2017年7月16日日曜日

沈黙

週明けの7月10日。案の定、
大手芸能事務所など不公正な契約ないか調査 公取委
の報道はなかったかの様相です。下記リンクはまとめ。
公正取引委員会が契約トラブルで調査!大手芸能事務所はジャニーズ事務所か
民放各局は九州北部豪雨や家計学園問題に関わる閉会中審査の報道で忙しのでしょう。忙しくてそこまで手が回らないと。

ああ、そうですか。まぁ、そういうポジションから民放の番組が制作されているということです。

では、NHKが上記事案を報道する意図は何処にあるのでしょうか。気になります。これが最近見聞する、民放化著しいNHKへの批判をかわす回答なんでしょうか。 

以前も記しましたが、故筑紫哲也氏によるライブドアの堀江元社長への噛み合っていないインタビュで、
堀江氏 ”たとえ真偽不明であっても玉石混交のニュースを取捨選択することなく視聴者に伝えるべき。信憑性の判断、選択は視聴者に任せればいい。”(視聴者は見たいものを見る的な...)
と、
筑紫氏 (視聴者の関心がなくとも)伝えるべきニュースは伝えなければならない。それがジャーナリズム。
といったやり取りがありました。記憶に基づいて書いているため正確ではないかもしれません。

堀江氏は、情報を垂れ流して受け手が取捨選択すればいい、との考えでしょう。当時はネットからの情報の信憑性に今ほど疑念が抱かれていませんでした。ただその後のステマ問題、Welqやヘルスケア大学事案を鑑みれば”玉石混交にも程がある”といった処かと。氏がここまでの現状を想定しての該考えなのかは存じませんが。少なくとも真偽不明の情報がネット上を氾濫している状況下、意図や思惑が含まれていない無私の情報などあり得ないわけです。

表現や伝達手法も一層巧妙になっており、恰も公正中立で客観的、科学的、論理的情報を装って情報発信者の意図する方向へ誘導せんとする例には事欠きません。

各々の情報を等しい距離感で信頼し、一律に受け入れ、そこから適切な解を得ることは以前より困難になってきています。常に半信半疑というか懐疑的な姿勢が欠かせないという認識です。それでも未だに目の前の本職の言葉より、誤った情報が”ネットに出ていた”という理由信用されてしまう場合に出くわします。

故筑紫哲也氏はネット上の情報の信憑性をそこまで見越していたわけではないでしょうが、それではの発言伝えるべきニュースは伝えなければならない”はどうなのか。これは伝えるニュースを取捨選択するという意味に他なりません。

この取捨選択が、ネットからの情報を公正中立、客観的な視点でフィルタリングできるならばそれは結構なことなんですが、実際には作意的な取捨選択が行われているのは明らかです。自らの不祥事は消極的に淡々と伝えられる一方、他紙、他局の不祥事は嬉々として(?)報道される事例は、枚挙に暇がありません。プライバシー等、報道の自由の制限に繋がる事案について僅かでもその可能性があれば、徹底的、必要以上に該事案を潰すあからさまなキャンペーンが始まります。報道の自由を堅持するというより、自身の飯の種を守るためといった色合いが強い印象です。

最近の取捨選択の例です。
購読者に恥をかかせる朝日新聞
オーストラリア二重国籍議員辞職、朝日も読売もシカト(?)
勿論、ネットからの情報ですから話半分で...取捨選択という点でその選別の適切性に疑問符がつき、傲慢というか独善性を感じてはいました。自身が公正中立であるとの独りよがりの思い込みによる独善性だけでなく、特定の意図に基づく選別は明らかに報道の優先順位を歪めます。

7月10日の週、午前のニュースバラエティ番組で民放各局は横並びで松居一代離婚騒動ばかり...じゃNHKはというと健康不安を煽る情報番組...

これこそが正に故筑紫氏の、”伝えるべきは伝えなければならない”という意志、ジャーナリズムの具現化と受け止めた次第です。

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