2020年10月4日日曜日

亡国

日本学術会議の新会員任命に際し、学術会議の推薦者105名のうち、6名の学者が任命されなかったことについて菅政権に各方面からの批判が集中しています。


憲法で保障された学問の自由への侵害とか、政府や社会に対し科学者の立場から様々な意見、提言を行うに当たってその独立性が損なっている、ということが批判の理由です。

前者については、”直ちに”侵害していることを示す実例が思い当たりませんのでさておきます。しかしながら、後者については明らかに該当していると考えます。学術会議を御用組織化して、政府の都合に合わせて科学者の権威を利用しよう、という菅政権の意図が明らさまです。

これに対しこの任命見送りは問題ではないという印象を抱かせる声も少なからず散見されます。例えば、
1.学術会議は国庫からの予算拠出による組織であるから行政府の長による任命権の行使は当然

2.学術会議側の会員推薦のプロセスや理由の不透明性

3.学術会議の存在意義や役割 

といった部分で任命見送りの妥当性が印象付けられています。このうち、2.と3.話のすり替えです。今回の新会員候補6名の任命見送りとは別の話であって、問題があったとしても別途議論されるべきです。

で、1.の任命権の行使は当然か、という話になります。ここで、それでは行政府の長は誰によって任命されるのかとなると、
〔天皇の任命行為〕
天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。(日本国憲法 
第六条
と定められています。では、任命権を持つ天皇は任命を拒否できるのかというと、
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。(日本国憲法 第四条)
とあって任命しないということは
あり得ないわけです。

翻って、本騒動の場合はどうでしょうか。日本学術会議法には、
日本学術会議は、二百十人の日本学術会議会員(以下「会員」という。)をもつて、これを組織する。
2 会員は、第十七条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。
(日本学術会議法 第七条)

 とあって、

日本学術会議は、規則で定めるところにより、優れた研究又は業績がある科学者の うちから会員の候補者を選考し、内閣府令で定めるところにより、内閣総理大臣に推薦するものとする。(日本学術会議法 第十七条) 

と、推薦の規定が定められています。従って、”任命しない”は、即ち、”学術会議の推薦を認めない”ことを意味しますから、任命しない理由と推薦した理由の突き合わせははされて然るべきです。会議による選考の否定に他ならないわけです。

又、職務、及び、権限の章で、

日本学術会議は、独立して左の職務を行う。
一 科学に関する重要事項を審議し、その実現を図ること。
二 科学に関する研究の連絡を図り、その能率を向上させること。(日本学術会議法 第三条)

と定められていて、ここに”独立して”の語を認めることができます。この部分が、内閣総理大臣の指揮命令から独立して、とか、政府から独立して、を指しているとの理解です。一部報道にあるように”明示的”に記されてはいませんが、政府のドメイン(go.jp)下にある日本学術会議のサイトには、

日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信の下、行政、産業及び国民生活に科学を反映、浸透させることを目的として、昭和24年(1949年)1月、内閣総理大臣の所轄の下、政府から独立して職務を行う「特別の機関」として設立されました。(日本学術会議とは
とありますから、政府の公式見解です。

少し逸れますが、法文内の”独立して”には非常にあっさりした印象を受けました。そこで、政府から比較的高い独立性を有する他機関について調べてみました。
日本銀行の独立性
(日本銀行の自主性の尊重及び透明性の確保)
日本銀行の通貨及び金融の調節における自主性は、尊重されなければならない。(日本銀行法 第三条) 
(業務の公共性及びその運営の自主性)
日本銀行は、その業務及び財産の公共性にかんがみ、適正かつ効率的に業務を運営するよう努めなければならない。(日本銀行法 第五条)
とあるのですが、第四条で
(政府との関係)
日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない。(日本銀行法 第四条)
とあって玉虫色の印象を持ちました。

会計検査院の独立性
会計検査院は、内閣に対し独立の地位を有する。(会計検査院法 第一条)
しっかり明記されています。
人事院の独立性
(人事院)
内閣の所轄の下に人事院を置く。人事院は、この法律に定める基準に従つて、内閣に報告しなければならない。(国家公務員法 第三条)
上記法文内にある”内閣の所轄の下”は、
「所轄の下」とは、内閣に属する ものの、内閣の直接の指揮命令を受けず、独立してその職権を行使することをいいます。(内閣から独立した専門機関 ~人事院の位置付け~
とのことです。”内閣の所轄の下に”と日本学術会議法で規定されている、
日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。(日本学術会議法 第一条2)
の意味の違いがよく解りません。同じ意味なんでしょうか。
公正取引委員会の独立性
公正取引委員会の委員長及び委員は、独立してその職権を行う。(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 第二十八条)
日本学術会議法に記された法文に最も近い表現です。独立の説明は、
公正取引委員会は,この行政委員会に当たり,委員長と4名の委員で構成されており,他から指揮監督を受けることなく独立して職務を行うことに特色があります。(公正取引委員会の紹介

とありますから、学術会議の”独立”も”他から指揮監督を受けないこと”で間違いないはずです。

ちなみに上記、いわゆる独禁法には、
公正取引委員会は、内閣総理大臣の所轄に属する。(私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律 第二十七条○2)
との記述があり、前述の”所轄の下に”、”所轄とする
”、”所轄に属する”は各々別の意味で使われているのか依然不明ではあります。

話を戻して、以上の他の機関の”独立”を照らし合わせれば学術会議の独立とは、”他から指揮監督を受けないこと”とみるのが妥当です。で、今回の政府による任命見送りは学術会議の判断に対する指揮監督であり、日本学術会議法に抵触する行為に相違ない、と考えます。

但し、独立にはやはり責任は伴いますし、監査の義務付けは抜きにはできません。本来、事実と論理のみに従い、学者の良心に基づく合理的な判断、行動がなされることが理想ではあります。事実に反したり理不尽な行為には毅然と異を唱える姿勢を望みたい処です。ただそうは言っても、機関の自律性に対する過度の期待は抱くべきではないと考えます。やはり、暴走や過ちの恐れ、独善性を排除する機能、仕組みは必要です。

その辺り、学術会議も含めた独立性が付与された各機関の監査、生産性評価が未だ十分ではないような印象は否めません。


さて、ここから少し違った、斜め上を向いた視点から学術会議新会員の政府による任命拒否問題について記します。

社会に変革をもたらすような卓越した知は、自由から創出され、それが更に大きな自由の獲得に繋がっていく、と考えています。私見です。知に対する探究心は自由の追求心と根源的には通底している、と捉えています。

つまり、自由が制限された独裁国家では卓越した知は生まれない、ということです。いくつかの国が思い当たります。そしてそれは他国に限った話ではありません。

ここ数年間、
政府と日銀のアコード
検察官の定年延長
内閣法制局長官挿げ替えによる憲法解釈の変更
内閣人事局による人事院の独立性の毀損
法人化による予算面、運営面での大学の独立性の毀損
独立性を尊重すべき機関に対する政府の介入姿勢を目の当たりにし、今度は学術会議か、と。新たな知の創出に大きな足枷となってしまうことを危惧します。

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