2022年5月15日日曜日

合点

メディアへの広告出稿というか、みかじめ料の納入がまだまだ足りなかったのでしょうか。吉野家を巡る炎上が続いています。

吉野家、『魁!!男塾』コラボキャンペーン炎上で謝罪 6万6000円相当の「オリジナル丼」、220日かけポイントためた客に後出しで条件変更
から始まり、
生娘シャブ漬け戦略
を経て、
学生本人に確認しないまま、外国籍と判断して採用説明会への参加を拒絶
と続いています。これはこれで次の炎上に向けワクワクさせるものが去来します。

それはさておき、マーケティングの手法として上記の生娘シャブ漬け戦略を吉野家から離れて考えてみます。宣伝広告でブームを作って市場を創出して営業を掛ける、というのは吉野家に限らず、根底か潜在的に生娘シャブ漬け戦略に基づく常套的な手法だよなぁ、と思った次第です。表現の下劣さはともかくとしてです。この品性に欠ける呼称の発言主は大手消費財メーカ日本P&G出身でマーケティングの講演に講師として呼ばれる専門家とのこと。

で、日本P&G出身でブランドマネジャー歴任といった経歴を知ってなるほどと腑に落ちました。それは今ではもう当たり前になっている、除菌、消臭、芳香アピールです。今日の衣料用洗剤・柔軟剤、台所用洗剤、シャンプー・石鹸、室内空間消臭剤分野において、除菌、消臭、芳香をアピールした製品の一般化は、当に生娘(除菌/消臭/芳香)漬け戦略が功を奏した結果と捉えています。そういった製品の市場投入当時は”生娘〜漬け戦略”という語は使われていなかったでしょうが、内容にそれほどの差異は感じません。

曖昧な記憶ですが20〜30年前でしょうか、以前の洗剤の宣伝広告には今ほど除菌とか、消臭の圧を感じなかったような記憶があります。いつ頃か目に見えない菌や匂いを意識させる、不安を煽るような広告が目立ってきました。菌は科学を謳う手法で数値化(見える化)、個人の感度や好みという主観性が反映される匂いは抽象的に快/不快な雰囲気を漂わせることで、高い広告効果を得るための材料として格好です。

吉野屋の件で非難の元となった語を使うならば、(商品絡みの)知識の乏しい生娘の、除菌、消臭製品漬け戦略という表現になるでしょうか。メーカと消費者間には絶対的な情報の非対称性があります。この非対称性を使って商品とその背景について情報を伝えつつ?、(アナタのためと)教えつつ?、商品の有用性を訴求して購入へと誘導すると。事例は至るところに転がっています。まぁ、適法であれば云々する必要もありません。一方向からの情報供与とそれがあからさまに商品購入に繋がっているプロセスが”鼻につく”だけですが。

除菌、消臭、芳香製品、或いはそういった機能を付加した洗剤などの消費材の場合、細菌、ウィルスや自己臭、生活臭に対する不快感を強調し、忌避感や清潔に対する義務感を醸成するわけです。そこに同調圧力が加わると、エチケット、マナー、ルールへと強制性が増大していきます。こうして除菌、消臭、芳香は製品に必須の機能となり、至極当たり前に常用する、ロイヤルティの高い顧客の育成プロセスは完成に至ります。

確かに、日常生活の中で細菌、ウィルスの蔓延は避けたい処ですし、不快な匂いの消臭や芳香による置き換えを拒否する理由はありません。清潔な環境が好まれるのは当然で、公共、プライベートを問わず周囲、他人、家族であっても不快感をもたらす/もたらされるのは嫌なものです。

ただ、なんとなくなのですが、上記除菌、消臭、芳香を謳う製品のプロモーションに圧迫的というか、押し付けがましい印象を抱いてしまいます。異論を許さず抵抗できないというか...”良いに決まっているから従え”といった、喉元匕首を突きつけて従わせるような強引さに、統制社会に通底したものを感じてしまいます。

捻くれている、天邪鬼と指摘はその通りかもしれません。

もう随分昔の話ですが、麻雀放浪記(阿佐田哲也作)の風雲編だったかにあったドテ子の、
━━アンタがアンタの匂いがするのは当たり前━━
のような言葉が妙に思い出されました。昭和二〜三十年代の話でしょうが時代の変化を実感します。

件の吉野家のマーケティング戦略と、日本P&Gの戦略が冒頭の同一人物によって策定されたとは断定できませんが、キーパーソンとして深く関与してきたであろうことは間違いありません。つまり、吉野家と日本P&Gでマーケティングの戦術は違えども、戦略は、同じ生娘シャブ漬け戦略なんだろうということです。件の専門家が日本P&G在籍中であれば、除菌、消臭、芳香製品成功を同じ戦略でアピールする講演になったと考えます。その際、該不適切な語を使うかまでは判りませんけど。

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