2019年8月29日木曜日

風土(5)

では、この一連の中止騒動を回避するにはどうすべきだったかについて記します。展示する/しないではなく騒動の回避です。

この騒動は元々非公式な抗議や不当な恫喝が原因です。又、キーパーソンは実行委員会、芸術監督、愛知県知事、名古屋市長あたりですが、企画と実行における権限と責任が分散していて透明性にかける感もありました。事前に強い意思決定者として住民、若しくは納税者を参画させていたならば、該騒動は起きなかったと考えます。

”表現の不自由展・その後”の展示後であっても、公式に意志を反映させる、賛否を問う仕組みを取り入れていれば、刑事事件にまで至る前にめでたく中止と相成ったのではないでしょうか。

これはある種の住民投票です。こういった公共事業に対する賛否に住民や納税者が直接関わる公的な仕組みあって然るべきです。従来、住民投票は地方議会の解散請求、首長・議員の解職、条例の制定などを想定していてその実施に高い障壁がありました。このハードルを下げてもう少し個別の案件毎に地域住民、納税者の意志を具現化する、公が実施するアンケートであっても一定の効果は期待できます。

先般、横浜市長が賭場を誘致に乗り出すにあたって、
住民投票するつもりはない
と宣われました。こちらも正当に是非を問うべきです。首長の解職といったクリティカルな話ではありません。トリエンナーレや”表現の不自由展・その後”実施の是非とか芸術分野への公金歳出の承認といった、個別の案件で民意を汲みいれた適切な対応をとっていれば、日本のみならず国際的に注目されるような騒動には至らなかった、ということです。

従来、こういったアンケート、民意の集約を効率的に実施することは困難でした。しかしながら、昨今のIT、特にネットワーク技術を活用すれば十分確度のある民意の具現化が可能です。週間文春のアンケート
74%が反対「慰安婦少女像」の芸術祭展示問題アンケート結果発表
はその実現性を示す一例です。風呂敷が拡がったまま放置されているマイナンバーをこういうところに使ったらどうなんだ?とも思います。

――――――――――――――――――――――――――
――表現の自由です――
――政治的背景はありません――
――こちらは何も問題がありません――
――見る側が何か受けとったなら、それはそこで議論していただいたらいい――
真偽は定かではありませんが、トリエンナーレの窓口(おそらく実行委員会)に架電した際の応えのようです。抗議や苦情に対してこういった応答で封じ込めようとすれば、炎上は必至です。こういった一切の苦情を跳ねつけるような対応は県の職員、いわゆる役人のものとは思えません。上記の”ヒグマ駆除への抗議に苦慮する札幌市”のような板挟みの立場に置かれるのが通常ではないかと。おそらく、知事や芸術監督から企画、実行の委嘱を受けた実行委員会の意向なんだろう、と推測しています。

特定の思想信条、それは政治的であったり宗教的であったりするわけですが、ある集団の中で特定の思想信条を持つ人物の割合が閾値を超えると、その集団が即ち該思想信条を持つ集団へと変貌してしまうことがあります。

県営、市営の公営住宅は、政治思想や宗教と切り離されていなければならない共同住宅です。本来、賃貸住宅に済む居住者であること以外に共通点はないはずです。せいぜい通勤、通学に至便なため勤務先や学校が同じ、といった程度でしょうか。

ところが、そこで特定の思想信条を持つ居住者の割合が増大すると、政治活動や宗教活動が始まります。その割合が高じれば集会所のような共同のスペースであっても特定の思想信条のための活動に利用されるようになっていきます。その過程で勧誘や感化によって、元々そうでなかった居住者がその思想信条を持つ集団の一員になったり、或いはなじめず結局退去したりという話を聞いたことがあります。純化が起こっているわけです。飲み込まれないようにと思っていても空気が醸成されそこに囲い込まれてしまうと、なかなか抗うことは大変な気がします。

芸術や文教の領域にそういった感化と排除による純化の作用が働いていないか、ちょっと懸念しています。杞憂であれば結構なことですが。



次のエントリに続けます。

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