2016年3月29日火曜日

依存

3/25(金)にプロ野球が開幕しました。それ以降ここ数日、世間を騒がせた各球団の賭博、及び金銭授受問題は水を打ったように一切報じられなくなりました。まるで、そんな不祥事などなかったかのようです。

まぁ、高校野球も含めて野球はメディアと強く結びついていますから...大事なコンテンツの一つとして水さすような真似は封じられるのでしょう。NHKも例外ではありません。記者クラブに加盟していない、或いは加盟できない、暴走?、狂犬?”センテンス-スプリング”は一つの例外でしょうか。
都合の悪い記事を掲載した媒体を「出禁」にするNPB、野球報道も情報統制されている
サンケイ、NPBに「出禁」を食らう|野球報道
かつて池上彰氏は、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事に対し、”朝日新聞は謝罪するべきだ”とする批判記事の掲載を拒絶されました。それを受けて、氏はコラムの連載中止を申し出る、といったお返しをしました。

このケースよりえげつないというか、悪質かと思うわけです。力関係の差が大き過ぎます。この辺り池上さんが触れないのは専門外なのか、賢いからなのか...

ウェブ上では早くに、
それでもヤキューは始まるか

プロ野球炎上の陰で面白くなってきた大相撲
といったエントリがアップされたりで例年通りの開幕に批判的な声も少なくありません。相撲界で起きた、やはり賭博に関わる不祥事の対応に倣って、開幕の中止や順延、無観客試合の開催、徹底的な調査で膿を出し切ることこそが優先等、施策が提案されています。

しかしながら、新聞、テレビといった旧来からの、
ズブズブの関係にある伝統的メディアでは全く取り上げられていません。触れることすら憚られるのでしょう。ある種の恫喝でもあり、上述のサンケイの事例は見せしめとも受け取れます。  

じゃ、観る側はどうかといえば、こちらも何だか、目を背けているかに映ります。禁忌扱いになっているのでしょうか。
――人は自分の見たいものしか見ない――
の裏返しなのかもしれません。このように両者に都合のいいように”なかったこと”にして印象が弱められていくわけです。 上手くダメージコントロールしているというか、皆さん大人です。

ここで不思議なのはやはり、何が観る側をそこまで寛容にしているのか、ということです。これまでプロ野球に限らず、贈賄、ドーピング、八百長、賭博といった、大凡スポーツに対して抱くイメージと真逆に位置する様々な不祥事が発覚、或いは疑惑が生まれてきました。現役選手のみならず運営組織も含めての話です。

ざっと思い浮かぶだけで FIFAロシア陸上界角界道界...その度にメディアは大きく報じるわけですが、やがて尻すぼみとなり、いつしか以前と同様の感動を伝える声で埋め尽くされていきます。

これは実は観る側をスポーツ依存に陥らせているんじゃないか、とするのは穿った見方でしょうか。なんだか、初等教育課程で学習した、内政安定のための仏教の利用(鎮護国家)に似たものを感じてしまいます。なにか特定の目的のためにスポーツを利用している、そんな印象すら抱いてしまいます。国威発揚だったり、事業としての利益もそうなんでしょう。

先日、元読売Gの清原が覚醒剤所持容疑で逮捕、保釈され、今後、薬物依存の治療を受けていくと報道されました。併行して、手放しのスポーツ依存からの解放ももう少し論じられてもいいんじゃないか、と思った次第です。エンドルフィン分泌のような生理的な話なのか、スポーツに絡む権益を受容している社会システムに遡る問題かは解りません。もう少し考えてみます。

2016年3月27日日曜日

真逆

”走る歓び”とは逆方向の話なんじゃないでしょうか。
自動運転タクシーの実証実験、来年初めから開始=政府

自動運転と言えば真っ先にGoogleで開発が進められているグーグル・カーが思い浮かびます。一方、”走る歓び”の文言で想起されるのはマツダの

Be a Driver.
トヨタの

FUN TO DRIVE, AGAIN.
といったところでしょうか。
じゃ、”走る歓び”って一体何だと、運転者だか、同乗者、所有者を歓ばせる正体は自動車の何だろうという話になるわけです。

所有者であれば所有する歓びです。運転に関わらない同乗者が”走る歓び”を感じられるなら、上述のグーグル・カーを含めたバス、タクシーでも構わないわけですが、それも違うんじゃないかと。自動車メーカーが消費者の購買意欲を煽れませんから。プロモーションになりません。


やはり、運転者の、”運転する歓び”即ち”走る歓び”ということでしょうか。これはおそらく、機械を自分の思い通りに操る歓び”なんでしょう。その結果、己の体力のみでは不可能な加速感や景色の変化を自在に体験できるわけです。

機動戦士を操縦する心情に通底したものがあるのかもしれません。

ただ、上記マツダのリンクにある、

ドライバーとクルマの関係を、
もっともっと深いものへと変えていく。
人とクルマが息を合わせる。
走る歓びを分かち合い、深い愛着を覚える。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
クルマは単なる道具ではない。
私たちは、人とひとつになれるクルマをつくっている。
には素直に共感できないでいます。車は道具です。人馬一体が自動車でも起こり得るかの如く上記文言ですが、擬人(馬)化しても自動車は輸送機械の一つです。あくまでも、運転者が自動車に慣れ、習熟するのであって、単に人が車に合わせているに留まります。ミもフタもない話かもしれませんが...

トヨタのサイトには単に”クルマの楽しさ”とあるのみでその言葉が何を示しているのか不明です。抽象的な観念論ではなく、具体的な説明を望みたい処です。

勿論、だからといってマツダやトヨタの車を批判しているわけではないことは申し添えておきます。

このような視点に立ってみると、やはり自動運転は自動車という機械の到達目標の一つであるのは間違いありません。一部車種では、アイサイト(衝突被害軽減ブレーキ)、インテリジェントパーキングアシスト(駐車・車庫入れアシスト)といった運転アシスト機能は既に取り入れられていますし、単純なクルーズコントロールはかなり以前からありました。

何だか、”走る歓び”とは逆方向の車社会に進んでいくような気がしますが...自動車メーカが”走る歓び”と自動運転をどう折り合わせるつもりなのか、関心を寄せています。

いつまでも ”走る歓び”を謳って購買意欲を喚起するのもどうなんでしょうか、個人の所感です。

一方、そういった自動運転へと向かう流れに対し、”クルマの良さが失われる”、”自動車はやっぱり自らの意思で自由に操れなきゃ”といった否定的な声も上がっています。おそらく、自動運転による必要以上の便利さ、快適性に対する要求を不要のものとして拒みたいんじゃないかと推測しています。

思い違いです。他人の痛みがわからない、思いを馳せることができないということかもしれません。そうであろうことを理解することは容易です。容認しているわけではありませんが。

第一義的に便利さを求めるのではなく、交通事故による理不尽な不利益を少しでも減じる、これが自動運転の主たる目的と捉えています。酒酔い、高齢者、暴走、突然の疾患等、故意、過失を問わず、被害者自身の責に全く依らない悲惨な交通事故は未だ後を絶たないのが現状です。

このエントリを記し始めてもたもたしている間、今日までだけでも一体どれだけの、交通事故による不尽な不利益を被った被害者が生みだされてしまったのか。

パトに追跡され暴走、4台事故 1人死亡 東京・世田谷
山陽道トンネルで車12台絡む多重事故 2人死亡 広島
【梅田・車暴走事故】重体28歳女性は横断歩道上、死亡65歳男性は歩道上で最後にはねられたか 死傷者の状況判明
十分ではないものの、こういった謂れのない事故被害の低減に寄与するであろう自動運転を、個人の趣味を優先した尤もらしい”走る歓び”の語で水さす物言いに独善的な印象を禁じ得ません

それは恰も、天然鰻を出す料理店を、その写真と共に嬉々として紹介するグルメブログと同じ身勝手さを感じます。そういったブログで、天然/養殖、鮮度、食品添加物の問題に関連付けて健康、環境とかを上から目線で論じられても、誠実さ、真実味、信頼性を欠いているなぁ、と思うわけです。胡散臭さ、欺瞞性は伝わってきますが...

昨今、運動会や体育祭といった学校の伝統的行事の一つとして行われてきた組体操について、中止を求める声が上がっています。

【組体操】事故は年8000件だった「安全確保できない場合は中止を」スポーツ庁
事故の例
で、当然、”感動”、”達成感団結心といった語で組体操の意義を説く声も生まれます。
それでも私が組体操に取り組む理由。ある現役教師の告白
典型的な考えは、
大阪の現場の先生方、教育委員会の戯言は無視して、これからも、今まで通りに安全を確保しながら、挑戦すべきは挑戦していけばいいです。保護者たちも、ケガや骨折は成長の一環と受け止めてあげてください。今の日本に不足しているのは、そういった「覚悟」だと思う。
といったところでしょうか。”走る歓び”、”天然鰻”、更には、”事故前の原発の安全神話”にも通底した他人事感満載の意識だなぁと。


まぁ、自分(とその周囲)は大丈夫だろう、他人の痛みには共感できない、というのも尤もな話で、理解できないわけではありません。しかしながら、そうは言ってももう少し賢い一歩に駒を進められないものなのかと、改めて思った次第です。

2016年3月15日火曜日

民進

民をどこに進めるのでしょうか。政党名の決定まで、右往左往してどれだけの資源を浪費したのか...

牛歩戦術の遺伝子がしっかり受け継がれているとしか思えません。民主主義の手続きには時間がかかることは承知していますが、名前を決めるだけでこれじゃぁ。政策とか選挙戦略など、より重要な決定を迅速に下せるのか。

烏合の党と化して空中分解するのも時間の問題かもしれません。

定石

又今日(3/15)も窓ガラスが割られていました。NHK朝ドラ”あさがきた”のドラマ内の話です。

女子大の設立に向けて奔走する主人公に対する、正体不明の悪意を石礫に代弁させているわけです。朝ドラの主人公に対する伝統的な攻撃手法です。政権に配慮してか、戦時下の時代設定ではないので、”非国民”とか、”国賊”といったビラには包まれていませんでしたが。

その前週には結婚後間のない、主人公の甥が兵役に徴用されています。戦死させて厭戦を煽動するには絶好というか、伝統的な立ち位置なわけです。この部分は史実に基づくものではなく、創作のはずです。制作者側のどういった意図がこの部分を付加したのか...

Wikiによれば朝ドラは
作品は、主人公の半生・生涯を中心に、それをとりまく家族や家庭を描いたホームドラマの体裁がほとんどであり、原則的に主人公は女性(ヒロイン)。
といった特徴があるわけですが、 石礫”と”徴兵”、”厭戦”、”情宣”もキーワードとして追加するべきと存じます。

2016年3月6日日曜日

筋書 

日銀の準備預金超過分へのマイナス金利導入を受けて百貨店の「友の会」が人気のようです。

かなりお得! 百貨店「友の会」徹底比較 マイナス金利で「積み立てサービス」入会者急増

積み立て後、最高8%分のボーナスがついた買物券、若しくはプリペイドカードとなって戻ってくるようです。で、何を買うの、といった話になるわけですが...

必然性のある、”何”が思い当たらないのです。以前のエントリにも記したのですが、少なくともデパ地下には購買意欲を唆られる品はありませんでした。
 
百貨店と同じ商品を約7.5%割引で購入できれば同じなんじゃ、と
素直に思った次第です。難題なんでしょうか。


代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ねブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。

2016年3月3日木曜日

嘆息

植田山のパン屋で遭遇した光景です。人気店なのか混む時間帯だったのか、レジ前にパンを載せたトレイを持つ客の列ができていました。

そこに、横からレジ辺りに居た店員に向かって、
”これだったら切ってもらわないほうが良かった”
の声が。列を無視した年配の女性の苦情が列の進行を止めていました。

なんでもクロワッサン食パンという評判のパンがあって、切ってほしいと店員に依頼した所、焼き立てだったかの理由で”軟らか過ぎて機械で切れない”断られたと。で、店か客かどちらの発案かは存じませんが、手切りにした結果無残な状態に至ってしまい、
 ”これじゃ人にあげられない。切ってもらわないほうが良かった。”
との文句になったようです。人気のパンらしく替りの品がなさそうなことも苦情に拍車をかけているようです。

面倒な話だなぁ、後ろにレジ待ちの客が待っているんだからさ。

勘ぐるに、手切りでも難しいことは店側こそ承知していたはずで、店側は消極的だったんじゃないかと。要望されて切ったら、
”これだったら切ってもらわないほうが良かった”
 では立つ瀬がありません。

人にあげるならヤマザキかパスコの六枚切り食パンにしとけそう思った次第です。いや、八枚切りでもいいんですけど。