2014年4月22日火曜日

動機

未だ鎮静化しないSTAP細胞騒動ですが、”存在しなかった”が大方の見方でしょうか。私には判断できません。

ただ再現性が認められず、存在を裏付ける根拠もない、という事実は理解しています。

専門家の多くの方々によれば、”件のSTAP論文は捏造”とする意見が支配的のようです。

状況からすればそういうことなのでしょうが、いま一つ得心がいかない部分があります。

実験データを改竄してまでSTAP論文を公表する動機は何か、ということです。

巷間、氏の理研での待遇が年収1000万近くであり、それを守りたいがためだろうといった週刊誌的な声もあるのですが、これが捏造を駆り立てる動機になっているとはとても思えません。30才、再生医療についての博士号取得者なら、外資系企業も含め突出した待遇ではないでしょう。表にでて来てない他の何かがあれば別ですが...

動機があるとすれば、経済的価値に換算できない、し難い、功名心、自己顕示欲、待遇も含めた研究者としての将来、理研の若きエースとしての周囲の過大なプレッシャー、期待感といった辺りではないでしょうか。

ある意味厄介だなぁと。客観的指標で評価できないためです。


存在しないものを在るといって、成果を公表する、自覚しての行為ならば致命的です。事実と論拠に依拠する科学研究、言い換えれば、事実と論拠が担保されてこそ科学研究に存在価値があると考えます。この部分に対する信頼が揺らぐようでは存在意義が雲散霧消してしまうわけです。

ただ、本件のように実社会への有用性が期待できる場合、上記存在
意義に加え更に実利面での社会貢献という価値も付加されます。この時、研究成果は巨額の権益に結びつく可能性が生じ、特許との絡みで科学研究の純粋性というか透明性を損う力が働くような気がします。この部分ついてはいずれ記します。

で、上記産業応用といった側面によって付加される経済的価値を切り離して考えた時、果して上で憶測した動機は捏造に駆り立て得るのでしょうか。科学者が、必ずしも善人で社会的に高い倫理観を有しているわけではないことは承知していますから、科学への信頼を個々の科学者の倫理観のみに頼ることが心許ないのは理解できます。

しかしながら、合理性に基軸を置いたとしても、画期的成果は世界中の研究者から羨望、批判の目に晒されることが明白ですから、捏造という危ない橋を渡る行為は間尺に合わないように思えます。 


確かに、科学研究の世界で不正が間断なく続いているのは現実ですが、ある程度功なり名を遂げた研究者、その属するグループの保身が目的のように見受けられます。前途ある三十才の若手研究者が捏造までして保身を図る必要があるのだろうか、釈然としないものを感じます。 

――人の役に立ちたい――

最初の会見での発言とあまりに合致しません。


先に手前勝手に勘ぐった動機ですが、周囲からの期待感による重責以外は自らから発せられる望みです。重責と感じるのは当事者自身の感覚ですが、その元となるプレッシャーは周囲の期待感が源であり、自らの意識と違い制御できないわけです。

”年功的なシステムを排し、若手に大きな権限を与え伸び伸びと研究の任に当たらせることで、優れた成果を創出させる”

これが裏目に出て過大な重責となった、という可能性はなかったのでしょうか。

当然ですが、全くの憶測です。

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