2015年1月30日金曜日

一択

――エマはわかってくれた――
どうしてこう毎回毎回、気になる台詞が続くのでしょうか。

朝ドラ”マッサン”で、亀山夫妻からエマが自分達の実の子でないこと、引き取ったその日からエマを本当の娘だと思って育て続けてきたことを告げた場面です。

”わかった”とエマは笑顔で応えているわけです。育ての親から真実を聞かされた年端のいかない幼子に、”受け入れる”以外に一体どんな選択肢があるというのだろうか、答えがあるならば是非知りたいところです。

2015年1月28日水曜日

摩擦

当然のことですが、衝突は回避したいし不快な思いはしたくないわけです。
「俺は偉いんだから、先生とか、社長とか、様って付けんと許さんかんね。」って思ってる人は、おじさんに近寄らんでね。
しばしば拝読しているブロガーの方の年頭の所信です。いや、ま、確かにそうなんですが...

思う処を少し記してみます。


1.誤解

先生や社長が権威を嵩に居丈高な姿勢で
”俺は偉いんだ”
感を醸し出されても、
”ああ、そうですか。偉いんですね”
でやり過ごすことができます。実害がない限り...

適当に相槌打って、
”センセ”、”センセ〜イ”、”シャチョー”、”シャッチョサン”
と呼んで、
”しょうがねぇなぁ”、”どうしようもねぇなぁ”
と流しておいてもいいわけです。ただ、
”何でそんなに偉そうなんですか?” 
”何故そんなに人望がないんですか?”
何が謙虚さを失わせているんですか?”
 尋ねてみるのもありかもしれません

いや、実際にはもっと丁寧、慇懃に、尊敬の念を込めて歯に衣着せて尋ねるわけですが...

尊大な印象が、もしかすると、双方の誤解によるものだったかもしれません。そんなつもりはなかったと...或いは、直言されて己れを顧みるきっかけとなる可能性も否定できません。

誤解が解けないまま、本人が自覚しないままというのも建設的ではないような気がします。

勿論、互いに不快感しか残らない場合も少なからずあるでしょうが、まあ、実害、不利益がないことを前提としていますから。


2.制限

”不快な思いを我慢したくない”、これが尊大な態度を露にする人に近寄って欲しくない理由です。関わりたくないわけですから、当然、自らもそういった方には近づかないことになります。

これは、居丈高なある特定個人によって自身の言動が制限されてしまうことを意味します。尊大な態度を我慢することと、該態度からの不快感を避けんがために自身の行動の自由度が下げられてしまうこととは表裏一体ではないでしょうか。

立食形式の会合で、的矢のカキフライが揚げたてで出されたものの、その傍らには上記先生、或いは社長が控えていて大皿から離れない、といった状況が一例でしょうか。

カキフライに近づいて、尊大な態度を我慢するか、引き下がってカキフライを我慢するかの選択を迫られることになります。自身とカキフライ間の引力、ややこしい御仁との斥力、これらの差分がカキフライとの距離を決定することになります。

そういった状況下では、揚げたてとはいえどもカキフライの魅力が大きく毀損されるであろうことは容易に推定できます。

それはそれで面白くないなぁと思うわけです。どうしましょうかね。


もう少し考えるために、冒頭の文言から連想した場面、状況を思いつくままに列記してみます。
1)購読を止めてもうかなり経ちますが、「俺は偉いんだから、先生とか、社長とか、様って付けんと許さんかんね。」という言葉から、真っ先に漫画”美味しんぼ”を思い出しました。作品には横暴、高飛車な政治家、評論家の先生、社長が頻繁に登場します。で、こういった人物の食材や飲食に纏わる誤った、或いは軽視した発言が引き金となって起こった主人公との揉め事が、最後には誤解がとけて一見落着、良かった良かった、が常套的なパターンでした。
(いずれ”美味しんぼ”を含めた漫画の功罪について記すつもりです。)

2)”みんな仲良く”は義務教育過程でよく聞かされた文言です。今更ながらあり得ないなぁと思います。体裁を取り繕って単に児童、生徒を管理し易くしたかったのではないでしょうか。
集団を構成する各々が全く同じ態度、姿勢で等しくコミュニケーションできるはずがありません。”みんな仲良く”を維持するためには一部に歪が生じ、我慢を強いることになるわけです。
”みんな仲良く”のグループ内には、程度はわかりませんが、ただ、確実に己を誇示する言動とそれをされる側が存在し、総じて和が保たれているという構造になっているかと推測しています。この和は、おそらく、される側の受け入れる、堪える、或いは、受け流す姿勢によって支えられているのではないかと。寛容度、我慢強さ、回避の上手さが己を誇示しようとする力を上回っている限り、表面上”みんな仲良く”は維持される、ということです。
こういった、和を支える姿勢は時には協調心という語にすり替えられたり、集団行動、グループの纏まりのためと目的を優先して肯定されることもあり、それはそれで抵抗を憶えます。
で、全体を細分化して個別部分を見れば、歪や皺ができていると...この局所的な歪や皺の増大が集団内のいじめを引き起こす原因ではないかと憶測しています。ただ、全体としては”みんな仲良く”ですから、悲惨な事件に至るまでいじめは覆い隠され見逃されがちになっているような気がします。
この傾向は小中学校という、成長過程にある年少者の集まりにのみ該当するわけではなく、分別があって然るべき”大人の”集団でも認められます。
警察、消防、自衛隊、及びそれらの訓練組織といった閉鎖的で強い結束、団結(=みんな仲良く)が求められる組織において、より酷く陰湿ないじめが時折発覚しているのは偶々でしょうか。
勿論、組織防衛の姿勢も隠蔽体質を生み出す一因ではあります。
いずれにせよ、グループ内には必ず己を誇示しようとする意思が生まれてしまいますから、グループを”みんな仲良く”へと誘導することには首を傾げている次第です。

冒頭に引用した、
”...おじさんに近寄らんでね。”
ですが、そういった言葉を宣言しなければいけない社会というのも窮屈だなあと...いや、自由に表現できるということは素晴らしいことなんですが、別の意味です。  

”みんな仲良く”の正しさが潜在的に信じられていて、これに反するような主張をするには、所信として声高に表明する必要があった、とみるのは勘ぐり過ぎでしょうか。


(続)

2015年1月24日土曜日

圧迫

先日、名古屋市郊外の道の駅、正確には併設されている地元産品の公的な直販施設内にある飲食店で昼食を摂った時の話です。

以前から、民間経営のドライブインが衰退する一方で、公的機関、半官半民、或いは第三セクターの運営によって道の駅が取って代わってきていることは存じていました。

これまでも他の場所で立ち寄ったこともありますし、随所の道の駅がメディアでも取り上げられているのを目にしています。

かつての民営のドライブインという営業形態は、高速道路網の発達でサービスエリア(SA)やパーキングエリア(PA)によって駆逐されてしまいました。

一方、一般国道におけるPA類似の役割を担う施設として道の駅は増加の一途です。

上記施設は設置、経営、営業に、比率はともかく直接、間接に公的資金(=税金)が投入されているわけです。投入の形態は事業委託、第三セクターや関連子会社への出資等、様々です

道の駅という施設は、その実施がそれほど古くはないということもあるのでしょうが、冒頭の道の駅も含めて立派な施設ばかり、という印象です。正に小奇麗なパーキングエリアと形容できます。

昼食も突出して旨かったわけではありませんが、定食なら1000円前後で、焼きそばやカツサンドとなると更に安価に用意されていました。

少なくとも、名古屋市内の中心部の平均的な定食屋と同等以上で、一昔前のハズレのドライブインのように不味くて高いということはありませんでした。

立ち寄った食事処は、合い席を求められた上、更に数人の待ちができており、平日にも拘らずそこそこ賑わっていました。

食後、道の駅施設内をぶらぶら物色していた時、何とはなしに去来した幾つかの思いについて記します。

該道の駅は決して人里離れた山間部ではなく、付近に飲食店、スーパーがある場所に位置していました。客層観光や仕事で移動中の他所からの訪問客ばかりではなく、昼食のために立ち寄ったであろう近隣の住民も少なくなかったかと。特筆すべき点はなくとも、並以上の食事が提供される地元の昼食の場にもなっているように見受けられました。

で、こういった広々とした駐車場を備えた公共の施設が、地元の昼食の場としての役割を持ってしまったとしたら、これは明らかな民業圧迫ではないか、と思った次第です。不公平な条件下、近辺の飲食店が生き残っていくのはなかなか大変だなぁと...

同一商圏にあるコンビニ間競争のような同一条件ではなく、公共施設を利用した民業と全くの民業の間の競争ですから。

高速道路という囲い込まれた環境下、独占状態で守られているSAやPAといった形を一般道にも持ち込もうという思惑なんでしょうか。

加えて、道の駅の収支はどうなんだろうか、経営状態は健全なんだろうか、といった疑問も脳裏を過ぎります。
なぜ道の駅は儲からなくても店を出せるのか   地方活性化とは名ばかりの「産直販売施設」

といった話もありますし...

リンク先の記事には経営不振に陥り、赤字が続く道の駅について触れ、道の駅の事業構造について論述されています。

記事によれば、道の駅の施設そのものは税金によって開発されており、施設整備の初期投資部分の回収を事業売上げから賄う必要がないとのこと。まぁ、皮算用はあるのでしょうが...

又、行政主導で建設された施設は立派過ぎる施設になりがちで、その過剰投資された施設には高い維持費が必要となります。この維持費を事業利益から拠出するだけでなく、自治体が予算を立てて維持している場合もあることが述べられています。
売上げの面で目標が低くても、事業が一見成立するようになり、一方、経費面では過剰投資のツケが運営にまわって割高なコストで薄利になってしまう。この「ダブルパンチ」によって、道の駅事業は、表向きは人がそこそこ来ていたとしても、地元で大きな利益を産んで、再投資がされていく、という理想的なサイクルにつながっていないことが多くなっています。
今回、道の駅に立ち寄って上記を実感したわけです。委託を受けた事業者にしてみれば正に至れりつくせりの圧倒的に優位な事業条件です。

これでは民間の同業が太刀打ちできる由がなく、淘汰されていくとみるのが自然ではないでしょうか。直接ではないかもしれませんが、民間の事業者が納税した公金の投入で道の駅を設置、場合によっては維持費も手当...

で、近隣の民間同業を衰退させ、担税力を奪っていくというのも如何なものかと。道の駅設置は確かに若干の雇用を創出するかもしれませんが、公的資金を投入しての赤字事業の継続には違和感を憶えます。

蛸が自分の足を喰っているようにも映り、予算、補助金といった公金の非生産的で、偏った分配、タカリ、浪費としか捉えられないわけです。

いっそ、地域の競合を全て廃業に追い込み、余剰人員を道の駅で雇用しますか。公的資金で....これでは社会主義国家ですが、この時の公金は誰に負担を求めればいいのでしょうかね。

事業単独で自立して収益を生み出せない施策、即ち、公金頼みでハコモノ建てて物品販売して食事を提供、これで地方創生が叶うとされているならばお笑いです

ふるさと納税にも似たものを感じています。似た構図ではないでしょうか。地方自治体が企画する特産品の通販のわけですが、やはり、そここに皺寄せ、歪というか民業圧迫だったり、全体としての税収減、不公平を感じてしまいます。

この制度も地方創生の策としてどうなんでしょうか。いずれ記します。

2015年1月23日金曜日

旧弊

相変わらず朝からイラッとさせられるわけです。

朝ドラ”マッサン”で亀山から発せられた言葉、
――どがぃなことがあっても親に手を上げたらいかん――
こういった文言の根底には儒教的な価値観があるわけです。この”儒教”という語の適否はともかく、旧来からの道徳観、倫理観に依っているのは間違いない処かと...

ただ、こういった有無を言わさない、権威主義に基づく理不尽な抑圧的姿勢が、正当なものらしく表現されてしまうことに違和感を禁じえません。

NHKの考える価値観の啓蒙、押し付けといった意図を感じます。

旧来から尤もらしく、非合理的であるにも拘らず、不可侵なものとされてきた価値観、社会を澱ませ、質的な進歩、成長を妨げている一因であると考えます。

2015年1月22日木曜日

反感

時代も場所も符合しているわけではありませんが、
家族の不和 借金 鰊漁の盛衰 リンゴ農家 博打
こういった語が、NHK朝ドラの今のキーワードです。


(堀川 惠子 岩波書店 2013年)
を連想してしまいます。

ところで、ドラマ中のセリフ、
"勉強し過ぎで頭がおかしくなっている"
耳にしたい文言ではありません。不快です。

極めて稀な場合としても、そういった事実があることを認めているかの如く言葉です。

NHKはこれを肯定し、視聴者一部に共感させたいのでしょうか。反感は憶えますが...

2015年1月12日月曜日

過失

風刺、揶揄への対抗手段としての暴力が断じて許されないのは当然です。
テロに抗議のデモ行進 160万人以上参加
該リンクではテロに抗議し、テロに立ち向かう決意を示す行動として報道されています。

一連のデモには、民主主義の根幹を支える表現の自由”を守る行動としての意義も含まれているとのことです。

一方、”禁忌”という語が適切か否かは判りませんが、異なった価値観を有するグループが接触、衝突した場合、互いに自らの物差しで量ることができない思想、信条、宗教といった文化的規範が存在するのも事実です。

この相違が理解不足のまま、”表現の自由”を振りかざして、相手のアンタッチャブルな、触れてほしくない、嫌がる部分を揶揄するのもなぁ、と思わないでもありません。

おそらく、確信的行動であり、嫌がらせ以外の何物でもない気がしますが...

身勝手さ、独善性、偏った正義を感じるわけです。重ねて記しますが、だからといってその対抗手段としての暴力は否定されなければならないのは勿論です。

で、上記のように該デモの目的はテロに抗議し、テロに立ち向かう決意を示すことにあるわけですが、誰に向けて行動とみるべきでしょうか。

イスラム過激派に対して?価値観が異なるわけですから意思を伝達できるとも思えません。主に、欧米諸国を中心とした、価値観を共有できる民主主義陣営の結束を促す、といった主旨が実の処かと。

国際社会が協調してイスラム過激派との対峙を図り、近い将来の武力行使に信認を得るための事前行動、根回しでは、と憶測しています。

翻って日本の民放では、同じ頃、各地で催された成人式の模様ばかりが流されていました。日本が国際社会の一員として今一つ重んじられていないのもわかるような気がします。
2014年成人式 今年も自由過ぎる若者たちwww
ところで、私自身は問題解決の手段として武力を全く否定する側に立っているつもりはありません。民主主義や表現の自由以前に、
”自らの責に依らない理不尽な不利益は断じて許されるべきではない”
は譲れない部分ですから...

政治的、外交的理由による衝突はともかくとしてです。例えばナイジェリア、ISISといったイスラム過激派の跋扈する地域での女性、少年少女に対する犯罪は、今回のテロ事件に拘らず、むしろそれ以前に根絶に向けた再発阻止が講じられていて然るべきではないか、と考えます。

それは、必要であれば武力の行使を肯定してでも、ということを申し添えておきます。

2015年1月10日土曜日

過熱

先のエントリに関連してですが、 食品への異物混入について旬の主役といえば日本マクドナルドのわけです。

脇役陣は、ペヤング、日清食品、不二家、マルちゃん、ほっともっと、セブンイレブン、ワタミ、和光堂といった辺りでしょうか。

詳細について窺い知れない部分も多々あり、異物混入それ自体に関してはまだよくわかりません。

NHK的な表現ですが、”注意して見守っていく”に留めておきます。

ただ、日本マクドナルドについては、”下手打ったなあ”というのが率直な印象です。正にドブに落ちた犬は叩け、といった様相を呈しているかと。

イオンやセブンアイHD、ユニクロ、不二ビューティ(たかの友梨ビューティクリニック)、マルハン辺りに倣って出稿料、広告宣伝費、対策費をせびられるままにばら撒いていれば...

ハンバーガーで接待でもして却ってメディアの神経を逆撫でしてしまったのでしょうか。

民放各局ほど、NHKが集中砲火的に報道していないように見受けられるのは、強請っても得るものがないためかもしれません。

ところで、国内の外食、食品メーカーの製品で続々と異物混入騒ぎが持ち上がっているのですが、諸外国ではどういった状況なんでしょうか。

食品への異物混入など、取るに足らない日常茶飯事の隣国二国はともかく、McDonald'sが国民食の一つであろう米国での異物混入事情が気になる処です。

さて、件の異物混入騒動に際し、朝のニュースバラエティ番組が外食大手10社に混入の事実、件数等異物混入に関する情報の公開性についてアンケートを取ろうとしたようです。で、回答は匿名でも可と依頼しても無回答だったり非公開だったようです。

番組のアナウンサーは、
”匿名でも答えて頂けませんでした”
などと、厭味っぽい口調で各社の秘匿的、内向きな姿勢を印象づけようとしていたわけですが、メディアの自覚の無さ、独善性を改めて実感した次第です。

メディアが信用できないから、匿名でも回答が得られなかっただけじゃないの?

2015年1月9日金曜日

最強

改めて、”無知こそ最強”を実感した次第です。

いずれ記そうとメモを残していたのですが、正にこのような好機が訪れるとは思いもよりませんでした。
クレーマー「アサリに砂が入ってる!」→販売した店が異物混入で訴えられる事が発覚する・・・:ハムスター速報
しばしば、食材を求めて成城石井を訪れています。三河湾産が知られた、おそらく、愛知県特有の食材かもしれませんが大アサリを購入した時の話です。 

大アサリは既に開いてあり、直ぐに網で焼ける状態に加工してありました。自宅に戻り焼こうとスチロールのトレイを覆っているラップを剥がそうとしたときです。

産地、加工年月日、消費期限、数量、価格などが表示されたラベルに、
――洗ってからお召し上がりください――
だったか、
――洗ってから調理してください――
といった旨の記述に気付きました。
”洗って?”
大アサリは十分に加熱調理しないと手痛い事態に陥ることがあるのは存じていましたが...

これまで聞いたことはなかったものの、鮮度が好ければ洗って生食できるのかな、といった思いが頭を過り購入した店舗に確認してみました。
私:先ほど購入した大アサリに”洗って”との表示があるのですが、洗えば生食でも大丈夫ということですか?
店舗: いえ、加熱調理してください。”洗って”の表示は以前お客様から”砂が入っている”とクレームがあったものですから....ちゃんと砂抜きを行っているのですが、不十分だったことがあったようです。
 私:??
大アサリに”砂が入っている”と苦情
殻から身を取り出して洗う? 
おまけに、それを表示するか?

冷静に理解できるまで若干の時間を要しました。

もはや、言いがかりに近いものを感じたわけです。まぁ、線引きに曖昧な部分があって、消費者が不満を抱けば販売者側が叩かれるということなんでしょうが...

この延長で、
むき牡蠣を購入したら殻の破片が...
魚には鱗や骨が...
鰹、鯖には寄生虫が...
カニにはカニヒルが...
イカには肝が...
鮎や秋刀魚にはワタが...
キャベツやレタスには虫が...
リンゴには芯が...
ミカンには皮が...
イチゴにはヘタが...
枝豆には鞘が...
米には糠が...
レバーには血が...
焼き鳥には串が...
チョコレートにはアルミ箔が...
 購入した包丁で怪我をした...
も苦情へと変貌していくのでしょうか。ある意味窮屈で恐ろしい社会だなぁと。強力な殺虫、殺菌剤で処理して跡形もなくペースト状にしますか。

有形(ハード無形(ソフト、コンテンツ、知識)を問わず、入手した事物に不具合があった時、更には気に入らなかった時ですら、自らの無知、浅慮を顧みず自分以外に責任を転嫁する、何とはなしにそういった風潮が強まっているかに感じます。

上記事例は、需給バランスの偏りによるモノ余り(=デフレ)が、社会の劣化を招いて愚劣で身勝手な主張を生み出してしまった典型ではないかと。

残念な社会の有り様だなぁと思いながらも、こういった非常識、無知を武器にした攻撃に対処する術が未だ見当たらないわけです。

今後、どう転がっていくのか気になる処です。

成城石井で遭遇した心に残る出来事ははまだ幾つかあります。機会があれば又いずれ...

2015年1月6日火曜日

似非

――【監修】 著述・編集などを監督すること。また、その人。――
偶々、市販の味噌煮込みうどんを口にする機会がありました。生うどんを容器のアルミ製鍋で煮込む、鍋焼きタイプのものでした。

味噌煮込みの有名店である”山本屋…監修との表記がありました。

で、これが似て非なるものだったわけです。うどんのツユは出汁が弱くコク不足。やや味噌汁っぽい味わい。麺は煮込んでも柔らかくはならないものの、やや歯に絡みつく噛み応えでした。

総じて、通常のうどんと異なる、味噌煮込みの面影、雰囲気が感じられる、といった程度でしょうか。

大量生産の監修製品ならそんなものかもしれませんが...
「有名シェフ監修」の商品にありがち……マズイ、味見しているのか 
下駄を履かせている、化粧が施されているわけですが、これを付加価値と呼ぶのでしょうか。自店の名を切り売りして自分の首を絞めているに過ぎないことに気付いて欲しいものです。

【責任】とは違うことは承知していますが、【監修】について改めてその意を問い質したいところです。