2015年5月26日火曜日

阿吽

強い不快感を禁じえません。

そういった言動が発達障害と診断されるなら私は思いっきり該当します。
どう向き合う? 夫の発達障害
上記NHKのリンクには放送された事例が全て上げられていませんでした。他サイトに示されていた事例も併せて示し、反論します。

1.ストレートな言動

回りくどくオブラートに包むより、率直に指摘した方が、問題を的確に捉え解決を図るには適切です。


2.変化が苦手

文房具でも食品でも、これまであった場所にないとイラッとするのは確かです。探す手間が生じますから。保管場所定まっている方が使う場合に効率的です。何らかの理由によってその場所に落ち着いたと捉えていますから、理由なく保管場所を変えたり、使用後元の場所に戻せない方が問題です。使用したい他者に対する配慮が足りないかと。

3.気持ちを察することが苦手

たとえば、妻が熱を出して辛い状態にあり、妻は夫に気がついて欲しくてマスクをして咳をしながらお皿洗いをしたとします。発達障害の人は、妻が皿洗いをしているのであれば、大丈夫だと判断をして代わりに手伝うということをしません。
発熱があることを察しろと?辛そうだが、洗い物ができる程度なのか、という判断は誤りなんでしょうか。問題は様子を覗えない、覗わないことではなく、
”風邪で辛いから洗い物を代わって”
と口にしない、できないことです。

4.一つの物事に集中しだすと他のことに目もくれず、時間を忘れてやり続ける

否定的に扱っていますが、科学者や技術者といったいわゆる理系の人間だけでなく、研究者を否定しているんでしょうか?


5.自分の決めた手順に強いこだわりがあり、例外は認めない

自分の決めた手順とは、正誤はともかく、より良いものにしよう、生産性を向上させようという姿勢が根本にあるわけです。一般常識、通常の手順、合理的理由に自分なりの考えを加えて手順を決めていると推測します。

例えば料理において、野菜の切り方は火の通りやすさだったり、調味料の順番は味の滲み込みやすさといった理由があるかと。茶碗の位置や魚の向きは常識というか通例の話です。

そういった部分も含めた自分の決めた手順を、意味なく逸脱されたら、自らの考えを蔑ろにされているような印象を抱くのは私だけでしょうか。誤りがあったり、より良くなるといった理由があれば差し障りはないと思います。

”なんとなく”、”理由なく”という部分が不快感を与えているかと。

6.正確な表現への強いこだわり

ありとあらゆるものに対してではありませんが、もちろん拘ります。

番組中、そこそこの量の肉に対して”すごい”という表現が”2kg”と発達障害とみなされた夫に改められていました。おかしいのでしょうか?”すごい”という抽象的な表現より量に対する認識を共有できると思いますが。直感的に”すごい量だな”と思えば、袋に貼付てあるラベル記載の内容量を見たり、更に興味を持てば量ってみるのも自然な行為ではないでしょうか。

全てに当て嵌めたら疲れてしまうのは承知しています。

上記のように、コミュニケーションにおいて自らの意思をできるだけ正確に伝え、意図を正しく理解してもらおうと考えれば、認識を共有している語を使おうとするのは当然です。

”すごい”、”多い”、”少ない”と、”美しい”、”かわいい”、”醜い”、上述の方は前者の語については数値化して訂正されるかもしれませんが、後者について指摘されることはないと思います。興味深い点ではありますが...

普段料理に携わらない誰かにお使いを頼んだとします。
”野菜炒め作るから豚コマ買ってきて。”
”鳥の唐揚げ作るからモモ肉適当に買ってきて。”
”ローストビーフ作るから牛ロース4人分。塊で。
不親切だなぁと思うわけです。実際に店頭で注文する、当事者意識に欠けているなぁと。頼む側は心得ているのかもしれませんが、相手の立場を慮れば正確に指示すべきでしょう。

己の意思を相手に正確に伝えるため、相手の立場に立って、客観的に、若しくは複数の同義語で表現することは、決して批判されるような姿勢ではないと考えます。

そもそも、時間、長さ、重さ、個数といった共有し得る尺度なしでは、研究、開発、設計、製造、施工といった文明社会に必須の作業に支障を来たします。


”共感性の欠如”が発達障害の一つであるASD(アスペルガー)の特徴だそうです。

かつて、文楽協会への補助金凍結の賛否を巡って、大阪市の橋下市長と作家の瀬戸内寂聴氏の間でやりとりがありました。その中で、瀬戸内氏の、
橋下さんは一度だけ文楽を見てつまらないと言ったそうですが、何度も見たらいい。それでも分からない時は、口をつぐんでいるもの。自分にセンスがないと知られるのは恥ずかしいことですから
といった発言に、決して橋下擁護ではなく素直に、傲慢さというか選民意識を感じ強い反発を覚えました。
”わからない奴は黙ってろ!”
ということかと。

見て直感的に分からないからこそ、理解しようと言葉による詳しい説明を求めるわけです。

上記”共感性の欠如”は確かにASDの特徴かもしれません。しかしながら、これを発達障害とみなして、分からないことを理解しようとする姿勢が否定的に扱われてしまわないかと強い懸念を抱いています。極端に言えば、封殺に利用されかねないということです。考え過ぎでしょうか。

ところで、発達障がいや発達障碍ではなく、発達障害との表現に何か理由があるのでしょうか。文字の選択以前にもう少し別の表現があるのでは、とも思いますが...

参考リンク


  1. 夫の発達障害|あさイチ
  2. NHKあさイチで「夫の発達障害」特集 妻が孤独を抱えて、うつ病を発症し…
  3. NHK「あさイチ」発達障害の夫に悩む妻が増大

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