2016年10月21日金曜日

視点

以前のエントリ、退治で

「ソース増量に、なんで100円取るのか。けち臭い店だなあ」と要は、ソース増量の対価として100円は適当かどうかということです。明らかに高いですよね。これは、お店のソース増量に対する拒否の姿勢です。
といったコメントを頂きました。そういった視点もあるのかと少し考えてみました。該エントリはルキウスさんのエントリ
「ソース多め人間」撃退さる

に端を発したものです。
[あんかけスパ屋で「ソース多め」を要求し、”ソース増量100円です”と応答された際、”じゃあいいです”と踵を返すように要求を撤回する]
このことの適否を問うもの、と受け止めました。で、まずソース増量100円ついてですが、その妥当性は全く考えていません。100円が高ければ50円ならいいのか、10円でも高いのか...無料が当然とか、そういった価格以前の話と捉えています。

”無料のつもりで頼むが有料と分かって取り消す”と一般化しています。金額の多寡ではなく、10円だってそれならいいですと取り消していたかもしれませんし。


つまり、明示されていないことはあくまで客側のお願い、要求、若しくは我儘であって、その応諾・拒否と共に、相応の対価を求める自由も店側にある、という考え方を根本に置いています。

ランチサービスとして麺増量無料、或いは、ご飯無料というラーメン店がある一方、普通に有料の店もあるわけです。いずれも表示があればそれが店の姿勢と受け止めます。それ以上でもそれ以下でもありません。

ココイチに入って、ご飯やカレーが〇〇gで☓☓円追加とか、辛さ〇〇倍で追加☓☓円ときっちり加算されても、表示されているわけですから、”ああ、そうですか”と。納得できれば注文し、不満があれば注文しない、特段一方に偏った思いはありません。(別の理由で行かないんですが...)

上述のあんかけスパ屋でも、端から”ソース増量には追加料金と頂きます”との表示があれば、そういった要望は出なかったであろうことは十分推測できます。店の負担は大したことないはず、といった客側の価値観で、明示されていない要望に無料を期待するというのもちょっと違うような気がします。
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ここまで記しておいてなんですが、ふと気になって調べてみました。

と、メニューに明示してあるわけです。

表記があるにも拘らず、おそらく店側が客との齟齬を防ぐために”ソース増量100円ですが”と念を押したのが実のところと思料します。むしろ誠実な店とも言えるのではないでしょうか。

以降、牛丼屋のツユだく、マクドナルドの特殊オーダー、サブウェイの野菜増量、或いは、御飯の減量とか、食べられない、嫌いな食材を除いてもらう等、他の明示されていないオプションとも比較してみようと思ったのですが...
メニューをよく見て注文しろ
この言葉に尽きてしまいました。

尚、頂いたコメント中に、店に対して”損して得とれ”といった指摘がありましたが、私はどうでもいい、といった見方です。それで営業不振になったとしても関知しない話ですから。

2016年10月11日火曜日

因習

因習なんでしょう。
「死んでしまいたい」過労自殺した電通の新入社員 悲痛な叫び
それが広告代理店という業態によるものか、電通という一企業に伝承され続けてきたものかは存じませんが。

同日(10/07)の電通報と電通ウェブサイトのCSR。
キング・カズらが新テレビCMに!「キリンファイア」、焦がし焼き製法でフルリニューアル
知らぬ存ぜぬの方々。

人権の尊重
電通グループは、広告をはじめ事業活動に関わるすべてのコミュニケーション活動を、人権の観点からも豊かなものにしたいと考えています。そのため、社員一人一人が人権について正しい知識を身につけて理解を深め、その知見を業務活動に生かしていくことを目指しており、電通グループ全体で各種の社員研修を定期的に実施しています。また社員の能力発揮のためにも、ハラスメントの防止を徹底し、社員の人権を守ることも、重要なテーマであると考えています。
労働環境の整備
サステナブルな社会を実現するには、多様な社員の能力を最大限に引き出して活用することが欠かせません。「人が財産」の電通では、社員が高いモラルとモチベーションを持ち、能動的に仕事に取り組める環境を整えることが、極めて重要な課題であると考えています。そのため、能力開発、ワーク・ライフ・バランス、そして健康・安全管理体制の整備の観点などから、きめ細かい対応を施してます。
(太字は本エントリで修飾)
”人権について正しい知識を身につけて理解を深め、その知見を業務活動に生かしていくことを目指して”いく過程での避け得ない事故だったということでしょうか。ああそうですか。

この悲報を目にした時、スタンフォード監獄実験を想起しました。

電通という舞台装置の上で、人々は電通マンという役を担っていたわけです。各々、管理職、部長、上司、マネージャ、ディレクタ、更には新入社員と...率先して、或いは強いられて、舞台を下りない限り配役を演じ続けることになります。

特定個人ではなく、脈々と継承されてきた電通イズムを根幹に、電通の管理職としては至極当然の言動が今回のような痛ましい結果を引き起こしたとみています。おそらく、自分達もそうだったとか、教育、育成の一環といった名の下に...

上記スタンフォード監獄実験では、看守でも受刑者でもない普通の人々が被験者とされ、看守役、受刑者役を演じさせられました。これは、”受刑者や被疑者・被告人などを拘禁する”という監獄本来の目的を果たすものではありません。つまり、看守役、受刑者役各々の言動に意味はないわけです。当然ですが実験であってフリですから、虚構の場です。

そういった場では、被験者自らがそれまでに見聞した情報を元に役を演じるであろうことは容易に想像できます。その情報はおそらく映画、小説といったフィクションが殆どではないでしょうか。ノンフィクションの情報が皆無というわけではないでしょうが、フィクションから得た看守と受刑者についての先入観が被験者の演じる各々の言動を発現させているとみるのが妥当な処かと。

つまり、該実験では、イメージが脹らんだ、おそらく過激にエスカレートした看守像、受刑者像が演じられていた、ということです。

翻って、広告業界の雄である電通は、と考えれば、まぁ、広告代理店という業務がそもそも虚業なんじゃないかと思料する次第です。

広告代理店の業態と言えば、媒体の広告枠を顧客に販売する手数料ビジネスに端を発しますが、今日では広告の制作、マーケティング・リサーチ、イベントやキャンペーンの企画運営等も一事業となっています。まぁ、煽動、プロパガンダに関わる一切を請け負う仕事といったところでしょうか。自社の広告、或いは、イベントやキャンペーンの企画といった無形物がいかに創造的で効果的であるかの如く矯飾し、付加価値を高めるというか元々の価値に下駄を履かせて口銭を稼ぐ、といった処が率直な印象です。(個人の感想です。認知には個人差があります。)

で、広告やイベント、キャンペーンといった成果物の創出において、果たして設計、生産といった概念が含まれているのか、甚だ疑問です。顧客の要求、─これが往々にしてデスマーチの原因であるのは確かです─これを満たすことを目的に達成し得る手段を考案し、成果物として創出していく、その際、投入資源(ヒト、モノ、カネ)の最小化を図るのは事業会社として極当たり前の行動と考えます。

設計の根幹は恣意や感性ではなく論理性、合理性であるべきであって、又、効率性を考慮しない生産などあり得ません。

しかしながら、現実には、
打ち合わせは、素晴らしいアイディアのためには必要なもの。全員出席を求め悶絶8時間マラソン!
「てっぺん」(深夜0時)を超えてからの会議がカッコイイ
ワシも若い頃は残業が多かった、だからお前もできるはずだ
あるクライアントさんの担当者が異動することになり、送別会をするとなれば、もう毎晩夜中12時から部内で企画会議です。
といった話がある、(あった)ようです。理不尽この上ないなぁと。

この体質は是正できるのか、についてですが少なくとも自力更生は困難です。組織内のルールとして、法令順守の名の下、労働時間の規制は徹底できたとしても、”理不尽な過重労働、パワハラの否定”といった意識改革は不可能でしょう。それが因習というものです。

今後、過重労働によるいたましい自死の再発防止策が図られたとしても、あくまで本件を受けての”仕方なく”の措置であって自発的なものではありません。ルールによる強制力で抑制するに過ぎず、本質的な過重労働の否定に至るものでは決してないのは明らかです。

児童虐待が負の連鎖として受け継がれる傾向にあるように、企業の悪しき体質も容易には排除できないのかもしれません。私企業において組織防衛は本能であって、これまでの理不尽な環境を当然と受け入れ、継承してきた集団では自己変革は不可能です。華々しい過去との決別や自己否定を意味しますから。

電通の意向を忖度しない外部委員会による調査と監査は勿論必須ですが、そうであっても根本的な変革には世代交代は欠くべからざる要件であり、相当に時間を要するのは間違いありません。
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ところで、本事件では月100時間を超える残業、即ち
長時間労働が自死のきっかけとされています。実際には、対外的な、記録にある残業が100時間であって、実質はその程度でではなかったであろうことは彼女のツイートから容易に類推できます。勿論、この残業が彼女を精神的に追い込んだのは間違いありませんが、時間という定量的な部分以上に質という定性的な部分こそ大きな原因があったのでは、と推量しています。

100時間を超える残業は確かに長期間労働です。(それ以上の部分については状況証拠のみですから言及しません。)しかしながら、たとえ僅かであっても結果に寄与している、目標達成に貢献している、そういった実感が得られていればもう少し違ったんじゃないかと。それさえ押し潰す圧倒的な残業があったと言われればそれまでですが、これは今後調査が進められるべき話です。

上述の監獄実験は、彼女の生前のツイートから、長時間の”穴を掘って埋める仕事”を連想させたことによります。本件に対し、”100時間程度の残業など過重労働ではない”といった趣旨の意見が非難を呼び、炎上を引き起こしています。一例です。
長谷川秀夫教授「残業100時間超で自殺は情けない」 投稿が炎上、のち謝罪
しかしながら、実は過重労働の時間ではなく、質、即ち精神的な過重労働こそが問題だったのではないかと考えています。
「君の残業時間の20時間は会社にとって無駄」
「今の業務量で辛いのはキャパがなさすぎる」
といった管理職の言葉からは全く生産的な印象を受けません。
 「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」
勿論、入社一年目の新人が作成した資料など危なっかしくて使えないのは当然です。期待する側がおかしいわけで、そういった部下を使えるように仕立てあげるのが管理職の職務じゃないでしょうか。芽を摘み取ってどうする。

これらは結局、労働生産性に繋がる話で、

電通「過労自殺」事件にみる労働生産性の低さ
では、広告代理店という業態を切り捨てています。そういった方向に進むのは避け得ないのでしょうが、旧来からの非効率な業務の放置は動きを加速させます。この動きを押しとどめるには生産性の向上が急務なのは言うまでもないことです。

ただ、それが可能かとなると...現状ですら適正な生産性評価がされていない虚業の業界と思われます。長時間労働の対価云々以前に、労働の質に対する適切な評価、或いは評価可能な業務の指示、この部分を蔑ろにして不毛な業務を強いられれば自虐的閉塞感が生じてしまいます。

自ら(の業務)に価値を見出ださせず追い詰める、そういった環境こそが指弾されるべきと考えます。

2016年10月7日金曜日

移行

連日の築地市場の豊洲移転問題に関する報道に辟易しています。
実は、中央市場というものは、もともと必要ない。現在の発達した情報社会では、市場を各地に分散した方が、効率はいい。つまり、地産地消だ

とあるように、”中央市場”の機能が時代にそぐわなくなってきている今、豊洲の新市場に移転する意味がどこまであるのだろうか、と身も蓋もないことを記してみます。だからといって、老朽化が進み、一部アスベストの問題も危惧されていいる築地市場に留まり続けるべき、という論とは勿論異にします。

豊洲市場へのあゆみ
によれば、築地市場の施設老朽化を含めた問題はかなり以前から認識されていて、平成11年に移転へと意見集約され、平成13年に豊洲への移転が決定したとのこと。一方、その間のネットワーク技術、物流技術の発達には目を見張るものがありますし、水産資源を取り巻く環境は様変わりしました。

公共事業では、一旦動き出した計画が撤回、修正されることは稀有なんでしょうが、新しいハコモノで旧態依然とした市場のシステムが温存され続けることに違和感を覚えるわけです。

取引機能の仮想化と産直ネットワークの活用で、より効率的な市場システムへの実現が可能であり、移行すべきと考えます。

暴論を承知で言えば、
e-BayかAmazonに委託しとけ
ということです。楽天やYahoo!はちょっと...ですが。TSUTAYAも任せた図書館の運営がアレですし...

市場の機能は価格が仲介する需要と供給の突き合わせですからネットオークションや証券取引所と理屈は同じです。大きな違いは上市品の品質チェックでしょうか。生鮮食品であるがため鮮度や品質のばらつきが大きく、適正に評価できる目利き(=仲買人)が実物を見て品定めする必要があると。

ただこの辺りも供給者の提供する情報を需要側がどう判断するかの話であり、本気で取り組めば仮想化に対し大きな障害にはならないと考えます。

鮮度や品質に関わる情報の規格化は勿論ですが取引参加者の誠実さこそが要です。市場取引では、供給者はできるだけ高値で売りたい一方、需要家は安値で買いたいわけです。質と量を基に行われるこの突き合わせにおいて、提供される情報が正確でなければならないのは当然です。

しばしば、ネットオークション、ネット通販で”欺かれた!”、”掴まされた!”といった事例を見聞します。後を絶たないと指摘されればそうかもしれません。ただこれは、”B to C(Business-to-consumer)”の事案に比せば、”B to B(Business-to-business)”の事例は少ないとみています。”B to B”において持続的な取引を望む参加者は一旦失墜した信用を取り戻すことは容易ではないことを認識しているはずです。

何より、これまでの食品偽装事例を鑑みれば、リアルの取引が安心を担保する根拠にはならないのは言うまでもないことです。

この信用の価値は、顔が見えない仮想市場こそむしろ高まっていくとみています。仮想市場においては情報が全てで、正確な情報を誠実に提供する取引者が優遇されるという点ではリアルの市場より優っているのではないでしょうか。

勿論、そうは言っても不正な取引は根絶できないとは思います。仮想市場における参加者の自主的な誠実さに頼るのみでは市場での公正な取引に対する信認には心許ないものがあります。

最近でも、”B to C”の場合ですが、
トクホ全製品、成分調査やり直しへ 消費者庁が指示
特定保健用食品に対する今後の品質管理等の徹底について
といった事案があり、事業者の自主性のみを手放しで信用するわけにはいかないと。 

そこで、e-BayやAmazonへの委託となるわけです。公設の市場では産地や品質、鮮度に関わる欺瞞的取引が発覚した場合、法規で規定された範囲内の処分までしか下せません。

悪質な場合は詐欺罪適用もあり得るでしょうが、JAS法、食品衛生法、計量法、景品表示法、不正競争防止法辺りが適用法規かと思います。これが健康に関わる事案となれば行政処分として営業禁止にまで至るでしょうが、食品偽装の多くの場合、行政指導に留まるのが実の処ではないかとみています。行政側としては、徒に経営を圧迫しないという事業者側への配慮も否定できないような気がします。

それに対し、そういった欺瞞的取引へのe-BayやAmazonの対応は、情け容赦ないものであろうと推量致します。共に電子商取引の信認に依拠した私企業です。この信頼性を毀損する行為に対してはグレーの段階での切り捨て、疑わしきは退場といった措置で臨むのではないでしょうか。不透明な規約を盾に一方的との指摘があろうとも...

このある意味、独善的で行き過ぎた姿勢で上記二社は電子商取引への信任を堅持してきたと捉えています。

是が非でも外資系IT企業に委託、といった主張をする意図はありませんが、市場というシステムそのものの効率化を図れないかということです。旧来の陳腐化した市場機能をそのまま新しいハコモノに移しても生産性の向上は見込めません。

”困る人がいる”、”既得権が損なわれる”、”計画は動き出している”、そういった理由による旧態依然としたシステムの温存は、変化への抵抗であり、新しいもの、異質なものの排除に他なりません。

ハコモノ、ハード部分は著しい技術革新が進んでいる一方で、それらを利用する社会そのものは変わらないなぁと。技術の進歩に相応して社会は賢くなっているのだろうか、依然首は傾いだままです。

2016年10月6日木曜日

退治

ルキウスさんのブログに、
「ソース多め人間」撃退さる
といったエントリがあります。無料が当たり前と思い込んでいるあんかけスパ屋の「ソース多め」注文に纏わる話です。

似たような事例を最近耳にしました。

名古屋郊外で、地域振興の一策としてでしょうが、地元商工会主催でスタンプラリーを行っている市があります。該市内で参加事業者の店を廻って台紙にスタンプを集めるという催しです。所定数のスタンプを集めた台紙は、期間終了後に開催される空クジなしの抽選会に抽選権として引換られる仕組みになっています。

この台紙は、新聞の折り込み分(各世帯一枚)に加え、銀行、スーパーといった参加事業所で入手できます。例年ですと、"ご自由にお持ちください"と銀行、スーパー、コンビニに置いてあるこの台紙は瞬時になくなっていました。

一人あたり制限枚数一杯まで台紙を確保しさえすれば、スタンプの押印は無料ですから後は銀行、スーパー、ドラッグストアを廻れば、抽選権を獲得できたわけです。現在一人当たりの制限枚数は7枚のようですが、以前は制限もなかったんじゃないかと。まぁ、何度も並び直せば制限を超えて抽選に参加できるでしょうから制限自体無意味なんでしょうが。

台紙の束を持って抽選会に現れる常連が、総抽選数の中でそれなりに割合を占めてしまっている、といった話も聞いていました。振興に繋がっているとはとても言い難い状況だったんじゃないかと。

ところが、今年度はあちこちで台紙が余りまくっているようです。なぜか?

以前は、無料で、しかも手持ちの台紙全てに同時に押印できたスタンプが、
300円以上のお買い上げ、もしくはご利用をされたレシートにスタンプラリー印を押印してもらい台紙に添付してください
と規程が変更されたことによるものと推測しました。銀行でも台紙は配布するがスタンプの用意はなくなったと。

本来の意図であろう、購買による消費の活性化、振興への参画を促した途端、台紙の余剰が顕著に...

無料でスタンプを獲得できるなら目一杯台紙を集めるが、買い物がスタンプの条件となると一気にトーンダウン...スタンプのために買い物などする気はないということですか。ああそうですか。

冒頭の「ソース多め」に通底するなぁと、そのさもしさに頭が下がる思いです。

2016年9月5日月曜日

権高

――判決は放送法64条の受信設備の設置についての解釈を誤ったものと理解しており、直ちに控訴します――
に対するNHKの対応です。

 「ワンセグ機能付き携帯電話での受信契約に係るさいたま地裁判決」について
強い反感を抱いています。以前のエントリで記した通り、ワンセグ受信機能付きガラケーの保有のみでNHKとの受信契約を求められた実例を知っていますから。勿論、テレビを所有せずとも、です。

ワンセグ受信機能のある携帯電話やカーナビを持つだけでNHK受信料の支払い義務が生じる...全くもってその論拠を理解できません。

自分が支払っている受信料のわずかであっても、それが本訴訟関連費用の一部に充当されてしまうことは、憤懣やるかたない思いを去来させます。全く不本意に上記地裁判決を否認する片棒を担がされているわけですから。地裁判決とはいえ真っ向から司法の判断を誤りと指摘するその独善的姿勢に強い反発を覚えます。

行き着くところ、最高裁判決まで出て”主張が認められなかったのは残念”という形になるまで正当性の主張は続くのでしょう。で、”支払い義務なし”という判決に対し”やむを得ない”という姿勢で応ずるものと予想できます。つまり、
断じて自らの誤りは認めない、正すつもりもない
ということです。正にそういった部分に、皆様のNHKの根幹にある中立を装った無謬性を認めることができます。

例えば、NHKのサイトでは放送倫理の確立に向けてには、放送倫理基本綱領として、
放送は、意見の分かれている問題については、できる限り多くの角度から論点を明らかにし、公正を保持しなければならない。
とあり、NHK倫理・行動憲章/行動指針には、
NHKは、公共放送として自主自律を堅持し...
と記されています。

本件、ワンセグ受信機能付き携帯保有者に対する受信料支払い義務の是非について、多くの角度から論点が明らかにされているのか、公共放送としての自律機能は働いているのか、”言行不一致”以外の言葉が見つかりません。

放送法、番組基準、放送倫理、ガイドラインに倫理・行動憲章/行動指針...どんな文言でも構いませんが、大上段にというか、臆面もなく”不偏不党”とか”自主自律”などと宣ってしまうと...

それが一人歩きを始め、是正されないまま暴走せざるを得なくなってしまいます。様々な規定で”不偏不党”、”自主自律”を自負しておりそれが遵守されているはずだから、自分達に誤りはない、間違っているのは相手であり、司法であると。独善的体質に陥っているとみています。

それは是正し得ない公的組織の体質かもしれません。近代以降、公益を目的とした”官庁、公共団体”に、幾度の失敗も糧とすることなく未だ受け継がれ続けてきているやに思います。

その後、更に燃料投下...

高市総務大臣、ワンセグ付き携帯電話はNHK受信料の対象との見解を示す
ここにも無謬性は余さず発現されています。最終的な司法判断は仕方なく(事務的に)受け入れられても、価値観の是正、その判断の依拠する価値観に自らのものを差し替えることは不可能です。余計な発言などしなければと思うわけですが、資質の問題なんでしょうか。 

2016年8月23日火曜日

情弱

情報弱者なので、家電量販店には殆ど入りません。PC関連のチェーン店には近寄りません。二年に一度ほどケータイ販売店に行く程度でしょうか。サポートとレ点商法で尻の毛まで抜かれて鼻血も出なくなっちゃいますから。
「高額請求」で大炎上、PCデポは氷山の一角だ

サポート?修理保証?ユーザー登録?何ソレ?

白物家電を除き、自分で対処、できなきゃ廃棄で買い換えが基本姿勢じゃないかと。

2016年8月3日水曜日

必勝

博打で勝つ方法として、
”勝つまで止めない”
という一策があり、古今東西、博打による生活破綻者の多くはこの理屈から生み出されてきたわけです。
”アベノミクスは失敗していない。だが道半ばだ”
未だ違いが見出せないままです。