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2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、”坂の上の雲”は事実で、”はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年4月2日土曜日

判断

偶々、タイミングよく虚を突かれて了承してしまったのだと思います。判断や対応の妥当性についてご意見を賜われればありがたい処です。

先日のある金曜日、午前九時を過ぎた辺りでしょうか。自宅にいた所、
”屋根の〇〇が浮いていますよ。”
と戸外から声をかけられました。で、戸外に出て声をかけてきた若い男が自宅屋根の指差す部分を見てみました。建築についての知識が乏しい私には”〇〇”は聞き取れず、たとえ聞き取れたとしてそれがどこの部分を指すのか分からなかったと思います。(後で屋根と壁の取り合い部の雨押えという部材であることが判明。)

で、
”屋根の〇〇が浮いています。このままでは雨が入って雨漏りし出します。”
と言うわけです。”ウチはそういう工事を頼む所は決まっているから。”と応えたのですが、
”偶々近くで工事をしていまして、材料を持っていますので2000円でコーキングして応急処置をします。”
と。”本工事は知り合いに頼むけどそれでいいなら。”処置を了承しました。そんな金額で屋根に上がるのか、といった問には、
”宣伝です。”
とか、
”私達の仕事を知ってもらいたい。”
との返事でした。 工事業者の知り合いがあると伝えたものの、宣伝のためという返答に、”そんなものか”と一応の整合性を感じ、午後から上記応急処置をする運びとなりました。名刺も渡されました(=身元、所属が確認できる)ので、まぁ、悪徳リフォーム業者ではないだろうと判断したわけです。屋根に上った経験がある私には、2000円で屋根上の仕事をするものなのかと、半信半疑ではありましたが...

午後からの工事ということでしたので、当然、該会社名で検索しましたが悪い情報は見つけられませんでした。消費者庁、国民生活センターのwebサイトでも当該業者の名は検索されませんでした。

”じゃ、いいか”、と思っていたのですが、結局その日の午後業者は現れませんでした。業者の知り合いがあることを伝えていて、大きな工事に繋がるわけでもありませんから、”ばっくれたのかな。週明けにでも知り合いの業者に不具合について相談してみるか。”というつもりでいました。

土日を挟んで週明け、もうこの話は無くなった気でいました。ところが、月曜の朝、同じ業者が、

”どうされますか?”
と。

土日とはいえ、調べる時間的余裕を十分作った上で打診してきたわけです。補修を了承しました。実は土日の時点で話が無くなったと思い込まず、もう少し雨押え補修の必要性について調べるべきだったのかもしれません。

当日午後から補修工事に取り掛かることになったのですが、ふと、事前に指摘部分を撮影しておくことを思いつきました。特に深い考えはなく、一体何処がどうなっているんだろう、という思いからでした。

梯子をかけて指摘された辺りを撮影、印刷してみたものの、よく判らないままです。何処に雨漏りの恐れがあって何処をコーキング剤で塞ぐのか...雨押えの裏側は指が入る位空いていても構わないような情報も見かけましたし。

午後になって補修工事を始める段になって、写真を見せながら、業者に尋ねてみました。何処がどうなって何が問題なのかと、実は不要なんじゃないかと。
”放っとくといつか雨漏りします。”
などといった、何だか要領を得ない返事でした。こちらも不要という確信はありませんでしたから、まぁ、そうなのかと、断ることなく補修を進めてもらうことにしました。大した金額ではありませんでしたし。
”補修部分の写真も撮ってきます。”
とコーキング剤を手にした業者が屋根に上がり戻ってきました。十分程度でしょうか。

戻ってきた業者の話を聞いて、疑問が氷解しました。やはりセールスだったわけです。スマホで撮影した補修部分の写真をチラッと見せ、
”他にも割れた部分がありましたので補修しておきました。”
とか、
”屋根材がかなり古くなっているので...”
などと屋根全体の塗装、修理を勧めてきました。断ったのは言うまでもないことなんですが。

下はコーキングで応急補修をしたと称される、雨押えの盛り上がった部分の写真です。


”何だ、コレ?雨漏り予防の応急処置がこれなのか?”

屋根材が割れて雨漏りが生じた場合、補修前に撮影しておいた屋根の写真と照らし合わせるつもりでいます。

手元にある名刺には”創建コーポレーション”と記してありました。

残骸

以前記したUSBハブや延長コードの事例と似た話です。

シャツのボタンが取れた時、該シャツは廃棄されても構わないのか?

自宅に簡易式のハンドシュレッダがありました(下写真)。




元々2-3枚程の紙を裁断するにもそれなりの力でハンドルを廻す必要がありました。軽い力でクルクルというわけにはいきませんでした。で、ある時、ハンドルを廻しても全く紙送りと裁断ができなくなりました。ハンドルが空回りしているようです。

分解してみた所、ハンドルの回転を裁断機構に伝達する、ギヤの歯が欠損していました(下写真)。大きさは十円硬貨程度でしょうか。小径ギヤの歯の中、二枚を残してほぼ全てが折れており、これではハンドルが空回りしてしまうのも当然かと頷けました。



金属製のギヤの歯が欠損してしまうというのも、設計上どうなんだろうと思わないわけではありませんでしたが、まぁ、このギヤさえ交換すれば、本来の裁断機能を取り戻すことができるはず、と見立てました。

じゃ、どうやってこの補修用ギヤを入手するか、になるわけですが、入手は不可能でした。メールで問い合わせた処、
せっかくお問い合わせをいただき、大変申し訳ないのですが、お問い合わせの部品は、単体の在庫がなく、一般商品でセットになった状態となっておりますためご用意ができかねます。
とのこと...確かに安価な製品ですから、そのまま廃棄することもやぶさかではありません。ただ、金額の多寡ではなく、小さな部品一つの破損で本体全てが無用のゴミと化して廃棄せざるを得ないことに釈然としないものを感じています。

このタイプのハンドシュレッダは各社から製品化されているようですが、ネットで検索しても、Amazonのレビューを見ても結構壊れているようです。破損部分も駆動部分のギヤ歯欠けとほぼ同じです。

結局、このタイプのシュレッダに共通する大きな破損原因は駆動部のギヤの強度、耐久性のようです。これだけ、原因が特定できているならば、もう少し破損に備えた対応が可能なんじゃないかと、メーカの対応に疑問を抱きました。決してギヤの破損に対して指摘する意図はありません。

ギヤの強度向上は難しくとも破損が予測される消耗品と捉えれば、補修部品として用意、或いはスペア部品として製品に添付すれば十分です。

この小さなギア一つの破損でシュレッダ全体が無用の長物となり廃棄せざるを得なくなることに抵抗を覚えるわけです。社会全体では結構な量のハンドシュレッダの瓦礫の山が築かれているのでは、と想像します。使い捨て文化の、そういった部分に社会の非効率性を感じています。ハンドシュレッダが紙の裁断屑を産み出すことは理解していましたが、シュレッダ自体が無用のガラクタになることまで思いが及びませんでした。

そして、やはり最後は、無用なガラクタを産み出さないハンドシュレッダとヤジを飛ばさない政党、実現可能性があるのは何方?という問で結ぶことに致します。

2016年3月6日日曜日

筋書 

日銀の準備預金超過分へのマイナス金利導入を受けて百貨店の「友の会」が人気のようです。

かなりお得! 百貨店「友の会」徹底比較 マイナス金利で「積み立てサービス」入会者急増

積み立て後、最高8%分のボーナスがついた買物券、若しくはプリペイドカードとなって戻ってくるようです。で、何を買うの、といった話になるわけですが...

必然性のある、”何”が思い当たらないのです。以前のエントリにも記したのですが、少なくともデパ地下には購買意欲を唆られる品はありませんでした。
 
百貨店と同じ商品を約7.5%割引で購入できれば同じなんじゃ、と
素直に思った次第です。難題なんでしょうか。


代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ね”ブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。

2016年2月29日月曜日

自負(追記アリ)

手元にエレコム(株)社製USBハブがあります。購入してかなり年月が経過しています。このハブの外装部材がベタベタしているのに気が付きました。

ポストイットの貼付部に似た粘着性を発現しています。このハブの外装部材にはゴム状の弾性素材が用いられており、おそらく部材に弾性を付与する可塑剤が部材表面に滲出したことによるものと推測しています。

樹脂系の外装部材が経年変化でベタベタしてくるって、一体いつの時代の製品設計なんでしょうか。どういった目的で外装部材の材料としてゴム系素材を選択したのかは存じません。

しかしながら、ゴム系素材は難燃剤、可塑剤他の添加剤が比較的滲出し易い素材であることは、かなり以前から知られている現象です。材料選択の上で予想し、配慮すべき問題であるのは間違いありません。添加剤が滲出しない素材とか、可塑剤フリーの弾性材料を採用すべきでした。

ちょっと製品の基本的な仕様に対する品質設計の水準が低すぎなんじゃないかと。性能や機能以前の問題です。

例えば、真夏の炎天下に駐車しておいた自動車車内のルームミラーが落ちたとか、ある日自動車のドアを開けたらヒンジの溶接部が切れてドアそのものが外れかかった、そういった類の話です。(事実です。かつて乗っていた輸入車がそうでした。)

ドアが外れて落ちないとか、時間が経ってもベタつかないとか、ユーザーがいちいち注意することじゃないはずなんですが...

とはいうものの、
 100円ショップSeria(セリア)の「延長コード」 - 返金/回収
といった話が昨年あったことも思い起こされました。いわゆる延長コードです。火災の恐れがあると...

こんな日用品すら安心して使えないのかと考えると、製品製造に対する日本企業の姿勢に失望します。"Made in China"だからというのは関係ありません。

”ちゃんと作る”のはそれほどまでに難しいことなんでしょうか。機能や性能という購入を促す付加価値部分ではなく、製品として当たり前の部分についてなんですが。製造や設計に対する日本企業の信頼に疑念が生じつつある今日このごろです。

さて、今夏の参院選では、
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい
わけですが、なかなか難題のようです。正に、こんな要望も適えられないのかと。安全な延長コードを入手するより困難なことなんでしょうか。

まぁ、こっっちの信頼失墜は随分昔からなんですがね。

と記した矢先に、

「保育園落ちた日本死ね」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ

ああ、そうですか。これがお答えですか...

2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。)
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2016年1月16日土曜日

風土

幾度となく口にしているオムライスですが、中区千代田辺りで食べていてふと気づいたことがあります。

オムライスの標準的な構成は、チキンライスと称されることもあるケチャップで味付けした、炒飯?焼き飯?炒めピラフ?を玉子焼きで包み、その上にケチャップだったりトマトソースが添えられた形かと。玉子焼きは薄焼玉子だったり、たっぷりの玉子を使用して内部を半熟で仕上げた、トロトロなどと形容される厚めの玉子焼きだったりします。プレーンオムレツをそのままケチャップライス載せた後、切り開いて半熟面を表に露出させた様態を見かけることもあります。

冒頭の店は御飯がケチャップライスではなかったわけです。ウスターソースをベースに味付けされたライスでした。添えられたソースはドゥミグラスソースで、思ったよりあっさりした食味ではありました。途中、くどさを感じることもなく食べ進めることができました。

まぶされたソースが、ドゥミグラスソース、ビーフシチュー、ハヤシソースというのは特段珍しくはありません。ただ、ウスターソースやそれに類した味付けのライスというものがちょっと記憶にないのです。店は失念していますが、ガーリックライスの事例は朧気に覚えがあります。愛知県外だったかも...

で、近傍にあるもう一店の洋食屋でかつてオムライスを食べた時も非ケチャップ味でした。やはりウスターソース味だったか、ハヤシライス味だったかと。

以前のエントリで、名古屋近郊に特有と思しき天とじ丼について記しましたが、オムライスのライス部分にも名古屋特有の味付けがあるのだろうか、そんな思いが去来した次第です。

現時点では中区千代田限定の地域食ということになります。

2015年12月15日火曜日

〆鯖

成城石井を訪れると、皮目が金色に輝く、いかにも脂ののったいい鯖を見ることがあります。池下、石川橋、藤が丘辺りの店の話です。

所が必ず、半身を更に二つに切り分けた切身の状態でトレイに入っています。

成城石井の来店客は〆鯖を作らないんだろうか、或いは、〆鯖を作る人々は成城石井に行かないのか、素朴な疑問です。

勿論、一夜干しを作ったって十分旨いんですがね...

2015年11月21日土曜日

表裏

ここ最近、NHK朝ドラ”あさがきた”を何気なく見ています。

幕末から明治維新にかけて、大阪有数の両替商に嫁いだ女性のドラマです。江戸から明治の激変期、主人公のあさは貸付先である諸藩の貸し倒れを不安視し、貸付金の回収に奮闘します。

宇奈山藩の蔵屋敷に日参、足軽部屋に押し込まれるものの居座って、一部貸付金の回収を成し遂げます。ドラマ中で、貸付金の取り立てにやりがいを感じる...返してもらえるまで居座る...

現代なら、貸金業法違反では?踏み倒しが予想できたにも関わらず、貸付の申し出に応じざるを得ない封建的時代背景があったのかもしれませんが。

いずれにせよ、正当と不当、道理と理不尽を分ける境目の曖昧さ、視点による揺らぎのようなものを感じた次第です。

これはドラマにおける女性の描き方からも感じます。朝ドラには、実在の女性の半生・生涯を題材としたシリーズが数多くあります。

ドラマの進行中に太平洋戦争と戦後混乱期を含むシリーズも少なくなく、そういった作品では軍部の暴走、同調圧力が、石礫、”非国民・売国奴”と書かれたビラ、盲信的な国防婦人会による虐め、憲兵や警察の横暴といった形で具現化されてきました。戦争の理不尽さ、悲惨さ、即ち平和の大切さと厭戦・反戦を伝えると共に、愚かな為政者が国を司ることへの批判が見て取れます。

そういった全体主義の時代の下で体制に翻弄される民間人の弱さ、この弱さが見る者に共感を抱かせ人気を呼ぶのでしょう。
 
ただ、現政権への配慮でしょうか。本シリーズの時代は幕末から昭和初期にかけてであり、おそらく太平洋戦争期は含まれないかと。

このシリーズでは、大阪の両替商が、大名貸しの焦げつきや、銀目廃止に伴う取り付け騒ぎで窮地に陥るわけですが、翻弄されるのは有数の両替商であって一民間人ではありません。後の政商です。

明治新政府への批判的な姿勢も憚られたのかもしれません。NHKですから。

で、”だす。”、”どす。”、”お家”、”旦那様”、”びっくりポン”、”燃える石”といった語を耳にしつつドラマを眺めていると、少子化、女性の社会進出、人権という今日でもしばしば論議を呼ぶキーワードが去来します。

この時、一体このシリーズは当時の旧習、旧弊を肯定したいのか、理解に苦しむことが少なくありません。

炭鉱事業の成功に向けて奔走する主人公”あさ”と新次郎夫婦が、なかなか子供に恵まれないことに対し、新次郎の母よのは妾を囲うことを進言...

当時から、女性が働くことと出産・育児は両立させ難かったと...えーと、その答えが妾を囲う?珍しいことではなかったとのナレーションも挿入されていた覚えもありますが、肯定したいのか。

女性の社会進出もその一因である可能性を否定しきれない少子化、この対策が”妾を囲う”...一寸、いや、断じて違います。

なんだか、”家政婦は見た”とダブる、お付きの女中とか、”お家を守る”、”旦那様”...そういった旧来からの身分制度、家父長制度を含む権威主義礼賛のような雰囲気がドラマ全体に臥していて、違和感を禁じえないでいます。

そういった違和感の最たるものが、
――相手を負かそうと武器を持つ。相手は負けないようにそれより強い武器を持つ、そしたらこっちはもっともっと強い武器を持とうとする。――

という新次郎の台詞です。九州の炭鉱で主人公あさが炭鉱夫を何とか働かせようと奮闘していた時、力ずくで物事を解決することがすべてではないことを、あさに伝えた言葉です。

ISISのテロに対する欧米諸国のシリア空爆について、NHKの思いを代弁しているのだろうか?思いが過ぎりました。

ドラマ中に反戦、平和のメッセージを織り込みたかったのでしょうか。ただ、明治維新という日本の大きな転換期において、炭鉱事業がどんな位置付けだったのかを慮れば、件の言葉も”なんだかなぁ”といった印象です。
――お前が言うか?――
石炭というエネルギーが何に利用されるのか。ドラマ中では陸蒸気の燃料として取り上げられていますが、殖産興業と富国強兵という掛け声の下、軍備増強の目的で石炭が求められていたのは間違いないところです。

当時の石炭事業はどう見たって軍需産業としての位置付けを否定できず富国強兵政策の一翼を担っていたわけです。”相手を負かそうと武器を持つ”、その礎となる石炭事業の推進にあたって、件の台詞を吐かれても...

言行不一致との誹りを受けても致し方ないのでは、と考えます。

2015年11月17日火曜日

反攻

ここの所、ウェブサイトをふらふら巡っていると、
日清e-めんShop
の広告が目につきます。日清食品の公式オンラインショップのようです。で、覗いてみるとですね、1DAYプライス、今月のセール、Just¥99Sale、アウトレットコーナーといった特売コーナーがあったわけです。

ダブついた在庫をメーカ直売で処分売りということなんでしょうか。食品が供給過剰状態にあることは実感していましたが...
興味深いのは、卸や小売、特に流通大手からの圧力をどのようにかわして、メーカー直売を実現できたのだろうかということです。まぁ、流通大手もPBなんてものをやりだしてNBを追いやっていますから、
――お前が言うな――
ということなんでしょう。

以前、Amazonに全農直営店が出店した時も驚きました。
JAタウン
Aコープといった実店舗ととどう共存を図っていくのだろうかと。

米価市況の変化については存じませんが、ここ数年の米価の下落はなんとなく感じています。人口減や食習慣の変化による年間消費量の減少と供給過剰、流通経路の効率化、多様化に伴う価格競争がその要因でしょうか。

米価は漸減の印象です。輸入が相当の割合を占めている、麺やパンに代表される小麦製品の価格が、ここ何年かの円安にも拘らず高騰している実感もありません。

需要が増えない中、生産性が上がれば価格が下がるのは当然です。勿論、TPP合意も下落圧力です。成長戦略?生産性が上がれば価格は下がるのは自明では。

相反するデフレ解消がどう進むのか、未だ理解できないでいます。

次元

Facebook(FB)の話です。

パリで発生した同時多発テロを受け、”パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう”と、フランス国旗のトリコロールを自身のプロフィールに重ねあわせることについての是非が巻き起こっています。
yahooニュース(個人)
「イスラーム国の衝撃」の池内先生にISについて疑問をぶつけてみた結果と、自分がトリコロールのアイコンに賛同しない理由
そういった議論が活発であるほど、何とも言えない無力感に囚われます。

その一方で、
2歳長男にたばこ吸わせた疑い 無職の父親ら逮捕
幼い息子が「タバコ吸う」動画 FBに載せた両親が大炎上、謝罪するも批判止まず
同じプラットホームにあるとは思えないこの著しい隔たりに驚きを禁じ得ません。 

2015年11月3日火曜日

販促

巷間、横浜傾きマンション問題の話題で持ちきりです。収束の兆しは一向に見られません。

一方、ネット上では密かにステマの疑念が払拭できないノンクレジット(広告主の名前を表記しないこと)広告の話題が、こちらも依然燻り続けています。下記は代表例です。
ベクトル社が名指しステマ記事にホームラン級にアレな反論をして広告業界大困惑の巻
思ったところを少し。

広告は物品、サービスといった商品の販売側が売上を上げるための手段です。ところが、売り手側からの商品の情報提供はしばしば誇大広告になりがちで、商品の価値が底上げされています。様々な媒体に掲載された広告による商品選択、消費活動を通じて、消費者側も売り手側から発信される広告の欺瞞性をなんとなく感じ取っているわけです。

そこで、ウェブ上だけでなくテレビ、ラジオ、雑誌といったあらゆる媒体で、消費者側からの声、いわゆる口コミや、専門家と称されるライターのレビュー、比較記事が重用され、広告としての役割を担わされるようになってきています。

使用者としての評価は購入者の側に立った有用な情報、専門家としての評価は客観的な情報であり、商品選択、購入の判断に大きな影響を与えます。

で、こういった情報の発信者と販売側に何らかの金銭の授受があった場合には、情報の真偽、信頼性如何に関わらず、当該情報にはその旨表示せよ、という話です。

この時、風味、面白さ、洗練、格好といった主観に基づく評価はともかく、計測可能な仕様情報の提供に対してすらそういった扱いが要求されるのだろうか、との思いが去来しました。例えば、長さ、重さ、速さ、時間、温度といった客観評価には恣意性は込められないんじゃないかと...

例えば、上記エントリ中でリンクされている、
【ステマ症候群:拡大版】iPhone商戦の陰で広がるステマ記事発注の舞台裏
では、
記事の書き手は、東京メトロ銀座線の各駅で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという通信3社それぞれのiPhone6sの通信速度をアプリで計測。その結果、銀座線の19駅のうち13駅においてau(KDDI)が勝利したと調査結果を掲載している。
とあるのですが、誰が測定しても同じ値となる測定法を採用しているならば問題ないのでは、と思った次第です。広告主であるKDDIでも競合となるドコモ、ソフトバンクのいずれが測定しても測定値の優劣に揺るぎがない、そういった客観的手法で得られた、事実を用いた記事ならばノンクレジットでも容認できるのではないか、ということです。

とは言うものの、理想に過ぎない話でしょうか。昨今の様々な企業不正を鑑みれば、測定値ですらその信憑性に疑問符を付けざるを得ないのが実状です。測定値の改竄、流用(旭化成建材杭打ち問題)、不正ソフトによる規制クリア(VW排ガス不正)などが明らかになっていますから。

不正とは断定されずとも、評価に際し、”当社比”、”従来比”、”同クラス内での比較”、”当社測定による”、等の枕詞は頻繁に目にします。さすがに、数値で表示される評価で”個人の感想です”といった注釈を見たことはありませんが...

いずれにせよ、企業倫理の問題に行き着く話です。ステマだとか誤認といった欺瞞的な広告以前の不正事件が頻発している現状です。違法ではないノンクレジット広告、ステマを自粛すべきと認識する、そういった誠実さを企業にどこまで期待できるのか、疑念を拭えないでいます。 

2015年11月1日日曜日

従順

江戸末期のええじゃないか騒動を連想させる一方で、平和な民主主義社会の一側面を象徴しているのかもしれません。
ハロウィーン 渋谷
【速報】渋谷駅カオス!ハロウィンで完全に制圧される!DJポリスもただの「DJ」になってしまう!
ルキウスさんのエントリ、
ロイ・アンダーソンを考える
では市場原理主義=刹那主義について記されていますが、この刹那主義的要素は、実は民主主義にも内包されている、そう思えてなりません。

”その場に居合わせたみんなの合意”に基づく民主主義は、刹那主義でもあるわけです。おそらく民主主義の無謬性のようなものがあって、合意に対する賢愚、是非、善悪の判断をさておいてしまうような気がします。

不利益は他国や後世に追いやるということです。

ところで、渋谷スクランブル交差点辺りの中継映像を見ていて、先日のSEALDs含む安保法案反対のデモの比ではないなぁ、と素直に思いました。権威に対する従順さは真逆かもしれませんが。

ハロウィンの群衆と該法案への支持不支持が繋がる理由はありませんが、社会のマジョリティはそういうことなんだと。改めて実感した次第です。

暴動の一つも起こってもおかしくないあの群衆が、概ね粛々と警察の指示に従って行動している、というのも不思議ではありました。羊と羊飼い、牧羊犬の関係を連想させました。至るところに糞を撒き散らす(ゴミを散らかす)マナーの悪い羊であっても羊飼いには従順でした。

そういった羊の群れがあの宰相を擁する社会を選んだ、受け入れたのか、或いは連綿と引き継がれたそういった社会が羊の群れを生み出してしまったのか、興味は尽きません。

2015年10月17日土曜日

去勢

――圧倒的な「第一党」は無党派層なのだが、国民の過半数を占める彼らを代表する政党が存在しない。これが日本の最大の不幸である。―― 
安倍首相はなぜきらわれるのかといったブログエントリにあった文言です。

で、以前のエントリに記したように、
近年の選挙における選択の動機は、当たりクジなど入ってないことを承知し、その上で消去法によって如何にマシな外れクジを選ぶか
といった状態から全く進展がありません。だからといって、選挙で票を投じないという行為には批判的な声もあるわけです。

例えば、
参院選迫る:投票したい人がいないから棄権、抗議の白票はイカン

選挙権のないひとりからのお願い、再び
といったブログエントリがあり、選挙にいかない奴は政治に参加していない、義務を果たしていないとか、投票しければ何も変わらない、といった声があるわけです。

――白票、棄権は白紙委任だ。最大政党に白紙委任したのと同じ。――
このことに異論があろうはずはありません。ただ、投票を棄権する有権者層は、政治に関心がない層とコミットする意思はあるものの意図的に棄権している層から構成されているはずです。白票を投じる有権者層からは勿論、政治に参加する意思が伝わってきます。

つまり、全有権者中に一定程度の割合で、政治にコミットする意思があるにも拘らず、無効票とされてしまう有権者が存在している、ということです。

無批判、盲目的、或いは、義理人情で候補者を支持し賛成票を投じる層がいる一方で、全ての候補者に対し不支持の意思表示をするために棄権、若しくは白票を投じる層は、その対極との見方ができます。

この時、両者の意思は、果たして平等に扱われているのか、公平に選挙結果に反映されているのかを問うてみれば、やはり片手落ちではないかと。

――不支持の意思は選挙結果に反映させない――

そういった不公平性が解消されないまま続いているのは、現行の選挙制度の不備であり、制度設計者、運営者の怠慢ではないでしょうか。賛成、支持、信任に対応した反対、不支持、不信任という選択肢がない制度は、実は公平性に欠いているのではないか、ということです。

”賛成”の対義語は”賛成しない”ではなく”反対”です。

やはりですね、もう少し漏れ無く、公平に民意を汲み取る制度設計が必要ではないかと考えます。

ただ、残念ながら、”誰が実行するか”の”誰”が見当たらないのです。この行き場がない民意の受け皿を設けようという姿勢は何処からも感じられません。

世界の中で日本の投票率が突出して低い、とするつもりはありません。独裁だったり、民主制だったりと、各国の国家運営の根幹や、元首や代議員の職責の重さ、といった政治体制が異なりますから。有権者の投票意識と投票率を結びつけた比較は困難です。

ただそれでも、少なくとも日本において、低い投票率に対し、
”有権者の意識が低い、政治についての関心が薄い”
と片付けることには違和感を禁じ得ません。

首長や議院を選出する選挙において、その制度の不備を疑うことなく低投票率のシステムを運営、維持し続けている、そういった現状に関し怠慢という認識は生まれないのでしょうか。政官学各々についての話です。

例えば、無党派層の意思を選挙結果に反映するといった、自らの不利益を顧みることなく、選挙制度を変革していこうとする政党、人材の出現を待望しています。

折しも、2016年の参議院選挙から、選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げる改正公職選挙法が施行されます。それに伴い、高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」が総務省と文部科学省から作成されました。学校現場における政治や選挙等に関する学習の内容の一層の充実を図るためとあります。
政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について
高校生向け副教材「私たちが拓く日本の未来」について
こういった資料を利用した、高校生への政治や選挙についての指導、教育が、現状に対する問題意識を摘み取ってしまいかねないことを懸念します。

国家に限らず、組織、団体、個人は、自らの存在、行いを自発的に否定することはできないのです。自らは常に正当性を主張し、過ちを自認するには相当の困難を伴うわけです。

そういった無謬性を排除できない国家による教育は、自ずと現状を是認することに他なりません。”今は絶対的に正しい”、そういった認識下、政治に関する教育によって”現在が最良”と摺り込まれてしまうと、異を唱えたり、疑問を抱くことを封じる力が生まれます。

これは現体制にとっては好都合です。体制に抗わない従順な有権者層を拡大できますから。そういった思惑が意図されてか否かは存じません。ただ、現行の枠組みの正当性を尤もらしく騙って疑わせない、それを否定し超えていこうとする意思を抑圧してしまう、少なくともそんな方向にだけは進まないことを願って止みません。

2015年10月12日月曜日

狭間

一寸フィクションの読み物について記してみようと思います。

先日、NHKスペシャル「作家 山崎豊子~戦争と人間を見つめて~」の再放送を何気なく眺めていた時のことです。

山崎豊子氏と言えば、
白い巨塔→大学医学部華麗なる一族
 山陽特殊鋼-倒産
 不毛地帯→伊藤忠商事-瀬島龍三
大地の子→中国残留孤児
沈まぬ太陽→日本航空-御巣鷹山
運命の人→外務省-沖縄密約-西山記者
といった作品が思い浮かぶわけですが、同時に、モデルとなった実在の社会的事件、団体は勿論、個人までもが特定できてしまいます。

作者の構想のもとに作られた虚構の話である小説において、実在の事件、人物を題材にすることは読者に現実感を抱かせるには好適な手法です。

事実や史実、及びそれらに対し読者一般が抱いている先入観、そこに嵌合するように人間的魅力にあふれた虚像をはめ込んでいくと。で、虚実入り混じった、何処までが事実かがにわかに判別できないモザイクができてしまうわけです。

こういった手法は特段珍しくもなく、司馬遼太郎氏、松本清張氏始め、著名な数多の作家が創作に取り入れています。城山三郎、清水一行、高杉良、各氏の経済小説の分野では至極当然というか欠くべからざる創作スタイルです。

百田尚樹氏の「海賊とよばれた男 」、「永遠の0」等が最近の該当例でしょうか。

上記作家らの著作について、勿論否定的評価が皆無ではないとしても、その発行部数から、総じて多くの読者からの支持を得ているのだろう、とみています。

ここで、事実を題材として脚色を加えた虚構の創作について云々するつもりは毛頭ありません。それが小説ですから。

ところが一方で、虚構であることが露見したことにより、激しい非難が浴びせられた読み物もあるわけです。

以前のエントリにも記したのですが、それは例えば「一杯のかけそば」であり、江戸しぐさが記載された道徳の教科書(p.58〜59)を含む江戸しぐさ推奨本です。

前者は上記Wikiに顛末が記され、後者については、
更に最近では、ネットワークを介して伝播している、真偽不明の”いい話”にも批判的な目が向けられています。

例えば、
【感動注意】黒人が差別された飛行機に、ぼく、偶然乗ってました!
Facebookはバカばかり
またきたコレ・・・いくらでも作れる「いい話」。もう回すなって!!お願い
といった処でしょうか。ちなみに最近見聞したいい話は、
ファストフードの店員がお金の足りなかった男の子に小さな親切、50倍の恩返しが待っていた。
です。真偽はまだ不明です。

興味深いのは、上述全てが虚構であるにも関わらず、小説のについては風当たりが強くない、ということです。プライバシーの侵害、名誉毀損で関係者との訴訟に発展することはあっても、虚構を理由に非難された事例を知りません。

多くの事実を織り込んだ創作であっても、虚構との指摘がなされないということは、読者は端から虚構、フィクションであることを念頭に読み進めているということなんでしょうか。

読者が冷静で創作の世界に踏み込めないでいるのか、入り込ませるだけのリアリティが作品に欠けているということなのか...

「一杯のかけそば」、「江戸しぐさ」は、実話、事実として受け止められた後、捏造であることが発覚、この裏切られ感が怒りや非難の根源となったのかもしれません。そういう意味で、こちらの方が現実感に優っていたとするのが妥当という見方も、素直に首肯できないでいます。

実は、読み物の信憑性に対する読者の先入観が、創作物の虚構、虚偽といった印象を決定しているようにみえ、であるならばそれはそれで釈然としないものを禁じ得ません。では、作品それ自体の力は一体?、ということです。
というブログエントリ中に佐村河内騒動について触れている部分があり、
――涙を流すほど感動していたのに、事実を知ってショックを感じ、白けてしまった――
とのコメントが発覚時に寄せられていたそうです(伝聞の伝聞ですが)。

まぁ、この類の話かもしれません。虚構と虚偽の狭間は、創作物そのものの評価を左右しかねないわけです。

背景や権威といった周囲の環境によって容易に動かされてしまうこの狭間の、危うさ、脆さ、曖昧さについてもう少し理解を進めたい処です。

ところで、上記虚構の読み物で、それが捏造であることが判明して以降も、肯定的に捉える声があります。

例えば、「一杯のかけそば」を「涙のファシズム」と批判する見方がある一方で、江戸しぐさについては、特に公教育関係のサイトからは依然として肯定的な姿勢が窺われたりします。
江戸しぐさ 京都しぐさ(京都市)
マナーアップ推進事業(守谷市)
道徳の時間や総合的な学習の時間などの学習で「江戸しぐさ」を取り上げており、礼儀やおもてなしなどにかかわる学習において取り扱う上では、特に問題はないと考えています。(板橋区教育長)
 歴史的事実として教えるものではなく、礼儀やマナーを考えるきっかけになればと作成した(文科省)
ネットワーク上に蔓延るいい話についても、
話の「真偽」は、さほど重要では無い。大切なことは、この話から、なにを受け取るのかだ。
といった旨の意見を見聞します。

史実と確認されていない虚構を道徳学習に採用する...真偽は重要でない...手放しで首肯するには抵抗を覚えます。

この部分について思いを巡らせてみると、その行き着く先には権威主義による管理と被管理といった語が朧気に見えてしまいます。

虚構の物語中に描かれた虚像を道徳、倫理、礼儀といった教育に利用する...広義には人格形成にも影響を及ぼしかねないそういった領域に虚像を挿入していくということです。それは言い換えれば、虚像の摺り込みでもあり素直には受け入れ難いものを感じています。

例えば、
故人の意思→(真意の確認が困難)
専門家の意見→(十分な理解が困難)
民主主義社会におけるみんな(民意)→(実体が不明)
に類した、虚像の一人歩き、極端には暴走の懸念を払拭できない、ということかもしれません。教育でも政治でも、ある意図の下創りだされた、管理側にとって都合のいい虚像、これが知らぬ間に絶対視され周囲に奉られてしまう、その結果醸成される無思慮な”...でなければならない”空気には反感を抱きます。

上述の「一杯のかけそば」捏造騒動における非難には、欺かれたことに対する怒りと共に、そういった虚像に振り回されたことへの反発も含まれていたのではなかったかと。

しかしながらその一方で、先述の著名な作家による小説に対しては、やはり虚構に対する抵抗は大きくないというか、むしろ虚構であるがゆえに受け入れられているとさえ、見受けられます。

そういった作品は、事実を作者の意図で脚色、歪曲した虚構ではなく、作者の意図を伝えるための創作に事実を織り交ぜている、というのがその理由でしょうか。判り難い話です。

文芸について思う処と共に、いずれ機会があれば記してみます。

2015年9月26日土曜日

補填

季節の変わり目の連休やテレビ番組の改編期になると各局で、”〇〇警察△△24時”といった番組が放送されます。(〇〇、△△には全国、激録、密着、追跡、激闘、実録といった語を適当に挿入します。)

で、素直な疑問なんですが、”〇〇警察不祥事24時”といった番組は何故無いんだろうと思った次第です。素材は十分蓄積されているはずです。

魚と釣りが大好きなこの方のツィートにも警察含む公務員の不祥事報道が相当程度含まれています。素材がリアルタイムでアーカイブされていて、実は不祥事も好物なのかもしれません。

まぁ、そういった番組が制作されないのも、当然と言えば当然なんでしょう。メディア、視聴者、警察各々にとって都合がいい、心地良いということです。

低予算で制作でき、視聴者もそれなりに関心を寄せているので視聴率が期待できると。警察側にしてみれば、警察活動に対する市民の理解を得る、といった広報の目的に適っているわけです。

ただ、該番組が元々ドキュメンタリー番組であったのか、否かは存じませんが、ここの処ステマに似た思惑を感じてしまいます。

番組で取り上げられた個々の事件がヤラセと言うことではなく、事実をいくつか繋ぎ、組み合わせて伝えることで、全体として印象操作を意図してはいないか、ということです。

日々のニュースでは、警察の不祥事が頻繁に報道されてます。件数が増えたのか、単に、以前より報道されるようになっただけなのかはわかりません。

一方で、ドキュメンタリーであろう該番組ではそういった事例は一切取り上げられず、ひたすら市民生活の安心と安全確保に日々奮闘する警察の活動を伝えています。

中和というか信頼の失墜補填番組として受け止めてしまいます。報道される警察不祥事の件数が多ければ多いほど、それを覆うように、この類のドキュメンタリー番組が流されている、そういった印象を禁じ得ません。
――落とした後、持ち上げ再び叩く――
メディアの基本行動であるマッチポンプに正に合致した格好の題材となっています。叩いた後に持ち上げておかないと、次に叩けませんし、メディアにとって警察との親密な関係は不可欠です。事件報道のためには記者会見の出席や警察発表の広報文入手が必要ですから。

野次馬の好奇心も相互の利害をより強固に結びつけこそすれ、決して牽制する方向に力は作用しません。

威信、視聴率、好奇心の充足と引換に、公正、中立、客観、事実といった堅持すべき部分が蔑ろにされているんじゃないないか、そんな思いを払拭できないでいます。






2015年9月23日水曜日

配慮

――政権への側面支援なんだろうか――
NHKの次期朝ドラ”あさがきた”の紹介を眺めていて脳裏を過ぎりました。

番宣、予告、総集編についてはいずれ記しますが、NHKの次期朝ドラは幕末が舞台のようです。モデルとなった広岡浅子氏は1919年(大正8年)にお亡くなりになっています。

”マッサン”や”花子とアン”に代表されるこれまでの数シリーズのように昭和初期(戦前)の時代が該ドラマには含まれていません。

つまり、朝から耳にしたいとはとても思えない、”鬼畜米英”、”非国民”、”国賊”といった怒声は流れないわけです。

それはそれで、先般安保法制を成立させた政権への配慮ではないかと捉えてしまうのは下衆の勘ぐりでしょうか。