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2016年7月9日土曜日

一発

"ひと夏の経験"ということなんでしょうが、イベント扱いされて、一過性の盛り上がりで終わってしまわないことを願うばかりです。
18才選挙権


  あなたに 社会のこのいちばん 
  大切なものを あげるわ
  小さな胸の 奥にしまった
  大切なものを あげるわ

  信じる人に 捧げるため
  守ってきたのよ
  汚れてもいい 泣いてもいい
  信は尊いわー
  誰でも一度だけ 経験するのよ
  候補者の甘い罠

2016年6月19日日曜日

邪推

自動車の燃費不正問題が結構な騒ぎとなっています。

で、以前のエントリでも少し触れているのですが、燃費偽装が行われているならば、鮮度偽装があってもおかしくないなぁ、と改めて思いました。

蒸し返します。
0〜2℃の凍る直前、0〜-3℃の微凍結といった温度下であれば、通常の冷蔵保存より長期間の保存が可能
例え上記機能を謳う冷蔵庫であっても、鮮魚、精肉などの生鮮食品を購入、保存する際、その使用者が記載された消費期限を気にしないとは思えません。”パーシャルだから風味の劣化もなく、大丈夫のはず”と、そこまでチルドやパーシャルでの保存に信頼を寄せられるものでしょうか。

やはり生鮮食品では依然消費期限が意識され、殆どの場合その期限内に使い切られており、期限を超えて保存されることは少ないのが実のところのような気がします。

該機能によって、消費期限の過ぎた生鮮食品を躊躇うことなく口にしている世帯が増えているようには見受けられないのです。(勿論超過した程度にもよります。少しとかちょっと過ぎたという話ではありません。)

こういった意識下では”鮮度が長く保持される機能”も十分活用されないのではないか、更に、十分活用されないことを前提にすれば鮮度保持性能の偽装も起こり得るのではないか、そんな杞憂が脳裏をかすめた次第です。

2016年6月14日火曜日

墓標(追記あり)

ここの処、城郭やその石垣の復元、再建についての話を見聞しました。
進む石垣修復 白河の小峰城
2020年までに名古屋城の天守閣を木造復元させる計画があるって本当?
<熊本城>石垣修復費用354億円 文化庁試算
姫路城 平成の修理
こういった古城の復元事業に対し、なかなか素直に支持できない違和感を抱いており、少し記します。

該事業は公共事業であり、直接間接を問わず事業の原資が公金であるのは間違いない処です。で、その事業目的は観光資源の確保文化遺産の保護とされています。

ただ、城本来の存在意義を鑑みた時、果たして古城の復元は公共事業として適切性はあるのだろうか、疑問を持ちました。日本において城は元々、戦、合戦の基地、砦として、支配者の権勢を示威するオブジェとして、或いは日本全体の統治者(徳川家)が各藩、特に外様大名家財政を疲弊させるための方便として利用されてきた、と理解しています。

観光資源、文化遺産としての意義など当初はなく、城を復元、再建してまで観光資源とする必然性はないんじゃないかと。勿論、現在の日本で城を使った戦、内戦など想像すらできません。国家が地方自治体の財政を疲弊させることも動機がありません。地方自治体の首長が権勢を示威する...これはその当時ほどあからさま、直接的ではないにしてもモニュメント、墓標としての意味合いを含めれば完全な否定はできないかもしれませんが。

即ち、城本来の目的はほぼ失われているわけです。言い換えれば再建してまで城を観光資源とする必然性はない、ということです。観光資源が必要で、そこに公金を投入するならば、城に拘ることなくもう少し知恵を出して他の選択肢も考えるべきです。必要ならですが...

公共事業の無駄、公務員制度の改革がやたらと新聞紙上を賑わせた際耳にした、ハコモノ行政と何ら変わりありません。むしろ典型例ではないでしょうか。ハコ、巨大な建造物建設に莫大な公金を投じて、何をどれだけ生産しようという目論見なのか、理解できないでいます。

例えば、白河小峰城の石垣修復で50億円、名古屋城天守閣の木造復元では最大504億円、熊本城では石垣修復で354億円の事業費が見込まれています。まず事業ありきの印象は否めず、適切な費用便益分析ができているとは思えないのですが。こういった巨額の公共事業について、これまでの費用便益分析の検証結果を糧としているのでしょうか。公共事業についてより高精度の生産性評価が為されるべきです。性懲りもなく、同じ轍を踏む図が思い浮かびます。

尤も、損失が累積し負債が問題になる頃には、決定権者を含めた関係者が非当事者になっているのは確実です。維持管理費も含め、負担が継続的に後世に受け継がれていくわけですが、”責任を後世に先送りする”という意味では民主主義社会が具現化されている、と言えるのかもしれません。

抗えない民主主義の負の側面ではありますが、だからといって目を背け続けていても愚が繰り返されるばかりです。

城を再建するのであれば、本来の機能を鑑みて近代戦に対応した基地、砦、シェルターでもいいじゃないかと。観光資源としてして捉えるならば、タワー、塔、巨大観音像、実物大ガンダムでも、もう少し他に何かないのかと思ってしまいます。公金に頼りさえしなければサグラダ・ファミリアでも構いませんけど...
――400年の歴史を積み重ねた石垣です。再び数百年の風雪に耐えられるよう、以前と同じ状態に修復します。――
何かの記事で目にしました。いや、城本来の存在意義が失われた現在、400年の歴史があるからといって再建の根拠には乏しいわけです。崩落も又一つの歴史です。安全対策を施した上で、
――よく保ったなぁ400年も。ここらでお役御免にしとこうか。今後は城址として残しておこう。――
といった向き合い方でいいんじゃないかと。

”国破れて山河あり。城は在っても民はなし。”数百年の歴史に耐えられるよう再建しても、少子高齢化の果て人口減で人がいなくなってしまっては...天空の城じゃあるまいに、城を再建するならその資源を保育園建設に振り向けろ、ということです。

少子化、人口減、それに伴う社会保障費の増大への対策を蔑ろにする一方で、声高に文化だ、伝統だと叫んで、城郭やその石垣の復元、再建に注力しても現世代の自己満足に過ぎない、といった感が否めないわけです。まだ世に出ぬ後世に思いを馳せれば、他に目を向けるべき部分はそこじゃないだろうと。
――金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。――
城の復元が人を残す事業でないのは確かです。
2019年10月の消費増税も延期すれば、財政再建計画は崩壊する
といったブログエントリがあったとしても、城の復元云々をやっている間は消費増税を延期し続けて大丈夫なのかもしれませんが。


ところで、各地の城郭、石垣の復元は首長の理解、承認、支援なしには遂行不可能な事業です。換言すれば、なぜ首長は城を含めた建造物を建設、再建したがるのでしょうか。かつて為政者の役割を担っていた、各地の大名、武将、有力者が権威を誇示して己の存在を標しておきたい、ということと同根のものを感じてしまいます。モニュメント、記念碑、墓標の意味合いを含んでいるような...

昨今、引継者、管理者が不在という理由で、お墓を解体・撤去する廃墓、いわゆる墓じまいの件数が増加しているようです。首長の墓標ともみなし得てしまうような公共の建造物についても墓じまいを検討することが必要ではないかと考えます。

2016年6月1日水曜日

枯渇(追記 追々記)

前のエントリに関連してですが、やはり問題は舛添辞任後ではないかと。

2014年東京都知事選挙の結果を顧みれば、人材が払底しています。で、現都知事が選出されたわけです。
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい 
に比肩する話かもしれません。

(6/1追記)
タイミングがずれていたら乙武洋匡が都知事候補として取り沙汰されていたのではないでしょうか。いかに人材が払底しているかを表す証左かと。

(6/4追記)
――人工知能そのものに倫理観はない――
偶々、NHKスペシャル 天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探るを見ていて放送中に出た文言です。

一方、
――道義的、倫理的な面でも指導頂く――
5/27の記者会見で舛添都知事が述べた言葉です。いや、もう新都知事は人工知能でいいんじゃ...倫理的規範は学習させればいいわけですから。

2016年5月29日日曜日

口実

”物価は上がんねぇし、景気は良くなんねぇな。”

”黒田に言って紙幣をじゃぶじゃぶ印刷して、金利までマイナスにさせたのに...借金増やして結構金もばら撒いたんだけどな。”

”やぱっり、あれだな。消費税か...これじゃ消費増税はできねぇな。でもな、何があっても上げるって言っちゃったしな。”
「リーマンショックや大震災のような事態が発生しない限り実施する」
”このままじゃアベノミクス失敗って叩かれて人気が落ちちゃうな。政策に自分の名前を含めるなんて愚かなことしなきゃよかった。

”そうか、今をリーマンショック前とぶち上げよう。で、サミットの時みんなに支持してもらおう。何でもいいからこじつのデータを準備しとけ。”

”僕が言えばみんな賛成してくれるからね。お墨付きがありゃ増税を延期して黒田印刷にお札の増刷を指示できるわけだ。”

「エネルギー・食料・素材など商品価格がリーマン・ショック前後での下落幅である55%と同じ」
「リーマン級の経済危機再燃を警戒する」
失笑。

”何言ってんだアンタ。自分の人気取りのためにアタシたちを利用しようって魂胆かい?”

かくして伊勢志摩サミットは平穏に閉幕致しました。

2016年5月20日金曜日

圧力

本日(5/20)の定例会見でも辞職を否定、都民のために都知事でいたいとのこと。
舛添知事釈明会見(1)謝罪連発、深く頭下げ「非常に信頼を失っている」でも…辞任は否定
で、こういったブログエントリがあります。
舛添さんの8回のファーストクラスの渡航で溜まったマイルはどれくらい??
その中で、
都民として舛ハゲの豪華家族サービスやファーストクラスに使われるなら、1円なりとも都民税を払う気に全くなれない。法人税は仕方ないとしても個人の住民税はふるさと納税で東京には納めないことにした。
との文言があるわけです。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用した
”都に納税したくないからふるさと納税した”
との意思表示は、ある意味民意の具現化です。”保育園落ちた...”ブログ並みに騒ぎになれば結構な圧力になるのではないでしょうか。

尤も税収減は次年度となりますが。

ただ、税が公益のために公正、合理的に資されているという前提の下、このふるさと納税の制度を鑑みれば、問題ある制度であり否定的に捉えているのが率直な処ではあります。

寄付の見返りとしての”お礼の品”に着目すれば、節税どころか換金性の高いお礼の品を利用すれば、合法的課税逃れと言えなくもありません。

更に、以前記した道の駅についてのエントリに通底した、(実質的に)公的機関による通販事業運営で生じる問題が潜んでいると考えます。

これまで、為政者、閣僚、代議士、選良と称される公人による公私混同、政治資金という公金の不正流用問題が数多報道されてきました。舛添都知事の疑惑が現在進行中で最新です。

加えて、官庁においても過去、公金の私的流用、裏金問題、横領、贈賄といった不祥事は枚挙に暇がありません。外務省、大使館、社保庁、岐阜県庁、北海道警等が直ぐに思い当たるところです。

そういった報道を見聞する都度、少なくとも自分の納税分についてその使途に自身の意向を反映させられないものか、と思ってしまいます。”納税しない”という意味ではありません。

適正な予算配分が一市民には到底不可能であることはよく承知しています。しかしながら、納税者向けに、少なくとも自らの納税分について、振り向けたくない費目、重点配分したい費目といった程度に意思表明できる選択肢が用意されるべきではないか、ということです。

この意志の集合こそが正しく民意で、それ以外の何物でもありません。税金の使途についての選択権、これは極論すれば特定の予算についての拒否権です。この納税者が税金の使途について選択できるという自由が、上述のような不祥事発生の抑止力に、或いは、予算の合理的な運用や公務の効率化に寄与し得ると考えます。

住民票のある都道府県、市町村以外の自治体への納税を選択できる、これがふるさと納税です。この制度を端緒として、国税も含めた税の使途選択の仕組みを用いることで、国政へのより直接的な民意の反映が実現するんじゃないか、そう思った次第です。困る方々も多そうですが。

2016年5月17日火曜日

精査

精査の真っ最中なのかもしれません。
東京五輪招致「コンサルタント料」、契約書など確認できず

Q.契約書そのものは存在しないんですか?
 「契約書は保存されていると思います」(JOC側)
Q.どこに?
 「JOCにはございません」
 「正確な場所は我々も聞いていません」(JOC側)
猪瀬前都知事の領収書にも似た契約書が公開されるのでしょうか。言い含められた元担当者と一緒に。これは精査でなく工作です。
”これ以上の報道は差し控えろ”
これは精査でなく恫喝です。

2016年5月15日日曜日

天秤

明らかな非対称性というか首尾の不整合、不均衡が露見しているんじゃないかと。

前のエントリに続いての話です。

着々と都知事辞任に向け外堀が埋められています。ダメ押しの文春砲がなくとも、免れないのかもしれません。

ところで、舛添氏に劣らない公私混同ぶりながら、都知事職を猪瀬直樹氏に禅譲した石原慎太郎前々都知事は辞任まで追い込まれませんでした。

強い違和感を抱いています。
舛添より酷かった石原慎太郎都知事時代の贅沢三昧、登庁も週3日! それでも石原が批判されなかった理由
石原氏の四男・延啓氏は無名の画家だったが、石原氏は自らの職権で都の若手芸術家の支援事業「トーキョーワンダーサイト」に助言する芸術家として都の外部委員に抜擢。「ワンダーサイト」への補助金を4年間で4億7000万円と以前の8倍以上に増やしていた事実が発覚したのだ。
“無双”といわれる「週刊文春」にも絶対書けないタブーが! 林真理子が「作家になれば悪口書かれない」と暴露
芥川賞選考委員の立場にあった作家の、メディアに対する影響力を示す如実な結果かとみています。甚だしいバッシング格差かと。

社会における文芸という価値体系の秩序維持に貢献してきた見返りなんでしょうか。今尚、”天才”といった商品を供給していますし、まぁ、メディアにとっては護るべき飯の種ということなんでしょう。

舛添氏も著作を上梓しているわけですが、メディアからのこの扱いを鑑みれば、作家として擁護するに値しない、ということなのかもしれません。

実は舛添公私混同事案より、
【UPDATE】五輪の不正招致疑惑にJOCが声明 支払いは認めたが「コンサル料」
この強弁、正当化の方がより根深く、深刻な問題と捉えています。
やっぱり出た「オリンピック招致」に関する疑惑。長野五輪の二の舞いになるか?
有耶無耶になっていますが、招致活動のプレゼンの際にも何か怪しげな話があったような...プレゼンのコンサルタント料?、皇族の利用?思い出せません。

舛添公私混同事案はオリンピック招致に関わる買収疑惑の矮小化、隠蔽のためとみるのは勘ぐり過ぎでしょうか。精査の間、知事が元会計責任者という人身御供を用意する一方、知事自身も泥を被せられていたのでは、ということです。

2016年5月14日土曜日

生業

まぁ、今更というか、遅きに失したというか...
厚労大臣時代の発言に既に予兆させるものがあったわけです。
高額出張費、韓国人学校…都庁に批判1万件超 職員悲鳴
「会計責任者が勘違い」 政治資金問題 舛添知事一問一答
以前のエントリで記しましたが、議員歳費、議員年金に纏わる上記発言から抱いた違和感が具現化したに過ぎない、ということです。
――政治家としての正当な報酬を得て、国民の代表として職務に邁進するわけである。さもなければ、他に収入の道がある金持ちしか政治家になれないことになる。――
この後”議員歳費を削減するな”、”退職金がないから議員年金は必要だ”、”退職金も出ないような勤め先には、優秀な人材は集まらない”といった発言が続きました。
果たして政治家は職業なのだろうか、といった疑問を抱いたわけです。もはや政治家ではなく政治屋じゃないかと...
政治を生計を立てるための仕事、生業と捉えるならば、政治屋(家)が給料、賞与等の報酬や退職金、年金といった特典を要求するのも頷けます。自らが生活する糧を得るための手段なわけですから。
生業としての都知事の職に就いているわけですから一連の公私混同も頷けます。都知事の権限で使える公金は法に抵触しない範囲で自分のために費消すると。抵触している気もしますが...
――サラリーマンじゃあるまいに宛名白紙の領収書を貰う根性がけち臭い。――
ルキウスさんが自身のブログで言及されていますが、端から都知事というサラリーマンでしたから、如何ともし難いんじゃないかと考えます。

菅官房長官ならば、
”(元々生業なので)批判にはあたりません。”
と突き放すところです。そういった人物を都知事に担いでしまった自らのリテラシーにこそ真摯に向き合うべきかもしれません。

ところで、”精査”という語ですが、先般の甘利前大臣の事例と併せて、
”時間を稼いで尤もらしい言い訳を捻り出しつつ、言い含めた人身御供を用意すること”
私の中では定義付けられました。

2016年4月10日日曜日

標語

ツッコミどころ満載なわけですが...
「普通の人豊かに」が旗印=民進・山尾志桜里政調会長に聞く
ご自身がアカウントを持つブログ、ツイッター、フェイスブックでも全く触れず華麗にスルーというのも如何なものかと思うわけです。

ガソリンプリカ、コーヒー、さくら館、寄付、いずれについても、まるでそんな事案などなかったかのように、SNSでは自身の見解、釈明は公開されていません。
民進・山尾志桜里政調会長の定例会見(全文1)プリペイド購入した事実ない
SNSの特長の一つである即応性が見事に蔑ろにされています。むしろ、であるからこそ自らに都合の悪い問題には蓋をせんとする、不誠実さが際立ってしまいます。何のためのSNSなんでしょうか。

さて、冒頭の”普通の人豊かに”ですが、記事中では”普通の人から豊かになろう”となっています。これが安倍政権の”1億総活躍社会の実現”に対抗する旗印とのこと。

なぜ、”普通の人が”ではなく”普通の人から”なのか、理解できないでいます。”普通の人が豊かになろう”では”1億総活躍社会の実現”の単なる言い換えになってしまうので差別化を意図しただけなのか...

この部分で対抗しても無意味な気がします。1億総活躍社会は実現に向けて進んでいるとは言い難く、それは”普通の人から豊かになろう”でも同じことです。どちらがより美味そうな餅の絵を描けるかの争いではないはずですが。

語の意味する到達目標には差異は殆ど無く、重視すべきは実現するための施策です。党名を決定するだけでも擦った揉んだし、旗を掲げるにも現政権と重ならないように”普通の人から...”と微妙に表現を弄る...(後部分は憶測です)

果たして、具体的で実現性のある施策を打ち出せるのか、疑念が払拭できないわけです。”普通の人から...”とすることで却って、”普通の人とは?”、”じゃ、普通でない人は後回しなのか?”といった話が出てきてしまいます。

為すべきは、大仰で抽象的な標語を振り回すのではなく、目標に近づくための適切で具体的な施策の提案に注力することです。

2016年3月29日火曜日

依存

3/25(金)にプロ野球が開幕しました。それ以降ここ数日、世間を騒がせた各球団の賭博、及び金銭授受問題は水を打ったように一切報じられなくなりました。まるで、そんな不祥事などなかったかのようです。

まぁ、高校野球も含めて野球はメディアと強く結びついていますから...大事なコンテンツの一つとして水さすような真似は封じられるのでしょう。NHKも例外ではありません。記者クラブに加盟していない、或いは加盟できない、暴走?、狂犬?”センテンス-スプリング”は一つの例外でしょうか。
都合の悪い記事を掲載した媒体を「出禁」にするNPB、野球報道も情報統制されている
サンケイ、NPBに「出禁」を食らう|野球報道
かつて池上彰氏は、慰安婦問題における朝日新聞の検証記事に対し、”朝日新聞は謝罪するべきだ”とする批判記事の掲載を拒絶されました。それを受けて、氏はコラムの連載中止を申し出る、といったお返しをしました。

このケースよりえげつないというか、悪質かと思うわけです。力関係の差が大き過ぎます。この辺り池上さんが触れないのは専門外なのか、賢いからなのか...

ウェブ上では早くに、
それでもヤキューは始まるか

プロ野球炎上の陰で面白くなってきた大相撲
といったエントリがアップされたりで例年通りの開幕に批判的な声も少なくありません。相撲界で起きた、やはり賭博に関わる不祥事の対応に倣って、開幕の中止や順延、無観客試合の開催、徹底的な調査で膿を出し切ることこそが優先等、施策が提案されています。

しかしながら、新聞、テレビといった旧来からの、
ズブズブの関係にある伝統的メディアでは全く取り上げられていません。触れることすら憚られるのでしょう。ある種の恫喝でもあり、上述のサンケイの事例は見せしめとも受け取れます。  

じゃ、観る側はどうかといえば、こちらも何だか、目を背けているかに映ります。禁忌扱いになっているのでしょうか。
――人は自分の見たいものしか見ない――
の裏返しなのかもしれません。このように両者に都合のいいように”なかったこと”にして印象が弱められていくわけです。 上手くダメージコントロールしているというか、皆さん大人です。

ここで不思議なのはやはり、何が観る側をそこまで寛容にしているのか、ということです。これまでプロ野球に限らず、贈賄、ドーピング、八百長、賭博といった、大凡スポーツに対して抱くイメージと真逆に位置する様々な不祥事が発覚、或いは疑惑が生まれてきました。現役選手のみならず運営組織も含めての話です。

ざっと思い浮かぶだけで FIFAロシア陸上界角界道界...その度にメディアは大きく報じるわけですが、やがて尻すぼみとなり、いつしか以前と同様の感動を伝える声で埋め尽くされていきます。

これは実は観る側をスポーツ依存に陥らせているんじゃないか、とするのは穿った見方でしょうか。なんだか、初等教育課程で学習した、内政安定のための仏教の利用(鎮護国家)に似たものを感じてしまいます。なにか特定の目的のためにスポーツを利用している、そんな印象すら抱いてしまいます。国威発揚だったり、事業としての利益もそうなんでしょう。

先日、元読売Gの清原が覚醒剤所持容疑で逮捕、保釈され、今後、薬物依存の治療を受けていくと報道されました。併行して、手放しのスポーツ依存からの解放ももう少し論じられてもいいんじゃないか、と思った次第です。エンドルフィン分泌のような生理的な話なのか、スポーツに絡む権益を受容している社会システムに遡る問題かは解りません。もう少し考えてみます。

2016年3月27日日曜日

真逆

”走る歓び”とは逆方向の話なんじゃないでしょうか。
自動運転タクシーの実証実験、来年初めから開始=政府

自動運転と言えば真っ先にGoogleで開発が進められているグーグル・カーが思い浮かびます。一方、”走る歓び”の文言で想起されるのはマツダの

Be a Driver.
トヨタの

FUN TO DRIVE, AGAIN.
といったところでしょうか。
じゃ、”走る歓び”って一体何だと、運転者だか、同乗者、所有者を歓ばせる正体は自動車の何だろうという話になるわけです。

所有者であれば所有する歓びです。運転に関わらない同乗者が”走る歓び”を感じられるなら、上述のグーグル・カーを含めたバス、タクシーでも構わないわけですが、それも違うんじゃないかと。自動車メーカーが消費者の購買意欲を煽れませんから。プロモーションになりません。


やはり、運転者の、”運転する歓び”即ち”走る歓び”ということでしょうか。これはおそらく、機械を自分の思い通りに操る歓び”なんでしょう。その結果、己の体力のみでは不可能な加速感や景色の変化を自在に体験できるわけです。

機動戦士を操縦する心情に通底したものがあるのかもしれません。

ただ、上記マツダのリンクにある、

ドライバーとクルマの関係を、
もっともっと深いものへと変えていく。
人とクルマが息を合わせる。
走る歓びを分かち合い、深い愛着を覚える。
ともに走り、ともに歓び、ともに生きていく。
クルマは単なる道具ではない。
私たちは、人とひとつになれるクルマをつくっている。
には素直に共感できないでいます。車は道具です。人馬一体が自動車でも起こり得るかの如く上記文言ですが、擬人(馬)化しても自動車は輸送機械の一つです。あくまでも、運転者が自動車に慣れ、習熟するのであって、単に人が車に合わせているに留まります。ミもフタもない話かもしれませんが...

トヨタのサイトには単に”クルマの楽しさ”とあるのみでその言葉が何を示しているのか不明です。抽象的な観念論ではなく、具体的な説明を望みたい処です。

勿論、だからといってマツダやトヨタの車を批判しているわけではないことは申し添えておきます。

このような視点に立ってみると、やはり自動運転は自動車という機械の到達目標の一つであるのは間違いありません。一部車種では、アイサイト(衝突被害軽減ブレーキ)、インテリジェントパーキングアシスト(駐車・車庫入れアシスト)といった運転アシスト機能は既に取り入れられていますし、単純なクルーズコントロールはかなり以前からありました。

何だか、”走る歓び”とは逆方向の車社会に進んでいくような気がしますが...自動車メーカが”走る歓び”と自動運転をどう折り合わせるつもりなのか、関心を寄せています。

いつまでも ”走る歓び”を謳って購買意欲を喚起するのもどうなんでしょうか、個人の所感です。

一方、そういった自動運転へと向かう流れに対し、”クルマの良さが失われる”、”自動車はやっぱり自らの意思で自由に操れなきゃ”といった否定的な声も上がっています。おそらく、自動運転による必要以上の便利さ、快適性に対する要求を不要のものとして拒みたいんじゃないかと推測しています。

思い違いです。他人の痛みがわからない、思いを馳せることができないということかもしれません。そうであろうことを理解することは容易です。容認しているわけではありませんが。

第一義的に便利さを求めるのではなく、交通事故による理不尽な不利益を少しでも減じる、これが自動運転の主たる目的と捉えています。酒酔い、高齢者、暴走、突然の疾患等、故意、過失を問わず、被害者自身の責に全く依らない悲惨な交通事故は未だ後を絶たないのが現状です。

このエントリを記し始めてもたもたしている間、今日までだけでも一体どれだけの、交通事故による不尽な不利益を被った被害者が生みだされてしまったのか。

パトに追跡され暴走、4台事故 1人死亡 東京・世田谷
山陽道トンネルで車12台絡む多重事故 2人死亡 広島
【梅田・車暴走事故】重体28歳女性は横断歩道上、死亡65歳男性は歩道上で最後にはねられたか 死傷者の状況判明
十分ではないものの、こういった謂れのない事故被害の低減に寄与するであろう自動運転を、個人の趣味を優先した尤もらしい”走る歓び”の語で水さす物言いに独善的な印象を禁じ得ません

それは恰も、天然鰻を出す料理店を、その写真と共に嬉々として紹介するグルメブログと同じ身勝手さを感じます。そういったブログで、天然/養殖、鮮度、食品添加物の問題に関連付けて健康、環境とかを上から目線で論じられても、誠実さ、真実味、信頼性を欠いているなぁ、と思うわけです。胡散臭さ、欺瞞性は伝わってきますが...

昨今、運動会や体育祭といった学校の伝統的行事の一つとして行われてきた組体操について、中止を求める声が上がっています。

【組体操】事故は年8000件だった「安全確保できない場合は中止を」スポーツ庁
事故の例
で、当然、”感動”、”達成感団結心といった語で組体操の意義を説く声も生まれます。
それでも私が組体操に取り組む理由。ある現役教師の告白
典型的な考えは、
大阪の現場の先生方、教育委員会の戯言は無視して、これからも、今まで通りに安全を確保しながら、挑戦すべきは挑戦していけばいいです。保護者たちも、ケガや骨折は成長の一環と受け止めてあげてください。今の日本に不足しているのは、そういった「覚悟」だと思う。
といったところでしょうか。”走る歓び”、”天然鰻”、更には、”事故前の原発の安全神話”にも通底した他人事感満載の意識だなぁと。


まぁ、自分(とその周囲)は大丈夫だろう、他人の痛みには共感できない、というのも尤もな話で、理解できないわけではありません。しかしながら、そうは言ってももう少し賢い一歩に駒を進められないものなのかと、改めて思った次第です。

2016年3月15日火曜日

民進

民をどこに進めるのでしょうか。政党名の決定まで、右往左往してどれだけの資源を浪費したのか...

牛歩戦術の遺伝子がしっかり受け継がれているとしか思えません。民主主義の手続きには時間がかかることは承知していますが、名前を決めるだけでこれじゃぁ。政策とか選挙戦略など、より重要な決定を迅速に下せるのか。

烏合の党と化して空中分解するのも時間の問題かもしれません。

2016年3月6日日曜日

筋書 

日銀の準備預金超過分へのマイナス金利導入を受けて百貨店の「友の会」が人気のようです。

かなりお得! 百貨店「友の会」徹底比較 マイナス金利で「積み立てサービス」入会者急増

積み立て後、最高8%分のボーナスがついた買物券、若しくはプリペイドカードとなって戻ってくるようです。で、何を買うの、といった話になるわけですが...

必然性のある、”何”が思い当たらないのです。以前のエントリにも記したのですが、少なくともデパ地下には購買意欲を唆られる品はありませんでした。
 
百貨店と同じ商品を約7.5%割引で購入できれば同じなんじゃ、と
素直に思った次第です。難題なんでしょうか。


代弁

前のエントリに続けます。

素朴な疑問です。”保育園落ちた日本死ねブログを利用した安倍総理批判で注目された民主党山尾衆院議員ですが、質疑の報道を見ていて漠とした他人事感が拭えませんでした。

一寸考えてみた所、御自身についての経験が織り込まれていなかったからではないかと。Wikiによれば4歳になるご子息がいらっしゃるようです。御子息の保育園事情はどうだったのか、全く判りません。

上記ブログから窺われるような苦労を実感しての件の質疑だったのか、率直に言えば”あんた自身はどうだったんだ”ということです。その辺りが当事者意識の欠如をなんとなく感じさせた一因のような気がします。ブーメランを投げたのか?

”母親”という共通の属性を持つ議員が幼児保育について代弁し、共感を得ようという意図かもしれませんが、なんだかなぁと...

自分を棚上げしなくて済む、独身の男性議員が質疑に立った方がブーメランと化す危険が低かったんじゃないかと思った次第です。勿論、フリでも演技でも幼児保育に向き合う真摯な姿勢が欠かせないのは言うまでもありませんが。

2016年3月5日土曜日

狩場

予想通りでした。

次はこれかと思っていた所、
”電力会社を変えませんか”
やはり架かってきました。勧誘電話が...

当面、テレアポ会社が群がる蜜となるわけです。通信の自由化に伴う、マイライン、ネット接続、光回線、ケータイに続く新たな商材の登場です。これまでの勧誘で培ってきたノウハウを活用して草刈り場と化していくとみられます。

キーワードは”おトク”、”ポイント”辺りでしょうか。で、話の最後に二年縛り”が注意を引かないように出てくるのかなぁと。

そう思っていましたら、電気温水器やら太陽光発電システムやらいろいろ便乗しているようです。
電力自由化、苦情・相談が急増=年明けから325件―国民生活センター
電力の小売全面自由化まで、50日を切りました!-正確な情報を収集し、契約内容をよく理解しましょう!便乗した勧誘も気をつけましょう-

2016年3月4日金曜日

自負(2)

前のエントリに続けてです。

ただ、だからといって、
保育園落ちた日本死ね 
のような話が大好物の人々によって、国会の審議における物議の火種、売名の道具、及び、放火をお家芸とするメディアの一素材とされてしまうことには違和感を禁じえません。

ここから新たな役者として、総務大臣に御登場頂いて、電波停止に加え、IP通信の規制にまで言及されれば辺り一面炎上間違い無しです。

2016年2月29日月曜日

自負(追記アリ)

手元にエレコム(株)社製USBハブがあります。購入してかなり年月が経過しています。このハブの外装部材がベタベタしているのに気が付きました。

ポストイットの貼付部に似た粘着性を発現しています。このハブの外装部材にはゴム状の弾性素材が用いられており、おそらく部材に弾性を付与する可塑剤が部材表面に滲出したことによるものと推測しています。

樹脂系の外装部材が経年変化でベタベタしてくるって、一体いつの時代の製品設計なんでしょうか。どういった目的で外装部材の材料としてゴム系素材を選択したのかは存じません。

しかしながら、ゴム系素材は難燃剤、可塑剤他の添加剤が比較的滲出し易い素材であることは、かなり以前から知られている現象です。材料選択の上で予想し、配慮すべき問題であるのは間違いありません。添加剤が滲出しない素材とか、可塑剤フリーの弾性材料を採用すべきでした。

ちょっと製品の基本的な仕様に対する品質設計の水準が低すぎなんじゃないかと。性能や機能以前の問題です。

例えば、真夏の炎天下に駐車しておいた自動車車内のルームミラーが落ちたとか、ある日自動車のドアを開けたらヒンジの溶接部が切れてドアそのものが外れかかった、そういった類の話です。(事実です。かつて乗っていた輸入車がそうでした。)

ドアが外れて落ちないとか、時間が経ってもベタつかないとか、ユーザーがいちいち注意することじゃないはずなんですが...

とはいうものの、
 100円ショップSeria(セリア)の「延長コード」 - 返金/回収
といった話が昨年あったことも思い起こされました。いわゆる延長コードです。火災の恐れがあると...

こんな日用品すら安心して使えないのかと考えると、製品製造に対する日本企業の姿勢に失望します。"Made in China"だからというのは関係ありません。

”ちゃんと作る”のはそれほどまでに難しいことなんでしょうか。機能や性能という購入を促す付加価値部分ではなく、製品として当たり前の部分についてなんですが。製造や設計に対する日本企業の信頼に疑念が生じつつある今日このごろです。

さて、今夏の参院選では、
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい
わけですが、なかなか難題のようです。正に、こんな要望も適えられないのかと。安全な延長コードを入手するより困難なことなんでしょうか。

まぁ、こっっちの信頼失墜は随分昔からなんですがね。

と記した矢先に、

「保育園落ちた日本死ね」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ

ああ、そうですか。これがお答えですか...

2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2016年2月26日金曜日

既定

前のエントリの続きのような話です。

ある程度の規模の公営住宅周辺には、昔からの商店が軒を連ねた一角があります。どんどん寂れていっています。

名古屋市内であっても郊外ではそういった傾向を感じますし、周辺部にあって駅から離れた小規模な集合住宅地域ではそういった商店の衰退は目もあてれません。商店主、及び居住世帯の高齢化と少子化による住民人口の減少、自動車での移動の常態化といった処がその理由でしょうか。

先日、名古屋に隣接した市にある公営の集合住宅近くの、かつては店舗が連なっていたであろう通りにある中華料理店で昼食を摂りました。いわゆる街の中華屋です。紛うことなき、確実に。

名古屋のベッドタウンとして開発された当初から、生産年齢人口がそこそこの割合を占めていた頃までは、相応の商業活動があった通りだったんだろうなぁと偲ばれました。何故こんな私鉄の駅から離れた地域を住宅地として開発したのか今一つ合点がいかないわけですが...その沿線にはかつて田畑が十二分にありましたから。田畑の所有者もまだ若く、専業、兼業はともかく、農業に従事するのに何ら問題がなく、それが当たり前で、所有地を切り売りするなどとんでもない、という時代だったのかもしれません。 

上記中華屋も繁盛、混雑とは言い難い状態ではありました。じゃ、美味しくないのか、というとそういうわけではなく単に訪問を促す動機に欠けているのだろうということです。

駅 から離れていて付近には会社も工場も観光名所、公園などの公共施設もないとなると...まあ、言い換えればそれらの立地的不利を上回る程には旨くないわけ なんですが。普通なんです。ただ、近くにあれば、普段の食事の店として通うであろう普通です。勿論そういった店は好きです。

ただ、昼間人口の多いオフィス街、繁華街ならともかく、住宅地ではそういった店は減少の一途だろうなぁ、といった感は否めません。

ただでさえ、人目を引くこだわり(?)のラーメン店や、盛りが過剰で味濃く油の酸化臭が鼻につく、赤黄黒の華人系中華の猛攻、跋扈に押されていますから...

うどん屋もそうなんですが、こだわりのない、普通の、家族経営のうどん屋、中華屋の新規開店を殆ど見かけないことに寂しさを感じてしまいます。店主の高齢化か、不振と言った理由による閉店ばかりを目にします。
社会が抗えない少子高齢化に進む中、その一方巷間では、
 保育園落ちた日本死ね
といった真っ当過ぎるブログが衆目を集めていたりするわけです。マイナス金利なんてやってないで、都市部と地方の格差?歪?の解消にもう少し頭を使ってもいいんじゃないか、と思った次第です。
 ”中華屋、うどん屋潰れた日本死ね”
とまでは言いませんがね。