2019年4月4日木曜日

因果

塚田国交副大臣の忖度発言があって、当人は火消しにやっきです。
――我を忘れて事実と異なる発言をした。行政の信頼性をゆがめた――
と陳謝した、とのこと。安倍総理の地盤である下関と、麻生副総理の地元への下関北九州道路の事業が止まっていて、両人が事業を進めるようなことは言えないと。で、塚田副大臣が忖度して事業を推進した、という発言を上記陳謝で取り消しています。

忖度したことが虚偽で、ただそれでも事業が進んでいるという事実があるならば、安倍総理、麻生副総理の指示、命令があった、という解釈もできますけど。

加えて、
――大勢の人が集まる会の席で、私自身がわれを忘れて誤った発言をした――
と釈明されてますが、”人前で我を忘れて誤ってしまう”なら、閣僚どころか参院議員としてそもそも向いていないのでは、と適性に疑義が生じてしまいます。

こういった、うっかりだか、リップサービス、或いは聴衆の耳目を集めるためだかは存じませんが、本音、虚偽、法螺を失言して窮地に立たされ、取り消し→釈明→謝罪→辞任へと追い込まれていく閣僚や議員は後を絶ちません。

渦中の方の派閥の親分もまぁ、失言大王との声もあるわけで、注意やけん責はし難いのかもしれません。
アンタが言うか?
ということです。ある意味脈々と継承されていく伝統、体質なんでしょうか。

ともあれ、私人ですら言動が録音、撮影される昨今において、自らの言動が招く事態を推し量れない...これが大元の原因であるのはあきらかです。

これは自律、倫理、道徳、正義、誠実といった話ではありません。是非を切り離した単なる方法論です。

自らの言動が録音、撮影されている可能性に思いが及ばない...スーパーの万引き、タクシー強盗、ひき逃げや当て逃げ、小売店や飲食店での店員への暴言や強要等がなくならないのも腑に落ちます。

自らの言動が招く事態を推し量れない...衛生上、倫理上、或いは法的に問題がある言動を自ら記録し、SNSで一般に公開、炎上、非難を浴びる、いわゆるバカッターがなくならないのも頷けます。

公人、私人、政治家だろうが庶民だろうが、社会的立場があろうがなかろうが、おかまいなしに通底しています。

以前も触れましたが、生命や身体の危険につながる事故が発生し得る、建築や土木、製造の現場、或いは、自動車の運転では、事故を未然に防ぐ安全活動の一つとして危険予知トレーニングといった手法があります。

これは、平常のある状況を示すイラストや写真を見て、そこにどういった危険が潜み、発生し得る事故を想定する訓練です。実際に起こった事故例を用いて、発生前の状況を第三者の視点で事故の要因を抽出するのもより実践的と思います。

この訓練は作業に関わる事故の防止に有用であるだけでなく、イラストや写真を見ることで状況を客観的に把握し、この後何が起こり得るかを推測する力の養成にも効果的と考えます。

作業現場に限らず、自動車の運転時、歩行時、電車内、コンビニ、居酒屋、何処でも、何時でも構いません。とにかく日常から切り取った風景を見て、そこにどんな危険が潜んでいるか、その後何が起こるか、そういったトレーニングが必要ではないかと。

伝え聞くところでは、小学校では平成30年度から,中学校では平成31年度から「特別の教科 道徳」が始まっているとのこと。ただこの教科で養われるのは、道徳”力”といった定量的な能力ではなく、個々人の情緒に働きかけられた結果、精神内に培われる何かです。

果たして、この何かの延長によって”人を殺してはいけないか”に代表される、”人を攻撃することは良くない”ことを合理的に説明できるのでしょうか。やはり、それ以前に”己が置かれた状況、自身の言動で何が起こるか”を想定する、そういった教科こそ初等教育課程から必須化すべきではないかと提言してみます。

生徒、学生だけでなくいい大人にも必要であることを申し添えておきます。

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