何店か支店を出している店のようで、店内には空き待ちのスペースがあり、席は半個室風で、多くの店員を擁した大店でした。
で、綺麗というか美味そうに印刷された品書きというよりメニューからうな丼定食(特)を選択しました。この丼の”定食”という以外に丼を選べないのも理解し難かったのですが、最も鰻が少なくて安価で(特)というのも違和感がありました。では、(特)は鰻1/2匹で何を意味するのだろうと。特価?特別?特上に対する特並とか...これではもはや”特”の意味がありませんけど。
メニューには右から(特上)、(極み)、(特)と記載されているのも混乱を催させます。鰻が多くなるに従い、(特上=2/3匹)、(極み=1匹)となるようですがこの序列にはなっていませんでした。(特上)が筆頭=お薦めという意味なんでしょうか。
そんなあれこれを思いつつ、特段、瀬戸 田代のような鰻(大)の1/2匹を期待したわけでもなく、まぁ、”鰻を食べた”という満足感が得られれば十分、そんな心持ちでした。
配膳された定食(特)は、丼、汁物、小鉢、香の物に後ほど冷菓といった構成でした。丼は蓋なしですか、まぁいちいち指摘しても致し方ないことです。
まず目についたのは鰻で覆われていない白飯の余白部分ですが、1/2匹ですから勿論承知しています。ただそれ以上に鰻の細さ、貧弱さが気になりました。
ここの処、熱田あたりの有名店でも鰻の細さを指摘する声が上がっているようですが、シラス鰻不漁が具現化しているのでしょうか。
丼の並を注文して白飯の余白部分が目につく、即ち鰻の量云々を言うつもりは毛頭ありませんが、鰻の身が薄いのは頂けないなぁと。注文したのは並ではなく特ですけど、特がそれを意味するのであれば理解はできなくもありません。そういう店なんだと。接客が丁寧で小鉢やデザートがつく定食の体を装っても、肝心の丼がこれでは...却って不満が残ります。もっと鰻に心を砕くべきなんじゃないか、というのが率直な思いです。
上述したように品書きは、縦書きで右に「うな丼定食」とあって左端に料理の写真があって、その間に右から左方向に(特上)、(極み)、(特)と並べてあります。ただ、これは必ずしも鰻の量(=価格)の順にはなっていません。その順に並び換えれば(極み)、(特上)、(特)となります。1)この並びの意味する処に加えて、2)(極み)、(特上)、(特)という表記について少し考えてみます。
これらが店側のどういった意図を以って為されたものなのか、実際の処はよく判りませんが、推測、想像の域内で勘ぐってみます。
1)レイアウト
通常、(極み)、(特上)、(特)と並ぶ処、(特上)、(極み)、(特)と、(極み)と(特上)の位置が入れ換えられています。これはおそらく(特上)か(極み)、いずれかの選択へ誘導しようという意図の現れではないかと。では、そのどちら?、と問われても回答は見つけられていませんけど。
等級が三段階、例えば、[上・中・下]、[特上・上・並]、[松・竹・梅]とある時、人は中、上、竹といった中間の等級を選ぶ傾向にあるのはよく知られています。四等級以上の選択肢では、それ以上に最高等級から二番目が選ばれがちです。
これを踏まえれば、(極み)、(特上)、(特)と並んでいれば(特上)を、(特上)、(極み)、(特)であれば(極み)を選好する、そういった意図がこの配置に込められていないだろうか、と思った次第です。勿論、各々には価格や鰻の量のついても記載がありますから、あくまで直感的な選好についての話です。
ただ、上述の(特上)、(極み)、(特)といった並びだけであれば(極み)が選好され易いわけですが、ここに「うな丼定食」という料理名との位置関係が選択に影響を及ぼす可能性も排除できません。
例えば下図のような二つの品書きがあった時、よく目にする並びはおそらくAではないでしょうか。
とんかつ定食の何か一つを注文しようとした時、料理の選択が自身の意志に委ねられるのは至極当たり前のことですが、この時、より正統的、一般的な料理にしようとすれば実は筆頭にある料理に誘引されることになります。
品書きAではロースカツ定食が、Bでは上ロースカツ定食が直感的、優先的に選択されているのではないでしょうか。本人の意志に加え、品書き中の料理の配列も選択(=自身の意志)に影響を与えているだろうということです。
これら二つの品書きA、Bにおける、ロースカツ定食、上ロースカツ定食に対する選好性の定量的評価は興味深い部分であり、ダン・アリエリー教授による解析を願うばかりです。
うな丼定食も同様に考えられますが、”[上・中・下]の中、中間の等級を選択”と、”よりハズレのない代表的なものを選好”のいずれが支配的であるのか、残念ながらよく判りません。ただ、そういった要因で(特上)と(極み)、実際の注文数に差が生じることもあるだろうという話です。
今後、更なる検証が必要であるのは言うまでもありません。
2)表記
各丼の表記による序列が直感的に判じ辛く、店の意図を推し量れないことも少なからずあります。既に記したように、該鰻屋の場合では、(特)、(特上)、(極み)の表記です。(並)、(上)、(特上)と意味する処は同じなんでしょうが、(特上)から(極み)が繋がりません。[特、特上、大特上]か、[極、極上、最極上]ならば序列は認識できますが...”上”を繋げる特と極、更にその冠となる大、最の組み合わせの序列についての認識の曖昧さが理由です。(並)の語の使用を避けるためなんでしょうが、判り難くさの方が上回っている感があります。スタンダード、ミドル、デラックス、スーパーデラックス、アッパー、ハイクラス、ハイグレード、プレミアム、プライム、エグゼクティブの判り難くさと同じです。
特定のどれか一つに誘導する意図がないならば、いや、たとえ該意図があったとしても、やはり判り易い表記の方が好ましい、と考えます。わざわざ並を特と称して妙な期待感を抱かせるより並は”並”で構いません。或いは”標準”でも...[並・上・特上]とか、”並”の語を避けるならば[鰻丼・上鰻丼・特上鰻丼]あたりが適切です。
まぁ、いずれにせよ先ずは並を選びますけど。寿司屋もそうですが、佳い店には十分美味しい並がありますから。
話が逸れたまま長くなりました。この鰻屋を訪れて考えたのはそういった品書き云々ではなく、鰻丼を口にした時の満足感というものは店の規模に逆相関するなぁ、ということです。
東京銀座だったり、名駅の高層商業ビル内への出店、街道沿いの広い駐車場を備えた和風調鉄骨作りの店舗、そういった支店が増えれば増えるほど...品書きは写真付きのメニューへと変貌します。視覚で食欲が刺激されますが、店舗前を通って煙や香りで引き寄せられることはありません。
店内では和服様の制服を着用したパート従業員が丁寧に接客をし、会計はクレジットカードでの支払いができ、ポイントカードの作製を勧められることすらあります。
書き連ねていて、そういった鰻屋で旨い店が思い浮かびませんし、イメージもできません。決して不味いわけではないのですが、”美味しい鰻を食べた”という十分な満足感にまで至らない、そんなことがこれまでもありました。
支店など出すな、従業員を入れるなと言うつもりは毛頭ないのですが、少なくとも東京、大阪の繁華街や駅ビル、デパートにテナントとして出店している鰻屋はなぁ、と。クレジットカードが使えるなどもっての外です。
こういった鰻屋はもはや店ではなく会社です。事業として鰻丼を提供している、といった印象を抱きます。そこに職人は居るのでしょうか。
当初は個人経営の一つの店だったはずです。何が事業会社へと進ませ、或いは個人事業として留まらせたのかは存じません。ただ、鰻屋は事業ではなく生業としている店の方が佳い、と確信しています。
誤解を避けるために、これは”儲けるな”という主旨では断じてないことを申し添えておきます。
さて、このような捻くれた見方を鰻屋だけでなく飲食店全般に当て嵌めてみます。