2013年11月8日金曜日

演出

先日、姻戚関係に当たる親戚の葬儀に参列して思ったところを記します。当事者ではない第三者の身勝手な放言です。

自宅から遠方の葬儀だったこともあり、地域、或いは、葬儀社が異なるためか、葬儀の細かな部分に自分がこれまで参列した葬儀との違いを感じました。

この時、葬儀葬祭業という事業は、正に典型的なサービス業であると改めて認識しました。葬儀社の力量は、葬儀を厳粛、丁寧に進めていくことは当然ですが、別れを如何に演出できるかにあると考えます。

適切な表現ではないかもしれませんが、故人と最後の対面に際し、参列者の悲しみを誘い、別れを惜しませる演出をどのように組み立てるか、ということです。

これについて是非を言及する意図はありません。ここでの別れが辛く悲しい程、現実と直面し”前を向くことができる”という一面も否めないわけですから...

この演出が特段、遺族から望まれているわけではないと思いますが、葬儀社社員の丁寧、厳かというか慇懃な進行になんとはなしにそういった思いが頭を過りました。


個々人の立場、感覚によるでしょうが、そういった、ある意味過剰というか虚飾性を感じてしまう儀式への参列が度重なると、演出性を下げたい、拒みたい、遠慮したいという意識が発現してくるような気がします。

昨今、葬儀を親類縁者、或は、家族のみで執り行うといった規模の縮小、簡素化が進んでいます。少子高齢化、核家族化、親類縁者の故郷からの離散に加え、虚礼から距離を置きたいという意識もその一因かもしれません。 


ここ最近のホテルや百貨店内の飲食店、食品売場で問題が続いている食材の誤表示だか、偽装表示騒動と併せて考えてみます。

この騒動は周知の部分もあったとはいえ、ホテルや百貨店の信用を大きく失墜させました。飲食部門以外を含むホテル、百貨店といった業態全体にも不信の目が向けられるのは当然です。

率直に言えば、客観的に判断して偽装表示と受け止められかねない、一連の問題をあくまで誤表示で押し通す姿勢、こういった姿勢が業界全体の根底にあるのではないか、という疑念が生じています。

誤表示でしたとか、表示に規定されていないから問題はないという以前に、ホテル、百貨店という業態への不信感に繋がります。割高だが信用できる、間違いがないといった意識が、割高なのに信用できない、品質相応の適正価格なのか、といった疑いへと大きく振れてしまいます。

偽りの付加価値で嵩上げされた事例を目の当たりにすれば、いくらホスピタリティだのお・も・て・な・しだの宣われても本音はどうなのか、白々しく空虚に聞こえてしまいます。

今回の葬儀参列について、特に誤表示、偽装表示に気がついたわけではありません。しかしながら、一連の食材表示騒動の舞台となったホテルから感じた欺瞞性、虚飾性に相通じる印象を同じサービス業である葬祭業からも抱いた次第です。

(参考)グローバル化の中で日本の宗教を意識できないと負ける



(続)

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