2015年9月27日日曜日

欧州

――身贔屓――
どこの国もそうなんでしょうが、EUはわかりやすいなぁと。

VW(フォルクスワーゲン)の排ガス不正事件で、新たな事実が次々露になっています。

で、今度は
EU、2年前にVWの不正把握か 規制運用問われる
と、自動車会社一社に留まらず、複数の自動車会社、部品会社に、遂には規制側であるEUに延焼しつつあります。近年稀に見るワールドワイドな企業不正が官側とのなあなあ、ずぶずぶの問題に発展していくのでしょうか。

影響は計りしれません。
――EUではこうしたソフトは07年から違法になっていたが、...――
早い段階で収集を図っていればここまでの大事に至らなかったのかもしれませんが、無理だったのでしょう。

初期消火が重要なのは言うまでもないことですが、その失敗例は枚挙に暇がありません。
――音楽が続く限りはダンスをやめない――
自らは自身を止められません。

最大2兆1600億円とも言われる制裁金、約1100万台という不正車両の対策費用として約8700億円の引当が表に出ている数字です。で、所有者に対する下落した車両価値、投資家に対する毀損した企業価値の補填も求められると...一部訴訟は始まっているようです。環境基準不適合車というレッテルが貼り付けられるわけですから、中古車の買い手も...結局VWが引き取るのでしょうか。
エコカーの名の下、政府が購入補助金を交付していようものなら、返還を迫られるのも必至でしょう。詐欺同然ですから。

VW製自動車が販売不振に陥るのみならず、VWに排ガス浄化システムを納入しているボッシュも...となればボッシュの該システム使用している他の自動車メーカーも...との推測は難くありません。

では、競合の排ガス浄化システムを製造しているデンソー、該システムの供給先であるマツダ、トヨタ、ボルボのシェアは拡大するのか、興味深いところです。

ただ、EUの規制当局ぐるみ甘い基準、見てみぬふりで承認を続けてきたのであれば、ディーゼルカー全体に問題は波及します。どうなんでしょうか。

ディーゼルカー全体が不人気となれば、軽油とガソリンの需給バランスも変わります。ガソリン価格は上昇するのでしょうか。実際、排ガス浄化システムに触媒として使用されるプラチナの相場に影響が出始めている模様です。
VW問題に貴金属市場が動揺…プラチナ価格の下落率は2年間で最大に

(ボッシュは、不正のツールとなったソフトは、開発段階に使用するものであって、製品自動車への搭載、使用が違法である旨を2007年に警告していたようです。H.27.9.28)

当然、ドイツ国内の雇用や経済環境への影響も避けられないかと...

従業員数が約60万人の超大企業VWで、ドイツ国内では全雇用の1.5%、約27万人が雇用されてます。又、昨年のドイツの自動車産業全体の労働者数は77万5000人で、全労働者数の2%に近いとのこと。(別々のソースからの数字です。全雇用者数と全労働者数を逆算しても一致しません?)

ドイツはGDP(国内総生産)の中で輸出が約50%で、更にその18%を自動車・自動車部品が占めているようです。

穏当な幕引き想定するのは難しいんじゃないでしょうか。


ここで少し話を逸れます。

2015年9月26日土曜日

意表

昼食に飲食店を訪れて、品書きにカニコロッケを見つけるとつい注文してしまいます。必ずしもご飯との相性が抜群、という理由でもないのですが。

カニコロッケは、元々それがベシャメルソースでも、マッシュポテトでも、いずれがベースであってもカニの存在を強く感じることはあまりない料理と思っています。

加えて、味濃いトマトソースやタルタルソース、場合によってはウスターソースをかけて食べますからカニの風味をしっかりと感じることはなかなか難しいんじゃないかと...

で、カニコロッケの印象は、いい意味でも悪い意味でも、実は意外感による部分が大なんじゃないかと思った次第です。

特に、ミックスフライ等、揚げ物の定食の一つにカニコロッケがあって、これが妙にカニの風味を感じさせると嬉しかったりするわけです。

逆に、美味しいとの噂を耳にするものの、実際訪れて口にしてみるとカニの風味をそれ程感じられず、期待通りではかった、ということも珍しくはありません。

自由が丘にある赤いりんごという喫茶店でカニコロッケカレーは、思いがけずカニの風味を感じるコロッケでした。カレーもスパイス感があり美味しかったのですが、コロッケのほうが印象に残っています。惜しむらくはカレーとの組み合わせ以外に選択肢がないことでしょうか。

守山の居酒屋?、定食屋?ねぎぼうずではミックスフライ定食の中のカニコロッケが予想外でした。他の鯵や鰯といった魚介のフライも勿論良かったのですが、”予想外”の効果が最も色濃く現れたのがカニコロッケということです。カニコロッケ定食も見かけたので次回は...

雅グループの古参店、藤が丘の雅ピロになると、勿論美味しいのですが、順当とか、やっぱり、当然といった形容になってしまいます。その意味では損しているわけですが、評判店故、致し方ないことかもしれません。

逆の例は、本山から平和公園の間にあったスギヤマ今年になって閉店したようです)や、通りがかりに入った覚王山の店といったところでしょうか。期待が膨らみすぎていたのかもしれません。

”意外に旨いカニコロッケ”、追記できることを願っています。

補填

季節の変わり目の連休やテレビ番組の改編期になると各局で、”〇〇警察△△24時”といった番組が放送されます。(〇〇、△△には全国、激録、密着、追跡、激闘、実録といった語を適当に挿入します。)

で、素直な疑問なんですが、”〇〇警察不祥事24時”といった番組は何故無いんだろうと思った次第です。素材は十分蓄積されているはずです。

魚と釣りが大好きなこの方のツィートにも警察含む公務員の不祥事報道が相当程度含まれています。素材がリアルタイムでアーカイブされていて、実は不祥事も好物なのかもしれません。

まぁ、そういった番組が制作されないのも、当然と言えば当然なんでしょう。メディア視聴者警察各々にとって都合がいい、心地良いということです。

低予算で制作でき、視聴者もそれなりに関心を寄せているので視聴率が期待できると。警察側にしてみれば、警察活動に対する市民の理解を得る、といった広報の目的に適っているわけです。

ただ、該番組が元々ドキュメンタリー番組であったのか、否かは存じませんが、ここの処ステマに似た思惑を感じてしまいます。

番組で取り上げられた個々の事件がヤラセと言うことではなく、事実をいくつか繋ぎ、組み合わせて伝えることで、全体として印象操作を意図してはいないか、ということです。

日々のニュースでは、警察の不祥事が頻繁に報道されてます。件数が増えたのか、単に、以前より報道されるようになっただけなのかはわかりません。

一方で、ドキュメンタリーであろう該番組ではそういった事例は一切取り上げられず、ひたすら市民生活の安心と安全確保に日々奮闘する警察の活動を伝えています。

中和というか信頼の失墜補填番組として受け止めてしまいます。報道される警察不祥事の件数が多ければ多いほど、それを覆うように、この類のドキュメンタリー番組が流されている、そういった印象を禁じ得ません。
――落とした後、持ち上げ再び叩く――
メディアの基本行動であるマッチポンプに正に合致した格好の題材となっています。叩いた後に持ち上げておかないと、次に叩けませんし、メディアにとって警察との親密な関係は不可欠です。事件報道のためには記者会見の出席や警察発表の広報文入手が必要ですから。

野次馬の好奇心も相互の利害をより強固に結びつけこそすれ、決して牽制する方向に力は作用しません。

威信、視聴率、好奇心の充足と引換に、公正、中立、客観事実といった堅持すべき部分が蔑ろにされているんじゃないないか、そんな思いを払拭できないでいます。






2015年9月25日金曜日

信用

先日、残暑厳しい中、昼食に出かけた時のことです。同行者の希望は冷やしたぬきやざるうどん等、冷たい麺とのこと。

で、”ああ、あの辺りにうどん屋があったなぁ”と守山のうどん屋を訪れたわけです。当該店の味噌煮込みに触れているブログだったか、口コミだったかは、以前、目にした憶えがありました。

山本屋系ではない、街場の個人営業の店です。品書きの一つとして味噌煮込みがあって、醤油系のいわゆる”普通のうどん”など品揃えにあって当然、大丈夫だろう、といった心持ちで赴きました。

店の横壁には、”みそ煮込み”の大書、こげ茶色の暖簾にも白抜きで”みそ煮込み”の文字...まさか、味噌煮込みの専門店なのか?

ここまで来たからにはと、店内に入ってみれば、正に味噌煮込みの専門店でした。品書きにあるうどんは味噌煮込みのみ。玉子入りだろうが、もち入りだろうが、スパイス入りだろうが味噌煮込みだけです。後は、味噌煮込みに必須のごはんが盛りの大きさ違いで並び書かれていました。

軽い驚きと共に潔さを抱かざるを得ませんでした。まさか、こんな郊外に味噌煮込みの専門店があるとは。

そんな中、
”ああ、冷たいうどんね。”
と安請け合いしたことを悔やみ始めて同行者に失望感を抱かせかけたその時、
冷やしみそ煮込
の文字が目に入ってきました。 冷やしみそ煮込(?)...いや、正確にこの語だったか定かではありません。動転していたのでしょうか。ただ少なくとも、”冷やし”と”みそ”の文字は含まれていたはずです。

ま、そういったわけで味噌煮込みの専門店でありながら、冷たいうどんという希望を叶えることができ、信用を失わずに済みました。

夏季限定のうどんのようです。食べた本人によれば旨かったとのこと。ちらっと見た処、うどんの白さが際立っていたような...味噌ベースのツユを使ったぶっかけうどんだったのでしょうか。今年、このうどんは後数日でお終いらしく、味を確かめること儘なりません。ただ、来夏に訪れたとしても、冷やしを頼むか否かは判りませんが...

当然、私はオーソドックスな味噌煮込みと御飯を頂きました。専門店を標榜するだけあって、玉子にかしわ肉、かぼちゃの天ぷらと共にコクのある味噌出汁を味わいました。うどんは上記有名店よりやや細目ながらしっかりとした噛み応えがありご飯が進みました。

当初、味噌煮込みを食べるつもりで訪れたわけではなかったのですが、思いがけず旨い味噌煮込みに邂逅致しました

該有名店に比肩し得る、勝るとも劣らない味噌煮込みじゃないかと、満足した次第です。


ところで、山本屋系の味噌煮込みうどんですが、うどんの昼食として捉えた時、千円超という価格を、少なからぬ方が安くは無いなぁと感じるところではないでしょうか。

うどんとカツ丼、若しくは天丼のセットを食べて千円札でおつりが貰える街のうどん屋は珍しくありません。ところが、山本屋系の店はその価格に拘らず、それなりに流行っているわけです。

この時、思い浮かんだのですが、山本屋本店ではうどんと共に漬物が出されます。この漬物がなかなか美味くしかもお代わりがお願いできると。この点に着目すれば、山本屋本店の郊外の店に限った話かもしれませんが、実は談話室としても利用されているんじゃないかと推測しました。

単に味噌煮込みが売りのうどん屋としてだけでなく、食後、漬物をお茶請けに談話する場としても使われる、そういった見方をすれば割高感は低減されるでしょう。和風カフェ(?)類似の機能を併せ持つ味噌煮込みの店、これが山本屋本店の人気の理由の一つかもしれません。

改めて言うまでもなく、想像です。

2015年9月23日水曜日

配慮

――政権への側面支援なんだろうか――
NHKの次期朝ドラ”あさがきた”の紹介を眺めていて脳裏を過ぎりました。

番宣、予告、総集編についてはいずれ記しますが、NHKの次期朝ドラは幕末が舞台のようです。モデルとなった広岡浅子氏は1919年(大正8年)にお亡くなりになっています。

”マッサン”や”花子とアン”に代表されるこれまでの数シリーズのように昭和初期(戦前)の時代が該ドラマには含まれていません。

つまり、朝から耳にしたいとはとても思えない、”鬼畜米英”、”非国民”、”国賊”といった怒声は流れないわけです。

それはそれで、先般安保法制を成立させた政権への配慮ではないかと捉えてしまうのは下衆の勘ぐりでしょうか。


流出

これ以上貶めてどうしようと...前のエントリに続き愛知の民度が〇〇という機密が流出しています。

この時はブロガーの方が遭遇した話です。
隣のテーブルのクソババア三人組、鰻丼食べ終わったら、バッグから、ごそごそビニール袋をひっぱり出したかと思ったら、なんと、中に梨か林檎が入ってました。
それをテーブルに広げて、平然と、食べ始めました
今度は愛知を中心に飲食店をランク付けしている別の人気ブロガーが、
福島に遷都
中国が攻めてくるわけがないじゃん
日米安保条約なんていらない
遺伝子組み換え食品大量摂取国 日本
世界各国は日本の農作物を輸入禁止に
関東の野菜買ってますか?
食べログ大丈夫?
サーモン怖い
未だに燃料を噴霧し続けているわけです。 そこまで浅薄を露呈するのも如何なものかと...そういった感を禁じ得ません。

幇間は分を自覚して料理の写真を羅列するに留めておいたほうが賢明かと思った次第です。

2015年9月22日火曜日

戦隊

先人が築いた日本の平和を守るため、引き続き闘っていく
平和を守るため闘っていくわけですか... 戦隊物のヒーロー?
ヒーローは世界の平和に目を向けなくていいんでしょうか。
で、その手段がダイブ、セクハラ口撃、そして羽交い締めと。

劣勢の時には
「その話は泥沼になる」
と返すわけですか。話が泥沼になる?

御自身を象徴する白い御召し物が汚れますからね。泥仕合は避けたい、といった思いかもしれません。誰に泥をかぶらせるんでしょうか。

2015年9月21日月曜日

机上

以前、目にした隣国の国会ハプニング映像とだぶって見えました。安保法案可決時の参院平和安全法制特別委員会です。
参院平和安全法制特別委員会
小学校の学級会だって...これが国権の最高機関で良識の府と称される場なのか。で、ダイビング、専守防衛(?)の拳、セクハラ、羽交い締めといった事態が勃発しているわけです。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!
民主主義が体現された一つと捉えるには余りに躊躇します。この生産性の低さはもう少しなんとかならないのでしょうか。

先日から国勢調査が始まりましたが、今回からネット経由での回答が可能になりました。国会の質疑応答もですね、いっそネットの掲示板を活用したらどうかと思ったわけです。
物理的な議事進行妨害の排除
審議日程目一杯で昼夜兼行、不眠不休の討論
不規則発言などと称される野次の排除
多対多の質疑応答が可能
発言者自らが文字起こしすることによる失言の低減
一字一句、句読点に至るまで衆目に晒されることによる、議論の噛みあわなさ、論点のすり替え可視化
等が期待できるのではないかと。野次や物理的妨害に端を発する審議停止のような無駄を排除できるということです。実現に向けての障害は問題は質疑応答の関係者全員に不利益をもたらす恐れがあるといったところでしょうか。

客観的な視座や議論の生産性についての認識が求められますから自らの責務に対する自覚を欠いたままではなかなか難しい話なのかもしれません。

ところで、上述の根本は無駄を排して効率を上げる、といった話です。ただ、一方で、果たしてそこに全く公明な理があるんだろうか、そういった疑いを払拭しきれないでいます。

いずれ機会があれば記します。

2015年9月20日日曜日

漏洩

これまで秘匿されてきた愛知県の機密がじわりと漏洩しているようです。官民合わせた愛知の民度は最高機密だったんですが...
これ以上の流出がないことを願ってます。

ちなみに、小学校時代、理科の単元で星座の授業があったことを思い出しました。スレた今なら、
あの数個の星でどうやったら熊、サソリ、双子...の画が思い描けるのか?
半日は問い詰めます。

2015年9月18日金曜日

無双

先日、安保法制報道をめぐる池上彰氏のインタビュー記事を目にしました。
池上彰が斬る!「朝日より読売、産経が問題」 安保法制報道に見るメディアの暴走とは?
記事中で述べらている、朝日や読売、毎日、産経の報道姿勢についてこのエントリで云々するつもりはありません。購読しているわけでもなく、営利企業に過ぎない新聞社の公正中立、客観性を問うことに意義を感じられませんから。

で、みなさまのNHKについてのコメントです。私も勿論受信料を支払っています。
──ところでNHKは、6万人デモをほんの一瞬しか放映しませんでした。

“空気”を読んでるんでしょ。あまり大きく扱わないほうがいいって、どこかの段階で誰かが判断してるんでしょう。一応報じたってことは、これは取材すべきと思った記者が取材して書いて、デスクが直して原稿にした。だけどそれを番組でどう扱うかは各編集責任者の判断ですから。

NHKの報道は公正中立か?

──現場は取材したにせよ、最終的にほとんど報じなかったというのは、放送法で課された公正中立どころか、偏向してはいませんか?

いや、偏向っていうか、明らかにおかしいでしょ。おかしいですよ、そりゃ(笑)。それがテレビに課された「事実を曲げない」の範囲内かどうかといえば、事実は一応報じてるわけだし、いい悪いではなく、事実を曲げてるという批判は難しいですよね。まあ、私はもっと大きく報道すべきだと思いますけど。
──憲法学者らを招いた衆院特別委員会の参考人質疑もNHKは中継ナシでした。

NHKには中継する基準があって、それを満たすとわかったのが当日の朝だったから間に合わなかった、って言ってる。けどそれは違うだろう、そんなわけないだろうって思いますよ。急いでやりゃいいんです。

きっとどこかで、わざわざやらなくてもいいだろうと、空気を読んだ人間がいるんじゃないかな。“忖度(そんたく)”ですよね。籾井勝人会長自ら、報道するなと言ったら大問題だし、彼は言わないですよ、わからないから。「会長はきっとこう思うであろう」と忖度するヤツがいて、下に向かって「慎重に」と放送総局長なり中間管理職が言うんでしょ。

池上氏が出身元であるNHKの報道姿勢について言及するのも珍しいなぁ、と思った次第です。NHKの頚木から解き放たれたのでしょうか。

単に土俵が違うことによるだけか、或いは、朝日新聞の掲載拒否問題を経て、アンタッチャブルなジャーナリスト、Too Big to Failな存在になりつつあるのかもしれません。

是非この勢いを駆ってですね、”受信料に支えられるNHKの公正中立”についての言及もお願いしたいところですが...

取り敢えず、有料番組”安倍チャンネル”からみなさまのNHK”への回帰を優先せざる負えない事態かと。


先日も、
NHK日曜討論公式アカウントに対する人々の怒りの行進
といったまとめサイトが現れました。その後か否かは存じませんがNHKは謝罪する羽目になっています。
NHKツイッターが謝罪 安保法案めぐる書き込み
だからといって、朝日、毎日のように安保法制に対して不支持の立場であるべき、というつもりは毛頭ありません。それならそれで批判します。

公正中立、不偏不党を謳い、あたかも言説が公正中立であるかの如くミスリードすること、これが最もたちが悪いわけです。NHKの主張だから公正中立で正当である、こういった本末転倒したすり替えの一人歩きを危惧しています。

安保法制に関するの与野党の質疑を漫然と眺めていると、一方通行的に言葉を投げつけ合っているだけじゃないか、といった思いを強くします。
政権は、安保法制を違憲と断じる意見と正面から向き合いませんでした。政権が主張したのは、安全保障環境の変化でした。
与党は憲法との整合性を、野党は安全保障の現況を直視しないまま、単に己の主張を投げつけ相手の言には耳を貸さない、噛み合わなくて当然です。結局、平行線のまま数の力で可決されたのは衆目の一致するところです。

NHKが公正中立を標榜するのであれば、報道、論説によってそういった溝を埋め与野党の主張をガッチリと噛み合わせるべきじゃないかと...非生産的な言葉の投げつけ合いを報道されても、”賢くないなぁ”、との印象を抱くのみで是非の判断材料にはなり得ません。

双方が繰り返す勝手な言い分をただ漫然と垂れ流すことと、公正中立な報道は一寸違うような気がします。

無双 池上氏におかれましては、みなさまのNHKによる、賢い報道への働きかけも期待したいところです。

ところで、安保法案可決後に、街頭インタビューや”平和安全法制の早期成立を求める国民フォーラム”からの法案賛成の声をNHKやテレ朝で耳にしました。反対デモの報道一辺倒で、そういった動きは採決前には覗えなかったのですが、例えば、
偏向報道バラエティ番組の報道ステーション、高須クリニックのスポンサー降板発言でちょっと日和る
といったことなんでしょうか。

定法

イソップ寓話”北風と太陽”じゃありませんが、
”憲法守れ!”
より
”憲法変えろ!”
を主張するデモの方が安保法案をつぶせたんじゃないかと思った次第です。

圧倒的に数で劣る側が真正面から衝突してどうするんだろうかと...率直な印象です。体当たり、玉砕、やれることはやった、がんばった、という古来からの伝統に沿った動きなんでしょうか。

尤も、本意はともかく、上記趣旨を置く余地などあの場にはない、排除されるだろう、というのも当然の予測です。


2015年9月16日水曜日

滑稽

間抜けな話です。

先日、ホテルのブッフェで食事を摂った時のことでした。それなりの味の料理を適当に食べた後、少しカレーライスでも、と手にした
皿に白飯を盛りました。

通常殆どの方はカレーライスを食べる際、カレーに先んじて皿に白飯を盛るはずです。私も当然そうしました。

この時、蓋付きホテルパンの蓋を上げて白飯を盛ったのですが白飯はそれほど残ってはいませんでした。
まあ自分が食べたかった分量以上には残っていたので何気に白飯を皿に盛ったわけです。この時点で気づくべきだったのですが...

次には白飯にカレーをかけるわけです。で、隣に置いてあるカレーの入ったスープウォーマーの蓋を上げてみると...底に僅かなカレーが残っているのみでした。
”ああ、足りないなぁ”
と思ったのは事実です。では、追加されるまで白飯を盛った皿を持って盛って佇んでいるか?想像するだけで間抜けな姿です。

で、足りないながらも残りのカレーをさらえて飯にかけ席に戻りました。案の定スプーン一口二口で白飯だけになったわです。カレーのスープウォーマーは交換、補充されたようですが、食べかけの皿を持って戻るのも憚られます。

ええ、食べましたよ。白飯だけをスプーンで。

ブッフェという様々な料理を好きなだけ食べられる場で、白飯だけをスプーンで喰らう男というのも、我ながら妙というかマヌケな絵だなぁ、と思った次第です。

尚、ホテル側に対して云々する意図は毛頭ないことを付言しておきます。サービススタッフはトレイ上や保温器内に残っている料理の量を頻繁に確かめていました。

2015年9月14日月曜日

境目

ルキウスさんが鮨屋へのワイン持込について言及したエントリをアップされています。次回予約や会員制化の話も含めて抵抗なく首肯できない旨、記されています。
ワイン持込、次回予約、会員制化
飲食店への酒の持ち込み一般に関しては確かに、
――あんたがお馴染みさんなら、店の酒を飲んで助けてやれよ――
ということに異論はありません。ただ、鮨屋へのワインの持ち込みについてはどうなんでしょうか。ワインに馴染みのない鮨屋の店主にワインの選択、品揃えや管理を期待するのも余計な負担を背負わせることになるんじゃないかと思うわけです。それなりの知見も求められますし...

イクラや子持ち昆布といった魚卵に合うワインを、なんて訊ねられても困ってしまいます。いっそワインについては適当な持ち込み料で持ち込みを認めた方が、本来の仕事に注力できて身軽になれるんじゃないかと。

まぁ、ワインの持ち込みなど断って、店で用意した日本酒でお楽しみ下さい、というのが本来であり、真っ当なのは勿論でしょう。

ただ、鮨屋でワインを、とせがむ客の割合を考えれば、持ち込みを認めざるを得ないのも致し方ないのかもしれません。面倒を避けられますから。

問題は、客と店の層の薄さがそういった客を断れなくしているということです。特定の店に特定の常連客が押し寄せる、これが客側の我儘を許さざるを得ない店側の弱さに繋がっています。これは名古屋圏の食べ手、常連客薄さ、狭さに由来しているわけですが、こういった部分が変わっていくのはなかなか難しい話ではなかろうかと思っています。

ところで、しばしば訪れるブログサイトに、
うなぎのしろむらには行かないで、刈谷のやま平へ(笑) 
といったエントリがアップされていました。エントリ本文中で御自身が鰻屋を訪れた際、
隣のテーブルのクソババア三人組、鰻丼食べ終わったら、バッグから、ごそごそビニール袋をひっぱり出したかと思ったら、なんと、中に梨か林檎が入ってました。
それをテーブルに広げて、平然と、食べ始めました
小奇麗な格好して、鰻丼食べに来て、最後に、フルーツ代をケチるか
良い子のお手本に成ってくれよ~
と記されています。この辺りの話についてはいずれ機会があれば...

で、その後コメント欄で鰻屋へのワインの持込についてやりとりされています。

勿論、店には無断でしょうが、品書きに記載のある料理(フルーツ)に類した食物の持ち込みは許されない一方、(メニューに掲げられていないとして)了承を得た上で持ち込み料を支払うならばワインの持ち込みは問題ない、そういった認識でいいんだろうか、と思った次第です。

許可と対価の支払い、これが両者の境目なんでしょうが...

未だに定期的と言っていい程ネット上で勃発する、飛行機のビジネスクラスや新幹線のグリーン席に乳幼児を帯同することの是非、
”料金さえ支払えば許される”と、
オプション料金を支払っている周囲の乗客は快適な空間過ごす権利がある”
にも通底した話にもみえます。どうなんでしょうか。

2015年9月13日日曜日

気侭

この夏はなかなかの猛暑でした。

で、飲んだ後に時折、そばころというか、冷やかけを作って啜っていました。覚書として記しておきます。

蕎麦は干し蕎麦でも茹で蕎麦でもそれ程拘る必要はありません。生蕎麦、打ちたてに限るとか、二八だ、生粉打ちだと、御託を並べることは御法度です。

そんな場合はもう少し飲んで下さい。風味の違いがわからなくなるまで。若しくは素面で確かな蕎麦屋を訪れること。真っ当な蕎麦屋でいい気分になるのは構いませんが、そこそこ酔っ払って蕎麦屋に入るのはどうなんでしょうか。蕎麦に対して申し訳ないというか、勿体無いような...勿論相応した蕎麦についての話です。

横道に逸れました。

但し、蕎麦を作れる程度には酒は控えて下さい。火傷の恐れがあります。

好みの加減に茹でた蕎麦は流水で粗熱を取って氷を放り込んで軽く混ぜておきます。ここに、本枯れの削り節、或いはやる気があれば自分でかいた鰹節を一、二つまみ載せます。後は御自宅にある適当な具材、梅干し、とろろ昆布、塩昆布、湯葉、蕨や茸の水煮、山芋のすり下ろし、若布、揚げ、刻み葱、海苔、酢橘、天かす、蒲鉾等々を足しておきます。

煮鯖もいいかもしれませんが、小鮎や鰊、穴子、浅蜊や昆布の佃煮は温かい蕎麦向けでしょう。

後は、適当な醤油、出汁醤油、麺ツユをかけ、冷水を加えて出来上がりです。量は当然目分量です。削り節からの出汁を感じるので薄目がいいかと。山椒や七味はお好みで...

残念ながら山葵はチューブです。常備がなく、又摺り下ろす気力もありません。

この夏は、幾度となく上記プロセスを繰り返してきたわけですが、これっていわゆる”気まぐれ〇〇”ってやつでしょうか。

飲食店を訪れると、時折、”シェフの気まぐれ〇〇”、”店長の気まぐれ△△”といったサラダだったりパスタ、その他前菜、デザートを目にします。”日替わり・・”ではなく。

これは自分の上記に当て嵌めれば、その場その時にあるもの、余った材料、適当な食材を思いつきで適当に調理した、と受け止めてしまいます。

飲食店を訪れて”シェフの気まぐれ〇〇”を見る度に、
”アンタの気まぐれに付き合う気はない。ちゃんとした〇〇を!
といった文言が脳裏を過るのは私だけかもしれません。

希臘(2)

前のエントリで記した、ある意味粉飾された潜在的為替レート、これは通貨統合を優先すれば避け得なかったのかもしれません。しかしながら、見方を変えれば、結果としてEU内に為替を利用した新たな搾取、被搾取構造を生み出してしまった、とも受け止められます。

勿論、ギリシャの公務員比率、年金、産業といった構造的問題に起因する国家としての生産性に問題はない、とするつもりはありませんが...
”皆仲良く手を取り合って”
叙情的に表現すれば、現代西側社会に根ざしたそういった欺瞞が吹き出したかに見てとれます。

身近な例を挙げてみますと、

今日、幼稚園、小学校の運動会で催される徒競走は、みんな一緒にゴールして順位をつけない、といった話を伝え聞くことがあります。どの程度一般的な話かは存じません。

更に加えれば、初等教育課程における、習熟度に依らない画一的な教育プログラムも同根です。

伸びるべきを伸ばし、不足分は補っていく、そこに恣意的に下駄を履かせたり、ハンデをつけて横並びに扱っても、内部応力が増大するばかりでは、と思うわけです。増大した応力は遂には枠組みの歪、綻び、破綻へと繋がってしまいます。
 
やはりですね、

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教え
魚のもらい方ではなく、獲り方を考える

ことこそが真っ当な取り組み方じゃないでしょうか。

ちなみに、ここの所、某為替操作国も景気というか株価対策の目的で頻繁に為替レートを弄っていますが、自国内には結構応力が溜まっているなぁ、とみています。その綻びが発端となって世界が振舞わされるのもなんだかなぁ、といった思いです。