2014年7月8日火曜日

相反(4)

以前のエントリで、実施できない特許には原則として価値はない、と記しました。ではどういった場合に価値があるかということですが、該特許記載の発明の目的が達成された場合です。

該特許の権利範囲外の技術によって目的が達成されていてもです。権利範囲外であってもどの程度離れているかによるわけですが...

全く無関係、若しくは、大きくかけ離れている発明によって目的が達成されていれば話は別ですが、その関係性を推し量るのは特許庁、裁判所であり、審査官、審判官、裁判官です。双方の発明人、弁理士、弁護士が争って判断を求めることになります。場合により、権利化の成り行き如何で利害が生ずるであろう第三者も参戦してきます。

将来、なんらかの技術によってSTAP細胞が実現した場合、

――だから我々の特許によってできたでしょ――

――我々の特許を使わなければ実現できなかったはずだ――

と主張して成果の分け前に与ろうということです。

"NHK BS グッドワイフ"に登場するようなスーパー弁護士によって、口八丁手八丁で重箱の隅を突くような理屈を梃子に主張が展開され、双方泥沼化、疲弊し、遂には和解...

あり得ない話ではありません。

事業会社の知的財産管理部門にとっては競合の立ちはだかる特許の権利化を妨げる、無効化も業務の一つです

勿論、自社利益に結びつけるためです。

世知辛い話ですが、将来ゴネるための種を予め蒔いておく、ということです。

ただ、事業に国費が投入されている理研の事業目的を鑑みれば、当初からこういった目的で、理研が率先してSTAP細胞特許を出願したとは想像し難いものがあります。研究費獲得を目的に、ハーバード大学単独ならアイディア特許としての出願はあり得るかもしれませんが、日米の複数研究機関が共同で真否が不確かな特許を出願するとは思えません。

STAP細胞が現実に存在しているか否かはともかく、存在を疑うことなく特許を出願しているとみるのが妥当ではないでしょうか。

ないものをあると偽ったのではなく、ないものをあると思い込んだ、或いは、思い込まされた、と推測します。あるものをあると証明できなかった可能性もないわけではありませんが...

では、何故ないものをあると思い込んだ、或いは、思い込まされたのだろうか、といった疑問が生じるわけです。

で、誤解を招きかねない表現ですが、”バカンティ教の信者”だった、それは今尚そうかもしれない、と見立てています。

勿論、憶測以外のなにものでもありません。

バカンティ教授と小保方氏の関係は、あくまで、先生と生徒であり、(立場の上下関係はあったとしても)研究者間の考察、解説、質問、討論を通じ、相手の意見を科学的、合理的姿勢で評価するといった関係性が欠如していたのでは、と推測します。

指導教官の文言であっても、盲信することなく、否定するべきは否定する、といった研究者としての姿勢を小保方氏が欠いていた、ということです。再生医療分野の権威であるバカンティ教授からの情報を絶対視し、手放しで肯定的に受け入れてしまう、言わば講義を受講する学生だったのではないでしょうか。

例えば留学の経緯、
小保方氏は小島氏に「ハーバード大を見学したい」と伝え、留学が決まった。
体験記、
ここがよかった!GCOE ハーバード留学体験記
などからは、研究者というよりむしろ学生であることを窺わせます。学生の一つの経験としての留学といった印象です。

”未熟な研究者”といった語にはそういった意味も含まれているような気がします。

尤も、そういった指導教官の言葉を疑うことなく鵜呑みにしてしまうことには、やむを得ない部分があるのも確かです。遥か大昔の自分にも覚えがあります。

知識や経験に乏しい学生が、指導教官のアイディアを疑えるだろうか、ということです。Wikipediaによれば、STAP細胞のアイディアは再生医療や細胞工学の分野の権威であるバカンティ教授(ハーバード大学)と大和雅之教授(東京女子医科大学)によって2010年に独立に着想されたとのことです。

特に仮説の合理的根拠を求め難い生命科学の領域において、知識、経験が圧倒的に上回るその分野の権威からの自信たっぷりの言葉を、疑い、否定することなど、留学先で該権威の下、指導を受ける学生の立場では不可能でしょう。

力量の差が小さく、対等でなくとも研究者-研究者の関係ならばSTAP細胞に対し、もう少し懐疑的な姿勢を持てたのではないでしょうか。ただ、その場合にはSTAP細胞着想の礎ともなったバカンティ教授の胞子様細胞(Spore-like cells)説すら否定することに繋がりかねないわけですが...留学先の選定を誤ったと言えるかもしれません。

巷間科学者には、科学的事実のみを根拠として客観的、合理的に論理を構築するといった、実直なイメージがあるのは間違いないところかと思います。

確かに、眼前にある事実に対しては全く誠実、謙虚であることに異論はありません。ただ、一方で科学者の特性として、しばしば未来に対して大風呂敷を拡げがち、夢を語りがちになるのも事実です。特に研究予算が絡んだ場合には...

あたかも、細胞の分化どころか遺伝子の再構築を、結晶どころか素粒子の挙動を、更には、未来ですら間近で見てきたかのように論じられ、又、社会を一変させるかのような革新的技術が明日にでも実現可能な如く提案されるということです。

勿論、科学者の根幹の一つは独創性であり、ややもすると荒唐無稽と紙一重ですが、自由な発想は妨げられるべきではありません。従って一方では、大言を一概に否定することは発想の萎縮に繋がりかねず如何なものだろうか、とも思うわけですが。

結局、学生(未熟な研究者)であった小保方氏がバカンティ教授の毒気に当てられたというか、教授の言葉に魅了され、ないものをあると思い込んでしまった、というのが実の所かと憶測しています。

実際にはバカンティ教授の右腕ではなく、文字通り手足だったわけですが、小保方氏の華々しい経歴が若山教授の目を曇らせ、過大評価へと見誤ってしまったということです。

上述の独創性が科学者に求められる資質の一つであることは重々承知しております。湧き出る新たなアイディア、繰り出される独自の発想が科学技術の発展に欠くべからざるものであるのは疑う余地のない所です。ただ同時に、発想の全てが常に正しく、実現可能とは限らないのも明白です。

ほんの思いつきが真実であったり、熟慮を重ねた仮説が誤りだった、ということも珍しい話ではありません。例え提唱者がその分野の権威であったとしても、避け得ない誤りは時として生じてしまいます。問題は、特に提唱者が権威であればあるほど、発想の真否を判断する客観的な視点にバイアスが加わり、正しい説として一人歩きしてしまう恐れがあるということです。

で、学生は指導教官の言説が絶対に正しいと鵜呑みにしてしまうと...

――教官の予測と異なる結果は実験に誤りがあるからだ。
正しく実験すれば教官の予測した結果が得られるはず――

が、いつしか

――教官の予測した結果が得られた。
だからこの実験は正しい――

に変換されてしまうわけです。


ではこの錯誤の観点からSTAP細胞騒動が詳細に論じられています。真相については存じませんが...

なかなか難しい話かもしれませんが、一人の科学者として成長に至る過程で学生という立場があります。その訓練教育を受ける立場にある限り学生は原則として指導教官の手足です。一部の学生は、手足となっての研究を通じて、恰もOJTの如き作用で科学者として育成されていくわけです。

特に、科学者という人格というか、個性そのものを育成する、科学する心、姿勢を養う人間教育のようなプログラムがあるという話は寡聞にして知りません。

従って、大学の研究室における該OJTというか、通常の研究活動における教官、先輩からの指導、注意、忠告、批判、叱責、激励、及び、グループ内での討論が科学者の育成にとって極めて大きな役割を担っており、又、担わざるを得ないと考えます。

大学の研究室が研究活動を重視しがちになってしまうのは十分理解できるところではありますし、優れた科学者、是即ち、人格者、善人、常識人、優れた教育者である、或いは、すべからくかくたるべしといった意識は微塵もありません。

ただ、大学の持つ、研究機関としてではなく教育機関としての意義を鑑み、研究を通じた教育、科学者の育成という側面にもう少し焦点があてられるべきではないでしょうか。全く僭越な話ですが...

本騒動は、大学教育において該側面が蔑ろにされてきた一つの結果とも捉えられ、小保方氏のみの責を問えない、一方的に糾弾できない要因があることにも留意すべきでは、と思った次第です。


(続)

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