2015年6月23日火曜日

客筋

少し前にウェブ上のネイティブ広告が色々と物議を醸しました。
男・徳力基彦、ネイティブ広告の時代の勘違い野郎共に物申す
なぜ日本ではステマやノンクレジット問題がなかなか根絶されないのか
ウェブメディア中にあたかも記事の如く広告を忍ばせ、[PR]、(広告特集)、<ad>といった広告であることを示すクレジットが付記されているとかいないとか、又、広告会社が該クレジット無しの広告について営業活動をしているとか、していないとか...

確かに、広告である旨を明記したほうが好ましいわけですが、目立たない位置に小さく”広告”、”プロモーションと”表示されていてもなぁ、と思った次第です。こちらのリンクに例示されています。
ネイティブ広告を「ステマじゃない」と擁護したり「正しく理解」させようとしたり「定義」したりする前にすべきことがある
クレジットが明確に認識できてこそ広告と捉えることができるのではないでしょうか。見落とし易い表示では後で広告と気付いた時、かえって騙された感が増幅されるのではないかと思う一方、メディア側からは、
”表示がある、見落とすほうが悪い”
と主張できる免罪符になってしまうことを懸念しています。それが狙いかもしれませんが。

こういった広告手法の話題を目にすると、やはりモノが溢れている、供給過多を実感します。必需品は仕様と価格が購入を決定するでしょうから、広告には左右され難いでしょうし、高額品は多面的に調べてからの購入が通常かと思います。

とすれば、それほどの高額品でもなく、緊急性、必要性がそれほど高くもないモノの衝動買いを誘う、これがネイティブ広告の取り扱い対象かと。で、このネイティブ広告が問題になるという状況は、モノ余りの反映ではないか、と捉えています。

しかしながら、一方で、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌といった既存メディアよりは誠実さを感じると言ったら言い過ぎでしょうか。まぁ、一度地に落ちた評判を取り戻すには相当の労力が必要ですし、早期に好ましくない兆候を摘んでおかないと暴走を止められない、ということかもしれません。
新書の棚に並んでいるから読み物だと思って手に取ったらただのカタログだった、とかって読者ががっかりする行為でしか無いわけです。
上記リンク内にあった文言です。既存メディアはかなりの部分で既にこういった状態に成り下がっているんじゃないかと。

"dancyu"という料理や食材をテーマにした雑誌があります。創刊後まもなく購読を続けてきましたが、十年以上前に止めました。

特段、ネットで代替するようになったという理由ではありません。

その当時で、”盛り過ぎ、下駄履かせ過ぎのカタログ”という印象を抱くようになったことに依るものです。読者の利益になる情報を提供しているのか、という点で疑問符がついたということです。

飲食店の情報掲載は否定しませんが、その記事内容が”盛り過ぎ”で、”掲載料取ってんのか?”と思いました。著名人”○○さんのお取り寄せ”といった特集では通販の宣伝広告が満載です。

特に、盆暮れのギフトシーズンには通常より増ページでギフト通販のカタログかと見紛うばかりでした。その辺りはまぁ、甘受していましたが...

一番のきっかけはですね、この雑誌は誌面の一部に料理の作り方を掲載していたわけです。それもこの雑誌の売りの一つだったかと。ある時、佃煮、甘露煮、一夜干し、西京漬けを作ろうと思い立ち、相当量のバックナンバーから参考となる情報を探そうとしました。ええ、十年分以上です。

見つかったのは....該商品の広告ばかりでした。
”大事な広告主の商品を宣伝して、消費を煽る立場なのに商品の作り方を公開してどうする、広告主に対する背任じゃないか。”
ということなんでしょう。爾来、該雑誌に対する購読意欲も失せたということです。

加えて、記事に対する権威付けも鼻につくように感じ出しました。著名人を起用して、この味が、良さが、本物が判る読者こそさすがと...判らない読者は感性が...といった雰囲気が記事から伝わってきました。

前のエントリで引用した瀬戸内氏の文言にも通底する、選民意識というか優越感を刺激するようなやり口も如何なものだろうか、ということです。

新聞の広告欄に掲載されている映画や書籍の宣伝からも同様の意図が窺えることもあり、そういった場合、いい印象を抱けません。

ここ最近、ラジオについてはよくわかりませんが、テレビの視聴率が冴えない、新聞や雑誌の売上不振といった話を見聞します。その中で既存メディアの凋落は、ネットからの情報への置き換わりが主因である、という見方があります。

ただそれだけではなく、コンテンツの質そのものの劣化、即ち、あからさまなネイティブ広告の氾濫、過剰な演出、実質の伴わない下駄の履かせ過ぎに視聴者や読者が辟易しているのではないかと...

そういったコンテンツの劣化に加え、該コンテンツを告知する宣伝がこれまた盛り過ぎのわけです。

コンテンツの評価はインフレ状態、不振だから数で補う、質は更に低下しハズレが増加、で、評価に値するコンテンツは埋没、こういった悪循環に陥っているのではと推察しています。

ここから抜け出すのもなかなか難しいなぁと。展望はあるのでしょうか。

本エントリに関連して、小説、文芸作品、権利についていずれ思う処を記してみるつもりです。

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