2022年10月30日日曜日

強要

 一体何時から、こんなことまで押し付けられる規制社会になったのか、強い違和感を抱きました。先日、

「ウソつかれて」ラーメン1杯を大人2人でシェア 「常識やマナーで考えても普通やらない」店主嘆き

を端緒に、

ラーメン1杯シェア問題で考える「カッコ悪い客」「迷惑な客」チェックリスト

といった話に発展したようです。特定ポジションによる価値観の押し付けであって、恰も統制社会のようで不快です。ラーメンくらい好き勝手に食えないなんて、窮屈この上ない社会じゃないかと。窮屈この上ない社会じゃないかと。

上記リンクに詳細が記されていますが、概ねの話は、当該ラーメン店に入った女性二人連れの中、一人はラーメンと焼きおにぎりを注文し、もう一人は”食べてきたから”を理由に注文をしなかったと。ところが、実際配膳されると一杯のラーメンを二人で交互に食べ、そのことが

「常識やマナーで考えても普通はやらないです」

という発言になったようです。

原則、どうでもいい話です。ただ、それが常識とかマナーの語で括られることには反発します。

まず、大人二人が一杯のラーメンをシェアすること、及び該行為に対する店側の主張について思う所を記してみます。行為そのものは上述の通りですが、ラーメンは大盛で注文し、時間は午前9時台だったようです。

該行為によって店側に否定的な姿勢を催させるいくつかの要素があります。そのいずれか、或いは全てが、店を苛立たせたのでしょう。

2022年10月25日火曜日

多様

瞬く間に英国の新首相が決まりました。
イギリス 与党 保守党 新党首にスナク元財務相 新首相に就任へ
人材不足の裏返しかもしれませんが、メディアのコンテンツ、エンターテインメントとも見えてしまう、日米との違いを感じます。

それはさておき、英国史上最年少で初のアジア系首相ということです。英保守党党首に選出され、その後チャールズ国王の任命を受けて首相に就任という流れのようです。

ちょっと興味深いのは国王をはじめとする英国王室の対応ではあります。まさか、そこまでヘタを打つとは想定できませんが、先だって次男の嫁を夫婦ともども王室から放逐した話は耳新しい処です。この時も、誕生前に次男夫婦の子供の肌の色が物議を醸しました。これも離脱のきっかけの一つになった印象です。

尤も、この話は王室の狭量性、閉鎖的な排外姿勢によるものか、次男の嫁個人に帰するのか、実の処は存じませんけど。

まぁ、腹の内はともかく、表面上は上手くやるのだろうと。許容とか寛容ではなく、アングロ・サクソンと変わらない自然な姿勢で対応しなければ、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の元首としての資質が問われます。

翻って、万世一系とか男系男子とかで口角泡を飛ばす極東の某国家です。一様性に拘泥する感が否めません。

2022年9月18日日曜日

儀礼

ちょっと言葉に詰まりました。違和感を禁じ得ません。コーディネートはこーでねーとの体現なのか...侍従職?側近?の見識を考えさせられます。
両陛下、英国に到着 エリザベス女王国葬参列

特段、マスクの要不要について云々するつもりはありませんが。後ろの要人警護官?はマスク非着用で、白いマスク着用のおそらく政府関係者が二人。数多の英国人観衆は殆どマスク非着用のようです。

それにしても屋外でマスク着用ですか...しかも黒色...一体、何時から服喪の場合は黒色マスクとなったのか、甚だ不思議です。

マナーとして定着してしまうことを危ぶんでいます。マスクは好んで着用する装飾品なのか?

出発時は白色のマスクでした。

天皇、皇后両陛下が英国へ出発 エリザベス女王の国葬に参列

 

確かに、

━━黒い猫でも白い猫でも鼠を捕るのが良い猫だ(南巡講話 鄧小平)━━

を捩れば、

━━黒いマスクでも白いマスクでも感染を防止するのが良いマスクだ━━

ですからマスクの色はどうでもいいわけですが。ずれているというか、”そこじゃない感”を抱いてしまいました。

2022年8月30日火曜日

神社

神社が建立される運びとなりました。十分予想し得たわけですが...

”「考えをしっかり継承していく」安倍元総理を“永久顧問”に選任 自民党「保守団結の会」”

これまでの言動が絶対視されて一人歩きを始めます。それを撤回、修正できる当人はもはやいません。その異を唱えることは須らく反保守のレッテルが貼付されてしまいます。

この神社が、自由な言論を妨げる目的にも利用されるであろうことは想像に難くありません。神社内での討議も含めての話です。

”合理的な保守”という立ち位置はあり得ないのかもしれません。

2022年6月21日火曜日

主客

 「食べログ」の評価点を巡る裁判で、6月16日、東京地裁はサイトの運営会社である株式会社カカクコムに損害賠償を命じる判決を下しました。この判決を不服として(株)カカクコムは東京高裁に控訴しましたから、確定判決が出るまでまだ時間がかかりそうです。


現時点において、東京地裁は原告である焼肉チェーンの主張を認めたということになります。この裁判は、”食べログによって店の評価点が不当に下げられ、その結果生じた、来店客の減少、売上減による損害の賠償を請求する”ものでした。

裁判では、第三者に公開されない形でアルゴリズムの一部が開示され、アルゴリズムの変更によって原告の飲食店の点数が下がったと判断されたとのことです。”チェーン店であること”も評価を下げる要素だったようですが、
詳細はよく解りません

この一連の報道を見聞して関心を抱いたのは、該飲食店の売上減が食べログ評価の減点に依ることを事実として、
何故そこまで食べログの評価点は信用されるのか
といった部分です。アルゴリズムが非公開な上、食べログ自身も、点数・ランキングについてのページで
━━点数はユーザーから投稿された主観的な評価・口コミをもとに算出した数値です。━━
と、主観的なデータをもとにしていると明言しています。主観が多数集まっていけば客観に漸近するという考え方かもしれません。実際食べログの口コミ・ランキングに対する取り組み(食べログ運営ポリシー)には、本音を言える環境、中立公正、質の追求といった立派な文言が並んでいます。本音を言える環境、質の追求はさておき、主観的な評価・口コミを集めて、どういった論理で変換すると中立公正な客観評価になるのか理解できません。それが非公開の素晴らしい食べログのアルゴリズムなんでしょうか。

受け入れ難い危ういものを感じた次第です。

それは、個人の意見(主観)を集めて何かアルゴリズムで変換して示された意思決定の結果が、中立公正で客観的な判断とみなされかねない、ということです。その典型例は選挙を意思決定の手段とする民主主義です。上記食べログのポリシーの延長線上には、民主主義のプロセスを経た意思決定を絶対的に正当なものとして神聖視してしまう危険が潜んでいるように思えてなりません。

これは民主主義のプロセスが正当な意思決定を下すことへの信頼ではなく、理想化した民主主義の権威に由来するものです。民主主義が正しい結果を導くとは限りません。ヒトラーは選挙で選出されましたし、前の日中戦争も日米開戦も民主主義体制下での話です。権威が一人歩きして絶対視されることは全く不適切です。

信奉が過剰になって聖域化するとどうなるか。

1)美味しい店の食べログ評価点が高いのではなく、食べログ評価点の高い店だから美味しい店である。

2)民主主義は、各個人の幅広い意見から合理的に一つの意思を決定する単なる一手法に過ぎないが、民主主義だからこそ正当な意思決定ができる。

3)公平・公正、不偏不党の放送をNHKが行うのではなく、NHKの放送だから公平・公正、不偏不党である。

3')事実を報道するのがNHKではなく、NHKの報道だから事実である。

4)政府の判断に謬りがないのではなく、政府の判断だから謬りはない。金融政策、産業政策、教育や科学研究の分野で容易に事例を見つけることができます。

この主客の転倒は、取りも直さず組織体に無謬性が横臥している証左です。裏返せば、無謬性を有する組織体ではこの主客の転倒というか権威の独尊状態が容易に生じています。果たしてこれを抑止することができるのか、懐疑的な見方をしています。



(追記してきます。)

2022年5月30日月曜日

口銭

報道されたかどうかすら記憶に残らない程ですが、ひっそりと既成事実化しました。硬貨の預け入れ有料化です。金融業界や日本郵政と行った利益を享受する側からの圧力や、目ヂア側の忖度があったとしても、さもありなんという印象しかありません。(R4.5.13)

例えば三菱UFJ銀行では、現在、大量硬貨取扱手数料として、ATMでの取引を除く現金入金、現金振込の際、取り扱う硬貨の枚数に応じて手数料が課せられています。

お取扱い枚数 大量硬貨取扱手数料(消費税込)
100枚まで        無料
101枚以上500枚まで  550円
501枚以上1,000枚まで  1,100円 
1,001枚以上      1,650円以降、500枚毎に550円を加算)

店舗併設のATMでの入金は、平日のみ硬貨100枚まで無料とのことです。

ネット銀行の場合は入出金の主な窓口はコンビニ等の無人ATMで硬貨の取扱はありません。

そして、ゆうちょ銀行ですが、窓口での硬貨取扱料金は、

硬貨枚数       料金
1〜50枚              無料
51〜100枚                550円
101〜500枚  825
501〜1,000枚            1,100円 
(1,001枚以上 500枚ごとに550円を加算)

ですが、目を引くのは店舗併設のATMを利用すると、いかなる場合でもATM硬貨預払料金がかかるということです。

硬貨枚数       料金
1〜25枚              110円
26〜50枚                220円
51〜100枚  330円 
(上記は預入の場合、払い戻しでは1枚以上で110円) 

つまり、ゆうちょ銀行に100枚の一円硬貨を持参して口座に入金しようとすると、窓口では550円、ATMでは330円の手数料が必要ということです。入金票の金額欄に100と記入して100枚の一円硬貨を窓口に渡すと、都度450円口座残高が減っていくわけです。口座残高549円では入金を受け付けてもらえないのかもしれません。この一円硬貨の入金は窓口での50枚までの入金以外は何枚になっても常に

入金金額<硬貨取扱料金

ですから、入金を繰り返すほど口座残高は減っていきます。穴の空いたバケツに水を入れるどころの話ではなく、入れた水の分量以上の水がバケツから流出していきます。

ちなみに5円硬貨100枚では、窓口では差し引き50円、ATMでは差し引き170円を入金することができます。

同じ日本の法定通貨、円であっても硬貨の枚数によってはその額面の総和ほどの価値を持たないわけです。1000円の紙幣を上記ゆうちょ銀行の口座に入金すれば口座残高は1000円増えますが、一円硬貨1000枚を入金すると口座残高はその度に100円づつ減っていきます。

━━紙幣の1000円札が持つ価値は1000円ですが、一円硬貨1000枚には1000円としての価値はない━━

形態によって法定通貨の価値異なるという事実に何とも釈然としないものを感じています。

上述したように口座に硬貨を入金すると口座から硬貨取扱料金が引き落とされる、つまり、硬貨を入金ではその価値が減じられて入金されるわけです。そうなると、入金する側は価値が減じられない範囲で硬貨の枚数を抑えたり、硬貨枚数を分けての入金が自然の流れです。しかしながら、そういった行動では全く対応できない、硬貨取扱料金の課金を回避できない入金者も容易に想定できます。賽銭や浄財に硬貨が多用される寺院や神社、飲料などの自動販売機やコインランドリー、ゲームセンタ等、サービスや物品の対価支払いが硬貨での支払いを前提としている事業者、入場料や入館料が高額ではない観光施設や美術館、日銭商売が一般的な町の喫茶店や食堂、注文単価が低額なファストフードチェーン、コンビニあたりがその典型です。

そういった入金時に硬貨取扱料金の課金を回避できない事業では、法定通貨であるにも拘らず額面通りの入金が不可能です。入金口座には常に[(入金金額)-(硬貨取扱料金)]しか残高が増えないわけで、見方を変えれば、通貨の減価が起こっているということです。

この硬貨の入金に関わる価値の減損には、注視すべき問題を孕んでいると考えています。今、話を非常に単純化して、100という通貨を硬貨で入金する場合、10の硬貨取扱料金が課せられるとします。この場合、入金100に対し、口座の増額分は90です。”金は天下の回りもの”ですからこの90が出金され、社会をぐるぐる廻って再び口座に入金される際には再度減価されて口座の増分は81です。つまり、入金と出金が繰り返される度に、最初の100という価値が漸減していくわけです。この漸減は社会全体の硬貨の量に依存するのではなく、延べの硬貨流通量で決まります。経済活動の活発化、即ち、通貨の量と移動の頻度が増加すると共に通貨の価値が目減りしていくことに他なりません。

社会全体の通貨量とその動きが不変、つまり、パイの大きさ(経済活動の規模)が一定であれば、その中の一定割合を口銭(=硬貨取扱料金)が占めるということです。で、口銭が差し引かれた残余分が次の経済活動に充てられると。以降その繰り返しですから通貨量は目減りする一方で、これは経済活動の萎縮を意味していて、好ましからざる状況です。

古今東西、関所の関銭の如き手数料の無料化、減額は経済活動を活性化させてきたのは間違いありません。今般の硬貨の預け入れ有料化は、当にそれと真逆の施策に他ならないと考えます。




(追記していきます)

2022年5月28日土曜日

反転

時折、NHK BS1 国際報道2022を眺めています。先日、中国上海のロックダウンについての報道を見ました。


新型コロナ感染を収束させるため、一ヶ月にも及ぶ長期に渡って外出制限や感染者の隔離が上海市当局によって強制的?半強制的に続けられていた頃です。日々の生活物資や食料品が市民に行き渡らない状況、市民が居住する集合住宅を隔離施設にするため接収するとか、当局のそういった施策に対する市民の不平不満を伝える内容でした。

で、翌日だったか、二、三日後の、午前7:00〜放送の同じくNHK BS1のワールドニュースです。この番組は、NHKが提携?する世界の放送局によるニュースを現地でのオンエアそのままに放送しています。中国のニュースは中国CCTVで上海におけるコロナ対策を取り上げていました。この中国CCTVはウィキペディアによると、中国中央電視台という中国の公共放送テレビ局とのこと。
アメリカ合衆国国務省は2020年6月、人民日報は独立した報道機関ではなく、中国共産党の支配下にあるプロパガンダ機関として諜報活動と世論戦、情報戦を仕掛ける宣伝機関であるために、『人民日報』『中国新聞社』『環球時報』とともに「外国使節団」と認定する。
概ね予想通りですが、御用放送である中国CCTVによる上海のロックダウン施策の報道は、”万端支障なく”、”極めて順調に”、”市民は何ら不平なく”といった内容でした。

同時期の同一事象を伝えるにしても自国の公共放送と、国外放送局では報道内容に顕著な違いが認めらます。公正や中立を前提にすれば驚きの差異ですが、プロパガンダと報道で各々の目的が異なりますから、まぁ、腑に落ちます。

このことを裏返す、つまり中国を日本に置き換えると中国CCTVは日本のNHKという公共放送になるわけです。日本国内の事象をNHKはどう伝え、それを例えば英国BBCはどう伝えたか、隔たりがないはずはなくそれがどの程度か、というのはやはり気になります。日本の公共放送ですから、公益に資すると言ってもあくまで日本の公益に資することが目的の放送です。この日本の公益と国益が入り混じって、誘導や個人の軽視、中立性や公正性に疑義が生じる事例も散見されます。

身びいきや自己防衛が避け得ないことは承知しています。BS世界のドキュメンタリでも体制や政権に批判的な調査報道は殆ど自国外のメディアによるものです。

”自分たちは問題ない”、”間違いない”とする無謬性の下、中立とか公正を自負する組織こそが最も危険です。正しく他山の石としてほしいものです。

2022年5月22日日曜日

落穴(2)

前のエントリに続けて、"油断もスキもありゃしない"を実感した事例をもう一つ記しておきます。


いわゆるソフトドリンクを購入する際、殆どの場合お茶か炭酸水にするのですが、飽きます。で、極稀にですがコーラのような甘い炭酸飲料を選ぶこともあります。

この時、裏面の原材料表示を見て、”砂糖”、”果糖”、”液糖”との表示がある飲料を避けるようにしています。加齢のせいか濃い甘さが苦手になってきているような...味噌や醤油は問題ないのですが。

以前、「SPICE FACTORY ザ・クラフトコーラ」(ポッカサッポロ)という清涼飲料を試してみました。毎日、着信してゴミ箱行きを繰り返す数多の広告メールの中で、偶々、クラフトコーラの語を見て、その目新しさから原材料を確認して購入に至った次第です。原材料は

レモンピールエキス/炭酸、酸味料、カラメル色素、香辛料抽出物、甘味料(アセスルファムK、スクラロース)、保存料(安息香酸Na)、カフェイン、香料

との表示で上記糖類は不使用、 カロリーは1kcal/100mlでした。風味もスパイス感があって不味くはなく、お茶や炭酸水の合間に口にしていました。ケースで購入していますから、これが口にできないとなると途方に暮れるわけですが、まぁ、そんなこともなく消費していきました。

全て飲みきって、不味くもなく、糖類不使用だし、ということで再度通販サイトからSPICEFACTORY ザ・クラフトコーラ(ポッカサッポロ)を購入しました。勿論ケース買いです。商品が到着し飲んでみて、僅かに以前とは違う気もしましたが、自分の味覚のブレ何だろうと思いました。ところが、二、三本飲んで、何気なく裏面の原材料表示に目を遣ると”砂糖”の表示があったわけです。???

不思議に思って、購入サイトの原材料表示を見てみると、原材料は


砂糖(国内製造)、レモンピールエキス/炭酸、酸味料、カラメル色素、酸化防止剤(ビタミンC)、香辛料抽出物、甘味料(アセスルファムK、スクラロース)、香料、カフェイン

となっていて、明らかに原材料が変わっています。それも重量比で最大の材料として砂糖が記されていました。カロリーも5kcal/100mlと5倍になっています。前回と同じ製品を購入したつもりだったのですが、別の製品になっていたようです。

製造元のポッカサッポロのサイトを見てみますと、期間限定の「SPICE FACTORY ザ・クラフトコーラ」と、「SPICEFACTORY ザ・クラフトコーラ」がありました。"SPICE" と"FACTORY"間のスペースの有無で別の商品になるのでしょうか。商品画像を示します。


左が最初の購入した、糖類のない「SPICE FACTORY ザ・クラフトコーラ」で、右が次に購入した砂糖入り「SPICEFACTORY ザ・クラフトコーラ」です。並べて比較すれば確かにボトルのデザインに違いがあることは判ります。ただ、最初の購入分を消費し次を購入しようとPC上の右画像を見て、記憶を頼りに左画像の商品とは異なる、と判断する能力は私にはありません。

今回の落穴に嵌らないためには、二度目の購入の際、「SPICE FACTORY ザ・クラフトコーラ」と「SPICEFACTORY ザ・クラフトコーラ」でスペースの有無、或いは、最初のボトルデザインを正確に記憶に留め次に購入する商品との違いに気づいて、両者が別の製品であることを認識する必要がありました。その上で、ようやく次の商品の原材料を確認してみようという話になるわけです。同一の製品との認識の下では一々原材料の確認などしませんから。

飲料製品の砂糖使用/不使用とか、製品の中で最も重量比の高い原材料の変更はかなり大きな変更と捉えていて、風味が同じであったとしても明らかに同じ製品ではないと考えます。勿論、改良や仕様変更の必要性は否定しませんが、ここまで大きな変更であれば、同一製品として、或いは、別の製品として取り扱うのいずれにしても違いを判りやすく明示すべきです。

メーカの意図が、同一製品として購入者の誤認を誘導したいのか、或いは、他の意図があったのか存じませんが、不誠実な印象は否めない、というのが率直な処です。どういった理由で砂糖を使用した後継製品になったのかは存じません。ただ、昨今の微糖、無糖が好まれ、低カロリー志向の風潮の中で砂糖を入れてカロリーアップした理由は開示されることが好ましく、少なくとも変更があったことは明確に表示されなければならないと考えます。実際、後継製品の購入後、原材料表示の先頭に”砂糖”の語を見た時、欺かれた感を抱いたのは確かです。

例えば、アレルギーや糖尿病など、生命、身体に危険が及ぶといったで医師から糖類の摂取を厳しく制限されている立場からすれば、提訴もやぶさかではない事案です。

前エントリにも記しましたが、”お試し”とか、”初回”といった語を利用した、意図的な定期購入契約への誤認抑止ですら端緒に着いた処です。メーカや販売者側の自主的な誠実さが求められます。米国通販のような過剰な返品ルールを求める声が高じていくよりメーカや販売者側の負担は小さいはずです。

ネット通販で、価格や食味はともかく、原材料や賞味期限の確認とか、過剰な広告から底上げ分を取り払うとか、メンドクセーと思う今日この頃です。買い物位テキトーにクリックしても想定外が生じないようにならないものでしょうか。

ネット通販に限らず、こういった嵌った、虚を突かれた経験はまだまだあります。いずれ機会があれば記していきます。

2022年5月21日土曜日

落穴

よく落とし穴にはまります。

直近の例を一つ。

最近、DVD/CDスリーブをネットショッピングで購入しました。至る所に溢れている、両面が透明フィルムで、中が不織布で仕切られたDVDやCDの保管袋です。一袋で二枚のディスクを保管できる構造になっています。

実際にはBlu-ray Discを保管する目的でした。他に必要な商品があって、この商品と同時に注文する際、購入先のショッピングサイトにはBlu-ray Disc保管用の商品は見当たりませんでした。

で、DVDやCDと形状、大きさは同じだしBlu-ray Disc保管にも使えるだろうというか、使えて当然、といった認識で200枚のディスクを保管できる100枚入りのパックを購入しました。

やたらめったらBS世界のドキュメント、BS1スペシャル、映画をHDDレコーダに録画するものですから、HDD容量の圧迫が甚だしく、Blu-ray Discに移動させています。周囲からの、”本当に観る気はあるのか?”という指摘を躱しつつスピンドルケースの100枚入りBlu-ray Discを使っていますから、録画済みディスクの保管を考える必要がありました。

嵌まったのは到着したパックの裏面を何気なく見た時です。

ブルーレイディスクは収納しないで下さい。ご使用できなくなるおそれがあります

という全く予想だにしなかった文言が商品説明の一部に記してありました。パックを開封する手が止まり唖然としたのは言うまでもありません。

確かに、”ブルーレイディスク”、”不織布”と、”保管”、”収納”といった語で検索してみると、例えば以下のような文言が見つかります。
不織布ケースのような軟質の樹脂ケースに収納しますと、樹脂ケースがブルーレイディスクのカバー層(記録面)と常に接触している状況となります。そのように不織布ケースとカバー層(記録面)が接触した状態で、一定時間放置しますと、ブルーレイディスクのカバー層(表面)が微細に変形してしまうことがあります。

ブルーレイディスクの保管にDVD・CD用の不織布ケースが使用不可であるといった主旨のサイトは容易に検索されました。いちいちブルーレイディスク対応を謳う不織布ケースもあるようで、やはり通常の不織布ケースはブルーレイディスクの保管には使えないようでした。全く知りませんでした。

”軽自動車といえども軽油を給油するのは不可”

以上に周知されていない難儀の種と思います。

で、手元にあるDVD/CDスリーブをどうしたものか、という話になるわけです。そのままでは廃棄ですから、ブルーレイディスク対応品との交換か返金の希望を販売元に連絡しました。この時、販売元サイトの”特定商取引に関する法律に基づく表記”には、初期商品不良の場合であれば交換も返金も対応可であるものの、お客様都合による交換は受け付けない旨が記されていました。

又、該DVD/CDスリーブ購入の際の商品説明には、商品表面の写真と商品名(DVDやCDを収納できる不織布スリーブ DVD&CD 不織布スリーブ 両面収納 100枚)は表示されていたものの、ブルーレイディスクの収納は不可という記載も、その記載のある商品裏面の写真の掲載もありませんでした。つまり、ブルーレイディスクの収納が不可であることを明示的に知る術はなく、DVD&CD収納不織布スリーブという部分から”ブルーレイディスクは対象外”を汲み取らなければならなかった、ということです。それを合理的な理由でお客様都合”とできるのだろうか、甚だ疑問でした。それを合理的な理由としてお客様都合”とみなされてしまうのか、気掛かりでした。

結果的に上記要望は受け入れられ返金に至ったのですが、その事由は予想外のものでした。

購入先とやり取りをした処、商品の掲載ページに

”大切なブルーレイ・DVD・CDを保管”

といった掲載があったとのこと。で、この文言は商品裏面記載の”ブルーレイディスク不可”とは明らかに矛盾しているということで、代替品の交換か返金といった対応に至った次第です。その後、ブルーレイを保管可能な交換品が当該販売サイトにはないことが判明し、返金となりました。

今回は、販売サイト側のオウンゴール的な表示の誤りを理由として返金という対応になったわけです。ただやはり知っておきたいことは、上記

”大切なブルーレイ・DVD・CDを保管”

ではなく端から、

”DVD・CDを保管”
と表示されていた場合、どういう対応になったか、ということです。大切なブルーレイ...”の語を見た記憶はないのですが、今は商品が削除されているため確認できません。

前述の繰り返しになりますが、説明ページで、DVD・CDを保管”と記されている商品表面のみを見て、該商品を購入し、届いた商品の裏面にブルーレイには使用不可”の記載を見つけた場合、販売サイト側、購入者側のどちらに過失があるのか、という話です。条件を整理してみると、

1.ブルーレイディスクDVD・CDをと同じ形状である。

2.ブルーレイディスクはDVD・CDより破損し易く通常の不織布スリーブは使用不可。

3.上記2.の事実は一般消費者に周知されているとは言い難い。

4.販売サイトの商品説明ページには、”DVD&CD 不織布スリーブ 両面収納 100枚”との表示がある製品表面の画像はあった。しかしながら、”ブルーレイディスクには使用不可”との記載がある製品裏面の画像はなく、商品説明として”ブルーレイディスクには使用不可”の文言もなかった。(今、改めて文具、事務用品は数多く販売している他の通販サイトを確認しました。商品名に”Blu-ray可”の語を含む不織布スリーブがあったり、DVD・CD 不織布スリーブで商品説明に”傷がつきやすいブルーレイディスクには対応しておりません。”、”※ブルーレイディスクの収納・保管は推奨しません。”と記してある不織布スリーブもありました。ただ、殆どはブルーレイディスクの収納については未記載でした。)

5.上記4.を受けてDVD・CD 不織布スリーブがブルーレイディスクには使用不可であることは、裏面の説明を見ることができる商品到着後である。

この条件下で、”DVD・CD 不織布スリーブ”の商品名でブルーレイディスク対応とは記していないから、商品到着後に”ブルーレイディスクは不可”と判明し交換、返金を求められてもそれはお客様都合、とされるのもなかなか納得できないものがあります。つまり、”DVD・CD 不織布スリーブ”の商品名から”ブルーレイディスクは不可”を読み取らなければならないわけです。それが社会常識とか、社会通念上合理的とされるのであれば、なんとも世知辛い社会です。

おちおちネット通販で物品購入などできません。油断してクリックしたら自宅に無用のゴミが貯まってしまいます。ゴミが貯まってしまいます。

この件について調べていた時、奈良県のサイトで、

不織布ケースでのブルーレイディスクの損傷

といったPDFファイルを見つけました。 県民情報> 県の組織> 文化・教育・くらし創造部> 消費生活センター> 消費生活Q&Aの2013年08月19日に公開されたファイルのようです。どうやら、(独法)国民生活センターの県単位の組織である奈良県の消費生活センターに寄せられた相談のようです。2013年とかなり前の相談事例ですが、不織布ケースに保管していたブルーレイディスクが破損したものの、不織布ケースのメーカーは補償に応じなかった、消費生活センターより後商品に注意表示を盛り込むことを検討してほしい旨の申し入れに留まった、とのことでした。古い事例で、当時は注意表示すらなかったことを推測させます。その後”ブルーレイディスクは不可”の表示がされるようになった、という経緯でしょうか。

ただ、購入前に知らされなければ意味がないわけです。収納したことによる破損は回避できるかもしれませんが、事前に分かっていれば、そもそも購入しませんから。上記事例から、”ブルーレイディスクは不可”を見落としてブルーレイディスクを保管、破損させたとしてもメーカが補償に応じないであろうことは容易に推測できます。”DVD・CD 不織布スリーブ”とありますし注意表示もありますから。ただ、販売サイトはどうでしょうか。注意表示を表示することなく販売しているわけですから少なくとも善管注意義務の問題は指摘されて然るべきかと考えます。補償には応じるとは思えませんが。

改正特定商取引法により、令和4年6月1日から、通販の注文時に内容を確認する際の表示がより明確になるようです。目的は、初回とかお試しの文言を使って、購入者が意図しない定期購入契約締結への誤認を防止する、と理解しています。

ネット通販の定期購入契約トラブルで耳目を集める、意図的に誤認させるプロモーションに対する改正特定商取引法です。これが過失や偶発的な善管注意義務となると果たして規制にまで至るのかどうか疑問です。この辺りに関しては 日、米のAmazonが最も先進的かもしれません。こちらはこちらで如何なものかという話も聞きますが、返品効果や返金についての対応は柔軟と思っています。(別の理由でAmazon.co.jpのヘビーユーザではありませんけど。


ネット通販において、このような購入時の意図とは異なった不本意な結果となった経験は幾度となくあります。当に油断ならない、うっかりして嵌った、嵌りそうになった事例を機会をみて追加していきます。取り敢えず次のエントリでもう一例記しておきます。


2022年5月15日日曜日

合点

メディアへの広告出稿というか、みかじめ料の納入がまだまだ足りなかったのでしょうか。吉野家を巡る炎上が続いています。

吉野家、『魁!!男塾』コラボキャンペーン炎上で謝罪 6万6000円相当の「オリジナル丼」、220日かけポイントためた客に後出しで条件変更
から始まり、
生娘シャブ漬け戦略
を経て、
学生本人に確認しないまま、外国籍と判断して採用説明会への参加を拒絶
と続いています。これはこれで次の炎上に向けワクワクさせるものが去来します。

それはさておき、マーケティングの手法として上記の生娘シャブ漬け戦略を吉野家から離れて考えてみます。宣伝広告でブームを作って市場を創出して営業を掛ける、というのは吉野家に限らず、根底か潜在的に生娘シャブ漬け戦略に基づく常套的な手法だよなぁ、と思った次第です。表現の下劣さはともかくとしてです。この品性に欠ける呼称の発言主は大手消費財メーカ日本P&G出身でマーケティングの講演に講師として呼ばれる専門家とのこと。

で、日本P&G出身でブランドマネジャー歴任といった経歴を知ってなるほどと腑に落ちました。それは今ではもう当たり前になっている、除菌、消臭、芳香アピールです。今日の衣料用洗剤・柔軟剤、台所用洗剤、シャンプー・石鹸、室内空間消臭剤分野において、除菌、消臭、芳香をアピールした製品の一般化は、当に生娘(除菌/消臭/芳香)漬け戦略が功を奏した結果と捉えています。そういった製品の市場投入当時は”生娘〜漬け戦略”という語は使われていなかったでしょうが、内容にそれほどの差異は感じません。

曖昧な記憶ですが20〜30年前でしょうか、以前の洗剤の宣伝広告には今ほど除菌とか、消臭の圧を感じなかったような記憶があります。いつ頃か目に見えない菌や匂いを意識させる、不安を煽るような広告が目立ってきました。菌は科学を謳う手法で数値化(見える化)、個人の感度や好みという主観性が反映される匂いは抽象的に快/不快な雰囲気を漂わせることで、高い広告効果を得るための材料として格好です。

吉野屋の件で非難の元となった語を使うならば、(商品絡みの)知識の乏しい生娘の、除菌、消臭製品漬け戦略という表現になるでしょうか。メーカと消費者間には絶対的な情報の非対称性があります。この非対称性を使って商品とその背景について情報を伝えつつ?、(アナタのためと)教えつつ?、商品の有用性を訴求して購入へと誘導すると。事例は至るところに転がっています。まぁ、適法であれば云々する必要もありません。一方向からの情報供与とそれがあからさまに商品購入に繋がっているプロセスが”鼻につく”だけですが。

除菌、消臭、芳香製品、或いはそういった機能を付加した洗剤などの消費材の場合、細菌、ウィルスや自己臭、生活臭に対する不快感を強調し、忌避感や清潔に対する義務感を醸成するわけです。そこに同調圧力が加わると、エチケット、マナー、ルールへと強制性が増大していきます。こうして除菌、消臭、芳香は製品に必須の機能となり、至極当たり前に常用する、ロイヤルティの高い顧客の育成プロセスは完成に至ります。

確かに、日常生活の中で細菌、ウィルスの蔓延は避けたい処ですし、不快な匂いの消臭や芳香による置き換えを拒否する理由はありません。清潔な環境が好まれるのは当然で、公共、プライベートを問わず周囲、他人、家族であっても不快感をもたらす/もたらされるのは嫌なものです。

ただ、なんとなくなのですが、上記除菌、消臭、芳香を謳う製品のプロモーションに圧迫的というか、押し付けがましい印象を抱いてしまいます。異論を許さず抵抗できないというか...”良いに決まっているから従え”といった、喉元匕首を突きつけて従わせるような強引さに、統制社会に通底したものを感じてしまいます。

捻くれている、天邪鬼と指摘はその通りかもしれません。

もう随分昔の話ですが、麻雀放浪記(阿佐田哲也作)の風雲編だったかにあったドテ子の、
━━アンタがアンタの匂いがするのは当たり前━━
のような言葉が妙に思い出されました。昭和二〜三十年代の話でしょうが時代の変化を実感します。

件の吉野家のマーケティング戦略と、日本P&Gの戦略が冒頭の同一人物によって策定されたとは断定できませんが、キーパーソンとして深く関与してきたであろうことは間違いありません。つまり、吉野家と日本P&Gでマーケティングの戦術は違えども、戦略は、同じ生娘シャブ漬け戦略なんだろうということです。件の専門家が日本P&G在籍中であれば、除菌、消臭、芳香製品成功を同じ戦略でアピールする講演になったと考えます。その際、該不適切な語を使うかまでは判りませんけど。

2022年5月8日日曜日

折鶴

今般のロシアによるウクライナ侵攻に絡んで、”千羽鶴論争”と称される批判合戦を目にしました。ザクっと記せば

ロシアの侵攻で大変な状況にあるウクライナの人々の心に寄り添おうと、埼玉県行田市の障害者就労移行支援施設「レイズアップ」の利用者が、同国国旗の色の青と黄で折り鶴を作った。25日に東京都港区の同国大使館に届ける予定という。

という新聞記事に対し、ネット上で”物申す”的な著名人2人が、

千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である。』というのをそろそろ理解してもらいたいと思ってるのは、おいらだけですかね?

そんな暇あるなら、バイトでもして、ウクライナに海外送金してあげなよと
千羽鶴にありがたみを感じること自体が日本独自の文化であって、ウクライナの人からしたら、何これ?な話なわけです。相手の気持ちがわからない親切はただの迷惑

とツィートしたのが発端です。

少し事実を整理して”千羽鶴の寄贈”の意義について考えてみます。意義はあるのか、ないのか。

1)寄贈先は在日本ウクライナ大使館で、表面的、社交辞令かどうかはともかく、”感謝”の意志表明はしていても”迷惑”の表明はしていない。

2)寄贈主は障害者就労移行支援施設で、40人ほどの利用者が作業の合間に折った

とのことです。上記事実を鑑みることなくひと括りに”無駄な行為”と断言することは支持できない、というのが自分の立場です。ちなみに、この”千羽鶴の寄贈”には、ウクライナにとって即物的というか経済的な意義がないことには異論はありません。自身が寄贈に関わるつもりはありませんが、批判して取り止めさせる程の反感もありません。

最初に1)、2)を踏まえる、つまり自然災害の被災地に一般の市民が千羽鶴を送る行為とは明確に区別した上で考察すべきです。

まず、寄贈先がロシア(大使館)ではなくウクライナ大使館ということは”ウクライナ支持”の意思表明を示すものと解します。それは日本国内の国会議員、評論家の幾人かによる”ウクライナにも非がある”という意見に対する牽制の意味を持ちます。平和を祈念するという折り鶴の本来の主旨に沿うならば正当な送り先はロシアです。

2)については、この事実に着目した意見は見当たりませんでした。当該施設について検索してみると、上記名称の通り障害者が、就労と自立に向けて学習訓練を受ける施設のようです。通所資格には、

1、障害の認定を受けている方(知的障害者、精神障害者、身体障害者)
2、自力通所が可能な方
3、就労や自立を目指す65歳までの方

とありました。こういった施設については全く詳しくなく、ただ玉石混交というイメージがあるのみです。そこで、この批判された施設がということではなく、障害者向けの就労移行支援施設による”千羽鶴の寄贈”について考えてみます。実は、この障害者就労支援、折り鶴、無駄な行為といった文言でまっさきに想起したのが相模原障害者施設殺傷事件です。この事件の植松死刑囚は、

自分はおおまかに『お金と時間』こそが幸せだ、と考えている。重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる

と発言しました。この考え方に直ちに結びつくわけではないとしても、上記の”千羽鶴の寄贈は無駄”とする価値観を極化した先には該考え方があるように思えてなりません。この部分も踏まえた上で、障害者就労支援の利用者がウクライナに千羽鶴を送る行為の意義を考えます。

”千羽鶴の寄贈は無駄”とする価値観は、該行為を経済合理性に基づかない非生産的行為と見做した考え方と推察します。その部分について首肯できないわけではありませんが、上記したように、”ウクライナ支持の具現化”といった意義は認めるべきです。ウクライナの益についてはこの点だけかもしれませんし、それを定量化するのは困難ではありますが、少なくともゼロではない意義があるという立場です。

ではウクライナ以外の益についてはどうでしょうか。実は該行為には”障害者就労支援のため”といった意義も含まれていると考えています。本末転倒と指摘されれば、それはその通りです。

障害者の就労支援には様々な支援があるようです。リンク先には、基礎体力向上/集中力、持続力等の習得/適性や課題の 把握/職業習慣の確立/マナー、挨拶、身なり等の習得などが挙げられています。その中にある”職業習慣の確立”のためには就労意欲の醸成が不可欠です。これは経済合理性とは一線を画した話で、障害者就労支援の一環として、就労意欲醸成に経済合理性を持ち込むことは困難です。

同一労働同一賃金といった原則に基づいて賃金のみで就労意欲醸成を図ることはやはり難しく、やはりメンタルな部分も合わせて考えなければならないわけです。それは、必要とされる、期待される、当にされる、請われる、頼りにされる等の、”自分が求められている”といった認識、この自意識こそが就労意欲醸成の源泉である、という話です。

特段、経済的価値を生産せずとも、第三者から、社会や、この場合はウクライナから求められている、この意識は障害者就労支援の大きな一助になるのでは、と考えます。そういった意味で、鶴を折って寄贈する行為を頭から無駄と断じる考え方には素直に頷けないものがあります。

もう一つ、相模原の事件の発端は、”重度・重複障害者を育てることは莫大なお金・時間を失うことにつながる”ことにあったわけです。この行動原理は、投入資源に対し生産物の経済的価値が圧倒的に低いという非生産性とか無駄の忌避に基づくものです。ただ、ここには心の安寧の生産という視点が全く欠如しています。障害者当人の益ではないかもしれませんが、家族や周囲に心の安寧を提供するという意義は蔑ろにできません。

障害者当人が鶴を折るという行為による就労意欲醸成、家族や周囲にに対する心の安寧の提供は、いずれもウクライナのためではないかもしれません。しかしながら、だからといって該行為を無駄の一言で断じられるのではなく、障害者就労支援施設の作業者の行為として一定の意義が認められて然るべき、と考えます。

2022年5月3日火曜日

魂胆(2)

前エントリから続けます。


さて、落とし処が見当たらない、今後が見通せないこの侵略戦争ですが、どういった方向に推移していくのでしょうか。五月に迎える旧ソ連の戦勝記念日に停戦とも、来年まで、或いは二、三年は戦争が続くとの予測もあります。

まず、現在の激しい戦闘状態が延々と続くことはないだろうと。合間合間に停戦協議の声が出ては消えを繰り返しつつ戦闘は続いていくわけです。停戦ではなく小康状態が最も平和な状態かと。ただそれは次の戦闘の前の静けさかもしれませんが。

同時にその過程でロシアの北朝鮮化が進むだろうと。ロシアの孤立化とロシア-ウクライナ間はイスラエル-パレスチナや北朝鮮-韓国間にも似た膠着状態が延々続いていく状態です。

この膠着状態は力の均衡が崩れた時に動き出しますが、緩慢な変化では均衡点が移動して平衡が保たれてしまいます。突発的な大きなイベントが必要です。ロシア国内のクーデター、フィンランド-ロシア間の交戦勃発か、或いは別の不測のイベントか...

今、それを押し留めているのはロシアからドイツへのガスの供給です。これがある意味、事態を均衡させる力の一つになているかと。言い換えれば、ドイツのロシアへのエネルギー依存の動向が端緒となって事態が動き出すかもしれません。

NATO加盟国の直接参戦はどうでしょうか。代償が大き過ぎるかも。元々、今般のロシア軍のウクライナ侵攻はNATOの東方拡大に抗うため、との見解を見聞しました。この時、よく解らないのはNATO加盟国でウクライナの隣国であるポーランド、ロシアと国境を接するバルト三国が、ロシアと交戦する動機です。つまり、NATOが先制してロシアに軍事行動を起こす必要性というものが今ひとつピンときません。何かあるのでしょうか。

確かにウクライナのNATO加盟後であれば、ウクライナ東部の親ロ派の独立運動へのロシアの支援は牽制されるかもしれません。ただそれもロシアの支援云々があっての話ですから、”先制して”の状況には該当しません。
”ある日突然NATOがロシア侵略を始めた”
となる合理的な条件の推測ができないわけです。理由なく、被害妄想的にNATOの脅威に抗うということであれば、上記のNATO加盟国の直接参戦は事態の好転が予想できないでいます。

もう一つ、これは今般の戦争がウクライナとロシアの戦争ではなく、ウクライナとプーチンの戦争であることを前提とした話です。人治主義の独裁国家では独裁者が没する前後に混乱が生じることは珍しくありません。プーチンが強大な力を持つ独裁者であったとしても不老ではないわけです。

時間が必要だとしても、西側諸国の経済制裁によるロシア経済の疲弊とプーチン大統領自身の老化は確実に進みます。そうなると、旧ソ連崩壊時の再弱体化、ロシア国内の世情不安と不満の高まりは必定で、指導者交代へと繋がっていきます。こういった場合の指導者交代では、既存のプーチン路線の継続は難しく、クーデターによる政権転覆、内乱すら起こり、反プーチン政権の樹立に向かうと考えます。

これが最も実現可能性のあるシナリオでしょうか。問題は時間を要することです。このロシア国内の不満を早期に最大限まで高める、この方策の一環として現在様々な経済制裁が行われているわけですが、まだ十分な効果を上げていないように見受けられます。もう少し踏み込ん
施策が必要です。

それは何だ、と問われても知見がなく提案はできません。ただこれまで言及してきた1)エネルギー、2)経済、3)兵器あたりに何か見つけられないかと。

実現の可否はさておき、理想的には、
1)ガス田、油田の占拠
2)大量の偽ルーブル紙幣の流通
3)工作機械の破壊
あたり有効かと思料しています。浅慮と指摘されればその通りですが。今、ドイツが今ひとつ厳しい経済制裁に踏み出すことができないのは、天然ガスの供給をロシアに依存しているからに他なりません。占拠でなくとも、この供給源を確保できればドイツもより踏み込んだ制裁措置が可能となります。

このガス代の支払いをルーブル建てで、というのがロシア側からの要求です。ルーブル建てでの支払いを拒否したポーランドとブルガリアはガスの供給が停止されたとのこと(4/27)。こんな時こそ偽ルーブル札での支払いです。古今東西、敵国経済の混乱、衰弱を目的とした偽通貨の流通は常套手段です。勿論、単純に偽札での支払いではなく、通貨の信頼を大きく毀損させる何か、ということです。ウクライナ侵攻後、一度暴落したルーブルは現在侵攻前の価値を上回っています(4/30)。不思議なことに、制裁措置で経済を弱体化させるはずが、ルーブルの価値は上がっています。よく解りません。

工作機械の自損については、当初、ロシアの兵器生産力を疲弊させるという目的で、ロシア保有の、高度な精密加工を行う日本やドイツ製工作機械、スイス製測定器の自壊のような方法を考えてみました。

しかしながら、機械本体のロシアへの新規の輸出は既に禁止されているはずですし、設置済、稼働中の設備に対するメーカによるメンテナンスも今はなされていないようです。となると、遅かれ早かれ上記設備は正常運転不能に陥ります。補修部品、消耗品も入手不可で交換、補充、キャリブレーションの用員もいないとなれば、使い捨て的な使用形態ですから、程なく装置寿命を迎えガラクタ化するわけです。

ガラクタ化を加速させる、汎用の兵器生産力をどのように削いでいくかについては更なる知恵が必要です。

2022年4月23日土曜日

魂胆

どうにも立ち止まったままで、一向に理解が進みません。常人の思いが及ばない域に目的があるのでしょうか。

勿論、ロシアの独裁者プーチンによるウクライナ侵攻の目的です。その一言一句が次々に懸念を呼んでいるわけですが、一体何が望みなのか、皆目不明なままです。

少し考えてみます。

近現代の紛争や戦争が、民族、宗教、領土、資源の問題に理由を帰すことができるのは間違いない処かと。それを踏まえて、今般のロシアというかプーチン大統領によるウクライナ侵攻に目を向けてみても、矛盾なく該当する理由が見当りません。

上記理由の中、民族問題については、民族ナショナリズムとか、民族自決といった精神的な話ではなく、多数民族の少数民族に対する搾取-被搾取や支配-被支配の関係、差別、虐待、弾圧が引き起こす衝突とかその状況からの解放に眼目を置く問題と捉えています。

宗教問題もおそらく、教義そのものの正当性云々より多数集団の少数集団に対する差別、虐待、弾圧こそが根幹なんだろうと。

これらは、ヒトが本能として有する排外性が具現化したものであって古来から、そして未だに争いの種です。

領土問題は、上記民族問題にも似て、主権の及ぶ地域、つまり自国の支配地域の広さを顕示するというセンチメンタルな要素と、当該地域の地政学的な価値や当該地域の含む資源や農商工的価値、つまり領土の持つ生産的価値という実利的要素から構成されていると考えます。大部分を占めているのは実利の要素ではないでしょうか。

上記民族問題を大義として旗を掲げ併合、傀儡政権樹立、植民地化、租界、租借、非武装化、解放といった手法を駆使して支配-被支配関係の構築を図るというのは、よく見聞する侵略の構図です。

資源、特にガスや石油といったエネルギー資源問題は紛争や戦争と常に隣り合わせです。合わせて、水資源、食糧資源も紛争の原因になり得ますが、それのみを直接的な理由とした、持たざる国から持つ国への侵攻の例は思い浮かびません。常に民族問題等の大義名分を用意した上での侵攻だったかと。

かつて日本が石油資源を求めて南方へ進出した際も八紘一宇とか大東亜共栄圏、アジアの解放といった口実がありました。まぁ、名分がなければ単なる国家による略取強奪でしょうから。ですから他に名分を見つけられない、資源を巡る諍いは武力を行使した紛争にまでには至らず、経済紛争の域に留まってきました。

概ね、当事国が彼我の国力の差を合理的に判断し、場合によっては大国がケツ持ちして、血を流すことなく、

”参りました”

”受け入れます”

”言い値で購入します”

と交渉を通じて収拾してきたわけです。

こういった視座からプーチン政権によるウクライナ侵攻の目的というか行動原理を推測を進めてみます。

侵攻当初、プーチンの主張というか侵攻の口実はミンスク合意の不履行とか、ドネツク州(人民共和国?)、ルガンスク州(人民共和国?)といったウクライナ東部の在ウクライナ親ロ国民の保護でした。ロシア側の言い分では、ゼレンスキー政権からの攻撃から親ロ、反ウクライナ政府勢力の支援だとか。この事実性を否定するつもりはありませんが真偽の判断は留保します。国家間の協定や合意などは都度各々の都合で不履行だったり、破棄したりは歴史を振り返れば珍しい話ではありません。(e.g. 日ソ中立条約日韓基本条約

各々が自国が有利なように、国際社会の理解が得られるようにアメとムチの駆使、フェイク情報によるプロパガンダで自己正当化や多数派工作を行うわけですから、まぁ、どっちもどっちなんだろうと。

この時、ロシアとウクライナは同胞だとか、兄弟民族だとかいう言葉も躍って民族紛争のような体にして、”内政干渉するな”的雰囲気を醸し出したりもします。そうなるとやはり、争いの主因となるロシア-ウクライナ関係について、少なくとも旧ソ連時代に遡ってみる必要がありそうです。


ウクライナという独立国家は、ゴルバチョフ〜エリツィン政権時代、旧ソビエト連邦が弱体化したことで建国に至りました。レーニン、スターリン以降、取り繕ってきた社会主義体制下での計画経済の失敗を、力で抑制不能になった状態が具現化したという理解です。ペレストロイカ(変革)とかグラスノスチ(情報公開)といった政策で何とか改善しようにも、弱体化に歯止めがかかることなく連邦国家の国民経済は疲弊していきました。同時に、上記開放的な政策と相まって構成各国の民族意識も高まり、バルト三国、グルジア、アルメニア、モルドヴァの独立にウクライナも続いて、ついにはソビエト連邦の解体に至ったわけです。全くもって雑ですが大筋はこんな
処かと。

ここで目を向けておきたいのは、独裁国家でも強権政治、計画経済でも国民経済が豊かで、日常に不満がなければ果たしてウクライナの独立はあっただろうか、という点です。

力に依って連邦の構成国に組み入れられ、宗主国と植民地にも似た支配-被支配、搾取-被搾取の関係の下に生活の困窮があるならば、抑える力が弱まれば解放に向かうのは当然です。例えば
ホロドモールなどはそういった支配-被支配の関係の明白な証左では
ないかと。

少し話が逸れますが、上記計画経済、集団農場辺りの話で、世界の穀倉地帯とか、コルホーズ、ソホーズといった語を耳にしたのは小学校高学年〜中学校入学時分でしょうか。その後、高校の教科書でも目にしました。ホロドモールの語は記憶にありません。

冷戦時代の当時、ソ連や中国といった共産主義国の内情は、いわゆる鉄のカーテンで遮られていて殆ど不明だったはずです。そのためか、該計画経済の一端を表すコルホーズ、ソホーズといった語にはそれほど否定的なニュアンスを感じませんでした。何せ、上っ面を捉えれば計画とか、集団(=みんな)、国といった学校教育で頻出する語を連想させますから。或いは当時の日本社会の雰囲気が現在より多少は社会主義思想に宥和的だったためかもしれません。いずれにせよ、年端の行かない自分には、遠い異国の全く無縁で興味のない話でしたが、今振り返ってみると、共産主義、社会主義の表のみを唱え続ければ小学生、中学生なんて簡単に籠絡されてしまうよなぁと今更ながら思った次第です。

このコルホーズ、ソホーズというまやかしの語が、当時の一体どういった判断で学習参考書や教科書記載に至ったのか、なかなか興味深い処です。ソ連政府の公開情報を鵜呑みにした記載だったのか、それは取りも直さず政策の支持を通じた共産主義国家の盲信に繋がる話です。で、それを学習参考書や教科書に記載するという...検証の必要性を感じます。

同じ頃、テレビではバンカースに次ぐ、ボードゲームの走りと思しき”人生ゲーム”のコマーシャールが流れていました。その中に”貧乏農場に行くか...”といった文言がありました。コルホーズ、ソホーズから貧乏農場を想起していたのであればその慧眼に恐れ戦いてしまいます。いや、何の関連性の確証もなく連想しただけです。

さて、話を戻すと、ソ連時代に被支配、被搾取の立場にあったウクライナが、ソビエト連邦の中心であるロシアの弱体化によって独立を果たしました。しかしながら連邦の瓦解後、ロシアが再び国力を取り戻したことで、古き良きソビエト連邦を再興すべく、ウクライナ侵攻を開始したわけです。これは前のクリミア半島のロシアへの併合に続く、支配-被支配関係の再構築ではないかと。西側民主主義諸国、NATO陣営がこのクリミア併合を旧連邦内の内輪もめ?兄弟喧嘩として座視してしまったのは痛恨でした。勿論、当時も欧州諸国への天然ガス供給を盾にされてなす術がなかったのかもしれませんが、その構図は今も変わりありません。

このソビエト連邦再興は、現在のプーチン独裁王朝の存続が目的の一つだろうとみています。ここ最近、耳にする北朝鮮化ということです。そのためには、油断すれば、権勢が衰えれば即座に寝首をかかれるロシアの政治風土の下、クーデターの芽を徹底的に摘む必要があるというわけです。その一つは民主主義的な思想、運動であって、あらゆる民主的な力が排除すべき対象とされているのも頷けます。

隣国中国における香港の民主化運動や台湾における対中国の姿勢を見てみると、国内や隣国における民主的な力が、現体制の脅威であるのは明らかです。

ロシアでは、これまでも国家主導が疑われる毒殺、暗殺(未遂)で幾人もの反体制的な個人が排除されてきました。強い関心を寄せていたわけではありませんが、

アンナ・ポリトコフスカヤ(ジャーナリスト)

アレクサンドル・リトビネンコ(元スパイ、政治活動家)

アレクセイ・ナワリヌイ(政治活動家)

ヴィクトル・ユシチェンコ(ウクライナ大統領)

の例が思い起こされます。当にロシア殺し屋恐ろしやの言葉通りです。

反体制的な芽を摘むという点で、このような個人の排除を国家に置き換えてみると、現在のロシアによるウクライナ侵攻が該当します。プーチン王朝の存続のため、隣国ウクライナで増大する民主的な力を撲滅し、ウクライナの属国化を目指した侵略との理解です。”アラブの春”の先例もありますから隣国と言えど反体制的な姿勢は断じて容認できないわけで、支配-被支配の関係を構築して芽を摘むと。

侵攻当初、ロシア側の主張する派兵は、ミンスク合意の不履行を口実に、ウクライナ東部の平和維持、該地域の親ロ派住民の保護といったものでした。ロシア側からの”同胞”とか、”兄弟”の語も耳にしました。その後、NATOの東方拡大に対する脅威、ウクライナの非武装中立、NATO加盟国とロシア間の緩衝地帯の文言を散りばめ被害者的立場を主張し出しました。こちらは、あったかなかったか不確かな”NATOの東方不拡大”の約束を違えたことが理由のようです。

前者に対しては、あれが”同胞”や”兄弟”に対する仕打ちなのかというのが素直な印象です。まぁ、38度線を巡って南北が未だに緊張状態の国もありますし、血が濃いほど憎しみも強いということかもしれません。後者について、ウクライナを非武装中立にしてNATO加盟国-ロシア間の緩衝地帯に充てるということは、NATO加盟国とロシアが対峙した場合にウクライナを戦場にすることに他なりません。更に言えば、ウクライナという国家をロシアの盾に、ウクライナ国民をロシア国民の盾として使うこととと同義です。これは支配ー被支配関係が具現化した一態様と考えます。

このような支配-被支配の関係を構築し、その中で支配の立場を志向する体質は、必ずしも独裁国家に特有なものでもありません。その手段が武力に依るか、人道的か、合法か、はさておき、民主国家であっても搾取-被搾取という通底した志向性があることは否定できません。但し、現代の先進国家では、生命を脅かす暴力的な支配ではなく、法の支配の下での経済的な支配-被支配(=搾取-被搾取)に留まっているという認識です。

では、今般のウクライナへの武力侵攻は何故起こり得たのかに目を向けてみると、”ロシアという非文明国家におけるプーチン王朝の存続”こそが主眼なんだろうとみています。

真偽は存じませんが田中眞紀子氏の言葉、

━━人間には、敵か、家族か、使用人の3種類しかいない━━

を借りれば、ロシアという独裁国家には当たり前のように強固な支配-被支配がありますから、その延長として国家間に支配-被支配の関係を強いるのも何ら不思議ではないわけです。

ただ実の処、上記だけでは”武力を使ってまで侵攻”の動機としては理解できない部分があります。先述したように、エネルギー資源を巡る問題は常に戦争と隣合わせです。しかしながらそれは持たざる国が仕掛ける側に立つのが通常で、前の大戦における日本が好例です。この視点から見れば、ロシアは明らかに資源保有国であり、石油や天然ガスといったエネルギー資源の欧州や極東への供給国です。このエネルギー資源は、支配-被支配の関係構築のための極めて有力な取引材料として活用できるはずです。それには時間を要するかもしれませんが。つまり、古き良きソビエト連邦の再興を目指すのであれば、エネルギー資源を武器にした丁寧な経済侵攻が最も近道ではないか、ということです。他国を支配下に置く手段として、武力は賢い選択とは思えないというか、愚かな選択です。

では何故そのような選択、プーチンの言を借りれば、

”それしか選択肢がなかった。”

となったのか。様々な理由が挙げられますが、いくつかが複合した結果と推測しています。それは、

1)クリミア併合の成功体験を背景に、2)短期間で支配-被支配の関係構築を目指した処、3)裸の王様状態で適切な判断ができなかった。更に、4)エネルギ資源供給による戦費不足に対する懸念の低減、自らの力の過信、も判断に影響を及ぼしたと思います

クリミア併合に際し欧米からの批判は確かにありました。しかしながら欧米の介入は今回ほどではありませんでした。あくまでウクライナ-ロシア間の民族問題を理由とした局地的な紛争という捉え方でした。となれば、今回のウクライナ侵攻も欧米の直接、間接の軍事介入はないだろうという予測の下、ロシア側が武力侵攻の選択したとしても矛盾はありません。

今回のウクライナ侵攻の目的が、ソビエト連邦の再興と、実はそれ以上に現在のプーチン独裁体制の存続を重視したものであるならば、2)の短期決戦による従属化も首肯できる処です。たとえ国内が疲弊しようとも、栄光のソビエト連邦を再興した英雄として永世大統領の称号を手に入れるというのはシナリオとしてあり得る話です。であれば、病気不安説があったり、そもそも寿命というものがありますから、武力による短期決着目論んだということになります。ロシア国内のクーデタの芽も皆無ではないでしょうから、祖国の英雄として地位をより盤石にするという意図もあるはずです。

裸の王様状態で武力という過った判断を下した、という可能性も勿論あります。独裁者の取り巻きは通常イエスマンです。独裁者の誤った判断を質したり諫言すれば、その時点で反体制派扱いで遠ざけられるのが世の常です。それは目的に対するアプローチとして合理的で最適な手段の具申であってもです。決して正義/不正義、善悪についてではありません。つまり、ウクライナを従属させるために武力より合理的で効率的な手段を提言しても疎んじられるだろうと。
━━オヤビン、ウチラが攻めれば楽勝ですぜ。ゼレンスキーなんて片手で捻り潰しちゃいます。新ロの連中にも歓迎されるはずでっせ。その後、コチラの傀儡政権を樹立してウッシッシ。━━
━━よきにはからいたまえ。━━
大体こんな処かと。

こんな話は、民主的とみなされる国家でも企業でもあらゆる組織転がっています。

この時、自らの武力に対する過信も当然上記を後押しするわけです。核兵器保有もそうですが、それ以上に泡銭を握ったことが実務面で大きな駆動力になった、という理解です。

ソ連の弱体化が進んでいたゴルバチョフ、エリツィン時代、経済も危機的状態でした。で、改革とか開放の旗の下、西側諸国に投資の門戸を開いて、おんぶに抱っこ状態で資金と技術援助を受けて資源開発を進めました。で、自国の技術では困難だった豊富なエネルギー資源の換金が可能になったわけです。

その時、ロシア側が平身低頭し呼び込んだのか、甘言を弄したのか、はたまた欧米の石油メジャーや日本の商社が資本の論理で経済侵攻したのかは知りません。ただその結果、ロシアに泡銭が入って蓄財できたのは事実です。で、まぁ、金(=力)を持つと傲慢になるのは世の常です。結局、この蓄財された泡銭を戦費に充てて強大なソ連をもう一度、となったのが一連の流れかと。

この流れ、つまり独裁国家への資金や技術の供与が招く結果について注視を怠るべきではありませんでした。それは今般のロシアに限った話ではないことを明記しておきます。


(次エントリに続けます)

2022年2月26日土曜日

収拾

収拾、つまり停戦に至る道筋が全く五里霧中です。振り上げた拳の行き場を探す話ではなく、既に落としてしまったわけですから。

今更NATOの不拡大で話がつくのでしょうか。この一方的な暴力に対し、経済力で抗うことで合意条件を導くことができるのか、危うさを禁じ得ません。

オリンピック直後、パラリンピック直前の軍事侵攻です。平和の祭典の語が空虚に響きます。カーボンニュートラルも地球温暖化も何処へか吹き飛んでいます。

ロシア軍のウクライナ駐屯と親ロ地域の一方的な独立宣言かロシアへの併合で膠着状態が続いていくのでしょう。その上で極東に波紋が拡がる懸念も否定できません。

民主主義陣営の結束とか国際社会の連帯、対話、外交で暴力を制することの可否が問われています。幻想でないことを強く願っています。


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状況が明らかになるにつれ、いわゆる親ロとか、対ロシア外交で風呂敷を広げていた政治家が、報道番組に出演し始めました。自身の過去の発言を忘れたかのようにしたり顔で批判、論評する姿は気分を害します。

省察

先日の話です。交通反則告知書、いわゆる青キップを頂戴致しました。右折禁止の交差点で右折したことによる通行禁止違反でした。


違反は違反ですから減点を甘受し反則金も既に納付しました。その事実について、抗うつもりは毛頭ありませんし、怒りや不平不満といった感情も去来しませんでした。あえて言えば、残念な思いが過った位でしょうか。

本エントリは、該違反、これは自らの不注意が引き起こした過失ですが、その原因、何故そういった判断をし行動を取ったかを省察するものです。

憂さを晴らすとか自己正当化の意図は断じてありません。弁明するつもりもなく、今後類似の状況に遭遇した際に不如意の結果を招かないため、以外の目的はありません。

未来の、過失による違反や事故を回避する糧として、当時の判断、行動を客観視して考察してみようということです。

ここで少し本旨から外れます。

上記には日頃運転している乗用車に搭載のドライブレコーダに記録された動画を利用するつもりでした。ところが、該当する動画部分のファイルが破損、VLCメディアプレーヤーで再生すること能わず...一旦、断念しました。再生可能なファイルがほとんどでしたが、不可能なファイルもいくつかありました。メモリカードへの記録エラーでしょうか。

それでもなかなか諦めきれず、調べてみた処
動画と音声を記録・変換・再生するffmpegと、
修復ソフトuntrunc
で修復できることを知りました。
試してみた結果、直進→右折が記録されたファイルの再生が可能になりました。便利な世の中になりました。ありがたいことです。該知見を公開してくださった方に感謝しつつ、次は動画ファイルの編集です。試してみた結果、直進→右折が記録されたファイルの再生が可能になりました。便利な世の中になりました。ありがたいことです。該知見を公開してくださった方に感謝しつつ、次は動画ファイルの編集です。

該ファイルは再生時間5分で、ここから必要部分のみ取り出します。かつてavicutとか、avidemuxといった動画編集ソフトを弄ったことがありますが、かなり以前の話です。すっかり忘れていますし、Debianのバージョンを上げている中になくなっていました。そこで、Kdenliveという動画編集ソフトを利用して不要部分のカットを行いました。

編集した動画が下記です。


再生してみると、右折禁止の交差点で右折進入していることが確認できます。その後ルームミラーに映ったパトカーから停止を促す声が聞こえ、青キップを頂戴する羽目になった次第です。パトカーは該交差点を左折した位置で取締りのために待機していたと思われ
ます。

この動画を元に当時の判断、行動を振り返ってみて、この先、同様な状況に置かれた際に同じ轍を踏まないような判断が可能かを考察してみます。

最初に、この交差点右折に当たってのいくつかの前提?予備情報?を示します。予断という表現になるのかもしれません。

本件において目的地はPhoto.1に示した矢印の方向にありましたから、通りからの右折を考えていました。
Photo.1

この通りは幾度となく往来していて、通りから右左折すると住宅地に入ります。この右左折する道路は道幅が広くはなく、一方通行の出口と入り口、つまり進入禁止と一方通行の始まりが交互に続いていく、そんな認識でした。

上記動画には映っていませんが、この交差点を右折せず直進した際、次の右折路が進入禁止であることは既に確認済です(Photo.2)。
Photo.2

又、以前、今回と逆方向に進んだ際、該交差点の一方通行出口を示す標識(Photo.3)と、今回右折してキップを頂戴した交差点の一方通行入り口を示す標識(Photo.4)は明確に記憶にあります。
Photo.3

Photo.4
(Photo.2〜4はGoogleマップから引用しました)

つまり、自分の中では、動画にある信号を超えた最初の交差点は一方通行入り口で進入可能、次の交差点は一方通行出口で進入禁止という認識が完全に形成されていたわけです。左折でのみ進入可とは全く思いもよらなかった、というのが正直な処です。

確かに、改めて通行時の動画を見てみると、件の交差点近くには右折不可を示す標識が二ヶ所設けられているのが確認できます。で、何故この標識に気付くことができなかったのかについて記憶を辿りながら振り返ってみます。

12秒間の該動画において、信号のある交差点通過(0:02)から右折開始(0:08)まで6秒といった処でしょうか。道路上方の右折不可の標識は0:06辺りで視認することになります。0:05でも認識できなくはありませんが、再生を繰り返したり、時間を遡るように再生して分かる程度とみています。初見の再生で0:06の右折不可の標識を果して認識できるのか、すら難しいような...その後0:06〜0:07にかけて道路左端に右折不可の標識を見つけることができますが、0:07〜0:08にかけて既に右折すべく進行方向を変え始めています。

この6秒間の運転中、自分が視線を何処に向け、何に注意を払っていたかを記し、そこに更に右折不可の標識を視認することが可能だったか、を考えます。0:06〜0:07辺りで右折不可を認識できていれば、その後、進行方向が変わっていても、一旦停止、向きを転換して直進という操作で事なきを得たかもしれません。

下記はその経緯で、注意の対象を黄色で囲んだ写真を添付します。

 経過時間(秒)       注意の対象、意識の内容     
    0:02         青信号を視認して交差点を通過(Photo.5)
 0:04〜0:05      右折進入路の探索(Photo.6)
    0:06         対向車の有無確認(Photo.7)
 0:07〜0:08      右折路を横断する歩行者、自転車の有無
確認(Photo.8)

Photo.5

Photo.6

Photo.7


Photo.8

この一連の動きの中で、Photo.7,8に見られる道路左側と道路中央上方に設けられた右折不可の標識に注意を向けることは、甚だ困難と考えます。両者はカメラの視界の中にあったとしても、運転者の視線や注意を向ける方向には位置していません。Photo.7,8では、道路右側に視線を向け、対向車と横断する歩行者、自転車の有無に注意を払っています。右折直前に道路左側に視線を向けることは困難です。

上方にある標識の視認も果して可能かどうか疑問です。動画を再生してみると該標識が、標識として視認できる時間は0:05〜0:07の2秒間程度です。確かに標識の画像は左右方向ではほぼ中央に位置しています。しかしながら、上下方向で視認できる状態となると0:05辺り、画面上端から1/4辺りの画像からでしょうか。そこから2秒の間に標識の画像は上方に流れて消えてしまいます。

つまり、Photo.6〜8に示した視線や注意を向ける方向から外れ、しかも視界の上方2秒間、右折不可の標識が流れていくという状況です。上述の方向に注意を向けるのと同時に該標識を視認しろと?かなりのハードミッションです。通常、対向者や歩行者は空から降ってきませんから、優先して注意を向けるのは前方や進行方向の地上です。

そう考えれば、この交差点を左折した辺りでパトカーが待機している理由も理解できます。注意不足で右折して通行禁止違反を犯す運転者が多いという証左です。年間で何件、或いは一日の取り締まりで何枚のキップが切られるのかは存じません。ただ、まぁ、そういう場所なんだろう、という印象です。

ということは、取り締まる側も違反が発生しやすい交差点であることは十分承知しての公務なんでしょう。ただ、そうであれば取締まるより、違反を未然に防ぐ活動の方が交通警察の職務として真っ当な気もしますが。真っ当な気もしますが。

右折を意識してこの通りを走行した時、Photo.2に示した進入禁止の標識は比較的容易に気づきます(昨日進入してきた車とすれ違いましたが。)。標識は視線と注意の向く先に設置することで効果が最大化されるのは至極当然です。本件の交差点もこの位置、Photo.8で黄色で囲んだ辺りに注意を促す標識を設置すれば違反は激減すると考えます。

2022年1月16日日曜日

薄曇

どうにも悶々としています。未だ既視感の原典が不明で薄雲が晴れません。検索しても見つけられないでいます。

現在放送中のNHK朝ドラ”カムカムエヴリバディ”を眺めていてのことです。

額に傷のある女性の話です。幼少期に負った額の傷や母子との関係が原因で、心に影のある女性です。好意を持った男性とデートするも、傷を隠していた前髪が風で顕になり心打ちひしがれるとか、その後、該傷を告白しても動じることなく包容した相手に心を開いていく、まぁ、そんなような筋です。

で、ですね、この辺りの話の流れに既視感を抱いた次第です。額の傷(心の傷)によって形成された内向的、消極的性格が、相手の真摯で誠実な姿勢や、外見に因われることなく自分を受け入れてくれた優しさ?暖かさ?鈍感さ?に、互いに心惹かれていく、といった構図です(1/15放送分まで)。

この構図に既視感を覚え原典を思い起こすも、思い出せず、検索しても見当たらず、といった状態です。女性の額に残った子供の頃の傷から、お約束の展開が続いているわけですが、その約束の覚書が見つからないということです。

感覚的には、ドラマ中にO.ヘンリーの文庫本が小道具として使われているのですが、”最後の一葉”、”賢者の贈り物”といった類の作品だったかと。ただ、短編小説、漫画、映画、テレビドラマのいずれだったかは定かではありません。

時期的には、ハリー・ポッター(映画)やONE PIECE(漫画)ほど最近でないのは確かです。スカーフェイス(映画)、疵(映画)より以前です。オーメン(映画)、三つ目が通る(漫画)でもなく...

和装の記憶はないので海外作品だと思います。なんとなく、愛と誠(漫画)連載中だったか、赤いシリーズ(ドラマ)放送中に見聞したか、連想したような印象が残っています。旗本退屈男(ドラマ)からの連想はありませんでした。

蟠りをなんとかしたい今日この頃です。

2022年1月4日火曜日

筋違

本日(R4.1.3)のニュースで、

福島第一原発の「処理水放出」 国内外の理解得られるかが課題

との見出しが目に止まりました。 原発の冷却に使用した汚染水から放射性物質を除去した処理水を、政府の方針で海洋に放出するという話です。

東京電力は国の方針に従い、基準以下の濃度に薄めたうえで来年春ごろから海に流したい考えですが、処理水の放出は国内外から懸念が示されていて、地元をはじめ、関係者の理解を得られるかが課題です。

”地元をはじめ、関係者の理解”?納得とか了解、容認という意味なんでしょうが、理解しない、できない側に非があるかのような印象を抱かます。

政府に対する信頼の低さこそが一番の課題なんですが...