを感じます。検察官出身であるにも拘わらず?

結局事実か否かは藪の中なのか。これではガソリンプリカの話と何ら変わりありません。

勘ぐれば、第二、第三の仕掛けが爆発する前に離党とか...追い討ちされて窮地に追い込まれた先例は枚挙に暇がありません。

例え報道が虚偽であったとしても検察出身であるが故にそういった不当な圧力に抗えなかったのかも。自身自らがかつてそういった不当な圧力を加え得る組織に属していたわけで、メディアスクラムを含む不当な力の暴力性を十分認識していたんじゃないかと。損得勘定をしてさっさと白旗を掲げるという判断があったとも憶測できます。

でですね、冒頭のタイミングを慮れば、民進の新鮮味のない新党首について、党内に相当の反というか嫌の根深い力が潜んでいるように思えてなりません。前回は永田メールで辞任、今回は山尾離党事案で船出前の座礁と、自らの関与しない失点で足を引っ張られる悲運の代表といった印象が否めません。だからといって野党代表として資質、能力があるということではなく、それが正に”民進”である、ということです。

まぁ、勝手にどうぞ、というのが率直な所感です。関心は、
当該選挙区の旧民主、民進の薬物議員、不倫議員に続く次は何だ?
頻繁に当該選挙区内の”民進党 山尾志桜里”のポスター、看板を目にするのですがいつまで掲示するのだろうか?
民進はどれだけ人が減れば政党としてまともになるのか
いった処にあります。

2017年9月4日月曜日

泡沫2

前のエントリに続けての話です。

パンについてのブログやレビューを頻繁に目にします。少なくとも白飯についてよりは多いのではないでしょうか。

こういったパンの風味についてのブログを眺めてみると、勿論、食パンやハード系食事パンについての言及もあるのですが、それ以上に菓子パン、惣菜パンに関してより多く語られていることに気づきます。

菓子パンと言えばあんぱん、クリームパン、メロンパンが典型で、惣菜パンは、カレー、やきそば、コロッケやトンカツ等のフライ、オムレツや茹で玉子、(生)ハム、ベーコン、ソーセージ等の畜産加工品、ツナ、スモークサーモン、オイルサーディン等の水産加工品、その他チーズ、コーン、トマト、レタス等々乳製品や野菜とパンを合わせたサンドウィッチ様のパンです。

他にはレーズンや無花果、クランベリーといったドライフルーツや胡桃などのナッツ、チョコチップを生地に練りこんで焼き上げたパンについてもレビューされていたりします。

で、素朴な疑問なんですが、これらのパンについて語ることは果たしてパンの美味しさについて述べたことになるのだろうか、ということです。

まぁ、どうでもいい話ですが...

米飯に当てはめてみると、例えば、菓子パンはおはぎやぼたもちに、惣菜パンはカレーライス、カツ丼、天丼、牛丼だったり、天津丼、更には海鮮丼、うな丼に対応しているのでは、と思うわけです。

ドライフルーツやナッツ入りのパンには、対応するものとして筍や鶏肉の釜飯だったり栗や青豆の混ぜ御飯といった処が思い浮かびます。

この関係を踏まえて、カツサンドとカツ丼で考えてみます。これまでカツサンドとカツ丼の風味について様々な言及、評価を目にしてきました。その中でカツサンドのパン、カツ丼の白飯そのものに焦点をあてた記述は殆ど記憶にありません。全くとしても過言ではない程です。

せいぜい、カツ丼で白飯の量が多い少ない、炊き方の巧拙でよほどよくない場合、自身の腹具合でご飯が進むとか、そんな処でしょうか。言及のほぼ全てはアタマと丼ツユについてのものです。カツが揚げ立てだとか、カツの肉の厚い薄い、堅い柔かい、豚肉の味わい、衣の厚い薄い、衣と肉の密着性や、丼ツユの滲みこみ具合、卵の白身と黄身の混ぜ具合、火の入れ加減だったり、丼ツユの甘い辛い、薄い濃い、多い少ないなどです。他には三つ葉は不要とか玉葱より長ネギのほうが好みだとか...変わったところでは味噌カツ丼、ソースカツ丼、デミソースカツ丼についての記述でしょうか。

これをカツサンドに当て嵌めてみると、やはりカツ自体の旨さだったり、キャベツだったり、ソースがとんかつソース、味噌ソース、サルサソースだの、といった話になります。

つまり、カツサンドを含む惣菜パンではパンの風味はそれほど重視されておらず、批判されない程度にそこそこのパンが使われていればそれで十分、ということではないでしょうか。

惣菜パンの美味しいパン屋はパンの美味しい店ではなく、惣菜が美味しいパン屋です。まぁ、惣菜パンに用いられる惣菜は外れようがないものが殆どと思いますが。そういった視点に立てば、例えばカツサンドならそれを作っているトンカツ屋や精肉店の方が優っているような気がします。極論すれば美味しい惣菜を入手して適当なパンを自分で組み合わせても外れはないような...

これまで名古屋やその近郊でいくつものパン屋が美味しい店として話題になりましたが、こと惣菜パンに限ればそれを以てして美味しいパンの店と評価するのもちょっと違うのでは、と思った次第です。

驚くべきことに、近所のドラッグストアで税抜70円の食パン一斤に-30%のシールが貼付されて並んでいました。巷間、エシレのバターをふんだんに使用したという高級食パンが話題になったりしますが、前者のパンにエシレのバターをたっぷり塗って較べてみたい処です。

ただ、やはり残暑厳しい今の時期なら食パンより胡瓜かトマトではないでしょうか。例えばにいみ農園のいい時期のトマト、或いは瑞々しい生の胡瓜や辛子漬けスライスを薄めに切った食パンに添えて頬張れば、パンの風味の多少の差異など気になりません。