2020年4月14日火曜日

選別(附言)2

以前のエントリに続けます。

c)次は鯖です。一時の鯖の不漁期は乗り越えたのでしょうか。ECサイトやスーパー店頭で鯖缶をそこそこ潤沢に見かけるようになりました。偶々、不漁の時期とテレビの情報番組で取り上げられたことが重なって需給が逼迫していたのかもしれませんが。その鯖不足以降、最近気がついたのですが、国産鯖とか日本産鯖使用と銘打ち、最終加工地が海外の鯖缶を頻繁に見かけるようになりました。最終加工地は、タイ、フィリピン、ベトナム、韓国の缶詰を確認しています。

最終加工地で直ちに優劣を云々するつもりはありません。が、それではなぜ国産とか日本産の語を目立つように表示しているのか、という話です。缶の上面や側面には大きく、”国産”、”日本産”の表示があって、裏?の原材料名、内容量、固形量が記載してある部分には併せて、上記原産国、最終加工地が記してあります。

これは主観に依る処が大きいのかもしれませんが、缶詰や干物といった水産物の加工食品は本来水揚げ港の近くで製造されるもの、と認識しています。不安定な漁獲量の調整弁、地元雇用の確保、地場産業の活性化、高鮮度の原料の入手性といった理由が容易に思いつきます。

今、(1)関鯖/金華鯖/八戸産鯖使用、国内加工、(2)国産鯖使用、国内加工、(3)輸入鯖使用、国内加工、(4)国産鯖使用、海外加工、(5)国外鯖使用、国外加工という組み合わせで鯖缶について考えてみます。(1)はまぁ、高級鯖缶ですからさておいて、一般的に想定される鯖缶は(2)のはずです。(3)、(5)は見かけた覚えがありません。海外産の輸入原材料を使って国内加工品というのは塩干製品、特に干物では頻繁に見かけます。トレイ表面のフィルムには国内加工とか沼津加工のシールが貼付してあって、トレイ裏面には国外産原料の表示があるわけです。低価格の輸入冷凍魚を国内加工して国内加工品であることを訴求して販売と。(4)とは逆です。ところが、この態様の缶詰は見かけません。想像するに、海外産の鯖となるとノルウェー産で、これはこれで大型で脂がのった鯖ですが缶詰向けの安価な原材料という条件を満たしていないのかもしれません。オイルサーディンやツナ缶で見かける(5)も鯖缶では記憶はありません。探せばオイル漬け缶詰位は見つかるかもしれませんがそれほど一般的ではないように思います。

で、(4)です。加工費(人件費)削減が目的なんでしょうか。国内産鯖をおそらく冷凍にして海外で缶詰に加工後再び国内に持ち込む形です。以前は見かけませんでした。上述の水揚げ地近辺で加工する以上の優位性があるとは俄には信じられないのですが。(冷凍保管費+輸送費*2)が加わるわけですから。ただ、現実にそういった鯖缶が流通しているわけですからコスト面で見合っているのでしょう。


少し検索してみました。まず、鯖の輸出入についてですが、日本は鯖を輸入するだけでなく輸出もしているようです。脂の乗った大型の鯖をノルウェーから輸入し、小型の鯖を冷凍してナイジェリア、エジプト、ガーナといったアフリカ諸国と東南アジアに輸出しているようです。アフリカ諸国はかつて旧宗主国であった欧州からの輸入に頼っていたようですが、近年の資源保護の流れを受けて高価な大型鯖のみが貿易の対象になったとのこと。そこで、規制の緩い日本で乱獲(?)した小型の鯖を冷凍して安価に輸出していると。下はJETOROの報告書へのリンクです。
品目別レポート さば
国外加工の鯖缶はおそらくこの冷凍で輸出された小型鯖の一部が加工されて国内に還流したのだろう、と推察しています。では、この海外で生産された国産小型鯖の食味はどうでしょうか。検索してみるものです。
評価は芳しくない
ようです。総じて上記(1)、(2)に比し、”生臭い、小さい”というレビューが目立ちました。つまり、国産鯖使用、国内加工と、国産鯖使用、海外加工の鯖缶では品質が異るということです。単に加工地の違いで質を云々するつもりはありませんでしたが、それなりの理由があって優劣があると判断するに至りました。

これを前提とすれば、(4)の鯖缶で国産とか日本産鯖の語を目立つように表示する手法は、誤認を期待しての表示である、という見方が否定できません。それだけが目的ではないとしても一定程度そういった効果も狙ってのことではないかと。前述したように、水揚げ地近くで魚介のの缶詰は生産されている、既成概念としてそう認識してしまっていれば、”国産鯖”、”日本産鯖”使用の表示が目に入れば、即ち国内生産と受け止めてしまうのが自然です。

裏側面には原産国に記載がありますから法的には問題なく、消費者に購入を促す訴求方法なんでしょうが、誠実さを欠いている、というのが正直な処です。

d)最近では殆ど行かなくなりましたが、デパートの物産展やスーパーの臨時の産直市のような催し物があります。このような売り場では、販売員が声を上げて安さや美味しさを通りががる客を呼び込んでいます。そんな中で行儀の悪さを感じたことがありました。烏賊の塩辛とか白菜の漬物のような量り売り販売の食品も扱っている店でした。

ポリ袋に入った商品を各々の手に持ち、その商品を両方とも高く掲げて、
”安いよ、安いよ、100円!”
とか
”最終日だから70円!
といった文言で客足を引き留めようとします。で、足を止めて購入しようとすると、

”ハイ!700円!ありがとうございました。”
と。なかなか学習できないまま何度か経験しました。当初はよく判らなかったのですが、100g単価を連呼して客寄せをする仕組みだったわけです。商品を見せながらその商品の100g単価を叫ぶと。なんとなく釈然としないものを感じます。脳内で視覚と聴覚の情報を勝手に結びつけている、と指摘されればその通りなんですが。行儀のいいやり方とは思えず好きではありません。

この物産展のような売り場には他にも思う所があるのですが、それはまた機会があれば。

e)しばしば、”盛る”とか”下駄を履かせる”といった言葉を耳にしますが、その典型と云えばファミレスやファストフード等大手外食チェーンのメニュー写真です。写真がふんだんに載せられたメニューを見て注文するわけですが、この時脳内に入力された料理の視覚情報と、実際に提供された料理からの視覚情報は一致しないことが殆どです。テレビCMからの視覚情報も含めて、看板に偽りありではとの思いを抱くことはしょっちゅうです。看板画像が粉飾されたものか、演出されたものかは存じません。何故景品表示法上の優良誤認に当たらないのか不思議です。視覚情報の不一致はその隔たりの評価が難しいのでしょうか。

かつて雑誌の裏表紙で見かけた、幸運をもたらす、開運、病が完治する開運ネックレス?ペンダントと一線を画す何かがあるのかもしれません。通底したものを感じないわけではありませんけど。

f)意図的か否かはともかく、視覚、聴覚から入力される情報と実際が大きく隔たることは珍しくありません。これが期待以上、想定以上であれば言うことはないのですが、そのようなケースは稀です。特にテレビでは、おそらく意図してのことなんでしょうが本編、CMを含めて日常過ぎてある意味麻痺しています。一部具体的な商品名も記します。差し障りがあればご指摘下さい。

クックドゥという中華の合わせ調味料があって、一箱で3〜4人前分の料理ができあがる分量となっています。作り方通りの材料でどう調理すればパッケージに印刷してある調理例やCMで放送されているような一皿になるのか不思議です。巷間では豆腐1/4〜1/3丁分が麻婆豆腐一人前なんでしょうか。

興味を抱いたのでNHKきょうの料理で少し調べてみた処、4人分で2丁が頻出のようです。面白かったのは日本における四川料理の祖とされる陳氏三代です。一人分がバラバラです。
陳 建民 氏 2丁(4人分)
陳 建一 氏 1丁(4人分)
陳 建太郎 氏 1丁(2~3人分)
どうでもいい話でした。

食品の新製品の時期になると大手の調味料メーカーから目新しいドレッシングのテレビCMが流れ出します。何か新製品を登場させたい意図は解らないでもありませんが、少なくない率で、
このドレッシングの製品化を決めたのは誰だ?
とか
”このドレッシングを市販化できる(=売れる)理由を述べよ
と問いたいドレッシングが必ずあります。実際、開発者の声を聞いてみたい処です。

喰い物の恨みは恐ろしい、というわけではありませんが子供時分に経験した、飲食に纏わる視覚、聴覚情報で脳内に創られた美味しさと、実食した際のズレ、違和感についてです。CMからの予断による期待が見事に外れたということなんですが、不思議なことにいい歳になっても未だ記憶に残っています。

子供時分、網目模様のあるメロンという果物は手の届かない別格の存在でした。近所の青果店の目立つ位置に当に鎮座ましましていて威容を醸し出していました。感冒で発熱し床に伏していてもすりおろしたリンゴや桃がせいぜいで、メロンなど今際の際になってようやく口にできるか、といった思いの果物でした。勿論その味など想像することすらできませんでした。

そんな折、テレビから流れてきたわけです。粉末のメロンソーダのCMが。飛びついたのは言うまでもありません。メロンの名を冠し、例の網目模様の写真が載ったパッケージです。疑いもなくメロンの味が体験できると思い込み駄々をこねたのは言うまでもありません。炭酸飲料の甘い味でしたがそれがメロンの味として脳内に刻まれました。その後も喫茶店などでソーダ水(メロン)を口にする機会もありそれがメロンの味として記憶され続けました。プリンスメロンの時期を経てマスクメロンの実食に至ったのは二、三年?五、六年後でしょうか。

初めてマスクメロンを食べた時の印象は、
”これはメロンの味じゃない”
でした。脳内に記憶されたメロンソーダ由来のメロン味の記憶と眼前のメロンの味が一致しませんでした。記憶が誤りなのか、眼前のメロンが実は偽物なのか...混乱したのは確かです。結局この記憶の是正には再度のマスクメロンの実食が必要でした。”メロンソーダマスクメロンの味は違うもの”という事実は、なんとなく釈然としないものを子供心に抱かせました。

同時期の話です。生家ではほぼ米食でしたが、偶にパン食だったことがありました。トーストしてバターを塗って食べるのですが、冷蔵庫から出して直ぐのバターは固いわけです。バターナイフで切り分けられたバターの小片を塗ろうとしてもパンにめり込んでしまいます。バンカーに捕まったゴルフボール?そんな体です。その難儀な作業は忘れられません。

テレビから流されるマーガリンのCMを見たのはその頃です。確か外資系日用品メーカのブランド、ラーマでした。バターナイフで軽く撫でるだけで、クリームのように柔らかく滑らかにトーストを覆っていくマーガリンに目を奪われました。当然駄々をこねて、冷蔵庫の一角を占めるに至ったわけです。で、初めて口にしたその味ですが...バターとはかけ離れたものでした。薬品のような人工的な脂っぽさとでも形容すればいいでしょうか、まぁ、就学前の児童には不味いとしか言いようがありませんでした。最初の一口でお手上げでした。その後、その残ったマーガリンの行方は杳として知れません。

ただ就学後の学校給食以降、抵抗なくマーガリンでパンを食べてきました。今でも問題なく口にすることができます。当時のそのラーマの風味か、或いは子供舌マーガリンを拒ませたのか、今となっては分かりません。昔のマーガリンの味を確かめてみたい気持ちがないではありませんが、難しい話です。

いずれにせよ、これもテレビからの視覚情報で脳内で形成された、パンに滑らかに塗布できるマーガリン”は、バターと同じ風味に違いない”との想定?思い込み?が外れた例です。勿論、CMには”バターと同じ風味”とか、”バターのような風味”という文言はありませんでしたから、勝手な思い込みとの指摘には何も反論できませんけど。


しばらく続けます。

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