2020年12月24日木曜日

内心

安倍前首相「深く反省しおわび」 「桜見る会」夕食会費用補填問題

――私が知らない中で行われたとはいえ道義的責任を痛感する。深く反省するとともに国民におわび申し上げる――

とのこと。過去、一体どれだけ”責任を痛感”の文言が繰り返されるのか...責任の帰属は認めるが、だからといって責任を取った、という事例を知りません。これまでと変わらない、口先だけの居直りです。

で、この知っている/知らないは内心の問題です。”知らなかった”との発言があってもそれが事実か虚偽かは別の話であって、補填を知っていた、指示したという事実を否定するものではありません。それが証拠が見当たらない場合の中立的な見方です。説得力を欠いたお詫びなど全く意味をなしません。

安倍政権時代、NHK他のメディアの内閣の支持率調査で、支持しない理由という質問も含まれていました。この不支持の理由の第一位か第二位に必ず、

人柄が信用できない

というものがありました。当にそれが具現化したお詫びの文言でした。一国の宰相がこういった理由で支持されないというのもなんとも情けない話です。

信頼社会の実現など夢のまた夢です。

2020年12月19日土曜日

因果

年に数回スカイラークグループの店で昼食を摂ります。同グループの優待券を譲り受けることがしばしばあって、遅い昼食の際、該券を消化する目的で訪れています。

同グループはいくつかの外食チェーンを擁していますが、その中で赴く店はほぼしゃぶ葉かから好しに限っています。これはそれ以外の店では、料理の質が価格に見合っていないというのが理由です。特にガスト...長居するにはドリンクバーは便利なのかもしれませんけど。

そんな中、肉についてはどうでもいいのですが、とにかく野菜をたっぷり摂ることのできるしゃぶ葉か、手っ取り早く定食の体で昼食を済ませられるから好し、という選択になった次第です。

スカイラークグループではよくある話ですが、他社である業態が好調になると、追随というか模倣した業態の出店を始めます。やや劣化してですが。記憶にあるのは、いきなりステーキとステーキガスト、大戸屋とおはしでガスト、サイゼリアとグラッチェガーデンズといった処でしょうか。焼肉は焼肉で何かあったような。

勿論、から好しにも当て嵌まる話で、店舗の拡大が目覚ましい、からしげやからやまの後追いであることは間違いないとみています。価格面では後発ですから先行他社を上回る設定は難しいと思われ、少なくとも看板メニューのからあげ定食は三社横並びです。それでも、大手外食チェーンで提供される定食としては価格訴求力があるというか、割安感が受け入れられて三社とも店舗数増加に勢いがあるように見受けられます。

で、まぁ上記理由から、から好しを運営するスカイラークグループとからしげのアークランドサービスの間で訴訟になっているようです。

「かつや」運営社がすかいらーくを訴えたワケ
ちなみに、価格訴求力、割安感と上述しましたが、実際の処どうなんだろうと見てみると、からあげグランプリ3年連続金賞とか伝説のからあげなどと喧伝していても、鶏もも肉はタイ、ブラジル、アルゼンチン産だったりしています。これを云々するつもりはありませんが、そういうことです。ただ、そういうことであっても顧客の支持を得ているのは確かであって、それが、”ぱっとしないガストの店内に好調のから好しを併設”という形で具現化したのでしょう。一部、該訴訟の影響もあるかもしれませんが。

さて、ここからです。先日、このガストでから好しメニューに対応、という話を知りガストに入店しました。名古屋市内にから好し単独店は郊外の一店のみです。この併設により一気に店舗数が増え、所用で通りがかった際、から好しに立ち寄りやすくなったという認識でした。

入店、着席し、タッチパネルからから好しの看板メニューであるから揚げ定食を注文したのですが、なんとなく違和感を感じました。帰宅して調べてみると、同じから揚げ定食であってもから好し単独店とガストで価格が異なっていたことがその理由でした。ガストでは、から好し単独店の価格に税抜きで100円上乗せした価格設定になっていました。

つまり、同一のから好しのから揚げ定食であっても、同じスカイラークグループのから好しとガストで、価格が異なる一物二価の状態、ということです。加えて、ガストでは、同等の看板メニューについて、後発であるにも関わらず、競合のからしげやからやまを上回る価格設定になっているわけです。

まぁ、同一グループのスーパー、例えばアピタとドン・キホーテ、バローとタチヤ、イオンとマックスバリュでも商圏の違いや販売戦略により同一商品であっても価格が異なることはあり得ます。ファストフードチェーンのマクドナルドでも似たような話を以前耳にしました。現在はどうなのかと調べてみると、メニュー表示の下部に
※全国の約40店舗(空港、駅・遊園地・サービスエリア・大都市圏の一部店舗)では価格が異なります。該当店舗はこちら
と注釈が記されていますから、テナント料等の固定費が高い店では高めの価格設定にしていることが窺われます。ただ、それでは上記ガストとから好しの一物二価もこれに該当しているかというと、別の事情によるものと推測しています。

おそらく、スカイラークグループ社内で、

1.後発、模倣で、ファストフード形態の、低価格唐揚げ専門店を始めた処、繁盛した。

2.出店を拡大したいが、自社の高コスト体質のため店舗数を増やしても利益に繋がらない。だからといって価格の引き上げは競合店との価格競争の点で難しい。競合他社からの訴訟の行方も懸念される。

3.既に他店舗展開しているガスト内にから好しを取り込もう。一気に店舗数が拡大する。その際、価格を引き上げておけば利益にも繋がる。ガストの業態はファストフードではないから価格設定を引き上げても受け入れられるだろう...

こういった経緯で意思決定が為されたんじゃないかと憶測しています。これがあながち外れてはいないとするなら、それこそがスカイラークグループの経営不振というかダメな理由ではないかと考えます。

ファミレスのガストとファストフードのから好し、同じ料理の提供でガストの方が高価格である理由が見当たりません。業態、サービスの差と言われても違いを実感できず、利益増を図った、と捉えるのが妥当な気がします。ちなみにから好しではセルフサービスですが水とお茶が用意されています。ガストではタッチパネルでから好しのメニューを注文後、

ドリンクバーで水をどうぞ

と表示されます。から好しでは各テーブルに用意されていたマヨネーズやドレッシングも、漬物類の小壺もガストには見当たりませんでした。まぁ、これは新型コロナ感染の恐れを減じるためかもしれませんが。

この取り組みが周知になった時、果してガストの来店客はから好しのメニューを注文するだろうか、或いは、から好しのメニューを注文するためにガストに来店するだろうか、疑問です。

から揚げ定食が目当てであれば、から好し単独店か、他チェーンの唐揚げ専門店に行くでしょうし、ガストの来店客はわざわざ上乗せ価格のから好しメニューは選択しないだろう、との見立てです。

つまり、この新しい取り組みは、ガストでから好しメニューを選択する動機を生み出すようなものではなく、むしろ動機消失させるようなものではないかと。こういった顧客視点を欠いた企画というのは、先述の後追い、模倣体質と共にスカイラークグループらしいなぁと思った次第です。

尚、記していて気づきましたが、ガストから徒歩圏内の勤め人、学生あたりのテイクアウトに的を絞った企画としてなら、或いは効果的なのかもしれません。それが主目的だったのでしょうか。それでも一物二価状態は変わりません。というかテイクアウトの場合の方が更に価格差の説明がつきませんけど。

2020年12月18日金曜日

体裁

「桜」疑惑、安倍氏が国会で説明意向

年末ギリギリに”説明をした”という形式を整え、年明け以降は”説明は済んだ”で押し通す、と。着々とシナリオ、配役、演出が決まりつつあるのでしょう。後は覆い被せる蓋、”それどころじゃない”感が醸成できるような年末年始のニュースをどんなタイミングでリークするか、或いは、どんなニュースを蓋にするかでしょうか。

それなりに重い蓋が必要な気がしますが。

2020年12月15日火曜日

盲進

――土産店の女性店員も「感染の怖さはあるが、店の存続の方が大事だ」と話し、先行きを案じた。――
Go Toナントカの一時停止を受けて、名古屋 金シャチ横丁からの声のようです。感染より店の存続ですか、店員なのに...高い家賃を払ってよそ者からぼったくる、止められない魅力があるのかもしれません。自らの感染を恐れず、同時に感染源となる恐れも顧みず、一体どんな土産を販売しているのか、興味ある処です。

2020年12月11日金曜日

手掛

未だゼロリスクについて考えあぐね、もたもた書き連ねているわけですが、そんな中、以前録画しておいた、

BS1スペシャル シリーズコロナ危機▽アメリカ バーチャル経済の光と影

を視てみました。番組そのものはバーチャル偏重というか、そこまでリアルを軽視できるものなのか、といった印象を抱いたのですが、その中でネット通販の将来像に触れていました。これまでは、実店舗における商品そのものや販売手法の評価が高まり、その展開としてネット通販という形態が加わってきたとのこと。それが発展したバーチャル経済社会では、最初にネット通販での評価が高まり、その後実店舗での販売が加わるようになるだろう、とのことでした。

Amazonが実店舗の販売を始めるようなものでしょうか。実験的な試みとして実店舗を出店したという話は以前聞いたことがあります。

で、これらにおいて最も重視されるものは何かを考えてみると、それはやはり信頼なんだろうと思った次第です。実物に触れることなくモニタとスピーカからの画像、動画、音、商品説明だけで購入を判断するわけですから。尤も、この購買スタイル自体は既に日常的にはなっていますが。

取引の成立には販売側と購入側に一定の信頼関係が存在していることが必須です。購入の決断は、完全にではないにせよ、バーチャルで知り得た情報を信用してこそ行われます。

上記番組で予想されている、

”最初にネット通販から人気となり、その後実店舗の販売が続く

これが定着し、日常になるということは、信頼社会の実現へと一歩、或いは半歩進んだ、若しくは少なくともその方向へ進む手がかりが得られたことに相違ない、そんな気がしています。

バーチャル空間からの情報で全ての顧客の期待に応える、といのはなかなか難題です。販売者側から提供される商品情報が示す内容と、その情報に対する購入者の認識との間で、無視できない割合の誤認や齟齬が必ず生じているはずです。商品を送付しないとか、説明と異なった商品を送付するといった詐欺的な話ではなく、販売者にとって適切に商品情報を説明しても誤認や齟齬は起こり得る、という話です。

購入者に誤認や齟齬を生じさせない取引が理想であるのは当然です。しかしながら、取引成立を目的として価格と仕様、画像、動画、商品説明で購入者の購買意欲を喚起する販売者の販促活動は、誤認や齟齬を容易に引き起こします。

簡単に記せば、販促という行動には例え潜在的であっても、虚飾、価値の嵩上げが必ず混入している、ということです。これは排除できません。販促にマイナスとなる情報には触れない、過小に、或いは淡々というか事務的に伝える、若しくはそれを恰も補えるかのような対処法を示す一方で、売り文句は誇大ではないにしても過大に伝える、そういった中立性を欠いたアンバランスな宣伝文句は日常的に目に止まります。

激、極、秘、高、限などの文字が入る修辞が踊って食傷気味になります。序列不明なまま最高と最上、極上、究極と質を形容する語で散々持ち上げられ、語意はインフレ化する一方です。特に、デザイン、味、接客といった主観性抜きには評価不可能な物品、サービスについては、当に言った者勝ちといった様相に感じます。まぁ、受け止める側も話半分というか、半値八掛け五割引きで差し引きますから、修辞は超インフレ状態です。

これは、売れても売れなくてもどうでも良い社会主義経済社会ならいざ知らず、自由主義経済社会では不可避の本質です。従って、上記の誤認や齟齬、期待外れや想定外による、購入者の失望は常に起こり得ます。

そのためこれまでの購買行動は、実店舗で実物を確認した上で試行的に商品を購入したり、商品の品質レベルを担保するブランドの信用力などに依拠したものでした。その後、該商品の高い評価が広まるに従い、ウェブサイトからの購入も増加していくといった流れです。

それが逆転し、ネット通販から人気に火がつくということは、ネットからの情報のみで購入が決断され、且つ、購入した商品が期待通り、若しくは期待以上だった、ということを意味します。つまり、ネットからの情報に頼ったネット通販で、安心して期待通りの商品を購入できるシステムが実現しているわけです。

そのシステムがどのように実現されるのか、実現には何が必要かは解りません。少なくとも、JISやウールマークに代表される(半)公的機関の品質認証だけでは全く不十分です。主観的要素が無視できない顧客満足度の話ですから。

ただ、常に高い顧客満足度を獲得、つまり、商品の購入者が期待以上と評価するような情報をネットのみから提供できるということは、ある意味信頼社会の実現に他なりません。これが実現し得るならば、前のエントリで記した信頼社会実現へと歩を進める端緒にできるのではないか、と考えます。

残念ながら、それがどのように実現されるか条件も施策もちょっと想像できないでいます。ないものねだりではないことを願って止みません。ただ、その実現には条件や施策以外にも問題が山積しています。その辺りの懸念を記していずれ又再考することとします。

一つは、民間の事業者がそういったシステムを手掛けることの適格性です。上記した、販売者側から提供される情報と購入者の期待感の摺り合わせを仲介するシステム全体はEC市場の管理運営者が担うものと考えられます。EC市場の管理運営者とはアマゾンに代表される民間の事業者であり、あくまで営利事業として情報提供の仕組みを含むEC市場のプラットホームが運営される、ということです。商品取引の場で培われた、情報提供と期待感の摺り合わせに関する知見を信頼社会の実現に適用できたとして、果してそれが妥当であるか否かは別途検討が必要であります。

つまり、信頼社会を実現する施策の設計に当たり、個々人の内面にある倫理や道徳的な部分にも一定程度目を向け、設計に組み込むことが求められるわけです。そういった個人の内面部分に対し民間の営利事業者が果して公正中立、誠実に向き合えるのか、事業者の自律性は担保されるのか、暴走は抑えられるのか、といった話です。過大な任にも思えますし、民間の営利事業者が手掛けることを手放しに是とはできません。

だからといって公的機関には困難な課題です。公的組織と市民の関係は、選挙を除けば原則として上意下達、”由らしむべし知らしむべからず”の図式になっていて、相互の信頼が既に成立していることが前提になっていますから。信頼関係が損なわれているからこそ信頼社会の実現を、と唱っている処にその役目を公的機関に担わせることは適当ではないだろうということです。

結局、信頼社会の実現に向けた仕組みの構築は誰が担うのか、という問題になります。

ただ、信頼社会の実現を、相似している商取引における顧客の十分な満足の発展形と捉えれば、大手EC事業者の様々な取り組みは端緒になり得ます。その最たるものは顧客レビューや口コミの仕組みではないでしょうか。勿論、該システムにおいても、なりすましによるヤラセ、虚偽、誹謗中傷といった不正や欺瞞行為は珍しくなく、イタチごっこの様相を呈しています。

不完全であるにしても、やはり透明性を上げる仕組みが信頼社会の実現に必須であるのは間違いありません。そんな中、完全万全完璧の語が乱舞し、

”仮定の質問には答えません”

の連発は、なんだかインチキ健康食品や偽ブランド商品の販売サイトとダブって映ります。この姿勢でアマゾンに出店していたら出店即アカウント削除です。

日本政府がアマゾンに施策を出品、説明は完全、万全、完璧を多用、美辞麗句が並んでいます。問い合わせてみると、

”回答を控えさせていただきます”

と。これじゃぁ...

2020年12月4日金曜日

淡々

先日、所用で中央自動車道 塩尻北インター近くのビジネスホテルに宿泊した時のことです。ここ最近のGo toナントカを制限するとか自粛するとか騒がれるより少し前でしょうか。新型コロナの感染者数が日々増加している一方で、どうする?どうしよう?とか、”厳重警戒”とか”最高レベル”と記されたパネルを手にした首長が???な呼びかけを会見でしていた頃です。(そしてそれは未だに続いているわけですが。)

22:00頃、ふとホテルの駐車場に目を向けると、駐車場は満車でした。その半分程度は業務?作業?用ワンボックスカーでした。そのうち七割はルーフに脚立を載せていました。その他、商用バンだったりボディに社名の入った乗用車が結構な割合で駐車しているわけです。

一夜明けて9:00過ぎ、各々、自分が担当する現場だったり客先へと向かったのでしょう。九割方の車は出庫済みでした。コロナ禍を尻目に、Go toナントカの狂騒やら制限を余所に今日も生産活動は続けられています。

国庫の施しがあるからと、さもしく各地を遊び回るのは勝手です。それが原因で新型コロナの感染拡大が起こったとしても、それはまぁ承知の上でのバラマキなんだろうと。ただそれが、淡々と営まれている生産活動に支障をきたすようなことはあるまじきことです。強く主張しておきます。

仕事の邪魔すんな!