2017年6月17日土曜日

対岸

前のエントリ触れた組織犯罪処罰法改正案ですが、”冤罪が多少発生してもやむを得ない”的な意見をしばしば見聞にします。吉本興業 松本人志氏の
「いいんじゃないかな」
「冤罪もしょうがない」
発言などは典型的な例でしょう。これに類した話としては例えば、フィリピン ドゥテルテ大統領の麻薬撲滅戦争が直ちに想起されます。
ドゥテルテ大統領の容赦ない麻薬撲滅戦争 超法規的殺人の急増でフィリピンの路上に死体が転がる
この超法規的対策は、麻薬犯罪者の人権を蹂躙するものとアムネスティ・インターナショナルや国連から強い批判を招きました。

前者は謀議の段階、即ち実行に至る前の計画者に適用される罪であり、後者は麻薬犯罪の犯人に対して採られる対策です。テロにしろ麻薬犯罪にしろ社会の大多数が撲滅を願っているのは間違いありません。その実現に向け、実行前に犯人の身柄を拘束することでテロによる社会的損失の発生を未然に防ぐ、麻薬犯罪者を厳罰に処し再犯防止、抑止効果を狙う、という選択は理解できないわけではありません。その手法が社会から一定程度支持されるのも頷けます。

しかしながら、実行前の嫌疑、犯罪者に対する厳罰の各々において、冤罪に代表される、自身に何ら責任がないにも拘らず被る理不尽な不利益の発生は免れないと考えます。それらを抑止する仕組みは全く不十分です。

例え、そういった事案の発生が回避し得ないとしても、それを致し方ない、やむを得ないことと容認してしまうことには強く反発します。

該理不尽な不利益は、社会的損失や危機の回避、治安の維持や社会不安の除去等、社会正義の実現や公益への貢献という本来の目的が歪曲形骸化せしめられることによって起こるのでは、と思料しています。原理主義的考え方かもしれません。

で、その根源、そういった本来の目的を歪ませる力は様々ですが、思いつくままに挙げれば、予断、ステレオタイプ、組織防衛、空気、威信、体面、裁量、責任回避保身、減点主義、功名心といった処でしょうか。

これらの力が公権力を濫用せしめ、手段の目的化を通じて過失である誤認のみならず冤罪や隠蔽を生み出しているということです。昨今よく見聞する、痴漢冤罪問題も上記の予断、偏見、空気辺りにその理由を求めることができます。
「何を言っても女の意見だけで痴漢が成立する」 平井駅で痴漢冤罪? Twitterで多数の無罪証言も男性は警察に連行
電車内の痴漢現場と冤罪と私
加えて、行政の公正性に疑義を抱かせる不祥事は枚挙に暇がありませんいちいち例を挙げればキリがありません。ここ数日の事例を検索しても
【福岡・母子3人死亡】 父親の警察官、母を殺害容疑で逮捕 「事実ではありません」と否認(UPDATE)
150万円着服した20代婦警の「副業」はデリヘル嬢だった!
あたりは個人の問題と片付けられるのでしょうが、
 警視庁本部 中村格刑事部長(当時)の判断と法治主義
情報漏えいで愛知県警が調査
等は職権や組織の体質と密接に関わる事案です。真偽はともかく、
前川・前事務次官に激怒して、安倍官邸が使った「秘密警察」
といった話も...

斯様に公権力を有する組織だからといって、謬りを犯さないわけではありませんし、時には恣意的行使が為されるわけです。又、該組織を構成する個人が必ずしも公僕として適切な倫理観を有しているとは言い難いのも明白です。

冤罪他の理不尽な不利益を生み出してしまう素地が変わることなく温存され続けています。この状況下、謀議の段階でテロ等準備罪に問うことを可能たらしめる組織犯罪処罰法改正案は、更なる理不尽な事案の発生へと拍車をかけるのではないか、という懸念が脳裏を過るのも無理からぬことです。

その一方この時、”そんなこと言っていたら何もできない”即ち、”一定程度の冤罪、不利益の発生はやむを得ない、容認すべきである”という声も必ず上がります。そういった意見は、”自分は冤罪被害に遭うはずがない、自分が理不尽な不利益を被ることなど断じてない”等の自信の発露なんでしょうか。過信ではなく...

更にこのことは見方を変えれば、理不尽な不利益を被った人々の切り捨てに他なりません。”そんなこと言っていたら何もできない”の影の部分を鑑みないまま手放しに該考えを支持することは到底できません。

”明日は我が身”などと喚起するつもりはありませんが、少なくともその危険が存在することは認識すべきと考えます。”他人の痛みはわからない”というのは紛れもない事実ですが、対岸の話と片付けるのも能天気が過ぎるんじゃないかと。

誤解を避けるため申し添えておきます。組織犯罪により社会が重大な損失を被る前の、その準備段階を罪に問うことは断じて支持できない、との考えはありません。しかしながら過去を顧みて、社会の過ち、権力の暴走という危険が十分に排除されているとはとても言い難いのも事実です。

テロ等組織犯罪を、謀議の段階で罪に問えるような立法措置をするならば、やはり権力の過剰行使、恣意的行使を牽制する枠組みも同時に構築する必要があります。押す力を強化するならば、合わせて引く力も強め均衡を図るべきです。

不可避かもしれない理不尽な不利益の発生を抑制する不断の姿勢、そういった行政の自律機能は不十分なままです。この部分を放置したままの本法案成立は、全体主義、国家主義の台頭を予見させる危さを禁じ得ません。

もう少し賢くなれないものでしょうか。

ところで蛇足ですが、フィリピンのドゥテルテ大統領、今度は喫煙者の取り締まりを強化するとのこと。
フィリピンのドゥテルテ大統領禁煙規制が超理想的で号泣レベル
いや、どう見たって喫煙者の取り締まりより治安の改善が急務なのでは?、というのが率直な印象です。

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