2013年8月2日金曜日

誘因

既に削除されてしまいましたが、ある方のブログに飲食店で供された料理の写真についてのエントリがありました。この話題はこれまでもルキウスさんが幾度となく取り上げています。

料理撮影について

店内で料理の写真を撮影する行為については私も思うところがあるわけですが、是非の判断以前にその動機が未だ理解できないままでいます。”飲食に関わるブログ”の公開は、この行為の延長にありますから、写真撮影に駆り立てる源について知見を得ることは、”ブログを公開する理由、目的”といった更なる疑問の解消にも寄与すると考えています。


この写真を撮影するという行為について記すにあたり、撮影対象を飲食店で供された料理のみに留めず、物販店の店内で商品にまで拡張してみます。

この行為はデジタルカメラやカメラ機能付携帯が普及して以降、珍しくなくなりました。該機器により誰もが手軽に写真の撮影が可能となり、又、撮影後即座に出来具合を確認できるようになったためでしょう。

特に、多くの方がブログとして、或いは、SNSサイトに写真をアップロード、公開するようになり、より日常的に見られる行為になってきました。私自身、特別な場ではない、一般の飲食店、物販店で、多くの方が供された料理、店頭の商品を撮影している姿を見かけています。尤も、撮影された写真がどのように利用されているのかは存じませんが...

これまで見聞した事例のいくつかを基に、上記撮影に纏わる雑感を挙げてみます。全く系統的でも、論理的でもなく、憶測の域を出ていない部分もあります。


1.バイアス

飲食店内で提供された料理の撮影では、勿論、撮影目的によってでしょうが、本質的には写実性に差異を生じさせている、若しくは、意図せずとも生じてしまうと考えています。即ち、好むと好まざるに関わらず、撮影という行為自体が写真に脚色を加えてしまうのではないか、ということです。

当然ですが、例えば、自分の非公開の記録や、ブログ、或いは、食べログ等の口コミサイトへの投稿によるネットワーク上での公開、そして店の紹介、推薦、集客への協力といった撮影目的でその程度は異なります。ただ、いずれにせよ撮影された写真には自ずと撮影目的に適うように意図が込められてしまうことは避けられないと考えます。

従って、写真の観賞者には本来目の当たりにしている状態から脚色(演出、化粧、モデファイ、デフォルメ)され、整えられ、或は、下駄を履かされているであろう姿が目に映っていることになります。その舞台や背景を念頭に置いてこそ実体を捉えられるのではないでしょうか。


2.ショールーミング

例えば電気機器を取り扱う量販店で現物(大きさ、性能、使い勝手、メーカー、品番、価格)を確認し、実際には安値のネット通販で購入する、といった行動をしばしば見聞きします。

私自身も
以前、既に購入機種を決定した後、通販価格を調べて実店舗で交渉した経験があります。

更に、米国では実店舗で商品のバーコードをスマホで撮影(スキャニング)するとAmazon.comでの価格が表示されたり、価格問い合わせ操作に応じて値引きを受けられる、価格比較アプリがあるようです。で、多くの来店客はその場でAmazon.comに注文すると...(日本でも価格コムが類似のサービスを開始するとの記事を読んだような憶えがあります。)




3.デジタル万引

デジタル万引という語があります。これは書店やコンビニで、書籍、雑誌を購入することなく、例えば飲食店の所在地、料理のレシピといったちょっとした(?)内容をカメラ付携帯で撮影して情報を入手する行為を指します。違法ではないようです。

又、陶芸を趣味とする人が、いわゆる作品展ではなく一般の陶器店で、自らの作品の参考にするであろうために陳列してある商品を撮影していく、といった事例も聞いています。或は、他店の商品と比較するために写真を撮る、といった例もあるようです。

撮影の許可は求められるそうです。特段ためらいもなく、全く当り前のような態度で...


1.についてですが飲食店が集客することの片棒を担いでいたり、特別な優遇、割引を受けたり等で店と撮影者の間に何らかの利害関係が発生している場合については除外して考えません。論外です。これについては、
料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係を考える際、改めて言及するつもりです。

2.、3.についてですが、私自身は躊躇し、抵抗感、違和感を払拭できません。駅で列車を、動物園で動物を、観光地で記念写真を撮影することと同一視できないのです。 


撮影を切り離せば、3.は例えば、スーパーでバーニャカウダソースの瓶に目が止まり、裏面にある原材料表示を見て、

 ――アンチョビ、ニンニク、生クリーム、オリーブ  オイル...今度作ってみるか。―― 
と思うことと同根かもしれません。この時情報を盗ったという意識があるかと問われれば?

確かにありませんが...

程度の違いによるでしょうが、おそらく物品が販売されている場で、本来の店の存在目的から逸脱して利用されている部分に私は違和感を感じているのだと思います。

こういった目的外利用は、時間つぶし、目の保養、ウィンドウショッピング、品定め、審美眼を養うといった行動としてで従前からあったわけ
ですが、撮影にまで至ると積極的というか確信的目的外利用といった印象を持ってしまうのかもしれません。

では1.の場合はどうでしょうか。飲食店の存在意義は、空腹を満たす、栄養を補給する、美味しい料理を味わうと共に、口説く、説得する、歓談 、商談、密談、交渉を円滑に進める、等がよく知られたところです。

私自身は未だ
料理写真の撮影に意義を見出せておらず、確信的目的外利用と感じているのでしょう。得も言われぬ釈然としない印象を抱いています。

実は新たに意義が創出されているにも拘らず、単に私だけがそれを受け入れられていないだけかもしれません。

是非について考えれば、上記行為がいずれも合法であるのは勿論で、全く問題はないはずです。2.の価格比較アプリの利用も米国では極めて日常的なようですし...

心情的な齟齬を解消するには、料理写真の撮影についてもう少し考察し、理解を深める必要がありそうです。


引き続き、料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係ついて考えてみます。

(続)

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