2016年7月24日日曜日

醜態

情けない
以外に言葉が見つかりません。2016都知事選の投票日が近づくに従い、魑魅魍魎が跋扈し、真偽が定かでない誹謗中傷や、強圧的文書が飛び交うんだろうなあとの予測はできました。

案の定、
平行して猪瀬前都知事も絡んだ自民党東京都連との場外乱闘も勃発しています。
猪瀬直樹が語る「東京のガン」
内田茂幹事長の陰湿ないじめに耐えられず自殺、樺山都議の遺書、擲り書き切ない。

都知事選に絡んだ話では、”親族まで、従わなければ処罰する”という通告でしょうか。

「北朝鮮じゃないんだから」猪瀬直樹氏も苦笑した自民都連の通告とは?【都知事選】

都知事選に絡んだ話では、”親族まで、従わなければ処罰する”という通告でしょうか。

「北朝鮮じゃないんだから」猪瀬直樹氏も苦笑した自民都連の通告とは?【都知事選】
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平成28年7月11日
地域総支部長・選挙区支部長 殿
各級議員 殿
自由民主党東京都支部連合会
会長 石原伸晃
幹事長 内田茂
党紀委員長 野沢太三

都知事選挙における党紀の保持について


今般の参院選では多大なるご尽力を賜り感謝申し上げます。
引き続きの都知事選は、本日開催いたしました都連支部長・常任総務合同会議において、わが党の都知事選挙推薦候補に元総務大臣の増田寛也氏(64歳)を決定いたしました。

都知事選挙は、東京オリンピック・パラリンピックを控えた東京都政の舵取り役を決める極めて重要な戦いであります。都連並びに総支部、各級議員が組織総力を挙げて臨まなければなりません。更に党員・党友は団結し、より一層の挙党一致で勝利を目指して奮闘しなければなりません。

このような折、下記に挙げる事項を遵守され、わが党の候補者を強力にご支援下さるよう何卒、ご理解とご強力をお願いいたします。
1、党員は、党の決定した公認・推薦候補者を応援し、党公認・推薦候補者以外の者を応援してはならないこと。

2、党員は、反対党の候補者を応援し、または党公認・推薦候補者を不利に陥れる行為をしてはならない。
3、各級議員(親族等含む)が、非推薦の候補を応援した場合は、党則並びに都連規約、賞罰規定に基づき、除名等の処分の対象となります。

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与党自民党の強権的体質が如実に伝わってくる文面です。


先日、新たに選挙権が付与された18~19歳の有権者が政治から目を背けたくなる、失望するのも致し方ない選挙戦が繰り広げられています。

彼等がこの国の有権者であることを誇れる、票を投じることに意義を見出だせる選挙からは遠く離れているように感じます。
もう都知事はAIに任せとけ
繰り返しになりますが、率直な印象です。 

2016年7月12日火曜日

責務

結局、新たに選挙権が付与された18~19歳の投票率はメディアの大騒ぎにも拘らず、”笛吹けど踊らず”でした。
参院選の18~19歳投票率45.45% 平均大きく下回る
この数値はサンプル調査の結果ですが、まぁ、妥当なところでしょうか。彼等の親世代となる、40歳、50代の投票率は各々、51.66、61.77%(H.25参院選データ)ですからその数字を上回る道理がありません。
親が投票に行かなきゃ子も行かない
ということです。

だ、18歳で51.17%、19歳で39.66%という結果も含めて更なる分析、考察を期待したい処です。

両親、親族の投票行動と共に、18~19歳有権者の属性、例えば、家族との同居/別居、就業者/非就業者、非就業者であっても高校生/大学生/専門学校生/予備校生/その他、によっても投票率は影響を受けるのではないかと考えます。

その差は、

――就職や大学進学の時期を迎える19歳の投票率が特に低かった――
という見方もありますが、
18歳の有権者は学生であればほとんどが高校生
ということも理由の一つではないだろうかと思料しています。19歳の有権者ですと大学生だったり就業者だったりと高校生はいなくなり、20歳代の投票率33.37%へと近づいていくと。

勿論、今回の18歳有権者が、改正公職選挙法が適用された初めての18歳有権者でしたから、特に周囲から注目された、当人が意識した結果と見ることはできます。ただ、高校からの啓蒙も一定程度効果があったのではないでしょうか。こちらも”初”という意味で力が入っている、下駄が履かされている結果かもしれませんが。

とはいえ、投票率向上の方策として、公教育において主権者としての権利と義務を伝えることの重要性を感じた次第です。勿論この時学校側が政治的中立を保ち、各学生の思想信条に立ち入らないのは言うまでもないことです。ただ、ここが最も危うのかもしれません。

ところで、この18歳選挙権に関し、当事者である18~19歳の有権者へのインタビューやアンケートを見聞すると、極めて多くの”わからない”が並んでいます。

NHKによる、
18歳選挙権 世論調査の結果は
では、
自分が選挙で投票することに、戸惑いや不安がある
とした回答者は、
政治についてよくわからないから
どの政党や候補者に投票すべきかわからないから
選挙結果がどのような影響をもたらすかわからないから
その理由を挙げています。

少し前のエントリ、
18歳選挙権は本当に必要?「政治に関心がない」10代の若者たちと民主党・枝野幹事長が議論
でも、”興味がない”、”わからない”が続出しています。

こういった”興味がない”、”わからない”に対して、無関心、無知、不勉強を責め、批判する声をしばしば耳にします。
「選挙よりパンケーキ」 テレ朝「投票に行かなかった理由」特集の波紋
は直近の例でしょうか。選挙に行かない理由を揶揄し、年配視聴者に優越感を抱かせるには恰好の題材です。

ただ、十把一絡げに選挙に行かない奴が悪い、無関心は良くないと、一方的に責めることには首肯できません”興味がない”、”わからない”は若年層だけの話ではありませんから。

我国日本は、曲がりなりにも民主主義国家を標榜しています。であるならば、冒頭に挙げた低い投票率と共に、その理由の一つであろう若年層を含めた多くの有権者の”興味がない”、”わからない”に、国家は真摯に向き合う責務があると考えます。

選挙軽視を面白おかしく取り上げた、上記番組の紹介事例などはともかくとしてです。全ての”わからない”についてということではありません。

民主主義社会においては、その実現、維持のために選挙が欠くべからざる手続きであるのは言うまでもないことです。民意を問い、社会が意思決定するための、民主主義を支える唯一の手段です。しかしながら、投票率が低い中での選挙の結果は必ずしも社会全体が決定した意志ではありません。あくまで、票を投じた集団の意志です。

では、票を投じなかった、棄権した集団の意志はどうなのでしょうか。現状では、白票等無効票を投じた集団と合わせて白紙委任、といった扱いにされているかと。つまり、全ての棄権、無効票に対して、”特定の候補を推す意志はないが、結果は受け入れる”が押し付けられているわけです。

2016年7月11日月曜日

投票

参院選が終り、来る東京都知事選出馬者の話題で喧しい毎日です。一連の選挙は、選挙権年齢が18才以上に引き下げられる初めての国政選挙であること、首都東京の首長を選出する選挙であることも狂騒に拍車をかけているのでしょう。

で、当然誰に票を投じるか、若しくは誰を除外するかに思いを巡らすことになります。都知事選はお呼びではありませんけど。

以前のエントリにも記しましたが、

1.野次を飛ばさない政党、候補者を支持したい 

わけです。地方議会も含めた議会の場で、心無い野次による人格口撃、次いで謝罪騒動へと発展し、審議の停滞に陥ってしまうことは珍しくありません。懲りない、学習しないという以前に、全くもって非生産的、無駄の極みです。又、


2.臆することなく政策に自身の名を冠する政党、候補者は避けたい

ところです。勿論、果たして真の政策提言者は一体誰か、という話にもなりますが、そのことよりも自律性や合理的判断に支障を来してしまうのではないかと。

為政者が、己の名を冠した政策によって社会を発展させる結果を為し得たのであれば、政治家冥利に尽きるわけです。経済、外交、防衛、教育、産業、社会保障、いずれの分野であっても自身の名が歴史に残りますから、政治家の自己顕示欲を満たすには十分です。政治家個人にとってこれ以上の栄誉はないんじゃないかと。

しかしながら、逆に該政策で成果を上げられない時、或いは失政に終わった時はどうでしょうか。いずれであっても”失政・失敗”の語は政策実施者側の口から出るはずがありません。おそらく、いつ、いかなる状況でも失政・失敗は認めないだろうということです。これまでの様々な事例を振り返ってみると、
――まだ道半ばである――
――予算(投入資源)、時間規制や緩和の程度が不十分――
――(この政策を講じなければ)もっと悪化していた、これ以上の悪化を食い止めた―― 
他には、都合のいいデータによる成果を粉飾する、失敗の原因を自分以外(他国、自然災害等)に求める、”・・・れば上手くいった”、”・・・たら問題なかった”といった仮定の話に誘導していく、といったところが常套手段かと。

即ち、政策名に為政者自身の名を冠してしまうと、政治家の無謬性がより強固になってしまうということです。政策の間違い、失敗を認めないということは、状況評価の客観的な目を曇らせ、更なる(成果が出るまで無限の)資源の投入、施策の行き過ぎへと進むことになります。

’いけいけどんどん’で突っ込み続けてのっぴきならない状況、後戻りできない状況に追い込まれる...何せブレーキや
バックギヤがありませんから。政策に自身の名を含ませる政党、候補者にはそういう危険性を感じてしまいます。

これが避け得ない日本の伝統か否かは存じません。であったとしても、自律性を欠いた国家がどういう方向に進んでしまうのか、過去の失敗をもう少し糧にできないものかと考える次第です。その典型例は勿論、前の敗戦です。


3.上着が白い候補は信用ならない

全くもって偏見です。カレーうどんや味噌煮込みを口にするのが避けられていそうで...そんな輩は信用できない、単なる思い込みです。


他にもですね、”吐いた唾を飲まない”、”ブーメランを投げない”、”口にしたことと行いに整合性がある”とかありますが、そうすると、
誰もいなくなってしまう
わけです。


上は実在の人物の署名ですが、

だったり、
としか投票用紙に記入できないことが残念でなりません。

2016年7月9日土曜日

一発

"ひと夏の経験"ということなんでしょうが、イベント扱いされて、一過性の盛り上がりで終わってしまわないことを願うばかりです。
18才選挙権


  あなたに 社会のこのいちばん 
  大切なものを あげるわ
  小さな胸の 奥にしまった
  大切なものを あげるわ

  信じる人に 捧げるため
  守ってきたのよ
  汚れてもいい 泣いてもいい
  信は尊いわー
  誰でも一度だけ 経験するのよ
  候補者の甘い罠

2016年7月2日土曜日

作意

かねてから戦時期をまたぐNHK朝ドラのシリーズには強い違和感、場合によっては反感すら抱いてきました。勿論、現在放送中の”とと姉ちゃん”も含めての話です。

どのシリーズでも、時代が戦時下の回では必ず厭戦・反戦プロパガンダドラマと化し、朝から憤懣遣る方無い気分に陥ります。で、いくつかの疑問と共に思う処を少し記してみます。

こういった厭戦プロパガンダドラマの脚本、演出はやはりそういった思想を持つ作家を起用して生み出されているのか、或いは、NHKの思想を反映するよう脚本家、演出家に要求しているのか、興味のあるところです。いずれにせよ、厭戦・反戦意識を視聴者に植え付けたいという、NHKのくどい上に行き過ぎた意向が働いているのは間違いありません。

この手法から推測すれば、過去、実際の戦時下でNHKが上記と逆方向のプロパガンダ放送をラジオで行ってきたことは想像に難くありません。かなりえげつない戦意高揚放送を流してきたのだろうなと。戦争を賛辞する、現在と鏡像の状態にあったわけですから。

そういった自らが行った過去の放送をおくびにも見せず、素知らぬ顔で厭戦・反戦プロパガンダドラマを放送していることに強い抵抗を感じます。何様ですかと。NHK様ですか。みなさまの公共放送の...ああ、そうですか。

戦争という行為の肯否以前の話として、公共放送の情宣活動によって、上から目線で視聴者を教育、啓蒙してやろうという意図を感じます。極端に言えば、厭戦・反戦思想の教育、統制を図っているのでは、と思わせます。方向性は異にするものの、かつて国家の協力者として戦争の片棒を担いでいたのと同質ではないか、ということです。

朝から、そういった意図があからさまに伝わってくるわけで、これが不快感を催させる源なんだなぁと。

その手法も実在の人物をモデルにしつつもフィクションとすることで事実と虚構の隙間を利用したものです。即ち、事実を脚色した創作を利用することで、虚構をあたかも事実であったかのように視聴者に信じ込ませるわけです。社会派と称される文芸作品、歴史小説でみられる常套手段ですが、それは果たして誠実な手法なのか、斜に見ています。

山崎豊子は正しく、百田直樹は怪しい、坂の上の雲”は事実で、はだしのゲン”は虚構という見方、或いはその逆にも与できない、ということです。

今日、戦争の賛辞、戦意高揚の手段としたそういった手法の使用はすっかり影を潜めていますが、国威発揚のためには時折用いられているような気がしてなりません。

6/28放送の中で耳にした、主人公常子の言葉です。
お国を守るために、戦争をしなければならないのは、仕方のない事です。軍人さんが、命を懸けて戦って下さっているのも、よく分かっています。ただ…戦争を讃えるような雑誌を作る事が、私には、どうしても苦しくて。いろいろなものを奪っていくような戦争を讃え、国民を、あおるような雑誌を作りたいという気持ちには、どうしても、なれないんです。なんとかして、違う内容の雑誌を作る事はできないでしょうか。
当時のNHKラジオもそうだったと代弁させたかったのでしょうか。モデルとなった女性が実際にそういう主旨の発言をしていたかもよく分かりません。

上記文言をもう少し勘ぐってみると、本心か否かはともかく、国を守るためとして消極的に戦争を肯定しているわけです。ドラマ全体としては、戦時下の思想や発言が制限された社会、窮乏生活が厭戦感を醸し出していますが、主人公の言葉として”厭戦・反戦”は発せられていません。

それを口にすることは即ち、軍部だけでなく国家、体制、為政者を批判することになりますから。過去の全体主義時代のこととはいえ、NHKは国家を批判しない、ということなんでしょう。厭戦・反戦を謳うものの、根幹の責任部分からは目を逸らすと。ご都合主義であり、日和っているというのが素直な印象です。

代わりに、国防婦人会の参加者、町内の班長といった市井の名も無き戦争協力者を憎まれ役に仕立てて厭戦感を植え付けています。やり方として如何なものでしょうか、陰湿さを感じます。
”(時代を問わず)愚かな人間に舵取りを任せると国を誤る”
くらいの台詞があればもう少し評価できるのですが...

更に記せば、上記戦時下における窮屈で困窮した生活に対する不満は当時の対戦国であった米国に向けられるのが自然な感情の発露ではないでしょうか。それが誤ったものであったとしても...

主人公の口から”許すまじ”とか、”憎むべき”といった米国を批判する文言が全く出てきていないわけです。まぁ、米国に対する配慮が働いているのは間違いない処ですが、平均的市民の感情としてそういう部分を排除して描かれていることに不自然さ、わざとらしさを感じます。

先日、NHKスペシャルで 
"そしてテレビは“戦争”を煽(あお)った"
というドキュメンタリーを視聴しました。てっきりNHKが戦時下にどういった役割を担ったかについての検証番組かと思ったのですが、期待は裏切られました。ロシアによるクリミア併合でウクライナとの間で起こった紛争の際、テレビを始めとするメディアが何をどのように伝えたか、という番組でした。

自国に都合よく、又相手国に対する憎悪を掻き立てるような報道が、演出と捏造によって行われていたと。戦時下におけるメディアの行動としては自然で合理的ではあります。報道の在り方としては全く正当ではありませんが、理解できないわけではありません。古今東西、戦時下においてメディアは常に相手国の非難、自国の正当化を通じて、戦意高揚など国民を煽動してきましたから。

この番組で取り上げられたウクライナのテレビ局とNHKは対照的です。戦時下のNHKも同様な姿勢であったと容易に類推できます。戦争の片棒を担ぐメディアによって登場人物の対戦国に対する反感が植え付けられる、そういった片鱗すら朝ドラのシリーズには窺えません。

過去の戦時下においてNHK自らは何を放送したか、そういった部分には頬かむりして”戦争という行為”そのものに対する忌避感を煽っても、不自然、不誠実、欺瞞、お手盛り、そういった印象が常に付いて回ります。

桑原(2)

食品を購入するためにスーパーに赴くと、ちょくちょく面白いというか、唖然とする場面を目にします。これは前のエントリとは別の店の話です。

どこのスーパーでも夕刻になると鮮度落ちの早い商品には割引シールが貼られていきます。鮮魚、精肉、惣菜等々...段階的に-10%、-20%、半額といわゆる見切りのシールが貼り重ねられていく店に17:30頃訪た際のことです。

そういうタイミングだったのか、精肉コーナーには割引シールが貼付されたいくつものトレイが並んでいました。-10%、-20%、半額といった鶏、牛、豚といった精肉のトレイが混在している状態です。勿論、シールのない、正価販売のものもありました。

ふと見ると、そういった値引き品を大量にカゴに入れている年配の女性客がいたわけです。六十代あたりでしょうか。切り落とし、薄切り、焼き肉、ステーキ用といった様相で、特に〇〇用に絞ってということでもなく、あたり構わず割引品のトレイをカゴに入れていました。
”いろいろな肉を沢山カゴに入れているなぁ、上手く調理して保存食でも作るのだろうか。”
と思いながらも通りすぎて自分が目当てにした商品の棚へと向かいました。で、しばらくして乳製品のコーナーでチーズを見ていた時なんですが、気づくと先ほどの年配客が...

別に、注視していたわけではありませんが、先ほどの割引品の肉を両手に持って較べていました。なんだか自分のカゴの中で選別しているようです。実はこのあたりからちょっと気になってきました。

そこから件の客の行動を目で追うと...カゴの中の精肉のトレイの中、半分程度を商品棚に戻していました。戻す?なるほど、割引のシールが貼付された商品を、取り敢えず手当たりしだいにカゴに入れると。そうしてカゴに入れて確保しておいた商品を後で品定めし、不要なものは商品棚に戻す...

正価品ならともかく、消費期限の迫った見切り品は商品棚の前で手にとったとしても、購入する/しないを判断して購入を決めた商品だけをカゴに入れるのが真っ当なんじゃないのか、と思った次第です。他の客の購入機会を奪うべきではない、サルベージした商品を戻してどうする、という意味で。

軽く唖然とすると共に、”なんだかなぁ”、といった印象を禁じ得ませんでした。テレビで目にする衣料品のセールや福袋の争奪と同じ感覚なんでしょうか。

ふと目をやると、この客は今度は餃子や焼売などの惣菜のパックを何パックもカゴに入れていました。
”また、惣菜のパックを見比べていくつかを戻すのだろうか?”
そんな思いが過ぎりながら会計を済ませてさっさと店を後にしました。桑原、桑原...