2020年5月1日金曜日

上級

――私達は...――
――我々は...――
で始まる呼びかけを皆様の公共放送から耳にするとイラッとします。

公共放送の番組表でニュースとニュースの間が、[再]、[]、場合によっては[選再]だったり、総集編、”もう一度見たい...”、”あの試合をもう一度...”、”伝説の名勝負...”で埋め尽くされています。後は映画や海外ドラマでしょうか。

新たなコンテンツの制作がままならず、時間枠を過去のコンテンツで埋めているわけです。時局柄理解できないわけではありません。

だた、営業の自粛、若しくは短縮営業を強いられている飲食店が苦肉の策でテイクアウトや弁当販売をせざる負えないのとはわけが違います。

収入が激減し生計の維持するための業態変更と、安定した受信料収入の下で時間枠を埋めるための垂れ流しは全く異なります。後者の安定した立場から冒頭のように一体感?同体感?を煽られても、その我々私達の中に取り込もうとする姿勢が垣間見え、忌避感のほうが先行してしまいます。

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