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2016年5月17日火曜日

精査

精査の真っ最中なのかもしれません。
東京五輪招致「コンサルタント料」、契約書など確認できず

Q.契約書そのものは存在しないんですか?
 「契約書は保存されていると思います」(JOC側)
Q.どこに?
 「JOCにはございません」
 「正確な場所は我々も聞いていません」(JOC側)
猪瀬前都知事の領収書にも似た契約書が公開されるのでしょうか。言い含められた元担当者と一緒に。これは精査でなく工作です。
”これ以上の報道は差し控えろ”
これは精査でなく恫喝です。

2016年5月15日日曜日

天秤

明らかな非対称性というか首尾の不整合、不均衡が露見しているんじゃないかと。

前のエントリに続いての話です。

着々と都知事辞任に向け外堀が埋められています。ダメ押しの文春砲がなくとも、免れないのかもしれません。

ところで、舛添氏に劣らない公私混同ぶりながら、都知事職を猪瀬直樹氏に禅譲した石原慎太郎前々都知事は辞任まで追い込まれませんでした。

強い違和感を抱いています。
舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由
石原氏の四男・延啓氏は無名の画家だったが、石原氏は自らの職権で都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト」に助言する芸術家として都の外部委員に抜擢。「ワンダーサイト」への補助金を4年間で4億7000万円と以前の8倍以上に増やしていた事実が発覚したのだ。
“無双”といわれる「週刊文春」にも絶対書けないタブーが! 林真理子が「作家になれば悪口書かれない」と暴露
芥川賞選考委員の立場にあった作家の、メディアに対する影響力を示す如実な結果かとみています。甚だしいバッシング格差かと。

社会における文芸という価値体系の秩序維持に貢献してきた見返りなんでしょうか。今尚、”天才”といった商品を供給していますし、まぁ、メディアにとっては護るべき飯の種ということなんでしょう。

舛添氏も著作を上梓しているわけですが、メディアからのこの扱いを鑑みれば、作家として擁護するに値しない、ということなのかもしれません。

実は舛添公私混同事案より、
【UPDATE】五輪の不正招致疑惑にJOCが声明 支払いは認めたが「コンサル料」
この強弁、正当化の方がより根深く、深刻な問題と捉えています。
やっぱり出た「オリンピック招致」に関する疑惑。長野五輪の二の舞いになるか?
有耶無耶になっていますが、招致活動のプレゼンの際にも何か怪しげな話があったような...プレゼンのコンサルタント料?、皇族の利用?思い出せません。

舛添公私混同事案はオリンピック招致に関わる買収疑惑の矮小化、隠蔽のためとみるのは勘ぐり過ぎでしょうか。精査の間、知事が元会計責任者という人身御供を用意する一方、知事自身も泥を被せられていたのでは、ということです。

2016年4月2日土曜日

判断

偶々、タイミングよく虚を突かれて了承してしまったのだと思います。判断や対応の妥当性についてご意見を賜われればありがたい処です。

先日のある金曜日、午前九時を過ぎた辺りでしょうか。自宅にいた所、
”屋根の〇〇が浮いていますよ。”
と戸外から声をかけられました。で、戸外に出て声をかけてきた若い男が自宅屋根の指差す部分を見てみました。建築についての知識が乏しい私には〇〇”は聞き取れず、たとえ聞き取れたとしてそれがどこの部分を指すのか分からなかったと思います。(後で屋根と壁の取り合い部の雨押えという部材であることが判明。

で、
”屋根の〇〇が浮いています。このままでは雨が入って雨漏りし出します。”
と言うわけです。”ウチはそういう工事を頼む所は決まっているから。”と応えたのですが、
”偶々近くで工事をしていまして、材料を持っていますので2000円でコーキングして応急処置をします。”
と。”本工事は知り合いに頼むけどそれでいいなら。”処置を了承しました。そんな金額で屋根に上がるのか、といった問には、
”宣伝です。”
とか、
”私達の仕事を知ってもらいたい。”
との返事でした。 工事業者の知り合いがあると伝えたものの、宣伝のためという返答に、”そんなものか”と一応の整合性を感じ、午後から上記応急処置をする運びとなりました。名刺も渡されました(=身元、所属が確認できる)ので、まぁ、悪徳リフォーム業者ではないだろうと判断したわけです。屋根に上った経験がある私には、2000円で屋根上の仕事をするものなのかと、半信半疑ではありましたが...

午後からの工事ということでしたので、当然、該会社名で検索しましたが悪い情報は見つけられませんでした。消費者庁、国民生活センターのwebサイトでも当該業者の名は検索されませんでした。

”じゃ、いいか”、と思っていたのですが、結局その日の午後業者は現れませんでした。業者の知り合いがあることを伝えていて、大きな工事に繋がるわけでもありませんから、”ばっくれたのかな。週明けにでも知り合いの業者に不具合について相談してみるか。”というつもりでいました。

土日を挟んで週明け、もうこの話は無くなった気でいました。ところが、月曜の朝、同じ業者が、

”どうされますか?”
と。

土日とはいえ、調べる時間的余裕を十分作った上で打診してきたわけです。補修を了承しました。実は土日の時点で話が無くなったと思い込まず、もう少し雨押え補修の必要性について調べるべきだったのかもしれません。

当日午後から補修工事に取り掛かることになったのですが、ふと、事前に指摘部分を撮影しておくことを思いつきました。特に深い考えはなく、一体何処がどうなっているんだろう、という思いからでした。

梯子をかけて指摘された辺りを撮影、印刷してみたものの、よく判らないままです。何処に雨漏りの恐れがあって何処をコーキング剤で塞ぐのか...雨押えの裏側は指が入る位空いていても構わないような情報も見かけましたし。

午後になって補修工事を始める段になって、写真を見せながら、業者に尋ねてみました。何処がどうなって何が問題なのかと、実は不要なんじゃないかと。
”放っとくといつか雨漏りします。”
などといった、何だか要領を得ない返事でした。こちらも不要という確信はありませんでしたから、まぁ、そうなのかと、断ることなく補修を進めてもらうことにしました。大した金額ではありませんでしたし。
”補修部分の写真も撮ってきます。”
とコーキング剤を手にした業者が屋根に上がり戻ってきました。十分程度でしょうか。

戻ってきた業者の話を聞いて、疑問が氷解しました。やはりセールスだったわけです。スマホで撮影した補修部分の写真をチラッと見せ、
”他にも割れた部分がありましたので補修しておきました。”
とか、
”屋根材がかなり古くなっているので...”
などと屋根全体の塗装、修理を勧めてきました。断ったのは言うまでもないことなんですが。

下はコーキングで応急補修をしたと称される、雨押えの盛り上がった部分の写真です。


”何だ、コレ?雨漏り予防の応急処置がこれなのか?”

屋根材が割れて雨漏りが生じた場合、補修前に撮影しておいた屋根の写真と照らし合わせるつもりでいます。

手元にある名刺には”創建コーポレーション”と記してありました。

2016年3月29日火曜日

依存

3/25(金)にプロ野球が開幕しました。それ以降ここ数日、世間を騒がせた各球団の賭博、及び金銭授受問題は水を打ったように一切報じられなくなりました。まるで、そんな不祥事などなかったかのようです。

まぁ、高校野球も含めて野球はメディアと強く結びついていますから...大事なコンテンツの一つとして水さすような真似は封じられるのでしょう。NHKも例外ではありません。記者クラブに加盟していない、或いは加盟できない、暴走?、狂犬?”センテンス-スプリング”は一つの例外でしょうか。
都合の悪い記事を掲載した媒体を「出禁」にするNPB、野球報道も情報統制されている
サンケイ、NPBに「出禁」を食らう|野球報道
かつて池上彰氏は、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事に対し、”朝日新聞は謝罪するべきだ”とする批判記事の掲載を拒絶されました。それを受けて、氏はコラムの連載中止を申し出る、といったお返しをしました。

このケースよりえげつないというか、悪質かと思うわけです。力関係の差が大き過ぎます。この辺り池上さんが触れないのは専門外なのか、賢いからなのか...

ウェブ上では早くに、
それでもヤキューは始まるか

プロ野球炎上の陰で面白くなってきた大相撲
といったエントリがアップされたりで例年通りの開幕に批判的な声も少なくありません。相撲界で起きた、やはり賭博に関わる不祥事の対応に倣って、開幕の中止や順延、無観客試合の開催、徹底的な調査で膿を出し切ることこそが優先等、施策が提案されています。

しかしながら、新聞、テレビといった旧来からの、
ズブズブの関係にある伝統的メディアでは全く取り上げられていません。触れることすら憚られるのでしょう。ある種の恫喝でもあり、上述のサンケイの事例は見せしめとも受け取れます。  

じゃ、観る側はどうかといえば、こちらも何だか、目を背けているかに映ります。禁忌扱いになっているのでしょうか。
――人は自分の見たいものしか見ない――
の裏返しなのかもしれません。このように両者に都合のいいように”なかったこと”にして印象が弱められていくわけです。 上手くダメージコントロールしているというか、皆さん大人です。

ここで不思議なのはやはり、何が観る側をそこまで寛容にしているのか、ということです。これまでプロ野球に限らず、贈賄、ドーピング、八百長、賭博といった、大凡スポーツに対して抱くイメージと真逆に位置する様々な不祥事が発覚、或いは疑惑が生まれてきました。現役選手のみならず運営組織も含めての話です。

ざっと思い浮かぶだけで FIFAロシア陸上界角界道界...その度にメディアは大きく報じるわけですが、やがて尻すぼみとなり、いつしか以前と同様の感動を伝える声で埋め尽くされていきます。

これは実は観る側をスポーツ依存に陥らせているんじゃないか、とするのは穿った見方でしょうか。なんだか、初等教育課程で学習した、内政安定のための仏教の利用(鎮護国家)に似たものを感じてしまいます。なにか特定の目的のためにスポーツを利用している、そんな印象すら抱いてしまいます。国威発揚だったり、事業としての利益もそうなんでしょう。

先日、元読売Gの清原が覚醒剤所持容疑で逮捕、保釈され、今後、薬物依存の治療を受けていくと報道されました。併行して、手放しのスポーツ依存からの解放ももう少し論じられてもいいんじゃないか、と思った次第です。エンドルフィン分泌のような生理的な話なのか、スポーツに絡む権益を受容している社会システムに遡る問題かは解りません。もう少し考えてみます。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2015年11月3日火曜日

販促

巷間、横浜傾きマンション問題の話題で持ちきりです。収束の兆しは一向に見られません。

一方、ネット上では密かにステマの疑念が払拭できないノンクレジット(広告主の名前を表記しないこと)広告の話題が、こちらも依然燻り続けています。下記は代表例です。
ベクトル社が名指しステマ記事にホームラン級にアレな反論をして広告業界大困惑の巻
思ったところを少し。

広告は物品、サービスといった商品の販売側が売上を上げるための手段です。ところが、売り手側からの商品の情報提供はしばしば誇大広告になりがちで、商品の価値が底上げされています。様々な媒体に掲載された広告による商品選択、消費活動を通じて、消費者側も売り手側から発信される広告の欺瞞性をなんとなく感じ取っているわけです。

そこで、ウェブ上だけでなくテレビ、ラジオ、雑誌といったあらゆる媒体で、消費者側からの声、いわゆる口コミや、専門家と称されるライターのレビュー、比較記事が重用され、広告としての役割を担わされるようになってきています。

使用者としての評価は購入者の側に立った有用な情報、専門家としての評価は客観的な情報であり、商品選択、購入の判断に大きな影響を与えます。

で、こういった情報の発信者と販売側に何らかの金銭の授受があった場合には、情報の真偽、信頼性如何に関わらず、当該情報にはその旨表示せよ、という話です。

この時、風味、面白さ、洗練、格好といった主観に基づく評価はともかく、計測可能な仕様情報の提供に対してすらそういった扱いが要求されるのだろうか、との思いが去来しました。例えば、長さ、重さ、速さ、時間、温度といった客観評価には恣意性は込められないんじゃないかと...

例えば、上記エントリ中でリンクされている、
【ステマ症候群:拡大版】iPhone商戦の陰で広がるステマ記事発注の舞台裏
では、
記事の書き手は、東京メトロ銀座線の各駅で、NTTドコモ、KDDI、ソフトバンクという通信3社それぞれのiPhone6sの通信速度をアプリで計測。その結果、銀座線の19駅のうち13駅においてau(KDDI)が勝利したと調査結果を掲載している。
とあるのですが、誰が測定しても同じ値となる測定法を採用しているならば問題ないのでは、と思った次第です。広告主であるKDDIでも競合となるドコモ、ソフトバンクのいずれが測定しても測定値の優劣に揺るぎがない、そういった客観的手法で得られた、事実を用いた記事ならばノンクレジットでも容認できるのではないか、ということです。

とは言うものの、理想に過ぎない話でしょうか。昨今の様々な企業不正を鑑みれば、測定値ですらその信憑性に疑問符を付けざるを得ないのが実状です。測定値の改竄、流用(旭化成建材杭打ち問題)、不正ソフトによる規制クリア(VW排ガス不正)などが明らかになっていますから。

不正とは断定されずとも、評価に際し、”当社比”従来比”同クラス内での比較当社測定による、等の枕詞は頻繁に目にします。さすがに、数値で表示される評価で”個人の感想です”といった注釈を見たことはありませんが...

いずれにせよ、企業倫理の問題に行き着く話です。ステマだとか誤認といった欺瞞的な広告以前の不正事件が頻発している現状です。違法ではないノンクレジット広告、ステマを自粛すべきと認識する、そういった誠実さを企業にどこまで期待できるのか、疑念を拭えないでいます。 

2015年10月19日月曜日

学習

漫然と民放、特に民放のBS放送を眺めれば、放送内容はテレビ通販ばかりです。特段珍しくもなく、健康食品絡みの通販がかなりの割合を占めていることにもさほど驚きはしていません。いずれ記すかもしれません。

ただ、先日思ったのですが、やたら流れているような気がします。フライパンの通販が...

よくわからないのですが、世の中、それほどまでにフライパンが欲しがられているのでしょうか?不思議でなりません。

大方のセールスポイントが焦げ付かない、油不要とか、手入れの容易さだったりします。そういった機能を付与するコーティングの耐久性もセールスポイントでしょうか。

で、アマゾンや楽天といった通販サイトのレビューを見ると怨嗟の山が築かれているわけです。
”購入後数ヶ月の使用でこびりつくようになった”
これが代表的なコメントです。であれば、1年2年と経過していくに従い、こびりつくフライパンが幾何級数的に増殖していくのでしょう。重量比にすれば極僅かな、おそらく表面数〜数十μmのコーティング層の劣化、損傷がフライパンとしての機能を死に至らしめ、金属屑、ガラクタの山を築いていくと。

となれば、次のこびりつかないフライパンを探す必要に迫られます。”そういうもんだ”と、消耗品として購入→使用→廃棄の逃れられないサイクルに囚われてしまっていくということです。
料理道具のプロが語る!メーカーが絶対に教えないフライパンの売り文句の真実②
フッ素樹脂加工したフライパンのテスト
フライパンの磨耗テスト
鉄のフライパンを使い続けていて買い換えたことがない側からすれば、一般に、どの程度の耐久期間があれば不満が出ないのか、興味深いところではあります。

併せて、何故そこまで表面加工されたフライパンに拘るのかも不思議でならないわけですが...

2015年10月12日月曜日

狭間

一寸フィクションの読み物について記してみようと思います。

先日、NHKスペシャル「作家 山崎豊子~戦争と人間を見つめて~」の再放送を何気なく眺めていた時のことです。

山崎豊子氏と言えば、
白い巨塔→大学医学部華麗なる一族
 山陽特殊鋼-倒産
 不毛地帯伊藤忠商事-瀬島龍三
大地の子中国残留孤児
沈まぬ太陽→日本航空-御巣鷹山
運命の人外務省-沖縄密約-西山記者
といった作品が思い浮かぶわけですが、同時に、モデルとなった実在の社会的事件、団体は勿論、個人までもが特定できてしまいます。

作者の構想のもとに作られた虚構の話である小説において、実在の事件、人物を題材にすることは読者に現実感を抱かせるには好適な手法です。

事実や史実、及びそれらに対し読者一般が抱いている先入観、そこに嵌合するように人間的魅力にあふれた虚像をはめ込んでいくと。で、虚実入り混じった、何処までが事実かがにわかに判別できないモザイクができてしまうわけです。

こういった手法は特段珍しくもなく、司馬遼太郎氏、松本清張氏始め、著名な数多の作家が創作に取り入れています。城山三郎、清水一行、高杉良、各氏経済小説の分野では至極当然というか欠くべからざる創作スタイルです。

百田尚樹氏海賊とよばれた男 」、「永遠の0」等が最近の該当例でしょうか。

上記作家らの著作について、勿論否定的評価が皆無ではないとしても、その発行部数から、総じて多くの読者からの支持を得ているのだろう、とみています。

ここで、事実を題材として脚色を加えた虚構の創作について云々するつもりは毛頭ありません。それが小説ですから。

ところが一方で、虚構であることが露見したことにより、激しい非難が浴びせられた読み物もあるわけです。

以前のエントリにも記したのですが、それは例えば「一杯のかけそば」であり、江戸しぐさが記載された道徳の教科書(p.58〜59)を含む江戸しぐさ推奨本です。

前者は上記Wikiに顛末が記され、後者については、
更に最近では、ネットワークを介して伝播している、真偽不明のいい話”にも批判的な目が向けられています。

例えば、
【感動注意】黒人が差別された飛行機に、ぼく、偶然乗ってました!
Facebookはバカばかり
またきたコレ・・・いくらでも作れる「いい話」。もう回すなって!!お願い
といった処でしょうか。ちなみに最近見聞したいい話は、
ファストフードの店員がお金の足りなかった男の子に小さな親切、50倍の恩返しが待っていた。
です。真偽はまだ不明です。

興味深いのは、上述全てが虚構であるにも関わらず、小説のについては風当たりが強くない、ということです。プライバシーの侵害、名誉毀損で関係者との訴訟に発展することはあっても、虚構を理由に非難された事例を知りません。

多くの事実を織り込んだ創作であっても、虚構との指摘がなされないということは、読者は端から虚構、フィクションであることを念頭に読み進めているということなんでしょうか。

読者が冷静で創作の世界に踏み込めないでいるのか、入り込ませるだけのリアリティが作品に欠けているということなのか...

「一杯のかけそば」、「江戸しぐさ」は、実話、事実として受け止められた後、捏造であることが発覚、この裏切られ感が怒りや非難の根源となったのかもしれません。そういう意味で、こちらの方が現実感に優っていたとするのが妥当という見方も、素直に首肯できないでいます。

実は、読み物の信憑性に対する読者の先入観が、創作物の虚構、虚偽といった印象を決定しているようにみえ、であるならばそれはそれで釈然としないものを禁じ得ません。では、作品それ自体の力は一体?、ということです。
というブログエントリ中に佐村河内騒動について触れている部分があり、
――涙を流すほど感動していたのに、事実を知ってショックを感じ、白けてしまった――
とのコメントが発覚時に寄せられていたそうです(伝聞の伝聞ですが)。

まぁ、この類の話かもしれません。虚構と虚偽の狭間は、創作物そのものの評価を左右しかねないわけです。

背景や権威といった周囲の環境によって容易に動かされてしまうこの狭間、危うさ、脆さ、曖昧さについてもう少し理解を進めたい処です。

ところで、上記虚構の読み物で、それが捏造であることが判明して以降も、肯定的に捉える声があります。

例えば、「一杯のかけそば」を「涙のファシズム」と批判する見方がある一方で、江戸しぐさについては、特に公教育関係のサイトからは依然として肯定的な姿勢が窺われたりします。
江戸しぐさ 京都しぐさ(京都市)
マナーアップ推進事業(守谷市)
道徳の時間や総合的な学習の時間などの学習で「江戸しぐさ」を取り上げており、礼儀やおもてなしなどにかかわる学習において取り扱う上では、特に問題はないと考えています。(板橋区教育長)
 歴史的事実として教えるものではなく、礼儀やマナーを考えるきっかけになればと作成した文科省)
ネットワーク上に蔓延るいい話についても、
話の「真偽」は、さほど重要では無い。大切なことは、この話から、なにを受け取るのかだ。
といった旨の意見を見聞します。

史実と確認されていない虚構を道徳学習に採用する...真偽は重要でない...手放しで首肯するには抵抗を覚えます。

この部分について思いを巡らせてみると、その行き着く先には権威主義による管理と被管理といった語が朧気に見えてしまいます。

虚構の物語中に描かれた虚像を道徳、倫理、礼儀といった教育に利用する...広義には人格形成にも影響を及ぼしかねないそういった領域に虚像を挿入していくということです。それは言い換えれば、虚像の摺り込みでもあり素直には受け入れ難いものを感じています。

例えば、
故人の意思(真意の確認が困難)
専門家の意見(十分な理解が困難)
民主主義社会におけるみんな(民意)→(実体が不明)
に類した、虚像の一人歩き、極端には暴走の懸念を払拭できない、ということかもしれません。教育でも政治でも、ある意図の下創りだされた、管理側にとって都合のいい虚像、これが知らぬ間に絶対視され周囲に奉られてしまう、その結果醸成される無思慮な”...でなければならない”空気には反感を抱きます。

上述の「一杯のかけそば」捏造騒動における非難には、欺かれたことに対する怒りと共に、そういった虚像に振り回されたことへの反発も含まれていたのではなかったかと。

しかしながらその一方で、先述の著名な作家による小説に対しては、やはり虚構に対する抵抗は大きくないというか、むしろ虚構であるがゆえに受け入れられているとさえ、見受けられます。

そういった作品は、事実を作者の意図で脚色、歪曲した虚構ではなく、作者の意図を伝えるための創作に事実を織り交ぜている、というのがその理由でしょうか。判り難い話です。

文芸について思う処と共に、いずれ機会があれば記してみます。

2015年9月23日水曜日

流出

これ以上貶めてどうしようと...前のエントリに続き愛知の民度が〇〇という機密が流出しています。

この時はブロガーの方が遭遇した話です。
隣のテーブルのクソババア三人組、鰻丼食べ終わったら、バッグから、ごそごそビニール袋をひっぱり出したかと思ったら、なんと、中に梨か林檎が入ってました。
それをテーブルに広げて、平然と、食べ始めました
今度は愛知を中心に飲食店をランク付けしている別の人気ブロガーが、
福島に遷都
中国が攻めてくるわけがないじゃん
日米安保条約なんていらない
遺伝子組み換え食品大量摂取国 日本
世界各国は日本の農作物を輸入禁止に
関東の野菜買ってますか?
食べログ大丈夫?
サーモン怖い
未だに燃料を噴霧し続けているわけです。 そこまで浅薄を露呈するのも如何なものかと...そういった感を禁じ得ません。

幇間は分を自覚して料理の写真を羅列するに留めておいたほうが賢明かと思った次第です。

2015年9月21日月曜日

机上

以前、目にした隣国の国会ハプニング映像とだぶって見えました。安保法案可決時の参院平和安全法制特別委員会です。
参院平和安全法制特別委員会
小学校の学級会だって...これが国権の最高機関で良識の府と称される場なのか。で、ダイビング、専守防衛(?)の拳、セクハラ、羽交い締めといった事態が勃発しているわけです。
なんという皮肉……民主党議員の「暴力行為」が、集団的自衛権の必要性を証明してしまった!
民主主義が体現された一つと捉えるには余りに躊躇します。この生産性の低さはもう少しなんとかならないのでしょうか。

先日から国勢調査が始まりましたが、今回からネット経由での回答が可能になりました。国会の質疑応答もですね、いっそネットの掲示板を活用したらどうかと思ったわけです。
物理的な議事進行妨害の排除
審議日程目一杯で昼夜兼行、不眠不休の討論
不規則発言などと称される野次の排除
多対多の質疑応答が可能
発言者自らが文字起こしすることによる失言の低減
一字一句、句読点に至るまで衆目に晒されることによる、議論の噛みあわなさ、論点のすり替え可視化
等が期待できるのではないかと。野次や物理的妨害に端を発する審議停止のような無駄を排除できるということです。実現に向けての障害は問題は質疑応答の関係者全員に不利益をもたらす恐れがあるといったところでしょうか。

客観的な視座や議論の生産性についての認識が求められますから自らの責務に対する自覚を欠いたままではなかなか難しい話なのかもしれません。

ところで、上述の根本は無駄を排して効率を上げる、といった話です。ただ、一方で、果たしてそこに全く公明な理があるんだろうか、そういった疑いを払拭しきれないでいます。

いずれ機会があれば記します。

2015年6月23日火曜日

希釈

社会は少しづつでも賢くなっているのでしょうか。大仰な話です、はい。

朝、NHKで炒飯をパラッと作る方法について放送しているのを見かけました。大筋はここ十年で幾度となく見聞してきた話です。

若干の追加情報を加えながら定期的と言っていいほど様々なメディアで取り上げられてきました。社会に”パラっとした炒飯の作り方”を定着させるには、今後、どれだけ繰り返し作り方を伝え続ける必要があるのでしょうか。

一つのノウハウというかコツが社会全体に共有されるには時間がかかるなぁと思った次第です。例えば、乳幼児を帯同して列車に乗車、航空機に搭乗する際、親子、或いは周囲の乗客はどう振舞うのが望ましいか、といった公共でのマナーの社会への浸透にも似た話かもしれません。

時には物議を醸しながらも定期的に注目されることで、社会全体としてゆっくりとだが一つの価値観を共有していくと...

まぁ、炒飯の作り方は調べろよ、とは思いますが。調べもせず、工夫もしないまま、”できない”とぼやいていても何ら進展はないわけです。実は、ベタッとした炒飯がそれ程嫌ではないのでは、とすら受け止めてしまいます。

で、こういった情報バラエティ番組では、小ネタや小技を伝えるにあたって三択のクイズ形式を使うことが常套的な手法です。そうでもしないと間が持たない、ということはわかりますが、それは制作側の理屈です。視聴者目線なんでしょうか。

不正解である二つの情報も伝えられ、正解とか、不正解だとか、必要な情報に不要な情報を加えて、冗長的に扱うのも上手いやり方とは思えません。情報が希釈されてしまいます。

類似の番組を制作し繰り返し放送する、といった目論見には適っていますが。

民放化著しい感のあるNHKを例に取れば、テレビについては地上波とBSで4チャンネルの放送波を有しているわけですが、しばしば情報密度の低さを実感します。

再放送、総集編、スピンオフ、予告、番宣、同一題材の複数番組での使い回し...既視感が付いて回ります。

もう少しですね、情報の、量だけでなく、質も含めた密度を上げる一方で、余分な贅肉をそぎ落とせないものかと...

1チャンネルくらい減らせるんじゃないでしょうか。

客筋

少し前にウェブ上のネイティブ広告が色々と物議を醸しました。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す
なぜ日本ではステマやノンクレジット問題がなかなか根絶されないのか
ウェブメディア中にあたかも記事の如く広告を忍ばせ、[PR]、(広告特集)、<ad>といった広告であることを示すクレジットが付記されているとかいないとか、又、広告会社が該クレジット無しの広告について営業活動をしているとか、していないとか...

確かに、広告である旨を明記したほうが好ましいわけですが、目立たない位置に小さく”広告”、”プロモーションと”表示されていてもなぁ、と思った次第です。こちらのリンクに例示されています。
ネイティブ広告を「ステマじゃない」と擁護したり「正しく理解」させようとしたり「定義」したりする前にすべきことがある
クレジットが明確に認識できてこそ広告と捉えることができるのではないでしょうか。見落とし易い表示では後で広告と気付いた時、かえって騙された感が増幅されるのではないかと思う一方、メディア側からは、
”表示がある、見落とすほうが悪い”
と主張できる免罪符になってしまうことを懸念しています。それが狙いかもしれませんが。

こういった広告手法の話題を目にすると、やはりモノが溢れている、供給過多を実感します。必需品は仕様と価格が購入を決定するでしょうから、広告には左右され難いでしょうし、高額品は多面的に調べてからの購入が通常かと思います。

とすれば、それほどの高額品でもなく、緊急性、必要性がそれほど高くもないモノの衝動買いを誘う、これがネイティブ広告の取り扱い対象かと。で、このネイティブ広告が問題になるという状況は、モノ余りの反映ではないか、と捉えています。

しかしながら、一方で、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった既存メディアよりは誠実さを感じると言ったら言い過ぎでしょうか。まぁ、一度地に落ちた評判を取り戻すには相当の労力が必要ですし、早期に好ましくない兆候を摘んでおかないと暴走を止められない、ということかもしれません。
新書の棚に並んでいるから読み物だと思って手に取ったらただのカタログだった、とかって読者ががっかりする行為でしか無いわけです。
上記リンク内にあった文言です。既存メディアはかなりの部分で既にこういった状態に成り下がっているんじゃないかと。

"dancyu"という料理や食材をテーマにした雑誌があります。創刊後まもなく購読を続けてきましたが、十年以上前に止めました。

特段、ネットで代替するようになったという理由ではありません。

その当時で、”盛り過ぎ、下駄履かせ過ぎのカタログ”という印象を抱くようになったことに依るものです。読者の利益になる情報を提供しているのか、という点で疑問符がついたということです。

飲食店の情報掲載は否定しませんが、その記事内容が”盛り過ぎ”で、”掲載料取ってんのか?”と思いました。著名人”○○さんのお取り寄せ”といった特集では通販の宣伝広告が満載です。

特に、盆暮れのギフトシーズンには通常より増ページでギフト通販のカタログかと見紛うばかりでした。その辺りはまぁ、甘受していましたが...

一番のきっかけはですね、この雑誌は誌面の一部に料理の作り方を掲載していたわけです。それもこの雑誌の売りの一つだったかと。ある時、佃煮、甘露煮、一夜干し、西京漬けを作ろうと思い立ち、相当量のバックナンバーから参考となる情報を探そうとしました。ええ、十年分以上です。

見つかったのは....該商品の広告ばかりでした。
”大事な広告主の商品を宣伝して、消費を煽る立場なのに商品の作り方を公開してどうする、広告主に対する背任じゃないか。”
ということなんでしょう。爾来、該雑誌に対する購読意欲も失せたということです。

加えて、記事に対する権威付けも鼻につくように感じ出しました。著名人を起用して、この味が、良さが、本物が判る読者こそさすがと...判らない読者は感性が...といった雰囲気が記事から伝わってきました。

前のエントリで引用した瀬戸内氏の文言にも通底する、選民意識というか優越感を刺激するようなやり口も如何なものだろうか、ということです。

新聞の広告欄に掲載されている映画や書籍の宣伝からも同様の意図が窺えることもあり、そういった場合、いい印象を抱けません。

ここ最近、ラジオについてはよくわかりませんが、テレビの視聴率が冴えない、新聞や雑誌の売上不振といった話を見聞します。その中で既存メディアの凋落は、ネットからの情報への置き換わりが主因である、という見方があります。

ただそれだけではなく、コンテンツの質そのものの劣化、即ち、あからさまなネイティブ広告の氾濫、過剰な演出、実質の伴わない下駄の履かせ過ぎに視聴者や読者が辟易しているのではないかと...

そういったコンテンツの劣化に加え、該コンテンツを告知する宣伝がこれまた盛り過ぎのわけです。

コンテンツの評価はインフレ状態、不振だから数で補う、質は更に低下しハズレが増加、で、評価に値するコンテンツは埋没、こういった悪循環に陥っているのではと推察しています。

ここから抜け出すのもなかなか難しいなぁと。展望はあるのでしょうか。

本エントリに関連して、小説、文芸作品、権利についていずれ思う処を記してみるつもりです。

2015年6月16日火曜日

不正

投げ銭?上納金?貢いだ税金の使途は気にしないということなんでしょうか。

サッカー女子ワールドカップ(W杯)やワールドカップロシア大会への予選の話題でもちきりです。
などなかったかのようにかき消されている、といった印象なんですが。テレビも巨額な放映権料を支払っている以上、水を差したくない、FIFAの神経を逆撫でしたくない、ということかもしれません。
【腐敗の帝国FIFA】W杯南ア大会予選、アンリのハンドも6億2千万円でもみ消し

大会が終わって膿が一気に吹きだすのか、静かに収束していくの興味深いところです。

まぁ、ビジネスですし。ある意味虚業であるスポーツを利用しただから...思うようにビジネスを牛耳ることができない米国の意趣返し、といった感も否めないわけではありません。

ここまであからさまではないとしても、日本の野球、スケート、柔道、相撲といった各協会にも通底するものを感じています。

日本がAIIBアジアインフラ投資銀行)に参加しなかったのは、おそらくこういった不透明さによるものと推察しています。

しかしながら、FIFA、AIIB共にその加盟国の多さを鑑みると、不透明さというか、モラルハザードは、実は国際的にはある程度容認されているのかもしれません。”どこが悪いの?”ということです。

権威に傅き利権の分け前に与る、これがグローバルスタンダードというものなんでしょうか。

2015年6月7日日曜日

漫画(3)

前のエントリに続けます。

類似した話は枚挙に暇がありません。折よく、
[江川達也]<漫画「日露戦争物語」の真相 (2)>明治元年・松山生まれの秋山真之が主人公では「日露戦争」は描けない
[江川達也]<漫画「日露戦争物語」の真相 (3)>司馬遼太郎財団からきた苦情が漫画の方針を変節させた
といったエントリがありました。同じく漫画の例です。 「日露戦争物語」....面白くありませんでした。知らず知らずの内に連載中止になったか、雑誌の購読を止めたかです。とにかく、連載の途中から読み飛ばしていましたから。

それはさておき、少年誌、特に該漫画を掲載した雑誌では、
 因果関係を語る歴史漫画を日本の漫画読者が求めていないのでそういう漫画は描かれず、勝利や友情や戦争の高揚感勝利感という下らない(史実分析にとって)快楽を描いた歴史漫画が描かれるという現実は続くのである。
当時、連載されていた作品がどの程度事実に基づき、客観性があったか否かは存じません。ただ、友情・努力・勝利といった人気を博すための処方箋があったわけです。

連載中、作者、或いは編集者が、史実を利用した友情・努力・勝利といった価値観の、読者への植え付けを意図していたとみています。該目的に対し、場合によっては史実のデフォルメすら当然あったかと...ある時点で作品は処方箋から逸脱し始めたようですが。

加えて、ネットワーク内を賑わせる、虚構の”いい話”、”感動する話”についても、
Facebookはバカばかり
やっぱりFacebookはアホばかり
といったエントリがあり、こちらは、
またきたコレ・・・いくらでも作れる「いい話」。もう回すなって!!お願い
によれば、 
デマのいい話の作り方のポイント
1 差別意識がけしからんというオチを用意する
2 スタッフが最初に差別者の味方をするように見える
3 ところが・・ということで落とす。
といった処方箋に基づく話です。

少し話が逸れますが、こういった虚構の”いい話”、”感動する話”に対し、

”つくり話でもいい(感動できれば)”
といった 声があるようで驚いています。事実だからこそ感動できるのでは、と考えますから。感動に伴う脳内物質でも欲しているのでしょうか。

まぁ、”この話は架空ですが...”と始まる”いい話”と、”いい話”の後で”この話は架空です。”と明らかにされる場合で、同じように感動できる方なら話は別です。

かつて、実話という触れ込みで日本中で話題となった、
一杯のかけそば栗良平
という童話がありました。この話は後に虚構であることが判明し、作者の不祥事も相俟ってブームは収束しました。

インターネットが未だ黎明期の頃の話です。”つくり話でもいい”とされている方々が、背景とその後の経緯を踏まえた上で、”一杯のかけそば”を読んで感動できるのか、 興味のある処です。

又、こういった話になると、
”いやなら読まなければいい”
という声が湧き上がってくることも想定できます。ブログに寄せられた心ないコメントに対する応えとしてしばしば目にします。

これについて言及するのは別の機会に譲りますが、この考えに与するつもりはありません



話を戻します。

科学的事実、史実といった客観性の強い情報を場合によっては都合良く編集加工して利用する。
料理の美味しさに代表される、客観的評価が難しく主観に頼らざるを得ない指標については、権威を擁立し、その声の大きさに基づく価値体系(序列化するための座標軸)を構築する。
こういった手法を駆使した印象操作がされ得ることに危うさを抱いています。漫画の場合については、実は作者や編集者すら意識していない、無作為の摺り込みも起きているのではないかと思っています。好評を得るための処方箋が結果として特定意図への誘導に結びついてしまうということです。

例えば、前出の”インベスターZ”では、学生が大学卒業後、成功の姿、目指す方向として起業や投資の成功が示されており、企業など組織に属して禄を食む姿勢は否定的に描かれています。

で、独善的な価値観の当て嵌めかと、素直に首肯できず違和感を抱くわけです。市場原理主義の正当性を絶対とし、これを前提に、自らの能力や可能性を経済的価値に置き換え、その極大化を図るべき、ということなんでしょう。

市場原理主義や自己の換金極大化の正当性について描かれないまま、二者択一の形で選択を迫るのも如何なものかということです。

利益至上主義というか拝金主義のみを行動原理として認めていて、他の選択を排除しているかに見受けられます。

知的探求心や社会貢献を行動原理の主軸とする考え方も決して否定されるべきではないはずです。ウィリアム・ショックレーとゴードン・ムーア、リーナス・トーバルズとビル・ゲイツ及びスティーブ・ジョブズは同列に称賛されて当然です。素粒子物理学の小柴、小林、益川、といった方々は起業とは無縁です。

また、例えば宇宙や海洋資源開発、国産旅客機や核融合炉の実用化といった巨大なプロジェクトには組織に属さない限り携われません。

そういった自らの能力や可能性を経済的収支のみで片付けることができない、市場原理の枠内に留まらない部分を蔑ろにすべきではないと考えます。二項対立的な表現ではこの部分は埋没してしまいます。


斯様な価値観の当て嵌めは漫画に限られた話ではなく、ネットワークメディア、新聞、雑誌、文芸作品、テレビ、ラジオ等、媒体に依らず通底したものであることは承知しています。

本質的には、
操作-被操作の戦場としてのインターネット、コミュニケーション
で記されているように、
コミュニケーションの対象が自分にとって都合が良い行動をとってくれるよう、モチベーションや欲求を修正しようとする不断の試みが含まれている。
ことには相違ありません。

ただ、漫画には特有の、より強い影響を懸念しています。それ以前に元々漫画の公正中立は望むべくもないことは明らかなんですが...建前であったとしても社会の木鐸、公正中立を標榜する新聞、テレビですらあの有様です。

漫画はその内容の客観性や信頼性、事実性に疑義が生じるのは当然です。漫画ですから。

新聞世論の形成、印象操作を目的とした場合であっても、おそらく事実の編集までに留まっているかと。誤報や捏造報道に対しては厳しい目が向けられ撤回や謝罪を求められます。最近では朝日新聞による従軍慰安婦報道の撤回、謝罪が記憶に新しい例でしょうか。遅きに失していたわけですが...

一方、漫画は、人気獲得(=売上増加)が主たる目的でしょうが、例え事実の歪曲があったとしても容認されるのが、社会の大方の共通認識ではないでしょうか。で、創作物と言う理由が虚構、虚偽に対する抵抗を緩和し、批判や反発を起こり難くしています。

元々、客観性や真実性が求められているわけでもなく、あたかも事実であるかの如く虚構を流布したからといって、咎められることはありません。例外は性的な表現、モデルとなった当事者からの名誉毀損による訴訟程度でしょうか。
雑誌編集倫理綱領
といったガイドラインはあるようですが、とても遵守されているとは思えません。審査機能もないようです。最初の項に”言論・報道の自由”が掲げられていますから、続く”人権と名誉の尊重”、法の尊重”、社会風俗”、品位”は体裁を整えるための項目に過ぎないのかもしれません。

唯一と言っていい掲載基準は人気です。人気を一定程度獲得した漫画でありさえすれば、物議を醸す内容であっても”言論・報道の自由”に守らせることができてしまいます。

勿論、”人気”が重視されるべき指標の一つであることは否定しません。前のエントリでも触れましたが、漫画は理解させることに力点を置いています。理解されなければ支持されないのは当然ですから。そのために、表現力、描写力、話の筋立てを工夫して読者に現実感を抱かると共に、優しく向き合うわけです。

読者側も好んで漫画を読むわけですから、理解しよう受け入れようといった姿勢で互いに向き合います。その距離感は読者-新聞間の場合より近いのではないでしょうか。で、この漫画に対する読者の親近感が、共感や思い入れを生み出す根源ではないかと思っています。

こういった読者と漫画の関係がある下で、作者、或いは編集者が特定の意図を刷り込む目的で漫画を利用すれば、それは極めて効果的なツールになり得ます。

漫画は作者の主観、価値観を読者に伝えるメディアですから、例え上記意図の刷り込みを意識していたか否かに拘らず同じ結果に向かうことになりますが。

政治的、社会的な関心事について、予備知識なくそういった問題に関する漫画を目にした時、その内容、主張が正当なものとして予断を抱かせることにならないか、そういった恐れを危惧した次第です。

登場人物の台詞に意図が忍ばされ、あくまで作品の世界観において論理的、尤もらしい事実として読者に固定観念が植え付けられてしまうのも好ましいことではありません。

”美味しんぼ”の原発事故に関する描写や”はだしのゲン”はその典型です。かつてより政治的、社会的問題を題材とした漫画が増加していると感じる現在、思想的落とし穴に陥る危険性も高まっているのではないでしょうか。

難しい話で、相反する部分があるのも確かですが、思想信条、表現、言論の自由が侵されるべきではないことは承知しています。

ただ、それを嵩に野放図に漫画をツールとした印象操作、誘導、思想教育が蔓延ることには強い反発を覚えます。表現の自由を理由にそういった部分の考察、議論が封印されているのではないか、時折物議が醸されるものの沈静化してそれまで、といった場合が多いように見受けられます。

頸木なく創作の自由を謳歌してきた作者や編集者には不都合かもしれませんが、表現の自由に対する盲目的な信奉について議論の深化を望みます。

2015年5月23日土曜日

想定

ドローンの自律機能に習って、もう少し自律できないものかと思います。

ドローンに纏わる報道が世間を賑わしています。その中で、
三社祭でドローン予告、15歳逮捕 威力業務妨害の疑い
少年は今月1日に京都市の東本願寺付近、3日に兵庫県姫路市の姫路城付近でドローンを飛ばし、「人混みで落下すると危ない」と警察から注意され、9日には長野市の善光寺で、法要行列の間に落下したドローンを操縦していたとして長野県警に指導されていた。また、国会近くなどで再三ドローンを飛ばそうとする様子をインターネットで配信。警視庁が少年を保護し、注意していた。
が耳目を集め、更に、
ドローン:善光寺や姫路城…15歳少年、支援金で賄う?
ドローン逮捕少年を「支援」 25万円提供の男性が出頭
 といった話に発展しています。少年の動画配信を促し、経済的支援をする人物がいたと。

リテラシー、倫理、道徳、未成年、情報技術、過信、立法化、不当逮捕、教育、規制と緩和、バカの可視化、煽動、メディア、無人、及び自動操縦技術といった様々なキーワードが連想されました。思ったところを記してみます。



まず、”少年”、”未成年”といった部分は切り離しても構わないと考えます。メディアが衆目を集める枕詞かと...バカはどこにでも、あらゆる年齢層にいるわけで、本件が偶々少年によって引き起こされたに過ぎない、ということです。

これまでもツイッターに代表されるSNSでバカが可視化されてきました。少年でなくても、
USJで迷惑行為を繰り返した大学生ってどんな人?
といった事例もあります。最近では、自称ネットアイドルが、都内の交番で踊ったり、 20代の男が金銭を請う物ごい行為の動画が投稿されたりしています。

この可視化は情報技術の発達に依るものですが、生産や、制御技術の普及、パーソナル化に伴って、バカがネットワーク内に収まりきらず、現実社会に漏れ出つつあるというわけです。
3Dプリンター銃製造事件
を鑑みれば、本件に未成年であることによる特異性は見出せません。

こういった騒動を引き起こす共通した原動力は自己顕示欲、承認欲求から発せられている、といった推測には概ね異論はありません。そういった力を抑制、制御できない思慮分別の無さは未成年であるが故ではない、ということです。

保護者の監護下にあって、それまで僅かな失敗経験しか持ち合わせていない年少者の場合、自らの行為の及ぼす結果を想定する力が不十分かもしれません。その結果、衝動に対し弱い抑制力しか働かず、バカが可視化されがちになる、ということも考えられますが、本質的には想定力の程度に依るのではないでしょうか。この力は必ずしも年齢のみに相関するものではないとみています。



本件で、少年であるが故という部分があるとするならば、それは自らの置かれた状況から来る疎外感ではないだろうか、と想像します。

家庭、学校、地域、社会といった集団の中で、ヒトは成長とともに徐々に馴染んでいくだろうと...言い換えれば、コミュニケーションを通じて相互に折り合い、迎合し合う能力を身に着けていくだろうということです。

穿った見方と承知していますが、
何らかの原因で集団に溶け込めず、退学と不登校、家庭内に引きこもる。
で、家族からも疎外感を抱き、自分の身の置き場を確保しようと自立を図る。
とは言っても、職業経験のない少年が糧を得る手段などそうそうなく、動画投稿による収入程度しか思いつかなかった。
動画投稿という手段の選択も、それで糧が得られるという発想も安易というか浅知恵ですが、頼らざるを得なかったのでしょう。自分のアイディアを動画にして投稿すれば稼げる、稼がなければならないと...

リアルな社会で、集団におもねらず、馴染めなかった少年は、バーチャルな空間を通じたネットワークの向こう側にいる支援者に媚を売り、且つ煽られて行動がエスカレートしていったのではないでしょうか。

この歯止めの効かない仕組には悲壮感にも似た印象を抱かせます。

 こういった事態を招かない、或いは、回避するための方策について、様々な方々が各々の立場から提案されています。

ドローン操縦の免許制、購入時の登録制導入だったり飛行区域についての規制等、ドローンに関する規制に加え、

ドローン絡みで世の中がゴタゴタしているようです
ネット事業者は未成年の将来を台無しにしていることを自覚した方がいい
動画共有サイトを通じて支援者となった大人(囲い)の対応を問うたり未成年による該サイトの利用に対する機能制限を求めたりされています。

”総合的な学習の時間”での情報リテラシー教育、道徳教育、キャリヤ教育に結びつけた話に広がっていたりもしているようです。


ドローン少年事件から、既存のキャリア教育が危ういと感じた件
では、これらの提案を実現することはできるのか、或いは実行されていたならば、本事態は回避し得たのでしょうか。同じ愚が繰り返されないための方策という点からも、効果を考えてみると、なかなか難しいのではないだろうか、というのが率直な印象です。

件の少年は難関中学に入学後不登校になっています。その後地元公立中学に転校、卒業しています。仮に学校にリテラシ教育に関する適切なカリキュラムが用意してあったとしても身についていたとは思えません。

勿論、道徳教育も含めて用意されているカリキュラムが適切とも思っていませんが...

支援者となった大人(囲い)の対応に期待するのも、風俗店で来店客が風俗嬢に注意、忠告するようなもので効果は期待できないとみています。

未成年に対する動画共有サイトの機能制限は確かに効果的かもしれません。収入の道を閉ざすわけですから。ただ、コンプガチャを規制する以上に法的根拠に乏しいような気がします。ユーザー間の投げ銭行為を規制できるのでしょうか。

更に、ドローンの飛行規制と併せて対症療法のように思えます。本件と同じ場合なら即効性はあるかもしれませんが、
IT絡みでバカが何かしでかして騒動を起こす
ことに対する根治には繋がらないということです。

以前のエントリで
乙武洋匡氏の入店拒否騒動”やSNSによるバカの可視化”について触れていますが、本件にも共通したもの感じています。それは、
リスクを想定する力の欠如
に他なりません。自らの行為が引き起こすかもしれない危険、事故、炎上、騒動といった負の事態を想定できないということです。

想定力は本来ITとは無関係です。その一方で、SNSに代表されるITによって自らの行為に関する情報が瞬時、可逆的に拡散する現在、以前にも増してリスクを想定する力が不可欠になっていると考えます。

本ドローン騒動で言えば、事の善悪はともかく、墜落や傷害事故の可能性とその危険性を想定できれば、自重、若しくは操作の習熟も含めた周到な準備に思いが及ぶかと。

従来からある、ラジコンのヘリコプタや飛行機ををどこで飛ばすか、との問には落ちても危険のない処という答えは当然のように出てきます。ドローンは特別だったのでしょうか。

おそらくここに技術に対する過信があったのかもしれません。最新の技術が盛り込まれた、自律的な姿勢制御を行う飛行体...落ちるわけがない、落とすわけがないと...

思い込みが激しく、稼ぐ必要に追い込まれている15才の少年なら、物事を全ていいように解釈していても不思議ではありません。

世界に誇る技術力と自負し、日本の優秀な研究者、技術者を含む産官学が一体となって推進してきた、原子力発電ですら、安全神話に囚われ、絶対安全と思い込んだ結果があの有様ですから....
  • 信号無視
  • 指定場所における一時不停止
  • スマホを操作しながらの運転、
等は危険行為に該当することになります。こういった行為による交通事故が耐えないことが規制強化繋がったようです。これもリスクを想定しない、できない好例です。で、規制に頼らざるを得ないと...

斯様にリスクを完全に想定するということはなかなか難しいわけですが、私達の判断、考察、言動を決定する礎の一つです。であるが故に教育の分野でもう少し目が向けられてもいいのではないでしょうか。

電子教科書、IT、道徳、リテラシー、グローバル化等の流行りに乗じたカリキュラムを課す以前の話です。与えられた事実、条件、材料、状況といった既知の情報を基に、そこから何が有り得るか、起こり得るかを想定する力を涵養する、そういった教育こそが全てに先んじられるべきと考えます。

2015年5月22日金曜日

催眠

先日、夕方のニュース番組で知りました。
「催眠療法で必ず病気治る」 誇大広告にあたるとして83歳男逮捕
昨年一年で145万円程を得ていたと...荒稼ぎなんでしょうか。

で、続いて"お中元商戦が本格スタート"のニュース。こっちの方が情報操作と扇動、同調圧力の催眠商法で荒稼ぎなんじゃ...

そんな思いがふと頭を過った次第です。

2015年5月9日土曜日

漫画(2)

前のエントリに引き続き”漫画”というメディアの怪しさについて記します。


単行本の購読を止めて十年以上経つでしょうか。理由は単純です。掲載されている料理を実際に作ってみて、

心が動かされなかった
に尽きます。かなり以前に気づいていましたが、惰性で購読を続けていました。”遅きに失している”と指摘されればその通りです。

同じ頃、料理雑誌”dancyu”も同じ理由で購読を止めましたが、該雑誌は漫画ではないので触れません。いずれ機会があれば...

食物の風味、美味しさは改めて言うまでもなく主観性の強い感覚です。 評価という語でこの感覚を置換し、優劣を騙って序列化することで、美味しさの価値体系を構築するわけです。

そういった手法は珍しくも何でもなく、マーケティングやセールスプロモーションといった類の常套手段です。 漫画に限らず、食べログ、飲食をテーマとしたブログ、雑誌、新聞、テレビ、ラジオのコマーシャル、ステルス的な情報コンテンツ(番組、記事)といった全てのメディアで多用されています。対象も食材、料理に限定されず、文芸、絵画、音楽、衣料、情報機器、家電、自動車、及び、それらの付帯サービス、接客等、評価に主観的要素を少なからず含む、有形、無形を問わず極めて多くの消費者向け商品に使用されている、と捉えています。健康食品なぞはあからさまかと思います。

話が拡がり過ぎました。で、美味しさという主観に基づく評価指標は、当然、座標軸がぶれます。主観に依拠するわけですから。そのため、無理矢理点数表示したりもしますが、数値の根拠は全く不透明です。

料理の美味しさを点数評価しているウェブサイトは枚挙に暇がありません。ただ、当たり前のことですが、点数評価について、たとえ運営者自身の主観的な座標軸であったとしても、それを閲覧者に向かって丁寧に説明し、認識、価値観を共有しようとするサイトは皆無です。

”美味しんぼ”では、海原雄山という権威を頂点に、味覚に関する”尤もらしい”主観的な価値体系が構築されています。話の多くは、この価値体系に、例えば、経済性、生産性、効率性といった美味しさ以外の指標を座標軸とした価値感を持つ人物が放り込まれるものです。

当然、衝突が起こりますが、最後には料理が該人物を改心?教育?洗脳?屈服?せしめると...価値観の異なる人物を海原雄山の価値体系に取り込むことによる秩序の維持が共通の大筋でしょうか。

作品中では、しばしば主人公山岡、或いは海原雄山の反骨心から、料理を手段として権力や権威を糾す形をとっていますが、コップの中の争いです。所詮、座標軸の異なる価値体系が衝突しているに過ぎません。

多様な価値体系がある中で、こういった部分に、料理とその風味を座標軸とする体系があたかも絶対であるかの如く持ち上げようとする意図を感じてしまいます。ステレオタイプを生み出す、価値観に対する優劣意識の植え付けではないだろうか、ということです。

質が悪いことに、通俗的、若しくは無意識に受け入れている、仁-義-礼-孝-忠といった倫理観、例えば、勧善懲悪だったり長幼の序をテーマに料理を織り込んで話が構成されているわけです。他のテーマとしては反戦、平等、人権、民主主義に環境保護、反科学文明、手作り礼賛、天然志向といったところでしょうか。

恰も、テレビドラマ”水戸黄門”に似た構図かと。印籠の作用を料理に担わせているわけです。

好むと好まざるに関わらず、私達の深層部分にいつしか染み込んでいる通俗的な倫理意識、これに異を唱えるには注意を要し、油断すればつい首肯してしまいます。

料理とその風味を介した、そういった価値観の植え付け、印象操作の意図を”美味しんぼ”に感じる次第です。

”ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体”   (適菜 収)
に記されている人気ラーメン店の作り方、
これは飲食の分野に於いても然りで、適菜曰く――「豚骨、鶏ガラ、魚介、30種の野菜を三日間煮込んでスープをつくりました」という鍋に水と材料をいれただけの闇市の煮込み屋のようなラーメン――でも、「これが私の作品」だの「門外不出」「拘りの」「秘伝の」などと「B層」の琴線に触れる言葉を並べさえすれば、彼らは誘蛾灯におびき寄せられる蛾のように群がり、ごった煮のラーメン屋は「知る人ぞ知る」「行列ができる」「ほんとは教えたくない」「隠れた名店」になっていくというのである。

(引用はルキウスさんのエントリから)
と相通ずるものがあります。

”美味しんぼ”も上記意図の下、
そういった処方箋を利用して話が製造されているように思えてなりません




(続)

2015年5月5日火曜日

漫画

以前、松江市で、漫画”はだしのゲン”の閲覧制限について騒ぎがありました。ことさら、蒸し返す意図はありません。

その後も、例えば、”美味しんぼ”が、”東日本大震災・福島第一原発事故に関する記述”を巡って物議を醸しました。

漫画のその描写内容についての真偽、信憑性、印象操作、偏向に纏わる批判が時折巻き起こります。

これら社会的に耳目を集めた事例も含め、”漫画”というメディアの怪しさについて思うところを記してみます。

上述の二作品に例示されるように、描写内容の真偽を裏付ける客観的根拠は乏しいわけです。それはそれで、”漫画だから”という理由で許容されてきた部分もあるのでしょう。

一方、作者に代表されるメディア側の立場からすれば、高評価を得たい、人気を博したい、売りたいといった思惑の下、作品の世界に引き込むためにリアリティを高めることが一つ手法であるのは明らかです。

漫画は創作、フィクションですが、虚構の言い換えでもあります。そこに、現実感を高めるため事実や科学的知見、実在の人物を織り交ぜ、全体が恰も事実であるかの如く印象付けると...

”実は事実ではない話”を、演出と既知の事実を組み合わせて新たな事実に仕立て上げていく、ということです。

まぁ、漫画に限らず、テレビ、新聞、週刊誌、ネットの情報等、あらゆるメディアで採られているであろう手法です。事実と公言して虚偽を流布するメディア、虚偽捏造の発覚など都合が悪くなった際、”フィクションですから”といった逃げ道を持っているメディア、どちらが誠実なのかよく判りません。

ただ、後者である漫画は読者に対して(易)しげな姿勢で近寄ってきます。とにかく、内容、意図を理解させ、惹きつけることを最優先にしているということです。勿論、漫画ですから内容の信憑性より重視されるでしょうし、又、その技法に長けているはずです。

読者側も理解できなければ、つまらなければ読みません。それで事は済んでしまいます。漫画は、その内容が読者に肯定的に受け入れられ、批判的な目には晒され難い特性があるのでは、と思っています。
印象操作、物騒な表現として洗脳の目的には、テレビと並んで好適なツールです。

一方、漫画の一語で括るにはその内容は多様であり、読者として想定される年齢層といった属性も相応して広きにわたっています。ただ、総じて少年〜青年あたりが主となる読者層ではないかと...憶測です。

おそらく知的好奇心が強いであろう、そういった若年層向けに社会、政治、倫理、思想についての、場合によっては宗教的メッセージを易しい表現で理解させるわけです。知的欲求への心地よい刺激は、価値観の摺り込みを行う格好の手段として利用される危うさを否めません。砂地に水が染み込むように...

漫画の全てにそういった意図が込められているわけではないでしょうが、全ての漫画に潜み得る恐れを排除できません。

勿論、知を獲得するという行為は決して阻まれるべきではありません。ただそこから更に、得た知見と無批判に向き合うことなく、何を考察し、どう判断するかこそが肝要でしょう。

ルキウスさんのエントリきっかけ一つとして、そういった視点で立ち止まってみました。漫画は果たして知の供給源としてその任に適しているだろうか、その責を負えるだろうか、ということです。


この問に肯定的姿勢で抵抗なく応えることは難しく、この時、払拭できない漫画の危うさを気づかされました。

少し例を挙げます。直ぐに思い浮かぶのは”インベスターZ”(モーニング,講談社)”美味しんぼ”(ビッグコミックスピリッツ,小学館)といったところでしょうか。島耕作シリーズ(モーニング,講談社)も旬の社会、政治的話題が頻繁にツマミ食いされていて、違和感を持つことがあります。


インベスターZ

投資(?)、投機(?)をテーマにしています。投資の入門漫画といったポジションを目指しているのでしょうか。小編毎に株式、FX、運用、成功、就活、起業といったキーワードに符合する話が進んでいきます。時には、実在の人物、起業家がストーリー中に織り込まれたりもします。

先日、
ウェブにおけるタイアップとステマ風ネイティブアドの境界線|やまもといちろうコラム
ネイティブアドのガイドラインが機能してくれないと、間違いなくネットの記事を一つも信じられなくなる未来が来てしまう件について
といった記事を拝読した際、媒体は違えどこの漫画もネイティブアドの一つかも、といった思いが頭を過ぎりました。”提灯点けてのか?”ということです。広告を意図したものか否かは存じません。

上記記事の一つはFX取引事業をグループ内に有するDMM.comのニュースに掲載されていたんですが...

今、FXをテーマに話進行中です。よくある失敗(損失)と成功の例、奇をてらうことを意図した小ネタ尤もらしい理由、格言、リスクとその限定策を織り込みつつ物語が展開していきます。まぁ、入門漫画の役割を担いつつ、読者の勧誘でも目論んでいるのだろうか、といった印象です。

おそらく、先日のスイスフランショックには触れることはないでしょう。話が深入りし過ぎてしまいますし、こんな危ない話は封印、封印と...

加えて教示役となる先輩、起業家といった登場人物の断定的な口調で話が進んでいきます。経験不足の人物がとった行動は(たとえ好結果だったとしても)全否定され、意表をつくような理由と、尤もらしい本来為すべき行動が唯一無二の如く示されていくわけです。
”いや、ま、いいんですけどね...漫画ですから。”
素直にこれを受け止めることができません。抵抗を感じます。もたもた記していた所、折よく、
マンガ「憲法改正ってなあに?」PDF
が物議を醸しています。
安倍首相の指示で作られた「改憲推進マンガ」がデタラメだらけであることが判明
両者の内容の真否、是非についてはさておきます。いずれ記すかもしれません。

上記漫画は典型ですが、まぁ、そういうことです。

ここまで極端であからさまであれば、意図がわかりやすく、反射的に身構えることができます。ある意味、その潔い、包み隠さない姿勢にかえって支持を集めてしまうかもしれません。それはそれでよろしくないなぁ、とは思います。

より懸念されるのは、そういった意図が、例えば、島耕作シリーズのような多くの読者を有する人気漫画に潜ませられることです。

読者に(易)しく、解りやすく近寄ってこられると...サブリミナル、フレーミング、アンカリングといった語が適当ではないとしても、先入観を利用した印象操作的な行為が可能になってしまわないでしょうか。

まぁ、”美味しんぼ”に改憲推進の意図が織り込まれることはないでしょうが...

政治、経済、社会的関心事をテーマとした漫画に目を通せば、その真偽、確度は勿論ですが、中立性、公正性、正当性、倫理性の点で、疑念を抱かざるを得ない事例には事欠きません。


(続)