2024年4月28日日曜日

座礁

当面、緩和的な金融環境が継続する──

 日銀 植田総裁会見“円安 物価の基調に大きな影響なし

いずれ政策金利は上がるわけです。更なる円安に歯止めをかけるため、追い込まれての利上げかと。

そうなると、乱発した国債の利払い負担は増え、株式市場を支えるために野放図に買い貯めたETF価格は下落します。勿論、売却もできませんし。利上げ前後に売買すればマッチポンプというか官製の相場操縦です。

この辺りと円安進行を天秤にかけて”利上げやむなし”の環境が整ったというか、追い込まれての利上げになるかと。

1992年のポンド危機を思い起こさせます。この時は英ポンドの欧州為替相場メカニズムからの離脱、変動相場制への移行が一つの転機となりました。

円は既に変動相場制です。意図的に嵩上げされた実態との乖離をソフトランディングで補正できるのでしょうか。

2024年4月10日水曜日

真逆

国策放送局として如何なものかと。

4月からNHKの朝ドラ”虎に翼”の放送が始まりました。本邦初の女性法曹をモデルにしたドラマです。NHKは定期的に朝ドラでテーマとして取り上げてきました。男女の格差が甚だしく、それが当然とされていた近代で社会で、ヒロインがその差別に堪え、乗り越えて職業婦人として自立していく人生を描いたドラマです。

正対して観てはいないものの、

お母さんの言う通り、結婚は悪くない、とはやっぱり思えない。なぜだろう。親友の幸せは願えても、ここに自分の幸せがあるとは到底思えない。

婚姻制度について調べれば調べるほど、心躍るどころか心がしぼんでいく。結婚がいいものだなんて思えない。吹き込まれてなんていない。

といった台詞を耳にしたわけです。それは、改正前の制度に対して発せられた言葉でしょうが、婚姻制度、更には該制度を含めた家制度の否定です。正確には”旧来の”とか”当時の”といった接頭語がついた、限定的な否定ではあります。しかしながら、視聴者の共感は該接頭語は容易に消し去ります。元々、そういった説明もありませんでしたし。

それは、法改正後の現代においても、旧態依然とした家制度が慣習として、或いは空気として未だ連綿と受け継がれていることを意味します。

現代の、脚本家や演出家を含むドラマ制作の関係者が、自らが置かれている現在の社会環境を全く踏まえることなく、近代の社会環境やその当時の女性の心情を客観的に描くことができるのか、甚だ疑問です。過去と現在はリンクしていて、現在は過去から創り出されます。過去は現在からの類推と記録を元に、”おそらくこうだっただろう”、”こうだったに違いない”と形成されるわけで、過去と現在の間に分断はありません。ましてや、フィクションですから、現在を踏まえた過去の脚色、演出となるのは当然です。

現在の空気が全く関与せずには上記台詞は創出し得ず、換言すれば、上記台詞から旧家制度の空気というか、痕跡は依然として現代に残存しているということを窺わせます。

それは例えば、

a)皇位継承者は男系男子でなければならない

b)女性・女系天皇も認めるべき

c)女性・女系天皇もやむを得ない

といった各々の立場から過去を脚色すれば、該台詞は三者三様の文言になるだろう、ということです。ちなみに、DNAの塩基配列とかAIが継承しても構わない、という声もあるわけですが、それは又別の話です。

以前、

アンという名の少女

というカナダCBCとNetflix共同制作のドラマがNHKから放送されました。L・M・モンゴメリ作『赤毛のアン』(1908年発表)をベースにしたドラマです。該ドラマでは、人種差別、同性愛、先住民迫害、女性の自立といった先鋭的なテーマが盛り込まれていました。これこそが、ある思想、信条の下、現代の視点で過去を脚色した典型です。朝ドラ”虎に翼”が実際の事実とどれほど乖離してドラマ化されているのかは存じませんが、間違いなく歪変が施されているとみています。(”アンという名の少女”がカナダ政府の逆鱗に触れたか、物議を醸して尻切れトンボ的に制作終了となったようです。)

上記家父長制は制度としてはなくなり、該制度に依る慣習も未だ残っているものの徐々に薄れてきた印象ではあります。ただ、男女の格差については、

アングル:女性は男性より約3割安い、英金融大手の賃金格差

は最近のニュースですし、そういった話は古今東西至る所に転がっています。女性の自由と権利のために性差別の撤廃を求めた

ルース・ベイダー・ギンズバーグ

連邦最高裁判事の言葉も記憶に新しい処です。


さて、それでは本題に入ります。ようやくです。

下の図は明治32年から平成21年までの出生数と出生率(人口1000人あたり)の推移です。引用元は厚労省の

です。以降のデータも上記リンク先のものを使います。

図1 出生数・出生率(人口千対)の年次推移 - 明治32~平成21年 -

第一次ベビーブーム、第二次ベビーブーム時に出生率の若干の増加は認められますが、出生率は既に大正9年辺りから減少傾向にあります。第一次ベビーブームは敗戦の、第二次ベビーブームは第一次ベビーブームの影響ですから、戦争がなければ出生率は一貫して漸減していたとの推測も妥当な処でしょう。


2024年4月2日火曜日

暴言

「県庁というのは、別の言葉で言うとシンクタンクです。毎日、毎日、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりとかということと違ってですね、基本的に皆様方は頭脳、知性の高い方々です」
静岡県の川勝平太知事が今年の入庁職員への訓示として語った言葉です。この言葉が職業差別、身分差別として批判を浴びています。

権力者が齢を重ねると、歯止めが効かないというか、言葉を呑む、堪える力が低下します。その典型かと。下手に飲み込むと誤嚥性肺炎を引き起こすのかもしれません。

ただ、自身も含めてパブリックサーバントであることを踏まえれば言い様があるだろうと。この頭脳、知性がアレな方を、頭脳、知性が高い方々がトップとして担がなければならないわけです。気の毒以外の言葉が見つかりません。
「県庁というのは、野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいは物を作ったりと、直接的、具体的に経済活動に関わることは殆どありません。そういった活動が円滑、効果的に行われるよう支援するのが役目です。従って、ともすると”何もしていない、経済的な価値を生み出していない”といった厳しい目があることも忘れてはなりません。そのような見方、批判を跳ね返すべく、必要とされる県庁、求められる県庁を目指して職務に邁進することを願います。」

こんな感じでどうでしょうか。本来、支援だけでなく、主導、指導もあるわけですが、それらを飲み込んで支援の語で括るのが大人というものではないでしょうか。 

上記を記していたら、丁度”辞意表明”のニュースが流れてきました。新入職員の訓示一発で辞意というのもよく解りませんが。確かに、訓示の内容は差別的です。辞任も妥当かと。ただ、”新人職員に対する訓示という挨拶”に問題発言があって、それで辞任ということなら、これまでも辞任に相当する問題発言、失政は数限りなくあったはずです。

関連は不明ですが、リニア開通における懸案事項が解決に向けて動き出したのは間違いありません。

さて、上記”何もしていない、経済的な価値を生み出していない”についてです。経済活動に関して、実際の処、県庁が直接的、具体的に寄与することはないはずです。インフラ整備、企業誘致、税制優遇、補助金、技術導入といった形で主導、支援することはあっても企業経営に直接に関わっているという話はほとんど知りません。大阪市だか大阪府が関西電力の大株主になっている、程度です。

そうなると気になるのは、公務の価値というか公務が生み出す価値です。