2013年8月15日木曜日

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門外漢です。勝手な暴論を一つ。

2013年4~6月期の国内総生産(GDP)一次速報値が発表され、消費税増税の是非についての論議が喧しい毎日です。

既に国の債務が膨大な上、今後、一層増大する社会保障費を賄って財政再建を進めるには消費税増税は避け得ない、といった見方なのでしょう。

一方、アベノミクスによってこれまで、「大胆な金融緩和」、「機動的な財政出動」によって、市場からの国債買入で日銀がお金をじゃぶじゃぶ供給しつつ、債務の積み増しが続いています。

更に、最近では法人税減税の話も浮上しているようです。

よく判らないのですが、借金を重ね続けている、浪費癖のある身内が、まだ(社会保障費が)不足と宣い尚出費を要求する、そんな印象を拭えません。

”毒を喰らわば...”ではないですが、これまで通り、不足分も国債をどんどん起債し、お金をじゃんじゃん印刷して賄えば、と思ってしまいます。

規律?
一体、どの口が...
既にモラルハザードが起こっているのでは?

2013年8月11日日曜日

特製

オムライスが好きで飲食店でも自宅でもよく食べます。

中が半熟のオムレツをチキンライスの上で開いたタイプも、オムレツに包まれた、昔からの、いわゆるオムライスも選り好みは致しません。

ライス部分がバターライスでハヤシソースなど濃いソースをかけて食べるタイプには軽い失望を禁じ得ませんが...

で、私に不似合いというか不適切、或は、お呼びでない小洒落たカフェ(?)、又は、洋食屋、オムライス専門店を訪れると、時折、酸味の強いトマトソースや味が濃厚過ぎるデミソース?、デミグラスソース?、ドミグラスソース?がたっぷりかけられたオムライスに遭遇します。特製、自家製、拘りの、といった修飾語と共に...


いや、勿論喜んで美味しく食べるんですがね...

ケチャップでいいのに、というかケチャップがいいのに、と思うこともしばしばあります。

心の奥底から沸々と湧いてくる、
い・い
 ケ・チャ・ップ・を・出・せ・!”

と声を上げたい衝動をぐっと堪えることもあります。

ま、実際には上げませんが...大人なんで...

 
どんなオムライスか注文時に予め想定できれば、口や心の受け入れ準備をしておくのですが、自分の想定外の場合も少なくありません。

憧憬

みんなの党の江田憲司氏が、
――かくなる上は、一所属議員、一兵卒として、更
なる党改革の断行に取り組みますとともに...――


幹事長解任を受けた記者会見で語られました。

政治家の方々は一兵卒に憧れているのでしょうか。

過去にも
――私自身は一兵卒として、当面、参院選の勝利に
向けて、少しでもお役に立てば微力を尽くしたい――

という方がいらっしゃいました。

この際、公党の正式な役職としたら如何でしょうか。立場はワタミやユニクロのパート従業員といった非正規雇用の位置付けで...

勿論、”微力を尽くす”が職務です。

ところで、一兵卒と雑巾がけ、国益に資するのはどちらなんでしょうか?

2013年8月9日金曜日

上客

前のエントリで引用させて頂いた方の文言の続きです。
――お店側も、写真は載せて欲しいけど、店名は避けて欲しいってぇのは、それは、その手の「宣伝効果」を狙っているようで、とても下品で厭らしい֡
宣伝しねぇで、上等な客だけは、来て欲しいって了見が見て取れて、意地汚ねぇな。――

店舗情報の公開、非公開に関わらず、ブログや口コミサイトによる宣伝、集客について考えてみます。

ところで、集客を期待して宣伝を依頼するならば店名他の情報掲載も望むのが自然ではないでしょうか。ブロガーの出題する”店の当てっこクイズ”に、飲食店側が加担する理由はないように思います。

そういった”店の当てっこクイズ”を利用して集客を図る飲食店が実在するということでしょうか。

店側の視点から勝手に憶測すれば、料理の撮影に限ってのみ消極的に容認されている、或は、前のエントリで引用した、――...店の迷惑...――と素直に受け止めて構わないような気がします。特段、店名を伏せた回りくどい宣伝、集客を店側が意図しているとは思えないのです。

であるならば、供された料理の撮影は遠慮、若しくは、撮影したとしても公開は自粛するのが好ましいのではないでしょうか。ただ、一方で、”書く衝動を抑えられない”といった心情も理解できないわけではありません。もう少し話を伺いたいところです。

勿論、営利ブログ運営者の甘言に唆されて、ブログのために協力を依頼された、強要された、という可能性も否定しません。  

さて、店名が非公開の店に関してですが、それによって遠回しの宣伝を目論む店、或は、文字通り、集客に積極的でない店、宣伝を拒む店に関わらず、上記引用の”上客だけは来てほしい”は揺るぎない本音だと考えます。換言すれば、 招かれざる客、迷惑な客は来店を拒否したいというのは正直な所ではないでしょうか。

で、上客、招かれざる客とはどういった客かが焦点となります。

”一部の食べログレビュアーやブロガーの振舞のように、金科玉条の如く、一期一会などと宣い、根堀葉堀質問し、一挙一動監視して、些細なミスを直言することなくネット上で指摘する。挙げ句には採点して順位付けを行い読者に共感を求める。”

”料理そのものの美味しい不味い、量が多い少ない、価格が高い安いに留まらず、駐車場が停め難い、店が小さい、テーブルの間隔が狭い、掃除が行き届いていない、手洗いが使い辛い、接客が悪い、子供連れでの入店を拒否された、料理の提供が遅い、料理の説明がない、声が小さい、愛想がない、ヘラヘラしている、態度が偉そう、たまたま居合わせた客がうるさい、でも店側は注意しない、常連客を優遇し過ぎ、何度も通っているのに融通がきかない、挨拶がない...”


典型例としては、
 特に喫煙制限のない店に初訪問し、居合わせた客の喫煙をネット上で非難する。”

 乙武騒動と同じで、自身にとって譲れない問題なら事前に問い合わせするのは当然です。そういった下調べすら行わず、直面した己の予想外の事態に不快感を顕にするのは身勝手です。

で、改善すれば上客として来店するのか、と問うてみれば、次の店のレビューに忙しかったりするわけです。

宣伝ブログによる集客でそういった客に押し寄せられることは、店として嬉しいどころかむしろ避けたい事態では、と考えます。真っ当に営業していて、それなりに続いている飲食店にとれば宣伝ブログはそれほど必要なものとは思えません。

人気店、繁盛店には当然そうである理由があります。自然、ブロガーやレビュアーに取り上げられる機会も増え、各々は他者の既出でない新しい何かを書かなければ、といった圧力がかかることもあるでしょう。で、重箱の隅をつついたり、箸の上げ下ろしまでネット上で公開されてしまう...

これこそ大きなお世話で、彼等、彼女等こそ招かれざる客ではないでしょうか。 

結局、
「神様」ではない「悪い客」にキレるのは有りかとなり、店側の度量、懐の深さ、忍耐に期待することになってしまいます。

かつて個人経営の居酒屋で、店主がマナーの悪い客を退店させたり、入店を拒否している場居合わせたことがあります。常連が通う個人経営の店ならではだったかもしれません。そういった風潮は今も残っているのでしょうか。


ローソン→ミニストップ→バーガーキング→ほっともっと→ミニストップ→ブロンコビリー→丸源ラーメン

ここ最近のバカ発見器の炸裂ぶりに対し、ネット上では”SNSによるバカの可視化”といった意見をよく目にします。バカは昔からいたがネットワーク技術の進歩であっと言う間に知れ渡るようになったということです。

飲食店の情報についても誰もが容易にブログや口コミサイトから入手でき、又、発信できてしまいます。これは便利である反面、その情報を基に本来訪れるべきではない客層が来店、即ち、店と客のミスマッチを頻発させてしまうのではないでしょうか。

その結果生じる店側との軋轢において、上述の招かれざる客の振舞には該アルバイトの行為との類似性を感じてしまいます。



一方、これまで、飲食店側には非がないかの如く記してきましたが、勿論、問題のある店も多々あります。先述の客の苦情も程度問題だったり、状況により店側の責任である場合もあるでしょう。

そういった事例を二つ程。

”乳児、或は、幼児を帯同しての入店を予め認めた上で、乳児、幼児の分として一人前の料理の注文を要求する店。”

”炎天下の真夏、寒風吹きすさぶ寒中、或は、雨天であっても、予約時間ぎりぎりまで入店を拒み店外で待たせる店。”

予約時間より前の来店は、店にとって遅刻されるよりよほど有難いと思います。ただ、”早めに行っても外で待たされるだけ”ならば、遅れまいと時間に余裕を持って定刻前に到着しようとする気持を萎えさせます。



いっそ、◯◯客の俺ルールと×××店の自分ルールを積極的に闘わせ、”仁義なき戦い 死闘編”がネット上で繰り広げられるのも一つの楽しいイベントかもしれません。

2013年8月6日火曜日

依拠

さて、前のエントリで取り上げた、飲食店内で撮影した料理写真をブログで公開する行為について考えてみます。

既に削除されていますが、その方のエントリでは、一方で料理写真を公開しながらも、他方で店名を非公開としている姿勢に不快感を顕にされていました。
――このお店は、ご夫婦二人で、一生懸命仕事をされ、急にお客様が増えては、丁寧な仕事が出来なくなるので、お店にご迷惑をお掛けしますので、店名は伏せさせて頂きます。――
上記を口実に集客を目論む店、及び、その片棒を担ぐ客(?)の両者を痛烈に批判されています。


――大きなお世話ですね~~。
ガキじゃあるめぇし、てめぇの力量が及よばねぇって判かりゃ、相すみませんって、お断りするだけの話。
お店の人がそう言ったなら、じゃあ、書くなよѥです。
迷惑掛けたくないなら、一言も書くなよХです。
親にも、兄弟にも、総理大臣にも言うなХです。――

ただ、最初に該エントリとリンク先を拝読した際、私自身はそういった印象を微塵も持ちませんでした。おそらく、以前同様な状況に遭遇し、やらせ、ステマの疑念を抱かれた過去があり、それが思い出されて結びつけられたのかもしれません。

確かに、供された料理の脚色写真は漏らさず羅列して公開する一方、様々な理由をつけて店名を伏せ、挙句、メルマガ購読への、或いは、有料イベント参加への誘導、といった意図があからさまな営利ブログが存在しています。

こういったブログは比較的容易に判別できるのではないでしょうか。自著宣伝、メルマガの勧誘、イベントの案内といった利益誘導を目論む意図が露骨なだけにさもしさが漂っています。

この部分が、原則として収益を目的としない非営利のブログとの相違でしょうか。無料のブログサイトを利用されている場合が多いため、運営者の手では如何ともし難いスポンサーリンクはあるものの...

一方で実は、収益を目的としないが故にそういったブログを公開する動機を量りかねています。店名を非公開にしているにも拘らず、用意された料理の写真を何故ブログで公開するのか、何が拠り所となっているのか、理解できないでいます。

自身の記録ならば料理写真の公開は不要です。惰性で店名の公開、非公開に関わらず写真アップされているのでしょうか。

――いい店知っています。こちらが料理です。
 美味しいです。でも店は内緒です。――


よくわかりません。

尤も、それ以前に店名を公開していたとしても、供された料理の写真をブログで公開する意図がそもそも私には芒洋としていますから、不明は当然かも知れません。

何か理由があるのだろうと考えていますが、理解できないまま掴めていないのが実のところです。

知り得たいくつかの意見、事実から勘ぐってみます。


取り敢えず、集客の片棒を担いで宣伝費や特別待遇といった代償を得る、いわゆる利益誘導を目的とした営利ブログは考察対象から除外します。

それ以外の場合で、料理写真をブログで公開する動機を表すキーワードはおそらく、自慢、誇示、顕示或は、共感、賛同、称賛、承認、評価辺りだろうかと憶測しています。

こういった意識、願望の様々が複雑に入り混じっているのではないでしょうか。

当初、自己顕示欲の充足がブログ公開主たる動機だろうと思っていました。

提供された美味、珍味を自慢する、そういった料理を口にできる境遇を誇示する、若しくは、己の味覚の鋭敏さを顕示する、といった...

ところが、興味深いことに、とても自慢の材料にはなり得ない、ラーメン、ピザ、パスタ、及び、ファストフード等、大手外食チェーンの料理写真を掲載したブログもかなり散見されます。

こういった料理の写真を公開する理由は自慢や誇示では全く説明できません。そこで、誇示一辺倒ではない、共感、賛同、称賛、承認、評価を得たいのではないだろうか、といった見立てに至りました。

――この店は確かに安くておいしいよね。
    あちらは高いけど量は多いですよね。 
        こっちの店は私にはちょっと...――

に始まり、

――あなたの評価は尤もだ
     全く同意します。 
     おっしゃる通り、私もそう思います。――
といったように、直接的にコメントで明示されなくとも、暗黙的であっても、そういった心情が寄せられることへの期待感も一つの動機ではないでしょうか。

であるならば、料理の写真を公開するにあたって、店の情報の公開、非公開は、当事者にとってそれほど大きな意味を持たないことになります。

当該飲食店の情報とは全く切り離し、公開された料理の写真とエントリ内の文言に限定しての共感を期待しているわけです。これは、店舗情報の公開、非公開に関わらず、全く同じ扱いで料理写真が公開されていることからも窺えます。

従って、必ずしも読者が訪問可能な店で提供される料理の写真である必要はなく、自宅、友人宅、或は、屋外のBBQ、イベント、海外のホテルといった容易に食べることができない、或は、体験不可能な状況も実は非公開の店と同じではないかと考えます。

更に極論すれば、未訪問の店のサイト、第三者のブログ上の料理写真を借用して意見と共に自分のブログに掲載し、共感を求めても本質は異にしないように思えます。訪問不可能という意味では同じです。

己の思いを開陳し同意を得ることを眼目とし、そのための素材を問わないならば、他所からの引用画像を用いるという方法も整合性がなくはありません。

決して、盗用、流用、フリを肯定しているわけではありませんが...


更に妄想しますと、何故、料理の写真で共感、賛同、称賛、承認、評価を望もうとするのでしょうか。電化製品や電子機器を評価するブログやKakaku.comのパソコン、家電、カメラといった製品のレビュー、口コミと比較してみます。

上記の各々には確かに盛り付け、デザインといった呼称で主観性の強い評価要素、分量、価格といった客観的評価要素が含まれています。しかしながら、他の評価要素を比較した時、料理については香り、味といった更に主観性の強い項目で評価されてしまいます。

当然と言えば当然ですが、料理の主たる評価は主観で行われ基準が極めて曖昧です。他方、電化製品、情報機器は、性能、機能評価の数値化が容易であり、評価結果を私達の共通認識として捉えられます。

料理を含め飲食物の評価、評論が主観的、曖昧な尺度で為されてしまうのはやむを得ない事実です。であるが故に、料理についてのブログの公開は、実は、評価者であるブロガー自身の物差しを読者に評価して欲しいという姿勢の現れなのかもしれません。

確固な礎に立脚しているとは言えない自身の尺度に、読者から共感を得ることで確信を得、その存在に意義を見出したい、ということではないでしょうか。


引続き、”店と客、集客ブログ”について考えてみます。


(続)


2013年8月2日金曜日

誘因

既に削除されてしまいましたが、ある方のブログに飲食店で供された料理の写真についてのエントリがありました。この話題はこれまでもルキウスさんが幾度となく取り上げています。

料理撮影について

店内で料理の写真を撮影する行為については私も思うところがあるわけですが、是非の判断以前にその動機が未だ理解できないままでいます。”飲食に関わるブログ”の公開は、この行為の延長にありますから、写真撮影に駆り立てる源について知見を得ることは、”ブログを公開する理由、目的”といった更なる疑問の解消にも寄与すると考えています。


この写真を撮影するという行為について記すにあたり、撮影対象を飲食店で供された料理のみに留めず、物販店の店内で商品にまで拡張してみます。

この行為はデジタルカメラやカメラ機能付携帯が普及して以降、珍しくなくなりました。該機器により誰もが手軽に写真の撮影が可能となり、又、撮影後即座に出来具合を確認できるようになったためでしょう。

特に、多くの方がブログとして、或いは、SNSサイトに写真をアップロード、公開するようになり、より日常的に見られる行為になってきました。私自身、特別な場ではない、一般の飲食店、物販店で、多くの方が供された料理、店頭の商品を撮影している姿を見かけています。尤も、撮影された写真がどのように利用されているのかは存じませんが...

これまで見聞した事例のいくつかを基に、上記撮影に纏わる雑感を挙げてみます。全く系統的でも、論理的でもなく、憶測の域を出ていない部分もあります。


1.バイアス

飲食店内で提供された料理の撮影では、勿論、撮影目的によってでしょうが、本質的には写実性に差異を生じさせている、若しくは、意図せずとも生じてしまうと考えています。即ち、好むと好まざるに関わらず、撮影という行為自体が写真に脚色を加えてしまうのではないか、ということです。

当然ですが、例えば、自分の非公開の記録や、ブログ、或いは、食べログ等の口コミサイトへの投稿によるネットワーク上での公開、そして店の紹介、推薦、集客への協力といった撮影目的でその程度は異なります。ただ、いずれにせよ撮影された写真には自ずと撮影目的に適うように意図が込められてしまうことは避けられないと考えます。

従って、写真の観賞者には本来目の当たりにしている状態から脚色(演出、化粧、モデファイ、デフォルメ)され、整えられ、或は、下駄を履かされているであろう姿が目に映っていることになります。その舞台や背景を念頭に置いてこそ実体を捉えられるのではないでしょうか。


2.ショールーミング

例えば電気機器を取り扱う量販店で現物(大きさ、性能、使い勝手、メーカー、品番、価格)を確認し、実際には安値のネット通販で購入する、といった行動をしばしば見聞きします。

私自身も
以前、既に購入機種を決定した後、通販価格を調べて実店舗で交渉した経験があります。

更に、米国では実店舗で商品のバーコードをスマホで撮影(スキャニング)するとAmazon.comでの価格が表示されたり、価格問い合わせ操作に応じて値引きを受けられる、価格比較アプリがあるようです。で、多くの来店客はその場でAmazon.comに注文すると...(日本でも価格コムが類似のサービスを開始するとの記事を読んだような憶えがあります。)




3.デジタル万引

デジタル万引という語があります。これは書店やコンビニで、書籍、雑誌を購入することなく、例えば飲食店の所在地、料理のレシピといったちょっとした(?)内容をカメラ付携帯で撮影して情報を入手する行為を指します。違法ではないようです。

又、陶芸を趣味とする人が、いわゆる作品展ではなく一般の陶器店で、自らの作品の参考にするであろうために陳列してある商品を撮影していく、といった事例も聞いています。或は、他店の商品と比較するために写真を撮る、といった例もあるようです。

撮影の許可は求められるそうです。特段ためらいもなく、全く当り前のような態度で...


1.についてですが飲食店が集客することの片棒を担いでいたり、特別な優遇、割引を受けたり等で店と撮影者の間に何らかの利害関係が発生している場合については除外して考えません。論外です。これについては、
料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係を考える際、改めて言及するつもりです。

2.、3.についてですが、私自身は躊躇し、抵抗感、違和感を払拭できません。駅で列車を、動物園で動物を、観光地で記念写真を撮影することと同一視できないのです。 


撮影を切り離せば、3.は例えば、スーパーでバーニャカウダソースの瓶に目が止まり、裏面にある原材料表示を見て、

 ――アンチョビ、ニンニク、生クリーム、オリーブ  オイル...今度作ってみるか。―― 
と思うことと同根かもしれません。この時情報を盗ったという意識があるかと問われれば?

確かにありませんが...

程度の違いによるでしょうが、おそらく物品が販売されている場で、本来の店の存在目的から逸脱して利用されている部分に私は違和感を感じているのだと思います。

こういった目的外利用は、時間つぶし、目の保養、ウィンドウショッピング、品定め、審美眼を養うといった行動としてで従前からあったわけ
ですが、撮影にまで至ると積極的というか確信的目的外利用といった印象を持ってしまうのかもしれません。

では1.の場合はどうでしょうか。飲食店の存在意義は、空腹を満たす、栄養を補給する、美味しい料理を味わうと共に、口説く、説得する、歓談 、商談、密談、交渉を円滑に進める、等がよく知られたところです。

私自身は未だ
料理写真の撮影に意義を見出せておらず、確信的目的外利用と感じているのでしょう。得も言われぬ釈然としない印象を抱いています。

実は新たに意義が創出されているにも拘らず、単に私だけがそれを受け入れられていないだけかもしれません。

是非について考えれば、上記行為がいずれも合法であるのは勿論で、全く問題はないはずです。2.の価格比較アプリの利用も米国では極めて日常的なようですし...

心情的な齟齬を解消するには、料理写真の撮影についてもう少し考察し、理解を深める必要がありそうです。


引き続き、料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係ついて考えてみます。

(続)