2016年2月29日月曜日

自負(追記アリ)

手元にエレコム(株)社製USBハブがあります。購入してかなり年月が経過しています。このハブの外装部材がベタベタしているのに気が付きました。

ポストイットの貼付部に似た粘着性を発現しています。このハブの外装部材にはゴム状の弾性素材が用いられており、おそらく部材に弾性を付与する可塑剤が部材表面に滲出したことによるものと推測しています。

樹脂系の外装部材が経年変化でベタベタしてくるって、一体いつの時代の製品設計なんでしょうか。どういった目的で外装部材の材料としてゴム系素材を選択したのかは存じません。

しかしながら、ゴム系素材は難燃剤、可塑剤他の添加剤が比較的滲出し易い素材であることは、かなり以前から知られている現象です。材料選択の上で予想し、配慮すべき問題であるのは間違いありません。添加剤が滲出しない素材とか、可塑剤フリーの弾性材料を採用すべきでした。

ちょっと製品の基本的な仕様に対する品質設計の水準が低すぎなんじゃないかと。性能や機能以前の問題です。

例えば、真夏の炎天下に駐車しておいた自動車車内のルームミラーが落ちたとか、ある日自動車のドアを開けたらヒンジの溶接部が切れてドアそのものが外れかかった、そういった類の話です。(事実です。かつて乗っていた輸入車がそうでした。)

ドアが外れて落ちないとか、時間が経ってもベタつかないとか、ユーザーがいちいち注意することじゃないはずなんですが...

とはいうものの、
 100円ショップSeria(セリア)の「延長コード」 - 返金/回収
といった話が昨年あったことも思い起こされました。いわゆる延長コードです。火災の恐れがあると...

こんな日用品すら安心して使えないのかと考えると、製品製造に対する日本企業の姿勢に失望します。"Made in China"だからというのは関係ありません。

”ちゃんと作る”のはそれほどまでに難しいことなんでしょうか。機能や性能という購入を促す付加価値部分ではなく、製品として当たり前の部分についてなんですが。製造や設計に対する日本企業の信頼に疑念が生じつつある今日このごろです。

さて、今夏の参院選では、
野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい
わけですが、なかなか難題のようです。正に、こんな要望も適えられないのかと。安全な延長コードを入手するより困難なことなんでしょうか。

まぁ、こっっちの信頼失墜は随分昔からなんですがね。

と記した矢先に、

「保育園落ちた日本死ね」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ

ああ、そうですか。これがお答えですか...

2016年2月28日日曜日

奇手

政権への打撃を希釈する目的もあったのでしょうか。勿論勘ぐりです。1月28日 夕刻、建設業者からの金銭授受を理由に甘利経済再生相が辞任しました。
甘利大臣辞任会見会見(全文5・質疑応答2)
で、その翌日(1/29)、日銀は新たな金融緩和の施策として、日銀当座預金へのマイナス金利の導入を決定したわけです。
現政権における重要閣僚の不祥事に対する追求の目を外らす、そういう見方も否めないなと。(2/27の時点ではマイナス金利による混乱、弊害は報道されています。市中への資金の流入は活性化されたのでしょうか。
――このタイミングで日銀が何もしないことはありえない―― 
2/1付日経朝刊の記事にあった、黒田日銀総裁がマイナス金利導入を提案する直前の政権幹部の言葉です。真偽は存じません。当然の如く日銀が対策を打ち出すと...講談社からの小保方氏の手記発売も、批判の矛先を逸らせるいいタイミングだったかもしれません。
手記発売はさておき、このマイナス金利導入で中央銀行の独立性に疑義が生じ、通貨の番人としての信頼に傷がついたとみています。物価と雇用の安定に対する責任といえばモノは言いようですが、政権の尖兵として政権維持の片棒を担いでいるんじゃないかと。

で、この金融政策によって何が起こるのでしょうか。

これまで市中銀行は日銀に国債を売っていました。売却代金は日銀の当座預金口座にブタ積みされてきたわけです。従来、このブタ積み部分に付利がついていましたが、マイナス金利の導入により残高が目減りしていくことになります。

ではそのブタ積みされた残高は引き出されてどこに向かうのか?日本国債の買い戻しと外国債券の購入に充てられるのが妥当なところじゃないかと。その結果、国債価格の上昇と円安が進むのでしょうか。少なくとも、素直に民間への貸付増大に向かうようには見えません。

”実体経済は金融政策のみでコントロールできる”、いつまでも幻想を抱き続けるのも如何なものだろうか、そう思った次第です。

2016年2月26日金曜日

既定

前のエントリの続きのような話です。

ある程度の規模の公営住宅周辺には、昔からの商店が軒を連ねた一角があります。どんどん寂れていっています。

名古屋市内であっても郊外ではそういった傾向を感じますし、周辺部にあって駅から離れた小規模な集合住宅地域ではそういった商店の衰退は目もあてれません。商店主、及び居住世帯の高齢化と少子化による住民人口の減少、自動車での移動の常態化といった処がその理由でしょうか。

先日、名古屋に隣接した市にある公営の集合住宅近くの、かつては店舗が連なっていたであろう通りにある中華料理店で昼食を摂りました。いわゆる街の中華屋です。紛うことなき、確実に。

名古屋のベッドタウンとして開発された当初から、生産年齢人口がそこそこの割合を占めていた頃までは、相応の商業活動があった通りだったんだろうなぁと偲ばれました。何故こんな私鉄の駅から離れた地域を住宅地として開発したのか今一つ合点がいかないわけですが...その沿線にはかつて田畑が十二分にありましたから。田畑の所有者もまだ若く、専業、兼業はともかく、農業に従事するのに何ら問題がなく、それが当たり前で、所有地を切り売りするなどとんでもない、という時代だったのかもしれません。 

上記中華屋も繁盛、混雑とは言い難い状態ではありました。じゃ、美味しくないのか、というとそういうわけではなく単に訪問を促す動機に欠けているのだろうということです。

駅 から離れていて付近には会社も工場も観光名所、公園などの公共施設もないとなると...まあ、言い換えればそれらの立地的不利を上回る程には旨くないわけ なんですが。普通なんです。ただ、近くにあれば、普段の食事の店として通うであろう普通です。勿論そういった店は好きです。

ただ、昼間人口の多いオフィス街、繁華街ならともかく、住宅地ではそういった店は減少の一途だろうなぁ、といった感は否めません。

ただでさえ、人目を引くこだわり(?)のラーメン店や、盛りが過剰で味濃く油の酸化臭が鼻につく、赤黄黒の華人系中華の猛攻、跋扈に押されていますから...

うどん屋もそうなんですが、こだわりのない、普通の、家族経営のうどん屋、中華屋の新規開店を殆ど見かけないことに寂しさを感じてしまいます。店主の高齢化か、不振と言った理由による閉店ばかりを目にします。
社会が抗えない少子高齢化に進む中、その一方巷間では、
 保育園落ちた日本死ね
といった真っ当過ぎるブログが衆目を集めていたりするわけです。マイナス金利なんてやってないで、都市部と地方の格差?歪?の解消にもう少し頭を使ってもいいんじゃないか、と思った次第です。
 ”中華屋、うどん屋潰れた日本死ね”
とまでは言いませんがね。

2016年2月25日木曜日

僥倖

守山区四軒家辺りの寿司屋です。幹線道路沿いですが、目立つ看板もなく、店前に駐車スペースが取ってあるためか建物も通りから控えて建っています。

何度も行き来している通りですが全く気づきませんでした。信号待ちか何かで偶々寿司屋があることを知りました。気になって昼食に入店したわけです。実は街の、個人経営の寿司屋は結構好きです。少なくとも、大仰な看板を掲げ、だだっ広い駐車場を備えてこれみよがしに安さを押し出す回転寿しチェーンよりは...店によってハズレがあるのはともかくとしてです。

勿論、その時その時の飛び切りの寿司ダネを用意している高級店の話ではありません。昼にフラッと飛び込み、ちらし寿司を掻っ込んで
――ごちそうさま――
と。個人経営の寿司屋が大規模回転寿しチェーンに押される中、個人店の良心というか矜持を該店で感じた次第です。安けりゃいいということではなく、決められた価格の範囲内で良質のものを、そんな意気が伝わってきたような...

人気ラーメン店のラーメン、炒飯セットと同程度、或いはひょっとすればそれより安価な鮪丼、海鮮丼の用意がありました。 頼んだ海鮮丼は、光り物、烏賊、蛸、穴子はないものの、玉子焼きに帆立、茹で海老、サーモンと共に鮪、鯛に白身二、三片を戴く丼で、これがチラシとされていない所以かもしれません。

とてもこの価格で済む海鮮丼ではなく、特筆すべきは鮪で、上質で味わいの濃いものでした。キハダやメバチではなかったと思います。この鮪はサクから平作りで切り出された、整った一片ではなく、鮪ブツを切り開いた如く形状でした。

おそらく、より質の良い鮪を供するために、そういった部位を使う工夫じゃないかと。頭が下がります。

ただ、概してこういった店は店主が高齢です。ご多分に漏れずこの店も。この先、どれだけ暖簾を潜れるだろうかを案じてしまいます。