2019年8月31日土曜日

風土(7)

河村たかし 名古屋市長

――どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの。いかんと思う――

”表現の不自由展・その後”の慰安婦像展示に対するこの発言から爆発的な炎上が始まりました。

結果として”表現の不自由展・その後”の展示中止のきっかけになりました。中止という結果そのものには異を唱えるつもりは何らありません。

ただ、抽象的、主観的な”心を踏みにじる”をその理由とすることには同意できません。理性的に公益を害し不適切という論立てを採るべきでした。抗議も市長の立場という”上から”の形でしたから、”権力者による検閲”と批判に晒されました。

稚拙な印象は否めません。旗を降って市民や納税者の意見、抗議を集約し、あくまでその代弁者という体にしておけば”権力者が...”という批判は受けなかったと考えます。

で、河村たかし 名古屋市長といえば、最近計画未達が確定した名古屋城復元事業です。主観的な立場からですが自治体が取り組む事業として、この事業の適格性に疑問を持っています。この部分で自治体の事業に対する河村たかし市長の姿勢を支持していません。

名古屋城の復元を含めた、自治体の手がける古城の復元事業については以前のエントリで記しました。

補遺すれば、城址で十分と考えます。勿論、そこにどのような城が在ったか、という記録は必要です。ただ、城址になったことこそが歴史です。必然性のないまま復元したからといって完全な再現ではありません。当時の社会状況、時代背景が城の必然性を生み出したのであって、必然性なく復元しても所詮レプリカで忠実に再現されるわけではありません。

建築基準法、衛生設備に加え、誰が登城できるのかを鑑みれば明らかです。それが歴史上のそうだったと既成事実化してしまうと、ある意味歴史修正に該当するのではないでしょうか。

超々後世から見た時、城は特定の権力者階級のみ登城が許される象徴なのか、地域住民、観光客が気軽に訪れることができる観光施設なのか曖昧になりかねません。

韓国の日本大使館前、世界中の公園に件の少女像が設置され、その撤去を巡って日韓で摩擦が生じています。観光施設として復元された名古屋城の城門前に件の像が設置されでもしたら怒髪天を衝くだろうなと。その時点で特定国からの観光客は登城禁止にでもするのでしょうか。

朽ちものは朽ちたままがいい。それが当に”歴史を刻む”ことではないのか、これは私見です。

ところで、河村たかし市長は、あいちトリエンナーレ実行委員会会長代行の職責にありました。会長代行の重責にありながらも開催まで”表現の不自由展・その後”の展示内容を知らされていなかったのでしょうか。知ろうとしなかったのか、或いは隠蔽されていたのか...

知ろうとしなかったのなら職務怠慢の気がしますが。知らなくて済む職責であるならば、会長代行の意義を改めて問うべきです。飾りなのか?

他方、巧妙且つ意図的に知らされていなかった、蚊帳の外に置かれていたのであれば、実行委員会側は炎上を確信していたことになります。意図的に隠蔽されていたならば、会長代行が展示内容を見抜けなかったのも無理からぬ話かもしれません。

その辺りは”あいちトリエンナーレのあり方検証委員会”で精査されなければならない話です。内輪のお手盛り検証で有耶無耶な幕引きにならないことを願って止みません。


は大村秀章愛知県知事です。

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