どうにも立ち止まったままで、一向に理解が進みません。常人の思いが及ばない域に目的があるのでしょうか。
勿論、ロシアの独裁者プーチンによるウクライナ侵攻の目的です。その一言一句が次々に懸念を呼んでいるわけですが、一体何が望みなのか、皆目不明なままです。
少し考えてみます。
近現代の紛争や戦争が、民族、宗教、領土、資源の問題に理由を帰すことができるのは間違いない処かと。それを踏まえて、今般のロシアというかプーチン大統領によるウクライナ侵攻に目を向けてみても、矛盾なく該当する理由が見当りません。
上記理由の中、民族問題については、民族ナショナリズムとか、民族自決といった精神的な話ではなく、多数民族の少数民族に対する搾取-被搾取や支配-被支配の関係、差別、虐待、弾圧が引き起こす衝突とかその状況からの解放に眼目を置く問題と捉えています。
宗教問題もおそらく、教義そのものの正当性云々より多数集団の少数集団に対する差別、虐待、弾圧こそが根幹なんだろうと。
これらは、ヒトが本能として有する排外性が具現化したものであって古来から、そして未だに争いの種です。
領土問題は、上記民族問題にも似て、主権の及ぶ地域、つまり自国の支配地域の広さを顕示するというセンチメンタルな要素と、当該地域の地政学的な価値や当該地域の含む資源や農商工的価値、つまり領土の持つ生産的価値という実利的要素から構成されていると考えます。大部分を占めているのは実利の要素ではないでしょうか。
上記民族問題を大義として旗を掲げ併合、傀儡政権樹立、植民地化、租界、租借、非武装化、解放といった手法を駆使して支配-被支配関係の構築を図るというのは、よく見聞する侵略の構図です。
資源、特にガスや石油といったエネルギー資源問題は紛争や戦争と常に隣り合わせです。合わせて、水資源、食糧資源も紛争の原因になり得ますが、それのみを直接的な理由とした、持たざる国から持つ国への侵攻の例は思い浮かびません。常に民族問題等の大義名分を用意した上での侵攻だったかと。
かつて日本が石油資源を求めて南方へ進出した際も八紘一宇とか大東亜共栄圏、アジアの解放といった口実がありました。まぁ、名分がなければ単なる国家による略取強奪でしょうから。ですから他に名分を見つけられない、資源を巡る諍いは武力を行使した紛争にまでには至らず、経済紛争の域に留まってきました。
概ね、当事国が彼我の国力の差を合理的に判断し、場合によっては大国がケツ持ちして、血を流すことなく、
”参りました”
”受け入れます”
”言い値で購入します”
と交渉を通じて収拾してきたわけです。
こういった視座からプーチン政権によるウクライナ侵攻の目的というか行動原理を推測を進めてみます。
侵攻当初、プーチンの主張というか侵攻の口実はミンスク合意の不履行とか、ドネツク州(人民共和国?)、ルガンスク州(人民共和国?)といったウクライナ東部の在ウクライナ親ロ国民の保護でした。ロシア側の言い分では、ゼレンスキー政権からの攻撃から親ロ、反ウクライナ政府勢力の支援だとか。この事実性を否定するつもりはありませんが真偽の判断は留保します。国家間の協定や合意などは都度各々の都合で不履行だったり、破棄したりは歴史を振り返れば珍しい話ではありません。(e.g. 日ソ中立条約、日韓基本条約)
各々が自国が有利なように、国際社会の理解が得られるようにアメとムチの駆使、フェイク情報によるプロパガンダで自己正当化や多数派工作を行うわけですから、まぁ、どっちもどっちなんだろうと。
この時、ロシアとウクライナは同胞だとか、兄弟民族だとかいう言葉も躍って民族紛争のような体にして、”内政干渉するな”的雰囲気を醸し出したりもします。そうなるとやはり、争いの主因となるロシア-ウクライナ関係について、少なくとも旧ソ連時代に遡ってみる必要がありそうです。
ウクライナという独立国家は、ゴルバチョフ〜エリツィン政権時代、旧ソビエト連邦が弱体化したことで建国に至りました。レーニン、スターリン以降、取り繕ってきた社会主義体制下での計画経済の失敗を、力で抑制不能になった状態が具現化したという理解です。ペレストロイカ(変革)とかグラスノスチ(情報公開)といった政策で何とか改善しようにも、弱体化に歯止めがかかることなく連邦国家の国民経済は疲弊していきました。同時に、上記開放的な政策と相まって構成各国の民族意識も高まり、バルト三国、グルジア、アルメニア、モルドヴァの独立にウクライナも続いて、ついにはソビエト連邦の解体に至ったわけです。全くもって雑ですが大筋はこんな処かと。
ここで目を向けておきたいのは、独裁国家でも強権政治、計画経済でも国民経済が豊かで、日常に不満がなければ果たしてウクライナの独立はあっただろうか、という点です。
力に依って連邦の構成国に組み入れられ、宗主国と植民地にも似た支配-被支配、搾取-被搾取の関係の下に生活の困窮があるならば、抑える力が弱まれば解放に向かうのは当然です。例えばホロドモールなどはそういった支配-被支配の関係の明白な証左ではないかと。
少し話が逸れますが、上記計画経済、集団農場辺りの話で、世界の穀倉地帯とか、コルホーズ、ソホーズといった語を耳にしたのは小学校高学年〜中学校入学時分でしょうか。その後、高校の教科書でも目にしました。ホロドモールの語は記憶にありません。
冷戦時代の当時、ソ連や中国といった共産主義国の内情は、いわゆる鉄のカーテンで遮られていて殆ど不明だったはずです。そのためか、該計画経済の一端を表すコルホーズ、ソホーズといった語にはそれほど否定的なニュアンスを感じませんでした。何せ、上っ面を捉えれば計画とか、集団(=みんな)、国といった学校教育で頻出する語を連想させますから。或いは当時の日本社会の雰囲気が現在より多少は社会主義思想に宥和的だったためかもしれません。いずれにせよ、年端の行かない自分には、遠い異国の全く無縁で興味のない話でしたが、今振り返ってみると、共産主義、社会主義の表のみを唱え続ければ小学生、中学生なんて簡単に籠絡されてしまうよなぁと今更ながら思った次第です。
このコルホーズ、ソホーズというまやかしの語が、当時の一体どういった判断で学習参考書や教科書記載に至ったのか、なかなか興味深い処です。ソ連政府の公開情報を鵜呑みにした記載だったのか、それは取りも直さず政策の支持を通じた共産主義国家の盲信に繋がる話です。で、それを学習参考書や教科書に記載するという...検証の必要性を感じます。
同じ頃、テレビではバンカースに次ぐ、ボードゲームの走りと思しき”人生ゲーム”のコマーシャールが流れていました。その中に”貧乏農場に行くか...”といった文言がありました。コルホーズ、ソホーズから貧乏農場を想起していたのであればその慧眼に恐れ戦いてしまいます。いや、何の関連性の確証もなく連想しただけです。
さて、話を戻すと、ソ連時代に被支配、被搾取の立場にあったウクライナが、ソビエト連邦の中心であるロシアの弱体化によって独立を果たしました。しかしながら連邦の瓦解後、ロシアが再び国力を取り戻したことで、古き良きソビエト連邦を再興すべく、ウクライナ侵攻を開始したわけです。これは前のクリミア半島のロシアへの併合に続く、支配-被支配関係の再構築ではないかと。西側民主主義諸国、NATO陣営がこのクリミア併合を旧連邦内の内輪もめ?兄弟喧嘩として座視してしまったのは痛恨でした。勿論、当時も欧州諸国への天然ガス供給を盾にされてなす術がなかったのかもしれませんが、その構図は今も変わりありません。
このソビエト連邦再興は、現在のプーチン独裁王朝の存続が目的の一つだろうとみています。ここ最近、耳にする北朝鮮化ということです。そのためには、油断すれば、権勢が衰えれば即座に寝首をかかれるロシアの政治風土の下、クーデターの芽を徹底的に摘む必要があるというわけです。その一つは民主主義的な思想、運動であって、あらゆる民主的な力が排除すべき対象とされているのも頷けます。
隣国中国における香港の民主化運動や台湾における対中国の姿勢を見てみると、国内や隣国における民主的な力が、現体制の脅威であるのは明らかです。
ロシアでは、これまでも国家主導が疑われる毒殺、暗殺(未遂)で幾人もの反体制的な個人が排除されてきました。強い関心を寄せていたわけではありませんが、
アンナ・ポリトコフスカヤ(ジャーナリスト)
アレクサンドル・リトビネンコ(元スパイ、政治活動家)
アレクセイ・ナワリヌイ(政治活動家)
ヴィクトル・ユシチェンコ(ウクライナ大統領)
の例が思い起こされます。当にロシア殺し屋恐ろしやの言葉通りです。
反体制的な芽を摘むという点で、このような個人の排除を国家に置き換えてみると、現在のロシアによるウクライナ侵攻が該当します。プーチン王朝の存続のため、隣国ウクライナで増大する民主的な力を撲滅し、ウクライナの属国化を目指した侵略との理解です。”アラブの春”の先例もありますから隣国と言えど反体制的な姿勢は断じて容認できないわけで、支配-被支配の関係を構築して芽を摘むと。
侵攻当初、ロシア側の主張する派兵は、ミンスク合意の不履行を口実に、ウクライナ東部の平和維持、該地域の親ロ派住民の保護といったものでした。ロシア側からの”同胞”とか、”兄弟”の語も耳にしました。その後、NATOの東方拡大に対する脅威、ウクライナの非武装中立、NATO加盟国とロシア間の緩衝地帯の文言を散りばめ被害者的立場を主張し出しました。こちらは、あったかなかったか不確かな”NATOの東方不拡大”の約束を違えたことが理由のようです。
前者に対しては、あれが”同胞”や”兄弟”に対する仕打ちなのかというのが素直な印象です。まぁ、38度線を巡って南北が未だに緊張状態の国もありますし、血が濃いほど憎しみも強いということかもしれません。後者について、ウクライナを非武装中立にしてNATO加盟国-ロシア間の緩衝地帯に充てるということは、NATO加盟国とロシアが対峙した場合にウクライナを戦場にすることに他なりません。更に言えば、ウクライナという国家をロシアの盾に、ウクライナ国民をロシア国民の盾として使うこととと同義です。これは支配ー被支配関係が具現化した一態様と考えます。
このような支配-被支配の関係を構築し、その中で支配の立場を志向する体質は、必ずしも独裁国家に特有なものでもありません。その手段が武力に依るか、人道的か、合法か、はさておき、民主国家であっても搾取-被搾取という通底した志向性があることは否定できません。但し、現代の先進国家では、生命を脅かす暴力的な支配ではなく、法の支配の下での経済的な支配-被支配(=搾取-被搾取)に留まっているという認識です。
では、今般のウクライナへの武力侵攻は何故起こり得たのかに目を向けてみると、”ロシアという非文明国家におけるプーチン王朝の存続”こそが主眼なんだろうとみています。
真偽は存じませんが田中眞紀子氏の言葉、
━━人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない━━
を借りれば、ロシアという独裁国家には当たり前のように強固な支配-被支配がありますから、その延長として国家間に支配-被支配の関係を強いるのも何ら不思議ではないわけです。
ただ実の処、上記だけでは”武力を使ってまで侵攻”の動機としては理解できない部分があります。先述したように、エネルギー資源を巡る問題は常に戦争と隣合わせです。しかしながらそれは持たざる国が仕掛ける側に立つのが通常で、前の大戦における日本が好例です。この視点から見れば、ロシアは明らかに資源保有国であり、石油や天然ガスといったエネルギー資源の欧州や極東への供給国です。このエネルギー資源は、支配-被支配の関係構築のための極めて有力な取引材料として活用できるはずです。それには時間を要するかもしれませんが。つまり、古き良きソビエト連邦の再興を目指すのであれば、エネルギー資源を武器にした丁寧な経済侵攻が最も近道ではないか、ということです。他国を支配下に置く手段として、武力は賢い選択とは思えないというか、愚かな選択です。
では何故そのような選択、プーチンの言を借りれば、
”それしか選択肢がなかった。”
となったのか。様々な理由が挙げられますが、いくつかが複合した結果と推測しています。それは、
━━オヤビン、ウチラが攻めれば楽勝ですぜ。ゼレンスキーなんて片手で捻り潰しちゃいます。新ロの連中にも歓迎されるはずでっせ。その後、コチラの傀儡政権を樹立してウッシッシ。━━
━━よきにはからいたまえ。━━
(次エントリに続けます)