2014年10月17日金曜日

公共(5)

元々、NHKについての一連のエントリを記そうとした動機は、いわゆる朝ドラを視聴した印象に端を発しています。

近年の朝ドラのシリーズとNHKの姿勢との関係について思いを巡らせるに辺って、NHKが公開している目的やガイドラインを斜め読みした所感がこれまでのエントリでした。

やっとこのエントリで、NHKの国内番組基準、特にNHKの掲げる公共放送の基本原則と照らし合わせながら、朝ドラの印象を通じてNHKの姿勢について記してみます。

以下はリンク先で公開されている、NHKの責務と、公共放送の期間としての基本原則です。
 日本放送協会は、全国民の基盤に立つ公共放送の機関として、何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論と表現の自由を確保し、豊かで、よい放送を行うことによって、公共の福祉の増進と文化の向上に最善を尽くさなければならない。
 この自覚に基づき、日本放送協会は、その放送において、
 1 世界平和の理想の実現に寄与し、人類の幸福に貢献する
 2 基本的人権を尊重し、民主主義精神の徹底を図る
 3 教養、情操、道徳による人格の向上を図り、合理的精神を養うのに役立つようにする
 4 わが国の過去のすぐれた文化の保存と新しい文化の育成・普及に貢献する
 5 公共放送としての権威と品位を保ち、公衆の期待と要望にそう
ものであることを基本原則として、ここに、国内放送の放送番組の編集の基準を定める。

特に朝ドラの視聴者というわけでもなく、偶々無為に見た近年の作品いくつかについての率直な印象です。

印象操作

”ゲゲゲの女房””カーネーション”の頃から何となく違和感がありましたが、昨今露になってきたような気がします。

現在放送中の”マッサン”では人種差別に対する嫌悪感を抱かせるかの意図を感じます。勿論、ドラマの舞台となった大正当時、登場人物のモデルとなった竹鶴リタさんに対する周囲からの奇異な目、差別があったであろうことは容易に想像できます。容姿、立居振舞、言語、慣習の違いに由来する、差別とは別の身構えてしまう部分も含めてです。

事実であったか否かはともかく、ことさらに人種差別に対する嫌悪感を増幅させる演出だなぁと受け止めました。昨今、しばしば見聞する、人種に起因する差別的思想、ヘイトデモ、ヘイトスピーチといった活動を連想させ、それに対するNHKの姿勢を窺わせるわけです。

勿論、人種差別を支持するつもりは断じてありませんが、思想介入、思想誘導というか大きなお世話です。ドラマ中で人種差別反対の意図を一方的に押し付けられているかに感じ、朝から気分が優れないこともあります。啓蒙しなくて結構、各々が考えることです。

こういった演出を、公正中立(両論併記)、上記公共放送としての基本原則、番組基準第1章 第2項 人種・民族・国際関係の、
1 人種的、民族的偏見を持たせるような放送はしない。
2 国際親善を妨げるような放送はしない。
に照らし合わせた時、整合性は保たれているのでしょうか。

例えば人種差別の是非に対する両論併記はないわけです。NHKが宣う中立性より、公共放送としての基本原則、番組基準を優先させているのでは、捉えてしまいます。


今後、話が進んで戦時下の日本も舞台となっていくかと思っています。となると、該差別と共に戦争に対する嫌悪感も増長させる演出が予想できます。

”ごちそうさん”、”花子とアン”のシリーズがそうであったように...

両シリーズの放送も安倍政権の憲法改正や集団的自衛権の論議とリンクさせ、抑制効果でも期待したのだろうかと勘ぐってしまいます。以前のいくつかのエントリ、錯誤解釈気概で疑問を呈しているように、安倍政権を支持してのことではありません。

”カーネーション”、”ごちそうさん”、”花子とアン”といった、作品中に戦時下の時代設定が含まれているシリーズの場合、まぁ必ず登場します。徒党を組んだ国防婦人会の面々が...

おまけは頭の悪そうな子供たちです。石を投げて主人公宅のガラス戸を割る、”国賊”といった張り紙をするなどして、”非国民”と叫びながら逃げていくわけです。”国賊”とか”非国民”とか朝から聞きたい言葉ではありません。
3 教養、情操、道徳による人格の向上を図り、合理的精神を養うのに役立つようにする
5 公共放送としての権威と品位を保ち、公衆の期待と要望にそう
に適った演出なのか甚だ疑問です。

で、国防婦人会ですが、これがまた”お国のため”を盾にした横暴で理不尽な戦争協力を強いる姿を描き出しています。該婦人会は正に主人公の虐め役といった役割で、知性を欠いた、直情的、意地悪、醜悪、精神論、不当な要求といった語で形容される物言い、行動が印象づけられます。

確かに戦時下では、全体主義による強い同調圧力が生まれ、該圧力が具現化された、実働部隊が国防婦人会という団体なのでしょう。この力によって異論、出る杭、個性、特に西欧的雰囲気を醸し出す言動が必要以上に摘み取られていたであろうことは想像に難くありません。

しかしながら、該婦人会の会員各々は、果たして全員が全体主義を支持し率先して戦争協力に参加したとするのは無理があります。活動の原点となった中心人物の動機はともかく、多くの会員は実は、軍部に利用されることで自制が困難になった同調圧力によって加担させられてしまったのではないか、とみています。

当初は“善意”で始められた奉仕活動が次第に国家に絡めとられていき、周囲を巻き込んで暴走を続けた、ということです。軍による情報統制下ですから、いわゆる教養婦人ではない一般の主婦が該圧力には抗えず、元々本意ではなかったが知らず知らずの内に本意となってしまったわけです。教育、洗脳、印象操作の類でしょうか。

”ごちそうさん”、”花子とアン”の作品中では、ラジオに出演する登場人物はあくまで個人としてNHKの国威発揚、戦果報告等の戦争協力となる放送に苦悩しますが、NHKの組織として逡巡、抵抗する姿は窺えません。NHKという組織自体も軍部に利用された、強いられたという立場を遠まわしに印象づけたいのでしょうが、上記一般の主婦に対する情報統制、思想教育にNHKが一役買っていたのは間違いないところです。

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