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2015年3月15日日曜日

上辺

自戒を込めて記します。

以前から
”させていただく”
という表現が気になっていました。勿論、自分自身も使ってきた自覚はあるのですが、ここの処、違和感が付きまとっています。

特に、飲食、飲食店に纏わるレビュー、ブログでこの表現を目にした時、首を傾げることがよくあります。

少し例をあげてみます。
  1. こちらの記事を参考にさせていただいて
  2. お邪魔させていただきました
  3. 食べさせて頂きました
  4. 観賞させていただくことに
  5. お話をさせていただきました
  6. 持ち込みさせていただきました
  7. ご一緒させていただきました
  8. 感動させていただいた
  9. 参加させていただきました
  10. お持ち帰りさせていただきました
  11. 食事させていただきました
  12. 訪問させていただきます
  13. お話させていただいて
  14. 仲良くさせていただいてる
  15. テイスティングさせていただけました
  16. 利用させて頂いちゃいました
  17. お伺いさせていただいています
  18. 企画させていただきました
  19. 利用させていただきます
  20. 試食させていただきました
  21. 突入させて頂く事に
  22. 堪能させていただきました
  23. 投稿させていただきました
  24. 点数は基本的に3点とさせていただいてます
  25. 多用させていただいてます
  26. この点数とさせて頂きます。
  27. ★は3つ半とさせていただきました
  28. 撮影させて頂きました
  29. 予約をさせていただいて
  30. 写真を追加 させて頂きます
  31. 評価をさせていただきました
  32. ゆっくりさせていただきました
  33. 訂正させていただきます。
  34. お勉強をさせて頂きました
  35. リピさせていただきます!!
  36. シェフもお話しさせていただく
  37. 予約をさせていただき、
  38. 満足させて頂きました
  39. オーダーさせて頂きたいですね
  40. 写真3枚アップさせていただきます。
  41. いつも仲良くさせて頂いている
  42. 投稿をさせて頂こう
  43. 注文させていただきます
至るところに氾濫している、”させていただく”で、悪酔いしてしまいます。

”させていただく”は使役の助動詞”させる”と、謙譲の”いただく”の組み合わせです。ある動作を誰(何)かが行うよう強いる、或いは、誰(何)かがある動作を行うことを許可する、”させる”です。

この時、誰(何)かはその意志がなくとも動作が強いられ、逆に、意思があっても許可されないなら動作を起こせません。

で、”させていただく”の誰(何)かは私のわけです。では、誰(何)が私に”させる”のか、更に、”いただく”において、私は誰(何)に対して謙っていることになるのかについて考えてみます。

上記の例は食べログのレビューや食についてのブログから引っ張ってきており、私に”させる”誰(何)かは、飲食店、食べログの投稿システムとその閲覧者、ブログ読者、といった辺りが該当します。

少し、手前勝手に誇張して補完してみますと、
――本来、私如き分不相応な者がそういった大役を担うのは力不足であるにも関わらず、その任に当たる機会を与えられ恐縮の限りです――
こんなところでしょうか。

上記1〜43の例は、該誰(何)かに対しそこまでの謙譲が求められる行為とは捉えられません。例え、相当程度敬うべき同席者の場合であったとしてもです。

同時に、この却って慇懃無礼感、白々しさを醸し出す、行き過ぎた謙譲は果たして何に由来しているのだろうか、そういった思いが頭を擡げてくるわけです。

――誰であっても取り敢えず敬語っぽい表現をしておけば当たり障りはないだろう――
これは決して対象を敬っているわけではなく、摩擦を避けるための保身です。意識しての、或いは無意識でのことかは存じませんが、そういった心理の見え隠れが白々しさの根本ではないだろうか、と推し量っています。

面従腹背ではないですが、上っ面で謙遜していても、中身との整合性の欠如に違和感を抱いてしまいます。

例えば、愛知を中心とした中部地方の飲食に纏わるブログで、天然鰻を食したエントリをしばしば見かけます。そういったブログ内にも蔓延していたりもします。”させていただきます”が...

前のエントリにも記しましたが、鰻資源の逼迫を鑑みて、”させていただきます”の一言で天然鰻を躊躇いなく口にできるものなんだろうか、と思うわけです。料理写真を公開、味わいを云々するための免罪符的な役割を”させていただきます”に担わせているのかもしれません。

資源枯渇に思いを馳せるわけでもなく、嬉々として天然鰻に舌鼓を打っておきながら、
”注文させていただきます”
”評価させて頂きます”
”写真を公開させていただきます”
はないだろうと...己を卑下、謙遜してるのか何だかよく判りませんが、少なくとも遠慮していないのは確かでしょう。

それほどまでに”させていただきます”なら、
”喰うな”
”注文するな”
”公開するな”
というのが率直な印象です。

ところで、先だって、ISISに日本人ジャーナリストらが殺害された際、
”その罪を償わさせる”
と安倍首相は宣言したわけですが、これは”させていただきます”の変形なんでしょうか。


今後もブログを続けさせていただきます。

2013年11月6日水曜日

線引

かなり間が空いてしまいましたが、前のエントリから引き続き、飲食店内で撮影した料理写真をブログで公開する行為について考えてみます。

北海道 上富良野町の5本の木(嵐の木)、美瑛町の哲学の木を撮影する観光客の余りの心無い態度、マナー違反が話題となったのは二、三ヵ月前でしょうか。

又、別のエントリでも触れていますがSNSのバカ発見器としての性能は依然低下することなく、その後も、王将、しまむら、ピザーラ、スシローと猛威を奮っています。

他にもUSJやTDLでの学生の迷惑行為等も記憶に新しいところです。

では、飲食店で料理の写真を撮影してブログで公開する行為は上記と何が違うのでしょうか。

ネットワークで公開された迷惑行為は、炎上を引き起こし、周囲から非難を浴びると共に個人を特定され、挙げ句には損害賠償請求に至ったり、威力業務妨害、強要罪として被害届けを出されたり逮捕されたりもしています。

ただ、これらはあくまで迷惑行為に対するしっぺ返しであり、実は写真撮影に駆り立てる動機は同根ではないかと考えています。

線引きは単に法令に抵触するか否か、他者に迷惑か否かに過ぎず、写真を撮影して公開するという行為に違いはありません。

勿論、両者には分別という溝があるわけですが...

上記エントリでも触れましたが、溝のあちら側には迷惑行為をする輩が元々存在しています。単に、SNSで写真を公開して共感を得るという強烈な動機、デジカメによる撮影の容易化、情報の拡散性の大きさと高速化が彼等彼女等を顕在化させたということです。

では、こちら側の人々が溝を渡って向こう側に行ってしまうことはないのでしょうか。

従来、この溝は幅広で深く、彼我の段差もあったと思います。ところが、上記要因に加え、個性の尊重というか、個人主義、放任自由主義の高まり、規範意識やモラルの低下、飲食に関わる衛生管理に対する過剰な要求と疑念、こういった諸々が溝を埋め段差を縮めているようにもみえます。

根底にある動機が同じであることに加えて、個人の価値観の多様化は軽々とブロガーをあちら側に連れ去り、或は、気がつけばあちら側にいた...溝が埋まったことで起こり易くなっています。

こちら側に思い留まらせる、引き留めるのは分別という錨ですが、モラルハザードが起こり易い構造であるのは否めません。

例えば、食べログを覗けば至る処にそういった兆候が窺えます。(炎上する前に削除されるなり管理されていますが...)
 
実際あちら側の人々を定量的に推し測ることはできませんから、確証も根拠もありません。なんとなくです。メディアに踊らされているだけかもしれないことも否定しません。

上述のアルバイト従業員が引き起こした問題行動が何件も露見した時、”「うちら」の世界 - 24時間残念営業”というブログ記事が話題になりました。既に削除されています。

大雑把には、情報リテラシーは学歴に相応し、低学歴層はネットワークを介した向こう側の存在を理解できない、ということのようです。で、向こう側とリアルの自分の仲間(=うちら)を同等に捉えてしまい、問題行動を公開してしまうと...

ネットワークの向こう側を想定する力は、学歴というか学習の結果も一要因であることは否定しませんが、それのみに依存する、主要因であると私自身は考えていません。 

例えば、愛知県とか、名古屋市の飲食についてのブログを考えます。ブロガーの方々は県内、市内の飲食店を訪問し、店や料理の写真をブログで公開してレビューしています。

こういったブログの読者は、全てではないにしても、ブロガーと行動範囲が重なる、自分も当該飲食店を訪問可能な属性に偏るのは当然でしょう。これまで愛知県や名古屋市と関わりがあった、或は、今後関わりがありそうな読者を除けば、九州や北海道、東京、大阪、アメリカ、 ロシア、ブラジル、オーストラリア、イタリア、ケニアの読者は少なくて当り前です。

逆に、行動範囲が重なる読者はブログの情報を元にリアルの世界で追体験をして情報の共有が蓄積されていきます。物理的な距離も小さいわけですから場合によってはネットワークを介さない、リアルの世界での顔合わせもあるでしょう。

即ち、相互のコミュニケーションがネットワークを介してのみに依存する場合より、地域に限定された飲食のブログの場合では、ブロガーと読者の間に濃密な関係が形成されていくことになります。

ブログを含むSNS自体にも、
――気に入った人だけに閲覧してもらい共感を得たい―― 
意識があるわけですから、集まった読者は賛同者、支持者(=仲間)であり、 
本質的に”うちらの世界”を形成し易い条件が備わっていま
す。


結局、うちらが形成される順序は異なるかもしれませんが、ローカルのテーマを取り上げたSNSには上述の情報リテラシーを欠いたうちらの世界と共通の土壌があると捉えています。

尚、飲食店を訪問して提供された料理の写真を何のコメントもなく羅列して公開するだけのブログ、料理写真を羅列して公開しているにも拘らず御自分の備忘録である旨宣言しているブログが存在します。

こういったブログの目的、動機、意図を含む真意は未だ図りかねています。いずれ理解したいと思っています。

2013年8月9日金曜日

上客

前のエントリで引用させて頂いた方の文言の続きです。
――お店側も、写真は載せて欲しいけど、店名は避けて欲しいってぇのは、それは、その手の「宣伝効果」を狙っているようで、とても下品で厭らしい֡
宣伝しねぇで、上等な客だけは、来て欲しいって了見が見て取れて、意地汚ねぇな。――

店舗情報の公開、非公開に関わらず、ブログや口コミサイトによる宣伝、集客について考えてみます。

ところで、集客を期待して宣伝を依頼するならば店名他の情報掲載も望むのが自然ではないでしょうか。ブロガーの出題する”店の当てっこクイズ”に、飲食店側が加担する理由はないように思います。

そういった”店の当てっこクイズ”を利用して集客を図る飲食店が実在するということでしょうか。

店側の視点から勝手に憶測すれば、料理の撮影に限ってのみ消極的に容認されている、或は、前のエントリで引用した、――...店の迷惑...――と素直に受け止めて構わないような気がします。特段、店名を伏せた回りくどい宣伝、集客を店側が意図しているとは思えないのです。

であるならば、供された料理の撮影は遠慮、若しくは、撮影したとしても公開は自粛するのが好ましいのではないでしょうか。ただ、一方で、”書く衝動を抑えられない”といった心情も理解できないわけではありません。もう少し話を伺いたいところです。

勿論、営利ブログ運営者の甘言に唆されて、ブログのために協力を依頼された、強要された、という可能性も否定しません。  

さて、店名が非公開の店に関してですが、それによって遠回しの宣伝を目論む店、或は、文字通り、集客に積極的でない店、宣伝を拒む店に関わらず、上記引用の”上客だけは来てほしい”は揺るぎない本音だと考えます。換言すれば、 招かれざる客、迷惑な客は来店を拒否したいというのは正直な所ではないでしょうか。

で、上客、招かれざる客とはどういった客かが焦点となります。

”一部の食べログレビュアーやブロガーの振舞のように、金科玉条の如く、一期一会などと宣い、根堀葉堀質問し、一挙一動監視して、些細なミスを直言することなくネット上で指摘する。挙げ句には採点して順位付けを行い読者に共感を求める。”

”料理そのものの美味しい不味い、量が多い少ない、価格が高い安いに留まらず、駐車場が停め難い、店が小さい、テーブルの間隔が狭い、掃除が行き届いていない、手洗いが使い辛い、接客が悪い、子供連れでの入店を拒否された、料理の提供が遅い、料理の説明がない、声が小さい、愛想がない、ヘラヘラしている、態度が偉そう、たまたま居合わせた客がうるさい、でも店側は注意しない、常連客を優遇し過ぎ、何度も通っているのに融通がきかない、挨拶がない...”


典型例としては、
 ”特に喫煙制限のない店に初訪問し、居合わせた客の喫煙をネット上で非難する。”

 乙武騒動と同じで、自身にとって譲れない問題なら事前に問い合わせするのは当然です。そういった下調べすら行わず、直面した己の予想外の事態に不快感を顕にするのは身勝手です。

で、改善すれば上客として来店するのか、と問うてみれば、次の店のレビューに忙しかったりするわけです。

宣伝ブログによる集客でそういった客に押し寄せられることは、店として嬉しいどころかむしろ避けたい事態では、と考えます。真っ当に営業していて、それなりに続いている飲食店にとれば宣伝ブログはそれほど必要なものとは思えません。

人気店、繁盛店には当然そうである理由があります。自然、ブロガーやレビュアーに取り上げられる機会も増え、各々は他者の既出でない新しい何かを書かなければ、といった圧力がかかることもあるでしょう。で、重箱の隅をつついたり、箸の上げ下ろしまでネット上で公開されてしまう...

これこそ大きなお世話で、彼等、彼女等こそ招かれざる客ではないでしょうか。 

結局、
「神様」ではない「悪い客」にキレるのは有りかとなり、店側の度量、懐の深さ、忍耐に期待することになってしまいます。

かつて個人経営の居酒屋で、店主がマナーの悪い客を退店させたり、入店を拒否している場に居合わせたことがあります。常連が通う個人経営の店ならではだったかもしれません。そういった風潮は今も残っているのでしょうか。


ローソン→ミニストップ→バーガーキング→ほっともっと→ミニストップ→ブロンコビリー→丸源ラーメン
と、
ここ最近のバカ発見器の炸裂ぶりに対し、ネット上では”SNSによるバカの可視化”といった意見をよく目にします。バカは昔からいたがネットワーク技術の進歩であっと言う間に知れ渡るようになったということです。

飲食店の情報についても誰もが容易にブログや口コミサイトから入手でき、又、発信できてしまいます。これは便利である反面、その情報を基に本来訪れるべきではない客層が来店、即ち、店と客のミスマッチを頻発させてしまうのではないでしょうか。

その結果生じる店側との軋轢において、上述の招かれざる客の振舞には該アルバイトの行為との類似性を感じてしまいます。



一方、これまで、飲食店側には非がないかの如く記してきましたが、勿論、問題のある店も多々あります。先述の客の苦情も程度問題だったり、状況により店側の責任である場合もあるでしょう。

そういった事例を二つ程。

”乳児、或は、幼児を帯同しての入店を予め認めた上で、乳児、幼児の分として一人前の料理の注文を要求する店。”

”炎天下の真夏、寒風吹きすさぶ寒中、或は、雨天であっても、予約時間ぎりぎりまで入店を拒み店外で待たせる店。”

予約時間より前の来店は、店にとって遅刻されるよりよほど有難いと思います。ただ、”早めに行っても外で待たされるだけ”ならば、遅れまいと時間に余裕を持って定刻前に到着しようとする気持を萎えさせます。



いっそ、◯◯◯客の俺ルールと×××店の自分ルールを積極的に闘わせ、”仁義なき戦い 死闘編”がネット上で繰り広げられるのも一つの楽しいイベントかもしれません。

2013年8月6日火曜日

依拠

さて、前のエントリで取り上げた、飲食店内で撮影した料理写真をブログで公開する行為について考えてみます。

既に削除されていますが、その方のエントリでは、一方で料理写真を公開しながらも、他方で店名を非公開としている姿勢に不快感を顕にされていました。
――このお店は、ご夫婦二人で、一生懸命仕事をされ、急にお客様が増えては、丁寧な仕事が出来なくなるので、お店にご迷惑をお掛けしますので、店名は伏せさせて頂きます。――
上記を口実に集客を目論む店、及び、その片棒を担ぐ客(?)の両者を痛烈に批判されています。


――大きなお世話ですね~~。
ガキじゃあるめぇし、てめぇの力量が及よばねぇって判かりゃ、相すみませんって、お断りするだけの話。
お店の人がそう言ったなら、じゃあ、書くなよѥです。
迷惑掛けたくないなら、一言も書くなよХです。
親にも、兄弟にも、総理大臣にも言うなХです。――

ただ、最初に該エントリとリンク先を拝読した際、私自身はそういった印象を微塵も持ちませんでした。おそらく、以前同様な状況に遭遇し、やらせ、ステマの疑念を抱かれた過去があり、それが思い出されて結びつけられたのかもしれません。

確かに、供された料理の脚色写真は漏らさず羅列して公開する一方、様々な理由をつけて店名を伏せ、挙句、メルマガ購読への、或いは、有料イベント参加への誘導、といった意図があからさまな営利ブログが存在しています。

こういったブログは比較的容易に判別できるのではないでしょうか。自著の宣伝、メルマガの勧誘、イベントの案内といった利益誘導を目論む意図が露骨なだけに、さもしさが漂っています。

この部分が、原則として収益を目的としない非営利のブログとの相違でしょうか。無料のブログサイトを利用されている場合が多いため、運営者の手では如何ともし難いスポンサーリンクはあるものの...

一方で実は、収益を目的としないが故にそういったブログを公開する動機を量りかねています。店名を非公開にしているにも拘らず、用意された料理の写真を何故ブログで公開するのか、何が拠り所となっているのか、理解できないでいます。

自身の記録ならば料理写真の公開は不要です。惰性で店名の公開、非公開に関わらず写真をアップされているのでしょうか。

――いい店知っています。こちらが料理です。
 美味しいです。でも店は内緒です。――


よくわかりません。

尤も、それ以前に店名を公開していたとしても、供された料理の写真をブログで公開する意図がそもそも私には芒洋としていますから、不明は当然かも知れません。

何か理由があるのだろうと考えていますが、理解できないまま掴めていないのが実のところです。

知り得たいくつかの意見、事実から勘ぐってみます。


取り敢えず、集客の片棒を担いで宣伝費や特別待遇といった代償を得る、いわゆる利益誘導を目的とした営利ブログは考察対象から除外します。

それ以外の場合で、料理写真をブログで公開する動機を表すキーワードはおそらく、自慢、誇示、顕示、或は、共感、賛同、称賛、承認、評価辺りだろうかと憶測しています。

こういった意識、願望の様々が複雑に入り混じっているのではないでしょうか。

当初、自己顕示欲の充足がブログ公開の主たる動機だろうと思っていました。

提供された美味、珍味を自慢する、そういった料理を口にできる境遇を誇示する、若しくは、己の味覚の鋭敏さを顕示する、といった...

ところが、興味深いことに、とても自慢の材料にはなり得ない、ラーメン、ピザ、パスタ、及び、ファストフード等、大手外食チェーンの料理写真を掲載したブログもかなり散見されます。

こういった料理の写真を公開する理由は自慢や誇示では全く説明できません。そこで、誇示一辺倒ではない、共感、賛同、称賛、承認、評価を得たいのではないだろうか、といった見立てに至りました。

――この店は確かに安くておいしいよね。
    あちらは高いけど量は多いですよね。 
        こっちの店は私にはちょっと...――

に始まり、

――あなたの評価は尤もだ。
     全く同意します。 
     おっしゃる通り、私もそう思います。――
といったように、直接的にコメントで明示されなくとも、暗黙的であっても、そういった心情が寄せられることへの期待感も一つの動機ではないでしょうか。

であるならば、料理の写真を公開するにあたって、店の情報の公開、非公開は、当事者にとってそれほど大きな意味を持たないことになります。

当該飲食店の情報とは全く切り離し、公開された料理の写真とエントリ内の文言に限定しての共感を期待しているわけです。これは、店舗情報の公開、非公開に関わらず、全く同じ扱いで料理写真が公開されていることからも窺えます。

従って、必ずしも読者が訪問可能な店で提供される料理の写真である必要はなく、自宅、友人宅、或は、屋外のBBQ、イベント、海外のホテルといった容易に食べることができない、或は、体験不可能な状況も実は非公開の店と同じではないかと考えます。

更に極論すれば、未訪問の店のサイト、第三者のブログ上の料理写真を借用して意見と共に自分のブログに掲載し、共感を求めても本質は異にしないように思えます。訪問不可能という意味では同じです。

己の思いを開陳し同意を得ることを眼目とし、そのための素材を問わないならば、他所からの引用画像を用いるという方法も整合性がなくはありません。

決して、盗用、流用、フリを肯定しているわけではありませんが...


更に妄想しますと、何故、料理の写真で共感、賛同、称賛、承認、評価を望もうとするのでしょうか。電化製品や電子機器を評価するブログやKakaku.comのパソコン、家電、カメラといった製品のレビュー、口コミと比較してみます。

上記の各々には確かに盛り付け、デザインといった呼称で主観性の強い評価要素、分量、価格といった客観的評価要素が含まれています。しかしながら、他の評価要素を比較した時、料理については香り、味といった更に主観性の強い項目で評価されてしまいます。

当然と言えば当然ですが、料理の主たる評価は主観で行われ基準が極めて曖昧です。他方、電化製品、情報機器は、性能、機能評価の数値化が容易であり、評価結果を私達の共通認識として捉えられます。

料理を含め飲食物の評価、評論が主観的、曖昧な尺度で為されてしまうのはやむを得ない事実です。であるが故に、料理についてのブログの公開は、実は、評価者であるブロガー自身の物差しを読者に評価して欲しいという姿勢の現れなのかもしれません。

確固な礎に立脚しているとは言えない自身の尺度に、読者から共感を得ることで確信を得、その存在に意義を見出したい、ということではないでしょうか。


引続き、”店と客、集客ブログ”について考えてみます。


(続)


2013年8月2日金曜日

誘因

既に削除されてしまいましたが、ある方のブログに飲食店で供された料理の写真についてのエントリがありました。この話題はこれまでもルキウスさんが幾度となく取り上げています。

料理撮影について

店内で料理の写真を撮影する行為については私も思うところがあるわけですが、是非の判断以前にその動機が未だ理解できないままでいます。”飲食に関わるブログ”の公開は、この行為の延長にありますから、写真撮影に駆り立てる源について知見を得ることは、”ブログを公開する理由、目的”といった更なる疑問の解消にも寄与すると考えています。


この写真を撮影するという行為について記すにあたり、撮影対象を飲食店で供された料理のみに留めず、物販店の店内で商品にまで拡張してみます。

この行為はデジタルカメラやカメラ機能付携帯が普及して以降、珍しくなくなりました。該機器により誰もが手軽に写真の撮影が可能となり、又、撮影後即座に出来具合を確認できるようになったためでしょう。

特に、多くの方がブログとして、或いは、SNSサイトに写真をアップロード、公開するようになり、より日常的に見られる行為になってきました。私自身、特別な場ではない、一般の飲食店、物販店で、多くの方が供された料理、店頭の商品を撮影している姿を見かけています。尤も、撮影された写真がどのように利用されているのかは存じませんが...

これまで見聞した事例のいくつかを基に、上記撮影に纏わる雑感を挙げてみます。全く系統的でも、論理的でもなく、憶測の域を出ていない部分もあります。


1.バイアス

飲食店内で提供された料理の撮影では、勿論、撮影目的によってでしょうが、本質的には写実性に差異を生じさせている、若しくは、意図せずとも生じてしまうと考えています。即ち、好むと好まざるに関わらず、撮影という行為自体が写真に脚色を加えてしまうのではないか、ということです。

当然ですが、例えば、自分の非公開の記録や、ブログ、或いは、食べログ等の口コミサイトへの投稿によるネットワーク上での公開、そして店の紹介、推薦、集客への協力といった撮影目的でその程度は異なります。ただ、いずれにせよ撮影された写真には自ずと撮影目的に適うように意図が込められてしまうことは避けられないと考えます。

従って、写真の観賞者には、本来目の当たりにしている状態から脚色(演出、化粧、モデファイ、デフォルメ)され、整えられ、或は、下駄を履かされているであろう姿が目に映っていることになります。その舞台や背景を念頭に置いてこそ実体を捉えられるのではないでしょうか。


2.ショールーミング

例えば電気機器を取り扱う量販店で現物(大きさ、性能、使い勝手、メーカー、品番、価格)を確認し、実際には安値のネット通販で購入する、といった行動をしばしば見聞きします。

私自身も
以前、既に購入機種を決定した後、通販価格を調べて実店舗で交渉した経験があります。

更に、米国では実店舗で商品のバーコードをスマホで撮影(スキャニング)するとAmazon.comでの価格が表示されたり、価格問い合わせ操作に応じて値引きを受けられる、価格比較アプリがあるようです。で、多くの来店客はその場でAmazon.comに注文すると...(日本でも価格コムが類似のサービスを開始するとの記事を読んだような憶えがあります。)




3.デジタル万引

デジタル万引という語があります。これは書店やコンビニで、書籍、雑誌を購入することなく、例えば飲食店の所在地、料理のレシピといったちょっとした(?)内容をカメラ付携帯で撮影して情報を入手する行為を指します。違法ではないようです。

又、陶芸を趣味とする人が、いわゆる作品展ではなく一般の陶器店で、自らの作品の参考にするであろうために陳列してある商品を撮影していく、といった事例も聞いています。或は、他店の商品と比較するために写真を撮る、といった例もあるようです。

撮影の許可は求められるそうです。特段ためらいもなく、全く当り前のような態度で...


1.についてですが飲食店が集客することの片棒を担いでいたり、特別な優遇、割引を受けたり等で店と撮影者の間に何らかの利害関係が発生している場合については除外して考えません。論外です。これについては、
料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係を考える際、改めて言及するつもりです。

2.、3.についてですが、私自身は躊躇し、抵抗感、違和感を払拭できません。駅で列車を、動物園で動物を、観光地で記念写真を撮影することと同一視できないのです。 


撮影を切り離せば、3.は例えば、スーパーでバーニャカウダソースの瓶に目が止まり、裏面にある原材料表示を見て、

 ――アンチョビ、ニンニク、生クリーム、オリーブ  オイル...今度作ってみるか。―― 
と思うことと同根かもしれません。この時情報を盗ったという意識があるかと問われれば?

確かにありませんが...

程度の違いによるでしょうが、おそらく物品が販売されている場で、本来の店の存在目的から逸脱して利用されている部分に私は違和感を感じているのだと思います。

こういった目的外利用は、時間つぶし、目の保養、ウィンドウショッピング、品定め、審美眼を養うといった行動としてで従前からあったわけ
ですが、撮影にまで至ると積極的というか確信的目的外利用といった印象を持ってしまうのかもしれません。

では1.の場合はどうでしょうか。飲食店の存在意義は、空腹を満たす、栄養を補給する、美味しい料理を味わうと共に、口説く、説得する、歓談 、商談、密談、交渉を円滑に進める、等がよく知られたところです。

私自身は未だ
料理写真の撮影に意義を見出せておらず、確信的目的外利用と感じているのでしょう。得も言われぬ釈然としない印象を抱いています。

実は新たに意義が創出されているにも拘らず、単に私だけがそれを受け入れられていないだけかもしれません。

是非について考えれば、上記行為がいずれも合法であるのは勿論で、全く問題はないはずです。2.の価格比較アプリの利用も米国では極めて日常的なようですし...

心情的な齟齬を解消するには、料理写真の撮影についてもう少し考察し、理解を深める必要がありそうです。


引き続き、料理写真の撮影に絡めて”店と客”の関係について考えてみます。

(続)

2013年7月14日日曜日

関西

自分の行動範囲に限ってしかわかりませんが、コロッケ、ハムカツ、メンチカツについて食べログ始め食のブログでの言及はあまりされてません。
(ここで言うコロッケとはカニクリームコロッケではありません。いわゆるコロッケを指します。)

供する飲食店が少ないのか、或は、ありきたり過ぎてレビューに値しないということでしょうか。

ここではコロッケについて記します。ハムカツ、メンチカツについてはまたの機会に譲ります。

確かに、コロッケは街のうどん屋のうどん定食、中華そば定食、若しくは、喫茶店の日替わりランチにはなくてはならない一品です。しかしながら、総じて印象に残るコロッケが供された記憶がありません。

予想通りというか、まあこんなものかといった感を強く感じます。驚きもなければ失望もありません。これが取り挙げられない理由でしょうか。

ところが、テイクアウトというより持ち帰りと言う表現が相応しい精肉店のコロッケ、通販その他で入手した、自宅で揚げる冷凍コロッケでは品によって風味に随分差異があることを気付かされます。その旨さに驚くこともあります。

突出して美味しいコロッケ定食を供するうどん屋、定食屋といった飲食店にあたりが少ない中、蔑ろにせず注力する店がもう少しあってもいいのでは、と願っています。 

なぜそれほど差が出るのでしょう。餅は餅屋ならぬコロッケはコロッケ屋ということでしょうか。

以下には全くローカルな店名が含まれています。読み流して頂いて構いません。

日々の惣菜としては関屋だったり、オハヨーでコロッケ他の揚げ物を買い求めています。これらが私にとってのスタンダードでしょうか。

時折、山垣畜産や三田屋総本家、三田屋本店といった関西の店から冷凍コロッケを取り寄せます。こと牛肉コロッケについてはこれら関西の品の方が一日の長があるのでしょうか。いずれも甘味があり旨いと感じるのですが、特に山垣畜産のものが気に入っています。

名古屋近郊のコロッケを食べ尽くしたわけではありませんが、自分の行動範囲内ではなかなか入手し難い風味かもしません。

未食で気になっている肉屋、揚げ物惣菜店はまだ何店かありますのでいずれ較べてみようと思っています。

ところで、上記三田屋総本家、三田屋本店ですが、名古屋味噌煮込みで言うところの山本屋総本家、山本屋本店、山本屋のような関係なのでしょうか。三田屋という商号もあるようです。

2013年5月25日土曜日

苦瓜

少し時が早いかもしませんが...

十分に冷やしたゴーヤーチャンプルーの丼について触れずして初夏〜盛夏の料理について語る...

そういった輩の投稿、口コミに果して信憑性があるのでしょうか。



補遺

トマトと卵の中華風炒めの丼を追加致します。(但し、よく冷やした場合に限ります。)

2013年5月21日火曜日

期待

乙武洋匡氏の入店拒否騒動についてですが、双方の持つ期待のミスマッチということなんでしょう。共に各々が想定していた訪客、飲食店のイメージと実際との間に隔たりがあったわけです。

店側は、まさかエレベータの止まらない階にあり、階段での昇降の際も必ずしも空間的に余裕のない自分の店に、知名度はともかく、介助を必要とする予約客が訪問するとは思わなかった。一方、乙武氏も予約の際、車椅子であることを事前に伝えていなかった。おそらく、これまでの飲食店訪問で、それほど大きなトラブルがなかったのでしょう。或は、御自分の知名度が念頭にあり名前を出せば察してくれるだろう、といった部分があったのかもしれません。

いずれにせよ、両者がこれまで経験のない場面に遭遇した、で、物理的に解決困難という状態の中、各々の姿勢が衝突した、といったところでしょうか。事前に回避し得た問題です。

残念ながら、特に小規模な店舗、特にビル内にテナントとして入居、営業している店舗において、いわゆるバリアフリーの構造が満たされていない事例は珍しくありません。従って、事前に車椅子での訪問であること、来店に介助が必要であることを伝えてさえおけば、準備するなり、予約を断る等の対応が可能となり、騒動にまで至らなかったと考えます。

ところで、私達は飲食店に何を期待するのでしょうか。勿論、味、量、価格、雰囲気、サービス等全てに満足できればこの上ありません。しかしながら、当然、価格とそれ以外の項目はトレードオフの関係になっています。例えば、食べログ等の匿名投稿サイトでは常設屋台のような飲食店でサービスが...とか乳幼児同伴を想定した飲食店で子供が騒がしい、と低い評価をつけた投稿をしばしば目にします。

上記項目全てを満たそうとする飲食店もあれば、一つの項目には特に拘って注力する飲食店もあります。これは正に飲食店のスタイルであり、責めるべき根拠は客側にはないのではないでしょうか。

ネットワーク上には、事前に伝えずとも対応するべきだとか、米国では...といった声があるようですが、法的な整備が十分でない時期に建築された商業ビルにバリアフリー構造が満たされていない事実からは逃れられません。又、一部の優位な部分だけを取り上げて、欧米では...だから日本は...といった考えには全く与できません。

件の店で、”料理と共に最高のサービスを提供します”とでも唱っているならともかく、サイト上にもエレベータが止まらない旨表示があるわけですから、確認しておくべきだったと考えます。予約時点で確認できていれば、そういった店であり、こちらの望むサービスは難しい、事前に準備するかキャンセルするかの選択も可能でした。

私自身は名古屋郊外に居住し、乗用車での移動がほとんどです。そのため、市内中心部で飲食する際には必ず当該店舗の駐車場の有無を確認します。ただ、駐車場がないからといって劣った飲食店という判断はしません。

下調べも疎かに初めて訪れた店が定休日だった、営業時間外だったとして、果してその店を責められるでしょうか。

さかもと未明氏の騒動の原因となった、公共の交通機関への乳児の帯同と同根のものを感じ、更に、手前勝手に考えればモバイル機器の発達による、”段取る力”の低下の一端が垣間見えた気がしました。
 
現状を直視し、如何に問題を未然に防いで、円滑、できれば愉快に物事を進めるべく段取るには、といった視点に重きを置くべきと考えます。

2013年2月1日金曜日

独善

――1.公共の場に対する認識を私達はどの程度共有しているか――



ほとんどの場合、乗務員に管理されずとも乗客各々は能動的に、 

――互いに不快感を与えないことを意識して行動する、お互いの摩擦を回避し、やむを得ない場合には堪えることも受け入れる――

といった程度には公共の場に対する認識は共有されていると私自身は推察しています。

ただ、運航中における快適な環境の維持、確保を含めた、円滑な運航を目的とするのみならば、公共の場に対する認識がどの程度共有されているかは、実はそれほど大きな問題ではないかもしれません。

公共心の劣化は残念なことですが、その時々の社会の要請に応じて乗務員による乗客の管理、規制が強化されれば上記目的は達成されます。

先のエントリで示した機内アナウンスを職務として規定することもその類似例でしょう。

公共の場に対する認識を私達が共有できていないとしても、極端には法的に乗客が管理されてしまえば実際上問題はないはずです。

勿論、好ましくはありません。管理されなければ、運航中の良好な環境がが確保されない、即ち、自ら摩擦を回避できない、堪えることができないといった状態は情けないことですが...

乗客の公共心に過度に期待することなく、適切に規制の枠組が構築されれば、その枠内で低下したモラルに基づく新たな認識の共有が徐々に醸成されていくのでしょう。

公共の場に対する私達の認識が変化(劣化?)したとしても、相応した乗客管理の枠組を遅滞なく追従させれば残念な騒動には発展しない、と考えます。



――2.共有の程度は時代や社会と共に変化してきたのか、
或は、
3.実は従来からの大きな変化はなかったのか――


話は逸れていきますが、公共の場に対し私達が共有する認識はこれまでどう変化してきたのか、又、今後どう移り変わっていくのでしょうか。

関心を持っていますが、実の所どうなのかわかりません。そもそも変化してきたのか否かでさえ私には定かではありません。

昨今、私達は寛容性に欠け身勝手とも受け取れる考えが氾濫している事例をいとも容易く見つけることができます。

全てが事実とは断定できませんが、常にどこかで誰かのと言っていいほどブログやツイッターでは頻繁に炎上が起こっています。最初の発言に配慮が欠けていたり、その匿名コメントが輪をかけて独善的だったりしています。

電車内へのベビーカー持ち込み論争、新幹線車内での子供が座る座席についての議論、食べログでの匿名レビュー等、具体例には事欠きません。食べログではヤラセ、誹謗中傷と共にさかもと氏の騒動と比較にならない利己的な主張をいくらでも目にします。

(余談ですが、記憶が曖昧だった、”どう考えたら 新幹線の三景(朝日新聞 投書)”を新幹線、子供、自由席、指定席といった語で改めて検索した所、当該記事も含め余りに低劣な複数の事例が見出され、唖然となり気分が悪くなりました)

 漠然とですが、TPP交渉参加の是非についての工業団体、農水団体、各々の主張にも配慮の欠如を感じます。更にはいわゆるアベノミクスにも実は根幹で通じる部分を感じています。

例えば、食べログの匿名レビューでは、その飲食店の位置づけも踏まえず、店内で泣く、叫ぶ、走り廻る乳幼児とその保護者への非難、乳幼児同伴での入店を拒絶した店への攻撃、喫煙可の店での喫煙者への批判、酔客や女性グループ客の騒動への糾弾等、身勝手で配慮のない投稿が蔓延しています。これらは飲食店とその場に居合わせた訪問客相互の認識のズレに起因しています。

又、TPP交渉参加についても、工業団体、農水団体が自己利益の優先を繰り返すのみで、工業団体/農水団体各々の相手の立場に立った意見は認められません。狭量な主張に終始し、日本における工業、農業の意義、あるべき将来像、採るべき方策といった国全体を見据えた大局的な視点が窺えません。

自分の立場を押し付けたら勝ち、相手の立場を理解し慮ったら敗け、とまで思しき風潮が社会全体に漂っているように感じています。勘ぐり過ぎでしょうか。

ネットワーク技術の進歩に伴い、今日、私達各々の感想、思想、考察は社会全体に容易に拡散できる一方、拡散してしまいます。

この風潮は本質的には新しいものではなく、旧来から社会全体に普遍的に内包されており、その程度もほぼ不変であり、単にネットワークの作用で露呈し強調されただけなのでしょうか。

或いは、時折目にする、”こういう人たちが増えてるんだろうな。”、”かつての日本だと・・・にならなかった”といったコメントに示されるように、社会の変化に伴い上記風潮が強まってしまったのでしょうか。

単純に切り分けるには無理がありますが、その由来、経緯は興味のあるところです。

(続)

2012年12月12日水曜日

突出

――ロースはどこへ行った――

食べログ愛知始め、食べ歩きのブログから、名古屋のビストロのような店のランチメコースを見てみると、チキンソテー、ローストポーク、牛ホホ肉の煮込みがよく提供されているようです。最も高額なコースに牛ホホ肉の煮込みが含まれています。

煮込み料理であればテール、タン、スネ、ネック、スジ肉でもいいはずですが、妙にホホ肉率が突出しているような気がします。ホホ肉の煮込み一辺倒に近いものを感じます。

余計なお世話ですが、ロース、カタ、バラ、モモといった他の部位が余すことなく利用されているのか不思議です。こういった部位はビストロではなく焼肉店やステーキハウス行きで、結果として飲食店全体で効率よく消費されているということなのでしょうか。