2013年10月9日水曜日

準備

更に続けます。

初等〜中等教育課程に在学する児童、生徒に向けた教材として、漫画”はだしのゲン”の適否を、該教育課程に着目してみます。

前のエントリ内のリンクには、”教育基本法、学校教育法違反である”が理由の一つとされています。しかしながら、こういった法令以前に、初等〜中等教育には解決すべき問題が放置されており、これが該漫画が不適切である根源的理由と考えています。

政治的、思想的表現の真偽、適否といった内容に踏み込む以前の問題です。

十分な予備知識、現状についての理解、共通認識というか一般的な社会通念も育まれないまま、先行して中立性、公正性、客観性が十分に担保されているとは言い難い情報が児童、生徒に摺り込まれることを憂慮しています。

加えて、公開の場で
自由な議論がないまま、思考停止の状態に陥っていること、即ち、上記状況が放置されている、されてきたことは極めて深刻な問題と捉えています。


3.初等〜中等教育の問題

長文ですが、BLOGOSに投稿された至極真っ当な意見を引用します。(詳細)

(引用始)

私は、恐怖や残酷な描写による反戦教育に反対である。

以下に主要な点を簡潔にまとめておく。

1)残酷なシーンを見せ、残酷への嫌悪によって「反戦」を植えつけるのは、洗脳と同じであり、最低の教育である。

2)子供たちには「戦争とは何故起きるのか」「何故歴史は戦争を繰り返すのか」を考えさせなければならない。

3)ただひたすら「全ての戦争は回避すべき」と思い込む者は、歴史を正しく考察することもできず、正義も同胞も守ることができない。

(略)
4)はだしのゲンを小さな子供にも読ませようと考える者は、実はその多くが、3)の実例とも言える者ではないか?

仮に、考えることも無く、ただ反戦を叫ぶだけの愚者が、はだしのゲンを使って、同様の愚者を育てようとしているのであるなら、この連鎖は早々に断ち切られるべきだろう。



(引用終)


上記引用の2)には、”子供たちには戦争や歴史について考えさせなければならない”とあります。私自身は、考える、判断するための基本的事項、予備知識の習得こそが初等〜中等教育課程の目的であると考えています。

確かに、生徒、児童自らが主体的に考察できることが望ましいのは勿論です。ただ、残念ながら、現行教育課程の学習内容では、そのために必要な知識の習得、基本的事項の理解への到達には程遠いと言わざるを得ません。

このことは単に戦争のみに留まらず、平和、国家、社会、民主主義、法治、或は、憲法、天皇制、人権といった他の概念についても当て嵌まります。

こういった現行社会の礎ともなる基本的事項は、抽象的な面もあり、児童、生徒に定義を説明し、理解、実感させ難いかもしれません。

しかしながら、たとえそうであっても、これら事項の共通認識というか、価値観、総意を児童、生徒に修得させるべく、初等〜中等教育、即ち、義務教育が実施されるべきと考えます。

天皇制を例に採れば、己の義務教育時の記憶を顧みた時、既に定かではありませんが、


――第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民 
                 統合の象徴であって、
                 この地位は、主権の存する
日本国民の総意に基く。―― 

について、詳しく説明を受けた記憶がありません。当時私は、”象徴”、”統合”の具体的意味、”日本国の象徴”と”日本国民統合の象徴”の違い等、理解していなかったと思います。

学校の考査でも、条文を暗記して象徴、統合といった漢字が正しく書ければそれで十分だったような...意味について問われた記憶はありません。

民主主義についても同様です。確か、小学校高学年次だったかと...記憶にあるのは”みんなで決める”、”少数意見の尊重”といった語程度でしょうか。社会科の授業で民主主義の経緯、理由やその意義、功罪には触れられなかった気がします。

こういったことを年少の児童、生徒に理解させることは確かに困難です。しかしながら、だからといって思考停止状態のまま民主主義に盲従させることには強い違和感を抱きます。

本来、該教育は児童、生徒に将来形成されるであろう個人の価値観、思想的支柱の糧を教授するものであるべきです。

そういった観点からみた時、現行の教育基本法、学校教育法に掲げられている、教育の目的についての至らなさは否めないのではないでしょうか。

例えば、教育基本法には教育の目的として、

――人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会

     の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康
    な国民の育成を期して行われなければならない。――

と規定されていますが、曖昧で空虚な印象が拭えません。

”人格の完成”とあるのですが、教育基本法資料室へようこそ!にも目指すべき”完成された人格”、理想像についての説明はなく理解できないでいます。例えば、現在どういった人物が最も完成に近い人格を有していることになるのでしょうか。そしてその理由は何か、具体例を交えた詳細な説明を望みたいところです。

又、前置きなく”平和で民主的な国家”とあり、既にこれが揺るぎない、普遍の前提といった印象を持ってしまいます。”平和で民主的な国家”を否定するわけではありません。ただ、”平和”、”民主”を絶対不可侵と崇め奉り盲従を求める空気が蔓延する可能性は排除されるべきと考えます。

こういった表現では、条文に対する疑問を封じ込め、戦争、平和、民主主義についての意義、問題、今後を考えようという意識を削いでしまうことはないのでしょうか。思考停止状態に陥らせてしまうことを懸念します


上述したように、初等〜中等教育期間とは、児童、生徒に今後培われていくであろう個人の価値観、思想的支柱の糧となる、必要な知識を修得し基礎的事項を理解する、準備期間であると捉えています。

いわば、漫画”はだしのゲン”を読む力、自らの責の下で主体的、客観的に考察判断する力を養う期間ということです

その結果としての該漫画に対する真偽、是非を含めた評価は勿論尊重されなければなりません。しかしながら、良質な教育が不可欠とされているにも拘らず、未だ十分ではない状況下での、予断を形成しかねない摺り込みには強い反発を覚えます。

現行の初等〜中等教育は、児童、生徒における、価値観の形成、思想的根幹の成長、客観的考察力の養成といった、個の確立、育成に対し、必要な寄与をしているとは認められません。

実は、粛々、細々(?)、内々に(?)、初等〜中等教育について、不断の議論、検討が進められているのかもしれませんが、少なくとも身近、容易に窺い知ることはできません。

そういった初等〜中等教育課程が蔑ろにされている現状に鑑みても、重視すべき問題があるが故に、漫画”はだしのゲン”は、生徒、児童の教材として不適切であると判断します。


もう少し続けます。

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