2018年9月24日月曜日

顧慮

かつて名古屋市名東区極楽に中華料理店がありました。現在は閉店しています。

中華屋というより中華料理店という店でホテル中華に似た料理が提供されていた覚えがあります。それほど古い店でもなく、流行っていたにも関わらず突然の閉店でした。

店主の体調不良が理由のようです。以下は閉店告知の引用です。
大切なお客様へ
急ではございますが店主の体調不良のため、今月をもちまして閉店させていただきます。たくさんの皆様に十六年間お越し頂きました事、心より感謝致しております。長い間、誠にありがとうございました。
ネット上ではそれまで概ね”美味しい”と高評価であったものの閉店時あたりになると、
値段の割には、大したことない味
料理出てくるの遅い
とか、
これまで行った中華料理の店で一番不味く、注文してから料理が出てくる迄遅すぎる❗
といった辛辣なクチコミを目にしました。店主の体調不良がその原因だった、そんな可能性も否定できないだろうと思った次第です。本当の処は存じませんけど。

学生時代頻繁に訪れていた和食屋?、定食屋?飲み屋にも似た話がありました。東京郊外、小金井市の店なんですが、懐かしさに駆られ、偶々クチコミ検索をしてみた処、”高齢の親父さん”、”親父さんが厨房に立たないからなのか、....”といった文言が...三十年以上前に通っていた店ですから、高齢なのはそりゃそうだよなと合点したものの、後者の言葉になんとなく引っ掛かりを覚えました。

それは2015年のクチコミでしたが、その二年後、喪中欠礼の葉書が届いたわけです。後ほど聞くところによると死因は癌だったとのこと。厨房に立たなかったのはそういう理由だったのでは、との思いが過りました。勿論、高齢ということもあったのでしょうが、年齢という理由だけではなかったのでは、ということです。特段、根拠はありません。

気丈な方ではありました。卒業して数年後、何人かの同窓と飲んでいたその日、息子さんが事故で危篤状態だったと後ほど聞きました。結局亡くされたとのこと。

それでもその日我々のために酒食の席を整えてくれていたことを振り返れば単に高齢と言う理由だけで厨房に立たなかったというのも俄に信じられず、上記の思いに至ったわけです。

だからといって、知る由のないことを慮れと無理を言うつもりは毛頭ありません。上記コメントにおいて、”事実は事実であって、そんなことは与り知らぬ、関知しない”と言われればそれは全くその通りであることは重々承知しています。

センチメンタルな話かもしれません。ネット上で制限なく開陳されているそういった匿名のコメントは、半永久的に残るというか、漂流し続けます。反論、否定、弁明されることなく...閉店していたり、故人になっていれば尚更です。

飲食店に限らずある事象に対する主観性の強いコメント、それが一旦ネットに放たれると、出所不詳で根拠不十分であったとしても、既成事実の烙印が押され一人歩きを始めてしまうことは珍しくありません。

今更ながらですが、相手の事情を酌むどころか思量もしないクチコミという表現の根幹に横臥している主観の、容赦ない身勝手さ、冷酷という本質を垣間見た気がします。

2018年9月8日土曜日

全力

先日、ラジオで耳にした報道です。
安倍晋三首相は5日午前、台風21号による関西空港の被害などについて、森昌文国土交通事務次官らから官邸で報告を受け、関係省庁が連携して早期再開へ全力で当たるよう指示した。
共同通信、毎日、東京、中日辺りの新聞は同じ文言を使っているようです。以前から、全力、完璧、完全といった修辞が多用されている総理の発言なんですが、上記では指示としての文言です。果たして”全力で当たらせる”ことは指示として意味があるのだろうか、違和感を抱いた次第です。

”全力で”という指示がないと省庁は全力を出さない、5割とか7割の力でしか取り組まない、ということならば上記指示も意義があるわけですが、この指示の有無で結果に差異が生ずるという理解でいいのでしょうか。

それはそれで、行政府の長から”全力で”という指示あって、はじめてフルスペックで機能する行政システムというのも、システムとして問題を内包していると言わざるを得ません。

或いは、この”全力”の語には粉骨砕身、不眠不休とか、寝食を廃して、或いはもっと具体的な勤務形態を指す、暗黙の含意を持つ公務員の専門用語なのか...
(期待も含めて)事態を大きく好転させる
そういった指示こそが為政者に求められているものであり、統治者として高い評価が与えられると考えるのですが。

”全力で当たるよう指示した”の文言からは、何だか一つの手続きというか、予定調和的な印象を拭えません。

黙して語らずでは野党やメディアの批判に晒されるのは確実です。しかしながら、だからといって、”関心を寄せています”、”蔑ろ、軽視していません”の意味で、予防線としての”全力で当たるよう指示した”には空虚感を覚えてしまう、というのが実の処です。

2018年9月7日金曜日

慄然

ちょっと書き留めておきます。なかなかの珍景だったので。

名古屋郊外のドラッグストアでのことです。最近のドラッグストアは、野菜、鮮魚、畜肉といった生鮮品はともかく、日常的な食料品の品揃えに驚かされます。

先日、適当な日用品やごくありふれた食品をカゴに入れてレジ待ちしていました。と、隣のレジで高齢の男性が、おそらくパートであろうレジ係の女性に苦情?文句を言っていました。怒鳴っているわけではありませんがそれなりに強い口調で、
値段が間違っている
と。レジ作業が滞り、困惑したレジ係は店長らしき責任者を呼んで対応を一任、両者は売り場の棚へ移動していきました。

やはり、”値段が違う”、”間違っている”とか、”本部の指示で”といったやりとりが耳に入ってくるわけです。一体なんだろうと、興味を引かれレジの列を離れて当該売り場付近に近寄ったのは私です。

漏れ聞くところによると、対象製品はポカリスエットの2Lボトルでした。棚に取り付けてある値札の間違いでもあったのか、と思っているとそうでもないようです。”間違いありません”と店側店員は応えていましたから。

更にもう少し窺っていると、
先週配布されたらしいチラシに特売品として掲載されていた価格と違う、間違っている
ということのようでした。???...えーと。よくわからないのですが、私の理解の域を超えているのは確かです。店側店員の、”価格は本部が決めています”とか、”それは先週のチラシの特売価格です”といった応えを聞けば、まぁ、そういうことなんだろうと。
一点の負い目もなく先週の特売価格を引き合いに現在の価格を間違いと断じ、その正当性を譲らない...

結局、当人は納得がいかないまま店員に文句を言って、不満気に当該商品を買っていきました。
ポカリが高けりゃアクエリアスを買えばいいじゃない
確か、マリー・アントワネットも言っていたはずです。多分。おそらく...

改めて、接客の仕事は辛いなぁと。サービス業全般で人手不足が叫ばれ、パート募集の貼り紙がいつまでも掲示されている理由もなんとなくわかりました。

くわばらくわばら。