2022年6月21日火曜日

主客

 「食べログ」の評価点を巡る裁判で、6月16日、東京地裁はサイトの運営会社である株式会社カカクコムに損害賠償を命じる判決を下しました。この判決を不服として(株)カカクコムは東京高裁に控訴しましたから、確定判決が出るまでまだ時間がかかりそうです。


現時点において、東京地裁は原告である焼肉チェーンの主張を認めたということになります。この裁判は、”食べログによって店の評価点が不当に下げられ、その結果生じた、来店客の減少、売上減による損害の賠償を請求する”ものでした。

裁判では、第三者に公開されない形でアルゴリズムの一部が開示され、アルゴリズムの変更によって原告の飲食店の点数が下がったと判断されたとのことです。”チェーン店であること”も評価を下げる要素だったようですが、
詳細はよく解りません

この一連の報道を見聞して関心を抱いたのは、該飲食店の売上減が食べログ評価の減点に依ることを事実として、
何故そこまで食べログの評価点は信用されるのか
といった部分です。アルゴリズムが非公開な上、食べログ自身も、点数・ランキングについてのページで
━━点数はユーザーから投稿された主観的な評価・口コミをもとに算出した数値です。━━
と、主観的なデータをもとにしていると明言しています。主観が多数集まっていけば客観に漸近するという考え方かもしれません。実際食べログの口コミ・ランキングに対する取り組み(食べログ運営ポリシー)には、本音を言える環境、中立公正、質の追求といった立派な文言が並んでいます。本音を言える環境、質の追求はさておき、主観的な評価・口コミを集めて、どういった論理で変換すると中立公正な客観評価になるのか理解できません。それが非公開の素晴らしい食べログのアルゴリズムなんでしょうか。

受け入れ難い危ういものを感じた次第です。

それは、個人の意見(主観)を集めて何かアルゴリズムで変換して示された意思決定の結果が、中立公正で客観的な判断とみなされかねない、ということです。その典型例は選挙を意思決定の手段とする民主主義です。上記食べログのポリシーの延長線上には、民主主義のプロセスを経た意思決定を絶対的に正当なものとして神聖視してしまう危険が潜んでいるように思えてなりません。

これは民主主義のプロセスが正当な意思決定を下すことへの信頼ではなく、理想化した民主主義の権威に由来するものです。民主主義が正しい結果を導くとは限りません。ヒトラーは選挙で選出されましたし、前の日中戦争も日米開戦も民主主義体制下での話です。権威が一人歩きして絶対視されることは全く不適切です。

信奉が過剰になって聖域化するとどうなるか。

1)美味しい店の食べログ評価点が高いのではなく、食べログ評価点の高い店だから美味しい店である。

2)民主主義は、各個人の幅広い意見から合理的に一つの意思を決定する単なる一手法に過ぎないが、民主主義だからこそ正当な意思決定ができる。

3)公平・公正、不偏不党の放送をNHKが行うのではなく、NHKの放送だから公平・公正、不偏不党である。

3')事実を報道するのがNHKではなく、NHKの報道だから事実である。

4)政府の判断に謬りがないのではなく、政府の判断だから謬りはない。金融政策、産業政策、教育や科学研究の分野で容易に事例を見つけることができます。

この主客の転倒は、取りも直さず組織体に無謬性が横臥している証左です。裏返せば、無謬性を有する組織体ではこの主客の転倒というか権威の独尊状態が容易に生じています。果たしてこれを抑止することができるのか、懐疑的な見方をしています。



(追記してきます。)