2016年4月14日木曜日

品格

おそらく、社会の礎の一つであってほしいと望まれている、ノブレス・オブリージュ的な概念に反しているからこそ批判を呼んでいると考えます。
パナマ文書
未だ小さな騒動です。ボヤ程度で収束することなく、拡大、延焼していくことを願って止みません。

日本からも共同通信と朝日新聞が参加している国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)で解明が進められているようです。 5月初めに公開とのこと。
ICIJ will release the full list of companies and people linked to them in early May.
みなさまのNHKは文書の解明に関与しないのでしょうか。受信料に依って立つ、NHKこそ積極的姿勢を示すべきではないかと考えます。企業の意向が調査、報道の柵となる恐れはないはずです。あるとすればNHKの関係団体、役員や経営委員会委員の出身企業がリストに挙がっている場合位でしょうか。

既に、リストに記載されていることが判明した結果、批判に晒され辞任に追い込まれた各国為政者、政府要人も現れています。いわゆる民主主義国家に限っての話かもしれませんが。
アイスランド首相辞任 「パナマ文書」暴露のオフショア会社で
スペイン産業相が辞任 パナマ文書に絡む疑惑で
州立銀トップが辞任=「パナマ文書」報道で-オーストリア
さて、この”特権は責務が伴う”について少し記してみます。

但し、営利企業の租税回避行為については除外して考えません。自己の利益最大化こそが営利法人の存在理由です。合法の範囲内での課税逃れは、企業の社会的行動としての正当性を問うに留まってしまいます。”節税の範囲”という主張を反証可能でもあれば、別の話ですが。
――道義的責任――
国会質疑の場でしばしば耳にする語です。閣僚を始めとする政府要職者に、例えば政治資金、贈収賄、公選法に関わる疑義が生じた際、野党代議士は疑惑を追求します。この質疑において法的責任を立証できない時、”じゃ、道義的責任はどうなんだ、感じませんか。”とくるわけです。

ま、感じても感じなくても何も変わりませんが。総理に対して問われる任命責任というのも、この道義的責任に類したものでしょう。

営利企業について言えば、法令の遵守は企業の社会的責任ですが、その責任の範囲内での節税は咎められる理由がありません。見方を変えれば言い掛かりです。

例えば、G7、OECD加盟国が圧力をかけてタックスヘイブンの制度を改めさせ

――主権の侵害、内政干渉かもしれませんが――
母国からも課税できるよう税法を改変する
――正に二重課税であり、本社がまるっと海外に脱出してしまうかもしれませんが――、
のが本来でしょう。とした社会的責任を求めても致し方なく、法治主義の徹底を図る以外に術はないんじゃないかと。

で、それでは個人はどうなるかという話になるわけですが、
――なお暴露された1150万件のうち、中国人が世界で最多であるとのことだ 。――
国家指導者の親族がわらわらと記されている中国の場合は考えません。元々、ノブレス・オブリージュ的な価値観を持っていないでしょうから。勝手な想像ですけど。”責任なんかない”と言い放たれてしまえば、”ああ、そうですか”と話は終わりです。


追記していきます。

2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

2016年4月2日土曜日

判断

偶々、タイミングよく虚を突かれて了承してしまったのだと思います。判断や対応の妥当性についてご意見を賜われればありがたい処です。

先日のある金曜日、午前九時を過ぎた辺りでしょうか。自宅にいた所、
”屋根の〇〇が浮いていますよ。”
と戸外から声をかけられました。で、戸外に出て声をかけてきた若い男が自宅屋根の指差す部分を見てみました。建築についての知識が乏しい私には〇〇”は聞き取れず、たとえ聞き取れたとしてそれがどこの部分を指すのか分からなかったと思います。(後で屋根と壁の取り合い部の雨押えという部材であることが判明。

で、
”屋根の〇〇が浮いています。このままでは雨が入って雨漏りし出します。”
と言うわけです。”ウチはそういう工事を頼む所は決まっているから。”と応えたのですが、
”偶々近くで工事をしていまして、材料を持っていますので2000円でコーキングして応急処置をします。”
と。”本工事は知り合いに頼むけどそれでいいなら。”処置を了承しました。そんな金額で屋根に上がるのか、といった問には、
”宣伝です。”
とか、
”私達の仕事を知ってもらいたい。”
との返事でした。 工事業者の知り合いがあると伝えたものの、宣伝のためという返答に、”そんなものか”と一応の整合性を感じ、午後から上記応急処置をする運びとなりました。名刺も渡されました(=身元、所属が確認できる)ので、まぁ、悪徳リフォーム業者ではないだろうと判断したわけです。屋根に上った経験がある私には、2000円で屋根上の仕事をするものなのかと、半信半疑ではありましたが...

午後からの工事ということでしたので、当然、該会社名で検索しましたが悪い情報は見つけられませんでした。消費者庁、国民生活センターのwebサイトでも当該業者の名は検索されませんでした。

”じゃ、いいか”、と思っていたのですが、結局その日の午後業者は現れませんでした。業者の知り合いがあることを伝えていて、大きな工事に繋がるわけでもありませんから、”ばっくれたのかな。週明けにでも知り合いの業者に不具合について相談してみるか。”というつもりでいました。

土日を挟んで週明け、もうこの話は無くなった気でいました。ところが、月曜の朝、同じ業者が、

”どうされますか?”
と。

土日とはいえ、調べる時間的余裕を十分作った上で打診してきたわけです。補修を了承しました。実は土日の時点で話が無くなったと思い込まず、もう少し雨押え補修の必要性について調べるべきだったのかもしれません。

当日午後から補修工事に取り掛かることになったのですが、ふと、事前に指摘部分を撮影しておくことを思いつきました。特に深い考えはなく、一体何処がどうなっているんだろう、という思いからでした。

梯子をかけて指摘された辺りを撮影、印刷してみたものの、よく判らないままです。何処に雨漏りの恐れがあって何処をコーキング剤で塞ぐのか...雨押えの裏側は指が入る位空いていても構わないような情報も見かけましたし。

午後になって補修工事を始める段になって、写真を見せながら、業者に尋ねてみました。何処がどうなって何が問題なのかと、実は不要なんじゃないかと。
”放っとくといつか雨漏りします。”
などといった、何だか要領を得ない返事でした。こちらも不要という確信はありませんでしたから、まぁ、そうなのかと、断ることなく補修を進めてもらうことにしました。大した金額ではありませんでしたし。
”補修部分の写真も撮ってきます。”
とコーキング剤を手にした業者が屋根に上がり戻ってきました。十分程度でしょうか。

戻ってきた業者の話を聞いて、疑問が氷解しました。やはりセールスだったわけです。スマホで撮影した補修部分の写真をチラッと見せ、
”他にも割れた部分がありましたので補修しておきました。”
とか、
”屋根材がかなり古くなっているので...”
などと屋根全体の塗装、修理を勧めてきました。断ったのは言うまでもないことなんですが。

下はコーキングで応急補修をしたと称される、雨押えの盛り上がった部分の写真です。


”何だ、コレ?雨漏り予防の応急処置がこれなのか?”

屋根材が割れて雨漏りが生じた場合、補修前に撮影しておいた屋根の写真と照らし合わせるつもりでいます。

手元にある名刺には”創建コーポレーション”と記してありました。

残骸

以前記したUSBハブや延長コードの事例と似た話です。

シャツのボタンが取れた時、該シャツは廃棄されても構わないのか?

自宅に簡易式のハンドシュレッダがありました(下写真)。




元々2-3枚程の紙を裁断するにもそれなりの力でハンドルを廻す必要がありました。軽い力でクルクルというわけにはいきませんでした。で、ある時、ハンドルを廻しても全く紙送りと裁断ができなくなりました。ハンドルが空回りしているようです。

分解してみた所、ハンドルの回転を裁断機構に伝達する、ギヤの歯が欠損していました(下写真)大きさは十円硬貨程度でしょうか。小径ギヤの歯の中、二枚を残してほぼ全てが折れており、これではハンドルが空回りしてしまうのも当然かと頷けました。



金属製のギヤの歯が欠損してしまうというのも、設計上どうなんだろうと思わないわけではありませんでしたが、まぁ、このギヤさえ交換すれば、本来の裁断機能を取り戻すことができるはず、と見立てました。

じゃ、どうやってこの補修用ギヤを入手するか、になるわけですが、入手は不可能でした。メールで問い合わせた処、
せっかくお問い合わせをいただき、大変申し訳ないのですが、お問い合わせの部品は、単体の在庫がなく、一般商品でセットになった状態となっておりますためご用意ができかねます。
とのこと...確かに安価な製品ですから、そのまま廃棄することもやぶさかではありません。ただ、金額の多寡ではなく、小さな部品一つの破損で本体全てが無用のゴミと化して廃棄せざるを得ないことに釈然としないものを感じています。

このタイプのハンドシュレッダは各社から製品化されているようですが、ネットで検索しても、Amazonのレビューを見ても結構壊れているようです。破損部分も駆動部分のギヤ歯欠けとほぼ同じです。

結局、このタイプのシュレッダに共通する大きな破損原因は駆動部のギヤの強度、耐久性のようです。これだけ、原因が特定できているならば、もう少し破損に備えた対応が可能なんじゃないかと、メーカの対応に疑問を抱きました。決してギヤの破損に対して指摘する意図はありません。

ギヤの強度向上は難しくとも破損が予測される消耗品と捉えれば、補修部品として用意、或いはスペア部品として製品に添付すれば十分です。

この小さなギア一つの破損でシュレッダ全体が無用の長物となり廃棄せざるを得なくなることに抵抗を覚えるわけです。社会全体では結構な量のハンドシュレッダの瓦礫の山が築かれているのでは、と想像します。使い捨て文化の、そういった部分に社会の非効率性を感じています。ハンドシュレッダが紙の裁断屑を産み出すことは理解していましたが、シュレッダ自体が無用のガラクタになることまで思いが及びませんでした。

そして、やはり最後は、無用なガラクタを産み出さないハンドシュレッダとヤジを飛ばさない政党、実現可能性があるのは何方?という問で結ぶことに致します。