2014年7月21日月曜日

相反(5)

組織防衛以外のなにものでもないわけです。
小保方晴子さんの博士論文「学位取り消しに該当しない」 早稲田大学が調査結果を発表
で、既に食傷気味のせいか、メディアで大きく採り上げられていません。或いは、大手メディアには早稲田出身者が結構な割合で在籍されていると聞きますから母校の価値が毀損するのを防いでいるのでしょうか。

陸の王者の出番かもしれません。ブーメランにならないことを願って...
『小保方処分問題』で知識人層から見放されてしまいそうな安倍政権について


随分横道に逸れたりしましたが、今尚収束しないSTAP細胞騒動は科学技術に纏わる様々な相反、曖昧さにも一因が見出されるのではないでしょうか。

客観性、整合性、真実性、合理性、具体性を重視する科学技術が立脚している、そのプラットホームである社会が実は様々な抽象性、矛盾、曖昧さを内包していることに依るのではないか、ということです。

科学技術の意義の一つである新たなる知の獲得という社会全体への貢献と、自己、及び、所属組織、国家による経済的利益、栄誉、称賛の独占というか囲い込みに対する要求や欲求が競合する中で、果たして、両者のバランスに誰もが合意する適正な有り様は存在し得るのでしょうか。

最初に、科学研究の成果をほぼ経済的利益に結び付けられる、特許制度の視点から記してみます。比較的曖昧な部分が少ない場合かと考えます。


制度では、出願された発明内容の公開と引換に、要件を満たしていれば特許として発明は権利化され、独占的利用が認められています。特許を利用することで得られる何らかの経済的利益、この利益の独占を保証することで科学技術の発展を促し、豊かな社会の実現を目指すわけです。

この時、出願人は発明による利益の独占を目的に権利化を目指すのであって、発明内容の公開が目的ではありません。原則としてですが...

例えば、圧倒的な技術力の格差等、何らかの理由で利益の独占が確約されているならば、特許として出願する必要はなくなりますから発明内容は非公開のままでしょう。即ち、特許制度の枠組みの中では、権利化して利益を囲い込むため、やむを得ず発明を公開するのであって、能動的に発明を公開しよういった姿勢は本質的には取り得ないはずです。

尤も、京都大学山中教授によるiPS細胞の特許出願のように、”他者の独占を阻み広く発明を利用してもらう”といった事例もないわけではありませんが、一般的ではないかと思います。(こちらはこちらで非生産性を感じるのですが、やむを得ない話かもしれません。)

で、積極的に発明を公開したいわけではありませんから、核心となるノウハウ部分をあえて明細書に記載しないこともあるとも聞きます。軍事、防衛技術等の場合、当該技術の利用者が既に市場を独占しており、むしろ発明を公開するリスクの方が大きく、特許として出願する意義がなかったりもします。

技術による豊かな社会の実現を推進する特許制度ですが、権利と引換にやむを得ず科学的知見が開示させられるものです。この知見は結果として社会による新たな知の獲得に結びつきはしますが、決して第一義的、積極的な目的ではありません。

以前のエントリで例示した、鈴木章北海道大学名誉教授の言葉に加え、
根岸英一パデュー大学特別教授ののインタービュー記事でも、
と答えられています。

又、下村脩ボストン大学名誉教授も、

とされています。

上記ノーベル賞受賞者の方々が、受賞理由となった研究成果を創出した時代は、米国と言えども”国家による科学技術が生み出す利益の独占”にそれほど貪欲ではなかったはずです。特許に代表される知的財産権を積極的に活用する、いわゆるプロパテント政策が推進されたのは1980年代のレーガン政権以降です。

今日であればおそらく、研究費獲得の責任に対する科学者の負担も増加しているでしょうから、特許権取得を促す圧力も当時より高まっているかもしれません。

”研究成果を誰もが気軽に利用できる”といった趣旨に対しては、成果は公開するものの特許は未出願として利用する際の障壁を下げる、といった判断がより自然な姿勢だったかと考えます。

しかしながら、下村教授が発見した緑色蛍光タンパク質(GFP)は、基本特許こそ出願、権利化されなかったものの、応用特許については他の機関が特許権を管理しているようです。


そういった意味では、iPS細胞関連特許に対する、山中教授の”他者の独占を阻むために権利化して開放する”といった考え方も支持できないわけではありませんが、一旦権利化(独占)という過程を経ての開放ですから回り道に似た印象を抱いてしまいます。

当初から成果を広く利用してもらいたいということは明確になっていますから、特許とか、権利化といった下世話な作業で研究グループを煩わせることなく、ひたすらiPS細胞の実用化に注力できるよう周辺環境が整備されるべきではないか、これが率直な思いです。


少し、横道に逸れます。

特許制度は本来、科学技術の発展を促し、豊かな社会の実現を図るために発明は権利として保護されます。言い換えれば、利益の独占、囲い込みのために発明を権利として認め、これが結果として豊かな社会の実現に結びつく、ということです。

ところが最近、利益の独占を求めることなく公益に資そうという事例をしばしば目にします。山中教授のiPS細胞関連特許も一例です。特許制度本来の趣旨からは外れているようにみえます。

Linuxに代表されるフリーでオープンなソフトウェアの発展も”成果を誰でも気軽に使える”好例です。米Googleの書籍全文検索サービス"Google Books"もフェアユース(公正な利用)との判断が出ており、著作権者による利益の囲い込みより公益を優先した事例と捉えています。

”成果を誰でも気軽に使える”、”公益が優先する”姿勢を保護するどころか、権利者側が阻む場合を見聞します。既得権を堅持したいのでしょうが、その姿勢にあからさまなものを感じることが少なくありません。

かつて、LinuxというフリーでオープンなOSが注目された際、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏によるオープンソースのソフトウエアに対する批判を見聞しました。(現在は共存共栄を目指しているのかもしれません。)
マイクロソフトはソフト販売で得た利益を次のソフトウェア研究に投資してきた。フリーでオープンなソフトは新技術を生み出さない

こういった主旨だったかとの覚えがあります。豊かな社会の実現と引換に利益の独占を正当化する、特許制度の趣旨に似たものを感じます。

実際には経済的な利益を伴わずともLinuxを含む無償のオープンソースソフトウェアの進歩は目覚しく、又、多様なWindows向けフリーソフトも活発に開発が進められています。

科学技術によって豊かな社会へと導く原動力として、権利に基づく経済的利益は必ずしも必須ではないわけです。上記ビル・ゲイツ氏の発言は一つのポジショントークとも受け止められます。

公益に寄与すべく無私の立場で見出された科学的知見に適用される特許制度の枠組みに囚われない、新しい制度があってもいいのではないでしょうか。

利益を意図した技術の囲い込みを認めず、公益のために該知見の権利を保護して利用を優先させる、ということです。特許制度における公知化ではまだ十分ではないかと...

話を戻します。


(続)

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