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2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年5月20日金曜日

圧力

本日(5/20)の定例会見でも辞職を否定、都民のために都知事でいたいとのこと。
舛添知事釈明会見(1)謝罪連発、深く頭下げ「非常に信頼を失っている」でも…辞任は否定
で、こういったブログエントリがあります。
舛添さんの8回のファーストクラスの渡航で溜まったマイルはどれくらい??
その中で、
都民として舛ハゲの豪華家族サービスやファーストクラスに使われるなら、1円なりとも都民税を払う気に全くなれない。法人税は仕方ないとしても個人の住民税はふるさと納税で東京には納めないことにした。
との文言があるわけです。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用した
”都に納税したくないからふるさと納税した”
との意思表示は、ある意味民意の具現化です。”保育園落ちた...”ブログ並みに騒ぎになれば結構な圧力になるのではないでしょうか。

尤も税収減は次年度となりますが。

ただ、税が公益のために公正、合理的に資されているという前提の下、このふるさと納税の制度を鑑みれば、問題ある制度であり否定的に捉えているのが率直な処ではあります。

寄付の見返りとしての”お礼の品”に着目すれば、節税どころか換金性の高いお礼の品を利用すれば、合法的課税逃れと言えなくもありません。

更に、以前記した道の駅についてのエントリに通底した、(実質的に)公的機関による通販事業運営で生じる問題が潜んでいると考えます。

これまで、為政者、閣僚、代議士、選良と称される公人による公私混同、政治資金という公金の不正流用問題が数多報道されてきました。舛添都知事の疑惑が現在進行中で最新です。

加えて、官庁においても過去、公金の私的流用、裏金問題、横領、贈賄といった不祥事は枚挙に暇がありません。外務省、大使館、社保庁、岐阜県庁、北海道警等が直ぐに思い当たるところです。

そういった報道を見聞する都度、少なくとも自分の納税分についてその使途に自身の意向を反映させられないものか、と思ってしまいます。”納税しない”という意味ではありません。

適正な予算配分が一市民には到底不可能であることはよく承知しています。しかしながら、納税者向けに、少なくとも自らの納税分について、振り向けたくない費目、重点配分したい費目といった程度に意思表明できる選択肢が用意されるべきではないか、ということです。

この意志の集合こそが正しく民意で、それ以外の何物でもありません。税金の使途についての選択権、これは極論すれば特定の予算についての拒否権です。この納税者が税金の使途について選択できるという自由が、上述のような不祥事発生の抑止力に、或いは、予算の合理的な運用や公務の効率化に寄与し得ると考えます。

住民票のある都道府県、市町村以外の自治体への納税を選択できる、これがふるさと納税です。この制度を端緒として、国税も含めた税の使途選択の仕組みを用いることで、国政へのより直接的な民意の反映が実現するんじゃないか、そう思った次第です。困る方々も多そうですが。

2016年3月27日日曜日

真逆

”走る歓び”とは逆方向の話なんじゃないでしょうか。
自動運転タクシーの実証実験、来年初めから開始=政府

自動運転と言えば真っ先にGoogleで開発が進められているグーグル・カーが思い浮かびます。一方、”走る歓び”の文言で想起されるのは、マツダの

Be a Driver.
トヨタの

FUN TO DRIVE, AGAIN.
といったところでしょうか。
じゃ、”走る歓び”って一体何だと、運転者だか、同乗者、所有者を歓ばせる正体は自動車の何だろうという話になるわけです。

所有者であれば所有する歓びです。運転に関わらない同乗者が”走る歓び”を感じられるなら、上述のグーグル・カーを含めたバス、タクシーでも構わないわけですが、それも違うんじゃないかと。自動車メーカーが消費者の購買意欲を煽れませんから。プロモーションになりません。


やはり、運転者の、”運転する歓び”即ち”走る歓び”ということでしょうか。これはおそらく、”機械を自分の思い通りに操る歓び”なんでしょう。その結果、己の体力のみでは不可能な加速感や景色の変化を自在に体験できるわけです。

機動戦士を操縦する心情に通底したものがあるのかもしれません。

ただ、上記マツダのリンクにある、

ドライバーとクルマの関係を、
もっともっと深いものへと変えていく。
人とクルマが息を合わせる。
走る歓びを分かち合い、深い愛着を覚える。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
クルマは単なる道具ではない。
私たちは、人とひとつになれるクルマをつくっている。
には素直に共感できないでいます。車は道具です。人馬一体が自動車でも起こり得るかの如く上記文言ですが、擬人(馬)化しても自動車は輸送機械の一つです。あくまでも、運転者が自動車に慣れ、習熟するのであって、単に人が車に合わせているに留まります。ミもフタもない話かもしれませんが...

トヨタのサイトには単に”クルマの楽しさ”とあるのみでその言葉が何を示しているのか不明です。抽象的な観念論ではなく、具体的な説明を望みたい処です。

勿論、だからといってマツダやトヨタの車を批判しているわけではないことは申し添えておきます。

このような視点に立ってみると、やはり自動運転は自動車という機械の到達目標の一つであるのは間違いありません。一部車種では、アイサイト(衝突被害軽減ブレーキ)、インテリジェントパーキングアシスト(駐車・車庫入れアシスト)といった運転アシスト機能は既に取り入れられていますし、単純なクルーズコントロールはかなり以前からありました。

何だか、”走る歓び”とは逆方向の車社会に進んでいくような気がしますが...自動車メーカが”走る歓び”と自動運転をどう折り合わせるつもりなのか、関心を寄せています。

いつまでも ”走る歓び”を謳って購買意欲を喚起するのもどうなんでしょうか、個人の所感です。

一方、そういった自動運転へと向かう流れに対し、”クルマの良さが失われる”、”自動車はやっぱり自らの意思で自由に操れなきゃ”といった否定的な声も上がっています。おそらく、自動運転による必要以上の便利さ、快適性に対する要求を不要のものとして拒みたいんじゃないかと推測しています。

思い違いです。他人の痛みがわからない、思いを馳せることができないということかもしれません。そうであろうことを理解することは容易です。容認しているわけではありませんが。

第一義的に便利さを求めるのではなく、交通事故による理不尽な不利益を少しでも減じる、これが自動運転の主たる目的と捉えています。酒酔い、高齢者、暴走、突然の疾患等、故意、過失を問わず、被害者自身の責に全く依らない悲惨な交通事故は未だ後を絶たないのが現状です。

このエントリを記し始めてもたもたしている間、今日までだけでも一体どれだけの、交通事故による理不尽な不利益を被った被害者が生みだされてしまったのか。

パトに追跡され暴走、4台事故 1人死亡 東京・世田谷
山陽道トンネルで車12台絡む多重事故 2人死亡 広島
【梅田・車暴走事故】重体28歳女性は横断歩道上、死亡65歳男性は歩道上で最後にはねられたか 死傷者の状況判明
十分ではないものの、こういった謂れのない事故被害の低減に寄与するであろう自動運転を、個人の趣味を優先した尤もらしい”走る歓び”の語で水さす物言いに独善的な印象を禁じ得ません。

それは恰も、天然鰻を出す料理店を、その写真と共に嬉々として紹介するグルメブログと同じ身勝手さを感じます。そういったブログで、天然/養殖、鮮度、食品添加物の問題に関連付けて健康、環境とかを上から目線で論じられても、誠実さ、真実味、信頼性を欠いているなぁ、と思うわけです。胡散臭さ、欺瞞性は伝わってきますが...

昨今、運動会や体育祭といった学校の伝統的行事の一つとして行われてきた組体操について、中止を求める声が上がっています。

【組体操】事故は年8000件だった「安全確保できない場合は中止を」スポーツ庁
事故の例
で、当然、”感動”、”達成感”、”団結心”といった語で組体操の意義を説く声も生まれます。
それでも私が組体操に取り組む理由。ある現役教師の告白
典型的な考えは、
大阪の現場の先生方、教育委員会の戯言は無視して、これからも、今まで通りに安全を確保しながら、挑戦すべきは挑戦していけばいいです。保護者たちも、ケガや骨折は成長の一環と受け止めてあげてください。今の日本に不足しているのは、そういった「覚悟」だと思う。
といったところでしょうか。”走る歓び”、”天然鰻”、更には、”事故前の原発の安全神話”にも通底した他人事感満載の意識だなぁと。


まぁ、自分(とその周囲)は大丈夫だろう、他人の痛みには共感できない、というのも尤もな話で、理解できないわけではありません。しかしながら、そうは言ってももう少し賢い一歩に駒を進められないものなのかと、改めて思った次第です。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に”二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。

2016年1月17日日曜日

行詰

独占を堅守するつもりなら相応の矜持が必要です。独占に伴う責任を自覚できないならば、規制緩和を進めて信書送達事業を民間他社に開放すべきではないでしょうか。
――あて所に尋ねあたりません――
だったか、
――配達準備中に調査しましたが、あて所に尋ねあたりません――
毎年、差出した年賀状の内、一葉は差し戻されます。宛先住所不明とのスタンプが押印されて。

いや、不明とされた住所から差出された年賀状を頂戴しているのですが...年間を通じて一〜二通は誤配もあります。

記憶を遡れば、自動車税の滞納者扱いを受けたこともありました。転居の際、郵便局に転居届を出していたのですが、税の納付期限が過ぎたあたりでしょうか、突然県税事務所からの電話が...

――自動車税を滞納しています。一体何時納付するんですか?滞納金が...――
そもそも納付書自体が転送されていませんでしたから、端からの滞納者扱いは不快を催させました。当然、

――納付書が届いていない。事情も鑑みずいきなりの滞納者扱いは失礼じゃないのか?――
となるわけです。県税事務所の言い分は、差出した時点で納税者に届いたとみなしている、とのこと。

――届いていないのは事実だ。いきなり滞納者扱いしたいなら書留か、配達記録便で送ってから言うべきじゃないのか。――
まぁ、謝りませんわね。これが公務員の無謬性なんでしょうか。結局、納付書が新住所に再送されて納税しました。ちなみに、最初の納付書はそれから半年後に転送されてきました。


年々、郵便送達に関わる信頼性が毀損していく一方で、営業活動、特に年賀状の販促活動は熾烈さが増大している、そういった印象を抱いています。

ここ数年、晩秋、初冬あたりから年賀状のセールス活動が開始されている気がします。郵便受けには郵便物と共に、近隣の特定郵便局二局から年賀状の申し込みハガキが投函されます。

その後、郵便配達員から直接年賀状の申し込みハガキを受け取ります。こちらは、本局への申し込みとなります。その後、所用で郵便局に赴けば、至る局で
――年賀状はもう用意されましたか?――
の問いかけがあります。12月も中旬を過ぎて、スーパーの店頭、本局の局前に設けられた特設売り場からの、年の瀬に行き交う人々への販促活動で佳境を迎えます。正に、年賀状を購入しない市民は許すまじ、そういった感すら覗えます。

年賀状って日本郵便の独占事業じゃないのでしょうか?年賀状市場という一つのパイはそのまま日本郵便のものです。以前、横から手を出そうとしたヤマト運輸は、厳しくその手を叩かれ、最近ではメール便からの撤退も余儀なくされています。

いくら販促活動をしようが、年賀状を送る人が必要以上の年賀状を購入するはずはなく、又、送らない人が購入に傾くわけがありません。販売元は日本郵便で共通ですから、本局と地域の特定郵便局で互いに共喰いしているに過ぎないかと...

不毛で非効率以外の何ものでもありません。相当の余剰人員があるんじゃないかと疑ってしまいます。”株式会社になって営業も頑張っています”、ポーズならば動機は理解できます。しかしながら、株式会社化して利益を意識せざるを得ないとしても、方向が誤りです。

漏れ聞く所によると、局内では、”年賀状はまだまだ。年々伸びている。”、といった訓示が管理職からあるようです。???大本営ですか...

虚礼廃止、人口減少、e-mailやSNSといったコミュニケーションツールの多様化といった潮流を鑑みれば、年賀状の発行枚数が増加する根拠が見つかりません。

以下は裏付けるいくつかの現状です。
ノルマ1万枚!年賀はがき販売で郵便局員同士が過酷な潰し合い!売れないと一人で路上販売
年賀ハガキの利用者がどんどん減っているらしいので発行枚数を調べてみた(2015年発行分まで)
同様な非生産的な話はクレジットカードの勧誘キャンペーンで遭遇しています。銀行や航空会社等、比較的”堅い”とされている企業が発行する、年会費が有料のクレジットカードの会員加入を、該企業に勤務する取引先、友人、親類あたりから依頼されたことはないでしょうか。

大抵、初年度会費が無料で、有料となる時期が来る前に連絡をもらって解約する取り決めをしています。一度も使用することなく、解約の電話を入れてカードにハサミを入れるわけです。

未だ釈然としないままです。せいぜいカードの発行枚数の多さを誇示する程度しか思いつきません。勧誘の目的を理解しかねています。発行元で一年後解約率を押さえているのは勿論でしょうが、相当の経費負担ではないでしょうか。

で、この不毛な悪弊はどのように解消されていくのだろうか、関心を寄せているのですが、難しい話なんじゃないかと。おそらく、この会員獲得キャンペーンの関係者全てがこの非生産性を認識しているのではないでしょうか。

つまり、会員獲得へと駆り立てる管理職、キャンペーンの責任者、経営幹部、全てその間で”解約を前提とした加入でも見掛けの数字ができればそれで構わない”といった了解ができている、ということです。表面上、肯定することはないとは思いますが。

脈々と受け継がれ、自身が辿ってきた道は否定できないわけです。自己否定に繋がりかねませんし、この”お約束”は組織防衛の一環と理解できます。こうしたクレジットカード解約の山が死屍累々と築かれ続けることを絶つには、外部からの生産性評価が一策です。しかしながら、以前のエントリにも記しましたが、組織、個人に関わらず、追い詰められた危機的な状況に至らない限り自己変革はなかなか難しいかと...

昨年、巷を騒がせた東洋ゴムの性能データ改ざん、旭化成建材他の杭打ちデータ改ざん問題、東芝の不正会計問題といった組織の不祥事も、同根の話かと、そう思った次第です。

2015年10月4日日曜日

欧州(2)

さて、脱線からVW排ガス不正問題に戻ります。

特段、自動車に詳しくなく根拠のない所感です。

”クリーンディーゼル”の語を耳にしたのはトヨタのハイブリッド車プリウスが注目されて以降だったかと。プリウスが話題になる中、気がつけばヨーロッパではクリーンディーゼル搭載の自動車が席巻し主流になっていたと。素直にフォルクスワーゲン、メルセデス、BMWにルノーを加えたヨーロッパの自動車会社の技術の凄さには驚きました。

自動車の性能は軽量、高馬力、高トルクで決定され、軽量化、耐久性や信頼性向上には簡素な構造が好ましいのは当然ですから。

ハイブリッドのようにシステムを複雑化することなく、燃費や排ガスといった環境性能に優れた自動車が上市されたわけです。調べてみるとクリーンディーゼルの根幹を支えるコモンレールシステムはボッシュとデンソーから各自動車メーカーに供給されていました。

デンソーのシステムがクリーンディーゼルに採用されているなら、何故日本でディーゼルカーが販売されないのだろうか?作れるはずなのに...


”ああ、そうか。トヨタはハイブリッドカーを売らなきゃいけないからね。莫大な開発費を取り戻して大量生産大量販売でコストダウンを図るにはディーゼルカーは邪魔なんだろう。”
と、納得していました。その一方で、何故ヨーロッパではプリウスは支持されないのだろうか、との疑問を抱いていました。米国で俳優ブラッド・ピットやレオナルド・ディカプリオがプリウスに乗っている、と騒がれた頃だったでしょうか。

ハイブリッドとクリーンディーゼル、性能面で優るのは実の所どちらなのか、何故棲み分けができているのか不思議ではありました。

今にして思えば、トヨタのプリウスを脅威に感じ、自国自動車産業保護を目論んで、ヨーロッパではクリーンディーゼルを盾にハイブリッドを締め出したのではないでしょうか。

一方、産油国になりつつあった米国では安価な軽油を使うディーゼルカーで環境基準をクリアする必要性に乏しいわけです。自国の安価なガソリン車で環境基準を満足すれば十分で、クリーンディーゼルを開発する動機に乏しいと。必要なのは、やはり自国自動車産業保護のため、ディーゼルカーに厳しい環境規制を設けてヨーロッパからのディーゼルカーの進出を食い止めることだったのではないかと憶測しています。

そういった構図が腑に落ちてしまいます。根拠の無い勘ぐりであるのは勿論ですが。


さて、前のエントリでは、一事業者の不正による同業他社の逸失利益について触れましたが、これが賠償された事例を知りません。ただ、本不正事件でヨーロッパの同業他社やトヨタには利益の逸失それなりにあったであろうことは容易に推測できます。

こういった場合の賠償責任というものは法的裏付けが無い限り発生しないのでしょうか。特許制度では権利の侵害が認められれば損害賠償は極めて当然に請求が行われますが...よくわかりません。

で、この排ガス不正問題ですが、どういった形の幕引きになるのでしょうか。

VWの支払い能力の範囲内に収まれば課せられた制裁金も、損害賠償も支払えるはずですが、回収、修理命令が規制当局から出された場合、改修のために代替する技術があるとは思えないのです。

無効化したソフトを常時作動させれば、排ガスは基準値内に抑制できますが、所定の走行性能は満たせなくなります。デンソーのシステムに交換?難しいかと...

結局、最も現実的な落ち着き所として、メーカー、当局が一体となって、
目を逸らして時間による解決を待つ
という対応が想定できるわけです。言い換えれば、徳政令的に猶予、繰延、といった言い方が適切かもしれません。

ヨーロッパでは、時限的に排ガス規制の基準を緩和し、その猶予期間中に基準を満たす技術の開発を進めていくと...規制の先送りです。都合よくルールを変更するのはヨーロッパ諸国の伝統的お家芸です。そういった勘ぐりを否めません。

米国ではどうでしょうか。改修が困難という結論となれば、返品、返金に応じざるを得ないといった状況にも追い込まれかねない話です。

そうなると、排ガス規制の緩い国に転売、投げ売りする他、手段が見当たりません。どの程度の猶予期間が許容されるかは判りませんが、米国からVWのディーゼルカーの姿を消していく、そういった結末をも視野に入れざるを得ない話ではないでしょうか。当然、計り知れない損失がVWに生じます。

ただ、少なくとも欧州において、VWはToo Big to Failな存在ですから、ルール変更という鎧に守られて存続するであろうことは確かかと。VWの米国撤退に併せて米国車の欧州からの締め出し、といった保護主義的状態がより顕著になることも予想に難くありません。

このVW排ガス不正の問題において、
EU、2年前にVWの不正把握か 規制運用問われる
と、EUの規制当局は座視していたようです。トヨタが抗議していたにも拘らず、それでも...

欧州の身勝手、独善をまざまざと見せつけられたわけですが、しかし、まぁ、これまでの行状を鑑みればさもありなんと得心が行ってしまいます。

例えば、

『なぜ欧米人は平気でルールを変えるのか』 - 是非とも読んでほしい
といったブログエントリもありますし、独禁法(欧州連合競争法)絡みでは、
マイクロソフトの欧州連合における競争法違反事件
がよく知られています。 2015年でも、
欧州委がGoogleの正式提訴を決定か、競争法違反巡り

欧州委、アマゾン調査 電子書籍巡り独禁法違反の疑い
とEUが自らの正義を主張する事例には事欠きません。

確かに公正な競争の阻害は問題ですが、”不公正”を盾にした保護主義は双方にとって不利益であり、非生産的と考えます。EUという経済共同体を挙げた対外排除は、内なる変革を阻むと共に、周囲、外部の欺瞞、消耗に繋がるということです。

先日、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉について
TPP大筋合意、巨大自由貿易圏誕生へ前進 米議会は懐疑的
といった報道を目にしました。TPP内部での貿易に関わる障壁を低減、撤廃する一方、EUの保護主義への対抗措置としての経済共同体の結成といった見方もできるのではないでしょうか。

2015年7月4日土曜日

相殺

自宅から徒歩二、三分の所です。幹線道路の信号付近で愛知県警守山署が頻繁に取締りを実施しています。

古くからの街道でそれ程速度を出せる道路ではありません。シートベルトの未装着や運転中の携帯電話の使用が取締りの対象のようで、結構な人数の運転者が違反切符を切られている模様です。

その付近一帯には、何とも言えない、やってしまった感が立ち込めています。自宅まで押し寄せてきそうです。一回の取締時間はそれほど長時間ではありませんが、多い時には週に二度ほど実施されています。絶好の漁場なんでしょうか。

で、果たして警察には業務の生産性という概念があるのだろうかと、疑問が生じました。生産性の高い警察業務と、例えば上記取締において、少数、短時間で多くの違反切符を交付することが符合しないのは明白であり、疑問の余地はありません。

それはノルマの遂行だったり、点数稼ぎに過ぎません。シートベルトの未装着は事故が起こってから重大な被害へと繋がり得る違反ですが自己責任の部分もかなりあるでしょう。運転中の携帯電話の使用も重大事故を引き起こさない、とするつもりはありません。

しかしながら、飲酒、或いは酒気帯び運転、速度超過、一時停止違反、信号無視となると話は違います。自損事故に留まらず、重大な対人、対物事故の原因となる恐れは、シートベルト未装着や携帯電話使用の比ではないはずです。

そういった、より危険性の高い違反を、例え件数が少なくとも、取り締まることこそが生産性の高い交通業務ではないかと思うわけです。

ヒト、モノ、時間を使ってシートベルト未装着や携帯電話使用の切符を交付してどうする?他に取り締るべき違反があるんじゃないだろうか、ということです。

信号無視や一時停止違反には始終遭遇しています。2014年時点、愛知県は交通事故死者数12年連続ワースト1位のようですが、その主原因がシートベルト未装着や携帯電話使用にあるとは考えられません。

まぁ、飲酒、或いは酒気帯び運転を検問で取り締るより、シートベルト未装着等で違反切符を交付する方が着実に数字を稼げる、ということかもしれません。大体、飲酒、或いは酒気帯び運転の検問は夜間実施することになります。帰宅が遅くなってしまいますしね。

では、一時停止違反はどうでしょうか。見通しの良くない交差点で車対車の事故のみならず、人身事故も頻発しています。まぁ、速度を落としてはいますから重大事故に至ることは少ないかもしれませんが...

しばしば通りがかる交差点で、一時停止違反の取締を見かけたことがあります。二名の警官が乗車したパトカーが、交差点で一時停止違反を目立たない位置から監視していました。

どの程度の時間監視を続ける のかは存じませんが、一箇所の交差点当たりパトカー一台に警官二名...生産性が低いなぁ、と思った次第です。

かつてに較べ圧倒的低コストで長時間、高精細の画像記録が可能な今日、少人数による同時多点取締ができないものなんでしょうか。

例えば、スーパー、コンビニ、銀行といった不特定多数の人間が出入りする場所では、防犯カメラによる来客の行動記録はもはや当たり前に行われています。賛否があろうことは承知していますが、トラブルによる被害の最小化が目的であり、やむを得ない対応かと受け止めています。

そういった環境を鑑みれば、いわゆる事故多発地点での事故を抑止する方策として、ネットワークカメラによるリモート監視がもう少し活用されてもいいのでは、と思っています。

複数地点を同時に一人で監視可能な上、記録も行われるわけですから、取締りの生産性が著しく向上するんじゃないかと。

では、一時停止違反に起因する事故の効率的な低減に有用とみられる、交差点でのリモート監視がなぜ進まないのでしょうか。それはやはり監視者に対する根強い不信感に依拠する部分が大きいためではないかと、憶測しているところです。

タイムリーな話題は、俳優 萩原流行氏のバイク事故でしょうか。真偽は存じませんが...
ようやく非を認める…萩原流行さん死亡事故は全容解明に向かうことができるのか?
こんなおまけつきです。
実際、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ系)は、1日の会見を番組冒頭から「注目の会見が始まります」「生中継でお届けします」と煽りながら、内容が警察批判であることがわかると、短時間で打ち切り。番組の最後の方で簡単に内容をまとめるだけに終わった。
他には、
富山事件
 志布志事件
 足利事件
 袴田事件
大阪地検特捜部主任検事証拠改ざん事件
などが記憶に新しい事件かと。

守山署に限れば、
証拠品投棄容疑で警部補を書類送検
巡査部長が証拠品など自宅に持ち帰る
調書改ざん、破棄容疑
副署長や地域課長が酒気帯び運転で処分
といった事案が検索されるわけです。これじゃぁなぁ...リモート監視以前に上記を何とかしたほうが生産的かもしれません。

先のエントリのコメントで、
改憲はすべきだが、”あんな連中にはしてほしくないなぁ”、というのが素直な印象です。
と記しているのですが、似たものを感じています。

ところで、テレビの番組改編期に各放送局で一度は”警察24時”のような特番が放送されます。警官個々人に焦点を当て職務の崇高さ、正義感、真摯さを伝えようという意図なんでしょう。

当然ですが、直近で不祥事を起こした部署は取り上げられないわけです。で、なんとなくなんですが、警察の不祥事発覚が多ければ多いほど該特番の本数が増えているように感じています。広報の一部として、相殺というか、不祥事以上に特番を流すことで覆う意図でもあるんでしょうか。気のせいかもしれません。

又、冒頭の取締りも署内の不祥事が発覚後、比較的直ぐに実施されているような印象を持っています。市民の批判を封じ込める、或いは、上記番組のケースと同様な意図があるとするならば、強い反発を禁じ得ません。専横です。勘ぐり過ぎとは思いますが...


下の画像は街中を走行中のワンカットです。数台の自転車が車道を逆走しています。小学生でしょう。危ねえなぁ、近寄りたくねえなぁ、と思うわけです。



冒頭の取締り時も、両耳にイヤフォンを装着してたり、スマホを弄りながら歩道を逆走する自転車を目撃しています。歩道の逆走、傘さし走行は年少者、高齢者問わず見かけますが、自転車は注意されることなく取締り現場をスルーして行きました。
ケースバイケースとなる裁量部分も含め、自転車の運転者に誰がルールを教えるのか?どうやって遵守させるのか?
自動車運転中の携帯電話の使用やシートベルト未装着を取り締るより、こっちの方が喫緊の為すべき責務じゃないでしょうか。

2015年3月1日日曜日

下衆

容疑者が未成年のため詳細な報道ができないのでしょう。

ただ、だからといってその反動であるかの如く、被害少年の顔写真をこれでもかと、執拗に垂れ流すのは許されるのでしょうか。

メディアに強い憤りを感じます。
川崎中1殺害事件

2014年12月29日月曜日

無駄

下衆な話で一寸一服。
NHKお天気お姉さん「岡村真美子」さんがW不倫&警察沙汰騒動で番組降板。
全くもってどうでもいい話題なんですが、 思ったところを記します。関係者の方はどなたも存じ上げません。

まぁ、
”根本的にテレビの一番組、或いは番組の一コーナーとしての天気予報はいらないんじゃないの?正に資源の浪費だなぁ。”
とは以前から感じていたことです。必要なんでしょうか。当然お天気キャスターと称される方々も含めてです。

どなたも気象予報士の資格をお持ちなので自らの考えで予報を公表できるのでしょうが、自分の言葉で解説していても予報にどこまで己の考察を加味しているのか、首を傾げています。

で、不倫はするが丁寧でわかりやすい解説と予報が確実に的中するお天気キャスターと、解説が判り難く予報も外れまくりだが不倫はしないお天気キャスター、有能なのはどちらなんでしょう。

結局、お天気キャスターという電波芸者であって、気象予報に関し突出して優れた何かを提示できていないわけです。気象庁由来の同じ元データの分析によるわけですから、予報や解説もほぼ一つに収束してしまいます。

残るはキャスターのパーソナリティで、特色はここで出す外ありませんがその必要はあるんでしょうか。

内容に差のない気象番組を各放送局がタレ流しても電波含め人、モノ、カネの無駄遣いです。もっと生産性の高いコンテンツの制作に資源を投入できないものかと。

昨今、天気予報は、テレビ、ラジオ、新聞、電話といった旧来メディアからだけでなくPCやスマホ経由でネットから、又、テレビでもデータ放送によりオンデマンドで知ることが可能です。

そういった環境の中で、各放送局が毎日定時に天気予報を流す有用性がどれほどあるのでしょうか。真に予報を必要とする属性の方々は積極的に予報を入手するでしょうし...

必要ではないが知りたい層、若しくは、番組と番組の間、番組内の一コーナー、さらに言えば、単にバックグラウンド天気予報として受動的姿勢で視聴する程度でしょう。

局の数、放送時間、ヒト、モノ、カネと見る側の受動的視聴時間を積算すれば、相当の資源が浪費されていることは容易に推測できます。

規制緩和の一環か否かは存じませんが、一般向け予報業務の民間への許可を可能にするため気象業務法が改正され、気象予報士という資格が創設されたわけです。

ところが、鳴り物入りで始めた資格制度にも拘らず資格の需要が大きくなかった、増えなかったと。今更なくすわけにもいきませんし...

何となく、硬直化している電波利権の中でしか生息できない気象利権といった感が否めません。

2014年5月4日日曜日

職責

韓国フェリー転覆事故を受けて、例えば、

”カレチ(モーニングKC),池田邦彦”、”富士山頂,新田次郎”、”プロジェクトX〜挑戦者たち〜,NHK”に類したフィクション、ノンフィクションの作品はかの国にはあるのだろうか?あるとすればどのように受け入れられているのだろう、そういった疑問が生じました。

勿論、上記作品が演出山盛りかもしれないことは承知していますが...

併せて、以前記した”公共の場における乳幼児の帯同”に対するかの国
の一般的な認識も興味のあるところです。

2014年4月27日日曜日

不実

前のエントリで記した、STAP論文問題の調査委員会委員長辞任報道の後、楽天市場の二重価格表示問題の社内調査についての結果が報道されました。(4/25)。

公表がGW直前の金曜日の夕方というのも、楽天らしいというか、さもありなんという印象です。

勿論、内容は社内調査ですからお手盛りです。

で、直後に楽天市場のトップページを見ると全く目立たない下部に”楽天市場事業に係る調査報告について”へのリンクがありました。

容易に利用者の目に触れる配置ではなく、むしろ”隠蔽”、”素知らぬ振り”との指摘を避けたいがためといった意図が伝わってくるようです。まぁ、何事もなかったかのように、本日も通常通りということです。

その不誠実振りというか、利用者目線のなさに特に驚いたわけではありません。やっぱりな、といった所でしょうか。


時同じ頃、”海上自衛隊護衛艦「たちかぜ」いじめ訴訟”で国側賠償の判決が確定しました。

海自いじめ訴訟、確定へ 「判決重い」と防衛相

事件の詳細は、以下のリンク先にあります。

たちかぜ自衛官いじめ自殺事件
護衛艦たちかぜ暴行恐喝事件


海自がいじめについてのアンケートを隠蔽していたようです。国側の代理人として訴訟を担当していた海自の三佐による、この事実を指摘する陳述書の提出をきっかけとして、判決が確定しました。
 

”だから”とか、”それでも”と、特段、この件をもって自衛隊について是非を云々するつもりはありません。

ただ、自衛隊という国の組織に対し、信頼が大きく毀損したのは間違いありません。組織を構成する個人の社会正義に対する責任感と勇気に頼る以外術がなく、又、その動きを封じ込めんとする組織的圧力の存在もは全くもって残念であり、不愉快です。過去、闇へと葬られた事案の存在への疑念を生じさせます。

関係者全てが同一組織に属していたことがまだ幸いだったのか、否か、よくわかりません。一方で近年、警察や検察といった強権を有する組織の、組織外の第三者、即ち、被疑者に対する理不尽な扱いの例をしばしば見聞します。いずれにせよ、組織防衛が共通する行動原理かと考えます。

官が官なら民も民、官民挙げての組織防衛ということではなく、組織が存在する以上、組織から自己防衛の意識は払拭できないわけです。国家、民度、社会システム、組織形態や存在目的により意識の程度は異なるでしょうが、根幹は同じでしょう。

強権を有しない組織、例えば、市役所、区役所、学校であっても、組織の内外を隔てる明確な境界はあります。特に、この境界で摩擦が生じた時、或は、組織内に瑕疵が存在した時、組織防衛が優先されてしまうような気がします。結果として、問題は隠蔽、若しくは見て見ぬフリされ、そのしわ寄せは公正、中立、客観性、及び、倫理観を見失わせ、 信頼の失墜へと繋がっていきます。

東日本大震災に伴う福島原発の事故原因の一つとなった、いわゆる”安全神話”もこの組織防衛に由来していた、と捉えています。

”組織は誤る”、”問題のない組織はない”、を前提とした自動的、強制的な自律自浄機能、自己との対峙機能を如何に組織に組み込むか、ということですがなかなか難しい話です。取り敢えず、適切に自己認識できるかでしょうか。

理研が同じ轍を踏まないことを強く願います。

2013年10月19日土曜日

転嫁

時折、ブログに公開された天然鰻の料理写真を目にします。

鰻の現状など全く意に介すことなく、”あっさりしている”、”しつこくない”といった寸評が写真に添えられています。

私自身は、

食べられぬ心配だけで保護意識が無いウナギ報道
ウナギの乱食にブレーキをかけられるのは誰か?
ウナギをどう看取るか?
日本のウナギ根絶作戦が、ついに最終段階

と捉えているのですが...

更に天然鰻については、

“世界的ウナギ博士”からの提言 「ニホンウナギを守ろう!」
EASEC緊急提言(Final).pdf(日本語版)

と天然鰻の保護こそが将来の鰻資源回復に極めて重要な方策であると認識しています。

そういった現状を踏まえた上で、天然鰻の料理写真がブログにアップされているのか否か、私の知る所ではありません。ただ、平然と上記コメントを添えて写真を公開する行為には無神経さを感じます。

こういったブログの中には、飲食店のレビューを料理の写真と共に公開するに留まらず、社会性、公益性を意識した意見や問題提起をしているブログもあります。

例えば、食の安全については啓蒙しているつもりなのか、食品添加物の使用となると神経を尖らし、法令を遵守していても添加物を使用する食品メーカーを責め立て、攻撃し製品の不買を煽ったりしています。

或いは、飲食店内での喫煙については、店側が禁煙を定めているわけではないにも拘らず、居合わせた客の喫煙をブログ上で毒づき、非難したりしています。

その一方で、天然鰻を口にすることには寛容で、脳天気に天然鰻の料理写真をブログ上で公開する...独善的、利己的で傲岸不遜な姿勢に不快感を持ちます。


身勝手な俺ルールの合理性、公正性を疑わず、公益に資すると思い込む、で、そのルールの厳守を叫び、逸脱することを糾弾する、新興宗教の教祖、独裁集団の指導者と同根のものを感じてしまいます。

飲食についての蘊蓄をひけらかす人々ならば、鰻、特にニホンウナギが絶滅の危機に瀕していることは十分承知のはずです。

実は長良川の天然鰻をいくら消費しても国内の鰻資源量への影響はない、鰻資源枯渇の心配は杞憂に過ぎないとも思えません。


天然鰻の消費は鰻資源の回復に悪影響を及ぼすどころか、枯渇を助長しかねません。にも拘らず尚、どういった意識、動機が天然鰻を口にさせるのかについて推してみます。鰻資源の現状について知識がない場合は除きます。

”鰻資源の危機的状況から目を逸らして天然鰻を口にする”は、

”違法ではない”、”実感がない”、”関知する所ではない”、”なんとかなる”といったところが、理由として想定できます。

自重、自律といった姿勢の片鱗も見受けられません。

”今、自分達さえ口にできれば、その後鰻資源が枯渇しようと構わない。” 

総じて、根幹はそういった意識ではないでしょうか。”なんとかなる”は、やや意味あいが異なりますが、本質は、”自分以外の誰かが何とかしてくれるだろう”といった楽観的な他力本願の表れでしょう。責任感を欠いた依存の強さを感じさせます。

鰻の完全養殖の確立を目指し、研究が進められているのは事実です。しかしながら、未だ道半ばであり、実用化できる程の完成度には達していないようです。

天然、養殖に関わらず、鰻とみれば喰い漁る、そういった姿勢で果して、鰻資源が枯渇するまでに完全養殖の実用化技術が間に合うのでしょうか、危惧しています。

いずれにせよ、鰻資源の回復を一方的に科学技術に頼ることは身勝手であり、野放図に鰻を喰い尽くすことが免責されるわけではありません。資源回復の責任を科学技術に負わせるというか、転嫁することで、鰻を口にしていい理由付けをしているかにみえてしまいます。

単に、不確定の未来に責任の所在を先送りしているだけではないでしょうか。

この鰻資源の問題は、”不確定の未来に責任の所在を先送りする”といった、民主主義、市場経済社会の根幹にある責任の不透明性、刹那的な利己性を改めて確認させます。

未だ是非が紛糾している原発とその再稼働、破綻に向かう社会保障制度、崩壊から逃れ得ないバブル経済、次世代への負債のツケ廻しである量的金融緩和と消費増税、こういった事例にも同様の動きが垣間見えてしまいます。

この抗えない本質を認識し自律機能を社会に組み込めるほど、果して私達は賢いのでしょうか。


2013年7月15日月曜日

暴走

――音楽が続く限りはダンスをやめようとしない――

リーマンショックの回顧で頻出する言葉です。


日々の食料品を求めて西友によく赴きます。特段、避ける理由はなく、むしろ大手流通の中では気に入っています。
ただ...

西友、「国産うな重」を"土用丑の日"に向けて値下げ

強い違和感を感じています。

街道の大手牛丼チェーン吉野屋、すき家では鰻丼、鰻弁当の消費を煽るのぼりが旗めいています。

私のメールにはヤマナカから予約を促すメールが配信されてきます。

成城石井では値引きシールが貼られ、見切り価格で蒲焼きが販売されています。

鰻は絶滅が危惧されている食材ではないのか?

小売や外食による加工、流通の工夫なのかもしれません。マダガスカル、フィリピン、タスマニア産シラスの利用、養殖地と産地の分別による結果かもしれません。

ただ、ジャポニカ種を含む近縁種について絶滅危惧種指定への検討が進められているはずです。

ニホンウナギ「絶滅危惧種」検討 国際自然保護連合が来月会合

私はメディアに踊らされているのでしょうか。いずれにせよ整合性のなさを感じます。


喰うなというつもりはありません。ただ、喰い散らかすのではなく、節度を持って丁寧に味わえないのか、と思ってしまいます。

提供する側も鰻そのものの価値を十分引き出しているのか、首を傾げます。

メディアには消費を過剰に煽るなと...土用丑の前に、鰻養殖の一大産地を抱える地域の首長が、旨そうに鰻を頬張る姿を報道するのも如何なものか、と考えます。

資産バブルははじけた後でバブルだったと認識されます。鰻も喰い尽くして絶滅してみなければ、価値が実感できないということでしょうか。

自由主義経済の限界、私達の自律性の欠如を懸念します。

「やっぱり鰻は旨いなぁ」

鰻を喰う度に毎度毎度呟いています。私はあと何本の鰻を味わえるのか、そんなことはわかりません。ただ、呟く機会が消失してしまう、鰻が幻となってしまう事態は是が非でも回避すべきです。

秋田沖の鰰、島根、鳥取沖のズワイガニのような管理システムが導入されることを願ってやみません。

2013年5月5日日曜日

鰻

先日も少し触れましたが、”消費税還元セールを禁止する特措法”が話題になりました。

取り引き上で立場の強い小売業者から納入業者に対する不当な値引き圧力の防止が目的とのことです。実は消費増税が敵視され増税阻止への気運の高まりを懸念して、早期に芽を摘んでおきたいということなのでしょう。

”どのように悪者に仕立て上げるか”は政策、選挙等で用いられる、常套的な政治手法であります。特に今日、一旦敵に祭り上げられてしまうと、正に”ドブに落ちた犬は叩け”状態に陥り、集団いじめの様相を呈してきます。そこからの挽回、回復は容易ではありません。

そういった状況を回避したいという意図は理解できない訳ではありませんが、全くもってお門違いです。

該特措法が成立しても立場の弱い側への圧力が低下するとは思えません。手を変え品を変え圧力は続くものと考えます。

公正取引委員会の権限強化、独占禁止法の厳正な運用を検討されたら如何でしょう。

いずれにせよこの特措法には国家社会主義的抑圧を感じます。規制すべきは、大手流通が消費税還元と銘打って、既に悪者である消費税への衆目を集めることではありません。

そんな余力は、大手流通や外食チェーンが鰻を扱うことへの規制に向けられるべきだと考えます。