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2016年5月15日日曜日

天秤

明らかな非対称性というか首尾の不整合、不均衡が露見しているんじゃないかと。

前のエントリに続いての話です。

着々と都知事辞任に向け外堀が埋められています。ダメ押しの文春砲がなくとも、免れないのかもしれません。

ところで、舛添氏に劣らない公私混同ぶりながら、都知事職を猪瀬直樹氏に禅譲した石原慎太郎前々都知事は辞任まで追い込まれませんでした。

強い違和感を抱いています。
舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由
石原氏の四男・延啓氏は無名の画家だったが、石原氏は自らの職権で都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト」に助言する芸術家として都の外部委員に抜擢。「ワンダーサイト」への補助金を4年間で4億7000万円と以前の8倍以上に増やしていた事実が発覚したのだ。
“無双”といわれる「週刊文春」にも絶対書けないタブーが! 林真理子が「作家になれば悪口書かれない」と暴露
芥川賞選考委員の立場にあった作家の、メディアに対する影響力を示す如実な結果かとみています。甚だしいバッシング格差かと。

社会における文芸という価値体系の秩序維持に貢献してきた見返りなんでしょうか。今尚、”天才”といった商品を供給していますし、まぁ、メディアにとっては護るべき飯の種ということなんでしょう。

舛添氏も著作を上梓しているわけですが、メディアからのこの扱いを鑑みれば、作家として擁護するに値しない、ということなのかもしれません。

実は舛添公私混同事案より、
【UPDATE】五輪の不正招致疑惑にJOCが声明 支払いは認めたが「コンサル料」
この強弁、正当化の方がより根深く、深刻な問題と捉えています。
やっぱり出た「オリンピック招致」に関する疑惑。長野五輪の二の舞いになるか?
有耶無耶になっていますが、招致活動のプレゼンの際にも何か怪しげな話があったような...プレゼンのコンサルタント料?、皇族の利用?思い出せません。

舛添公私混同事案はオリンピック招致に関わる買収疑惑の矮小化、隠蔽のためとみるのは勘ぐり過ぎでしょうか。精査の間、知事が元会計責任者という人身御供を用意する一方、知事自身も泥を被せられていたのでは、ということです。

2014年1月22日水曜日

人材

都知事選が近づいてきました。

更に脇道に外れます。

メディアが演出する、憶測と思惑に満ちた三文芝居というか、政治バラエティを否応なしに見せつけられるわけです。


有権者でなくとも、既にかなり食傷気味です。

で、この人材の枯渇ぶりは...




もはや、Dr.中松氏に託す外ないのでしょうか。

以前にも記しましたが、為政者として期待できる人物が払底しています。

投票日に向かってエントロピー増大の一途となる、都知事選という政治パフォーマンスについて、思ったところを無責任に挙げてみます。


1.争点

前都知事辞職の理由を鑑みれば、不透明な政治資金の排除が争点一つとなってしかるべきかと考えます。しかしながら、それほど重視されていないように見受けられます。

首都とはいえ地方自治体の首長選程度では争点となり得ないのか、或いは、前都知事に特異な事由ということで収拾してしまったのでしょうか。

どういった条件ならばこの問題に焦点が当たるのか、果たして指摘できる誰かが存在するのか、関心を持っています。


2.分断と除名

隠遁老人を俗世に引っ張り出し、脱原発の神輿に仕立て上げるのは、脱原発支持者の分断を目論んだものかとの勘ぐりが頭を過らないわけではありません。

過去の都知事選でネームバリューを利用された元国連事務次長の姿と重なって見えてしまいます。

シングルイッシューの連呼による、天性の人心掌握力を誇るあの元首相が除名されるのか否か、興味は尽きません。


3.迷走

当初、脱原発を謳う陶芸家に出馬の打診をしたのは民主党と聞いています。大飯の再稼働決定は民主党政権下での判断ではなかったかと。迷走は続いています。


4.逆世代交替

原発が都知事選の争点となり得るのか、といった問いに対し、自治体首長の権限の範囲内で脱原発に向かう政策が実現可能であると考えています。

ただ、脱原発とか原発推進といった是非論以前の話です。

隠棲し作陶に勤しむ年寄を、今更都知事選に引っ張り出してどうすんだ、というのが率直な印象です。山で政の修行をしていたわけでもないでしょうし...表舞台を退いてかなりの時が経過しているわけですが、その後のギャップを埋められるほど政治は停滞していたということでしょうか。

この方を強く後押ししたのも又、政界を引退したはずの隠居老人です。加えて、この御仁は現役時代、自民党総裁の座にあった時、世代交代、若返りの名目で宮沢元総理らに代議士引退を迫り引導を渡しています。

全くもって世代交代に逆行しています。代謝を妨げる老害以外の何者でもないと考えます。

更に言えば、右的政策を主張されている他候補の背後にも依然として暴走老人の姿があります。この候補を、思想、信条の面で前都知事の後継と表面的には連想できないのですが、いずれも該暴走老人の傀儡とみれば、大きな矛盾はないのかもしれません。

”老いては子に従え”ではありませんが、いつまでも引退世代の政への介入を許し、委ねてしまうのは果して適切なことなのでしょうか。

社会牛耳る元気な高齢者の存在は、長寿社会では当然であり、民主主義社会の本質かもしれません。ただ、若年層への責任や負担の押しつけ、将来世代への問題の先送りは止むことなく続いてしまいます。

本来ならば、平和的、対立的を問わず、とうに後継世代がこういった老人の跋扈を容認せず、引退を迫っていてしかるべきではないでしょうか。それは後継世代に課せられた義務の一つでもあると捉えています。

未だ権勢を振るわんとする高齢者に対し、これに抗い世代間対立を躊躇うことなく引退に追い込まんとする、後継世代の気概、力量、冷徹さの欠如に淋しさを禁じ得ません。




繰り返しになりますが、だからと言って私自身が原発推進を支持する立場ではないことを重ねて強調しておきます。

まぁ、冒頭の中松氏も高齢者だったわけですが...
 




2013年5月13日月曜日

効率

先日、京大で催された作家、村上春樹氏の講演について報道がありました。その際、2011年スペイン講演での内容の一部、過酷事故の要因ともされる原発推進政策の駆動源を”効率優先”にあるとした部分を偶々耳にし、違和感を覚えました。遅ればせながら思うところを記します。

私は、効率化志向がむしろ不十分ではなかったのではと考えます。後講釈ではありますが、事故の発生確率、被害の程度を含めた安全性、核廃棄物の処理等をも繰り入れて効率性を公正に評価したならば、それでも原発は発電システムとしての優位性は揺るぎないものだったのでしょうか。

実は、公正な評価を歪める圧力が本来効率性に含めて考慮すべき部分を排除、少なくとも、過少評価し、単に(発電単価)=(効率)としてしまったと憶測しています。この”公正な評価を歪める圧力”が意図的なものであったか否かについては不明ですが、この力が愚直に効率向上を図る、合理的に選択する姿勢を損なってきたのではないかということです。

勿論、結果論との自覚はあり、その指摘を否定しません。私自身は事故以前は漠然とですが原発はやむを得ないという立場でした。現在は電力需要、効率化に纏わる疑問についての理解が進むまで是非の判断を留保しています。

以上は電力を供給する側の効率についてです。一方、消費側の視点に立っても効率化志向がむしろ不十分では、といった印象を持っています。


とりとめもなく挙げてみます。各々についていずれ詳細に言及できれば、と思っています。


1.電子書籍化


例えば、”色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”も旧来からの書籍の形とせず、電子書籍として出版すれば、製本に必要な素材始め、印刷、製本、流通は不要になります。書店での展示、在庫どころかリアルの店舗すら価値は縮小します。電子書籍として販売という形態にすれば、従来からの広告宣伝や販売促進にかける資源もかなりの効率化ができると考えます。

究極には、無償化してしまえばすれば出版社抜きで読者に直接作品を配本できるのではないでしょうか。



2.出版

毎年、莫大な量の書籍が上梓されます。その中で資源を消費して出版し、本という形態に留めておきたい、価値ある書籍がどれほどあるのでしょう。例えば、”ハダカの美奈子”、出版の必要があるのでしょうか。資源の浪費です。


3.テレビ放送

地上波とBS、チャンネル数を一方だけに削減、民放放送局を半減、地方局を解散しても社会に大きな影響はないと考えます。放送時間の短縮も効率化の一助ではないでしょうか。

例えば、天気予報、気象予報士という資格制度が創設される以前から、各局で定時に天気予報が放送されていましたが、現在ではオンデマンドで地デジのデータ放送やネット経由で天気予報を知ることができます。

各局が重複して天気予報を放送する意義をそれほど感じません。

報道番組についてもかなりの部分で重複している印象を持っています。

ただ、米議会調査局の報告書に関する報道(2013.5.11)のように必ずしも重複せず各局の思惑が見え隠れする場合もあります。該報告書内の従軍慰安婦(comfort girls)に関する記述が報道されたり、されなかったりで、局によって差がありました。

しかしながら、こういった差異は分かりにくく、建前で中立公正を唱うならば、いっそ偏向した報道姿勢を明確にする方がわかりやすく望ましいと考えます。


4.食料品

勿論、鮮魚店や精肉店も行きますが、他にも食料品を求めて成城石井、北野エース、西友、農協等によく赴きます。デパ地下の食品売場を訪れるのは年に一度でしょうか。デパ地下に限らずデパートは行く毎に気分を害することが多いので...

それはさておき、こういったスーパーには常に食料品が溢れています。当たり前のように、通常販売の食品に加え、相当量の賞味期限間近の食品、消費期限が近い食材が日々並べられています。-20%、-30%、半額といったシールが貼付けられたいわゆる見切り品の販売は以前よりかなり目立って顕著になったと感じています。需要と供給、価格の均衡が欠けた、余剰感を強く印象づけられます。

こういった見切り品、特に生鮮食材については購入、消費されなければ廃棄されるのでしょう。追跡、調査したことはありませんが、飲食店からの廃棄分も加えれば、日々膨大な食品廃棄物が生まれているのは明らかです。

”世界で生産される食料の半分が無駄に=英報告書”

身近な理不尽な例:“怒りのおでん”


原発に関わらずですが、これら食品廃棄物の”生産”、”廃棄”のために電力が消費されることに釈然としないものがあります。この現状で原発再稼働を、と宣われても...


全てではないでしょうが、”ゴミを生産して処理するのに電力が足りない”と見受けられる部分もあり、違和感を感じます。

原発再稼働とか食糧自給率を云々する以前に、食に纏わる最適化、効率化が図られるべきであり、その余地は十分にあるものと考えます。



5.パチンコ


今更、言及しませんが必要性を感じません。電力の供給余力が逼迫した場合、原発再稼働より前にパチンコ店の営業停止を優先すべきと考えます。

詳細は存じませんがかなり以前からカジノ合法化の検討が続けられています。同様な理由で賛同するつもりはありませんがパチンコ産業の解体、廃止と引換の公営カジノ運営ならば一考するかもしれません。


石原御大がそこまで踏み込むなら、その部分では見方を少しは変えようかと... 


6.スマートフォン

私の周囲でも多少はスマフォ利用者を見かけるのですが、生産的に活用されているのでしょうか。用途は会話、メールの送受信、ゲーム、地図、飲食店探し、株式取引、写真撮影、携帯音楽プレイヤー、通販、電子書籍端末、掲示板への投稿といったところでしょうか。

便利かもしれませんが生産的なのでしょうか?むしろ生産的活動に費す機会が削がれているように思えてなりません。確かに、便利という点では効率は向上しているのかもしれませんが、費用対効果は如何なものでしょうか。

ネットワークの効用を否定したりスマフォの機能を過小評価する意図は毛頭ありません。ただ、いわゆる業務での利用はさておき、スマフォの端末としての機能、性能、携帯性、ネットワークの利便性を十分活かし、相応して利用されているのだろうか。少なくとも上述の用途からはそれが窺えません。

これら用途に対しスマフォでなければならない理由が見当たらず、強いて言えば全てを1台で賄えるといった程度です。このことと、スマフォなど本来不要であろう利用者層の存在が、リソースの浪費のように見え、かえって非生産的、非効率に見えているのかもしれません。

ハードウェア、プラットホームの持つ機能、性能とソフトウェア、コンテンツの意義、価値、更に利用者の要求、目的のミスマッチが効率向上を妨げているように思えます。





思いつくままに漫然とあげつらってきました。

個々人の立場や価値観により、効率の見方には大きな差異があるであろうことは認識しています。ただ、放置すれば増大していくであろう電力供給への欲求に対し、求められるのは節度というか、足るを知る姿勢ではないでしょうか。

果たして、社会にそんな自律性が備わっているのか半信半疑です。如何に自律機能を付与し、高めていくか、或は、そんなことは可能なのかについて引続き頭を抱えてみようと思っています。

2012年12月24日月曜日

我欲

今更さかもと未明氏の話題を取り上げるのは遅きに失しており、辟易されるかもしれません。

しかしながら、乳幼児を連れた旅客機への搭乗に代表される、公共交通機関、広くは公衆の場への乳幼児の帯同についての賛否は、以前から連綿と燻ぶり続けてきた関心事です。

この問題には、むずがることがある乳児、騒ぐ幼児、同行している保護者の対応、ベビーカー等の付随する用具、場の責任者の管理、当事者や周囲のモラル、身勝手さを含む価値観等、実に多くの考察すべき点が内包されています。

更に、ネットワーク、即ち、さかもと氏のツイッターを通じて上記話題が衆目を集めた、という経緯からも考えるべき部分があることを付け加えます。

観点が多く整然と言及できないのですが、忘備録の意味も含め雑感、憶測、勘ぐりを羅列してみます。

常々日本人の我欲を非難している件の暴走老人がその場に居合わせたとしたらどう行動したでしょうか?真っ先に母子を責めるような気もしますし、逆にさかもと氏に対し怒声をあげるかもしれません。少なくとも窘めるという見識ある態度はとらないような気がします。

巷間、御子息が総理大臣に就くことを待望していると噂されるほど子煩悩な方ですから、この気質がどう行動に現れるか。乳児を気に障る騒音源とみなすのか、我欲にかられた身勝手な苦情から母子を守ってやるのか。

架空の話ですが、興味を持っています。
残念ながら、御老人はエコノミークラスには搭乗されないでしょうから起こり得ませんが...

さて、この騒ぎは今注目を浴びているLCCでも起こったでしょうか?

低価格だから乳児の泣声など我慢して当然ということではないでしょうが、それも含めて価格相応にやむを得ないとという意識が、忍耐を強いるような気がします。むしろ価格の低さが耐えることを容易にさえしてしまうのではと思います。

それでは、ビジネスやファーストクラスでも同様な騒ぎの可能性はあるのでしょうか。

乗客は、いわゆるオプション料金を支払うことで、より上質な快適性を得ようとこれらクラスを選択しています。従って、泣き止まない乳児とその母親にはより厳しい目が向けられるのではと思います。

尤も、それ以前に周囲の乗客に不快感を与えることが予見される母子に対しては、ビジネスクラスのような上級クラスの利用には制限が設けられているのかもしれません。利用できるのであれば、運行責任者である航空会社職員は、母子と周囲の乗客各々に不快感を抱かせぬよう、搭乗中のみならず搭乗前と降機後も含め、より真摯に細心の注意を払って対応するような気もします。

乳児の泣声ですからよい結果となるか否かは不明ですが...

(続)

2012年11月24日土曜日

手筈

興行師、アドバルーン屋、若しくはマッチポンプだと思っていた石原前東京都知事。実は放火犯であったことに遅ればせながら気付きました。
 

”用意周到、準備万端、先手必勝”を念頭に置いての行動でしょうか。故瀬島龍三氏とは面識があったはずと想像するのですが...