2019年8月15日木曜日

風土

さて、”表現の不自由展・その後”の展示中止騒動も沈静化しつつある中、思う処を記してみようかと。

それでまず、あいちトリエンナーレ2019の公式サイトを覗いてみました。こういった公式サイトでは、重要な告知は最も目につく位置に置くべきなんですが...公式サイト内で、表現の不自由展・その後の展示は中止にします、といった旨の情報には容易に辿り着けませんでした。トップページからアーティストのリンクを辿って、
表現の不自由展・その後 【展示は中止しております】
という文言を見つけることができましたが、他の作品と同列に配置されていて、非常に目立たない中止の告知です。

展示の中止に至るまであれほど巷間を騒がせたわけですから、すぐに目につくようにサイトのトップページに実効委員会の見解と共に表示すべきです。

ことさら扱いを小さくして、この中止騒動を矮小化、隠蔽したい意図でもあるのか、と勘ぐってしまいます。この辺り、あいちトリエンナーレ実行委員会の姿勢については後ほどもう少し考えてみます。

本騒動には、表現の自由、芸術の定義、公益を始め様々な論点が内包されています。それらを切り分けないまま関係者各々がポジショントークを繰り広げたため、混沌とした炎上状態になりました。

例えば、件の少女像が公金の投じられた催し物で展示されることの是非、表現の自由の定義、更に該少女像は果たして芸術なのか、そういった話は別個に考察されるべきです。展示の正当性を主張する側、不適切として中止を求める側各々が一方的に言い分を投げつけている現状では、事態の前向きな解決はとても期待できないなぁと。いっそちゃんと罵り合えばいいのに、とすら思います。
そんなこと事前に摺り合わせておけ
という点で、いずれにせよ、愛知県、当然そこには名古屋市も含まれますが、いわゆる芸術とか文化的な活動には関与しないほうが賢明ではないかと。

素養、見識、資質、力量を鑑みて、芸術とか文化的な活動に携わるだけの適格性に疑義を抱かざるを得ない、まぁ、不向きということです。国際芸術祭を開催して、そういった分野でイニシアティブを取ろうなど分不相応の感が否めません。

東京ほどではないにしても、他府県、他市町村と較べた時、愛知県、及び名古屋市はトヨタ他の製造業からの恩恵を受けて、会計に余裕がある自治体です。

この潤沢なカネを、”芸術とか文化に関わらせて大丈夫なのか?”、そんな疑問符がつく人物に持たせるとろくなことにならないわけです。本騒動でそれが垣間見えた気がします。

権威を誇示するためでしょうか、権力者は芸術とか文化の庇護者?パトロン?になりたがる、由来はそんな処にあって、古今東西よくある話です。その一例という見方もできないでもありません。
”カネは出すが口出しはしない。良きにはからえ。”
そんな調子で鷹揚な庇護者のつもりだったのかもしれませんが、その結果がこの有様です。

本件はこの権力者が自治体の首長であり、執行される予算の原資が公金である、という部分が関係各位からの燃料投下に繋がりました。誰からも消火剤が投入されなかったわけです。未だ完全に鎮火した状態にはなく燻り続けていて、風向きが微妙に変化したり、僅かに薪をくべるだけで再炎上する危険を孕んでいます。

次のエントリから騒動の細部について考えていきます。

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