2015年1月28日水曜日

摩擦

当然のことですが、衝突は回避したいし不快な思いはしたくないわけです。
「俺は偉いんだから、先生とか、社長とか、様って付けんと許さんかんね。」って思ってる人は、おじさんに近寄らんでね。
しばしば拝読しているブロガーの方の年頭の所信です。いや、ま、確かにそうなんですが...

思う処を少し記してみます。


1.誤解

先生や社長が権威を嵩に居丈高な姿勢で
”俺は偉いんだ”
感を醸し出されても、
”ああ、そうですか。偉いんですね”
でやり過ごすことができます。実害がない限り...

適当に相槌打って、
”センセ”、”センセ〜イ”、”シャチョー”、”シャッチョサン”
と呼んで、
”しょうがねぇなぁ”、”どうしようもねぇなぁ”
と流しておいてもいいわけです。ただ、
”何でそんなに偉そうなんですか?” 
”何故そんなに人望がないんですか?”
何が謙虚さを失わせているんですか?”
 尋ねてみるのもありかもしれません

いや、実際にはもっと丁寧、慇懃に、尊敬の念を込めて歯に衣着せて尋ねるわけですが...

尊大な印象が、もしかすると、双方の誤解によるものだったかもしれません。そんなつもりはなかったと...或いは、直言されて己れを顧みるきっかけとなる可能性も否定できません。

誤解が解けないまま、本人が自覚しないままというのも建設的ではないような気がします。

勿論、互いに不快感しか残らない場合も少なからずあるでしょうが、まあ、実害、不利益がないことを前提としていますから。


2.制限

”不快な思いを我慢したくない”、これが尊大な態度を露にする人に近寄って欲しくない理由です。関わりたくないわけですから、当然、自らもそういった方には近づかないことになります。

これは、居丈高なある特定個人によって自身の言動が制限されてしまうことを意味します。尊大な態度を我慢することと、該態度からの不快感を避けんがために自身の行動の自由度が下げられてしまうこととは表裏一体ではないでしょうか。

立食形式の会合で、的矢のカキフライが揚げたてで出されたものの、その傍らには上記先生、或いは社長が控えていて大皿から離れない、といった状況が一例でしょうか。

カキフライに近づいて、尊大な態度を我慢するか、引き下がってカキフライを我慢するかの選択を迫られることになります。自身とカキフライ間の引力、ややこしい御仁との斥力、これらの差分がカキフライとの距離を決定することになります。

そういった状況下では、揚げたてとはいえどもカキフライの魅力が大きく毀損されるであろうことは容易に推定できます。

それはそれで面白くないなぁと思うわけです。どうしましょうかね。


もう少し考えるために、冒頭の文言から連想した場面、状況を思いつくままに列記してみます。
1)購読を止めてもうかなり経ちますが、「俺は偉いんだから、先生とか、社長とか、様って付けんと許さんかんね。」という言葉から、真っ先に漫画”美味しんぼ”を思い出しました。作品には横暴、高飛車な政治家、評論家の先生、社長が頻繁に登場します。で、こういった人物の食材や飲食に纏わる誤った、或いは軽視した発言が引き金となって起こった主人公との揉め事が、最後には誤解がとけて一見落着、良かった良かった、が常套的なパターンでした。
(いずれ”美味しんぼ”を含めた漫画の功罪について記すつもりです。)

2)”みんな仲良く”は義務教育過程でよく聞かされた文言です。今更ながらあり得ないなぁと思います。体裁を取り繕って単に児童、生徒を管理し易くしたかったのではないでしょうか。
集団を構成する各々が全く同じ態度、姿勢で等しくコミュニケーションできるはずがありません。”みんな仲良く”を維持するためには一部に歪が生じ、我慢を強いることになるわけです。
”みんな仲良く”のグループ内には、程度はわかりませんが、ただ、確実に己を誇示する言動とそれをされる側が存在し、総じて和が保たれているという構造になっているかと推測しています。この和は、おそらく、される側の受け入れる、堪える、或いは、受け流す姿勢によって支えられているのではないかと。寛容度、我慢強さ、回避の上手さが己を誇示しようとする力を上回っている限り、表面上”みんな仲良く”は維持される、ということです。
こういった、和を支える姿勢は時には協調心という語にすり替えられたり、集団行動、グループの纏まりのためと目的を優先して肯定されることもあり、それはそれで抵抗を憶えます。
で、全体を細分化して個別部分を見れば、歪や皺ができていると...この局所的な歪や皺の増大が集団内のいじめを引き起こす原因ではないかと憶測しています。ただ、全体としては”みんな仲良く”ですから、悲惨な事件に至るまでいじめは覆い隠され見逃されがちになっているような気がします。
この傾向は小中学校という、成長過程にある年少者の集まりにのみ該当するわけではなく、分別があって然るべき”大人の”集団でも認められます。
警察、消防、自衛隊、及びそれらの訓練組織といった閉鎖的で強い結束、団結(=みんな仲良く)が求められる組織において、より酷く陰湿ないじめが時折発覚しているのは偶々でしょうか。
勿論、組織防衛の姿勢も隠蔽体質を生み出す一因ではあります。
いずれにせよ、グループ内には必ず己を誇示しようとする意思が生まれてしまいますから、グループを”みんな仲良く”へと誘導することには首を傾げている次第です。

冒頭に引用した、
”...おじさんに近寄らんでね。”
ですが、そういった言葉を宣言しなければいけない社会というのも窮屈だなあと...いや、自由に表現できるということは素晴らしいことなんですが、別の意味です。  

”みんな仲良く”の正しさが潜在的に信じられていて、これに反するような主張をするには、所信として声高に表明する必要があった、とみるのは勘ぐり過ぎでしょうか。


(続)

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