2017年12月29日金曜日

公平

12月に入り、NHK受信料を巡る訴訟において裁判所から二つの判決が下されました。
NHK受信料「合憲」=テレビ設置時から義務-「知る権利を充足」最高裁が初判断
NHK受信料ワンセグ携帯も義務 支払いで、東京地裁
前者は放送法で規定された受信料制度の合憲性を争う訴訟で、”受信料制度は合憲であり、支払い義務はテレビ設置時から生ずる”、という判断を示すものです。後者は、ワンセグ機能付き携帯電話の所有が、NHKとの受信契約を結ぶ義務を生じせしめるかを争う訴訟で、”受信契約を締結する義務がある”との判断を示すものです。

NHKに関しては思う処が少なからずあり、上記判断と絡めて記してみます。


(1)大法廷判決 受信契約締結承諾等請求事件について

裁判長はこの程定年を迎える、寺田逸郎最高裁長官でした。退任に際し記者会見を行わない意向とのこと。個別の裁判についての質疑を受ける機会を極力排除したい、という意図なんでしょうか。本件も含め...

さて、上記判決書、及び、毎日新聞の判決要旨では、放送法64条で規定された、”受信設備を設置した者はNHKと受信契約を締結しなければならない”という契約の強制性についての合憲/違憲の判断が示されています。
前記の同法の目的を達成するのに必要かつ合理的な範囲内のものと して,憲法上許容されるというべきである。
立法裁量の範囲内で合憲とのことです。ここで、前記の同法の目的とは、”公共の福祉のための放送を行う”ことです。この目的を達成するにあたって従うべき原則が定められています。
1.放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。
2.放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。
3. 放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。
不偏不党、真実及び自律の保障、健全な民主主義の発達ですか...

上記判決が公開された時、素直に首肯できない違和感を覚えたのですが、それがこの放送法の目的辺りに由来したものであろうことは間違いありません。恰も、この目的に対し現在のNHKの放送内容が適切であることを前提として下された判断、という印象です。主観に基づく見方であるのは否めませんが。

理屈としては、受信料制度の合憲性を争う訴訟において、NHKの放送が果たして公共の福祉に寄与しているか否かは別の問題、論点が違うと付されるのかもしれません。

判決文中では、”表現の自由の保障の下で、国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与する”ものとして、放送の意義が規定されています。しかしながら、その意義を反映した放送の目的を適えるべく、実際の放送が行われているか否かの判断はされていません。

つまり、”健全な民主主義の発達に寄与する放送が行われているならば、受信料制度は合憲である。”という理解です。受信料制度の合憲性を争う前に、争いの対象となる条件を満たしているのか、ということです。

本来であれば、受信料制度の合憲性を争う以前に、健全な民主主義を発達せしめるという原則の下、放送が公共の福祉に寄与しているか否かが問われて然るべきと考えます。現行の放送が放送法を遵守したものであるとの判断は、受信料制度の合憲性を争うための必要条件です。

換言すれば、受信料制度が合憲であったとしても、それは無条件に是認されるものではなく、放送法によって限定された合憲ということです。例えば、戦前の戦意高揚、プロパガンダを目的とした、明らかに放送法に抵触する放送をNHKが行った場合、受信料制度を合憲と認めることはできません。

その一方で、受信料制度が違憲であると断じる意図はありません。NHKの事業運営の財源を受信者に求める原則部分についての異論はありませんが、受信設備設置者にNHKとの受信契約、即ち受信料負担を義務付ける、という運用部分には強い反発を覚えます。受信設備設置者、即、NHKを選好した視聴者とみなすことに飛躍というか横暴さが否めませんし、何よりNHKの放送法を遵守した事業者としての適格性についての疑義があるためです。

NHKは自身が行っている各々の放送が”民主主義の発達”に対しどう寄与をしてきたのか、或いは、放送法の目的を達成するためにどういった論理で放送を制作しているのかを受信者丁寧に説明し、理解を得る義務がある、と考えます。
受信契約者の知る権利を行使する以前の、NHKが率先して為すべき義務です。

”朝ドラ”、”大河ドラマ”、”アサイチ”、”ためしてガッテン”、”家族に乾杯”が健全な民主主義の発達にどう資しているのか...”ニュースウオッチ9”ですらドラマの番宣やポピュリズムを匂わせる情報がふんだんに盛り込まれていて報道というよりニュースバラエティの色合いが濃くなってきているように感じます。

付け加えれば、”健全な民主主義の発達”というのも曖昧な印象を禁じえません。ゴールというか到達目標、及び、現在位置と問題点について説明を求めたい処です。


又該判決文では、受信設備設置者間で受信料負担の公平を図るため、”受信契約の成立によって受信設備の設置の月からの受信料債権が生ずる”とするのが合理的と記されています。

これは受信設備設置と受信契約の期間の差異、同じ受信設備設置期間であっても受信契約期間の長短で受信料負担に差が生ずる不公平を解消するためです。しかしながら、そういった各々の契約間での受信料負担の公平性に配慮する以前に、優先的に公平性を保つべき問題が蔑ろにされているとみています。

放送法では、現在、受信契約は世帯ごとに締結するよう定められています。ここで、三世代同居で各々の世代毎にテレビを保有する世帯と、単身勤労者の世帯を考えてみます。

視聴者一人が得る情報の対価という観点では、前者の各人が後者より圧倒的に割安に情報を得ているのは間違いありません。前者が各世代二人で計六人、三台のテレビを設置し、個々のテレビで異なった放送(a,b,c)を二人ずつ視聴すれば、世帯全体の受け取る情報は(2a+2b+2c)です。一方、単身勤労者の世帯は同額の受信料負担でaかb、乃至はcに留まります。

更に言えば、一般的な単身勤労者が一日24時間の中で、一体どれだけの時間を放送の視聴に割くことのできるのか、勿論、学生、生徒も同様です。

”NHKは視聴しないから受信料を負担したくない、負担しない”ということではなく、視聴を希望する/しないに拘らず、現実的に視聴を制限される受信者という層が確実に存在するわけです。この層に属する世帯と、時間のやり繰りが可能で希望の放送を自由に視聴できる、例えば高齢の引退者の世帯に等しく受信料負担を義務付るというのも公平性を欠いていると言わざるを得ません。

この不公平さの是正はコンテンツ毎にPPVシステムを導入することで容易に解消可能です。受信者が希望のコンテンツのみに料金を支払って視聴する”、この方式が最も簡素で公平な形態です。技術的困難もないはずです。地上デジタル放送開始に伴って導入されたB-CAS方式により放送の限定受信は実現可能です。そのためのB-CASですから。

NHKのサイト よくある質問集には、”なぜ、スクランブルを導入しないのか”という疑問に対するQ&Aがあります。以下が、スカパー!やWOWOWといったいわゆる有料放送に倣って視聴希望者のみと個別に契約をするべき、といった声に対する回答です。

  1. NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
  2. 緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。
  3. スクランブルをかけ、受信料を支払わない方に放送番組を視聴できないようにするという方法は一見合理的に見えるが、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題があると考えます。
  4. また、スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。
この回答からは、各個人が受け取る情報に対して負担を強いられる対価の不公平さは解消されません。繰り返しますが、視聴したい/したくないではなく、現実問題として、したくとも視聴できない層が被る不利益に対して全く説得力が欠けています。”いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく”と大義名分を一方的に宣われても、時間的、位置的に視聴が適わない受信者が減少することはありません。

上記回答にある「健全な民主主義の発達」を謳うのであれば、こちらも先述した、”朝ドラ”、”大河ドラマ”、”アサイチ”、”ためしてガッテン”、”家族に乾杯”、更には”ブラタモリ”や、大相撲の他、NHK杯の名を冠する競馬、スケート、体操等のスポーツ、将棋や囲碁の対局中継が該民主主義の発達にどう寄与するのか、制作意図と共に丁寧で論理的な説明がなされるべきです。

勿論、短絡的にこれらの放送を否定する意図ではありません。ただ、面白い、興味深い、視聴者に求められてる、といった理由でNHKのコンテンツとして容認するのではなく、「健全な民主主義の発達」との整合性を問いたいわけです。

上に挙げた番組は視聴者に人気の番組ではあるものの、民主主義の発達への寄与を意図して制作されたものではないかもしれません。だからと言って、社会生活の基本となる確かな情報を提供したり、豊かな文化を育む番組としての適否の視点からも適切性に疑問符をつけざるを得ません。公共の福祉に対する有用性が明らかにされないままこれらの番組は放送され続けています。

”社会生活の基本となる確かな情報”、”豊かな文化を育む”では語義が曖昧過ぎです。こういった、なんとなく有用性のありそうな抽象表現ではなく、”社会生活の基本”、”確かな情報”、”豊か”、”文化”、”育む”の個別具体的な定義をした上で、目的を達成するに当たっての各々の番組の制作意図が開陳されて然るべきと考えます。これは、視聴者からNHKに知る権利が行使されてではなく、NHKに元来課せられた義務の一つとして、自発的に明示されなければならないことを付言しておきます。


追記していきます。

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