2014年12月29日月曜日

無駄

下衆な話で一寸一服。
NHKお天気お姉さん「岡村真美子」さんがW不倫&警察沙汰騒動で番組降板。
全くもってどうでもいい話題なんですが、 思ったところを記します。関係者の方はどなたも存じ上げません。

まぁ、
”根本的にテレビの一番組、或いは番組の一コーナーとしての天気予報はいらないんじゃないの?正に資源の浪費だなぁ。”
とは以前から感じていたことです。必要なんでしょうか。当然お天気キャスターと称される方々も含めてです。

どなたも気象予報士の資格をお持ちなので自らの考えで予報を公表できるのでしょうが、自分の言葉で解説していても予報にどこまで己の考察を加味しているのか、首を傾げています。

で、不倫はするが丁寧でわかりやすい解説と予報が確実に的中するお天気キャスターと、解説が判り難く予報も外れまくりだが不倫はしないお天気キャスター、有能なのはどちらなんでしょう。

結局、お天気キャスターという電波芸者であって、気象予報に関し突出して優れた何かを提示できていないわけです。気象庁由来の同じ元データの分析によるわけですから、予報や解説もほぼ一つに収束してしまいます。

残るはキャスターのパーソナリティで、特色はここで出す外ありませんがその必要はあるんでしょうか。

内容に差のない気象番組を各放送局がタレ流しても電波含め人、モノ、カネの無駄遣いです。もっと生産性の高いコンテンツの制作に資源を投入できないものかと。

昨今、天気予報は、テレビ、ラジオ、新聞、電話といった旧来メディアからだけでなくPCやスマホ経由でネットから、又、テレビでもデータ放送によりオンデマンドで知ることが可能です。

そういった環境の中で、各放送局が毎日定時に天気予報を流す有用性がどれほどあるのでしょうか。真に予報を必要とする属性の方々は積極的に予報を入手するでしょうし...

必要ではないが知りたい層、若しくは、番組と番組の間、番組内の一コーナー、さらに言えば、単にバックグラウンド天気予報として受動的姿勢で視聴する程度でしょう。

局の数、放送時間、ヒト、モノ、カネと見る側の受動的視聴時間を積算すれば、相当の資源が浪費されていることは容易に推測できます。

規制緩和の一環か否かは存じませんが、一般向け予報業務の民間への許可を可能にするため気象業務法が改正され、気象予報士という資格が創設されたわけです。

ところが、鳴り物入りで始めた資格制度にも拘らず資格の需要が大きくなかった、増えなかったと。今更なくすわけにもいきませんし...

何となく、硬直化している電波利権の中でしか生息できない気象利権といった感が否めません。

2014年12月27日土曜日

逆転

以前のエントリで記した喫茶店と同じく、名古屋に隣接した市の役所近くの定食屋?居酒屋?の話です。

昼食に天ぷら定食か天丼と迷って天丼を頼みました。

で、供された丼は紛うことなき天とじ丼だったわけです。いや、海老天入卵丼といった形容がより適切でしょうか。

海老天が小海老でしょぼいという意味ではありません。普通の天ぷら定食に添えられる一般的な大きさのものが三尾でした。

天ぷらは海老天のみ、ツユダクの状態でした。いわゆる天とじ丼でしたが、もう少し海老天をクタッと丼ツユで煮てあったかと。

味濃い蒟蒻入り土手煮が小鉢で、出汁のきいた赤だし、漬物といった陣容で、未だ尾張の食が残っているなぁ、と実感した次第です。

子供時分の家庭の天丼が正しくそれでした。
”天ぷらはカラッと揚がってなきゃ”
”パリッ、サクッとした歯応え”
カラッと揚た天ぷらが載った天丼、ナニソレ?全く別世界の食物でした。

後年、卵でとじていない、一般的な天丼を初めて口にした時、
”飯の上に天ぷらを載せただけの天ぷら定食じゃないか。飯との一体感に欠けるなあ
と思ったのも遥か大昔のことです。

いつしか、該天丼が当然となり天とじ丼は圧倒的マイノリティに逆転していました。ミートソースやナポリタンのスパゲティをおかずに飯を喰らう以上にマイノリティかと思っています。

いつまでも残って欲しい、守って欲しいと思うほどの懐古趣味はありません。どっちがどうのとか、かくあるべしと講釈を垂れるつもりも毛頭ありません。

単に、ああ、昔はそんなだったなあといった思いです。

かつての狭い範囲の自分の当たり前が実はそうではなく、当初違和感を感じていたものに馴れていき、感覚が逆転していることに気がついた、それだけのことです。

ところで、海老のフライや天ぷらで、自分が海老の大きさにそれほど拘らない、むしろ、カラッとからっと揚がった小海老の方を好むのは、上記原体験と何か関連しているのかもしれません。

2014年12月26日金曜日

遺志

寒・北・雪・冬・海・寂・哀・黙・情・厳・忍・独・静、といった辺りが俳優 高倉健から連想される語でしょうか。

哀惜の念に絶えません。残念です。

映画”鉄道員”では、厳寒の中、駅舎で焚かれたストーブの際立つ暖かさが印象的でした。この暖かさが象徴するように、周囲とは対照的に、若しくは一線を画して、役柄の人間を孤高浮き上がらせる、そういった出演作ばかりでした。

多くの作品で、余韻が続いたというか、高倉健演じた人物の物語後を想像させました。

ただ、余りに役柄が固定化されてしまっていたかに見えました。御自身が役柄に共感した作品にのみ出演されていたとの話ですから致し方なかったのかもしれません。周囲が想像だにし得なかったような役も観てみたかったとの思いが残っています。

ところで、遺作となった映画”あなたへ”は散骨を扱った作品でした。

で、現実には既に故人となっている元妻江利チエミ
さんはお墓に納骨され墓参りを欠かさなかったと。又、水子のお墓も建てられ、生前その傍に御自身のお墓を用意されていたようです。

各々事情は異なるでしょうが、散骨とお墓への納骨、高倉健、或いは小田剛一としてどうお考えだったのか、気になるところではあります。
高倉健「去年5月に養子縁組」50歳の元女優...世話になった人に財産残したい
高倉健と子供のお墓は鎌倉に…元妻江利チエミのお墓は…
 どちらなんでしょうか。

2014年12月23日火曜日

懐旧

俳優菅原文太の訃報を耳にし脳裏を過ぎりました。

三十年以上昔です。東京吉祥寺の東映系映画館で”仁義なき戦い”を観ました。全シリーズをオールナイトで上映する企画でした。勿論再演です。

入場時並んだ記憶があり客席はほぼ満席だったかと。場内はある意味異様な雰囲気でした。危なっかしい客層だったのでしょうか。

まず、”仁義なき戦い”のタイトルが映し出されて拍手。観客全員ではありませんでしたが、それなりの一体感がある程度には...

で、オープニングクレジット中、出演”菅原文太”で再度拍手。一部掛け声も。”文ちゃ〜〜ん”だったか。

本編上映中は比較的静かでした。二列ほど斜め前の観客はサントリーの焼酎樹氷をラッパ飲み。場内の所々には赤橙色の灯が点々々と。煙草の紫煙がゆらゆらと立ち込めています。

エンディングクレジットの”菅原文太”で再度拍手です。結局、三、四作目で抗争場面が食傷気味になって寝てました。

ただ、一作目、二作目の躍動感と非日常的な場内の妙な高揚感は未だ印象に残っています。

当時、出演者にその後著名となった俳優の名が連なっていることに驚愕したのも大昔。改めて、時代の変化をまざまざと実感しました。

ええ、単なる懐かしい思い出です。

大志

さて、NHKの朝ドラ”マッサン”の中で、
――”日本で初めて”、”国産初”といった語に違和感を禁じ得ないものがあります。――
以前のエントリ記しました。

ことさら、”国産初のウイスキーを造る”と意気込まれても、素直に共感できないものがあるわけです。
”日本で初めて”に囚われ、それが目的になっていないか、単に”日本初”という冠を望む功名心に端を発してはいまいか、といった疑問を払拭できません。

それは確かに賞賛される功績であるのは間違いないところですが...

主人公亀山の妻エリーが懐妊した時、嬉々としてゆりかごを作っていました。もう”日本で初めてゆりかごを作った男”でもいいじゃないか、と思ったわけです。真否は別にして。

日本人に、これまで知られていなかった、ウイスキーという新しい酒の旨さをを体験して欲しい、楽しんでもらいたい、が本来の動機であって然るべきではないでしょうか。

それが、結果として日本初であるならば申し分なしで、素直にその動機を尊び賛辞を送ることができます。

ただ、これまでの話で、同じ時代を過ごした人々の、或いは現代の視聴者の、一体どれだけにウイスキーの美味しさが伝わっているのか、又伝えることに注力したのか、そういった部分が蔑ろにされてきたのでは、と見ています。

で、単に”日本初”に固執しているかに受け止めた次第です。

ピートのクセは現代であっても馴染みのない人もいるわけで、当時果たして伝わっていたのか...諸手を挙げてウイスキーの美味しさを支持している登場人物は、亀山をスコットランドに派遣した住吉酒造の社長ぐらいでしょうか。

自身が試して美味かった、だから皆も美味いと感じて当然、というのも独り善がりだなぁといった印象です。

美味さが理解できないのは感性が鈍いから”といった優越意識が垣間見えます。現代でもそういった意識は、食についての評論、ブログの形として至る所に転がっています。
――そがいな飲み方はほんまもんのウイスキーの飲み方じゃなあ。ウイスキーを馬鹿にしとる。――
竹鶴12年を水割、お湯割り、時には炭酸で割って頂いている私はニッカウヰスキーから叱責されてしまうのでしょうか。




記念

”東京駅開業100周年記念Suica”について少し。

15000枚限定販売への殺到、涙と怒号、罵声、不手際の混乱を経て、希望者全員が購入可能になったようです。
「東京駅開業100周年記念Suica」の今後の発売について
この決定で転売価格が乱高下しているのは、元々のタイトな需給関係に基づく価格形成に、次元の異なるSuica緩和で、供給がじゃぶじゃぶになるであろうことによるものです。

同様な操作は国債を使っていくつかの中央銀行で進行中です。

偶々、今朝の報道バラエティ番組で、上記JR東日本の決定の賛否に対する街の声が取り上げられていました。で、賛成者と反対者のみの割合が示されていたのですが、”どうでもいい”、いわゆる白票、棄権者、無党派層の割合は端から排除されているのでしょうか。

先の国政選挙にも似て、低投票率の中での多数意見によって、あたかもそれが全体の信認された意見として伝えられてしまうのもどうなんだろうか、と思った次第です。

まぁどうでもいいことです。

本来、”記念”、”限定”といった語は価値体系を構築するキーワードの典型です。元締めである発行者はこういった語を巧に使い、人気や希少性、即ち価値を操作しながら市場を形成していくわけです。

付加価値、プレミアムとも称される下駄が履かされていることになりますが、この下駄が虚構か否かは各々の価値観によるのは勿論です。

オランダのチューリップバブル時の球根、コンプガチャが問題となったゲームアイテム、カードゲームのレアカード、切手、コイン等と根源は同じかと。
”持っててどうすんの?”
というのが素直な印象です。値上がり益云々はまた別の話です。

価値がわからない奴は黙ってろと言われれば、仰る通りでございます。

ところで、アベノミクスと称される経済政策で、異次元の金融緩和の真っ最中です。日銀が野放図に国債を引き受けて市場を金でじゃぶじゃぶしようと。ところが、民間の金融機関には貸出先企業が増えず、日銀が国債購入で供給した金は日銀の当座預金にブタ積みになっているとのことです。

ブタ積みされる日銀供給資金と退蔵される記念Suica、流動性が低く生み出すものがないという点で似たものを感じます。

定性的な話です。民間の金融機関が日銀に持つ当座預金から資金が動き出し、様々な経済効果を生みながらも最終的にSuicaとなって退蔵されると。以降は価値を生み出さないわけです。記念Suicaに限らず、他にも更に大きな規模でそういった、退蔵、ある意味需要不足が起きていないでしょうか。

この資金やモノの流動性が低く、澱んでいる状況ではなかなかいい話にはならないだろうなぁと思った次第です。

水は高きから低きに流れますが、この時、勾配が0に近ければ流れは緩慢です。場合によっては止まったり逆流したりします。で、上のタンクにどんどん水を追加して下へ流したいわけですが、上下のタンクを繋ぐ配管が細かったり、管壁、混入異物、フィルタによる抵抗が大きければ流量は上がりません。

更に、下のタンクが既に満水であるならば、水は流れません。上のタンクに水を追加し過ぎれば、タンクや配管は破裂してしまいます。

2014年12月22日月曜日

有体(2)

前のエントリに引き続き、もう少し食材とその付加価値について無責任に書き連ねてみます。

言うまでもなく、農産品典型的な食材の一つです。今般の衆院選で安倍政権の継続が決まり、農業分野でTPP(環太平洋連携協定)交渉が加速すると見られています

TPP交渉に反対の立場を取る JA全中などの農業団体に対し、経団連を含む経済界は交渉妥結を要望しているわけです。現在、交渉が進んでいるのか、暗礁に乗り上げているのかまったく存じませんが...

日本の農業に対し、経済界を含めたTPP交渉推進派からは、
日本の高度な農業技術は、高品質の農産品を生産できる。輸出に活路を見出すことで農業分野の成長は十分可能である
の考えをよく見聞します。

例えば、

大分県特産の甘い日田梨は、台湾に向けて現地産の5倍という高い値段にもかかわらず、輸出されています。北海道では雪国の特徴を活かしたお米で、輸出を5年間で8倍に増やした例もあります。攻めの農業政策により農林水産業の競争力を高め、輸出拡大を進めることで成長産業にしてまいります。そのためにもTPPはピンチではなく、むしろ大きなチャンスであります。
2013.3.15 安倍内閣総理大臣記者会見 - 首相官邸
といった発言です。国内の反発を抑えて、TPP交渉を進めるための詭弁に聞こえるわけです。

耕作放棄地の現状、就農人口の将来予測、農業従事者の平均年齢、平均的な農業所得、公的資金投入による補助の状態等を鑑み、日本の農業は一産業としてどうなのか、と問うてみると、
”なかなか難しく、責任感にかける発言だなぁ”
というのが率直な印象です。

突出して優れた事例を列挙されても農業は産業であり、ワールドカップのようなスポーツの競技会ではありません。我が国農業が産業として存続、成長できる潜在的可能性と共に農業従事者の平均的なモデル像が描けない限り甘い言葉に踊らされかねません。

自動車産業において排ガス対策、省エネ対策のために導入されたトップランナー方式を同様に農業に持ち込むのは無理があると。基礎体力に差があり過ぎです。

農業の活性化とTPPへの対応への競争的な仕組みの導入は、補助金頼みの現状を鑑みれば、既に終わってるだろ、と思えてなりません。補助金を前提としたトップランナーでしょうから。

たとえ一強が生き残ったとしても、後は屍の山では産業として存続できているとは言えません。確かに日本の平均的農産品でも国際的に高品質かもしれませんが、果たしてそれでどれだけの競争力があるのか、といった視点からの客観的評価が必要ではないでしょうか。

ヒト、モノ、カネ、加えて時間といった投入資源に対し、農業単独では一体どれだけの投資効率があるのか、他産業との比較を踏まえた、地に足のついた提案を求めます。

更に言えば、この高品質な農産品が手間暇かけた労働集約的に生産されているならば、衣料品や電気製品と同じ轍をたどることも十分懸念されるます。遅きに失しているかも...

よくわからないまま勝手なことを記しています。

同様に地方創生が話題になる時、対策のツールとして必ず農業が挙げられ、差別化、高付加価値化の方向性が正しい解として示されているような気がします。


で、やはり平均的なモデル像を蔑ろにすべきではないかと。自由主義社会の競争経済をそのまま適用するのも如何なものかと思うわけです。特段、社会主義を支持しているつもりはありません。

農業の産業としての自立性、成長性の底上げに繋がるような技術レベル向上、高付加価値化を目指して頂きたいものです。競争激化による弱肉強食で”普通に”、”平均的に”農業を営んでいる農家が淘汰されるようでは、産業として消滅してしまいます。

付加価値競争の激化で、商業主義優先の実質の伴わない虚構の付加価値で粉飾された農産品の跋扈と共に、突出してではなく、”フツーに美味しい”農産品を手掛ける真っ当な生産家の疲弊を危惧します。

2014年12月21日日曜日

保身

戦後最低の投票率で衆院選を終え、如何にマシな外れクジを選ぶかという意味合いが一層強くなっています。

そんな中、
選挙をマーケティング視点で考えてみる「政治はクラウドファンディングじゃねえんだよ」
といったエントリがアップされ、全くもってご尤もと首肯しました。 

その中で、20〜30代の有権者が魅力を感じない政策を掲げても該年代層の投票率は上がる道理がない、というのも趣旨の一つかと受け止めました。

ただその一方で、国は投票率の低さに真摯に向きあっているのだろうか、首を傾げざるを得ません。

今回の衆院選では例えば、

投票所に爆竹配備…クマ対策です 岐阜・高山市
広島・庄原市では雪の中 投票所へ
といった報道がありました。物理的な話ではありますが、投票に向かう気持ちを削いでいるわけです。

で、実はこういった有形無形の投票に対する障害が放置されているのではないか、とも憶測しています。投票を促す努力が、運用に十分織り込まれていないということです。

その証左の一つに、ネット投票が未だ実現されていないことが挙げられます。問題があることは承知していますが、実現に向けて進む気配すら感じられません。

在宅で、或いはモバイルからの投票が可能になることで、投票のハードルを劇的に下げることは容易に想像できます。投票率、コストを含めた投票制度の効率的運用も十分期待できるわけです。

勿論、付随する特有の不正が起こるかもしれないことは否定しません。起こり得る問題に対する対応は必須です。ただ、現行制度下でも、ワインやら団扇やら、挙句にはドリル破壊の疑惑が最近でも湧き出ており、現状が一方的に公正、清廉と断じるには無理があります。

ではなぜネット投票の実現を含め、投票に関する制度的な改正が進まないのでしょうか。選挙制度は民主主義を具現化する根幹の手段であり、本来、投票率の向上、民意の忠実な反映といった、その最適化には多大なる資源が投入されてしかるべきです。

前のエントリとも関連しますが、やはり、自律性と矜持の欠如かと。

与野党含めて、
”制度を設計、運用する側自らは、己に不利益となりかねない選択をするはずがない。たとえ、それが公益に資するとしても。”
と見るのが自然なところです。瓢箪から駒で、首相公選制や直接民主主義に繋がりかねませんから。議席、利権、権威の堅守も重要な職務の一つなんでしょう。 

違憲判断が下されながらも一票の格差が解消されない、議員定数の削減が進まないのと根源は同じと考えれば、さもありなんと頷けるわけです。

正に
――無党派層は寝ていてくれればいい――
は正直というか的確な発言だなぁ、と改めて思うわけです。現行の小選挙区比例代表制と低投票率、高齢者優遇政策を組み合わせて、与党の座を維持すると共に、負担や責任は次世代に先送りしていく、現行民主主義の抗えない本質でしょうか。

もう少し、公益に目を向けた効率的な制度設計、民主主義の手続き最適化に焦点が当てられて然るべきでは、と考えます。誰が、という部分が難題ですが。


どうでもいい追記です。

AKB総選挙、結果も含めてそれこそどうでもいいわけですが、その圧倒的に高い投票率と投票者の意思と結果の相関には注視すべき部分があるのかもしれません。ないですかね。当然と言えば当然なんですが...購入しているわけですから。

2014年12月20日土曜日

信者

LC-630を使っていたのは太古の昔です。
Appleが日本に研究施設を作るらしい件について
歯に衣着せて表現すればそういうことなんでしょう。ただ実際にはもう少しえげつない話かと見ています。

身も蓋もない表現をすれば、
胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るもの
ということです。シェアの伸びが鈍ってきたんで、少しテコ入れしときましょうと。

割高な端末を惜しげもなく買い換える信者が多いわけです。日本人向けの機能を適当に付加しとけば、もう少しぼったくれるんじゃないか、という思惑ではないでしょうか。

優良顧客の国です。ローカライゼーションを少し進めればマイクロソフトオフィスと同様に内外価格差を生み出せます。

同時に未だ世に出ぬ有用な素材技術、デバイス技術は囲い込んで独占を目論むわけです。アップルが”この指止まれ”と宣えば、指が折れんばかりに有用無用の技術が群がってくるのは明らかです。

取捨選択の圧倒的な優位性を保ちつつ、その中で労働集約的な部分は他国へ移管すると...

書いていて気づきました。これは研究ではないですね。下衆の勘ぐりでした。

絶句

STAP細胞検証実験の結果について理研の会見がありました。

昨日の報道ステーションでも偶々、該会見の報道を視ていました。こういった注目されるニュースの場合、報道前にキャスター古舘氏がコメントします。

余りに・・・(的)な発言に絶句というか吹きました。
(・・・には独善、身勝手、厚顔、傲慢、不遜、高飛車、尊大、第三者、いずれか、或いは全てが当て嵌めます。)

”自戒”、”自省”は単に修辞のための語句なんでしょうか。朝日の体質の揺るぎない普遍性を感じます。

(上記コメントの書き起こしは、見つかれば追記します。)

契機

ロシアを支援すべき時が近づいているかと。特に、極東に円を投入してはどうでしょうか。
 ロシア・ルーブルが下落、プーチン大統領の会見に失望感

圧縮

再び、NHKの朝ドラ”マッサン”についてです。

国内でのウイスキー生産が始まりつつあるわけですが、 何だか”生産”という行為が軽んじられているなぁと。

登場人物間のやりとりによる悲喜交々に対し、ウイスキー生産は大した問題もなく進んでいるかに見受けられます。

前のエントリは、
”一体何時になったら造り出すのか”
”つくらないまま最終話になってしまうのでは”
といった印象でした。

ところが、今日(12/20)の時点では、
”もうここまでできたのか”
”一体いつの間に進んだんだろう”
立所に初仕込みの日を迎えてしまいました。飛ばし過ぎでそこに至るまでの、初生産の苦労が伝わってきません。

まぁ、帰宅もできていたようですし、大きな問題は起こらなかったのかもしれません。

で、週の終わりの最後の数分間でいきなり養子を迎えています。

これはこれで、”子を持つ”ということに対し、端折り過ぎに見え、安易、軽々といった感が残っています。

隠滅

小渕ドリルはホームセンターで購入できるのでしょうか。

栃木の渡辺商店店主の事情聴取とは対照的に、これで一件落着の方向に進もうとしています。
小渕氏の政治資金問題 家宅捜索前にHD破壊 ドリルで穴開けたパソコン発見
証拠不十分ということで。

さすが、上州。唖然とします。

小渕ワインより小渕ドリルの方が破壊力の点で有用です。インパクトがあります。

都合の悪い事実が偶発的に消滅してしまう小渕ドリル、アマゾンやYahoo!ショッピングで探してみようかと。

Yahoo!ショッピングにも腐食液 (塩化第二鉄液)などではなく、こういった重宝な製品を勧めて頂けたら、と思った次第です。

2014年12月18日木曜日

老醜

喪中の知人に御供えを送った所、礼状を頂きました。亡くなられたのはご子息で十八才に満たない若さでの夭折。

生まれながらにして呼吸器系の疾患を背負っていたことは存じていましたが、何とも心が痛む報せでした。

一方同日、ある物販店で高齢者が、
――消費税分を値引け――
とごねている場面を目の当たりにしました。ちなみに税別3000円の品物でした。

もう、どうしようもないなと...

消費税の主な使徒を、本音はともかく、認識した上での物言いなんだろうか、と思ったわけです。老害こそ社会の最たる迷惑であり、
”人は長生きしてはいけないなぁ。順番通りに適当に逝かないと...”
そんな思いを一層強くしました。

2014年12月16日火曜日

有体

度々閲覧しているブログサイトに、
身土不二の赤玉と、アクアファーム秩父の彩美卵 輝の卵かけご飯
といったエントリがアップされていました。思ったところを少し記します。該エントリ、及び、ブロガー、卵の生産者の方々に対し特に意図はありません。単なる端緒です。

旧小原村の卵1kg分でも一個すら購入できない高級卵とこの卵を使った卵かけ御飯についてのエントリです。美味しいであろうことは想像に難くないわけです。

ただ、果たして自分はその特別な旨さを実感できるのだろうか、といった疑問を抱きました。 

前のエントリでも触れていますが、”卵かけ御飯”が好物なわけです。溶いた卵に、醤油のみならず、白醤油、出汁醤油、果ては鰻のタレ、昆布やアサリの佃煮の煮汁等々を加え、そこに炊き上がった直後の白飯を投入する、これでもう十分満足してしまう気がします。

熱々の白飯で適度に加熱され、濃厚になった卵の味わいといったら...

卵かけ御飯好きが、該高級卵の真価を実感するには、それなりの条件を整える必要がるでしょう。卵かけ御飯だからなのか、卵が優れているからなのか、単に、”旨い、旨い”で終わってしまうようにも思え、なかなか難しい話にもみえます。

ライ麦入りパンのエントリと同様に卵や卵かけ御飯が好きでも嫌いでもない、それほど関心がない、といった層に対してこそ初めて該高級卵の真価が伝わるのかもしれません。
――わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~――
と 問いかけられれば、”わかりません”と応える外ありません。

さて、それはさておき、というか、そういったことを前提としてです。近年、テレビの料理バラエティ番組、雑誌の特集、更にはネットからの情報、冷蔵や冷凍宅配便といった物流技術、荷物のトラッキング、多様な決済手段といった情報技術が反映されてか、日本全国から多種多様な食材を居ながらにして入手できるようになりました。個人輸入という形で海外からの入手もかつてほどハードルは高くありません。

物資の世界中を駆け巡る流動性が極めて高くなっているわけです。全国津々浦々の特産品、生産地でのみ消費されてきた希少品が容易に入手できる一方、汎用的な生産物は大げさに言えば世界中の産地との競争を強いられています。

こういった輸送技術や情報技術の発達に伴う産地間の競争は避け得ないものであり否定するつもりは全くありません。水が低きに流れるが如く、需給に応じて物資の動きが変化するのはやむを得ないことです。

ただ、時折競争を有利に進めようと、売らんかなを目的に、実体価値以上に宣伝広告で購買意欲を煽る風潮を感じます。ブランド化、差別化などで付加価値をつける、言い換えれば本来の価値を虚飾して下駄を履かせているわけです。

食材、食品では、産地、売上、人気ランキング、生産者の弁、評論家含め著名人の推薦、口コミ等がツールとして利用されています。線引きが曖昧ですが、いわゆるステルスマーケティングはその延長に位置付けることができます。

勿論、真っ当な付加価値が加えられた食材、食品があることも十分認識していますが、そういった真価を埋没せしめ、足を引っ張らんとする虚飾に溢れていることも事実です。

評価が味覚という主観的感覚に依存せざるを得ない食の分野では、そういった虚飾から逃れられない、受け入れざるを得ないのかもしれません。評価の曖昧さ、客観性という点で文芸、映画、音楽、服飾、陶芸、絵画、陶芸、建築等でも、特にメディアの介在が顕著な場合、似た印象を抱くことが少なくありません。

古くはエコポイントという経済政策、和食の文化遺産登録や富士山、富岡製糸場の世界遺産登録といった観光振興策にも共通した、内容の伴わない気持ち悪さを感じます。これらも環境、文化の名を借りたあからさまな景気対策、観光資源の収益化でした。

かつて、物価の優等生とも言われてきた卵です。特段、安価であって欲しいわけではありません。ただ、こういった身近な食材こそ、虚飾を排し有体であって欲しいと思っています。質の伴わない過剰な煽り文句こそが不要です。

(続)



2014年12月15日月曜日

矯飾

衆院選への小選挙区制導入は、二大政党制実現に向けての意図によるものと理解していました。

対立軸を明確にした二党のいずれかを有権者が選択することで、多数党による混迷する政治から脱し、決められる政治を目指すと...

で、このありさまなわけです。提唱していた方の一人も今選挙で当選を果たしていますが、離合集散の結果、少数野党の代表です。

二大政党制は各々の政党が政権担当能力を有することが前提です。一方の政党に該能力が著しく欠如していた場合、小選挙区制は一党優位政党制へ進む好例かもしれません。勿論、自民党に十分な担当能力があるわけではないことは明確に申し添えておきます。

共に力不足だが差があり過ぎで、如何にマシな外れクジを選ぶかということです。

その結果が、一強他弱で有象無象が束になっても敵わない、与党安定多数です。現世利益を願う新興宗教にも似て、自己の利益を追求する、正に日本的民主主義を具現化したかの如く状況にも見え、懸念します。

戦前、若しくは明治維新の頃からか、旧来から脈々と継承されてきた全体主義、国家主義を受け入れ、盲従してしまう、従属的な国民性に由来しているのかもしれません。

かつて、政権交代による民主党政権の誕生前二大政党制の必要性が、更に、誕生直後には該時代の到来が叫ばれました。今や見る影もありません。

対自民というだけの旗の下に結集した雑居政党と自民党のある意味ヴァーチャルな、上辺だけの二大政党制時代でした。結局、二大政党制を維持するほどの政治的な対立の基軸を民主党は持ち得なかったため、政権の奪取で目的を達成したことになり以降瓦解が始まっていくわけです。

与党安定多数の結果に、このヴァーチャルな二大政党制時代が如実に反映されているのは疑う余地のないところです。

こういった状況に至らしめた大きな一因は、野党ボケした政治家にあり、与党が優れているわけではないことは明らかです。自民圧勝を許した戦後リベラル層には重い責任があると考えます。(進歩的、進取的といった本来のリベラルではなく左寄りという意味で”戦後リベラル”としました。)

2014年11月26日水曜日

割愛

NHKの朝ドラ”マッサン”についてです。

ウイスキーを造らないまま最終話を迎えてしまうかもしれない、というのは思い過ごしでしょうか。

国産ウイスキー作りのため余市に向け旅立って、或いは、いきなりウイスキーが完成して終了、というのも十分有り得るような気がします。

サントリーは快く思っていないでしょうし...何か力が働いているのかもしれません。
サントリー、講談社に激怒で広告料不払い&出稿停止検討?広告ページ直後にマッサン礼賛記事
ところで、ドラマ中やたら耳につく、”日本で初めて”、”国産初”といった語に違和感を禁じ得ないものがあります。機会があればいずれ記します。


(続)

無念

いや、別にどうでもいいことなんですが。
百田尚樹がたかじん妻結婚歴認めるも言い訳でまた嘘が!見苦しすぎ!
ただ、渦中の御仁がNHK経営委員会の経営委員というのは如何なものかと...

経営委員会は、
――....公共の福祉に関し公正な判断をすることができる、広い経験と知識を持つ12人の委員で構成されています。――
とのことです。 

こんな委員が含まれる経営委員会に公共放送が差配されてしまう、NHKの更なる劣化を危惧します。

NHKという組織内に、忸怩たる思い、屈辱感が当然もたらされているはずです。公共放送の事業者という自負が残っているならば...

2014年11月18日火曜日

傲岸

取り敢えず備忘録として。

新聞が消費税軽減税率の対象に指定されるようであれば、購読を取り止めます。

その公共性、公正中立性、客観性、民主主義を支える基盤としての責務に強い不信感を抱いています。臆面もない、不遜な言い分には不快感を催させるものがあります。

2014年11月16日日曜日

大義

 今週辺り、衆議院が解散され、総選挙に向かうとの報道が至るところで目につきます。

で、野党もメディアも”大義がない”の大合唱なわけです。

浅学でよくわからないのですが、本来の”衆議院解散”の意義というか目的はどこかに定義、記載してあるのでしょうか。

大義ある解散というのも記憶にないのですが...

古くは"バカヤロー"だったり、"心機一転""支持率低下で追い込まれて""国民の信を問う"、そんな理由しか思い出せません。

2014年11月15日土曜日

普遍

名古屋に隣接した市の役所近くの喫茶店の話です。

以前のエントリでも記しましたが、麺と共に”当然のように”白飯を喰らう名古屋圏です。

店名を冠した定番のランチは、ミートスパゲティ、ナポリタン、或いは、焼きそばのいずれかと白飯、赤だしに唐揚げかコロッケ、サラダ、漬物、食後のコーヒーとくるわけです。

当然、ナポリタンの上に赤いウインナーを戴いています。このウインナーと恵那鳥を使用した唐揚げとの旨さのギャップが...

麺類の味付けも白飯が進む濃さです。というか御飯なしでは麺を食べ進められない濃い味です。

スパゲティ、白飯、赤だしと不動の名古屋めしです。揺ぎもせずメニューの先頭に鎮座しています。続くのは鉄板メニューで上記ミートスパゲティ、ナポリタン、焼きそばに加えて焼きうどん、そしてインディアンスパゲティ...

ご存知でしょうか、インディアンスパゲティ。説明はいたしません。

で、鉄板メニューの料理写真の下に注釈があります。
確かな記憶ではありませんが、
――上記メニューは200円追加で定食にできます。定食には白飯、赤だし、冷奴、漬物がつきます。――
平然の如く”定食にできます”。当然のように白飯と赤だし...もう、白飯なしでは麺類が食べられない、或いは、白飯なしで麺類を食べると罰せられる地域なんでしょうか。

他所の追随を許さない、正に名古屋圏の孤高の食習慣、この微動だにしない普遍性を強く実感した次第です。

竹鶴

販売終了になっていたんですか。ニッカの竹鶴12年。

グレンフィディック12年から移って以来、長く飲んできました。今は量をかなり控えています。

強いクセを感じさせない口当たりのいい飲み口でした。抵抗なく杯を重ねていました。って、鈍舌なんですが...

手元にある分でお終いかと思うと残念です。まぁ、だからといって飲み惜しむつもりもなく空けてしまうわけです。

2014年11月12日水曜日

槍玉(2)

更に、政治を生業として捉えた場合、果たして、合理的に報酬、特典が規定されているのだろうか、といった点も首を傾げています。傾げっぱなしです。

営利を目的とした事業会社の場合、経営者の報酬は当該経営者の事業運営によって得られた利益を基に決定されるわけです。政治屋の報酬も自身の活動によって獲得、蓄積できた国富、公益に基づいて決定されるべきではないかと考えます。

この国富、国益を公正、客観的に量ることができない以上政治の生業としての妥当性に欠けるのではないでしょうか。少子高齢化、社会福祉費、国家財政、GDP、需給ギャップ、失業率、領土交渉、エネルギー、教育といった諸問題において、一体どれだけの国益を積み増すことができたのか、そういった視点で、政治活動による成果が政治を生業とする方々の報酬に反映されるのはやぶさかではありません。

逆に言えば、国富、公益を稼いでいない、若しくは、評価できないならば、政治は生業としての適格性を欠いているとみています。

生業とするならば、例えば、安全確実に政府系ファンドを運用し年金財政の大幅な改善をもたらしたとして、これが特定の政治屋の功績であるならば報酬面で報われて当然と受け止めます。

一方、かつて道路建設の是非を判断する指標として費用便益比(B/C)が注目された際、”B/Cがどうであれ必要な道路は作る”といった代議士の発言を聞いた覚えがあります。嘆息してしまいながらも、”民主主義社会らしい負担の付け回しだなぁ”という印象を抱きました。ある意味国富の毀損とも捉えることができ、やはり報酬に反映させるべきかと。

現状では、政治活動に対しそういった評価が行われるわけでもなく、又、国富の損失を招いても政治屋が責任を問われることもないわけです。不祥事絡みでは辞職、辞任、減給がありますが、政治活動の成果とは無関係です。

改めて、政治は生業にはなり得ないと思うわけです。

付け加えれば、上述の報酬、文書交通費、及びその使途、事務所費、政党交付金、議員宿舎といった特典の利用についての適否、或いは制度そのものの是非が繰り返し問題となってきました。こういった問題についての与野党間の諍いに人、金、時間といった資源が浪費されるのも、非効率、無駄であり、国益に反していると考えています。

で、こういった政治を生業とすることに由来する問題や非効率性は政治の生産性を阻害しますから、排除するに越したことはないと。前のエントリで記しましたが、ある部分の公平性を制限する、即ち、政治を生業とせざるを得ない候補を排除することで政治全体の公正化と効率化を図るのも一案ではないでしょうか。

政治活動をする中で、自己の経済的利益など卑小なこととして一顧だにしない、する必要のない程の強固な経済的基盤を被選挙人としての要件とするわけです。国益のために無私の立場を貫き通すにはやはりそれなりの経済的余裕が必要ではないかということです。

典型はホテルのバーに足繁く通っていた、麻生太郎副総理兼財務大臣、偽装献金問題が取り沙汰された鳩山元首相といった辺りでしょうか。為政者としての資質、能力はさておいてですが...

政治家以外ならば、カジノで105億を溶かした井川意高 大王製紙前会長はどうでしょう。正に能力と資産の浪費でした。ギャンブル依存に陥る前に、周囲がヨイショして政治家に転進して頂くのが賢明だったかと...無駄に資産を喰い潰すなら良くも悪くも政治の方がまだましではなかったかと思うわけです。もっと短時間で溶けていたかもしれません。

確かに、国政に対し高い志を抱きながらも経済的事由から出馬を断念せざるを得ない、優秀な人材の機会を奪ってしまうのは事実です。しかしながら、”貧すれば鈍す”というのも又事実であり、被選挙人を制限することで政治を生業とすることに由来する問題を予め排除し得るならば、一定の理があるのではと考えます。

規制を出来る限り緩和、或いは、取っ払って、上述のそういった資産家の方々から政治活動や選挙運動に遠慮無く私財を投じてもらう、躊躇うことなく自腹を切って頂くわけです。それこそ田地田畑余さずです。

かつては、利益供与、極端には”金で票を買う”ことに対し今ほど厳しい目が向けられなかった、地方になるほどズルズル、ユルユルだったはずです。で、そうやって自腹を切って名を残してきた、地方の名士と呼ばれる方々も少なくなかったと思っています。

機会が均等ではない、不公平と言う理由で、経済的に余裕がある層がお金をばら撒くのを抑えるより、逼迫している層の出馬を制限する方が政治的には生産性が高いのではないでしょうか。民主政治として健全性はともかくとしてです。

選挙の際、被選挙人から選挙人への利益供与が禁止されているのは、利益供与によって歪曲された民意が政治に反映されてしまうことの防止がその目的と理解しています。しかしながら実は、健全な民主政治の確保だけが目的ではなく、利益供与合戦に陥って被選挙人各々の資産が選挙人に喰い潰されてしまう、不毛な疲弊を防ぐ趣旨も込められているのでは、と勘ぐっています。この頸木を外すわけです。

被選挙人による自らの選挙区への利益誘導と、有権者への利益供与、
前者は多くの場合合法ですが、後者は公選法に抵触します。ただ俯瞰してみると、両者には大きな違いはなく、同質の根幹に依っているのではないでしょうか。


(続)

2014年11月10日月曜日

収支

10日から開催されるアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際、日中首脳会談も持たれるようです。

この会談の実現に当り4項目の合意文書が公表されたわけです。
(1)日中の戦略的互恵関係を発展させていく
(2)歴史を直視し、両国関係に影響する政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた
(3)尖閣諸島など東シナ海の海域で近年緊張状態が生じていることに異なる見解を有していると認識し、対話と協議を通じて、危機管理メカニズムを構築し、不測の事態を回避する
(4)政治・外交・安保対話を徐々に再開し、政治的相互信頼関係の構築に努める
で、(3)について批判が巻き起こっています。
尖閣の“致命的譲歩”と日中首脳会談
この会談の収支というか得失についての目算が憶測できないままでいます。誰得なんでしょう。

”会談の実現”は事務方の成果かもしれませんが、会談に懸ける思い、会談への期待は日中いずれが大きいのか、よくわかりません。

首脳会談の直前に相手国の領海や排他的経済水域(EEZ)でのサンゴ密漁を野放しにしておくのか、率直な疑問です。

会談実現に何らかの期待があるならば、密漁船団を抑えることなど中国政府にとって容易なはずです。

一方、被害国である日本では、人員、装備の点で海上保安庁の取締が追いついていないという部分も確かなのでしょう。ただ、逆の立場、即ち中国やロシアの領海で他国の船団が密漁しようものなら、とっくに沈められている、或いは拿捕されているような気もしますが...

密漁で首脳会談に懸ける日本側の期待を推し量っているのでしょうか。

上記合意文書の(2)には靖国参拝も包含されているわけですが、やはり、
――サンゴの密漁がなくなりますように――
と祈願のために神社を参拝するべきではないかと、考える次第です。

課題

自宅から東へ20〜25分ほど車を走らせると、その間にコロッケ、ハムカツ、串カツといった揚げ物を扱っている店が7店ほどあります。

勿論、スーパーやコンビニ 、チェーンの弁当屋を除いた、真っ当な精肉店や惣菜店のみの話です。かつては9店でした。

まぁ、7店でも全て購入できていません。恵まれた環境だなぁと思っています。

それでも、コロッケ、ハムカツ、串カツ、メンチカツで飯を喰わせる定食屋はなかなか見つけられないでいます。

トンカツ屋、エビフライ、カニクリームコロッケが売りの小洒落た洋食店ではありません。こういったハイグレードのフライではなく、イモのコロッケだったりハムカツ、メンチカツといった日常の揚げ物を堂々と出す店のことです。当たり前ですが、旨い店です。やまがき畜産、三田屋並のコロッケなら文句はありません。

うどん定食や日替わりランチの一品としてコロッケを付け合せる店はありますが...

コロッケ、ハムカツ、メンチカツを中心に据えている店はなかなかないもんだなあと。飲食店として成り立ち難いのでしょうか。

2014年11月4日火曜日

全力

――中国はAPEC首脳会議のホスト国であり、関係部門は会議の成功のため、すべてにわたり全力を挙げてよい条件を提供する――


プレスセンターに限ってですが、中国政府によるFacebookやTwitterへの接続規制、特定サイトへの閲覧制限が解除されるとのことです。


そうですか。解除には全力が必要ですか...

まぁ、この解除でも監視を通じて反政府的な動きを把握しようといった意図も感じないわけではありませんが。

2014年10月28日火曜日

槍玉

”女性が輝く社会づくり”だそうです。

確かにダークに輝いて注目されているというか、炎上しているわけです。女性閣僚が...

観劇会、ネクタイ、下仁田葱、ベビー服、化粧品(小渕)、団扇(松島)、靖国参拝(高市、山谷、有村)と賑やかです。

で、思ったところを2つ程記してみます。


 1)タイミング


これまで四人もの宰相を輩出してきた上州です。これまで温存されてきた、保守王国の旧態依然とした北関東の田舎体質、政治に集る慣習が露呈したのでしょう。では、何故、今なんでしょうか。報道によれば、観劇会や身内への便宜供与の件は2010,2011,2012年の話です。それ以前も叩けば埃どころか粉塵が舞い上がるのは容易に想像できる話で、この時期に公になった理由がよく分かりません。

今朝の一週間を振り返る時事番組では、該問題の後、特定秘密保護法の運用基準と政令が閣議決定されたことを取り上げていました。飯の種の締め付けに対するメディアの抵抗、報復なんでしょうか。該法案の修正や運用上での骨抜きを取引すると...

 下衆の勘ぐりだとは思います。

北九州で漁協の元組合長、建設会社社長、飲食店関係者が殺傷された見せしめ事件に似た構図を連想してしまいました。

(追記)
カジノ法案成立阻止に向けた抵抗勢力の搦め手か、とも憶測しています。反対の理由は、単にカジノに対する懸念というより、パチンコに代表される既存業界の保護かもしれませんが...


2)利益供与


 上記観劇会の事案は、小渕氏の政治資金管理団体の劇場側への支払いが、観劇会参加者からの収入より大幅に上回っていることが問題となっています。有権者に不当に利益を供与している、買収しているのではないか、という疑義が生じているわけです。

公職選挙法や政治資金規正法に違反しているのではないかということです。

ここで、故意の有無を含めた記載漏れ、誤記載といった記載不備はさておき、不正な利益供与の是非について考えてみます。

公職選挙法の目的は公正な選挙の確保にあります。特定候補による買収や寄付行為は、本来、候補者の資質、能力、信条、人格に対して抱くであろう選挙人の自由な意思を阻害し、選挙の公正性を歪曲せしめてしまうとされています。

買収や寄付の原資をより多く持つ候補は、より多く”金で票を買う”ことができ、持たざる候補との不平等が生じ公平な選挙が実現されません。

公職に就く者は、一定のルールに従って、等しく同じ条件で選出されなければならないということなのでしょう。

加えて、該行為によって当選し、公職についた候補の場合、使った原資の埋め合わせ、次回選挙のための蓄積、自らの蓄財等を目的とした、利益誘導や贈収賄といった職務権限を悪用した不正に繋がりかねません。

こういった不正によって民主政治の健全な発達が損なわれることに対する牽制として、買収や寄附行為の禁止が規定されていると理解しています。


ところで、以前のエントリでも引用した、マイケル・サンデル教授の「民主主義の逆襲」ですが、その中に
 「裕福な学生の寄付金を貧困な学生の奨学金に」に納得できる?
 という部分があります。


寄付金を払えば大学の入学権を手にすることができるという話です。入学者のある割合を寄付金、家柄枠として確保し、寄付金を払えばその枠の入学が許可されるとのことです。寄付金は生半可な額ではなく、富豪の子女のための枠といった位置付けです。大学側はこの寄付金を経済的に困窮している学生のための奨学金、大学施設の充実、優れた教授の招聘等、良い大学の運営に活用します。

議論のためだけのテーマではなく、米国の有力大学ではよくある話のようです。裕福な家庭出身の代表例がブッシュ前大統領との話を耳にした覚えがあります。真偽は存じません。

当然、賛否両論が噴出します。

否定的な意見の根本は、機会が均等ではなく不公平、寄付金を入学の選考基準とするのは不適切、といったところでしょうか。

しかしながら一方、集められた寄付金が奨学金として適正に活用されるならば、経済的な問題によって就学を断念せざるを得ない、といった別の不平等の是正には寄与します。

元々、寄付入学枠の学生と一般枠の学生は同等ではなく、前者を大学のタニマチとみなせば、幅広い学生に対し入学の門戸を拡げる一つの方策とも受け止めることができます。

タニマチが当該大学の品位を大きく貶めない、といった前提は必須かもしれません。

ある不平等を容認することで、別のより深刻な不平等の是正、格差の縮小がなされ、結果として社会全体の利益が増大する、場合によるかもしれませんが、 こういった手法にも一定の意義が認められるべきではないか、と考えています。

社会のより高い生産性を目指して、選良の選出、議会、行政の運営にこういった手法が適用できないだろうか、ということです。 例えば、舛添現東京都知事が厚労大臣であった時の発言に対し、当時抱いた違和感を思い出しました。
――政治家としての正当な報酬を得て、国民の代表として職務に邁進するわけである。さもなければ、他に収入の道がある金持ちしか政治家になれないことになる。――
この後”議員歳費を削減するな”、”退職金がないから議員年金は必要だ”、”退職金も出ないような勤め先には、優秀な人材は集まらない”といった発言が続きました。

果たして政治家は職業なのだろうか、といった疑問を抱いたわけです。もはや政治家ではなく政治屋じゃないかと...

政治を生計を立てるための仕事、生業と捉えるならば、政治屋(家)が給料、賞与等の報酬や退職金、年金といった特典を要求するのも頷けます。自らが生活する糧を得るための手段なわけですから。

この場合、自己の利益最大化を図ろうとする意図が生ずることには抗えず、むしろ自然です。当然、国益に代表される公益と自己の利益との相反が起こる場合もあるでしょう。この時、果たして私欲を抑えて公益を優先できるのか、不信の念を払拭できないわけです。職業倫理、職責という語があるにしても、なんせ生業なんで...

本来であれば、外部からの監査、検証の仕組みがあって然るべきですが、”猫に鈴をつけることができるのは誰か”といった話になってしまいます。猫が自分で己に鈴をつけることはしないように、自律、自浄機能は期待できませんし、政治倫理審査会、メディア、検察?いずれもその任に適当とは思えません。

法に抵触しさえしなければ、自己の利益優先を図ろうとする意図を政治活動に込めても構わないことになってしまいます。

ノブリス・オブリージュの片鱗すら窺えません。端から放棄しているということでしょうか。


(続)

包隠

豆千待月グループはですね、宮沢経産相にお礼すべきだと思うわけです。

株主になってもらうか、献金するか、やはり件のSMバーでの接待でしょうか。飲み放題で4000円だそうです。

2014年10月23日木曜日

敷居(2)

前のエントリに続き、今度は高針のとんかつ屋です。

入店して、品書きに麦とろ定食をみつけました。で、この店も又、御飯のおかわりができるわけです。

とんかつ屋の定食ですから、勿論、とんかつがあって、更にとろろがついています。となると、とんかつで一膳、とろろご飯でもう一膳となるのは自明です。

決して、とんかつを避けているわけではありません。入店していますから。とんかつに加えて、ご飯が進むような副菜の用意があるのがもう...

臍を噛む気持ちです。

己の腹のキャパの問題なのは理解しています。

確かに、サイドメニューにはとろろがありました。ただ、とんかつ屋に入ってカツを食べることなく、とろろとご飯、汁物ではなんだかなぁというか失礼な話です。

結局、通常のとんかつ定食を頂きました。これでも十分満足なんですが、麦とろという語を目にするとやはり心惹かれるわけです。

とんかつという料理、それを提供する店には何ら責任はないのですが、罪作りだなぁと思いました。

こじゃれた小鉢、ましてやフリードリンクやデザート等は不要です。卵かけ御飯、麦とろ飯が主役となるような店など、そうそうないことを改めて実感した次第です。

勿論、美味くなければ話になりませんから、こういった簡素だが旨いを食事を提供する店というのは難しいのかもしれません。

ただ、おにぎりの旨い店は繁盛していますし...もう少し気に懸けてみようかと思っているところです

2014年10月19日日曜日

自爆

テレビの新しい潮流として、音声認識テレビが提唱されているようです。

3D、4Kと続く外れ製品でしょうか。

今、テレビに必要な機能は面白ボタンでは、と考えます。

以前のエントリでも記しましたが、Yahoo、Amazon、楽天といった物販サイトは、これまでの閲覧履歴、購入履歴からお奨め商品を提案してきます。これと同様に、このボタンを押下することで、これまでの視聴履歴からその時点で視聴者に最も興味を抱かせる番組を類推して、チャンネルを切り替えるという機能です。

推奨できる番組がない場合にはテレビの電源は切れてしまうと...

電源が切れたままになってしまう恐れがあることがこの機能の問題点かもしれません。

2014年10月17日金曜日

公共(5)

元々、NHKについての一連のエントリを記そうとした動機は、いわゆる朝ドラを視聴した印象に端を発しています。

近年の朝ドラのシリーズとNHKの姿勢との関係について思いを巡らせるに辺って、NHKが公開している目的やガイドラインを斜め読みした所感がこれまでのエントリでした。

やっとこのエントリで、NHKの国内番組基準、特にNHKの掲げる公共放送の基本原則と照らし合わせながら、朝ドラの印象を通じてNHKの姿勢について記してみます。

以下はリンク先で公開されている、NHKの責務と、公共放送の期間としての基本原則です。
 日本放送協会は、全国民の基盤に立つ公共放送の機関として、何人からも干渉されず、不偏不党の立場を守って、放送による言論と表現の自由を確保し、豊かで、よい放送を行うことによって、公共の福祉の増進と文化の向上に最善を尽くさなければならない。
 この自覚に基づき、日本放送協会は、その放送において、
 1 世界平和の理想の実現に寄与し、人類の幸福に貢献する
 2 基本的人権を尊重し、民主主義精神の徹底を図る
 3 教養、情操、道徳による人格の向上を図り、合理的精神を養うのに役立つようにする
 4 わが国の過去のすぐれた文化の保存と新しい文化の育成・普及に貢献する
 5 公共放送としての権威と品位を保ち、公衆の期待と要望にそう
ものであることを基本原則として、ここに、国内放送の放送番組の編集の基準を定める。

特に朝ドラの視聴者というわけでもなく、偶々無為に見た近年の作品いくつかについての率直な印象です。

印象操作

”ゲゲゲの女房””カーネーション”の頃から何となく違和感がありましたが、昨今露になってきたような気がします。

現在放送中の”マッサン”では人種差別に対する嫌悪感を抱かせるかの意図を感じます。勿論、ドラマの舞台となった大正当時、登場人物のモデルとなった竹鶴リタさんに対する周囲からの奇異な目、差別があったであろうことは容易に想像できます。容姿、立居振舞、言語、慣習の違いに由来する、差別とは別の身構えてしまう部分も含めてです。

事実であったか否かはともかく、ことさらに人種差別に対する嫌悪感を増幅させる演出だなぁと受け止めました。昨今、しばしば見聞する、人種に起因する差別的思想、ヘイトデモ、ヘイトスピーチといった活動を連想させ、それに対するNHKの姿勢を窺わせるわけです。

勿論、人種差別を支持するつもりは断じてありませんが、思想介入、思想誘導というか大きなお世話です。ドラマ中で人種差別反対の意図を一方的に押し付けられているかに感じ、朝から気分が優れないこともあります。啓蒙しなくて結構、各々が考えることです。

こういった演出を、公正中立(両論併記)、上記公共放送としての基本原則、番組基準第1章 第2項 人種・民族・国際関係の、
1 人種的、民族的偏見を持たせるような放送はしない。
2 国際親善を妨げるような放送はしない。
に照らし合わせた時、整合性は保たれているのでしょうか。

例えば人種差別の是非に対する両論併記はないわけです。NHKが宣う中立性より、公共放送としての基本原則、番組基準を優先させているのでは、捉えてしまいます。


今後、話が進んで戦時下の日本も舞台となっていくかと思っています。となると、該差別と共に戦争に対する嫌悪感も増長させる演出が予想できます。

”ごちそうさん”、”花子とアン”のシリーズがそうであったように...

両シリーズの放送も安倍政権の憲法改正や集団的自衛権の論議とリンクさせ、抑制効果でも期待したのだろうかと勘ぐってしまいます。以前のいくつかのエントリ、錯誤解釈気概で疑問を呈しているように、安倍政権を支持してのことではありません。

”カーネーション”、”ごちそうさん”、”花子とアン”といった、作品中に戦時下の時代設定が含まれているシリーズの場合、まぁ必ず登場します。徒党を組んだ国防婦人会の面々が...

おまけは頭の悪そうな子供たちです。石を投げて主人公宅のガラス戸を割る、”国賊”といった張り紙をするなどして、”非国民”と叫びながら逃げていくわけです。”国賊”とか”非国民”とか朝から聞きたい言葉ではありません。
3 教養、情操、道徳による人格の向上を図り、合理的精神を養うのに役立つようにする
5 公共放送としての権威と品位を保ち、公衆の期待と要望にそう
に適った演出なのか甚だ疑問です。

で、国防婦人会ですが、これがまた”お国のため”を盾にした横暴で理不尽な戦争協力を強いる姿を描き出しています。該婦人会は正に主人公の虐め役といった役割で、知性を欠いた、直情的、意地悪、醜悪、精神論、不当な要求といった語で形容される物言い、行動が印象づけられます。

確かに戦時下では、全体主義による強い同調圧力が生まれ、該圧力が具現化された、実働部隊が国防婦人会という団体なのでしょう。この力によって異論、出る杭、個性、特に西欧的雰囲気を醸し出す言動が必要以上に摘み取られていたであろうことは想像に難くありません。

しかしながら、該婦人会の会員各々は、果たして全員が全体主義を支持し率先して戦争協力に参加したとするのは無理があります。活動の原点となった中心人物の動機はともかく、多くの会員は実は、軍部に利用されることで自制が困難になった同調圧力によって加担させられてしまったのではないか、とみています。

当初は“善意”で始められた奉仕活動が次第に国家に絡めとられていき、周囲を巻き込んで暴走を続けた、ということです。軍による情報統制下ですから、いわゆる教養婦人ではない一般の主婦が該圧力には抗えず、元々本意ではなかったが知らず知らずの内に本意となってしまったわけです。教育、洗脳、印象操作の類でしょうか。

”ごちそうさん”、”花子とアン”の作品中では、ラジオに出演する登場人物はあくまで個人としてNHKの国威発揚、戦果報告等の戦争協力となる放送に苦悩しますが、NHKの組織として逡巡、抵抗する姿は窺えません。NHKという組織自体も軍部に利用された、強いられたという立場を遠まわしに印象づけたいのでしょうが、上記一般の主婦に対する情報統制、思想教育にNHKが一役買っていたのは間違いないところです。

2014年10月16日木曜日

敷居

先日、徳重辺りで昼食を取った時の話です。

目当ての店が閉店していたため、やむを得ず、傍にあった複合ショッピングビルに入りました。

フードコートに加え、多様な飲食店が並んでいます。特段、これを食べようと決めているわけでもなく、店内を物色していると、とんかつ屋のPOPに目が釘付けになりました。

ランチのとんかつ定食の紹介とその横に、
ご飯、キャベツ、みそ汁、生たまご 食べ放題
とあります。で、とんかつ定食や食べ放題の文言より卵かけご飯が脳裏に浮かび、心惹かれたわけです。

ただ、どうやら定食、或いは、カレーを注文した客に限り認められるサービスのようです。となると、とんかつ定食を注文した場合、とんかつで一膳、これは当然白飯と共にです。この一膳を平らげて、お代わりして卵かけご飯にたどり着くことになります。

いえね、最初の一膳で旨い卵かけご飯を掻き込みたいんです。できれば豚汁で...

勿論、とんかつ定食には何ら問題ありません。好物です。生たまごの語さえ目に入らなければ、この店でとんかつ定食を注文、飯一膳で”ああ、旨かった”と満足していたでしょう。

ここからの、追加の卵かけご飯は胃腸への負荷が過大です。年をした中年にとって卵かけご飯を口にするためには、とんかつ定食を平らげなければならない、というのは敷居が高いなぁと思うわけです。

おそらく、食べ切れないわけではない、というか、食べてしまうのはわかっています。キャベツ、みそ汁もお代わりして...

食後苦しむ姿が目に浮かびます。

これまで何度となく繰り返してきたことです。

思いに任せて入店し、その愚を冒すところでしたが、なんとか断念して他の店に入ることができました。

後ろ髪を引かれつつ、いつの日か豚汁定食(生たまご付)が用意されることを願って...